--Nerv副司令執務室
碇ユイ副司令の執務室は基本冬月と同じレイアウトだが、着替えるための衝立があったり薬品棚のようなものがあったり、冬月が校長室ならユイは保健室のような佇まいだ。
ユイは初号機から息子をサルベージするための計画を検討していた。
自動ドアが開き、男性が入って来る。副司令執務室のキーカードを持っているのは本人か、その上司、総司令だけだ。碇ゲンドウが入ってきてもユイは反応を見せなかった。
「ユイ」
「わ!……あなた……驚かせないでくれます?」
「悪い。君が集中して気が付いていなかったのでな。で、どうだ」
「厳しいわ……あの時とはかなり状況が違っていて当時の方法ではダメかもしれない……」
あの時とは2004年の事故のことだ。
EVA初号機にシンジが取り込まれサルベージを行い、なんとかシンジを救出できた。
もちろん簡単にできた訳ではなく数か月掛けサルベージ計画の要綱を作成、試行錯誤を繰り返した。成功するまで色々問題もあり結果は奇跡とも思える。
碇夫妻は二度と同じことをしたくなかったが、残念ながら再び起きてしまった。
ゲンドウが労わるようにユイの肩に手を置いた。ユイも手を重ねる。
「そうか……ずっと寝ていないだろう。少し休んだらどうだ」
「そんな訳にはいかないわ。シンジがいつまで、あの状態でいられるか分からないのに……」
「やはり……」
「ええ、魂の補完が始まっているかもしれない」
ユイは自分でも確認するように説明を続ける。
EVAへのシンクロは搭乗者の魂を登録する必要がある。その登録は魂が欠けた部分をまるで鍵のように合わせることでEVAが動く。それはシンジのサルベージによって偶然見つかった方法だった。
今のシンジはEVAとほぼ同化している。魂の欠片が補完され満ち足りた状態は生物としては生きる力を失うに等しい。
「それにダブルS2機関となったことで魂から汲み上げるエネルギー量が莫大になっているわ。かなりの負荷が掛かっているはず」
「S2機関か……」
ゲンドウは、ふと昔を思い出していた。
--1998年 京都
六分儀ゲンドウと碇ユイが初めて会ったのは大学の学食だ。
学食での出会いは偶然だったが、ゲンドウはユイのことは知っていた。
キール・ローレンツと名乗る老人から聞いた情報では、この碇ユイが世界を牛耳る組織に繋がっているという。その組織の概要を知るためゲンドウは彼女をターゲットとする。
六分儀ゲンドウは子供の頃から頭が良かった。
頭が良すぎるためか、周りが全て馬鹿に見える。家族ともあまり関わりないようにし友達も作らず、ただひたすら勉強することだけを生きがいとして成績を上げることのみの学生生活を送っていた。
別に官僚や政治家になるつもりはなかったが、社会の仕組みに興味が出て調査をしていると世界を裏で動かす何者かがいることが見えてくる。決して正義感からという訳ではなく、純粋にその組織を暴いてみたいとゲンドウは思った。
単なる学生には大した力はないが、ゲンドウはあらゆる手を使って調査を進めた。目的のために手段を選ばず、ときには法に触れるようなこともしている。
そのとき、とある人物が接触してきた。その人物の名前はキール・ローレンツ。
直接会ったことはないが、彼から寄せられた情報は正確で裏も取れた。何が目的で接触してきたかは謎だが、情報だけは信頼に値する。精々利用させてもらおう。
その情報に碇ユイという名前があった。既に碇家に関しては調査済み。
彼女のバックボーンから組織に繋がる情報を得るため調査をしていた。同じ京大に在籍していたのは好都合だ。
学食での出会いから何度かユイから接触があったが、近づき過ぎても問題と思いゲンドウはそっけない態度を続ける。
ある日、偶然繁華街でユイを見かけた。
彼女はチンピラ風の三人の男に絡まれており、明らかに嫌がっている。
碇ユイは確かに人の目を引く容姿だ。派手な服装や化粧はしていないが元々整った顔は元より、仕草が上品に見えた。幼い頃から正しい教育を受けてきたのだろう。
「いいだろう~?な~?」
「やめてください!」
チンピラ共はしつこく迫っているようで、周りは見て見ぬふりをしており誰も助けようとしない。
「ちっ!」
ゲンドウは居ても立っても居られなくなって思わず飛び出していた。普段の彼では絶対見られない行為だ。
「やあ待たせたね。さあ行こう」
「え?」
「あ、なんだてめぇ」
ゲンドウはユイの手を引くと、直ぐにその場から立ち去った。脇道に入った瞬間に走り始める。
「走って巻きましょう。こちらへ」
「はい!」
後ろから怒号が聞こえたが、この辺りの地形は完全に把握している。いくつかの小道を曲がり完全にチンピラを巻いた。
「ここまで来れば大丈夫でしょう。それでは」
「あ、ゲンドウくん待ってください。是非ともお礼がしたいのですがお食事いかがですか?」
