兵長と私   作:シーリス

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第1話

兵長と私

 

終わりと始まりは突然やってくる

 

 

 

 

 

 俺は今、かつてない絶望的な状況に立たされていた。

 

 例えるならそう……身動きするだけで亀裂が入るような薄氷の上に転がされた状態に近いといったところか。

 

 今まで多くの危機に直面し、何度死を意識したか自分でも判らない。だが、いつも感情に流されず冷静に対処することで生き延びてきた。巨人を前にして畏怖を感じ心が揺れるようでは、いつか終わりはくるだろう。

 

 だからこそ、己が内にある全てのモノを掌握し常に打ち勝たなければいけない。それは、今までもこれからも変わることはない。だからこそ、俺は生きている。

 

 自身の限界を知り、相手の力量も掌握できれば負けることはない。俺の命が尽きるか、巨人を駆逐し続けるまでそれらは繰り返されることだろう。

 

 しかし、それは倒すべき対象があり刃を振り下ろす理由があればこその話しだ。無い場合はどう対処すればいいか、想定外の脅威を前に歯噛みする。今は仰向けにされたまま、身動きも取れない。

 

 落ち着け、リヴァイ。とりあえず深呼吸し今は善後策を練ればいい、幸い相手に動きはない。音を立てずに呼吸を整えろ。

 

 そうだ、まだ慌てる時間じゃ……痛みが走った。

 

 ……訂正しよう、慌てるべきだが落ち着け俺。

 

 反撃も動くこともできないなら、打開策を考えるべきだ。そっと秘密のベールをめくり上げた時、さすがに心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

 

 初めに目に飛び込んできたのは、キレイに伸びた白い足と同じ色の下着……て、おい。

 

 

 

 ズボン履いてないだと!?

 

 

 

 ……さすがの俺も、仙人や木石でできている訳でもない。

 

 予想外のことでつい目にしてしまったが、鋼の意思で自分の腕に目を移す。それでも見え続けているが、無の心を保つよう……今は努めるしかない。

 

 さて、本来の目的である右手を見ると信じられない光景を目の当たりにした。

 

 こいつ、俺の右手を封じているだと?

 

 しかもこの技は腕がらみ……いや、アームロックといったところか。それが完全に極まっており、先ほどから何度も腕を抜こうとしたがその度に締めがきつくなり未だに脱出ができないでいた。

 

 こんな技、訓練兵の時でも習う訳がない。恐ろしいやつだ、ペトラ。いつの間にこんな関節技を覚えていやがった……。

 

 普通なら、相手に打撃を入れ腕が緩んだ隙に抜くか、相手の体勢を崩す必要があるがオルオやエレン辺りなら躊躇なく行っていただろう。だが、昨夜からの記憶がないからといって年頃の娘と一夜を過ごしてしまったのだ、どの選択肢も選べない。それが故に今の状況がある訳だしな……考えつつ、シーツを元に戻し目に毒な肢体を改めて隠す。

 

 そもそも、俺は女子供に暴力を振るったことなど……たぶん、ないはずだ……。

 

「……う……ん……」

 

 ペトラの漏らした声とともに、さらに腕にかかる力が増すが考えないようにしていたことを強制的に思い出す羽目になった。さっきよりも、肘辺りに当たる柔らかい感触が強まっていく。

 

 ……さすがの俺も、仏や木の股から生まれてきた訳でもない。

 

 生き地獄とはこのようなことを指すのだろうか。もしくは、生殺しとでも例えるべきか。

 

 どちらにしても、新たに判ったことが1つある。ペトラは意外と着やせするタイプのようだ。まだ小娘と侮っていたが、この技といい認識を改めるべきかもしれない……。

 

 ともあれ、今無理に腕を抜けば肩を脱臼し兼ねない。今は天国と地獄の狭間で無心でやり過ごすしかないか……。

 

決して長考していた訳でもなく僅かな時間撤退の策を考えていたのだが、窓から注がれる本来爽やかなはずの早朝の光が室内を満たし始めていた。

 

 ここでペトラが目を覚ませば万事休すだ。今まで薄明かりの中、詳しくペトラの様子はうかがい知れなかったが、微かな寝息をたててすやすやとよく眠っている。すぐに起きそうな気配は感じられなかったが、油断は禁物だ。ゆっくりとした動作で軽く首を回し、改めてペトラの様子を伺う。何しろ何故このようなことになっているのか記憶がないのだから、少しでも何か判ればいいが……。

