神の目を売りたい少年の話   作:胡桃の胸ェ…

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饗宴の酒・後編

 地下へと続く石の階段は、冷えた空気をゆっくりと吐き出していた。

 だがその冷たさと反比例するように、クローバーは期待の熱で孕んだ吐息を口から吐き出す。

 ディルック酒蔵・地下酒庫。――その奥深くへと。

 一つの灯りと共に、揺れながら降りていく。

 

「ほほう……流石はモンド酒造界トップの酒蔵……」

 

 ランタンを片手に足取り軽く降りていく。

 クローバーは湿った木の香りを胸いっぱいに吸い込み、感嘆の息を零す。

 石壁に沿って整然と並ぶ無数の樽。

 長い年月をかけて熟成された酒の匂いは、ただそこにあるだけで濃密な酩酊を思わせる。

 何より、この一つ一つに莫大な『モラ』の価値が込められているというのだから。

 

「この香り──樽の匂いだけで酔っぱらえてしまえそうだ!」

 

 声は弾んでいた。

 アルコールの香り、得られる金銭的な価値の大きさの二重で、クローバーは歓喜した。

 それも無理はない。

 何故なら、これは立派な『賄賂』だからだ。

 西風騎士団・騎兵隊長ガイアからの誘い。――その裏にある意図など、クローバーは考えもしない。

 

 人目のつかぬ場所。

 選ばれた酒。

 それはつまり、交渉の場。

 

 そして彼にとって、それは一方的に『奪う』場以外の何物でもない。

 そう思い込みながら、樽の間を歩きつつ指先で樽の木肌を撫でる。

 

「一樽だけでは足りんな。従者を呼び、ありったけ持ち帰るとしよう」

 

 ククッ、と小さく笑う。

 その声音には、隠す気もない侮蔑が滲んでいた。

 

「しかし田舎者は愚かだ。賄賂をいくら貰おうが()()()()()()のにな」

 

 ぽつりと漏れたその言葉は、あまりにも無防備だった。

 酒とモラに酔ったクローバーの理性は、今は土塊よりも柔く、脆い。

 その致命的な独り言。

 

「民も財も、両方失う羽目にな──」

 

 その先を言い終える前。

 クローバーが樽へと手を伸ばした、その瞬間。

 ヒュンッ、と一つの音が。

 

「ぁ、ぁああああっ!?」

 

 ――そして、鋭い痛み。

 右手の甲に突き刺さる感触。

 クローバーは視線を落とす。

 そこには、羽を模した暗器が深々と食い込んでいた。

 血が流れる。

 遅れて、手から痛みが脳を焼いた。

 

「なっ……!?」

 

 トンッ――と、乾いた音。

 クローバーが顔を上げ、その音の先に目を向ける。

 

 積み上げられた樽の上に、影が一つ。

 

 夜梟を思わせる仮面。

 赤い髪が、その下で揺れている。

 言葉はない。

 ただ、その者はそこに『いた』。

 

「衛兵!曲者だ!」

 

 クローバーが叫ぶ。

 すぐに階段の上から駆け下りてくる足音。

 兵士たちが次々と現れ、槍を構えて仮面の男に立ち向かう。

 だが――。

 

「…………」

 

 仮面の男が動く。

 無駄のない動作で、再び懐から取り出した暗器を放つ。

 

「がっ!」

「あッ――!」

 

 空気を裂く音。

 兵士たちの頬に、細い傷が走る。

 

 一瞬の沈黙。

 そして次の瞬間、彼らは音もなく崩れ落ちる。

 

 不自然な眠り。

 即座に訪れる、強制的な静寂。

 

(薬か……!暗器に塗っていたのか)

 

 クローバーは歯を食いしばる。

 それからすぐ、自らの手に刺さった暗器を引き抜いた。

 

「このっ……畜生が!」

 

 だが、クローバーの意識は揺らがない。

 彼は『慣れている』。

 あのファデュイ執行官『博士』の下で生き延びてきた者だ。

 この程度の毒や薬物では、彼を崩すには足りない。

 

「モンドの愚民めッ!!」

 

 吐き捨てるように叫び、クローバーは踵を返した。

 

 逃げる。

 

 石床を蹴り、出口へと向かう。

 

「…………」

 

 その背を、仮面の男は静かに見ていた。

 そして、手の甲に刻まれた『それ』が、淡く光を帯びる。

 

