神の目を売りたい少年の話   作:胡桃の胸ェ…

4 / 9
 一年ぶりに原神復帰して再びハマったので投稿。
 それと同時に過去話を一気に7000文字程加筆しました、かなりボリュームたっぷりだと思います。
 あと赤バーになりたいので評価もお願いします……


隠れる血

 スネージナヤに来てから五日程が経過した。

 相変わらず、外では雪は絶えず振り続けている。

 空はどこまでも灰色で、太陽の位置すら曖昧なまま。

 冷たい風が平原を吹き抜け、雪を細かい粒のように舞い上げる。

 そして、訓練施設の無機質な石壁が、それを平然と受け止める。

 

 ――ガンッ、ガンッ。

 

 厚い石壁に囲まれた中庭では、鈍い金属音が繰り返し響いている。

 それは、剣が木製の打ち込み台にぶつかる音。

 その音を奏でているのは、まだ若い一人の少年、一不だった。

 

 まだ背は高くない。

 体つきも細く、しかし彼の動きに無駄はない。

 

 足を踏み込み、剣を振るう。

 空気を裂く鋭い音。

 木製の打ち込み台に刃が当たり、それを抉る。

 そして相応の、硬い衝撃が腕へ反動として伝わる。

 

 ――ガンッ、ともう一度。

 そして二度、三度と斬りつける。

 

 一不は止まらない。

 汗も発さず、ただ規則正しいリズムで吐く息が、白い霧となって目に映る。

 迷いなく振り下ろされる剣の連続。

 周囲では一不と同じくらいの歳の、同じ訓練生の子供も剣や槍といった武器を振っていた。

 しかしその中でも、一不の動きは一際目立っていた。

 

 その動きは力任せではない。

 しかし、間違いなく当たれば重傷となる程の威力をひねり出せる膂力を、数分間に渡って出し続けられる持久力。

 加えてそれが打ち込まれる場所に無駄はなく。首や横腹、更には目といった、相手へ効率的に『痛み』を与える急所だ。

 

 ただ、正確だった。

 何より恐ろしいのは、一不はこれを『そういうもの』だと認識している訳ではない。

 

 誰にも教わっておらず、そして自ら調べた訳でもない。

 それなのに、一不は既に一人の戦士として、着実に『非情』の戦い方を身に付けている。

 彼を訓練場を上から見ているのは二人。

 

「どういう意味だ?」

 

 あの成長速度は一体どういう事なのか。

 クローバーの疑問に、厚い外套を着た教官が答える。

 

「おそらく彼は、他より『目』が優れているのだと思われます」

「…………ふむ」

 

 腕を組み、しばらく黙って一不を見下ろすクローバー。

 教官は続けて。

 

「彼だけが浮いている。まずは基礎体力を伸ばす為の簡単な打ち込み稽古を周りがやっている中、彼は既に『エージェント』の訓練を行っているのです。まだ年齢と体格の都合上、どうしても訓練の密度自体は低めですが、形だけでもそれが『できている』事実は無視できません」

「ほほう?」

 

 クローバーは口笛を吹いた。

 

「目となると、()()()()()()()()()?あいつは」

「えぇ。今日訓練場に入る直前、まだ残っていた『エージェント』の訓練を彼は目撃しています。一瞬でしたが」

「しかも『今日』か」

 

 楽しそうな笑みを浮かべ。

 

「素晴らしい才能だ」

 

 クローバー視線の先では、一不はまだ剣を振るっていた。

 

 踏み込み。

 斬撃の姿勢に移行する際の身体の捻り。

 

 その滑らかさが、回数を重ねる度に極まれていく。

 低下していく体力とは裏腹に、彼の動きからは『無駄』が消える。

 満足そうに目を細め。

 

「いい拾い物だった、いや……」

 

 少し考え、言い直す。

 

「いい『掘り出し物』か」

 

 教官は答えず、ただ黙って一不を見続けていた。

 クローバーはしばらく黙って訓練を見ていたが、やがて小さく笑い。

 

「あいつに、このまま周りに合わせた訓練をさせても意味がない」

 

 クローバーは訓練場にいる他の子供たちを指さす。

 そこでは、他の訓練生がまだぎこちない動きで剣を振っているのが見える。

 力任せで、足運びも荒い。

 一不の動きだけが異様に整っているのもあるが、それにしたって程度が低い。

 教官もそれを分かっているのだろう、否定はしなかった。

 

「だから」

 

 クローバーは軽い調子で言う。

 