 

 よく考えれば、こんなに間近でこいの顔を見たことはなかった。若い女性らしくきめ細かな肌に、ブラウンの髪がいく束かしだれ落ちキレイに整った鼻筋の下には濡れたピンク色のような唇が僅かに開いていた。いつもは気丈に振る舞い、俺は俺で男女の区別はほとんどつけない。

 

 そのため今まで気づかなかったのか、今のペトラは年頃の普通の女性にしか見えず無意識に可愛いと思えてしまった。

 

 ……待て、俺。こんな状況で何を考えている、状況を確認することが目的だろう。ペトラの顔を眺め続けてどうする……と、視線を下げた途端時間が止まった。

 

 ペトラの着衣であるシャツに乱れが確認され、ボタンは上から4つ程外れており開かれた衣服の間から白い肌と同じ色の下着が、

 

 ばっと視線を外すが、しっかりと見てしまい脳裏に焼きついてしまった。

 

 これが俗にいう、裸Yシャツとやらの威力か……昨日まで考えもしなかったことをたて続けに見せ付けられ、さすがに足元にきているようだ。何とか理性を保って踏みとどまるが、これが俺ではなくオルオ辺りでなくて良かった。

 

 想像しかけ、何となく気に食わなくなったところで思考を停止する。理由についておおよそ察しはついていたが、あえて無視することにした。

 

 

 

改めて、ペトラ以外の室内の様子を確認する。

 

 ここがペトラの部屋だというのは、最初の時点で把握してある。荷物が少ないとはいえ、小奇麗にしているところはポイントが高い。さらに、見渡すと一脚だけある椅子に自分の上着がかけられており、ベッドのすぐ傍の床の上にはズボンが脱ぎ捨てられていた。

 

 ……ペトラの物に間違いないだろうが、問題は俺が脱がしたか、それともペトラ自身が脱ぎ捨てたかによる。場合によっては、どちらの転んでも俺が有罪になることもある訳だ……少なくとも自分の着衣も、ペトラ同様に乱れているといえば乱れている。考えたくはないが、部下に手を出している可能性もゼロではない。

 

 壁に頭をぶつけたくなる衝動を何とか抑えて、いつになくゆっくり回転する頭で考えるが昨晩の記憶がない以上答えは闇の中だ。ただ、非常に窮地に立たされていることに変わりはない。

 

 とりあえず、無策のままここにいるのは非常にまずい。退却ルートの模索に頭を切り換える。一番簡単なのは、窓から飛び降りることだ。俺の感知する範囲に人の気配や動きは感じられない。

 

 だが、それはあくまで把握できる範囲であって確実とは言えず、そろそろ起き出す者も出てくる頃だ。リスクがどうしても付きまとう。それに、どこの間男だ。そんな恥ずかしい真似ができる訳もねぇだろうと、内心で否決した。

 

 それらの理由に加え、ベッドの下、クローゼットに隠れるのは当然有り得ない。しかも、埃まみれの特典つきだ。論外だ論外。

 

 自然とため息が漏れた。

 

 何をやっているんだ俺は。やましいことはない、考えるまでもなく堂々と扉から出て行けばいいだけのことだ……。

 

 

 

 この関節技を外せればな!

 

 

 

 こうなれば、腕が抜けるかペトラが目を覚ますかどっちが先か運を天に任せるしかないか、不本意だがな……。

 

 実際の時間は判らないが、永遠とも思える拷問の末事態が動く気配がした……いや、察知した時には始まっていた。

 

 微かになにか呟きながらペトラがこちらに寝返りをうってきた、この瞬間を待っていたが俺の考えが甘かった。寝ているとは思えない自然な流れでペトラの手と体が動く。

 

 まずい、これは連絡技!!

