ハルたちが大蜘蛛を倒した日から数日が経過した。
それ以降“あの声”が聞こえることは無くなり、怖いことに巻き込まれることもない。
しかし、夜の恐ろしさは強まる一方だ。
大蜘蛛が谷底に沈んだあの日以降、夜に出るお化けは減らず、むしろ増え続けているように感じられ、ハルは夜の外出をなるべく控えるようにしていた。
「ユイ」
「あっ、ハル!」
ハルはあの件以後、毎日ユイと会っている。
あの時は、ユイはもうこの世にいられる存在ではなくなって、夜のお化けたちとおなじようなものになってしまうのではないかと思っていたが、ユイは変わらず、笑顔でハルと接してくれる。
ただ、ユイが死んでしまったことには変わりないようで、ハル以外の人々の目にはユイが見えていない。
幽霊、というのがまさに当てはまる状態だ。
「ハル、引っ越すのっていつ?」
「来週、かな…」
ユイを元に戻すことはできたが、ハルが引っ越さなければならないことには変わりない。
せっかくまた一緒に話せたのに、ずっととはいかないのだ。
でも、せめて、できることはして、気持ちを伝えたい。
「ユイ、わたしね、」
グオン
「えっ」
ハルが言葉を紡ごうとしたその時、二人の前に“それ”は現れた。
二人には何も見えない。しかし、確かにそこに何かがいる。
そこにいる、ということを認識できる。
「ねぇ、ハル、何あれ」
「分からない…」
まだ昼間だ。お化けたちが動き出す時間ではない。
何なのかわからないものが、二人に迫ってくる。
「ハル、逃げよう!」
「う、うん!」
二人は襲われているのかも分からないまま、“それ”から走って逃げ出す。
どこか本能的に、“それ”に追いつかれてはならないと感じた。
走っているうちに、山の入口に辿り着いた。
ハルにとって、しばらくは近づきたくない場所だったが、気がつくとそこに足が向かっていた。
「あら?
君たちが、ハルちゃんに、蜘蛛の使いのユイちゃんのお二人かな?」
「「えっ…」」
二人は、山の入口にいた人物に突然自分たちの名前を呼ばれ戸惑う。
同時に、ユイを“蜘蛛の使い”と呼んだことに警戒する。
10代くらいの年齢に見えるその帽子を斜めに被った女性は、お構いなしに話を続ける。
「あっ、メメから聞いていないと思うけれど、彼はちょっとした事情で今この街には戻ってこれないんだ。
私はメメの先輩で、臥煙伊豆湖という人間だ。彼からは臥煙先輩と呼ばれていた。」
「忍野さんの…?」
ハルは思わぬところで忍野のことを聞き、驚く。
言っていることが本当なら信頼を置けるかもしれないが、ユイを蜘蛛の使いなどと形容したことがどうしても心に引っかかる。
それに、初対面なのにこちらが忍野メメという人物を知っている前提で話し始められたのだ。
「今ごろ君たちがあの“くらやみ”から逃げるためにあれこれしているだろうと思ってこうして会いに来たわけだ。」
「!!」
彼女が発した“くらやみ”というのは、おそらく自分たちが今追われているものを指しているのだろう。
「何か、知ってるんですか?」
ユイがおそるおそる口を開く。
「ああ、知っている。 私に知らないことは無いんだよ。
私は何でも知っている。」
何でも知っている。などと、知識をひけらかす時に例えで使うような文言を、彼女は何の躊躇いもなく、自信満々に、発言した。
「じゃあ、ちょっとあっちで話そうか。
ジュースでも買ってあげるよ。」
「待って!でも…」
「あぁ、大丈夫。今は追ってきていないよ。」
二人が周りを見渡すと、確かに彼女が“くらやみ”と呼んだそれは、付いてきていなかった。
「りんごとオレンジどっちがいい?」
「じゃありんごジュースで」
「あっ、わたしも…」
すぐに反応したユイに続いて、ハルも答える。
「“くらやみ”って、一体何なんですか」
ユイが質問を投げかける。
ハルは、まだ謎だらけの人物にすぐハキハキ話して質問できるユイが少し羨ましく感じた。
「まぁ、今回は君たちの理解も必要だから、なるべくちゃんと教えてあげよう。
簡単に言うと、あれは間違いを正すために現れる。重大な嘘をついている奴を消しに来るわけだ。」
「…?」
「過去の例でいえば、ある人物が、神ではないのに神さまだと思われてそのまま信仰を集め続けた時に現れた。」
分かるようで、分からない、というより納得がいかない。
仮にあれが間違いを正すものなら、何故自分たちを追い回してくるのか。
ユイが幽霊だから?しかし、だとしても夜のお化けたちが存在し続けているのに、ユイだけを消しに来るのはおかしい。
「なんで自分たちが? と思っているようだね。」
考えを読んだように伊豆湖は続ける。
「私が、幽霊だから…?」
ユイも思うところがあったのか、少し震えた声で質問した。
「うーん、半分は正解、といえるかな。」
「…半分?」
ハルとユイは顔を見合わせる。
この質問で“半分”正解とはどういうことなのか。
「さっき、“くらやみ”は重大な嘘をついたら消しに来る、と言ったけれど、今回それにあたるのはユイちゃん、君が普通の幽霊かのような振る舞いをしていることだよ。」
「えっ?」
思わぬ言葉が帰ってきて、二人は硬直する。
ユイは確かに特殊な経緯はあったものの、普通の幽霊という以上におかしな点はないはずだ。
「待ってください!ユイはお化けみたいになっていないし、何も特別なことはないですよ!」
「じゃあ、何故ハルちゃんはユイちゃんが見えるんだい?特定の人物だけに見える幽霊なんて、普通じゃないだろう?」
二人はハッとする。
今まで気にしていなかったのか、無意識に気にしないようにしていたのか、ハルだけにユイが見えていることは、あの日一緒にいたから、友達だから、と何も疑うことをしなかった。
「結論から言ってしまえば、君の状態は“神の使いに選ばれた幽霊”というのが最も適切な言い方になる。」
「神の…使い?」
「君たちが絡まれたあの大蜘蛛は、ああ見えても一応は神さまなんだ。まあ神とはいっても邪神だとか言われて恐れられる部類だがね。」
一気に膨大な情報量を与えられて頭を整理しきれない。
伊豆湖はそんな二人にお構いなしに話を続ける。
「神は、稀だが幽霊を自分の使いとして協力させることがある。例えば、悪い神さまなら、幽霊の使いを送ってその親友を連れてこさせよう、なんてことも考えるかもね。」
「!!」
ユイの顔が青ざめていくのがわかる。
親友を連れてこさせるためにあの化け物に使われたなんて、想像するだけで辛いだろう。
「それが役目を終えた時、使役元の神が機能停止した時などなど、使いの幽霊はふつう成仏しなければならないところ、無意識かもしれないが、君は浮遊霊の形態でこの世にとどまろうとした。
それが原因であれに追われる羽目になってるわけだ。
あんな神さまに勝手に使われてただけの君にとってはちょっと酷な話かもしれないがね。」
「ちょっと! 待ってください!」
ハルが話を制止する。
「急にそんな話、まだ信じきれませんよ…
それに、今言ったことが本当だとして、それを何のために私たちに聞かせるんですか?」
ハルが質問をとばす
「ああ、すまない。私の目的を言っていなかったね。
じゃあ、単刀直入に言う。」
少しためて、伊豆湖は口を開く。
「ユイちゃん、君、新しい神さまになってくれないかい?」
「えっ…えぇ!?」