「あいつだけ先に『洗礼』をやらせろ」

「…………」

 

 その言葉に、教官の眉がわずかに動いた。

 しばらく考えた後、クローバーを横目で見て。

 

「『洗礼』……つまり彼だけ優遇すると?」

 

 わざとらしく、そして口の端を少し上げて言った。

 クローバーは無言。

 即ち、それは肯定の意。

 教官は言う。

 

「周りから妬まれるでしょうね」

 

 その声には、少しだけ意地悪な響きが混ざっていた。

 だが、否定の気配はどこにもない。

 視線を訓練場にいる一不以外の子供に向ける。

 汗を流しながら、必死に遅れまいと剣を振る子供たち。

 

 ――子供。

 まだ理性も脆弱で、社会性より己の欲を優先する存在。

 

 もし、集団の中の一人だけが突如として特別扱いされれば、何が起こるかは簡単に想像できる。

 嫉妬や不満。

 更には敵意でさえ、子供故に純粋で、恐ろしいそれが数の力と共に向けられるだろう。

 

「集団は均衡で成り立つものです」

 

 そう言う教官の顔は笑っていた。

 

「一人だけ突出すれば、必ず歪むでしょうね」

「…………」

 

 クローバーはその言葉を聞いて数秒黙る。

 しかし、それからしばらくして。

 突然声を上げて笑った。

 

「――ッハハハハ!!」

 

 石造りの無機質な施設に、不釣り合いなほど陽気な笑い声が響く。

 クローバーは腹を押さえながら。

 

「いい、いいじゃないか」

 

 子供の情緒や未来、それを全く気にしていない口調で。

 

「むしろ好都合だ。無能を炙り出すいい機会にもなる」

 

 教官が目を細める。

 クローバーは手すりから身体を起こし、楽しそうに言った。

 

「嫉妬するだけの者」

 

 その指が、たまたま目についた適当な子供をさす。

 

「陰で文句を言う者」

 

 また別の子供を、彼は適当に指さす。

 

「あと、腐って努力をやめる者」

 

 そして指を折り、拳を一度握ってから、解く。

 握り、潰して捨てるように。

 

「そういうのはな、全部いらん」

 

 肩をすくめて、楽しそうに。

 

「そういうのはどうせ戦場で死ぬ、決まって精神も肉体も貧弱で、『実験体』にも向かないゴミ未満だ」

「…………」

「早めに分かるならその方がいいだろう?」

 

 クローバーはまた訓練場を見下ろす。

 そこでは今も止まらず、一不が剣を振り続けている。

 その美しく揺れる白髪を満足そうに見て、ぽつりと言う。

 

「それにな、あいつは『群れ』の人間じゃない」

「……?」

「あれは人間の形をした『何か』だ」

 

 教官が視線を向ける。

 クローバーはくつくつと笑う。

 

「親が死……いや、これはいい。私の見立てが正しければ、あれは孤狼ってやつだ。ならば狼には狼に相応しい餌と境遇を与えねばな?」

「…………」

「準備しろ」

 

 教官はしばらく黙っていたが、やがて。

 

「……そういう事であれば」

 

 低い声。

 そして、肯定の言葉を返す。

 

「直ちに『洗礼』を準備します」

「あぁ、それでいい」

 

 それから、もう一度クローバーは訓練場を見下ろす。

 

 石造りの訓練場で、一不は剣を振っている。

 何も知らないまま。

 何も気づかないまま。

 

 その姿を見て、クローバーは楽しそうに呟いた。

 

「さぁて、どこまで壊れるかな?」

 

 あぁ、いや……と。

 本当に小さく、悪意を込めて付け足す。

 

「お前は元から壊れていたな?(■■)殺し」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 周囲では、他の訓練生が荒い呼吸と共に武器を振り続けている。

 中には叫びながら力任せに剣を叩きつける子供や、体力を使い切ってバテている子供もいた。

 だが、そんな中で一不だけは違っていた。

 

 鳴り響く金属音。

 声を出さず、無駄な力も使わない。

 ただ、正確な動きを繰り返し続け、反芻して身体に覚えさせる。

 汗が額から流れ落ちるが、それでも一不は止まらない。

 しばらくして、石壁の上から低い声が落ちた。

 

「一不」

 

 その声は低く、乾いていた。

 剣が止め、一不はゆっくりと振り返る。

 石段の上で腕を組んでいるのは、厚い外套を羽織った男。

 一不を含めた将来有望な『子供たち』を監督している教官だった。

 感情の薄い目が、一不を見下ろしている。

 

