さて、そんなこんなで翌日。ゴブリン依頼のついでにイノシシを狩るという事で、アンジェラ嬢は意気軒昂だ。まぁ、脳内イメージは相変わらずでっかい豚さんなのだが。
今まで森の浅い部分*1でゴブリン狩りをしていた彼女にとっては、初の深部*2への侵入となる。
昨日、俺からのプレゼントとして色々と装備を整えた彼女は、新たに黒い革*3のマントを手に入れてご機嫌である。腰のベルトにはちょっとしたポーチと、数珠繋ぎになった蜻蛉玉の飾り。この蜻蛉玉、一粒は人差し指の先程の小ささだが内部にはゴブリンの干し首を封じてあり*4、アンジェラ嬢が残機を消費すると割れる様になっている。*5
呪いや災い*6を逸らすというその機能は、今回のような魔猪狩りには最適だろう。
そして、そんな新装備で森の中の獣道を行く事しばし。アンジェラ嬢が何かに気がついた*7。
「なんかこの木、変かも」
「確かに随分と泥まみれですね。『ヌタ打ち』の痕かもしれません」
「ヌタウチ?」
「イノシシの泥浴びですね。アレらには泥を浴びてそれを木で擦る事で、体表の虫などを泥ごと落とす習性がありますから。……近くに泉でもあるのでしょう*8。そこで待ち伏せしてはどうでしょうか?」
「良いわね。……そういえば、魔猪が使っている水場なら、そこに毒を入れちゃダメなのかしら」
「アンジェラ嬢、そのアイデアは素晴らしいですが、街の水源かも知れないのでやめておきましょう。それにイノシシは鼻が効きますから、恐らくバレるかと」
でも、そういう魔女っぽい解決法は個人的にはとても評価したい。疫病とか毒とか呪いとかは悪魔の大好物だ*9。
さて、そんなわけで若干出来レース気味だが、アンジェラ嬢に付き従って周囲を捜索すると、案外簡単に水場は見つかった。あとは魔猪がやってくるまで俺やアンジェラ嬢の気配を隠すべく、目眩しの結界を張って野営の準備を開始する。
何せイノシシは基本的に夜行性。昼間はどこかの穴倉に隠れているだろうという事で、夜まで張り込む必要があるのだ*10。もちろん、今日はキャンプになるというのは、アンジェラ嬢も了承済みである。
そんなわけでテキパキとテント*11を設営し、七輪*12に火を起こしてハーブティー*13を入れれば、あとは事前に準備しておいたお弁当を取り出して完成である。
「……うーん、本当にニスロクの結界って便利よね。こうしてご飯食べてても気付かれないんでしょ? ゴブリン狩りの時にもちょこちょこ使ってた*14けど」
「ええ。流石に焚火をして煙を立てるならもっとしっかりした結界が必要ですが、今回は無煙の七輪とお弁当ですからね。即席の結界でもこの程度の匂いなら隠せます」
「その七輪? も凄いわよね。どうなってるのかわからないけど勝手に青白い火がつくし」
「ふふふ、そこは悪魔の力*15という事で。……さてアンジェラ嬢、お弁当をどうぞ」
そう言って俺が差し出すのはゴブリンのハツのコンフィとゴブリンのハム、それと『ノビルの球根』を薄切りにして交互に重ね、白パン*16で挟んだサンドイッチだ。
「うわぁ白パン! 良いの!? 誕生日でしか食べた事ない*17!」
さて、アンジェラ嬢大歓喜のこのお弁当だが、具材は先述の通り。ゴブリンの心臓のコンフィもゴブリン肉のハムも保存用に仕込んでおいたもので、前者は下処理したゴブリンの心臓を『ローズマリー』や『ギョウジャニンニク』と一緒に溶かした脂でじっくりと煮て作った逸品。後者についてはモモ肉と尻肉を贅沢に使い、生命の樹の枯れ枝をチップにじっくり燻したこだわりの品だ。