 

 おそらく、ハンマーロックかリストロック辺りへの移行だろうがここにきて更に極めにくるとは……ちっ、この俺がまた後手に回るとはな。仕方ない……

 

 こちらに向きかけるペトラを肩で押し返しながら掴まれていた手をくるりと回し、僅かに空いた隙間にもう片方の手を差し込んでロックを解除した……したが、からだを密着させ過ぎたために気がつけば息がかかる位の距離にペトラの顔があった。さすがに、心臓が一瞬跳ね上がる。

 

 慌てたいところだったが、そのままペトラのからだを静かに横たえてそっと息を吐く。

 

 おいおい、まだ関節が柔らかく素早く対処できる俺だから助かったが、他の奴なら骨が逝きかねねぇぞ。だが俺も少しひやりとした……あのままだと、ますます最悪な状況になっていただろう。極められたままペトラが目を覚ましたシーンを思い浮かべ、背筋を寒いものが伝い落ちる。

 

 ともあれ、これでベッドをどうにか抜け出ることができる、長居は無用だ。スペースのないところから抜け出すために、少しずつシーツを潜りベッドの下の方にからだをシフトしていくが、途中素足の……おそらくペトラの太ももにまた手が触れるが無心で作業を続ける。

 

 そう、俺は今賢者で神だ。故に何も感じない。

 

 自分に言い聞かせながらやっと脱出した時には汗が頬を伝って滴り落ち、息も少々乱していたが無視してボタンを素早くかけ直して、さっさと上着を羽織る。

 

 あとはすぐ近くのはずが、何故か遠く見える扉を出ればいい話しだ……一歩踏み出す。

 

 

 

 ぎいぃぃぃぃっ

 

 

 

床が侵入者ではなく、脱走者を咎めるように無音に近い室内で騒ぎ立てる。

 

「ちっ、このボロ家が。いつか駆逐してやる……」

 

小声で呟きながらも、ペトラの様子に変わりが無いことを確認すると俺はそのまま扉まで歩き続けた。どのみち、音が鳴れば一緒だ。ここは開き直るしかない。

 

 それにしてもペトラのヤツ、全く気づく様子もない。殺気や気配がないから気づかないのだろうが、まだまだしごかないとダメだな。振り返りながらドアノブに手をかける。今なら確実に誰の気配もない。開く際に音が出るだろうが問題もないだろう。そのまま廊下に出るべく力を入れかけた時、

 

「リヴァイ……兵長……」

 

 か細い声。

 

 もしも扉をあけていたなら、きっと声は届かなかっただろう。

 

 何てタイミングだ。冷たい金属から手を離すとため息をつきながら振り返る。予想はしていたが起きたわけでもなく、仰向けになったまま微かな寝息が耳まで届いてくる。

 

「ちっ……」

 

 靴底から伝わる音も気にせずベッドの傍まで戻ると床に脱ぎ散らかされた洋服を回収し、ジャケットを先ほどまで自分の服が占領していた椅子にかけズボンはきれいに折りたたみベッドの隅に静かに置く。

 

 次に乱暴に脱ぎ捨てられた長靴を、同じく丁寧にベッドの下に揃える。

 

 くそっ、こんな時まで神経質な自分が憎い。

 

 

 

やるせない気持ちを何かにぶつけたい衝動を何とか押さえ、改めてペトラを見下ろすが今度はシーツが乱れて白い両足が揃って覗いていた。

 

 凝視はしない、俺は紳士だ。

 

 自分に言い聞かせながら無防備な部下を見ないように、シーツを可能な範囲で整えるとやっとひと息ついた。

 

 ついた傍から、ベッドの空いたスペースに腰を下ろす。

 

「……俺もヤキが回ったな」

 

 不本意かつ複雑な気持ちもあるが、どんな状況でもこっそり逃げるのはやはり俺の矜持が許さない。少なくとも一夜を共にしてしまったのだから、自分にも責任はあるだろう。バレなければいいという問題ではない。引き返してきたことにも後悔はない。

 

 観念することにした。

 

 まだ早朝といえる時間だが、そろそろ起きてもおかしくない時間だが見た限り起きそうにない。

 

「……」

 

 無意識だったと思う。

 

 そう感じたのは、右手をベッドの上につきもう一つの空いた手で、ペトラの少し乱れた髪を直している途中でふと気づいたからだ。

 

 今日の俺は本当にどうかしている。

 

 自覚しながらも、頬にかかった髪を梳るように撫でる。普段はあまり気にしたことはなかったが、栗毛がすっと指の間からさらさらと零れ落ちる。

 

 優秀な兵士といっても、女らしく手入れをしているのか。自分を含め他の隊員たちの髪を思い出すが、最後にオルオの顔が頭に浮かんだ時点で止めた。今日はオルオの顔が妙に頭の中で踊りだす。

 

 あいつはいっそ、丸刈りにした方がいいんじゃないか?