「……何か?」

「こっちに来い」

 

 短い言葉。

 たったそれだけで、理由も説明もない。

 それがこの施設のやり方だった。

 一瞬だけ、自分に対して怪訝な視線を向ける訓練生たちの顔が見える。

 一不はそれから目を逸らし、剣を鞘に仕舞い、それから何も言わずに教官の後ろをついて歩く。

 

 冷たい石の廊下を進む。

 雪国の空気が漂う暗い通路、その壁には古い傷跡があり、どこか血の匂いが染みついているような気さえした。

 

 そうしてしばらく歩いた先には、通路と同じ無機質な扉。

 数秒待っていると、やがて裏口の扉が開く。

 外に出ると、強い冷気が顔にぶつかった。

 

「――ッ!一体何、を……」

 

 雪が横殴りに舞っている裏庭だ。

 顔に勢いよく雪が当たり、視界が眩む。

 だから裏口から出て、目前にある『それ』に気づいたのは、遅れる形となった。

 

 そこには一本の木が立っていた。

 

 訓練場と違って人気はなく、雪に覆われた地面の中央に立っている一本の木。

 その木の根元に、何かがいた。

 一不は歩みを止めた。

 

 何かが、生きたまま縛り付けられている。

 そしてそれは、一匹の狼だった。

 

 だが、どう見てもそれは普通の狼ではない。

 身体は大きく、筋肉が異常に隆起していて、更に毛並みは灰色ではなく、妙に生々しい()()をしていた。

 毛が薄く、皮膚の質感も見える。

 

 見たことのない獣。

 

 それは縄で木に縛り付けられ、動きを制限されている。

 だが、完全には抑えられていない。

 狼は激しく身体を捩り、縄を引き、そして牙を剥いて唸っている。

 そして、互いに目が合う。

 

 琥珀色の瞳。

 怒りと恐怖が混ざった、鋭い光。

 

 一不は何も言わない。

 黙って、しばらくその狼を見つめていた。

 教官が隣で口を開く。

 

「血に慣れろ」

 

 短く、乾いた言葉。

 風に紛れる事なくはっきりと耳に届く 冷たい声。

 

「肉を抉る感覚を覚えろ」

 

 教官は狼を顎で示す。

 

「使える『駒』になる為の一歩だ。お前の意思で」

 

 そして。

 ほんの僅かな間を置いてから、言う。

 

「――殺せ」

 

 静寂が落ちる。

 風の音が響き、狼の唸りと抵抗が一層強くなる。

 

 縄が軋み、ブチッ、と鈍い音を発した。

 

 同時に一不は剣の柄に手をかける。

 だが、すぐには抜かない。

 

「…………」

 

 それはひとえに、まだ実感がなかったからだ。

 頭では理解している。

 これはれっきとした命令であり訓練。ならばここで従うのが当然で安牌。

 

 それでも、現実感が薄かった。

 

 教官は何も言わず、急かさない。

 ただ、じっとこちらを見ている。

 

「――――」

 

 違和感。

 ゆっくりと剣を抜き、金属の擦れる音が空気中に広がる。

 

 ――違和感。

 

 一歩、前へ。

 雪を踏む音が小さく鳴る。

 剣は冷たく、淡い光を反射して、それを見た狼がまた更に激しく唸る。

 

 牙を剥き、縄を引く。

 彼は逃げようとしている。

 生きようとしている。

 

 それでも、縄が壊れる速度は一定だ。

 縄が少し削れると同時、一不は大きく彼へ近づいていく。

 

「――――――」

 

 距離はもう、ない。

 狼の息が聞こえる。

 荒い呼吸と、震える身体。そしてこちらを見つめるその目は――確かに、生きているもの。

 

 違和感を胸に、一不は剣を持ち上げる。

 

 肩の上。それは振り下ろせばすぐに刃が届く距離。

 そのまま、動きが止まる。

 

 数秒。

 たった数秒、狼と見つめ合う。

 まるで時間が伸びたような感覚の下で、一不は目前の命を知る。

 

 生きる瞳。

 怒りと恐怖、死から逃げようとする意志。

 それは、これから自分が奪う美しさ。

 

 一不の胸の奥で、何かが小さく揺れる。

 だが――。

 

「――――悪い」

 

 剣は振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪が静かに降り続いている。

 を握ったまま、一不はそれを見て立ち尽くしていた。

 赤く染まる雪。

 その中心で眠る、今自分が奪ったものの骸。

 