美味しいし、更に食べれば魔力量アップ。アンジェラ嬢にはこれ以上ない理想的な糧食だろう。もちろん現状では、という括りになるが。
魔猪を狩れたならその肉の方が強化率は良いだろうが、取らぬ狸のなんとやら。まずは魔猪狩りを成功させるところからだ。
最悪の場合でも俺が殺せばあっさり解決*18なのだが、個人的にはアンジェラ嬢に経験を積ませたい。こちらの世界で長く過ごす予定なので、アンジェラ嬢にはそれなりに実力をつけ、美食行脚のために世界を股に掛けて貰わねばならないからだ。
ゴブリンも魔猪も、そして俺たち悪魔でさえも、俺の知る世界では幻想の向こうに去って久しい。
その肉を喰らう機会など、当然ながらあるはずもなかった。この世界に来れたのはまさに僥倖という他ないだろう。
などと考えながら、結界の中に潜伏することしばし。途中アンジェラ嬢が尿意を催したので結界を増設した*19ものの、それ以外は穏やかなものだ。
既に日は沈み、先ほどから鹿や狸の類が水場を訪れては水を飲んでいる*20。
そんな中、森の奥から『魔猪』は現れた。
「ひっ……!」
そうアンジェラ嬢が息を飲むのも無理は無い。熊をも優に超える巨躯はおおよそ『イノシシ』の括りからは外れており、おそらく体重500kgは下るまい。
俺の知る世界の物で例えるならば、おおよそトラクター程の大きさだろうか。下草を踏みつぶしてのし歩くその様は、まさに魔獣と呼ぶに相応しい威容である。
見たところコイツは呪いで魔に変生したタイプの魔猪……が世代を重ねて出来た子孫といったところだろうか? 生まれながらに魔に属しているタイプなので、ある意味一番厄介だ。『魔』である事に慣れてくるので平気で魔術とか使ってくるタイプである。
「う、あ……」
「落ち着いて下さい、アンジェラ嬢。奴はこちらに気づいてはいません。先手を確実に取れるのですから、恐るるには足りませんよ。……そう、深呼吸して、冷静に、いつものように稲妻を放つのです」
まぁ実際、恐れることは何もない。実際に見た上で断言できる。俺ならデコピン縛りでも完膚なきまでに粉砕できる相手だ。
だが、先程も述べた通りそれは最後の手。可能な限りアンジェラ嬢には頑張って貰うとしよう。
深呼吸して息を整え、手のひらを魔猪に向けるアンジェラ嬢。その全身にはいつも以上に魔力が巡り、彼女の『力み』を物語っている。
しかしそれは悪いことではない。むしろ彼女はもっと力んでも良いぐらいなのだ。だからこそ、俺はアンジェラ嬢を煽る。
「アンジェラ嬢、確実に魔術を撃ち込めるのですから、渾身の一撃を放つべきです。ありったけの魔力を練り込んでください。仕留め損なうと、アレはこちらに襲ってきますよ」
そう言って『1発で決めないと死ぬかもしれない』と思い込ませ、アンジェラ嬢に過剰なまでに魔力を練り上げさせる。
————彼女は気づいていないのだ。自分の状態に。
ゴブリンの心臓をこの数日で数十匹分喰らい、胃袋に余裕がある日はその他の臓物も喰らっている彼女は、俺の行った呪術によって、供物の力を取り込んでいる。
にも関わらず、彼女は今まで、俺を召喚した日と変わらぬ感覚で雷の矢を放っていた。
実際、ゴブリン狩りならそれで問題無い。だが、魔力の増大を『弾数が増えた』という方向に認識しているのは問題である。
魔力とは、文字通り力。それは単純に『破壊力』としても扱える筈なのだ。
「————
