日本語警察警察   作:無資格校正士

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例え人口に(かい)(しゃ)しても

「もしかしてせんせーって『たとえ』も漢字で書けないの? マジで? やっば♡ 小学校からやり直したら?」

「うわ、ホントに平仮名じゃん。マジか〜。たずセン、あたしらには漢字使えーっていつも言ってるのに自分は平仮名か〜。これもう今度からあたしらも全部平仮名で良くね?」

「とーくんは小学生だったんだね。可愛いね♡ 中学生のお姉さんがよしよししてあげようか♡」

 

 尋木(たずのき)(とう)、25歳、教員1年目。慣れない業務に追われる日々を送る私は今日、中3女子3人に囲まれ見下され(?)ていた。

 

「あのう、『たずセン』もあまりよろしくないですが、『とーくん』はちょっと……親しみを込めて呼んでくださること自体はありがたいですが、教員の呼称としては不適切かと思いますので、申し訳無いのですが控えていただけると」

 

 敬意のかけらも無い呼び方に反意を示す。別に自分を偉い人間だと思っているわけではないが、目上には敬語を使うとか、そういう社会常識やら一般論やらについて教えるのも教員の業務の範疇だろう──教えられてそれを実行するかどうかは生徒の自由だが。

 

「えぇ〜、いいでしょ? わたしととーくんの仲じゃない♡」

 

 仲とは?

 

「へ? え、何? カナってせんせーと……その、付き合っ──」

記憶にございません。(わか)()さんとは授業や部活でしか接点は無いはずです。と言いますか、仮に若菜さんと昔からの付き合いが有ったとしても、校内では先生と呼んでいただくようお願いすると思います。立場もありますので」

 

 私は食い気味に否定した。

 いや中学生怖っ。何でも色恋沙汰に結びつけるじゃん。生徒と付き合ってるなど、噂が流れただけでも教員生活に多大な支障をもたらしてしまう。苦労して取った中学校教諭一種免許状(国語)を紙切れにするおつもりですか貴女(あなた)

 

 閑話休題。

 

 あらぬ噂の否定も大事だが、教員としては生徒に伝えるべきもっと重要なことが残っている。初任で中3の授業を受け持つ立場として、担当教科に関して教えられることはしっかり教えていかなければ────何で初心者が受験生を任されてんの? 人事の頭おかしくないか?

 

「も、もぉー。びっくりした。カナが変なこと言うからー」

「そんなに変かなあ。う〜ん、とーくんが変に恥ずかしがってるから変に見えちゃうのかな」

「たずセンが堂々と受け入れだしたら、変に見えるどころの話じゃ無くねーか?」

 

 未だにワイワイ言っている生徒達を尻目に、当初の問題の文書を手に取る。

 

たとえすぐにはいけないことになったようでも、結局は、結局は、いいことになる。*1

 

 国語部の活動用に私が作成した文章問題の一節だ。

 文頭の『たとえ』が()()()さんの指摘した箇所だ。確かに平仮名で書いてある。そして私が以前、彼女らに平仮名を使いすぎないよう指導したのも事実だ。作文で『思いました』を『おもいました』とか書いていたら、間違いとは言えなくとも格好良いとも言えないので。

 しかしここはそもそも原文からして平仮名だし、仮に自分が一から書いた文章だとしてもこの場合は──

 

「あれぇ、せんせー。自分のミスを(にら)んでどうしたの? 悔しいの? 屈辱を噛み締めてるの?♡」

 

 は? 別に悔しくないが?

 問題用紙を()め付ける私を目敏く見つけた江波戸さんはここぞとばかりに罵倒を連ねる。その顔にはありったけの笑みが浮かんでいた。楽しそうでなによりでございます。

 いやこれまずいな……。罵倒がこれ以上エスカレートする前に早いところ理解(わか)らせないと、後々の傷が深くなってしまいそうだ。

 

「私としては、ここをミスとは思っていないのですが」

「えぇー。せんせー、負け惜しみ? 『たとえ』なんて小学校で習う漢字じゃん。大人が書けなくて恥ずかしくないの?♡」

 

 …………どういう意味だ……? いや、確かに文字自体は学年別漢字配当表*2に記載されていて、小学生でも書ける字なんだが、でもこの読み方は……。

 困惑のままに視線をずらすと、江波戸さんの隣で椅子ごとゆらゆら後ろに傾いていた(なめ)()さん──危ないからやめなさい──も今の発言には怪訝な面持ちを浮かべていた。

