この先に、ユイがいる。
何も根拠はないが、ハルは感じ取っていた。ずっと探していた親友に、もうすぐ会える。
進んでいくと、草原の中、ユイが膝を抱えてすわっていた。
ハルは、言葉が出ない。ただユイに駆け寄り、何も言わずに抱きしめる。子犬も隣に来て尻尾を振る
「ハル? …ハルだ」
顔を上げたユイは一つ声を漏らした。
ハルは何度も頷く。
「さみしかったよ、ハル」
「ごめん、ごめんね、もう大丈夫だよ」
ハルは涙を堪えながら声を絞り出す。これだけの時間一人でユイはどれだけ心細かっただろうか。
死んじゃった、とか手紙に書いてあったことも気がかりだが、とにかく今はユイに会えたことに安堵する。
「さみし、カッタ」
「…ユイ?」
ユイの手がハルに巻き付く。
「ちょっと、いたいよ、ユイ…」
「さみしカッタ、ハル、さみしい、ハル、ハル」
ユイの強すぎる抱擁に、思わず強引に引き剥がす。
「やめてよ、ユイ…」
「 ーにげるの?」
「にげないよ」
「ハルも…ハルもわたしから、去っていくの?」
「待って、ユイ、違うよ、話を聞いて」
ユイは、明らかに普通ではない様子だった。
「ずっと、友達って、ずっと一緒だって、約束したのに、ハル、ハル、ハルハル、ハるハル、ハルハルはル」
顔を上げたユイは、白目をむき、口をパクパクさせながら、両目から黒い涙を流していた。
「お願い、ユイ、お願いだからやめて…」
やがて、ユイの両目は左右非対称に膨れ上がり、黒く染まった髪が放射状に揺らめく。
「こんなの… ひどいよ」
目の前で親友を化け物のように変えられたハルは、現実を受け入れきれず、目が泳ぐ。
アン!アン!
子犬は、どこか悲しげにも見える表情でユイに向かって吠える。
「ハル、イかナ、いデ」
「おいテ、いか、ナいで」
ユイの声だ。
確かに人でない何かのような声にも聞こえるが、ハルはその中に確かにユイの声を感じた。
「おいてなんかいかないよ」
「う、ソ」
「うそなんて言わないよ」
「ウそ、おいテイく、くセに」
ユイの髪が、触手のように伸びてハルに掴みかかる。
髪がハルの体に巻きついていったその時、急に動きが止まる。
ハルは、それが自分のポケットの中にある“お守り”に触れたのがわかった。
その瞬間、ユイは絶叫しながら勢いよくユイから離れる。
「ユイ、…」
「こわがらせてごめんね、ハル」
「…ユイ!」
ユイの声だ。紛れもなく、いつもの、ユイの。
お守りに触れたユイは、元の姿にもどっていた。
「ハル、ごめん、ごめんね」
「ユイ? 待って!」
ユイは、一言発すると、露となって消えてしまう。
ハルは、せっかく会えたユイがおかしくなってしまっていて、しかもまた消えてしまったことが辛く感じられたが、悲しんでいる暇もない。もう一度会わなければ。
「どうやら、まだ進まなきゃいけないみたいだね」
二人から少し引いた木陰から事を見守っていた忍野が出てくる。
「忍野さん…」
ハルは、一つ気になったことを聞こうと、ポケットに手を入れる。
「…あれっ?」
さっきまで持っていたお守りが無い。
ユイがさっき触れたとき、暴れながらハルから離れたのでどこかに投げ飛ばしてしまったようだ。
「ごめんなさい、お守り、無くなっちゃいました」
「ああ、別にいいよ」
「その、…あのお守りって、何なんですか?」
何でもない、という風に言った忍野に疑問をぶつける。
「あのお守りは、蜘蛛避けのお守りだよ。」
「蜘蛛避け?」
「何でも、平安時代に源頼光が大蜘蛛の妖怪を切った妖刀、蜘蛛切の破片が入れてあるとか。まあ、僕も実際中身を確認したわけじゃないんだけどね、ともかく蜘蛛の性質を持つものに対して効果があるといわれている。」
ハルは、それを聞いてまた1つ気が重くなる。
蜘蛛避け、というのはこれまで見てきたことから納得できるが、ユイがそれに触れてあんな様子になっていた。ユイにお守りが効いたということは、ユイはもう人間じゃない何かになってしまったのだろうか。
でも、お守りに触れたあとの一瞬、ユイは、いつものユイだった。
お守りが効いたのは、ユイに取り憑いている、ユイではない何かだったとも思える。
一筋の希望が見えた気がした
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
