ねぽらぼのね   作:夢寺ゆう

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私と戦え

 

「私と戦え。天音かなた」

 

 その一言で──全てが変わり、全てが終わった。

 

 沙花叉クロヱと海の支配者アルトスの戦いが起きた翌日、リビングでコーヒーを飲む天音かなたに自室から起きてきたクロヱが一言そう告げる。

 

「……昨日あれだけ血を流して、何も食べずに眠ってたんだ。まだ寝てな」

 

 まだ外は薄暗く、日の出前の早朝と呼べる時間。

 昨日の戦いでボロボロになったシャチの獣人である証の上着を着込み、フードを深くまで被っているためかなたからは表情が見えない。

 

「…………」

 

 かなたの言葉にクロヱは反応を見せない。

 ただ、その明確な殺気は問答無用にかなたを突き刺していた。

 

「……はぁ、何がしたいんだお前は」

 

「最も攻撃力の高いヒーラーだったんでしょ、かなた先輩」

 

 会話が成り立っていないクロヱにかなたはもう一度カップのコーヒーを口に含むと、眠気覚ましのカフェインを感じながらクロヱに向き直る。

 

「今何時だと思ってんの? いいからさっさと自分の部屋に──っ!」

 

 言い終わる前に、鋭い爪を振りかざすようにかなたへ肉薄するクロヱ。

 胸の前で腕をクロスしてガードを試みるが、クロヱの勢いに家の玄関ごと吹き飛ばされる。

 

「……ぐっ!」

 

 家の外まで吹き飛ばされたかなたは器用に受け身をとってから顔を上げると、既に視界からクロヱは姿を消していた。

 

「どこ見てんのさ!」

 

 いつの間にか、かなたの背後に移動していたクロヱの強烈な蹴りがかなたの腹部にめり込む。

 かなたは込み上げる吐き気を堪えながら、ゴロゴロと転がって海へ落ちる。恐らく少しでもクロヱから距離を取るためだろう。しかし、海中での戦闘こそクロエの専売特許。

 

 クロヱは嬉々としてかなたの後を追い海へ飛び込む。

 

 戦闘は、15分程続いた。

 断続的に起こる揺れと爆発音、そして大きな水柱。

 まだ早朝と呼べる時間にもかかわらず、都市に住む者達は全員が目を覚まし家の外に出て状況の把握に努めようと皆が目を凝らす。

 

 だが、そこに映るのは誰がどう見ても一方的に攻撃の手を止めない沙花叉クロヱと、防戦一方の天音かなたの姿があった。

 昨日の今日だ。

 今この2人はいわゆるこの都市では渦中の人であり、都市の住人達からは警戒されている。特に沙花叉クロヱに対する不信感、恐怖感は誰もが抱いていた。

 

 防戦一方に徹していたかなたは、アトランティスの住人達が起きてきたことを確認すると心の中で舌打ちをする。

 

「オラオラオラァ! こんなもんかよ天音かなた!」

 

 アトランティスの方へ意識が行っていた一瞬の隙を突いたクロエが、猛スピードでかなたの懐へ飛び込む。

 

 助走のついた勢いある打撃に住人達が集まっている方向へ吹き飛ばされるかなた。

 まずいと判断したかなたは瞬時に自分と住人達の間に結界を展開すると、勢いそのまま結界に激突する。

 

 衝突の衝撃で血反吐を吐く。

 だがそんなかなたに容赦することなくクロヱは攻撃の手を止めることは無い。

 

「オラ! 皆を守るのが天使なんだろ!? だったら都市の1つや2つ簡単に守って見せろや!」

 

 海上に立つクロヱが叫びながら海面に蹴りを入れると、幾百の水の刃が生み出され、一斉にかなたへ、そしてその背後に居るアトランティスの住人達へ襲いかかる。

 

 想像を超える速度の水の刃に、かなたは即座に胸の前で両手を組み結界を展開し住人を完璧に守り抜く。

 

 しかし、かなたの想像を超えていた水刃を全て阻むことはできず、展開が間に合わず結界をすり抜けたいくつかの水刃は、かなたの体に傷を負わせていた。

 

 かなたは痛みを堪えながら自分自身に回復魔法をかける。

 

 回復魔法、結界魔法、解呪魔法、攻撃魔法と、あらゆる分野の魔法に長けている天音かなただが、弱点がない訳では無い。

 

 例えば、彼女が一度に張れる結界は1枚が限界である。結界の大きさはアトランティスを覆える程の大きさでも苦にしないのだが、仮に手のひらサイズの結界だとしても、一度に2枚以上展開することができない。

 

 故に今のクロエの水刃による攻撃も、数秒前に自身と住人達が衝突するのを防いだ結界を展開していた分、自分ごと皆を守る結界を展開するのに僅かながらタイムロスができてしまった。

 

 無数の水刃が結界に衝突、破裂し、水蒸気となる。

 クロヱの視界から隠れた僅かな時間、かなたは地面に腰を下ろし息を整える。

 

「かなたん!」

 