 

 一応、懸案事項として覚えておくか。

 

 まあ、それは後でいいとしてだ……

 

 つい髪を玩んでいたが、何で俺はこいつの頬を撫でている……今朝はどうも調子が狂いっ放しのようだ。

 

 皮肉気に口の端が上がり手を離しかけようとして、ペトラがそれを先に制した。

 

 視線を下ろすと右手が掴まれている。

 

 さっきもそうだったが、実はこいつ既に起きている疑惑が頭を過ぎる。

 

 あまりのタイミングの良さにすっと目を細めるが、寝たふりをしているようには見えない。そもそもペトラにそんな芸当はできるとも思えない。こいつを疑うとは本当にどうかしている。手を振りほどくことも可能だったが、何故だかそういう気持ちになれなかった。

 

 

 

 今まで知ることはなかった。

 

 今まで気づきもしなかった。

 

 

 

 いや、考えることを放棄していたのかもしれない。

 

 ペトラは年頃の娘らしい丸みを帯びた顔の輪郭が、美しい稜線を描いてあごの先で結ばれていた。おそらく女らしく肌にも気をつけているのだろう、柔らかで滑るような肌の感触が伝わってくる。

 

 それに比べ、重ねられたペトラの手の平から伝わってくるのは、硬く傷だらけの兵士の手以外の何物でもなかった。

 

 もし調査兵団に入らなければ、そもそも巨人などいなければペトラも街の娘たち同様に生き幸せな家庭を作っただろうか。俺はIfなど好きではないが、こういう静かで特殊な時間を用意されると目を背けていたことが頭の中に浮かび上がってくる。

 

 自然、自嘲気味にフッと軽く笑みを浮かべかけ、

 

 そして、その直後に硬直した。

 

「んん……兵長……そんなに……激しくしたら壊れちゃいます……」

 

「……」

 

「優しくし……」

 

「……」

 

「浮気……しないでくださいね……」

 

 おい、こらペトラ。なに好き勝手な夢見てやがる……俺が浮気する訳ない……いや、そもそも付き合ってないだろうが。

 

 思わず左手で逆さアイアンクローをかけたくなる衝動に駆られるが、とりあえず触れていた頬をふにっと引っ張るだけに留めるがきめ細かい肌が吸い付くように伸びる。

 

「……柔らかいな」

 

 何となく楽しくなってきて幾度か繰り返すが、はっと我に返り手を離すとしなるゴムのように肌が元に戻る。

 

 他の奴ならとっくの昔に窓から放り出していただろう。というか、俺は一体何をやっている……

 

 また頭を抱え込みたい気分だったが、そうさせてくれないのが今朝のこいつだ。

 

「……兵長、サングラス似合いますね、まるでマフィ……ごほごほ。あ、あとは帽子をもう少し目深に被ってもらって……マスクをつけてくれると完璧なんですけど、嫌ですよね?」

 

 嫌だ。

 

 それ、どこの不審者だ、その装備は……。

 

「兵長人気者ですから……ね。だから、右翼の島には絶対行かないでください。正体バレたら無事に帰って来れないかもしれません……ここは戦場です、特にエレリ、エルレ本は圧倒的ですから……」

 

 

 

 

 

「……」

 

「左翼の2つの島が攻略地点です。兵長は隣の島の……リヴァペト本……この紙に書かれたブースを押さえてください。私は、手前を……」

 

「……」

 

「……それ以外は買ったらダメですよ? ……リヴァハンなんか買ってきたら、浮気認定しちゃいますから……サシマスヨ」

 

 おい……黙って聞いていたが、浮気はともかく……ともかくじゃないが、何で相変わらず付き合ってる設定になってるんだ。

 

 それに、最後にさり気なく物騒なことを言われたような気もするが……きっと気のせいだろう。そうじゃないと、俺の中のペトラ像が崩れ去る……。

 

「……あっ……兵長」

 

 今度は何だ……。

 

「黄色の煙弾が……ハンジ分隊長とリコ班長たちが壁を……制圧したようです。買い忘れはないですし、撤退しましょう、ヒットアンドウェイが基本です……離脱したら、変装はメガネに変えましょうか……きっと似合いますよ、うふふ……」

 

 本当に嬉しそうに笑ってやがる……しかし、この俺が今度はメガネだと?

