(……くそっ、だから会ったりせずさっさとこの都市を潰したかったのに……マジあの鬼娘、許さねぇ)
巨大津波の影響による激しい海流の中を猛スピードで泳ぐその姿は、紛れもなく海のギャングだった。
──シャチの獣人。
港町に住む者達からは海の戦闘民族と呼ばれており、仲間意識が強い一方で、戦闘狂いな者も多いと言われている。
今から約15年程前の話になる。
水上都市アトランティスにて、ボロボロに傷付いた1人の幼女が打ち上げられた。
「あずちゃん? どうしたん?」
「かなたん、あそこになんかいる」
AZKiが指差す方を見てみると、そこにはブカブカのフードを被った幼女が水浸しで倒れていた。
「……このフード、シャチの獣人か?」
シャチの獣人は一族皆同じフード付きの上着を着ると言われている。そして、この幼女が着ている上着も噂に聞く物と同一の物であった。
かなたは倒れている幼女の体を起こし、フードから覗く顔を確認する。
幼女に意識はなく、顔や体の至る所に生傷が出来ていた。
「あずちゃん、お風呂って沸いてたっけ?」
「うん」
「じゃ、1回帰ろうか。傷はすぐ治せるけど、体が冷えきってる」
これが、かなた・AZKiと沙花叉クロヱの出会いだった。
× × ×
「儂は反対だ。かなた様、確かに貴女様は天使でこの都市を創ったお方だ。だが、もう今ではこの都市にも住人が増え、多種族の老若男女、色んな人が住んでいる。そして、その者達の共通点としては、皆過去に争いで心を消耗してしまった人達が安寧を求めてこの地に来ているということだ。貴女様もシャチの獣人がどういった種族かご存知でしょう」
「でも、あの子はまだ子供だよ」
「子供でも、シャチの血が流れているんです。どうか、考え直してくれませんか」
「……僕がちゃんと責任を持って面倒を見る」
「かなた様……」
この都市でかなたの次に最も長い期間住んでいる長老にシャチの獣人を育てることを反対されるが、かなたは責任もって育てるとその反対に反抗する。
「……かなたん」
「どした、あずちゃん」
「あの子起きた」
「おけ。今行くよ」
かなたを呼びに来たAZKiの頭をポンポンと撫でながらかなたは目を覚ましたという幼女の下へ向かう。AZKiも長老に一礼してからかなたの後を追う。
「おーい、起きたかー」
かなたは家に戻ると、風呂に入れて毛布に包んでおいた幼女に声を掛ける。
「おはよう。名前言える?」
「……さかまたくろえ」
「僕は天音かなた、こっちはあずちゃん。クロヱ、家族は?」
かなたの質問に、クロヱは無言で首を横に振る。
「……そう。あ、ちなみに今日からここがクロヱの家だから。好きにしてていいよ」
「……え」
「あずちゃん、家の中案内してあげて。部屋は──まぁ空き部屋はたくさんあるけど、しばらくはあずちゃんと同じ部屋でいいか。いいよねあずちゃん」
「うん」
「え、あの……」
「こっちこっち。あそこがキッチンで──」
クロヱの手を引き、お姉さんぶりながら家の中を案内するAZKiと、強引なAZKiにどこか困惑気味のクロヱ。かなたはそんな2人の微笑ましい様子を見ながら、さて、とアトランティスの住人を説得しに腰を上げた。
× × ×
「あのさ、なんで沙花叉はあずちゃんのことは先輩呼びで、僕はさん付けなの?」
クロヱがかなた達に引き取られてから5年が経った頃、ある日突然かなたがそんなことを言い出した。ちなみに沙花叉という呼び名は自分の父と母を忘れないようにとクロヱ本人からそう呼んでほしいと頼んでから、かなたもAZKiもそのように呼ぶようになっていた。
「へ? そりゃあAZKi先輩の方が沙花叉より数年早くかなたさんに拾われてるし、かなたさんは天使で物凄く年上だから」
「でもさ、僕だけさん付けだと、凄い距離を感じるのよ。ここは1つ、僕のことも先輩呼びしてよ」
かなたのよく分からない要望に首を傾げながらも、クロヱは仕方ないので願いを叶えてやる。
「うーん……かなた先輩?」
「……おお、いい」
「何か違うのかな?」
「さあ? じゃあ私もかなた先輩って呼んだ方がいい?」
「いや、あずちゃんはかなたんのままで。僕の事をそんな風に呼ぶのは2人だけだから、その特別感を味わわせて!」
「ああ、そう……」
かなたのこだわりが良く分からない2人だったが、まぁかなたが楽しそうなので良しとしよう。
そんなくだらないことを話していたのが、沙花叉クロヱが10歳になる頃の話だ。
