珍しい他者視点回です
以降は再び書き溜めを作るので、進捗は活動報告をご参照ください
魔女のアンジェラさんと、その相棒のニスロクさん。
役所の魔物狩り担当職員という仕事柄、お二人と接する機会が多い私はこの日、彼等から夕食にご招待頂きました。
毎日の様に街に近づくゴブリンを殺し回り、果ては巨大な魔猪や屈強な梟熊の群れすら打ち倒す『アルクの魔女一行』。魔物に対する強力な抑止力として活躍しておられる御二方はアルクの村にとって英雄的存在であり、それ故に数々の憶測を生み出しています。ですが、言葉を交わしてみれば、その人柄が礼節を弁えた至極真っ当なもの*1である事は誰にでもわかるというもの。
例えばアンジェラさんは『両手から稲妻を迸らせてゴブリンを森の奥へと追い立てていた』という目撃談が毎日のように森林組合の人達の話題に上る凄腕の魔女ですが、実際に話してみるとその人柄は可愛い女の子のそれ。私よりも年下の彼女は何をするにも元気いっぱいで、彼女の戦果を直接見ていても未だにゴブリンの殺戮者というイメージがしっくり来ないぐらいに可愛らしい方です。
一方のニスロクさんはアンジェラさんに仕える『使い魔』。そもそも戦う魔女自体が希少なので私も知らなかったのですが、薬師のハーバルさん*2曰く、大昔に強大な魔女が聖霊や魔神を従えていたという伝説があるのだとか。
であれば、アンジェラさんは伝説の再来なのでしょうか? と私が聞いてみたところ、小悪魔や小妖精ぐらいなら従えている魔女はそこそこいるとの事でした。ニスロクさんは自称『中級悪魔』だそうですが……ハーバルさん曰く『中級悪魔なんてバケモンを従えてる魔女は滅多に居ないよ。何せ中級悪魔ってのは知っての通り魔猪や梟熊ぐらいなら容易くのしちまうんだからねェ』とのこと。やっぱり、アンジェラさんは普通じゃないようです。
ですが、ニスロクさんに関してはその強さ以上に、『とんでもない美形』であるという事実の方が私達アルクの村の女には重要事項だったりします。それは女性の魔物狩りの皆さんも例外ではなく、あまり実力を誇らないミステリアスな振る舞いもあって、ニスロクさんのファンは数多く存在しています。
最も、彼がアンジェラさんの使い魔であるという事実はそれほど出回ってはおらず、アンジェラさんと良く会話する私を除けば、魔女のハーバルさんぐらいしかその事実を正確に把握して居ません。
彼が『
なにしろ彼は美形過ぎることを除けばどこからどうみても人間にしか見えないのですから、そんな勘違いが横行するのも無理はありません。役所内でも彼を人間だと思っている職員は多く、『王子様説』や『貴族説』が実しやかに囁かれているぐらいです。私、ちゃんとアンジェラさんの人事書類にニスロクさんが使い魔である旨を記載したんですけどね……?
そんな、ある意味主人より有名なニスロクさんですが、悪魔であること以上に人々に知られていないのは彼が男性には非常に珍しい事に*3『料理上手』だという点です。
時折、アンジェラさんから*4お裾分けに貰う『ベリーのジャム』。甘くて美味しくて、素晴らしく良い匂いのするそれは安い黒パン*5やミルクポリッジがご馳走に変わってしまう魔法のジャムなのです。
それをアンジェラさんが作った物だと思ってレシピを尋ねた私に返ってきた答えが、『今度ニスロクに訊いてみるね』というものだった時の衝撃は中々のものでした。
そして今日のお誘いは、そんなニスロクさんの絶品料理を食べるチャンス。しかも誘ってくれたアンジェラさんが随分楽しそうに『ご馳走』なのだと教えて下さったものですから、私は事務仕事に追われてたまたま食べ損ねていた昼食を思い切って抜きにして、今日の夕食に備えることにしたのでした。
そして、我ながら驚くほどの速さで書類を片付けた私は今、町外れのアンジェラさん達の家を訪問したのでした。
* * * * * *
「おかえりなさい、アンジェラ嬢、ソフィア嬢。ソフィア嬢は急なお招きにも関わらずご足労頂きありがとうございます」
「いえ、ニスロクさんのご飯は美味しいとアンジェラさんから伺っていますから、楽しみで楽しみで。今日はお招きくださってありがとうございます」
そんな風に出迎えてくれたニスロクさんは、完全な私服姿で、半袖のシャツに身を包み、胸元を軽く開けたラフな格好。細いというよりは『引き締まった』その身体は、何というか目に毒という言葉が相応しい色気に溢れた物でした。
ですが、私を役所から案内して下さったアンジェラさんは、そんなニスロクさんの姿にはまるで頓着していないようです。……ここまで美形に無関心だとと年頃の女の子としては逆に不健康なのではないでしょうか?
