◎闇の章:ゴブリン文明
「なるほどね、あれがゴブリン騎士とその息子達か。いいじゃないか。相手にとって不足はなさそうだ」
ゴブリン騎士たちのキャンプを遠くから望遠鏡で覗く集団がいた。
赤い上等なシャツと半ズボン、赤肌をした少年のようなゴブリン。そしてフードを被ったゴブリンの暗殺者たちだ。
ゴブリンの王子、モルドレッドとゴブリン暗殺衆である。
「息子達はともかく、ゴブリン騎士は容易ならざる敵です。あまりお近づきになられぬよう。視線だけでも気取られかねませぬ」
頭目の証として赤いラインが入った黒い皮鎧に身を包む『鷹』がささやいた。
今や彼は近衛兵団として王や王子の護衛に当たっている。
彼ら暗殺衆の持つ建築や農業、文字と言った文化面での活動が彼らを家臣団として出世させたのだ。
「その時は僕等全員で当たればたぶん負けない。息子たちは逃がされるだろうけど、それもドラマチックでいいじゃないか」
「お戯れを。視察は十分でしょう。ゴブリン騎士の腕、いまだ衰えず。息子達も健在。今はこれだけの報告で満足すべきかと」
「たしかに!そろそろこのうっとおしい森にも飽きてきた。戻ろうじゃないか。ぼくらの『植民地』へ!」
「はっ」
モルドレッドは美しい彫刻の入った双眼鏡を『鷹』に投げ渡す。生まれつき人を従える者の仕草であり、高貴さすら感じられた。
この双眼鏡は、かつて実験棟から奪ったものを元に北方廃鉱山の『植民地』で製作されたものだ。
それはすなわちすでにゴブリンたちは高度なガラスの製造技術を持っているということに他ならない。
歳月はゴブリン王国にも等しく味方するのだ。
「『自由なる旅人神よ。我が足跡を再び辿らせたまえ。御身の駿馬をかしたまえ『転移門』」
モルドレッドがネイルアートで美しく飾られた指先を宙に走らせると波打つ鏡面が現われた。
『転移門』の魔法だ。悪魔術士が得意とするこの魔法をこの王子はすでに習得していた。
魔王妃リリーと悪魔術士の英才教育により、彼もまた魔法と武を共に高い練度で実現させていたのだ。
「やれやれ。悪魔のおじさんのように無詠唱はまだ遠いか。これだから魔の深淵はたまらない」
「武と文もお忘れ無く、王子」
「わかっているさ!最近おじさんに似て口うるさくなったね、『鷹』」
「王子は王国の希望です故」
「人気者はつらいねえ!アハハハ」
『鷹』が彼に似つかわしくなく軽口を叩く。赤子から育つところを見ていた王子をかわいがっているのだ。
親戚の子供ほど甘やかしたくなるというやつだ。
それだけ、彼らの間には強い信頼がすでに築かれていた。
「僕が帰ったよ!」
転移門を抜け、『植民地』洞窟の都ギギル。そこはそう名付けられていた。
山をくりぬいて作った巨大な地下都市だ。
王子が転移に使ったそこは王族や家臣団の転移場所を兼ねた目抜き通りとして作られた広い場所だ。
天井は10階か、20階か。果てが見えぬほど高い。
筒状の洞窟はその外周部に赤々と灯りを灯し、通りには音楽と芸人が溢れている。
「おかえりなさい、王子」
<おかりないやせ>
<おかえりなせえませ、王子様>
周囲のゴブリンたちが一斉に平伏して挨拶をする。ただし、芸人と楽師だけはその芸を続けて良いことになっていた。
「ハハハ、帰ったか兄様!」
「おおモリガン!そうとも!愛しい妹よ!お兄様のお帰りだ!」
浅黒い肌に赤い入れ墨、犬のような獣耳、少女の顔をしたやはり美しい特別なゴブリンが満面の笑顔でモルドレッドを迎えた。
彼女もまたその肌色に似合った白に近い灰色のフリルシャツと半ズボン姿だ。
密林で活動することも多いゴブリン王国では重ね着よりも薄い衣が好まれた。
森に分け入る平民は長ズボンを、視察で行くくらいの貴族は半ズボンがその体型からより珍重された。
そう、すでにゴブリン王国は『おしゃれ』をするくらいに豊かなのだ。
「とうとう工房から
「いいね、つまみは料理長に頼んで大モグラのチーズとキノコパンのピッツァにしよう!」
「火炎苔のスパイスも忘れずに頼んでくれ兄様!」
「もちろんだとも!あれがないと始まらないからね!」
「わーい!」
あれから5年。すでに地下の菌類やコケ類といったものによる農業はすでに円熟を迎え、パンの代用食やモグラやネズミによる牧畜まで成し遂げていた。
もはや火炎苔や岩塩といったスパイス類で他種族に輸出する側になっているのだ。
「王子、食事の後は父君にご報告をお忘れなく」
「わかっているよ!実家に帰った時にげんこつを落されると痛いからねえ」
「ご立派な心がけです。王子、あなたがこのギギルの都を任されているだけの信が父君にあらせられることをお忘れなく」
「いい都にしただろう?!」
「ええ、ですがこれからはひと味違うでしょう」
「ああ、そうだなあ。そろそろ戦争ができる!ああ!戦争ができる!いよいよだ!楽しみだなあ」
「ええ、まったくです」
ゴブリンはかつての人の現し身だ。
故に、その欲は限りがない。豊かになれば、外を目指すのだ。さもなくば内でつぶし合うしかなくなる。
戦争の足音はゴブリン騎士達が気づかぬうちに迫っていた。