■闇の章:記念すべき作戦
時間は数日さかのぼる。
夕方。ここは辺境にある農業研究所。城塞都市からも馬で1日かかるほどだ。
砦と言って良いほどの大きさの塔が並んでいる。
ここには魔術師達や学者達が日々新たな発見を探す農業に関する研究施設だ。
その内部、石造りの廊下を小さな影が何体も、誰にも見つからず行き来する。
<作戦状況を報告しろ>
<食堂、毒を入れおえました>
<武器庫、破壊工作完了>
真っ暗な倉庫の中に小さな影たちは集まり、テキパキと動く。
黒いフードに黒い革の鎧。ふわりとしたローブ。
ゴブリン暗殺者たちだ。
<長は?>
<ここの戦士長は殺った。頃合いだ。狼煙をあげろ>
<了解、さすがは長……油断はよくないとは思いますが、わくわくしますな>
<さよう。我が国初の軍事作戦です。腕がなります>
<そうだ。絶対にしくじるわけにはいかん。無駄話はおわりだ。気を引き締めろ。散会!>
<はっ!>
<御意に>
そうして、研究施設の中を短刀と毒薬片手にゴブリン達が走り回る。
人目を避け、隠れながら……
やがて、バラバラに散会した彼らは近くの野原で、あるいは塔の上で。あるいは屋根の上から。
こっそりと狼煙を焚いた。
■作戦開始。
研究所にほど近い森の中。隠れ潜んだゴブリンの精鋭150人が息を潜めて待っている。
大型のゴブリンウォリアーは手に
ゴブリンライダーの数も少なくない。彼らもまたハルバードを手にしていた。少ないが、ゴブリンシャーマンもいる。
大盾兵に投石兵、衛生兵に騎兵。
合戦の準備そのものだ。その中心に、ゴブリン王はいた。
壮麗な赤い鎧に血染めの大鉈。横にはトロル拳法家だ。
「狼煙が上がりました。王よ、号令を」
悪魔術士が望遠鏡で狼煙を確認し、王に伝える。
ゴブリン王は重々しくうなずき、立ち上がった。
<皆。ついにここまで来た。記念すべき我が国最初の軍事作戦だ。俺たちは備えてきた。武器を作り、体を鍛え、訓練を積んだ。今もすでに暗殺者の精鋭が潜入している。皆、この時を待っただろう。俺も待った。だがいよいよだ。いよいよ俺たちの戦争が始まる。何も恐れることはない。訓練の通りやればいい。勇敢なる戦士達よ!さあ、奪い、殺し、犯せ!戦うのだ!>
それに対し、戦士達は無言で武器を打ち鳴らし、地面を突く。
隠密作戦なのだ。静かにやらねばならない。
だが、誰も彼も異様な熱気に高揚していた。
<ウォリアーの大盾兵は先方をゆけ!投擲兵はその後ろから攻撃せよ!シャーマンの精鋭たちよ!お前達が頼りだ。我らを癒やせ!道が開けたならば、さあ騎士(ライダー)たちよ。お前達が後詰めだ。敵を蹂躙し、濫獲せよ!