「2人ともなんか固いね。お仕事終わったんだから気楽にすれば良いのに」
「アンジェラ嬢、大人というのはそういうものなのです。……さて、早速ですが料理は用意できているので食卓でお待ちくださいね」
そうして小屋に通された私は、アンジェラさんに促されて食卓の席に着きました。素朴な調度品や什器の中でこのテーブルだけが妙に高級感があるのは、ニスロクさんのこだわりなのでしょうか?
なんて考えていると、私の隣にアンジェラさんが座り、ニスロクさんが小屋の外の
「なにこれ! すっごい美味しそうだよニスロク!」
「これは……!?」
そこに乗っていたのは、色とりどりの菓子の盛り合わせ。私はその光景に絶句してしまいますが、アンジェラさんはただただ無邪気にお菓子を前に喜んでいます。
「これ全部食べて良いんだよね!?」
「もちろんですアンジェラ嬢。ちゃんと2人分用意してありますから、自分のお皿は全部食べ切って構いませんよ。それに狩りの帰りに言った通り、これは今日の晩ご飯の代わりですから」
「やったぁ! ニスロク大好き!」
そんな微笑ましい2人の会話。しかし、私は自分の前に出された豪華な『お菓子』に慄いて、それどころではありません。
私だって役人の端くれですし、男爵家の五女とはいえ貴族の生まれです。当然貴族文化にも理解はありますし、村長*6経由で領主様からの差し入れとして領都のお菓子を食べたこともあります。
ですが、いえ、だからこそ目の前にあるものが信じ難いのです。これはどう見ても『ケーキ』の類。貴族お抱えの菓子職人が作り上げるような本物のお菓子に他なりません。
バターと玉子と小麦粉をたっぷり使ったそれは庶民が買える『パン』とは大きく異なり、フワフワで素晴らしく甘い、超高級品*7。私は実家を継いだ長兄の結婚式で一度だけケーキを食べたことがありますがあの感動は一度たりとも忘れたことはありません。なんなら、兄が結婚した喜びよりケーキが食べられた喜びの方が印象深い程です。
そんな、貴族でも滅多に食べられないご馳走……らしきものが今、私の目の前にあるのですから、とても冷静ではいられません。しかも何やら見慣れないお菓子*8を中心にして、様々な『推定ケーキ』が盛り合わせられた乙女のロマンを極めた様な状態なのですから、私が絶句してしまったのも当然でしょう。
「あの、ニスロクさん? こちらお高い物なのではないでしょうか……?」
どうにか、そんな声を絞り出せたのは、辛うじて残った理性が成した奇跡。ご好意で振る舞われる料理の値段を気にするのは失礼ですし、私の心情としては喜び勇んで齧り付きたい気持ちでいっぱいですが、『この異常なまでの歓待を何も考えずに受けてしまっては、後で何をされるかわからない』という恐怖がどうにか私の自制心を呼び覚ましてくれたようです。
しかし、そんな私の内心を知ってか知らずか、ニスロクさんの答えは曖昧なものでした。
「まぁ、飲食店でお金を払って食べるなら高級品になるだろう事は否定しませんよソフィア嬢。しかし、これは俺の作った料理。値札は俺もが付けます。よってタダ!」
「い、良いのでしょうか……ほら材料とか……」
「いや、今回のお菓子に値段をつける際の原価はほぼ技術料ですよ。材料はほぼ狩りの途中で手に入れたものなので。さぁ遠慮無く召し上がれ」
あくまで、これは手料理だと言い張るニスロクさんは、そのまま大皿に乗ったお菓子の名前を紹介してくださいました。
真ん中にあるのは、焼きプリン。卵を使ったお菓子だそうです。掛かっているのは果汁を煮詰めたソースとの事ですが、プルプルと震える不思議な見た目のそれはなんだか魔法の食べ物のようで、少なくとも私が知る『食べ物』の形には無い姿をしています。
その横にある4段重ねのお菓子は『スフレパンケーキ』というらしく、ローズマリーの香りを吸わせた山羊乳で作ったホイップクリームをたっぷり掛けてあるとのことですが……。確かに花のような香りで、私が知る山羊の乳とは印象が全く異なります。山羊の乳はもう少し臭みのあるイメージでしたが、これもまたニスロクさんの手腕によるものなのでしょうか?