故に、鼻水をちょっと垂らしたビビり顔*21でアンジェラ嬢が吼えたその直後。唸りを上げる魔力の本流が彼女の心臓から腕へと迸り、その過程で大気に青白い電光を放ちながら構えられた掌へと収束。
まさに雷霆と言うべき大音声と稲光と共に外界へと飛び出したそれは、枝分かれした電撃で周囲の樹木を爆ぜさせながら魔猪へと襲い掛かり、災害クラスの大電流が魔獣の巨躯を蹂躙した。
ゴブリン数十匹を取り込んだだけでここまでの威力が出るのは不可解だと思うかもしれないが、それは違う。重要なのは力の密度だ。
握力40kgの10人が腕を掴んできても痛いだけだが、握力400kgのゴリラに腕を掴まれれば握り潰される。
総合的な力の量は同じでも、『アンジェラ嬢と数十匹のゴブリン』より『数十匹のゴブリンの力が加算されたアンジェラ嬢』の方が密度が高いのだ。
その結果が、全身から煙を上げて痙攣する魔猪である。
「えっ、えっ、うわ、やった、やったよ! 凄い、私凄いんじゃない!?」
「ええ、流石は大魔女であるアンジェラ嬢です。……しかし、アレはまだ死んでいないようですね。幸いすぐには動けそうも無いので、もう一度アンジェラ嬢の雷霆を叩き込んでやりましょう」
酷いオーバーキルになりそうだが、問答無用だ。アンジェラ嬢の扱う『電撃』はこと生物相手なら、下手に
過剰な電流を受けた肉体は、筋肉の痙攣などに見舞われ、ゴブリン程度ならアンジェラ嬢の普段の電撃でも心臓麻痺で即死するのだ。
当然魔猪も例外ではなく、即死に至らずとも電撃はその筋肉を麻痺させ、自分に何が起こったのかも把握できずに、のたうちまわるばかり。
仕留めるには絶好のチャンス、逃す理由はひとつもない。
「雷の矢ッ!」
再び迸る電流。それに先んじて、俺は若干のサポートとして調理用の鉄串を魔猪にむけて投げ放つ。深く肉に食い込んだそれはしかし、魔猪にとっては針で怪我をした程度のダメージだろう。
その後に、電撃さえ襲ってこなければ。
毛髪や表皮というものは、本来電気を通しにくいもの。天から落ちる本物の雷でさえ、直撃して生還する者が居る*22のである。だがそこに、金属という導体が有れば話は変わる。
電気は最も抵抗の少ない金属を伝って、電解質に満ちた体内へと流れ込み、血管を伝って全身を焼く。
その結果は、心臓麻痺ならぬ心臓爆発。もがき、泡を吹き、壮絶に苦しみながらも、魔猪はやがて断末魔と共に息絶えた。
「……死んだ、のかな」
「ええ。死んでおりますね。では俺が解体してきますので、アンジェラ嬢はどうかご休憩を」
そう告げて、貼り直した結界内にアンジェラ嬢を置いて、俺は巨大な魔猪の解体に取り掛かる。
証拠として皮を剥ぎ、モツを抜いて、枝肉をどんどん『携帯式厨房』に収納していくのは大きくてもゴブリンと同様。悪魔の膂力と愛用の魔剣包丁があれば、巨大な獣であっても解体に半時間と掛からない。肉に関しては熟成が必要だが、モツはそう言った手続き無しに楽しめるので、しばらくはイノシシのモツ料理になりそうだ。
そして、最後に心臓に癒着していた大きな魔石を剥ぎ取って、解体完了である。
「終わりましたよ、アンジェラじょ————」
「ニスロクッ、後ろッ!!!」
アンジェラ嬢が発した警告。木々をへし折る破砕音、獣の匂い、轟く足音。
なるほど、もう1匹居たのか。生意気にも魔術で気配を断ち、俺の油断を狙っていたらしい。……そういえば解体した個体はメスだったし、オスが居てもおかしくは無いか。俺と言う上位者に対する復讐の為に、不意打ちによる暗殺を選ぶ程度の知能はあった様だが————相手が流石に悪いな。