 

 想像しかけるが、全くイメージが沸かない。

 

 それよりも、ペトラの寝言を思い返してみて思い出したことがある。俺がまだ地下街を塒にしていた時、妙な噂を聞いたことがあった。

 

 年に2回、正規ルートではない書物の密売が行われていると。当初は3日ずつの開催だったらしいが、規制が厳しくなってきたことから1日の開催に縮め、まるで統制された軍隊のように素早く布陣し撤収するため未だに実態が掴めていないという話しだった。

 

 まさか、ペトラの漏らした言葉はそれに関してのことなのだろうか。後で本人に聞けばはっきりするだろうが、むしろその他のことで気になることがあった。

 

 ……エレリ、エルレ本だと?

 

 そういえば密売本にはカップルで描かれているものも多いらしい……リヴァペトというのが俺とペトラだとすると、考えたくもないがエレンとエルヴィンと俺という訳じゃないだろうな……。

 

 理解ができなかったから聞き流していたが、男同士の絡みを好む希少種が存在するという噂は耳にしていた。

 

くだらない都市伝説かと思っていたが、まさか実在するというのか……話しではその属性の種はこう呼ばれていたらしい、腐と。そうなると俺も犠牲者の1人となる訳だが……。

 

 瞬間、今まで感じたことの無い怖気が背を這い上がってくる。この俺としたことが何てざまだ、朝から何度も動揺するとは……まだ救いはペトラが腐ってはいないことだが、

 

「あ……」

 

「……」

 

 思考がペトラの囁くような声に遮られる。

 

 まだあるのか……。

 

「お帰りなさい、あなた……先にごはんにする? お風呂にする? それとも、わた……」

 

「……」

 

「……あな……兵長、スカーフに口紅の痕があるのですが、どういうことですか……?」

 

「……」

 

 気のせいだろうか、掴んでいるペトラの右手に力が篭もる。

 

「……3年目の浮気ってよく聞きますけど……まだ新婚なのにひどいです……」

 

 いやいや、ちょっと待てペトラよ。いくらなんでも展開が早すぎるだろうが。

 

 それに、お前を妻に迎えて浮気するチャラい男に見えるのか俺は……その前に何で新婚家庭な設定になっているんだ……しかも、専業主婦だと?

 

 何となく釈然としないものがあったが、夢の中でくらい幸せを味わってもいいだろう……だが、なぜ俺が相手になる。

 

 しかもさっきまで曇っていた顔が、今は笑顔に変わっていやがる。

 

判りやすいくらいにころころ変わる表情にしばらく目を奪われ、胸の中の空洞を一瞬なにか暖かいものが突いてきたがそれは僅かな間のことで、しばらくすると背を貫いていった。

 

 久しぶりに味わった感覚だが、それに浸るつもりはない。それは今までもこれからも変わることはなく、俺は家庭を持つつもりも資格もないということも理解している。

 

 今も結婚という言葉を聞かなければ、これも再認識することもなかっただろう。

 

 だが、こいつは違う。まだ若く先もあるだろうし、相手にも困らないはずだ。調査兵団内でも割合人気もあると聞く。特に同期のオルオたちにも……いや、その線はないな。オルオの態度から察するに好意めいたものを感じているようだが、攻略の難易度が高すぎる。素手でウォールマリアの壁を登るようなものか……。

 

 そこまで思考を巡らせていたが、いつまでもこの状態でいるのはあまり良くない。

 

 良くないが、さっきより俺の手を握りしめる力が強くなっている。これがハンジなら頭突きで強制的に起こすところだが、女に暴力はいけない……。

 

 いや、本当にそうか?

 

 俺は男だろうが女だろうが、区別も差別もしない。どうも今日は、俺らしくない。まだ頭が冴えきっていないのだろう、ぼんやりと宙に目を這わせる。

 

 言い訳だな、俺は今の僅かなひと時を楽しんでいることを認めるべきだろう。ただ、その先を考えたくないだけだ……。

 

「兵長、オルオとエレンが……」

 

 ……もう驚きはしない、まだ続くとは思っていたさ。

 

 

 

ポンポンと頭を軽く叩いてみるが、ふわっと笑顔になるだけだった。が、

 

「……巨人に。兵長どいて、そいつ削れない……兵長は私が守り……」

 

 表情と内容が一致してねぇし……俺がオルオとエレンに後れを取っているだと……?