忍野は、ハルと山を進んでいく。
お守りが無くなり、歩いていると蜘蛛が襲ってくるようになってきたため、忍野が蜘蛛たちを払い除けながら先導する。
「こんな山の中で、山のようにとんできて、全く元気がいいなぁ。何かいいことでもあったのかな」
対処するのに苦労するほどではないが、蜘蛛の量は想像以上に多い。
やはり力が強まっているのか、ハルを捕らえようと躍起になっているのか、いずれにせよ穏やかではない。
「ついてこれてるかい?」
「はい!大丈夫です」
前方の対処をしつつ、口頭でハルに確認を取りながら進んでいく。
忍野は、ハルの親友の居場所に見当がついているわけではないが、この騒動の元凶の近くに行けばそれも自ずと見つかると考え、その元凶があると思しき所を目指して進んでいた。
調査が正しければ、そろそろ着きそうだ。
「そろそろかな」
「 …はイ゛」
言葉が歪んだ。
異変を感じた忍野が振り返ると、後ろにはハルも子犬もいなかった。
「ハァ… さすがに今回は、ドジ踏みすぎかな」
忍野は、足跡を辿って引き返す。どうやら、聞こえていたハルの声は、偽物だったようだ。
足跡から見るに、まずハルがどこかへ行き、その後それに気づいた子犬がハルを探して離れていった、というところか。
前方から蜘蛛を仕掛けて注意を引き、その隙にハルを連れ去るとは、想定した以上に相手が上手だった。
ハルを探しつつ、改めて警戒を強める。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ハルは、忍野について山を進んでいた。
「ハル、こっちだよ」
「…ユイ!」
突然、ユイの声が聞こえた。忍野は進んでいくが、ハルはもうユイを放っておくことはできない。
冷静にもなれず、とにかく声がした方へ一目散に走る。
「こっち、こっち」
「待って!」
従って歩いていくと、やがて声はしなくなったが、しばらく歩くと、見晴らしの良い場所に、ペットか何かのお墓のようなものを見つけた。
「これは…」
その墓で立ち止まったハルの前に、どこからか、紙飛行機が飛んできて落ちた。
ハルは、その紙飛行機に妙に引かれ、すぐに手に取る。
それは、日記帳を破いて書かれた手紙だった。
『こんにちは。
わたしは小学生。名まえはユイです。
わたしには、たいせつな子犬が二ひきいました。
その一ぴきがしんでしまいました。クロという子でした。
とても、ゆうきがあって、やさしい子です。
この世は、かなしいことばかり。
さいしょは、お父さんがいなくなりました。
つぎは、お母さんがヘンになってしまいました。
お母さんは、わたしが見えてないみたいです。
とてもつらいけど、
わたしには、ハルという友だちがいます。
ハルがいればだいじょうぶ。
ハルと友だちでいられてよかった。
ハルのことが大すき。
でもハルは、夏やすみがおわると、とおくの町へひっこしてしまいます。
わたしのたいせつにしているものは、どんどんわたしからはなれていく。
おわかれはいつも、いたくて、つらくて、たえられない。
もう、なにもいりません。さようなら。』
「…」
涙が止まらなくなり、座り込む。
ハルは、ユイの両親のことは知らなかった。
これまで自分にあれだけ明るく接してくれていたユイは、どれだけ辛い日々を送っていたのか。
何も、知らなかった。
「このお墓…」
クロだ。
ユイが空き地で二匹の子犬を飼っていた。そのうちの一匹、クロのお墓がここにあったのだ。
両親のことがあって、クロも死んでしまって、
・・・わたしのせいだ
ユイは、きっと自分を恨んでいるのだ。
ハルは、何度も助けてもらいながら、ユイに何もしてあげられなかった自分を責める。
自問自答しながら、ふらふらと山の中を歩く。
ユイに会えるかな?
きっと会える。
会いに行きたい。
会いに行こう。
ここを進んでいけばいいよね?
そうだね。
もっと進む?
もっと進もう。
ハルは頭の整理もつかないまま、とにかく歩く。
行きましょう。
どこに?
いいところ。
いいところならいいな。
その輪を両手で持って。
持ったよ。
誰かいる?
あっ、ユイがいる。
オイデ。
うん。ユイ、行くよ。
オイデ、イッショニキテ
うん、うん、
アン!アン!! アン!!
