ぎい、ぎい、ぎい、ぎい。
人気のない森の中、その音は嫌によく響いた。
「…………」
ぽつんと立てられた掘っ建て小屋の外。一人の青年らしき男がいた。男は地面に布を敷き、その上に木製の固定台と砥石を置いて刀を研いでいた。研ぎを止め、刀をよく見て、また研ぎを始める。男の周りには今研いでいる刀以外にも小刀に包丁などの刃物が並べられていた。
「──やあ
側から見れば誰もいない森で大量の刃物を研ぐ不審人物にしか映らないがそれに話しかける者がいた。掛けられた声に刀を研ぐ手をぴたりと止めた慶弔と呼ばれた男は肩越しに振り返り、
「──…………
──額に縫い目のある訪問者を確認して研ぎを再開した。
「また刃物の研磨かい? 中々どうして飽きないものだね」
「儂は研師だ。故に刃を研ぐ。それだけだ」
突然の訪問者の名は羂索。それに見向きもせず刀を研ぎ続ける男は名を慶弔という。そんな刀を研ぐ慶弔に一切臆することなく近付いた羂索は布の上にしゃがみ込んだ。
「研師って……それもう何百年も前の話だろう?」
「経過した歳月は関係ない。儂が儂で在る限り、儂が研師であることは不変だ」
「………うん、相変わらずよくわからないな君は。まぁそれも君らしいけど」
「……何をしに現れた?」
「何って……昔馴染みの様子を見に来ただけさ」
「貴様が? ……気色の悪い」
「うわっひどいなぁ、私だってこの程度の配慮はするさ」
口に手を当てて大袈裟な反応をした羂索は「心外だ」と溢し、慶弔はそれに「貴様の今迄の所業を鑑みれば妥当だろう…」と研ぎをしながら呆れたように呟く。
「それで、最初に聞いたけど調子はどうだい? まだ獲物には手を出していないみたいだけど……」
「万事抜かりはない」
「そう、なら今回も巧くやれるかい? ……やれるといいけれど」
「………何が言いたい?」
「いや何、少し心配でね?」
羂索の物言いに研ぎを止めた慶弔は研いでいた刀をそっと横に置き、周りに並べてある数ある刃物の一本を手に取った。彼が手に取った刃物は既に研ぎ終えたものであり、その態度は言外に彼が苛ついていることを物語っていた。そんな慶弔を見た羂索は慣れたようにやれやれと肩を竦める。
「儂がしくじるとでも?」
「そうとは言ってないさ。だけど、今回の獲物は別格だ。今までと同じ調子で挑めば痛い目を見るよ? 前回のようにね」
「……………」
刃物を握る手に込めた力を強めた慶弔は黙って羂索を睨む。睨まれた羂索はそれでも構わず話を続けた。
「前回の術師も中々だったけど、今回の起爆術式の使い手は肉体強度・呪力操作になんといってもあの超感覚染みた危機察知能力。総合して見れば歴代の起爆術式の使い手達をあの若さで既に凌駕している。しかもあれでまだまだ伸び代もあるときた」
「……相も変わらずよく喋る。それにあの呪術師を随分と高く買っているようだな?」
「ははは、私はただ客観的な評価を下したまでさ。君も既に気付いてるだろうけど、彼は前回の術師のように君の視線に既に勘付いてる。それも呪力を察知した訳じゃなく気配を察知して。ついでに実力を計るために差し向けた呪詛師も赤子の手を捻るかの様に爆殺された」
末恐ろしいよねー、と笑った羂索は不意に真剣な目つきになり慶弔を見た。
「それでも闘る気かい? 今度ばかりは死ぬかもしれないよ?」
その目をじっと見た慶弔は背を向け、しゃがみ込んでから手に持っていた刃物を置き、
「構わん。たとえどれほどの強者であろうと、この命尽きようと、儂がやることに変わりはない。あの
研いでいた刀を再び手に取り、また研ぎ始める。
「………あぁ、君ならそう言うだろうね。救いようのない物好きの君なら」
分かりきっていた慶弔の返答を聞いた羂索は思わず微笑した。どれだけ歳月が経とうとも、どれだけ肉体が変わろうとも、変わらない彼の揺るぎない意志に。
「ふっ。救いようのない物好きなのは貴様もだろう、羂索」
微笑した羂索に気が付いた慶弔は刀を研ぎながら薄く笑う。
「貴様は儂のような術師擬きの研師に契約を持ちかけ、儂にこうして時を与えた。それも幾度も。こんなことをして貴様に何の得がある?」
「契約した時にも言ったろう? 起爆術式は私の計画の邪魔……とまでは言わずともノイズになり得る。だから私にとっても起爆術式を排除したいという君の目的に協力するメリットは十分あるんだよ」