 『それ』は神の視線ではない。

 人々の願いの渇望が満ちた証明、祝福とも呼べる『神の目』ではない。

 

 もっと歪で、禍々しいもの。

 黒炎のような力。

 見ているだけで怖気が走るような、この世ならざるもの。

 

 ――それは、父から継いだ『邪眼』の力。

 

 仮面の男は手をかざす。

 空間が歪み、そして次の瞬間、虚空に鎖が作り出された。

 黒炎とは反対の、灰色の冷たい鎖。

 それを、まるで投げ縄のように投げた。

 

「ぐっ!?」

 

 クローバーの身体に絡みつき、そして一瞬で引き寄せられる。

 両者間から距離が消える。

 抵抗も、間もなく。

 

「は、離せ!この私が誰だか分かっているのか!?」

 

 必死の叫び。

 だが。

 

「──モンド城のパン屋」

 

 遮る声。

 低く、冷たい声。

 

「その息子のアンソニー……彼を覚えているか?」

「……」

 

 仮面の男は、問う。

 

 沈黙。

 クローバーの喉が、わずかに鳴る。

 

 ……それだけで十分だった。

 

「……何を言って」

 

 クローバーの声が、揺れる。

 

「一年前。ファデュイの招集を受けて以来、連絡が途絶えた」

 

 仮面の奥の視線が、突き刺さる。

 逃げ場はない。

 クローバーの脳裏に、あの光景が浮かび上がる。

 

 ――『そ……そんな?こんなにも呆気なくやられるなんて……』。

 ――数日前に壊れた『失敗作』。

 ――ちょうど一年を費やした準備、それが一瞬で無に帰した光景。

 

 焦りが滲む。

 

「その子を……探しているのか?」

 

 クローバーはゆっくりと言葉を重ねる。

 

「私は外部雇用兵の名簿を全て把握している、解放してくれれば探す事を……」

「最近流行している地下闘技場、知っているか?」

 

 だが。

 仮面の男は揺るがない。

 惑わされない。

 

「あっ……そ、それは」

「『()()』アンソニーの事が頭をよぎったようだが?」

 

 沈黙の間を突き、逃げ道を潰す。

 既にないそれを潰す。丹念に潰して、そしてもう一度潰し続ける。

 入念に、冷酷に。

 

()()()()()()!私は何も……っ!」

 

 叫ぶ。

 だが、その否定は空虚だった。

 

「言えッ!」

 

 瞬間、鎖が引かれる。

 仮面の男――ディルック・ラグウィンドは、クローバーの首を力のままに掴み上げた。

 殺しはしない、気絶すらさせない。

 ただ純粋に『苦痛』を与える為の力加減だ。

 

「ぐぅ――ッ」

 

 空中に吊られる身体。

 クローバーの呼吸が止まる。

 

「お前たちファデュイは、『博士』は何を企んでいる!」

「し、知らな──」

 

 締め上げる力が強まる。

 ――その時だった。

 

「ッ!?」

 

 ディルックの背筋に、氷のような感覚が走る。

 それは、違和感ではない。

 

 本能。

 生き延びるための、絶対的な警告だった。

 

 思考よりも早く、身体が動く。

 クローバーを放り、後方へ飛ぶ。

 直後。

 

 ――タンッ!

 

 乾いた音が聞こえた。

 直後、先ほどまでディルックの頭があった場所を、一つの弾丸が通過した。

 空気が裂ける。

 遅れて、弾丸が石壁にぶつかり、沈む音が届く。

 

「……ッ、何者だ」

 

 ディルックは視線を向ける。

 そこに、立っていた者へ。

 

 そこにあったのは――白髪の髪。

 青緑のメッシュ。

 そして、『子供』のような体躯と、自身の顔を隠す仮面。

 

 小さいが、しかしその存在は決して軽くない。

 むしろ、異様なほどに重く、冷たい。

 

「ッ、やっと来たか『孔雀(ピーコック)』!」

 

 クローバーが咳き込みながら叫ぶ。

 仮面を付けたその子供は、呆れを隠さない声色で返す。

 

「……ったく、無駄な仕事させやがって」

 

 ――仮面。

 それは皮肉にも、ディルックが今付けているものと同じ『鳥』の形。

 だが色は違う。

 赤黒く、無機質で。

 血のように鈍い光を放つそれ。

 