犬の鳴き声が聞こえる。ハルは、ハッとして、周囲を見渡すと、目の前には木からぶら下がった赤い輪がある。
驚いて、怖くなって、ハルはそこからとびのく。
子犬が駆け寄ってきて、ハルの顔を舐めた。
ハルは、“あの声”に騙されていたのだと気づく。
いつの間にか頭に入ってくる、あの声。
あれ、以前にもこんなことがあったような。
そんなことを考えていると、子犬が急に鼻を動かしながらどこかに向かい始めた。ハルは、ついていくと、子犬が地面を掻き始めた。
「何かあるの?」
子犬は、ナップサックを引っ張り出してきた。ハルが、ユイとおそろいで買った、ウサギのナップサック。
もしかすると、ユイは、ここで
ナップサックの中から、絵日記が出てきた。
『○月✕日 はれのちくもり
きのうは、いろいろありました。いろいろありすぎて、全部はかききれません。
だから、いちばん大きなできごとだけをかきます。ハルから、とおくにひっこしてしまうとききました。
びっくりしました。とてもさびしいです。でも、おちこむことはありません。
会いにいけばいいんです。とおくても、電車があります。いつか、電車にのって一人で会いにいきます。
今日はこれから花火です。ハルといくってやくそくをしました。
もうハルはひっこしちゃうけど、いつかまたいっしょに花火を見られるといいな。ひっこしたあとも、たくさん手紙をかきます。
夏になったら、またハルに会いにいきます。だから、がんばろう。』
ハルは、涙をこぼしながら日記を読み終えた。
ユイのこの日記からは、前向きさが見える。この日記を書いたあと、どうしてこうなってしまったのか。
もしかしたら、ユイも、“あの声”に騙されて死んでしまったのかもしれない。
…オイデ
再び、あの声が聞こえる。
オイデオイデ、イッショニキテ
「嫌だ、あなたにはついていかない」
カワイソウ、カワイソウ、イッショニキテアゲテ
「私は、ユイに会うんだ!」
頭の中で響く声に、ユイは抗う。
この声に騙されて、ユイに会えなくなるところだった。
この声に騙されて、ユイは死んでしまったのかもしれない。
こんな声は、もう、
「もう、いやだ!」
ガキン
「…コトワリさま?」
もういやだ、という声に反応して、コトワリさまが現れ、近くにあった地蔵に突進した。
金属音がした後、ハルの頭に響いていた声が無くなった。
ハルから見て、コトワリさまは、形が大きく変わったわけではないが、以前の禍々しい、怖い雰囲気が無くなり、どこか神聖な様子すら感じさせた。
それに、金属音がしたのに、コトワリさまが突進した地蔵は全く壊れていなかった。
「ありがとう、ございます…」
ハルが感謝の言葉を発すると、コトワリさまは、急に見えなくなったように、音もなく消えてしまった。
「助けに来てくれた… わたしが呼んだから…?
わたしが、“もういやだ”って…」
ハルがコトワリさまがいたところに駆け寄ると、赤いハサミが落ちていた。
「これは、コトワリさまの…」
それは、家庭科の授業で使ったことがある裁ちバサミのような形をした、真っ赤な大きなハサミだった。
ドンッ
ハルがハサミを拾い上げると、上から、見覚えのあるアロハシャツの柄が視界に降ってきた。
「無事かい?」
「忍野さん!」
ハルは、忍野に今まであったことを話し、ユイを探しにいかなければならないことを再確認する。
「ハルちゃん、今まで“あの声”に散々な目に合わされてきたと思うけど、今から声の主に直接会いに行く。」
「声の…主?」
ハルは、忍野の突然の言葉に少々困惑する。
「あぁ、ぼくも、もともとその声の主に会うのが目的だからね。まあ、場合によっちゃ、倒さなきゃならないけど。」
ハルは、ゆっくり言葉を受け取る。
「君の友達に会うためにも、おそらくそれの所に向かう必要がある。少なからず危険も伴うだろうが、どうする?」
「…わたしも行きます、ユイに、会わないと。」
「まあ、今さらこんな質問も無用だったかな。」
ハルは、子犬に山を下りて待っておくよう伝えた。ユイに会えて、一緒に帰って来れたら、犬にも「お帰り」と、ユイを迎えてもらわないといけない。子犬が山を下りていくのを確認し、改めて決意を固める。
そして、忍野は、もう声に惑わされないよう、ユイを抱えたまま、一気に目的地に進む。
自分の思考すらも全て遮断し、ただ目的地に辿り着くように足を進める。
オイデ
オイデオイデ
声が聞こえ始める
カワイソウ
カワイソウカワイソウ
イッショニキテアゲテ
二人は、そんな声を感じ取りながら、谷のような場所に辿り着いた。
「…っ! ユイ!!」
近くの草むらに、ユイがうずくまっているのを見つけ、ハルは一目散に駆け寄る。
「ユイ! わたし、あなたにつたえたいことが」
カワイソウ
オイデオイデ
「っ!」
声が強まる
こっちにオイデオイデ
カワイソウカワイソウ イッショニキテアゲテ
「ユイ、!」
駆け寄って抱きしめていたユイが、腕の中から消えてしまう。
同時に、谷から巨大な、蜘蛛のような、人型のような、異形の化け物が姿を現した。
忍野は1つため息をつく。
「やれやれ、喧嘩っ早い神さまだ。いや、あるいは枠組みにはめられてただけで最初から神なんかじゃなかったのか。こうなると、もうこっちも戦争しかないんだよね」
二人は、化け物と向かい合う。
「それに、ぼくは蜘蛛がとてつもなく嫌いなんだよ。勝手に巣を貼るからね」