「……ハッ。貴様は自身の胡散臭さを未だに理解していないらしい」
「あはは、信じられないというのは悲しいね」
思ってもいないことを宣う羂索を慶弔は鼻で笑い、それから少しの間、二人の間には刀を研ぐ音だけが響く。
「…………」
黙ったまま慶弔は考えていた。それは今まで幾度となくした思考。実際問題、此奴は何故ここまで己に協力してくれているのか?最初の頃は疑っていたが何百年もの付き合いとなった今では疑うのも馬鹿馬鹿しいが……。
慶弔は今まで一度として羂索の目的に手を貸したことがない。それどころか手を貸してもらっているばかりなのが現状だ。理由のわからない善意ほど気味の悪いものはない。
「…………」
羂索は慶弔に対して一種の親近感を抱いていた。同時にそんな存在がどのような結末を迎えるのか、単純に興味があった。また慶弔に口にしたメリットにも嘘はない。
しかし何よりも羂索にとって慶弔はかつての自分を知る昔馴染みであり、肉体を取っ替え引っ替えしてきた自分に既に残っているかどうかもわからない人間性の残滓を補強してくれる稀有な存在だった。だからこそ羂索は慶弔の使命に手を貸し続けていた。無論自分の計画に支障がない範囲で。
「──……感謝するぞ、羂索」
刀を研ぎながら、不意に慶弔は呟いた。それを聞いた羂索は思わず目を見開いて何度か目を瞬かせてから言った。
「どういたしまして」
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妙なことに最近になって死んだ父との数少ない朧げな思い出を夢で見る。
思い出の中の父は何がそんなに楽しいのかいつも笑顔だった。あまりに笑顔なものだからそれを見た幼い私はよく聞いた。何がそんなに楽しいの?何でいつも笑っているの?と。そう聞くと父はポカンとしてから決まって私の頭をくしゃりと撫でてこう言うのだ。
『満足してるからかなぁ』
満足?満足すると楽しいものなのか?笑顔になるものなのだろうか?そんな私の疑問に父は逆に聞いてくる。
『綱は今、満足してるか?』
聞かれた幼い私はよくわからないと答えた。今自分が満足しているどうか、それはどうすればわかるものなのか。私には本当にわからなかった。
『……そっか。ならこれから先、いつかお前が満足できる日が来たら……心から笑える日が来たら、父さんに教えてくれ』
満足できる日。心から笑える日。そんなもの果たして来るのだろうか?甚だ疑問だったけど、
『大丈夫大丈夫。いつか絶対来るさ。あー楽しみだなぁー!』
……どうして私が満足して笑う日を父が楽しみにするのか不思議で仕方なかった。そう聞いてみればまた頭を撫でられる。
『バカだなぁ。自分の息子が心から笑えたなら理由はどうあれ嬉しくなるのが親ってもんなんだよ。多分な!』
そういう、ものなのだろうか。
そんな父とのやり取りを終え、夢の中の場面はあの爆発事故のものに切り替わる。この爆発事故のことを私はよく覚えていない。何故父が現場にいたのかも。何が原因で爆発が起きたのかも。何もかも。だが、あぁそうだ。今思い出してみればきっとこの日だったのだろう。
私の中で明確に何かが良くも悪くも変わった日。
あの爆発事故の後。呪いが見えるようになった自分の目。自覚した自分の力。それを行使して戦い、死の淵で「爆発」を起こした時、私はきっとその日を迎えたのだと思う。満足できた日。心から笑えた日。
『父さんに教えてくれ』
それを教える相手は既にこの世にはいなかった。
だが、そのことを悲しいと思う私も既に私の中にはいなかった。満足できるものを手に入れ、心から笑えるものを見つけた私の世界は、価値観は、途端に変化した。
それを悲しいとは思わない。
だけど、一言、ただの一言でもそれを父に伝えられたのなら……私は今よりももっと満足できていたのかもしれない。
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『この任務はオマエ達2人に行ってもらう。綱は待機だ』
『待機?』
『はぁー? 爆弾魔だけ居残りって……また贔屓かよー』
『悟。君も間違いなく贔屓されてる側だよ』
『贔屓などしていない。今回の任務は2つあるが綱は間違いなく適任じゃない。それに綱は任務から帰ったばかりで多少の疲労もある。だから待機させるというだけの話だ』
