なにかがいる。近くのどこかに存在している。
それだけで、膝が、腕が、瞼が。体が重い。呼吸が無意識に浅くなる。
「あ、あうぅ……」「くうっ……こ、れは……」「……っ……」
セルさん、マリスさんが膝をつく。あたしもちょっときつい。
「来やがったぞ、心の友……」
カオスの声に、どうにかそちらの方向に首を向けると。
広間の奥に、全裸の女が一人、立っていた。
「…………」
無言のまま、どこか遠くを見つめている。
華奢な体と、それに見合わぬ巨大な異形の四肢。
豊かに流れる青く、長く伸びて広がった銀糸のような髪。
顔立ちはぞっとするような美人だが……見ているだけで全身が凍る。
立ち向かうどころか、逃げる気力さえも萎えて、ただ首を垂れて死を受け入れたくなるような……。
「魔王……ジル……?」誰かの声が、やたら大きく聞こえた。
「これは……こんな……」「ひっ……ひぃ……」
「ミリねーちゃん……あたし……」「ミル……お前は逃げろ……」
囁くように、恐怖に震える声が交わされる。
「前より力が増している……? リア様、お下がりを……リア様?」
「ちょ、ちょっと待ってね……足が……ダーリン……大丈夫だよね……?」
「……下がってろ」
お兄ちゃんはそれだけ言って口をつぐむ。
ノスの無数の眼がジルに向けられる。
「ジル様……如何……ナさレマしタ……?」
「……足りない……命……力」
声を聞いただけで全身に悪寒が走る。
「もっと……命を吸う……力を、戻す……」
ジルの顔に、かすかに喜色が浮かんだ。
「そして、人を、壊す」
「まずいぞ、ノスだけでも皆限界なのに……ジルまで……」
カオスの声も震えている。
「……カオス……か……」
ジルの視線がお兄ちゃんに、いやカオスに向かい、かすかに笑う。
そして、片手を持ち上げ、何事か唱え……次の瞬間、空間が割れた。
ジルの目の前、虚空に、穴のような割れ目が開いたのだ。
そこにジルが異形の手を突っ込み、何か動かした。
すると、その隙間から嵐のような風が吹き出してきた!
「ぐ、う……おおおお!?」
「何……これ!?」「え……? 力が……?」
その空間から吹いてくる風を浴びていると、なんだかよくわからないが体から力が湧いてくる。
「オオ……オルケスタの息吹……デすカ……ナルほド……」
ノスが複眼を細めて笑う……ん? あれ?
違和感を覚えつつもあたりを見回す。
「レベルが上がる異世界……オルケスタ……? こんなものが……」マリスさんが呆然と呟いた。
「私たちのレベルを上げるなんて……どういうつもり……?」志津香さんも不思議そうだ。
「レベル……? あっ……ああっ!」カオスが素っ頓狂な声を上げた。
「まずいぞ心の友! ノスはともかく、ジルのレベルが……跳ね上がっていきやがる!」
「……え? そうか?」
お兄ちゃんが首をひねる。うん……
「儂らのレベルも上がっとるが……すぐに才能上限に突っかかる! 人間と魔王じゃ比較にならん!」
確かに、周りのみんなのジルを見る目に、どんどん恐怖の色が濃くなっていく。
「う……ああ……」「嫌ぁ……」「こん……なっ……」
「うぅ……」隣のメナドが胸を押さえて膝をついた。
何人かはどさ、どさと圧力に耐えかねたように倒れていくが……うーん?
「神の……定め……だ……滅びよ……」
その言葉とともに、風が止んだ。
まだ起きているのは、あたしとお兄ちゃん、あとは……シィルさん、志津香さん、リックさん、マリスさん。そしてレイラさんくらいか。
でも全員、指一本動かせそうにない。まるで、全身を恐怖で縛られて、押さえつけられているように。
けど…………あたしは特に何も感じない……というより、なんかすっかり体が楽になったような……?
