(今なら行ける……! 待っててパパ、ママ、皆。トワが絶対に、仇を打つから!)
強い思いを秘めた悪魔が、あの日の気配を頼りに薄暗い森の中を駆け抜けていた。
× × ×
常闇トワの生まれ育った故郷は決して裕福な環境ではなかった。
それでも、悪魔族の集落での暮らしはそれなりに幸せでもあった。
家族や仲間達と狩りをしながら自給自足で暮らす暮らしに、特に不満などなかった。
大きな街や国では精霊族との戦争が勃発しているようだが、こんな辺境の地まで火種が飛んでくることも無く、トワ達は平凡に至って平和に毎日を過ごしていた。
──あの日までは。
「ママ……? パパ……?」
この日は1人で狩りに出かけていた。何の変哲もない普通の日常だったはずだ。
ただ、森の動物がいつもより警戒心を強めていたのは確かに気にはなっていた。
結局、1匹も捕まえることができずに集落に戻ってきたら、常闇トワの暮らす悪魔族の集落はこんな辺境の地まで攻め込んで来た精霊族の部隊に蹂躙されていた。
鋭い刃のような切り傷を全身に受けて絶命している者。炎に焼き尽くされて全身の皮膚が焼け溶けて絶命している者。体には傷1つ付いておらず綺麗に首だけが切断され絶命している者。
既に死体と化している誰もが知り合いで、昨日も、今朝も話した人たちが軒並み殺されていた。
混乱しながらも戦争中の精霊族がこの集落に攻め込んで来たという現状だけは把握したトワは、未だに集落の中を巡回する精霊から身を隠しながら自分の家を目指す。父親と母親の安否を確認する必要があるからだ。
(パパ、ママ……無事でいて……!)
何とか自宅の向かいの家まで辿り着いたトワは、物陰から自宅の様子を窺う。
ここに辿り着くまでも、見知った顔の死体がわんさかと転がっていた。だが、その中に両親の死体は見当たらず、微かな望みに懸けてここまでやって来た。
「…………」
だが、それもどうやら無駄に終わったようだ。
それは恐らく両親だったものだろう。
家屋の壁にまるで虫が潰されたような赤黒い跡が2つ残されていた。
そのすぐ下の地面には見覚えのある衣服と、申し訳程度の臓物が散らばっている。
「……ァ、……ァァ」
その場に座り込み、信じたくない光景を目の前にして涙を流しながら小さく喘ぐことしかできないトワ。今この現状を把握することはできても、それを受け入れ、戦争中なのだから仕方がないと割り切れるほど、常闇トワは大人ではない。
ただ、今この場で敵討ちだと出て行ってあの精霊達を相手に立ち回れるかどうかが分からないほど、常闇トワは子供でもなかった。
『隊長、この集落の悪魔族は全て殲滅いたしました』
1人の男の精霊が隊長と呼ばれた女の精霊に声を掛ける。
どうやら、トワの生まれ育った故郷であるこの集落は彼女達によって全滅、占拠されてしまったらしい。
『これからどういたしますか?』
『ここは敵を挟み撃ちに出来る絶好のポイントよ。我々はここを拠点とし、本部の指示を待つ』
『それにしても、こんなところに敵の集落があるとは思いませんでした。しかも武装も何もしていない状態でしたし』
『当たり前でしょ。ここにいた悪魔族は軍人でも何でもないただの民間悪魔よ。武器だって畑を耕すクワくらいしかないわよ』
『……え、えっと、我々は辺境にある敵陣営を乗っ取るという作戦だったのでは?』
『それは貴方たちの戦意を削がないようにするための方便よ。ここに住んでいたのは戦争の余波すら見逃す程の田舎で自給自足をするただの非戦闘員。でも、別に関係ないでしょ? 彼ら悪魔だって非戦闘員の精霊を何人も殺してきてる。お互い様よ』
『……は、はい』
2人の話を家屋の影に隠れながら聞いていたトワはゆっくり立ち上がると、もう一度しっかりと隊長と呼ばれていた精霊の顔をその脳裏に焼き付ける。
きっと彼女も上からの命令に従って動いているのだろう。
それが戦争というものだ。
(理解はできる。ああ、理解はできるよ。それが戦争だもんな。この争いには一切関わりを持たずにただ平凡に暮らしていただけのトワ達が流れ弾で死んでも、それが戦争だもんな。ああ、頭の良いトワは全部全部理解できてるよ)
常闇トワの何かが切れた音がした。
× × ×
「どれだけこの日を待ちわびたか……! あいつは絶対にトワが殺す! 殺してやる!!」
そのために、憎くて仕方がないエルフに媚びへつらい、情報を聞き出した。
