「さっきは助かった、おかげでもめ事を大きくせずに済んだ」
自らの乗機の具合を確かめながら、テオドールはコックピットからすぐ外で作業をするアッシュに声をかける。
「小官は同志中尉から受けた命令を遂行しただけです、エーベルバッハ少尉」
人目があるからか、いつかのようなぶっきらぼうな言葉ではなく軍人じみた受け答えをするアッシュ。
あの後どうなったか聞きたいところだが、下手に詮索すればかえってよくないことになる可能性もある。
ゆえにそれ以上は聞かないことにした。
その代わりに聞きたいことが、彼にはあった。
「今回の作戦、うまくいくと思うか?」
声を落とし、彼に聞いてみる。
年齢にそぐわない見識を持つこの少年から見た成功率、と言うのを確かめてみたかった。
「失敗するよ、ほぼ間違いなく」
自分に合わせてひそめた声は、はっきりと自分の耳に届いた。
あまりにあっさり告げられた予想に、すぐには言葉を返せなかった。
「な、なんで」
「BETAを舐め過ぎてる。自分たちの予想のうちに収まる相手だと思い込んでいる。だからそれが崩れたとき、連中はあっさり瓦解する」
「そして東は彼らを絶対に助けない。だから、このままなら作戦は失敗する」
具体的なところは何一つ言っていない。
だが、確信ありげに言われては笑い飛ばせない。
そうできないだけの言葉の重みが、なぜか彼にはあった。
「……どうすればいいと思う?」
「そこは俺の領分じゃねえな。まあ、やることはいつもと変わらないんじゃないか?」
いつもやっていること。
「……そうか」
おぼろげだが、何が起こるのかわかった気がする。
ならば、それに備えればいい。いつも通りに。
そして作戦への心構えが決まると、彼に聞きたいことを思い出してしまった。
「……アッシュ」
「やめとけ」
聞く前に制止された。
「白か黒か聞いたところで、お前はその選択の結果を受け止めきれない。意味のない問いだ」
「それは」
「”選ばない”ことを選んだ奴の手には、何も残りゃしないよ」
そう言ったきり、彼は別の作業のため、コックピットから離れていった。
「……リィズ」
リィズ・ホーエンシュタイン。
この作戦の直前に666中隊に配属された、生き別れた自分の義妹。
どれだけ探しても見つからなかった彼女が中隊に配属されたことに、どうしても作為的な何かを感じずにはいられない。
国家保安省のスパイではないか。
その疑念が、頭から離れない。
だが、それを面と向かって聞く勇気も、今の自分にはない。
その迷いをアッシュに見透かされてしまった。
そう、聞かずに確かめる方法はあるのだ。
アッシュは国家保安省の通信を盗聴している。
もしリィズが国家保安省のスパイなら、定期的な報告をしているはずだ。
そしてアッシュはそれを聞いているはず。
だから彼に聞けば、リィズがそうなのかどうかを確かめられる。
確かめられるはずだったのだ。
だが、その前に予防線を張られてしまった。
”仮にクロだったとして、お前は彼女をどうするつもりなんだ?”
そう言外に聞いてきているのだ。
その答えを出せないなら、教える気はない。そういうことだろう。
クロであるならば、間違いなくリィズは中隊の仲間たちに牙をむく。
そうなったとき、取れる選択肢は多くない。
「殺せるのか?俺は、リィズを」
考えただけで体の芯が冷たくなる。
だが、答えを出せなければ確かめることもできない。
選ばなくてはならない、自分の意思で。
その結果が、最悪のものだったとしても。
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「現状は以上です。引き続き任務を継続します」
『了解した。そのまま任務を続行せよ。以上』
通信が切れる。
無事報告が終わったことに一つ息を吐き、彼女は――リィズ・ホーエンシュタインはそれを懐にしまう。
「大丈夫。まだ私はここにいる。全ては――」
「――兄貴のためとはいえ、よくやるよ」
振り向きざま、銃を引き抜いて声の主に向ける。
「あんたは!」
そこに立っていたのは、小さな少年。
中隊付き整備員の副長格。
記憶喪失だという謎の男、アッシュ。
聞かれた?なら始末しないとダメだこいつが消えれば騒ぎになるこんな場所でそれはできないでもこのままじゃ中隊にばれてしまうお兄ちゃんに私のことが――
「怖いんなら、最初からやんなきゃいいだろが」
――引き金を引く直前、アッシュが話しかけてきた。
「……何のこと?」
「お兄ちゃんを失うのが怖い」
「!!」
「だから何の心配もいらない場所に匿いたい。そのためならなんだってしてきた。ハニトラ、拷問、殺し、裏切り。全ては愛するお兄ちゃんのため」
「やめろ」
「お兄ちゃんのためならなんだってできた。最後にお兄ちゃんが手に入るのならなんだって我慢できた。だからお兄ちゃん、私を愛し」
「やめろォ!!」
思わず引き金を引き――
――何も、起こらない。
「常に持ち歩いてんなら、しっかり整備しとけ」
そう言って彼が見せたのは、私の拳銃用の弾丸。
いつ抜かれた?ずっと持っていたのに!?