 

 状況は全く解らないが、とりあえず夢の中の俺頑張れ負けたら削ぐぞ……しかし、俺の出演頻度が高すぎるだろう。起きたら、ペトラを締め上げてやろうか。

 

 いや、今……。

 

 改めて頭に手を伸ばし掴もうとした刹那、計ったようにペトラの目がゆっくりと開かれ、しばらくぼんやりしたあと頭に置かれた手にまず気付き、恐る恐るといった風にこちらに顔を向けて視線と視線がぶつかった。

 

「……」

 

「……あ……え、えっ?」

 

「……」

 

「きゃ、きゃあ……むぐぐっ」

 

 予想していた反応に、素早く口を塞ぐ。

 

「落ち着け、怪しい者じゃない……理解したか?」

 

 こくこくと頷くペトラ。

 

「手を放すから、騒ぐなよ」

 

 こくこくこく。

 

 手を放すと、ペトラが深呼吸する。

 

 そして、ギギギと音をたてるかのようにこちらに顔を向けてきてから、半瞬遅れてバネ仕掛けのように起き上がり壁際まで後ずさる。

 

「あ、あの兵長……ここ私の部屋ですよね。どうして兵長がここに?」

 

「……知らん、目が覚めたらお前の横で寝ていた。ペトラ、お前はどうだ昨夜のことを覚えているか?」

 

「ええと、そういえば私も昨夜のことはおぼろげで」

 

「そうか……それより、自分の胸元を見ろ。早くボタンをはめろ」

 

「え、胸元? え、え、うわああああっ……」

 

 開いたシャツに気付いたペトラが叫びそうになるのを我慢しつつ、慌てて前を隠すのを横目で見ながらズボンもついでに枕元に置く。

 

「床に脱ぎ捨てられていた。後ろをむいていてやる、さっさと履け」

 

「こ、これは……」

 

「一応、言っておくが俺は脱がした覚えはないからな。お前、寝ている間に脱ぐ癖でもあるのか?」

 

「いえ、ないはずです……あ、あの、兵長は見たんですか?」

 

 何をだ、と言うほど俺も野暮じゃない。ここは正直に答えておいた。

 

「見たというより、見えたというのが正確だな。悪かった」

 

 少し涙声になっているペトラに、できるだけ優しく言ったつもりだが伝わっただろうか。まさかこの俺が、ここまで気を使う羽目になるとは夢にも思わなかった。

 

「い、いえ、仕方ないことですし気にしていません。それに、ヘイチョウニナラ……」

 

「何か言ったか?」

 

「あ、い、いえいえ。その、もう大丈夫です。服は着ました」

 

「……」

 

 身だしなみを整えたペトラが、ベッドに正座していた。もう少しくつろげとと言いたいところだが、妙にそわそわして心なしか顔が赤くなっている姿を見せられて言葉に詰まる。

 

 しばらくの沈黙。

 

 ちっ、居心地が悪すぎだろう。仕方ない、こっちから切り出すか。

 

「とりあえず2人とも記憶がないということは、何か食事に混ぜられた可能性がある。強いアルコールなら判らない訳もない……だからハンジの仕業かもしれん。アイツならやりかねん。それは、後で俺が吐かせる」

 

「は、はい……それはお任せします。あ、あの、他にお聞きしたいことがあるのですが」

 

「……言ってみろ」

 

「あの、なんで私が起きるまで待っていてくれたのかなって。それと、起きた時に私の頭を触っていたような気がするんですが……」

 

 ……できるだけ触れないようにしていたつもりだったが、頭を掴みかけたのはさすがに覚えていたか。

 

「……別にやましい気持ちもないからな。それに、俺の手をお前が握り締めてきたから逃げ損なった訳だ」

 

「そういえば……でも、普通なら逃げそうなのに兵長はやっぱり違いますね。あの、じゃあ頭は……」

 

 自分の右手を見つめるペトラは、どこか頬が緩んでいるように見えた。

 

「お前の髪が乱れていたから、暇つぶしに触っていただけだ。なかなか起きねぇもんだから……撫でていれば起きるだろうと思ってな」

 

 嘘は言っていない。

 

 ずっと髪や頬を触っていたなど勘違いされかねない……まだ指の間を滑るように流れ落ちたペトラの髪の感触が残ってはいるが、それも言う必要はないだろう。関節技諸々についても、今度ゆっくり聞けばいい話しだ。必要以上に話せば、誤解が生じかねない。

 

 そもそも俺もどうかしていたしな……記憶の隅に追いやりながら僅かに視線を逸らす。

 