 地下酒庫の空気は、先ほどまでとは別物になっていた。

 静寂はある。

 だが、それは穏やかさによるものではない。

 張り詰めた、刃のような沈黙だ。

 

「あんなあからさまな『罠』に引っかかるかよ普通、とうとう歳のせいでボケちまったのか?クローバー」

 

 『孔雀(一不)』がクローバーに向ける声色。

 その抑揚は薄い。

 

「ッ、おっお前、あれが罠だと気づいてたのか!?」

 

 クローバーが顔を上げる。

 怒りと焦燥とが入り混じった声。

 

「ならもっと早く私に……」

「馬鹿が、あんな人目のある場所でそれを言うかよ」

 

 『孔雀』は短く吐き捨てた。

 その声音には、はっきりとした侮蔑が滲んでいる。

 

「あと、お前がさっさとここに足を運んだのも悪い」

「ぐっ……」

 

 反論できず、クローバーは歯を噛み締める。

 そしてそのやり取りを、ディルックは静かに観察していた。

 

(連携は薄い、と見ていいだろう)

 

 視線は動かさない。

 だが、思考は鋭く巡る。

 

 二人の距離。

 声の温度。

 立ち位置。

 

 これらを踏まえれば、彼らは一応『仲間』ではあるのだろう。

 だが、信頼とは程遠いものだ。

 命令系統で繋がっているだけの関係。

 そして何より――。

 

(あの子供……)

 

 彼が片手に持っている銃。

 その構えは自然体。

 

 しかし、今も尚隙がない。

 

 引き金に指はかかっていない。

 それでも、いつでも撃てる気配を秘めていた。

 いや、実際彼は撃つ必要があれば、躊躇いなく撃つだろう。

 

 その『躊躇いのなさ』が異質だった。

 

 殺気が薄い、だからディルックは最初、勘や経験という形でしか彼の『殺意』に気づけなかった。

 危険性は明確。

 

(あの歳でここまで戦い慣れている……それも『仕事』として)

 

 ディルックの中で、警戒が一段階引き上がる。

 その視線に気づいたのか。

 『孔雀』が、ゆっくりと顔を向けた。

 

 仮面越しに、視線が交わる。

 

 ほんの一瞬。

 それだけで充分だった。

 

「……で?」

 

 『孔雀』が口を開く。

 軽く銃を持ち上げながら。

 

「そっちの赤いの」

 

 呼び方に敬意はなく、敵意もない。

 ただの『対象』として以外の思いは、ない。

 

「こいつはこんなのでも、立派なスネージナヤの外交官の一人でな」

 

 静かに問う。

 それは、挑発ですらない、ただの確認だった。

 

「狙いはなんだ?答えによっちゃ、お前らモンドの立ち位置がもっと酷い事になると思うぜ」

「…………」

 

 ディルックは無言。

 代わりに、一歩だけ前に出る。

 靴底が石床を擦る音が、やけに大きく響いた。

 それだけで、空気が変わる。

 

「おい……おい待て、お前たちまさかここでやる気か……!?」

 

 クローバーが思わず息を呑む。

 その声には、これまで以上に明確な恐怖が混じっていた。

 『孔雀』は答えない。

 ただ、銃口を僅かに下げたままだ。

 構えを変えない。

 対するディルックは、ゆっくりと仮面の奥で目を細める。

 張り詰めた空気の中で、先に言葉を落としたのもディルックからだった。

 

「……一年前、お前たちファデュイから召集を受けた男が音信不通になった」

 

 低い声。

 だがその奥には、確かな怒りと執念が滲んでいる。

 

「ふぅん、それで?」

 

 短い返答。

 そして、ほんの数センチだけ銃口が持ち上がる。

 その動きは、あまりにも自然で、そしてあまりにも速い。

 

「……」

 

 沈黙。

 だがそれは、嵐の前の静けさではなく、既に始まっているものだ。

 ディルックは一歩も引かない。

 

「モンド城のパン屋の息子、アンソニー」

 

 先ほど、クローバーに問うたその名。

 それは石壁に反響し、ゆっくりと消えていく。

 

「……」

 

 沈黙。

 今度は一不の側だった。

 だがそれは動揺ではない。

 

 思い出すでも、考えるでもない。

 ただ、『引っかかった』だけの間。

 ディルックは続ける。

 

「お前と同じ年頃、そして()()()――」

 

