深淵を覗くものを深淵もまた覗いているのだ。
狂人を観察するのは心が疲れた。
それが自分の父親だと尚更だった。
事務所では真っ当な顔をして笑顔を浮かべるカミキヒカルは自宅では狂気に浸っていた。
殺した人間のことを思い、自分の今を思いよく嗤っていた。
その笑い方が、ガラスに爪を立てた音を聞き続けるように心を傷つけるのを感じる。
役者だけあって、その表現される心は聞くものをも引き込んだ。
暴力的に人を殴る映画をみて自分も強くなった気にならないだろうか。
人を殺す映画をみて自分も殺せる気にならないだろうか。
殺した人間を想い、自分の価値が上がったと嘯く男を見て哀れに思うようになった。
自分の親を殺した殺人犯というより、弱い追い詰められた人間に思えて仕方がなかった。
親に捨てられて幼い子供が搾取され続けて逃げ場を失って踏み越えてしまった。
ぎりりと唇を噛む。
だからどうした。
いいや、だからこそ終わらせたかった。
古い作品だが知っているだろうか。
死神が黒いノートをわざと人間界に落とす。そのノートは名前を書くと人が死ぬノートである。
善良な警察官の子どもの主人公はジョークグッズだと笑いながら退屈を紛らわせるべく軽い気持ちで名前を書いて人を殺してしまう。
そこから彼は新世紀の神。人を裁く真の死神になるのだ。
……だが、作中で彼は自分が人を殺す死神になっていたことを忘れるシーンがある。
きれいなジャイアンみたいな清廉潔白な彼。
あれは嘘ではなく、踏み越えなかった場合の彼の姿なのだ。
難事件を目の前にした名探偵のように、死神事件に挑む彼は退屈を忘れきらめいていたのだ。
犯罪者をさばく行為に私欲はない。
スリルのためや暇を持て余していたということはあれど、彼がああいう方向でノートの処理をしたのは本人が紛れもなく善良だったからだ。
善良だった彼は、けれども軽い気持ちでノートに他人の名前を書いて人を殺した。
その罪を犯罪者を裁く神となることで
僕は罪人を裁く神だ。
私欲には使わない。これで悪いことはしない。
だから、あいつを殺したことも悪くない。
カミキヒカルもまた人の死を自分の価値を上げる行為であるとすり替えている。
でも、本当にそう思うならばもっと殺せばいい。
もっともっと殺せばいい。
価値がある人をどんどん殺せばいい。
でも誰でもいいと殺すことはなかった。
彼にとってのラインを超えてしまった人を見つける……もしくは出会ってしまったときに彼は殺人鬼になるのだ。
一枚壁を挟んだすぐ近くで苦悩し続ける彼を何日も見てきた。
哀憐の情が湧いてしまうのを抑えることができなかった。
頭の中でどこか少し、自分であれば助けられないかと思うことがないとは言えなかった。
彼が殺人をもう犯さないのなら……あるいは犯せないようにすれば。
けど、カミキヒカルに俺の父親の席は空いてなかった。
生涯をかけて彼を殺人できないようにする。
それをできない以上、人生をかけて助けることはできなかった。
いつかカミキが自信を持ったら襲われるのはアイで不幸になるのは姉弟だ。放っておくこともできなかった。
第一、これは私欲でするんだ。
復讐なんて……そう、己の人生の下がったあるいは下がり続ける価値を変えるためにするものだ。
大輝くんもまた、命の価値に目覚めるのでした。