先刻、担任の夜蛾とのやり取りと同級生たちの反応を思い出しながら私は屋上のベンチに座り柵に凭れ掛かった硝子から投げ渡された土産の煎餅を食べていた。友人の分に買ってきた土産を自分で食べるというのは些か不思議な気分だが、その友人から貰ったのだから食べても構わないのだろうか?と考えつつも菓子の美味しさにそんな些細な疑問はすぐにどうでもよくなった。
「星漿体の少女の護衛に抹消ねー。そりゃ爆弾魔は待機させられるは」
「……五条も同じことを言っていた」
先に屋上に来ていた硝子に五条と夏油の二人が指名された任務について話しながら私は考えていた。護衛は兎も角、抹消なら爆発で跡形もなく消し去れるし自信があるのだが何故待機なのか?と。
「抹消だけならそりゃそうだけど、護衛ってんだから市街地での戦闘が基本でしょ? 綱の術式とか市街地と相性最悪じゃん」
「? 爆発できるものが多くむしろ相性は最高だと思うが?」
「そういうところだよー相性最悪なの」
「???」
よくわからない硝子の発言に首を傾げた私は「はい」とまた投げ渡された煎餅の入った袋をキャッチし開封して食べる。うん美味しい。
「それに話聞いた感じ、正しくは抹消じゃなくて同化。それまでの間の護衛って感じだし。綱にはとことん向いてないよ」
……星漿体の少女、護衛に抹消、天元様、Q、盤星教、色々と面倒なことになりそうな任務だがあの二人は無事に任務をやり遂げられるだろうか?いやあの二人が無理なら誰がやっても無理だと思うが……
「ま、あの二人性格は終わってるけど実力は確かだし心配しなくても大丈夫でしょ」
「? 心配しているとは一言も言っていないが?」
「ばーか、そんなもん顔見れば分かるっつうの。自覚してないかもしんないけど、綱って思ってること割と表情に出てるよ」
「……そうなのか?」
心配しているつもりはなかったが、硝子が言うのならそうなのかもしれない。そうか。私は二人を心配しているのか?
「はぁー美味しかった。ごち」
「? 五条と夏油の分はどうした?」
「その分だったら教室に2箱置いといたから大丈夫でしょ。それにあいつらも2枚ずつ食ってたし」
ならいいのか?と思った私だが冷静に煎餅が何枚入りだったか硝子から手渡された空箱を眺めながら思い出してみた。私は確か16枚入りのものを買った気がする。なら五条と夏油が2枚ずつ食べて残り12枚、私が今2枚食べて残り10枚だから………
「食べ過ぎでは?」
「何を?」
「煎餅」
「そう?」
「10枚食べたのか?」
「……気のせいじゃない?」
いや気のせいな訳ないが?結構厚みがあった煎餅10枚を数分でペロリと平らげた少女を私は注視する。そんなに腹が減っていたのか。大食いなのか。単純に好みの味だったのか。土産だからといって無理して食べてくれたのか。どれが正解かは全くわからない。もしかしたらどれも正解ではないのかもしれない。
「あー久しぶりにお菓子一杯食べたから喉渇いた。自販機行こ」
あれだけ大量の煎餅を食べれば喉が渇くのも当然だろう。というか久しぶりということは菓子自体好きじゃなかったのか?屋上から去っていく硝子の背中と手元の空箱を交互に見つめた。実に奇妙だ。
「解せぬ」
空箱を開け、中に食べ終えた菓子の空袋を納めた私は閉めてからそれに呪力を込めて屋上からホイっと放り投げて微塵も残さず爆発させた。
余談だがあとから自販機のある場所に行くと硝子がブラックコーヒーをごくごくと飲んでいる姿が確認できた。
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2006年。
呪霊を祓ってから呪詛師が現れたあの任務の翌日。上層部の御老人方に招集された私は正式に1級術師として認められた。その際に1級術師は呪術界を牽引していく存在だとか、今まで以上に弁えた行動をするようになんてよくわからないことを言っていたので適当に相槌を打っておいた。1級術師になってからまた一段と任務の面白味は増した。やはり敵は強ければ強いほどいい。
五条と夏油の二人による「星漿体の少女の護衛任務」は結果として失敗に終わった。この任務の途中で私は夏油から連絡を受けて沖縄に呼ばれたが緊急で来た任務で指名され遠出していたせいで沖縄に向かうことはできなかった。もしも向かえていたら何か変わったのだろうか?