 背中から不安を滲ませた声が聞こえた。

 恐らくだが、天音かなたが沙花叉クロヱを殺すのは容易なことだ。昔の彼女なら、自分の命を狙う者に容赦などしなかった。

 

 だが、クロヱを実の妹のように愛情込めて接してきた少女に、かなたがクロヱを殺す姿を見せる訳にはいかない。

 

(それだけは、絶対にダメなんだよなぁ)

 

 かなたはゆっくりと立ち上がると、背後に駆け寄るAZKiの頭を一撫でする。

 いつの間にか身長はかなたを追い越し、目を見ようと思うと見上げるようになってしまった。

 

「待ってて。あのアホに説教してくる」

 

 多くは語らず、それだけ言い残すと、かなたとAZKiの間に結界が展開される。

 その結界はそのまま広がり続け、やがて水上都市アトランティスを覆い尽くした。

 

「ようやくやる気出した? かなた先輩」

 

「仕方ないから相手してやるよ。ガキの遊びに付き合うのも親の役目だ」

 

 手裏剣型の天使の輪が光り輝き、背中から光の翼が広がる。

 初めて見る天音かなたの天使姿にアトランティスの住人が息を飲んで見とれる。そしてそれはAZKiも、対峙しているクロヱも例外ではない。

 

 ごくりと唾を飲み込んだクロヱは冷や汗をかきながらも、その口元は大きな三日月を描いていた。

 

「……それが、あんたの本当の姿か」

 

「本当の姿? 馬鹿言え。子供と遊ぶのに本気を出す大人がいるか。僕はまだ変身を2回残してる」

 

「マジか。なら……その変身も見せてもらわないとなァ!!」

 

 地の利はクロヱにある。

 海は彼女にとって庭であり、地上にいるときよりもパワーもスピードも出すことができ、海水を刃のように放出することもできる。

 海での戦いでは誰にも負ける気はしないのだ。

 

 だが、沙花叉クロヱにとって海というフィールドが地の利を得ているのと同じく。

 天音かなたにとって、空というフィールドも地の利を得ていた。

 

 これが天音かなたが幾重もの戦で恐れられていた所以。

 

 この世界に、空がないフィールドなど存在しない。

 

 そして、海の中から天高く舞う天使を撃ち落とすことは非常に困難で、上空から海中を泳ぐシャチを爆撃することは非常に容易だ。

 

 制空権を制したものが戦いを制す──。

 

 アルトスが海の支配者と呼ばれていたのと同じく、天音かなたも戦場では空の支配者と呼ばれていた。

 

 時間にして、およそ2分。

 打ち上げられたシャチを天使が見下ろす図が出来上がった。

 

 息は荒れ、全身が鉛になったかのような錯覚で上手く身体を動かすことができない。

 

「頭は冷えたか?」

 

 かなたの声がやけに優しく聞こえた。

 その優しい声が、クロヱの心を酷く苦しめる。

 

 荒れた息が整う様子はない。

 上手く息が吸えなくなり、海水なのか、それともまた別のものなのか、一滴の水滴が頬を流れ落ちた。

 

 

 ──────離れたくない……。

 

 

 結界が解除され、こちらに駆け寄る足音が聞こえる。

 家族の足音を聞き間違える程、落ちぶれちゃいない。

 

 

 ────離れたくない……。

 

 

 海水でずぶ濡れのクロヱをお構いなしに抱き寄せるAZKi。

 冷えた体に彼女の体温が移っていく。

 

 

 ──離れたく、ないよぉ……。

 

 

 それでも、自分に流れているこの血は、彼女達を不幸にする。

 それだけは間違いのない事実だった。

 

「沙花叉! もう無理しなくていいから。悩んでたんだよね……気付いてあげられなくてごめんね……! でも、これからはちゃんとそばにいて、沙花叉のこと──……」

 

「……? あずちゃん?」

 

 中途半端なところで言葉を切ったAZKiに首を傾げるかなた。

 クロヱを抱き寄せているAZKiの肩に手を置くと、閉ざされた口から突然吐血する。

 

 顔に掛かった血を拭い、クロヱはAZKiの腹部に深々と突き刺した右腕を勢い良く引き抜くと、重たい身体をゆっくりと起こす。

 

「相変わらずお人好しだなAZKi先輩。あんたのそういうところが昔から大嫌いだったよ」

 

 ドサッと倒れ伏すAZKiを見下ろしながら言い捨てるクロヱの顔面に、かなたの振り抜かれた裏拳が入る。

 吹き飛ばされたクロヱは挑発するような笑みをかなたに向ける。

 

「じゃあねかなた先輩。沙花叉を追ってきてもいいけど……きっとあんたの回復魔法じゃないと、AZKi先輩死んじゃうよ?」

 

「クロヱぇ!!」

 

 腹部を貫かれたAZKiを抱きかかえ、クロヱに本気の怒気を向けるかなた。

 こんな時でも殺気ではなく怒気なところが相変わらずだなぁと含みのある笑みを浮かべ、クロヱはフードを被り直すと小さく呟いた。

 

「……バイバイ」

 

 海中の黒い影は瞬く間に距離を離していき、やがて完全にかなたの視力の外側へと姿を消した。

 

 

 

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