そして、メスと戦士はお前達の好きにするがいい。俺が許す。だが、一番いいメスと、戦えないオスは俺に渡せ。オス共には働いてもらう。そう!俺たちの奴隷としてだ!そしてここには
再び賛同の武器鳴らしが続く。獰猛な笑い声さえ漏れた。
<いくぞ!俺に続け!行軍せよ!>
<おお!おお!おお!>
とうとう抑えきれずに鬨の声がでた。ゴブリン王は一瞬舌打ちしたが、今は叱るのはやめておこう、と鉈を掲げ、行軍を開始した。
■気づき
「学長!襲撃です!」
「襲撃?どこの手の者だ?数は」
塔の中、一番奥の大きな部屋。ここの長の部屋だ。
「それが……ゴブリンの軍勢です。数は100か200。ハルバードを持っています。ウォリアーやチャンピオンも10や20では効きません」
「厳しいの……じゃが、なんとかはなろう。こういうときのための警護兵じゃ。存分に戦いなさい。魔術師の者も、戦える者は志願制で協力するのじゃ」
「はっ!」
老人は入って来た伝令に伝え、伝令が出て行くと大きくため息を吐いた。
「やれやれ、面倒な残業になりそうじゃわい……」
◎開戦
前線では、すでに戦いが始まっていた。
ゴブリン王とトロル拳法家が先陣を切って警護兵をばっさばっさと切り捨てて行く。
人より遙かに大きな二人が繰り出す攻撃は、大鉈の一撃は銅を輪切りにし、三節棍の変幻自在の打撃は手練れの兵士でも挽肉に変えた。
<行け!行け!もっと石を投げろ!火を放て!もう我慢するな!鬨の声を上げろ!敵に恐怖を与えろ!>
<うおおお!!>
もちろん、人間とてやられているばかりではない。魔法を放ち、兵は武器を手に戦う。
しかし、その武器も農具やおれた槍など、あり合わせのものばかりだ。
ちゃんとした武器はすでに潜入していたゴブリン暗殺者たちによって破壊されていた。
そして、ゴブリン王たち前線の英雄共は、危なくなれば大盾兵の後ろに隠れ、悪魔術士とゴブリンシャーマンたちが回復魔法をかける。
<そうだ!戦士達よ!いいぞ!殺せ!殺せ!無理攻めはするな!散歩のように……ゆっくりと楽しんでゆこうではないか!>
<はっはっは!然り、然り、然り!うおおーっ!>
前線は膠着状態になるかと思われた。
これもまた、人間の予想外であった。いかに相手が精強かつ武器が壊れていようとも、ここまでゴブリンが損耗なしに攻めてくるとは思いもよらなかったのだ。
さらに毒がじわじわと体を蝕み、体力を削っていく。苦痛で普段の動きすら難しくなっていく。
時間はゴブリン軍に味方しつつあった。
■覚悟
それは、塔の上から戦いを見ていた学長にも伝わっていた。
「これは……予想外じゃの……完全にしてやられたわい。損耗は?」
「武器がほとんど、指揮をすべき戦士長もすでにやられたようです。どうやら、内部にも潜入されています。体調不良の者も多く、毒を入れられた可能性も……」
「……そうか」
「学長、ご決断を」
学長は大きくため息をつき、覚悟を決めた。
「女性職員はすみやかに地下隠し通路から避難を。研究員は残すべき研究資料を魔法のポーチに詰めて伝令に渡せ。王党派ならば誰でも良い。領主に届けるのだ。残った戦士は女性職員の護衛をし、共に街まで避難。急ぐのじゃ」
「はっ!残りの者は?」
「研究員は伝令に渡した研究成果以外をすべて焼き払い、終わったら待避。戦える者は……義務を、果たせ」
「……了解しました。お互い、ご武運を」
「ああ、生きて王都で会おうの」
衛兵が走って行くと、学長はため息をついて本棚の本の一つを押し、本棚を横に滑らせて隠し通路に降りていった。
「あやつらをゴブリン共の手に渡すわけにはいかん……あまりにも、危険じゃ。わしの命と引き替えにしてでも倒さねば……」
暗い階段を下り、幾重にも魔法の封印がされた隠し部屋。
学長は急いで封印を解くと、中にいる者を殺すべく、魔法を唱え始める。
「『魔力よ、集まり、流れ、奔流となり敵を……』」
そこに、あっけなく天井に張り付いていたゴブリン暗殺者の落下攻撃が刺さる。