そして、そのまた隣にはベリーをたっぷり詰め込んで焼いた『パウンドケーキ』というお菓子。このケーキが、私の知るケーキに最も近いかもしれません。ですが、その色鮮やかな断面から香る強いバターの香りは、あの兄の結婚式の日に食べたものより遥かに芳醇なもの。
そして、周囲を取り巻く色とりどりの雲の様な素敵なお菓子は『ギモーヴ』というそうです。様々な果汁を泡の様に固めたものだと言われましたが、どうやったらそんなことが出来るのか想像もできません。王都の大貴族は魔女を雇って果汁の氷を作らせているという話を風の噂で聞いた事がありますが、このギモーヴというお菓子は凍っている訳でも無さそうですし……。
そして、最後にまたケーキ。ローズマリーを焼き込んだシフォンケーキのアイスクリーム載せという、私にはもうさっぱりわからない存在です。
アイスクリームとは何かと聞けば、何と氷菓子なのだとか。先程も言った通り、氷菓子とは大貴族や王族が避暑のために魔術師に作らせる高級なお菓子のはずなのですが……まさか本当に?
ケーキの上に乗った白く半球状のそれが、否応なく私の興味を引いたのは、ある種当然なことでしょう。
だから、「さあ召し上がれ」と言われた直後、私はアイスクリームをスプーンで掬って、一口。
冷たい! 幼い頃に食べてしまい、お腹を壊して大層怒られた『雪』のような冷たさですが、雪と違ってこのアイスクリームというものには、果物の様な甘さとミルクの濃厚なコクが詰まっています。『氷のクリーム』という名付けがピッタリな濃厚極まるその甘味は、未体験の幸福感を私に齎し、思わずだらしなく緩んだ笑みが溢れてしまいます。
甘くて、冷たくて、口の中で消えてしまうアイスクリーム。スプーン4杯で消えてしまう小さなそれは、あっという間に私の口の中に消えてなくなってしまう儚いもの。
食べたというよりは、美味しさだけ口内に残して消え去ったような。体温で溶けていくほどに甘みと旨味が広がって、そしてそのまま消えて無くなるこの感覚は形容し難いものがあります。
あまりに繊細に過ぎて、所詮田舎貴族の末娘な私には『美味しい』としか表現が出来ませんが、都会の大貴族の方々なら何かもっと相応しい評価を下すのかも知れません。
……いえ、果たしてそうでしょうか? 高貴な身分にある人であっても、アイスクリームを表現するだけの語彙があるのでしょうか これは食べなきゃわからないという類のモノでは?
そんな益体もない事を考えながら、私は次にアイスクリームの名残を纏った『シフォンケーキ』なるものにフォークを刺して、その感触に驚嘆しました。
強い弾力でフォークに抗うそれは食感への期待を高まらせますが、その真骨頂は持ち上げた瞬間。その見た目の嵩高さとは裏腹に、羽のように軽いのです。
目に見えているケーキの形がなんらかの幻覚なのではないかと思ってしまうほどの軽さ。
恐る恐る一口齧れば、爽やかなローズマリーの香りが口内に広がり、同時にフワフワとしたなんとも言えない食感が口内を占領します。
とても美味しい魅惑のフワフワ。これをなんと表現すべきでしょう? ガチョウの綿毛だけ詰め込んだ高級な布団を食べているような? 羊の毛を食べているような?
いや、それはあまり美味しそうには聞こえませんね。ですが、私の貧相な語彙ではそうとしか表現出来ないほどに、このケーキの食感は素晴らしい物なのです。
フワフワ軽くて、香りがよくて、少し染み込んだ溶けたアイスクリームの甘さが心地よい。
そうだ、きっと雲に砂糖を掛けて食べたらこんな感じがするのかもしれませんね。
なんて、良い表現を思いついたのではと思っていたのですが、次に口にしたギモーヴが、その予想を軽く覆してきました。
こちらの方がもっと雲だったのです。正直自分でも意味がわかりませんが、とにかく雲なのです。もはや語彙のなさに泣けて来そうですが、むっちり、もっちりして、口の中で溶けていくフワッフワのフルーツお菓子を雲以外になんと表現すれば良いのでしょう?