「あ、あの、髪整ってなかったと思うのですが、その変じゃなかったですか?」

 

「……いや、よく手入れされているようだ問題ない。お前も年頃の娘って所か、ペトラ」

 

「あ、いえ、そういう訳じゃ……でも、安心しました」

 

 

 

いつも身だしなみはきちんとしているペトラだが、本人は自分が異性の目を引く存在だということに意外と自覚がないものだな。もっとも、俺も実感したのはつい先ほどだが……待て、俺。何を考えている……それと、俺も確かめなければいけないだろう。

 

「……ペトラ、俺も聞きたいことがあるんだが」

 

「はい、何でしょう兵長」

 

「俺は軟弱で軟派な男に見えるのか?」

 

「え? 全く見えませんし、むしろ真逆だと思いますが……」

 

「……そうか。もう1つ、俺には無縁の話しだが仮に交際相手や家庭があったとして、浮気するように見えるのか?」

 

 俺の言葉に、やや俯きかげんだったペトラがぽかんとした様子で真っ直ぐに視線を投げつけてくる。

 

 何秒たっただろうか、はっと我に返ったようにペトラが身を乗り出し、その分だけお互いの距離が縮まる。

 

「兵長に限って、そんなことする訳する訳ありません!」

 

「……」

 

「……あっ、すみません。つい……あの、さっき兵長には無縁と言っていましたが、その……誰かと付き合うつもりは全くないんですか?」

 

「……」

 

 そう来たか。そういえば、あまりそういうことを考えたことは無かったな……いや、さっきも考えたように俺には考える資格も権利もない。

 

「今は巨人と強制的に付き合わされているからな。まあ、どの道俺みたいな奴とそうなりたいと思うような物好きはいないだろ。もしいれば、面拝んでみたい気もするがな」

 

 俺の言葉に、ペトラがぽかんとした様子で真っ直ぐに視線を投げつけてくる。

 

 軽いデジャヴのようなものを感じたが、微かに異なるのは驚くように見開かれた目だった。しかも、僅かに距離も縮まっているような気もする。

 

「……」

 

「……」

 

 ペトラの目が泳ぎまくり沈黙に耐えかねたのかそれともなにか思うところであるのか、やっと視線を絡ませてくる。

 

「……あ、あの、私兵長のこと好きですから……もう拝んでいますよ?」

 

「……嘘をつくな。気休めはいい」

 

 少しの間。

 

「あはは、バレちゃいました? でも、お慕いしているのは本当ですよ」

 

「……そうか」

 

 ペトラの貼り付けたような笑顔を、あえて自分の中で見なかったことにした。

 

「……あ、あの兵長。その、突然交際とか浮気とか、何かあったんですか?」

 

「……お前が何度も、俺を浮気者扱いしていたからだ……寝言でな」

 

「え、え、えぇぇぇっ!?」

 

 一気に距離が広がった。

 

「その分だと、夢の内容は覚えてないようだな……」

 

「は、はい、もちろんです! そんなこと微塵も思ったことありません!!」

 

「……判った、もういい。所詮、夢は夢だからな」

 

「は、はい。信じてくれて、ありがとうございます……」

 

 ころころと変わる表情、笑顔に少しだけ見とれ何か思いかけるが視線を外して席を立つ。

 

 これ以上、女の部屋に長居は無用だ。

 

「……さっき言った通り、昨夜のことはハンジに確かめる。お前も何か思い出したら言え」

 

「はい、判りました」

 

 我ながら悪趣味だが、扉を開けつつ振り返ると、

 

「……言い忘れたが、リヴァペト本以外は浮気とも言ってたぞ」

 

 空白の間を、ドアが遮断する。

 

 しばらくして背中越しにペトラの悲鳴が聞こえたような気もするが、聞かなかったことにしてやるか。床を踏みしめ、窓から射し込む光に目を細めながらいつになく温かい気持ちになりかけたが、廊下の先に佇む2人の部下を見たことであっさりと霧散した。

 

「エレン、お前ペトラに甘やかされているからって調子に乗るなよ。大体な……」

 

「だから、そんなつもりはないですってオルオさん。ペトラさんは、確かに優しいですけど……」

 

「あん? まさか、お前ペトラのこと……」

 

 

 

何となくイラッとしたので、2人まとめて蹴り飛ばした。

 

 

 

 

2話に続くと思う……

 

 

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