 その時。

 

「あぁそういう事」

 

 『孔雀』は言葉を遮る。

 軽く、あっさりと。

 一不は銃を持ったまま、空いている指で額を掻いた。

 仮面越しでも分かるほどに、どうでもよさそうな仕草。

 

 そして――。

 

 笑う。

 乾いた、温度のない笑みだった。

 

「あいつ、もうとっくに死んでるぜ」

 

 あまりにも軽い調子で。

 命の重さを一切感じさせない声音で、その事実を告げた。

 

「――そうか」

 

 ディルックは短く返す。

 それだけだった。

 だが、その一言で十分だった。

 

 次の瞬間、タンッ!と再び銃声。

 

 『孔雀』の引き金が躊躇なく引かれ、空気が裂かれる。

 だが、ディルックは既にそれを見切っていた。

 身体を捻り、最小限の動きで弾道を外す。

 頬のすぐ近くを通る熱。

 遅れて、発砲音が地下に反響する。

 

「はっ――!」

 

 黒い鎖が、空間を裂いて走る。

 『邪眼』が生み出す、理を歪める力。

 それがディルックの腕から伸び、『孔雀』へと襲いかかる。

 速度も、軌道も、常識の外。

 

 だが。

 

 『孔雀』は、逃げない。

 むしろ逆に――踏み込んだ。

 

「焦んなよ」

 

 彼の足元に()()が揺らめく。

 次の瞬間、その手に『何か』が現れた。

 

 虚空から引き抜かれるように出てきたのは、一本の刀。

 

 細く、しなやかな曲線を描く刃。

 そして、それを包む微かな電光。

 ディルックの鎖と『孔雀』が振るう刀が、勢いよく衝突する。

 

「――ッ!」

「ッハハ――!」

 

 ギィンッ!と、金属がぶつかる鋭い音。

 鎖と刀が衝突し、火花を散らす。

 

 ディルックの()()と、『孔雀(一不)』の()()

 

 その歪んだ力とが拮抗する。

 

「――!」

 

 ――押し切れない。

 その事実に、ディルックの瞳が僅かに揺れる。

 

「これは稲妻の……」

 

 思わず漏れる言葉。

 

 その刀。

 その刃に刻まれた紋様。

 

 それは、遠く離れた異国、永遠の国『稲妻』の代物。

 何故それを持っているのか、『孔雀』は答えない。

 ただ、無言で刀を握る手に力を込める。

 黒焔が、刃に絡みつく。

 そして静かに言う。

 

「よく知ってるな」

 

 鎖と刀がぶつかり合うたび、地下酒庫の空気が震える。

 ディルックが操る黒い鎖は、うねる()のように自在に軌道を変え、物理法則を無視して宙を舞う。

 対する『孔雀』の刀はシンプル。ただそれを、真っ直ぐ正面から叩き落とすだけだ。

 

 火花と衝撃。

 音が遅れて追いつく程の、濃密な戦闘。

 

 一太刀ごとに石床が軋み、積まれた樽が震えた。

 いくつも飛び散る火花が今までに一度も、樽に着火していないのが奇跡であった。

 

「くっ――」

 

 何度も打ち合う中、ディルックは気づく。

 

(なんだ?この異常な力は――?)

 

 明確な違和感。

 目の前にいるのは、声や体躯からして、どこからどう捉えても一人の『子供』だ。

 肉体はまだ完成には程遠く、最盛期ではない未熟な時期。

 だが。

 

 振るわれる刀の重さ。

 踏み込みの速さ。

 そして、反応の鋭さ。

 

 そのどれもが、熟練の戦士のそれを超えている。

 いや、下手をすれば並大抵のモンドの騎士では、彼には――。

 

(単純な強化ではない……()()()()()()()()())

 

 鎖で受け流すたびに、腕に伝わる衝撃が増していく。

 何度も重なるその衝撃は、着実にディルックに『疲弊』という名の終わりを突き付ける。

 これ以上の手加減は――。

 

(無理だな)

 

 ディルックは覚悟を決めた。

 

 一瞬の隙。

 

 鎖を交差させ、『孔雀』の視界を遮る。

 その死角から指先を弾き――投擲する。

 

 羽のような暗器が、一直線に『孔雀』へ走る。

 

