天音かなたがアトランティスを覆う結界を解除したのは、嵐が過ぎ去ってからだった。
波打ち際に打ち上げられたのは、見るも無残に全身を噛み千切られ絶命した、大海の支配者。そしてその隣には右足を食い千切られた沙花叉クロヱがいた。
(……確かに昔の大戦で傷を負い、戦場から離れて数百年は経っている。だが、かつては天界軍の第一戦線にいたような奴だぞ。いくらシャチの獣人とはいえ、相手は大海の支配者とまで呼ばれた相手だ。それを……)
千切れた右足に強く布を結び、止血を試みる。
すぐに傷口を癒すことはできるが、一度傷口を塞いでしまうと、二度と右足を修復することができない。今はAZKiが別岸に流れ着いていた食い千切られた右足を取りに行っている。
「かなたん! 足あった!」
「ナイスあずちゃん。早く貸して」
クロヱの足を持ったAZKiが戻ってくる。AZKiから足を受け取り、かなたはクロヱに修復魔法を掛ける。
すると、2人の背後に人の気配を感じた。
「かなた様。その者を助けるのですか?」
背後に近付いてきていたのは、アトランティスの長老と数人の住人だった。
「……どういう意味?」
「その者はこの都市の守り神様を殺したんですよ」
「アトラスは守り神でも何でもない。昔から言ってるでしょ」
「そうでしたね。貴女様の昔ながらの仲間だと聞いておりましたね。その昔のお仲間を、その者は貴女様の目の前で殺しました。貴女はその者を拾われた時、何と仰っておりましたか? その者が、次は我々に牙を向かないという保障はどこにありますか?」
「…………」
「私は、いつかこんな日が来るのではないかと思っておりました。幼かろうが、天使が育てようが、その者には戦闘民族の血が流れているのです。だから、私はあの日反対を──」
「沙花叉クロヱは僕とあずちゃんの家族だ。傷は治す。邪魔をするなら下がっててくれ」
「……そうですか」
かなたの一声に長老達は一礼してその場を後にする。
しかしその後ろ姿には、何かを決意するような意思が感じ取れた。
「かなたん……」
不穏な空気を感じ取り、不安げな表情を見せるAZKi。そんなAZKiの頭を一撫でし、かなたはクロヱの治療に戻る。
(……このお馬鹿が起きたら3人で別の所で暮らすってのもアリ、かな?)
右足を食い千切られた状態でその後も海の中を泳ぎ回り、アルトスを追い詰めていったクロヱ。
当然止血もしていない状態だったため、血が流れ過ぎている。右足を修復したとしても一命を取り留められるかどうかは半々といったところだ。
「かなたん……沙花叉の脈拍が……」
「……!」
「戻ってきた」
ガクリと肩を落とす。
一瞬流れた嫌な予感が安堵の溜め息と共に吐き出される。
「……よし、今日はこのまま休ませよう。話はまた明日からだ」
AZKiはかなたの言葉に頷いてからクロヱを背負い、一緒にかなた宅への帰路へ着いた。
× × ×
ふと、意識が覚醒した。
重い体をゆっくりと起こし、今の自分の状態を確認する。
服はいつも着ている寝巻で、場所もいつも寝ている自室のベッドだ。
何もおかしなところはない。いつも通りだ。
窓から差し込む月明かりに照らされた自分の両手を、クロヱはジッと見つめた。
「いやー、良いものを見させてもらったよ」
「……!?」
突然窓の方から聞こえてきた声に振り向く。
そこには大きな2本の角を持った少女が、窓枠に腰を掛けていた。
「誰だ……!?」
「自己紹介か? 仕方ない、良いものを見せてもらった礼だ。特別に吾輩から名乗ってやる。吾輩のお名前はラプラス・ダークネス。いずれ、この世界を統べる者だよ」
いきなり現れた少女に怪訝な表情を向けるクロヱ。
だが、ラプラスと名乗る少女はそんなことはお構いなしに、話を進めていく。