「……オルケスタへの接続……終了…………っ!?」
ジルが空間の割れ目から手を抜いて、こちらを見て……
そこで唐突に、ジルが目を見開いた。
視線の先には、お兄ちゃんとあたし。
「えっ……あれ……心の友……それにお嬢ちゃんも……え?」
「ハ……?」ジルの視線を追ってこちらを見たノスが、間抜けな声を出した。
うーん……なんか、その……こいつ、弱くなってない?
「……なんだと……バカな……何が起きて……」ジルも呆然と呟く。
「お前ら……いったい……?」カオスが尋ねてくるが……
「ん? おお、なんか力がやけに湧いてるな」
「うん、なんかすっごい体が軽い……なんだろ?」
「おお、お前もかエール」「お兄ちゃんも?」
お兄ちゃんとあたしはぐるぐる肩を回した。
それだけでぶおおっと風が巻き起こってマントとコートがはためく。
「お、お前ら……限界レベルいくつなの?」カオスが震える声で聞くが……
「知らん!」「さあ?」あたしとお兄ちゃんは答える。
「100や200どころじゃないぞ! ジルと……互角……!?」
「限界が……ない……? まさか……そんな……神の定めを……人間が……?」
ジルが、よろりと後ずさった。
「オ下がり下さイジル様……! ゴオオオオオオ!」
ノスが爪を振り上げ、襲い掛かってくるが……遅い。
「どけ雑魚が!」
「邪魔!」
「ギャアアアアアアア!」
あたしとお兄ちゃんは、すれ違いざまにまるでるろんたか何かのようにノスを斬り捨てた。ノスはバラバラになって吹っ飛んでいく。
……体が動きすぎる、世界がゆっくりに見える。……3振りの剣に刻まれたノスの死体が細切れになって落ちていく様子もはっきりわかる。
まあそれでもお兄ちゃんの剣は良く見えなかったんだけど。
「お兄ちゃん、今何回斬ったの?」
着地したあたしはお兄ちゃんに尋ねた。
「む? えーと……ひのふの……うむ、13回だな」
「えーそんなに? 11回までしか数えられなかった……」
「お前は8回くらい斬っとったな。がはははは、二刀のくせに遅いわ」
「流石にカオスと一緒にしないでよ……あたし剣の柄を握りつぶしそうになっちゃって……結構大変なんだよ?」
ちょっと力を入れるとリーザス聖剣とスターブラスターがみしみしと音を立てる。
言葉を交わすあたしたちの背後で、ノスの首が声を絞り出す。
「コ……! コンな……コとガッ……ジ……ル……サマ……ッ……」ノスの肉体が薄れていき、かつんと赤い球が落ちて転がった。
「く、くく……がははははははははははは! なんか知らんが形勢逆転だな!」
「あははははははははははは! 今なら神様も倒せそう!」
ハイテンションなあたしたちが目を向けると、ジルは一歩後ずさり……「くっ……」次元の穴の向こうに身を躍らせた。
「逃げた!? ジルが!?」カオスが信じられないという声色で叫ぶ。
「待てこら魔王ちゃん! 正々堂々正面からぶちのめしてお仕置きしてくれるわ!」
お兄ちゃんはあたりをぐるりと見回す。
「……ご命令とあらば……」
「……ランスっ……」
「くっ……ランス……君……」
リックさんと志津香さんはふらふらと立ち上がるが、レイラさんは立てないみたい……うーん。言っちゃ悪いけどめちゃめちゃ弱そうに見える。
お兄ちゃんはフンと息を吐き
「足手まといだ。ここで他の連中の面倒を見とれ」
それだけ言って視線を切った。
リア様の介抱をしているマリスさんをチラッと見て、そして最後にシィルさんを見た。
「ラ、ランス様……私も……んっ……」シィルさんは立ち上がろうとしてるけど明らかに無理してるな……
「……お前はここにいろ」「わっ」
お兄ちゃんはそんなシィルさんをそっと……本当にそっと座らせる。
そして、こっちを振り向いた。
「お前だけか。だらしない連中だ……仕方ない! 行くぞ! エール!」
「うん! 行こう! お兄ちゃん!」
あたしとお兄ちゃんは、次元の穴に飛び込んでいった!
大体二人とも550くらいですね