◎夏の気配
それから、数ヶ月がたった。
季節は春を越え、初夏にさしかかりつつある。
「きええええい!」
「うむ、そうだ。良いぞ。どれ、父もやるか。キエエエエイ!」
日が昇り始めるとゴブリン親子はもちろん、幽霊剣士の門下生たちがあちこちで
武家者により授けられた東国の鍛錬法だが、今やアッシュピーク村の名物だ。
アーサーも当然これを授けられた。
『怒り、悲しみ、恐怖。そういった黒い気持ちが腹の中に渦巻くときも、これをやりなさい。黒い気持ちを決して人に向けぬように』
ゴブリン騎士はそう自らの経験を元に語った。
実際、アーサーの情操教育と剣の鍛錬には役立っているようだ。
日がすっかり昇ると、牧場の一角にある鍛錬場は弟子達が集まってくる。
「……そろそろよかろう。鍛錬を始める。まずは型稽古からだ……」
「はい先生!」
まずは基本の型を100回。いまやアーサーもキッチリとした剣筋でついてきている。
「……よかろう。組み手を始める。今日からはアーサーもだ……昨日話した通りだ。よいな?ゴブリン騎士」
「はい、息子にはきちんと言い含めてあります。アーサー、父の昨日話した事をかいつまんで話してみなさい」
「はいですのだ!えーっと……『敗者を辱めてはならん。敵なれど一握の慈悲、忘れるなかれ』……でしたのだ?」
実際はもう少し長い話だったが、アーサーは要点を理解していたようだ。
「……理解しているようだな。ならば良い。勝利の喜びに酔うのは良い、しかし敗者を辱めるな……怨みを買って良いことは一つもない……」
「はいですのだ!」
「……ではクリス。お前が相手をするのだ……」
「はーい、むねをかしてやるってやつだな!いつでもいいぜー!」
「おー!クリスとやるのだ?わかりましたのだ!」
二人は少し開けた所に出て、立ち会う。
「……では、礼!」
「よろしくたのむぜ!」
「よろしくなのだ!」
互いに剣を突きつけ合う『開戦礼』をして組み手が始まった。
「うおー!いくのだ!」
「よーしこい!」
闘技を用いぬ体術による『立待月』による突きを繰り出すアーサー。
対してクリスはアーサーの木刀の切っ先を木刀を当ててそらし、すれ違い様に一撃入れる。
「おらっ!」
「ぐぬっ!まだまだいくのだー!」
またもやアーサーは闘技ではない『弄月』を繰り出すが、練度の低いそれは牽制にしかなっていない。
「なんのー!『跳び』!」
「のだっ!」
クリスは飛び上がって『弄月』の隙間から剣を振り下ろす。
クリスの木刀はアーサーの肩にあたり、アーサーの木刀をはね飛ばした。
「……クリスの勝ちだ。互いに、礼!」
「まあ最初はこんなもんだぜ!ありがとうございました!」
「……ありがとうございましたのだ」
互いに頭を下げる。
アーサーは目元に涙を浮かべていた。
「……立ち杭のところにいってきますのだ!」
「……好きにせよ……」
アーサーは木刀を持って脱兎のように杭に向かっていく。
やがて遠くで声がした。
「あーん!負けたのだ-!くやしいのだ-!うえええん!」
そして木刀で杭を打つ音。
「……やれやれ……クリス、気にするな……誰とて最初はあんなもの……」
「えーっと……うん、大丈夫だぜ!」
「すまんな、クリス。気をつかわせてしまった」
「い、いえ……」
「……さあ、組み手を続けるぞ……ゴブリン騎士、後で声をかけてやれ。少しは優しくな……」
「はい、お手数をおかけいたしました」
「……だが、この場で当たらぬだけ……子にしては我慢ができている……やはり、お前の子だな……」
「ありがとうございます」
弟子達は再び稽古に戻る。最初の組み手で負けた子供が泣くことなど、ありふれたことだ。
◎おうちにかえろう
稽古が終わったあとゴブリン騎士はアーサーの元に向かった。
手には二つのレモネードだ。
「アーサー」
「……父様」
杭のある場所には、しょぼんとしてしゃがんでいるアーサーがいた。
「……稽古をぬけて、ごめんなさいですのだ」
「ああ。それと、あとでクリスにも謝っておけ。それから、遺恨は残すな。尋常に立ちあって負ける……よくあることだ」
「……はいですのだ」
「くやしいか。だが、くやしさを一つ飲み下すたびにお前は強くなる。これは戦いではない、稽古だ。負けることは恥ではない。敗北の一つも知らずに強くなる者などいない」
「……父様も?」
「ああ、何度も涙を呑んだことがある」
「……あとで、クリスと先生にあやまりますのだ」
「うむ、それで良い。帰ろう、家に」
ゴブリン騎士はアーサーにレモネードを渡した。
アーサーはこくりとうなずいてレモネードを飲んだ。
「はいですのだ」
やがて、アーサーもいつの日かこのレモネードの味を思い出すだろう。
喜びも悲しみも共にあった故郷の味として。