「……そうだ」

 

 教官は一不に近づき、短く言った。

 

「それでいい」

 

 短い言葉。

 一不は何も答えない。

 

「…………」

 

 ただ、自分の手を見ていた。

 たった今、命を奪った手は震えているわけではない。

 恐怖も、嫌悪もない。

 

 だが、確かに感じていた新たな感覚。

 

 腕に残る感触。

 それは刃が沈む重さだ。

 肉の抵抗と骨の硬さ。それらが深く、脳の奥へ刻まれている。

 

「理解したか、一不。それがこれからお前に必要なものだ」

 

 そうだ、自分は理解してしまった。

 これが何なのか、何を意味するのかを。

 

「やはりお前には才能がある、変に愚図る事もなく、期待通りに成長してくれた」

 

 一不はゆっくり目を閉じる。

 教官の言葉。それを聞いて胸の奥に浮かぶ感情は、誇りでも達成感でもない。

 

 ただの嫌悪だった。

 それも、自分自身への。

 

 そして同時に、もう一つの事実も理解していた。

 戻れない。

 もう、あの『約束』をする前の自分には戻れない。

 

「明日から更に忙しくなる、戻れ」

「――――あぁ」

 

 雪が降り続ける。

 白い世界へ一点、汚された赤い悪臭を前に、一不はただ立っていた。

 自分の中に生まれてしまった『感覚』を、確かに感じながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝の光が、ゆっくりと町中を満たしていく。

 夜の冷たい空気はまだ少し残っているが、空から差し込む日差しが、地面にある石畳を柔らかく照らしていた。

 海の方からは潮の匂いを含んだ風が吹き、波が岸壁に当たる音が規則正しく響く。

 

 商人たちの声、船乗りの気配。

 それらで朝の璃月港は、ゆっくりと目を覚ましていく。

 

 港の方では既に、早朝の船が荷を降ろし始めていた。

 帆が畳まれ、食料を詰めた木箱が甲板から降ろされる。

 海の上に差し込む陽光が、水面を細かく煌めかせ、商人たちが荷を運ぶ音が通りに響く。

 香辛料の匂い、蒸した饅頭の湯気、遠くで聞こえる呼び込みの声。

 箒で石畳を掃き、走り回る子供と、それを追いかける子供。

 

 それは、いつも通りの朝。

 だがそんな朝の中、ある通りの一角だけが少し騒がしい。

 

 港から少し離れた総務司の外側。

 そこに設置されている告知板の前に、人々が集まっている。

 

「なんだこれ?」

 

 一人の男がその紙を見上げる。

 まだ貼られて間もないらしい。

 紙は新しく、墨の文字もはっきりとしていた。

 別の男が背伸びして読む。

 

「何々?昨晩、郊外にて?宝盗団と見られる約十名分の血痕が発見され……――」

 

 その言葉を聞いて、周囲の空気が少しだけざわついた。

 

「十人だって」

「おいおい物騒だな……」

「夜中の話か?」

 

 貼り出された紙には、整った筆文字が並んでいた。

 

 『昨晩、宝盗団と見られる約十名分の血痕が発見された。遺体は見つかっていないが、辺りに散った「物証」の内容から見ても、これは殺人事件であると断定』。

 『千岩軍は現在、これの犯人の捜索と真実の解明に動いている』。

 

 一人の女性が眉をひそめた。

 しかし、その矛先は事件そのものではなく、被害者の組織名。

 

「また宝盗団?」

「最近多いな」

「また増えてるって話も聞くな」

 

 別の男が腕を組む。

 

「はぁ。また、か……」

「三日前、どっかの商隊も襲われたらしいぞ、場所は……あぁあったあった、確かこの辺りだ」

 

 ため息を吐く男、地図を指さして事件を思い出す男。

 告知板の前で、小さなざわめきが広がり続ける。

 

「にしても、これ誰がやったんだ?」

「千岩軍……じゃないよなぁ?流石に」

「そこまで物騒じゃねぇだろ、あいつらは」

「待て、流石にそれは失礼だぞ。あの人たちが今事件の捜索をしてるんだから」

「まぁな」

 

 誰かが肩をすくめて言う。

 そして、また別の男が鼻を鳴らす。

 

「ま、どうせ同業者同士の揉め事とかだろ?」

「縄張り争いとかね」

 

 数秒の沈黙。

 人々はもう一度、そこに貼られた紙を見る。

 しばらくの間、皆が無言でその文字を見つめていた。

 