迷ったが情報収集のため少し会話をしてみたいと思った。彼女の案内で、品の良さそうな店で食事をする。
碇ユイが聡明なことは食事しながらの会話でも感じられた。今まで周りにいなかったタイプだ。ゲンドウは友人はいなくても会話術は身に着けておりスムーズに話すことはできる。それを踏まえても違和感なく会話が弾んだ。ゲンドウにとっては新鮮な感覚だった。
店を出る時、彼女は全額出そうとしていたが、ゲンドウは断り割り勘をお願いする。その代わりと連絡先の交換をお願いされた。躊躇したが、ここまで来ては仕方ないと了承する。
駅まで送っていく途中で、例のチンピラに見つかってしまった。かなり感情的になっており危険を感じる。
「先に行ってください」
「え?でも……」
「駅前に交番があります。警官に伝えてください」
「分かりました!」
彼女が離れたことを確認すると立ち塞ぐようにチンピラと相対した。ケンカは慣れていなく何発かは食らったが、大きなケガをしないように気を付ける。警官は思ったより早く来た。
翌日警察署で事情聴取を受けたとき、身元引受人を聞かれた。家族には連絡したくないし、ユイに迷惑はかけられない。ふとユイとの会話で出た人物を思い出し告げた。
「ある人物からあなたの噂を聞きましてね、一度お会いしたかったんですよ」
「酔って喧嘩とは、意外と安っぽい男だな」
警察署を出るとき、身元引受人として呼ばれた冬月コウゾウは、不快を隠そうともしなかった。
喧嘩の理由にユイを巻き込まないように酔って喧嘩をしたことにした。ゲンドウは冬月を値踏みするように反応を確認する。
「話す間もなく一方的に絡まれましてね。人に好かれるのは苦手ですが、疎まれるのは慣れています」
「まぁ私には関係のない事だ」
どうやら冬月は、ゲンドウが期待した通りの人のようだ。
--1998年 形而上生物学第一研究室
ゲンドウはユイのお願いで研究の手伝いをしていた。ユイとは違う学部だったが、違う観点からのアプローチはとてもありがたいと笑顔で言われた。
ユイは生物工学のレポートを作成していたが、冬月教授の元で更にブラッシュアップを試みている。
他にもドイツの大学から惣流・キョウコ・ツェッペリン、飛び級で大学に入った天才少女真希波マリ、生体コンピュータの基礎理論を模索していた赤木ナオコ、医者でもあり研究者でもある鈴原ナツオなど、いずれも各分野のエキスパートが参加している。
朝から晩まで、時には徹夜で話合った。真剣に議論をぶつけ、口論にもなったりした。
楽しかった。ゲンドウのこれまでの人生では考えられない楽しさだった。ゲンドウはこれまでにない経験をしている。いつしか当初の目的も忘れ夢中になっていた。
ユイと付き合いだしたのもこの頃だ。掛け値なしに魅かれていた。
ユイのレポートは魂というある意味オカルトの領域を科学でアプローチするというもの。議論を進めるうちに、生物の定義、魂の定義、果ては宇宙の構造にまで広がって来た。この京大の小さな部屋で世界の謎に迫った。
そんなとき葛城ヒデアキという科学者が噂を聞きつけて接触してきた。
彼はS2理論を提唱している。S2とはスーパーソレノイドの略で、その構造から無尽蔵のエネルギーを引き出せると考えていたが、そのエネルギーがどこから来ているのが分からなかった。その疑問に関し葛城博士はユイのレポートに興味があったようだ。
葛城博士はこう言った。
「このレポートは人類を救うことになるかもしれない」
後に碇レポートと呼ばれるこの研究は、物理的に限界を迎えつつある人類を、魂というアプローチで新たな可能性を見出せそうとのこと。S2理論はその魂から無尽蔵のエネルギーを引き出せる手段として考えられた。
しかし現在の技術ではその理論の実現は難しく、あくまでも仮説にすぎない。
そんなとき、ある組織から葛城博士に南極で発見された遺跡の調査依頼が来た。組織の名前はSeele。依頼主はキール・ローレンツだった。
--2000年 南極
ゲンドウが葛城調査隊から離れ、日本に帰国したときセカンドインパクトが発生。
それだけの年だ。
--2001年 日本
結婚した碇ユイとゲンドウの間に子供が生まれた。名前はシンジと名付けられる。
「親の愛情を知らない私が親になる……」
ゲンドウは戸惑った。
自分が六分儀家の血を残すことになるとは全く思っていなかった。初めて触った赤子は弱々しく、しかし生命の力の強さを感じる。どう接するか分からないまま子育てを続けた。
--2004年 人工進化研究所
ゲンドウはシンジを失って初めて、その大切さを実感した。ユイだけが全てだった男に愛する対象としてシンジと、サルベージの過程で授かったレイが加わった。
彼はこれからの全てを家族に捧げることを決意した。