そのために、何度殺されそうな場面に陥っても挫けずに生にしがみついた。
恐らく、契約を裏切ったトワは今日あの2人に殺されるのだろう。
それでも、全てはあの日の精霊を今日ここで始末するため。
それさえ叶えば、本来あの日に集落の皆と一緒に死ぬはずだったこんな命、いくらでもくれてやる。
エルフの里で行われる10年に一度の精霊祭。この日はエルフを加護している森の精霊がエルフ達の儀式舞で出迎えられて、森の中にある祠に現れるという。
そしてそのエルフに加護を与えた森の精霊と、トワの故郷を滅ぼしたあの精霊が同一精霊であるということも、既に確認済みである。
「……! 始まったか」
遠くから笛と太鼓の音が聞こえてくる。
エルフの里にて儀式舞が始まったのだろう。
この儀式舞は、精霊が住む精霊界とこちらの世界の道を繋ぐ役割を果たしているということは雪花ラミィから聞いている。つまり昔悪魔族と戦争をしていた頃とは違い、精霊もこの儀式舞がなければこちらの世界にやってくることはできないということだ。
昔は自由に行き来できていたというのに、今は他人の力を借りなければ世界を渡り歩くこともできなくなっている。その理由は単純明快で、あの時の戦争は確かに精霊族の勝利で幕を閉じたが、悪魔族も精霊族に簡単には癒せない深手を負わせたということだ。
エルフの里では精霊とエルフの関係性はこれ以上なく美化されて描かれている。
だが、実際のところは違う。精霊がエルフに加護を与えたのは、別に献身的なエルフに心を打たれて長寿と自殺のできない身体を与えたわけではない。
精霊は献身的なエルフを利用し、こちらの世界に自分達の力を少しでも残しておくために加護を与えたに過ぎない。エルフを長寿にしたのも簡単には種を絶やさせないようにするため。言わば、自分達の分身をこちらの世界に置いてきたに過ぎないのだ。
(でも、他人の手を借りないといけないくらい弱ってるなら、トワでもやれる。もう……何もできなかったあの頃とは違うんだ。一瞬、一瞬の隙さえ突ければ……!)
笛と太鼓の音に加え、鈴の音が響く。
しゃらんと一度鳴ると、迷いの森に一筋の光が射し込み。
しゃらんと二度鳴ると、祠の周りに淡い光が立ち込める。
しゃらんと三度鳴ると、穏やかな温かい風が頬を撫で。
しゃらんと四度鳴った時──、祠の扉が勢い良く開かれる。
それと同時に飛び出すトワ。
その手には三又の槍が握られており、開いた扉から吹き出す煙に向かって特攻を仕掛ける。
だが、その槍は祠とトワの間に現れた人影によって受け止められてしまう。
「お前は、昨日の光ヤローか……!」
「昨日の魔法は止めておいた方がいいよ。あの魔法は1人ずつにしか掛けることができない。そして魔法を掛けている間は自分も無防備になる。じゃなきゃ、わざわざあんな風にやられたフリをする必要がない。あれは無防備になるという欠点を隠すためのブラフ。やられたフリをして初めから無防備になっておけば、初見ではその欠点には気付けないからね。ちなみに、今は別の2人がいつでも君を攻撃できる態勢に入ってるよ」
突然現れたねねに槍を摑まれ、さらには夢見の魔法まで看破されてしまったトワは舌打ち交じりに周囲に警戒を広げる。
(確かにこちらに向けている敵意はあと2つある。だが、視認できてない以上、ここで魔法を掛けられるのは目の前のこいつだけ。でもトワの魔法を看破している以上、簡単に夢見の魔法は使えないぞ!)
ねねの背後にある祠から吹き出す煙が先程よりも勢いを増していることに気が付いた。
(くそっ、こいつのせいで間に合わなかった……)
祠から吹き出した煙が徐々に人型へと形作られていく。
その容姿は、あの日にしっかりと脳裏に焼き付けたものと完全に一致した。
目の前に仇がいるというのに、奇襲が失敗したトワはまた何もできなかったと肩を震わせる。
一撃で決める予定だった。不意打ちだろうと知ったことではない。精霊である彼女は悪魔であるトワを認識した時点で敵とみなし殺しに来るだろう。たとえ弱っていても正面から戦えるような相手ではない。だからこそ、向こうがトワを視認する前にその首を落とす必要があったのだ。
だが、それももう叶わない。
真っ白な煙から完全な人型に形成された精霊は、目の前にいるトワを見つけると何かを言葉を発しようとしたのか口を開きかける。
しかし、その声が発せられることはなく、突如頭上から現れた氷の少女によって森の精霊はその首を落とされていた。