 

「なあ江波(えば)ちー、ちょっと『たとえ』って漢字書いてみて」

 

 (やぶ)から棒にそんな依頼をした彼女は自身のノートとシャーペンを江波戸さんの方へ滑らせた。

 

「え、どゆこと? 自分(ナオ)は当然書けるけど」

「や、一遍試しにね」

「あ、せんせーにお手本ってこと? 了解(りょー)。正解を教えてあげないとせんせー可哀想だもんね♡」

「とーくんのお勉強をお手伝いだね♡」

 

 江波戸さんは受け取ったノートを前にいそいそとシャーペンを走らせる。心做(こころな)しか書かれる文字も(はつ)(らつ)としている。ご機嫌で良かったね。

 ん? 今書いてる字って──

 

「あぁ〜、やっぱりね」

「あっ、そういう……」

 

 そういうことか。得心した。同じく納得したように呟く行木さんを見ると目が合った。お前が何とかしろと語る強い(まなじり)であった。暴いたのは行木さんじゃん…………分かりました、分かりましたよ。嫌われ役は教員の仕事ですからね。やりますから無言で睨まないで。

 

「はいせんせー書けたよ。お手本をしっかり見てザッコい脳み──」

 

 ジャジャーンとノートを見せてくる江波戸さんを手で制す。

 

「江波戸さん、お気持ちは解ります」

「は? 何急に♡ やめてほしいの? 耐えられないんだ♡」

「確かに用例は沢山あります。漫画にもテレビにもネットにもそこら中にあります。個人的には、慣用表現として十分許容される段階に来ていると思っています。表外読みであることを踏まえると、ある種の代用表現だとも考えられます」

「──何の話?」

 

 私は江波戸さんの持っているノートを手で示し、そこにデカデカと書かれた漢字──『例え』に目を()りながら断言する。

 

「それでも現状、試験でそう書かれたら私は減点します」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 日本語の『たとえ』には、大きく分けて2種類ある。'example' や 'allegory' の『例え・喩え・譬え』と、'even if' や 'even though' の『仮令・縦令・縦え』だ。

 

 後者の漢字はいずれも字自体は小学校で習うが、読みは義務教育の範疇に無い。そのためか、『たとえ◯◯しても』などといった文を閉じる*3際に『例え』という表記を用いる人がかなり多い。マジで滅茶苦茶多い*4。日本中で大人気と言っていいほどだ。

 別に私はそれを否定したいわけじゃない。止めようというつもりも無い。

 赤信号皆で渡れば怖くないというか、畢竟、言語は実際にどう使われたか(パロール)の積み重ねなのであって、書き間違いだろうがなんだろうが皆がそう使っていてそれで通じるなら──言語の重要な目的である情報交換(コミュニケーション)が問題無く果たせるなら──それで構わないのだ。高校で古文を学んだ人なら、言葉の意味や用法が時と共に変化していくことをよく知っているだろう。

 

 『例え◯◯しても』が試験でペケなのは、単にまだ規範的とまでは言えないというだけのことだ。数十年もすれば辞書も許容していくことだろう。近現代の辞書を眺めていけば、『(どく)(せん)(じょう)』が『(どく)(だん)(じょう)』へと変わるなど、辞書の歴史は許容の積み重ねで出来ている。言語の歴史も同じことだ。変化は人口に馴染み許容されていく。

 しかしながら現状は使い分けがあるので、国語の教員としては立場上それを伝えざるを得ない、という話である。

 まあ、使い分けがあると言っても、例えば宮沢賢治など、'for example' の『たとえば』にも『仮令』を使うケースもある*5ので、そこもまた混乱を招くのだが。生徒にそこまで伝える必要は無いだろう。あまり色々言っても逆に理解を妨げてしまう。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 部室のホワイトボードに『たとえ』の使い分けを板書し説明したのだが、江波戸さんは何だか話が進むごとに目が虚ろになっていった気がする。

 

「な、何これ……頭の奥がチカチカする……アヘぇ♡」

 

 体の力が抜け息も絶え絶えな江波戸さん。なるべく優しく話したつもりではあるが、傷は深かったようだ。もっと早いうちに煽りをやめさせたら良かったね。ごめんね。

 

