その紙を見たときの感想は『意味がわからない』だった。
理解を超える内容は頭に全く入ってこない。
単純で簡単な事象なのにまったくまったく理解できない。
だが、目の前の紙の内容は何度見たって形を変えない。
頭が急にぼんやりとうまく働かなくなる。
今すぐ腹の中身をすべて出し切ってしまいそうな酩酊感に襲われる。
きっと今立ち上がったら転げてしまうに違いない。
「ふ、父子鑑定結果ほう……こく……しょ……」
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上原清十郎は今の瞬間まで幸福だった。
自分にこんな幸せな毎日がやってくるなんて信じられないくらいだった。
上原清十郎は小学生の頃祖父に連れて行かれた劇をみて役者に夢を見た。
自分ではない誰かになり、あのスポットライトの下で数多の拍手をいただく。
舞台の役者は輝いていた。
だから祖父になんどもいろんな劇に連れて行くようにねだったし、祖父も祖父で趣味にハマりすぎることへの言い訳として家族へちょうどいい理由だったからか進んで連れて行ってくれた。
俺は役者になる。
ただ、無責任な立場で応援できる祖父とことなり、堅実な夢を持ってもらいたいらしい父には夢を反対された。
役者なんてろくでもない。たいして金が稼げるわけでもない。
人生の潰しが効かない。
だからどうしたというのだ。
サラリーマンだった父は堅実コツコツ働くことが幸せになれることだと信じていた。
でも、子供だった俺には輝くところの全くない親に見えた。
誰に褒められることなく、母からももっと稼いでこいと言われる様にどうしても『頑張ったところで到着点はこの程度じゃないか』という思いを抱かせた。
家を飛び出るような形で役者として夢を追い出して、金田一さんと出会ってララライで働いた。
最初は良かった。
学ぶことすべてが目新しく、訓練すればするほど上達した。
だが、続けるにつれ差が出始めた。
同じことを同じ量頑張っているはずなのに、才能があるやつはもっともっと先に行った。
同じように演じても才能があるやつは人の目を吸い寄せた。
どうして、なぜ?
俺は誰かになれるはずだった。
明るい輝きの元、自分じゃないスターになれるはずだった。
なのに俺はいつまでも役になりきることができず、役を演じる上原清十郎を超えられなかった。
若手に、周りに追い抜かれていく。
俺は才能が妬ましかった。努力は無意味だった。
だからだろう。
芸の肥やしにするためだと自分を騙しながら女にハマるようになった。
そんな中で……才能ある女を抱いたときに自分が満たされるのを感じていた。
俺程度に抱かれやがって。
ばかにするように内心でせせら笑うと胸が満たされた。
女の人数を増やすたびに俺は優れた人間になった気がした。
でもそれはベッドの上でだけで、また舞台に戻ると俺の化けの皮は剥がれるのだ。
俺は惨めな気持ちになることを嫌ってララライを離れた。
それでも、役者の世界からは離れられない。
今更あくせく働く勤め人になんてなれないというのもあったが、やはり心は舞台から逃れられない。
そんなうまく行かない日々。もっとうまく行かない事が起きた。
子供ができた、というのだ。
相手は姫川愛梨。売れてない頃にちょっと色々教えてやった後輩のような女だった。
惚れられているのは知っていたが、当時の彼女は下積みの大したことのない女だった。
でも再びあった彼女は朝ドラのヒロインをやっていて、輝く女になっていた。
だからいい女になった愛梨を俺は口説いて抱いたのだ。
俺は才能のある女を抱くことで満たされる人間だった。
逆に言えば孕ませるようなことには興味があまりなかった。
基本的にはコンドームを使ってやっていたし、今までできたという女はいなかった。
でもそう言えば……こいつとは一度生でやった覚えがあった。
飲みすぎて……つい気が緩んでしまっていた。
責任取ってという姫川愛梨。