赤ちゃんのほっぺとか、よく乾かした毛布とか、そういうこの世の柔らかいものを全部詰め込んだかのような感触。
味もまた素晴らしく、ねっとりと濃厚な果実の甘さが口内に広がるのがたまりません。そこにシフォンケーキを組み合わせるとフワフワにフワフワが合わさってもう、こう、なんというか。
すごい。すごいのです。
これはもう料理上手、などという次元ではなありません。ニスロクさんにはきっと、宮廷料理人と同じかそれ以上の料理の知識があるのでしょう。そうでなければ、これ程までに凄まじいものを作ることができる理由が分かりません。
そして恐ろしい事に、これだけの新食感と甘美な甘味の波状攻撃を受けてなお、私はこの一皿を半分も食べられていないのです。
ここは過去に一度食べた筈のもので体勢を立て直そうと考えて、次に手を付けたのはベリーたっぷりのパウンドケーキ。しかし、口内に広がったのは、しっとりずっしりとした食感の中にバターの風味がジュワッと溢れてくる贅沢な味わい。甘味と油分に小麦粉と卵の濃厚さまで合わさって、滋味が精神を蕩してしまう。
お兄ちゃんには悪いですが、このケーキの衝撃でお兄ちゃんの結婚式の思い出がすっかり消し飛んでしまった気すらします。……いえまぁ、アレはアレで思い出の味には違いないのですが、美しい思い出すらも凌駕して来るニスロクさんのケーキが悪いのです。
そして、次に手をつけたスフレパンケーキもフワフワモッチモチでかかっている香り付けされたクリームがシンプルな味わいの生地にベストマッチ。それにしても、そろそろ満腹になっても良いはずなのにそうならないのは、いったいどういうカラクリなんでしょうか? *9
パウンドケーキとパンケーキは、シフォンやギモーヴに比べると卵感が強い風味で、食べ比べとしても面白いですね。その辺りも考慮して選定されたであろう盛り合わせの構成にも、ニスロクさんの並々ならぬ料理センスが光っている気がします。
ですが、最後に手をつけた『焼きプリン』の卵感は、それら全てを上回るものでした。
スプーンで掬えばズシリと感じる重量感。口内にネットリと広がる卵の旨味と、ソースの甘さ。生卵の黄身を食べているのでは? と思ってしまうほどですが、ちゃんと火が入っているようで、不思議な食感です。クリームのようであり、煮凝りのようであり、ポリッジにも似ているような、なんとも言えないモッタリ感。
そして気がつけば、私はペロリと盛り合わせを食べ切ってしまっていました。
まさにお腹一杯。パンパンに張った腹部の膨満感はともすれば『不快』に感じてもおかしくないレベルですが、甘い幸福が全てを塗り潰したせいか、この息苦しさも酷く幸せな苦しさに感じてしまう程です。
横を見ればアンジェラさんは私と違ってまだのんびり食べておられるようですが、このレベルの料理を前に落ち着いていられるのは私よりもニスロクさんの料理を食べ慣れているからでしょうか?
そう考えると、がっついてしまったようで少し恥ずかしいですね……いえ、まぁ、事実がっついたのですが。
そんな事を思っている内に、アンジェラさんがニスロクさんと戯れ始め、私が居るというのにイチャつき始めました。
これ幸いと、お二人の関係性を確かめるべく茶々を入れてしまったのは、美味しいものを食べた気の緩みからだったのかもしれません。
結局それ*10はアンジェラさんの無邪気な行為だったのですが、それをきっかけに会話が弾んでしまって、私はこの日、アンジェラさん達の家に泊まる事になったのだった。
……その夜の夢が、シフォンケーキとギモーヴの雲に乗って、焼きプリンの海を越え、パンケーキの島を目指す変な夢だったのは、私の食い意地が見せたものだったのか、小屋に充満した美味しそうな匂いのせいだったのかは、わかりません。
ただもし叶うならもう一度、ニスロクさんの料理をお呼ばれしたいなぁなどと思ってしまうのは間違いなく本心で。
どうやら私の舌はすっかり、贅沢者になってしまったようです。