後ろから尾行してきたのだ。毒にまみれたナイフは学長の首を後ろから頸椎を割る勢いで突き刺さった。
「がっ……あっ……ば、バカな……!」
「すまないが、この先におられる方を殺させるわけにはいかん。我が国の后となられる方だ……」
「お……のれ……」
学長はばたりと倒れ、ゴブリン暗殺長がトドメを刺そうとすると封印の扉のなかから声が聞こえた。
<それは罠!自爆!逃げて!>
とっさに飛び退くと、学長の体が爆炎と共に砕け散った。
幸い、暗殺長は
安全を確認すると血煙の中をかき分けて扉の中に入っていく。
「ありがとうございます。あなたが伝説のテイマ-、リリー・ホーエンハイム様でしょうか」
「それは母。私は長女ヒルダ。ここから出してくれる?」
「もちろんです。あなたが我々に協力していただけるならば」
「話による」
「では、手短になりますが……」
■淫祠のテイマー魔王
かつて、リリーというテイマーがいた。
彼女は従魔とつがうことでその信頼を確かなものとしていた。
だがあるとき、黒の神の啓示を受け異種族でも孕むことができる魔法を習得。
己のテイムするモンスターの子を孕んでは産み、半人半魔のハーフを次々に育て上げた。
だが、彼女はそれだけに留まらなかった。
彼女を異端としてつるし上げようとする村人達を逆に洗脳。
村の女性は「テイマー」になり、彼女の子らをさらに産み増やした。
やがて略奪にも手を出すようになり、彼女は魔王として恐れられ、そして討ち取られ、ここに封印された……
それがかつてあったこと。
ゴブリン国は彼女たちを解放し、そしてまた始めようというのだ。
その洗脳技術を生かしてさらった女性達をただ犯されるだけの「孕み袋」から自主的にゴブリンに教育を施し愛す「母」に変え、さらに士気を上げつつ戦力を増強する。
そして、増えた人口に対してはここの農業研究者を拉致し、貴重な研究成果を使い農業効率を上げる。
そういう作戦だった。
ゴブリン暗殺長はそれを手短に伝えた。
ヒルダはにんまりと笑った。
「わかった、協力する。ただし一つ条件が」
「なんでしょう」
「私はあなたとつがいになる。王様は母様とつがいになればいい」
「……王に具申してみましょう。とにかく、脱出を」
「わかった。母の場所もわかってる」
「それはありがたい」
かくして、すでにテイマー魔王の娘の一人がゴブリン王国の手に落ちた。
◎陥落
「くそ!くそ!どこもかしこもゴブリンだらけだ!」
「落ち着け!まだ戦線は膠着状態だ。勝ち目はある!」
未だ戦いの続く城内。戦う兵士達の後ろで城門が開き、半人半魔の女戦士たちが後ろから強襲する。
<好機だ!敵は総崩れだ!ゴブリンライダー隊!待たせたな!今こそ暴れろ!>
<うおおお!!>
あっという間に人間達は駆逐された。
そして、あとは勝利宣言、というところに女モンスター達の先頭にいる女性が口を開いた。
<あなたが、ゴブリン王ですか?>
圧倒的な存在感だった。ゴブリン王に勝るとも劣らない強者の気配。
艶めいた、果汁のしたたる桃のような声。
黒髪をなびかせ、ボロ布を巻いただけのしかし輝かんばかりに生命の力に溢れた魔性の女。
<そうだ。おまえが淫魔王リリーか?>
<そのように、よばれておりました>
二人の強者の邂逅にどちらの軍勢も沈黙と緊張を持って見守るしかない。
<お前を
<まあ……その夢とは?>
<俺はゴブリンの文明を作る。ゴブリンの歌を作り、ゴブリンの料理を作り、ゴブリンの娯楽を作り、ゴブリンの酒を作る!俺とお前の国だ。安住の地だ。どうだ?>
<あら……それは素敵ですね。娘共々、どうぞよろしくお願いしますわ>
<決まりだな。兵共よ!祝福しろ!勝利の雄叫びを上げろ!>
割れんばかりの歓声が上がった。
<王様万歳!女王様万歳!>
<勝利万歳!勝利万歳!>
<ゴブリン国に栄光あれ!>
いつまでも、いつまでも歓声が上がる。やがてそれが嬌声と淫靡な水音に変わるのはまもなくだった。
後になって王都の救援隊が駆けつけた頃には、そこはもぬけの殻であった。
ただ、破壊と狂乱の跡だけがあった。