それから、気のせいかもしれないが僅かに夏油の様子が変わったように思える。今まで経験してこなかった任務失敗という出来事が響いているのか、任務で醜いものでも見たのか、理由はわからない。だが本人が何も言わないのなら私も深く関与する気はなかった。
また爆発の方では進展があった。交流会にて京都高専を訪れた際に資料室に邪魔して先代の起爆術式の使い手たちの取説を読むことができた。朝木家の歴史は浅く最古まで遡っても昭和元年。大雑把に年数にして81年ほどしかない。しかし「朝木家の人間」ではなくとも「起爆術式の使い手」と範囲を広げれば該当者はぐんと増える。過去にも起爆術式を使っていた呪術師達は幾人か存在したらしく彼等が書き記した取説が残されていた。その取説を読んで私は初めて起爆術式の呪詞を知った。
2007年 8月。
1級術師になって1年後。東京都立呪術高等専門学校三年、18歳になった私は変わらず任務をこなしていた。任務中に感じる視線もまだ変わらず在る。だが呪力はよく感じられないし、視線を感じてそちらを向いた時には既に気配が消えていて視線を感じ始めて随分経つが正体は未だに掴めていない。
それから数日後、私はとある任務で指名された。
2007年時点
Qあなたにとって朝木綱とは?
「筋肉ゴリラ、呪詛師予備軍、あとバカ」
「気の置けない学友かな。ナチュラルに話が通じない部分が玉に瑕だけども……何でもかんでも爆発する所もどうかとは思うけど」
「昔の話だけど一応恩人、みたいな?まぁあっちは助けたつもりもないかもしんないけど。あいつが居なかったら私も生きてここにいなかっただろうし。まぁ感謝してる」
「俺にとっては担任する大切な生徒の内の一人だ。それ以上でもそれ以下でもない。何?依怙贔屓だと?しているつもりはないが……誰が言っていた?悟か?悟だな?」
「強ぇのは確かだよ。俺も一発殴られてるし。まぁ次やる時は一発も貰わずにボコボコにできる自信しかねーけど??……あいつを一言で表すなら?そんなの決まってるでしょ──」
「呪力強化での戦闘能力。術式。緻密な呪力操作。どれをとっても高レベルだよ。それに日々の鍛錬を怠らない本人のストイックさ……いや爆発を好んで起こす点だけは本当にどうかと思うけどね?彼を一言で表すなら? それなら綱には悪いけど考えるまでもなく──」
「まぁ呪力なしで全員が闘り合ったら綱が勝つんじゃない?初めてあった時もありえないぐらいムキムキだったくせに高専来てからまた筋肉量増えてたし……昔はよく自爆して倒れてたくせに筋肉のおかげかなんなのか最近は自爆してもピンピンしてるんだよね。ん?綱を一言で表すと?あいつは──」
「起爆術式という使い方を誤れば自滅必至の術式を迷わず行使する精神力。ノーダメージの爆発を可能とする緻密な呪力操作。鍛え抜かれた肉体による純粋な戦闘能力。同級生に特級という異例中の異例が二人いるせいで霞んで見えるかもしれないが綱は強い。朝木綱を一言で表すとすればだと?あいつは一言で表せるほど単純な人間ではないが……そうだな敢えて表すとすれば──」
「「「「爆弾魔」」」」