「大海の支配者アルトスをたった1人で倒してしまうとはな。気に入ったから、お前に吾輩と一緒に来る権利をくれてやるぞ」
「はぁ?」
「退屈なんだろ? 今のこの生活が。我輩と来れば、毎日のように血湧き肉躍る戦いを用意してやるぞ」
「……失せろ」
取り合う気なしとクロヱは再び毛布を被りラプラスに背を向ける。
「そういや、お前の育ての親の天使な、今この都市でだいぶ危うい立場にあるぞ」
「……は?」
「ま、そりゃそうだ。住人の反対を押し切ってまで、責任を持って育てると言ったにもかかわらず、その獣人は都の守り神を殺しちまったんだからな」
クロヱは身体を起こし、ラプラスを睨みつける。
「……何の話をしてるんだ?」
「今のお前と、あの天使……あとついでにあの人間の女の立場だよ。この都市の住人からしたら、真っ当な理由が出来たちょうどいい機会かもな」
クロヱ自身、昔からこの都の住人達にそこまで良い顔をされていないことは気が付いていた。どこか怯えられているということに当然気が付いていた。それでももう10年以上はこの都にいて、人生の8割以上をここで暮らしている。
「ラプ」
「おー、どうだった?」
突然窓の外側に瞳を黄金に輝かせ、大きな翼を広げた女性が現れる。
「ラプの言った通りだね。どうやって天音かなたをこの都から追い出すかの話し合いが行われてる」
「……!」
「だ、そうだ」
興味本位だった。
ここまでの大事になるなんて、考えてもいなかった。
ただ、本能に従っただけだった。
「それがお前に流れている血だよ」
昔、それこそまだこの都で拾われたばかりのこと。
あまり昔のことは覚えてないし、それが何歳頃のことだったかも覚えていない。
それでも、彼女の言葉だけは鮮明に覚えていた。
『僕はこの水の都が大好きなんよ。僕が創ったから思い入れがあるってのもちょっとはあるかもしれんけど、ここに住む住人も含めて、アトランティスを愛してる』
「…………」
きっと、かなたを追い出そうとしている一派はそこまで多くない。住人のほとんどが、天音かなたという天使に敬意を払っている。だが、都合の悪いことにその一派はこの都で中途半端に権力を持っているのも確かだ。
(それなら、そいつらを殺せば……──)
「そいつらを殺せば、今度こそ天使の立場は地の底に落ちるだろうな」
クロヱの思考を先読みするラプラスに、クロヱは唇を噛み締める。
「3日だけ待ってやる。その3日をどう使うかは、お前に任せるよ。行くぞルイ」
そう言い残し窓から飛び降りたラプラスを目で追うこともせず、クロヱは呆然と己の手を見つめる。
この時既に、沙花叉クロヱの考えは纏まっていた。
これだけ大事になった今でも、大海の支配者アルトスに挑んだこと、そして倒したことを微塵も後悔していない。あの時の高揚感に身を任せたことを一切後悔していないのだ。
クロヱは確信した。
この感情。この思考回路。
──ああ、これが戦闘民族の血か。と。
× × ×
「珍しいねラプ」
「あ? 何が?」
アトランティスを一望できる丘で、ラプラス・ダークネスと鷹嶺ルイは並んで芝生に座り、ルイの手作りサンドイッチをもぐもぐと頬張っていた。
「だってラプって、欲しい物は無理矢理にでも手に入れようとするじゃん。なのに今回は相手に考える時間をあげてるし」
「心外だな。それはペットや下僕の場合だ。吾輩が今欲しているのはこの星での仲間。自分の意思で来ないと意味が無い。考えてもみろ。力でねじ伏せ強制的に連れてきた奴に背中を預けたら、最終的にどうなると思う」
「背後から刺されるとか?」
「背後から刺そうとする奴を、吾輩が殺してしまうだろう」
無感情にただ淡々とサンドイッチを頬張りながら語るラプラスに、なるほどと頷きながらルイもサンドイッチを頬張った。