だが、こんな才能のある女に子供を孕ませたか。
父親になんてなる気はなかったが、結婚しろと言うならしてやるか。
その程度だった。
女を孕ませたことはなかったのでいい経験になるかもしれない。
そんな気持ちだった。
だから一緒に暮らすようになっても生活リズムはさほど変わらず、同じように女を抱いた。
そうしないと満たされないのだ。
舞台に向かうことができないのだ。
ただ、どうにも結婚したことで俺をものにしたと思っていた愛梨にとってはそれが不満だったようで少しずつ空気が冷えるのを感じた。
演じない素のままの俺にはやはり魅力がない。
だから女を口説くために演じない俺では繋ぎ止められない。
まあいずれ離婚することになるだろうな。
生まれた子供は見たがサルみたいでかわいくない。
こんなのが俺の子供なのか? こんなのに似てるだなんて言われたら相手を殴ってしまいそうだ。
普通に生きるのにも才能がいるな。
こんなところでも才能のない自分に気づいてため息をつく。
変化は子供が生まれて少ししてからだ。
「帰ったぞ」
帰るなりそうそういつものようにソファーに座り込み、タバコを咥えて火をつけようとして子供がこちらを見ているのに気づいた。
そんな俺に愛梨が話しかけてくる。
最近冷たくなりだした彼女の態度と少し違う。
「どうしたんだ?」
「ああ、聞いてくれる? 清十郎。この子、子役やりたいんですって」
「あん? 子役? なんでだ?」
そうして初めて大輝の顔をちゃんと見た。
いつの間にか生まれたときの猿顔から子供のふくふくとした可愛らしさの感じる顔になっていた。
「大きくなったらやくしゃやる!」
「へえ」
「おとうさんみたいに!」
そう言われた瞬間に驚いた。
どうやら役者を目指すらしい。
父と同じ道を選ばなかった俺にとって、子供が同じ道を選ぶという考え自体がなかった。
いやそもそも子供に興味すらなかった。
大切なのは才能のある女だったからだ。
少しだけ興味が出て少しだけ面倒を見てやる。
自分の動きを賢明に後追いする大輝。
俺のマネをする大輝。
初めて俺に似ているのだと感じることができた。
今までと違って可愛く思えたんだ。
大輝。大きく輝く。
名前をねだられて浮かんだものを適当につけたつもりだったがこれこそが俺の真の願いだったのかも知れない。
大輝はすごい子だった。俺の求めてやまない才能に恵まれていた。
俺の子供じゃなきゃ嫉妬が湧いていたはずだ。
俺がこうであればと。
なのに自分の子供だと思うと全く変わった。
まるで俺自身が才能を持って生まれ直したみたいに心が満たされるのを感じた。
自分の経験のすべてを、技のすべてを託したくなった。
教えれば教えるほど満ちていく。
大輝の技であり、俺の心でもあったかも知れない。
教えることはいいきっかけで、俺の教えた動きをする大輝は鏡のように俺の悪いところをも教えてくれる。
教えているうちに自分自身の技も磨かれているのがわかった。
大輝に教えられさえすればよかったと思っていたのに、再びライトに当たる仕事が増えてきた。
関係の切れたに等しかったララライとも大輝をきっかけに関係が戻った。
俺を尊敬するように見る若手に心が踊ったが、それよりも今日学んだことをどう大輝に教えてやろうか。
そんなことで頭がいっぱいだった。
ああ大輝。お前は俺の光だ。
「時よ止まれ、お前は美しい」
ゲーテのファウストにて、神の認める人間ファウストは悪魔メフィストフェレスに人生最上の時を迎えたときにこのセリフを口にしたら魂を上げると約束した。
悪魔はこのセリフを言わせるためにファウストに素晴らしい人生を経験させる。
最高の幸せの時をそのままにさせたいと思わせるために悪魔は幸せを享受させた。
俺に悪魔はいない。
時は止まってしまわない。今が最上ではないと確信できるから何のためらいもなく口にすることができた。
今日より明日は更に幸せになるだろう。
だから止まる必要なんてないのだ。
パパ絶頂期