 ――『宝盗団と見られる』。

 

 その一文が、彼らの空気を変えた。

 誰かが言う。

 

「……まぁでも、結局は宝盗団だろ?」

 

 その言葉で、張り詰めていた空気がすっと抜けたのを皆が感じた。

 男が鼻で笑った。

 

「悪党じゃねぇか」

「冒険者を襲ったり、遺跡荒らしたり」

「被害者も多いって聞く」

 

 別の女が小さく頷く。

 

「この前、モンドからの旅行者が襲われたって話も聞いたわ」

「商人も何人か殺されたって」

「そうだ、この前もそれのせいで野菜が値上がりしてた」

 

 一人の老人がため息をつく。

 

「悪因悪果。正に自業自得の終わり方よの」

 

 誰も悲しそうな顔はしない。

 その言葉はあまりにもあっさりとしていて。

 むしろ、どこか冷めた空気だった。

 

「まあ……そうね」

 

 別の女が小さく頷く。

 誰も反論しない。

 悲しむ者もいない。

 ただ、殺し殺される幕間が起こった事実に対してだけ、少しだけ嫌悪を示す者がいるだけだ。

 やがて誰かが言う。

 

「さて、仕事行くかぁ」

 

 その言葉で、告知板の前に集った皆が動き出す。

 ぞろぞろと一斉に、それぞれの生き方を再開した。

 

「そうだな」

「店開けなきゃ」

「暇じゃねぇしな、俺ら」

 

 人々は興味を失ったように、次々とその場を離れていく。

 告知板の前にの前に残るのは、風に揺れる紙だけだ。

 

 屋台の準備に戻る者。

 荷車を押して通りを進む者。

 店の戸を開ける者。

 

 彼らの行動の再開と共に、朝の璃月港は、またいつもの賑わいに戻っていく。

 そんな中。

 ある一人の男が通り過ぎる。

 

 一不だ。

 

 彼は足を止めず、散っていく人混みの隙間を何事もないように通り抜けていく。

 告知板を一目見る事もなく、その前を無言で通り過ぎる。

 視線は向けず、足も止めない。

 ただ、静かに歩き、人々の会話を耳に入れる。

 

「宝盗団が死んだってよ」

「まぁ、あいつら悪人だからな」

「死んでも仕方ない」

 

 一不はそれを聞いていた。

 だが、顔には何も浮かばない。

 ただ胸の奥で、静かに思う。

 

 ――あれは、俺が死んだ未来だ。

 

 あの、昨晩の光景が脳裏に浮かぶ。

 暗い洞窟。

 湿った岩の匂い。

 火炎瓶が割れた瞬間の炎。

 そして、振るう刃と倒れていく身体。

 

 嫌悪すべき、血の匂い。

 

 一不は歩き続ける。

 石畳を踏む足音が、規則正しく響く。

 辺りでは人々が笑っていて、商人が値段を叫び、子供が走り回り、料理の匂いが漂っている。

 

 誰も知らない。

 誰も気づかない。

 

 告知板に書かれた約十人の血痕。

 その元となった死体を作った人間が、堂々とこうして町中を歩いている事を。

 一不は視線を前に向けたまま、小さく息を吐く。

 

(俺も所詮……)

 

 心の奥で呟く。

 

(――死んだら喜ばれる悪人だ)

 

 静かな思考。

 胸が痛むわけではない、驚きもない。

 ただ、確認するように思うだけだ。

 心底理解しているだけだ、自分は死んだ方がいい人間である事を。

 もしも、あの夜に宝盗団ではなく、自分が死んだとしたなら。

 きっと今日の朝の告知板には、こう書かれるだろう。

 

 『身元不明の男の死体が発見され――』。

 そして人々は言う。『悪人だったんだろうな』、『物騒だな』と。

 

 それだけだ。

 誰も悼まない、誰も悲しまない。

 それが普通だ。それが事実だと、一不は既に知っている。

 通りの向こうから、陽光が差し込む。

 石畳を照らす金色の光が、その中を一不は進んでいく。

 

(……それでも、俺は)

 

 まるで、この街のどこにでもいるただの通行人のように。

 誰にも悪行を知らせないまま。

 誰にも闇を気づかせないまま。

 静かに、朝の璃月の町中へ溶けていった。




 ちなみに胡桃に何かあった場合は問答無用で主人公は壊れるしアビスルート直行です。
 2025年の海灯祭?……シ、シラナイヨ…………?
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。