なんて、悠長な思考を巡らせつつも悪魔的身体能力で音より速く振り向いた俺は、その勢いのまま迫る巨獣に手にしていた包丁を突き込んだ。
メスよりもなお大きいその巨体。700kgを越えるだろう怪物のその脳天に、俺の腕が肘まで突き刺さり、頭蓋に守られた脳を破壊する。
だが、即死したとて突進の勢いはそのままだ。このままではアンジェラ嬢に突っ込むルート。それは許容できない。というかコイツ、それが狙いか? 『番を殺されたから番を殺し返す』的な感じで。まぁ生憎と俺とアンジェラ嬢は番ではないのだが、性根が『呪い』なヤツはこういうところで陰湿である*23。
が、やはりそれでも畜生風情、死んでも突進の威力と体重差で押せる、なんて甘い考えしか出来ないおつむの弱さは致し方無しと言ったところか。
悲しいかな、包丁を持たない手で猪の鼻面を鷲掴み、錬金術で大地を石化させて足場を確保すれば、あとは俺が威力を調整して『踏み込む』だけでその突進の威力は相殺されてしまうのだ。肉体が破壊されない前提ではあるが、物理学の上ではダンプカーが突っ込んできてもダンプカー以上のエネルギーでタックルすれば弾き飛ばせる*24のである。であれば、大悪魔の俺にとっては魔猪の突進をピタリと止める程度は余裕なわけで。
結局、魔猪のオスが俺達に与えた被害は、解体の手間がもう一度増えた、という実に細やかなものだけだった。
「いやー、びっくりした。解体に集中し過ぎて注意力散漫でしたね」
「大丈夫なのニスロク!?」
「もちろんです、アンジェラ嬢。中級悪魔ですからこのぐらいは」
嘘では無い。中級悪魔でも『頑張れば』このぐらいはできる。大悪魔の俺が本気でブン殴れば、相手の突進エネルギーを過剰に上回る超破壊力で魔猪を影すら残さぬレベルで粉微塵に消し飛ばすこともできるのだ。
もちろん、流石にそんな無茶苦茶なことをしてアンジェラ嬢に『上級悪魔なのでは?』なんて事を思われても困るので絶対にやらない。
俺はアンジェラ嬢を隠蓑に、のんびり料理生活を送る予定なのだ。
「さて、追加が入った分も解体して、役所に報告しましょうかアンジェラ嬢」
「えっと、本当に大丈夫? 痛いところとか無いの?」
「中級悪魔はアンジェラ嬢の想像よりずっと頑丈なのですよ。御安心ください」
そう心配性なアンジェラ嬢を宥めつつ、再び解体に取り掛かった俺は、先程同様に毛皮と魔石だけを証拠として残し、役所に出す証拠を揃えていく。
そうそう、死後硬直が終わったら肉を骨から取り出して、2頭分の骨を焼くのも忘れないようにしなければ。
豚骨は非常に勿体無いが、建前として『呪いで汚染されていた血肉を焼き払った』ということにしておくのだ。
イノシシ肉独り占めは何か文句をつけられるかもしれないしな。
その為に薪集めをしたり、やる事は多い。まぁ、明日の朝に役所に行くまでに全てのアレコレをこなしてしまうとしよう。
さしあたって、イノシシ焼却の偽装の為に、地面を掘り返すところからだな。腐葉土の上で焚き火をするのはマズいとかいう次元では無い。腐葉土を伝って炎が地下に広がり、森が丸焼けになってしまう。それを防ぐ為にもちゃんとした地面が出てくるまで、この辺りを掃除するのだ。
と言うと簡単そうだが、ざっと1mは掘らねばならない。腐葉土の堆積層は存外深いものなのだ。魔術をガンガン使って掘っていく予定だが、それでも若干面倒ではある。
「さて、今晩は忙しくなりそうですね」
俺はそう呟いて腕まくりをすると、穴掘りに取り掛かったのだった。