幼女だった彼女は少女へと成長していき、天使であるかなたと、女神のように純粋な心を持つAZKiと一緒に暮して来たからか、当初この都市の人達が心配していたようなことが起きるようなことはなかった。
──あの日までは。
「…………」
少女の手が真っ赤に染まっていた。
ああ、何だろう。懐かしい感覚だ。
「あ、沙花叉。そんなところで何してるの?」
背後から実の姉のような優しい声が掛けられる。
その声にクロヱはゆっくり首を振ると、何でもないよと背中に両手を回しながらお姉ちゃんが大好きな妹のような可愛らしい笑顔で振り返った。
× × ×
「アトランティスの守り神?」
「そ。僕が地上に降りるときに一緒についてきた相棒で、本来は守り神でも何でもないんだけどね。大昔、それこそ僕がこの都を創って間もない頃に、この都に移住してきた人がたまたまアルトスを見てしまって、瞬く間にこの都を守る守り神だっていう噂を広めちゃってさ。彼も帰るに帰れなくなっちゃったわけよ。だから今はあまり人にその姿を見られないようにするために、海の底の方に身を隠してるのさ」
「ふぅん」
かなたの話に12歳となった沙花叉クロヱは興味なさげに椅子の背もたれにもたれ掛かる。
これまで何百何千と海に潜ってきたが、そんな生物見たこともない。かなたのことだから、そんな嘘を吐くとは思っていないが、人間に見つかったくらいで身を潜めるような生き物にあまり興味もなかった。
「あいつ昔は僕と一緒に色んな敵に恐れられてたのに、変わっちまったよ。天より舞い降りし白銀の天使と大海を支配する神の使者アルトスと言えば有名だったものよ」
「何それ、かなた先輩の夢の話?」
「ちっげーよ! 本当に大昔戦場でそうやって恐れられてたの!」
「あれ? かなたんは最も攻撃力の高いヒーラーじゃなかったっけ?」
「それはまた別の戦争! これはもっと昔の話」
「ふぅん。じゃあ、本当に昔はそのアルトスっていうのは強かったんだ」
「じゃなきゃこの僕の相棒なんて務まらないよ」
「「…………」」
「何だよその目は!」
冷めた目で見られブチ切れるかなたと、そんなかなたが余程面白かったのか、爆笑するクロヱとAZKi。
そんな面白おかしく幸せな日々が崩れたのは、その翌日のことだった。
× × ×
「落ち着けアルトス!!」
かなたの必死の制止も怒り狂うアルトスには届かない。
海は荒れ、嵐が吹き荒れ、稲光が迸る中、1人の少女と1体の神話が対峙していた。
「オイオイオイオイ!! アトランティスの守り神様は鯨のような姿をしてるんじゃなかったか!? これじゃまるで龍じゃんか!! いいねいいねぇ!!」
全身に切り傷を負いながらも目は爛々と血走り、黒いフードの上着をバタバタとはためかせたクロヱは三日月の如く口角を上げ、喜々としてアルトスに襲い掛かる。
『調子に乗るなよ小娘がァ!!』
大きな口を開きながら咆哮を上げるアルトス。
クロヱはそれに怯むことなく、一度海に潜ると物凄い速度で泳ぎ、アルトスの背後を取る。巨大なアルトスにはできない小回りでクロヱはアルトスの鱗に鋭い爪を立てるが、目を見開く頑丈さに小さく舌打ちをする。
「かなた様! これはいったい──」
「下がってて! 津波被害に備えてアトランティスを覆う結界を展開する!」
長老を含む住人達を下がらせ、かなたは胸の前で両手を組む。
(アホ叉! 何やってんだよアイツ!)
あの2人を止めに行きたいところだが、かなたがここを動くと津波によってアトランティスが沈められかねない。
何をすればアルトスをあそこまで怒らせることが出来るのか分からないが、かなたの声が全く聞こえていなかったように思える。
爪が通らなかった鱗は諦めてクロエはアルトスの顎下辺りに移動すると、アルトスが怒り狂う直前に爪を立てた1枚の鱗を発見する。
それを見つけたクロヱは不敵な笑みを浮かべ、勝ちを確信する。
どんな相手だろうと弱点というものは存在する。
硬い鱗と高い攻撃力を誇る守り神とも、神の使者とも呼ばれている大海の支配者アルトスにも弱点は存在するのだ。
軽く爪を立てるだけで激高する程の大弱点が。
「そこがお前の逆鱗か!!」
そして、海の戦闘民族と呼ばれるシャチの獣人──沙花叉クロヱにも、弱点は存在する。
古今東西。
人が一番油断する時とは、勝ちを確信したその瞬間である。
その弱点はシャチの獣人である沙花叉クロヱも、例外では無い。