「”昔”悪い大人に教えてもらってな。役に立つ日が来るとは思ってなかったけど」
不味い。今すぐ殺さないと任務が達成できないのに!
達成できなければ――
「そんなに大切か?兄貴が」
「……当たり、前でしょ」
――それだけを頼りにしてきた。
お兄ちゃんを守るために自分を売った。
汚い親父の相手もした。
愛を囁いた相手を殺した。
家族のいる人間を壊した。
上の人間の覚えをよくするために同僚を裏切った。
大好きだった。
自分がどんなに汚れても、この思いだけは汚せなかった。
これがあったから、ぎりぎりまだ私は人でいられる。
だから、邪魔する奴は誰であろうと許さない。
お兄ちゃんだけがいればいい。
他には何もいらない。
だから――
「そんなに大切なら、なぜ兄貴の大切を守ってやらない?」
「……は?」
「お前にとっちゃ兄貴以外は邪魔以外のなにものでもないんだろう。だが、兄貴にとってはどうだ?」
何を、言っている?
「お前が人としての尊厳を奪われて壊れる寸前であるように、周りの人間を排除したら壊れるとは考えないのか?」
「そ、そうなったら私が」
「お前を壊した国家保安省と同じところに落ちたいのか?」
「!!」
「自分を壊した国家保安省に、かけらも忠誠心なんてないだろ。このままだと、エーベルバッハがお前に向ける感情も同じになるんじゃないか?」
「壊れたにしろ、憎悪を向けられるにしろ、それはテオドール・エーベルバッハを手に入れたといっていいのか?」
「向けてほしい感情は、それでいいのか?」
その言葉に、思わず感情が爆発する。
「なら、ならどうすればいいのよ!?私はもう、国家保安省に逆らえない!命令にあらがえない!こんな、こんな汚れた体でいることをお兄ちゃんに知られたくない!」
「知ったら、きっと……!だから、せめてお兄ちゃんの体だけでも……!」
それを見ても、彼は表情を変えることなく言葉をぶつけてきた。
「欲しいのなら、妥協するなよ」
「…え?」
「どんなに体を汚されても、頭の髄まで染められても、たった一つ守り抜いた思いだろ」
「だったらそんな中途半端じゃなく、本当の本気で好いた男の心を奪って見せろよ」
心を、奪う。
考えたこともなかった。こんなに汚れたことを知られれば、絶対に手に入らないと思っていたから。
「それともお前の信じる兄貴は、そんな小さい男か?」
「……違う」
そうだ、私はお兄ちゃんの全部が欲しい。
体だけじゃ満足できない。心の底から私を愛してほしい。
そのために、何が必要?
「テオドール・エーベルバッハに最も危害を加えそうな相手は、”何”だ?」
ああ、しゅたーじが、イナクナレバイインダ。
気が付けば、あんなに怖かった国家保安省が唯の目障りなハエにしか感じられない。
「気づいたのなら、あとは自分で考えて行動しろ。男を振り向かせる手管は、いやになるほど身に着けたろ?」
そう言って背を向け、去っていく小さな体。
「ねえ、何が目的なの?」
その背に問いかける。
壊れかけの私を誘導してまで、何を求めているのか。
振り向きもせず、ただ一言こぼして彼は行ってしまった。
「……確かめたいんだ。人間に未来があるのかどうか」
諸事情につき不定期更新になります。
更新してたらラッキーぐらいのつもりで見守っていただけると幸いです。