「結局江波(えば)ちーの勘違いってことか」

「オ、大葉(オーハ)ぁ……」

「『仮令』って漢字で書けねーわけじゃねーけど、なんか気取ってるみてーだもんな。別に平仮名でもいいんだよな?」

「ええ、勿論です。常用漢字表に無い読みですから、平仮名でも文句を言う人はいないでしょう」

「ゔっ♡」

 

 何か結構な胴間声が聞こえたな……。ジェンダーレス社会では女子中学生が可愛げの無い声を出しても問題無い。男女平等万歳。

 

「言葉責めじゃんこれ……♡ こんな乱暴にされるなんて……♡ せんせぇー、せんせー……♡」

 

 突っ伏して何やら(うめ)()()()さんを眺めていると部活終了のチャイムが鳴った。こんなに辛そうだと肝心の今の講義を理解(わか)ってもらえたのか不安だが……ミスを恥じている子供に大人があれこれ言っても逆効果だし、後のフォローは同級生のお二人に頼むことにしますか。じゃあ邪魔なおっさんは帰ります。お疲れ様でしたー。

 おざなりに別れを告げて席を立つ。部室の鍵閉めは任せたぜ。

 

「駄目だよ、とーくん。女の子を傷付けて見捨てていくなんて、わたしそんな子に育てた覚え無いよ?」

 

 どんな子にも育てられた覚えはございません。……しかしまあ、救護義務違反めいた(おこ)ないだったかもしれない。

 

「たずセン、ヤリ逃げかよ。ないわ〜」

「言葉遣いがよろしくないですよ、(なめ)()さん」

 

 軽口を(たしな)めつつ、私は腹を押さえて机に伏す()()()さんに近寄った。何でお腹押さえてんの?

 

「せ、せんせー……なんかお腹の奥がキュウキュウする……♡」

「大丈夫ですか。保健室は──もう閉まってますね……。動けないようでしたら、お家の方に迎えに来ていただくのが良いかもしれませんが──」

 

 ガバッ。途端に跳ね起きる江波戸さん。うぉびっくりした。

 

「パパとママに挨拶するの!? ふ♡ ふへ♡ こんなことでチャンス作ろうとか、せんせーがっつきすぎなんですけど♡」

 

 ……? 保護者に謝罪せよということだろうか。そりゃあ生徒に怪我でもさせたなら謝罪も必要だろうが、江波戸さんの様子を見る限りは──

 

「体調も良くなったようですし、大丈夫そうですね。それでは今度こそ帰りましょう。そろそろ門も閉める時間ですよ。急いで荷物をまとめてください」

 

 結局、部室の鍵は私が閉めることにした。つまり明日も私の部活参加は決まったようなものである。何で君達はいつもいつも職員室で鍵を借りるついでに私も連行しようとするのかね。最近業務が溜まってるんで明日は部室で書類仕事してていい?

 

「そんじゃ、たずセンまた明日〜」

「とーくん、気をつけて帰ってね」

「はい、また明日」

 

 さっさと片付けを済ませてひらひら手を振り部室を後にする生徒達。私もにこやかに挨拶を返す。いやあ、退勤時間っていいもんですね。自然と笑顔になりますわ。

 

「え、ちょ、待っ、挨拶は!?」

 

 いや今してるじゃん。見てなかったの? 挨拶してないの江波戸さんだけですよ。挨拶は実際大事、江波戸さんもちゃんとやりましょう。

 

「江波戸さん、お疲れ様でした。さようなら」

「うぅぅ、さよーなら……」

*1

*2
学習指導要領の一部。小学校でどの学年にどの漢字を教えるか定めたもの。これを把握していれば小学生の書いた文章を読むだけでその子の学年が大体分かって便利。

*3
文中のひらがなを漢字に書き換えること。逆に漢字をひらがなに書き換える時は『ひらく』という。校正界隈でよく使われる言い方。

*4
現代日本語書き言葉均衡コーパス『少納言』で探すと数えきれないほどの用例が出てくる。

*5
宮沢賢治, 「ビジテリアン大祭」, 青空文庫, 2023年8月14日確認.

より古くは、『類聚三代格』(リンク先画像 51 of 766)や『僻案(下官集)』(リンク先画像 7 of 11)にもそれらしい用例が見える。

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