 それは先ほどクローバーや兵士に使ったものとは違い、より強力な薬が塗られている。

 掠めるだけで、大人でもまる一日意識を失う程の代物だ。

 クローバーには薬物耐性があった。

 それなら、彼と同じく『博士』と関わりのあるこの少年も同じ筈。

 だが。

 

「ははっ――」

 

 『孔雀』は――笑った。

 

「なっ!?」

 

 ディルックの目が見開かれる。

 彼は避けない。

 刀で撃ち落そうとも、距離を取ろうとするでもない。

 それどころか――自ら()()()()()

 

 頭で。

 否、正確には――右目で。

 

 暗器は、そのまま『孔雀』の顔面へと突き刺さる。

 通常ならば、想像を絶する痛みで悶絶するレベルのもの。

 少なくとも戦闘を続行するのは至難の業だ。

 だが。

 『孔雀』の身体は止まらなかった。

 

「痛ってェなぁ」

 

 仮面の奥から愉快そうな声が漏れる。

 血が滴る。

 

 だが、それだけだ。

 

 足は止まらない。

 呼吸も乱れない。

 ただ、笑っている。

 

「でも」

 

 それから、まるでネクタイでも解くかのような軽い動作で、彼は自身の右目に突き刺さった暗器を引っこ抜く。

 血が吹き出し、地面を濡らす。

 

「この程度じゃ響かねェンだよ」

 

 次の瞬間。

 彼の右拳が振るわれた。

 

 空気が裂け、そして黒焔が爆ぜた。

 

 『孔雀』の動きに呼応し、轟音と共に噴き上がるそれは、もはや炎ではない。

 大地の底から吹き出す、災厄そのもの。

 彼の身体に炎が纏われ。

 そして、まるで映像を逆再生したかのように、その右目が()()されていく――。

 

「俺はもう『()()()()』からな――!」

 

 その背後に、黒焔によってある形が生まれる。

 黒焔同士が絡み合い、うねり、膨張する。

 

 そして誕生したものは――()

 

 巨大な黒焔の蛇が、口を開く。

 熱ではない、圧だ。

 存在そのものが、周囲を押し潰す。

 ディルックは即座に鎖を構える。

 

(不味い、この規模の炎は――!)

 

 蛇が襲いかかる。

 その瞬間。

 

「――そこまでだ、『孔雀』」

 

 静かな声。

 だが、それは戦場を断ち切るには十分だった。

 

『ッ――!?』

 

 ヒュッ――と、鋭い音。

 それと共に何かが飛来する。

 針のように細く、だが異様な存在感を放つ投擲物。

 ディルックはそれを咄嗟に避けた。

 しかし、『孔雀』は動かず、その攻撃を再び受け入れる。

 

 そして『孔雀』にではなく――黒焔に向かって放たれた攻撃が、黒焔の蛇を貫いた。

 

 ズブリ、と鈍い音がする。

 それからザフッ、と、炎が崩れ、まるで最初から存在しなかったかのように黒焔の蛇は消えた。

 

「……チッ」

 

 舌打ちと共に、『孔雀』は声の方向へ顔を向ける。

 ディルックもまた、視線を向ける。

 

 声のした方向。

 そこに立っていたのは――。

 

「『孔雀』。お前は有能だが、少しばかり羽目を外しすぎるな」

 

 いくつもの投擲物を背後に浮かべた男。

 その中心に立っているのは。――『博士』。

 

「ここの酒はつまらんが、それでも価値自体はある」

 

 冷静な声。

 だがその奥にあるのは、明確な『評価』。

 叱責ではなく、ただの観察。

 分析。

 そして――興味。

 『孔雀』は、ゆっくりと肩を竦めた。

 

「……邪魔すんなよ『博士』」

 

 不満げな声音。

 だが、それ以上は言わない。

 命令には従う。模範的な部下としての在り方だった。

 

「知ってんだろ、『これ』は生きた奴は焼くがそれ以外には害は……」

「そうではない。お前がただそれを放つだけで、この部屋が崩れてもおかしくないから止めただけだ」

「……俺がその程度の加減もできないとでも?」

 

 こちらには目もくれない、二人だけの世界と会話。

 ディルックはそのやり取りを見据えながら、静かに鎖に力を籠める。

 

(ファデュイ……『博士』)

 

 空気が変わる。

 先ほどまでの戦闘とは別の意味で、重く深く。

 底知れない圧が、場を支配した。




 魔神の残滓くんはさぁ。
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