その気持ち、タブーにつき 作:くちばし
予めご了承ください。
誰かを求めることは、誰かを傷つけること。
誰かを求めることは、自分を傷つけること。
それは愛で、それは恋。
愛とは信頼、恋とは独占とも言う言葉がある。
愛を渡す、それ即ち相手を恋で傷つけること。
恋を欲す、それ即ち自身の愛を踏み躙ること。
けれど、それでも。
人は恋をしなければ、恋をしない分傷ついてしまう。
恋をしなければ、空いた穴はもっと空いていく。
苦悩に揉まれ、孤独に蝕まれ、やがて恋を求める。
恋に自由を奪われて、恋に知恵を壊される。
そして傷つけば傷つくほど、恋は実るのだ。
♢♢♢♢♢♢
白い天井にぼやけた照明、その質素な狭い部屋に二人。
ミスターシービーと彼女のトレーナーが向き合って座っていた。
互いに何も話さず、無音の世界が広がっていて。
その静寂を破ったのは、シービーの艶やかな声だった。
「ねぇ、愛と恋の違いってなんだろうね?」
「え、え?急に難しい質問を出すね……?」
突然の問いに、トレーナーはただ困惑することしかできなかった。
その様子を見て無邪気に笑みを浮かべて、シービーは『ゆっくり考えようよ』と言う。
そうしてお互い、顎に手を当てて考え始めた。
愛とはなんだろう、恋とはなんだろう。
ふとした時に、ミスターシービーはそう想う。
『別に愛も恋も意味は同じじゃない?』と。
『どうして分かりやすいのをいちいち別けるの?』と。
幼い子供が持つようなありきたりな疑問でありながら、この違いは人の価値観によって大きく変わる。
変わると言っても、本当に些細な部分が変わるだけなのが大半だろうが。
しかし、シービーは違う。
周りとは常識外れな価値観を持ったシービーにとって、その些細すら疑問だった。
疑問から生まれる疑問、じゃあ何故その些細すら気にして別けるのかと質問責めになるだろう。
ミスターシービーとは、そういうウマ娘だ。
「うーん……あくまで俺の答えなんだけど、聞いてくれるかな?」
「もちろん!それで?答えは、答えは?」
尻尾を犬みたいにブンブンと振って、子供のように輝く目でトレーナーを見る。
急かされながらもトレーナーは平静で、焦る素振りは全く見せず。
自信を持って、話した。
「俺が思うに愛と恋の違いってね、相手本位か自分本位かの違いだと思うんだ」
「相手か自分?どういうこと?」
相手本位と自分本位。
そんな難しそうな意味に対して疑問を示した。
「愛は相手のために行動すること。例えばご飯を作ってあげたり、服を畳んであげたり、どんな些細なことでも相手のために背負ってくれるものだと思う」
「……つまりさ、キミがアタシのために一緒にキャンプをしてくれたり、水浸しになったアタシを拭いてくれるのと同じ原理?」
「まぁ、そうなるね」
「ふぅん……」
事が分かったのか、或いは少し意味ありげに目を細めながら声を漏らすシービー。
その
そんな
「逆に恋は自分のために行動することだ。自分の心を満たすために誰かを傷つけてしまったり、時に相手を縛りつけてしまったり。今挙げたのは悪い例だけど、自分の『欲』が行動に出てしまうのが恋だと思っている」
「へぇ……なるほどね、ちょっと分かった気がする」
そう言うと、トレーナーと合わせてた目を逸らした。
次に観たのは、ネオンの光が広がる天井と、窓から見えた青空の光。
また目を細めて、下を見て、頬杖をついて。
深く息を吸い、遠くを見ながら少女は語った。
「この部屋ってすごく窮屈だよね。でも外は広い、空はもっと広い。今は青空がすごく綺麗で、その下で歌いたくなる気分なんだ」
「でも空は身勝手だ。いや、身勝手と言うよりは自由かな?まぁどっちでもいっか!」
一度笑い飛ばして、微笑む。
そして優しく微笑んだまま、また語った。
「空ってさ、アタシたちの想いに関係なく姿を変えるよね。曇り空になって、やがて夜空になって……星が見たいのに、星を見せてくれない時もある」
「アタシね、時々思うことがあるんだ。空って地球に恋してるんじゃないかって」
空が地球に恋している。
そんな独創的な見方と優しい語りに、トレーナーは釘付けになっていた。
他にも人がいたならばきっと足を止めて話を聞いてしまう、そう思うほどに、シービーの語りは何処か引き込まれるものがあった。
窓の向こうにある空を指差して『あの空を見て』と。
トレーナーはそれに釣られて、空を見た。
青く、青く、ただひたすらに青く。
雲一つない晴天が、そこにはあった。
「……とっても、綺麗な笑顔だよね」
うっとりとした目で、呟く。
少女の目にも、男の目にも、青が映る。
青が笑っている、綺麗に笑っている。
少女の世界は、青空の中心にいた。
窓から抜けてきた風が、少女を優しく撫で。
髪が揺れて、それでも空を見て。
男は知らぬ間に、その世界に引き摺り込まれていた。
目を閉ざすと、少女は語る。
「あんな
刹那、少女の世界が歪んで、消えて。
ゆっくりと、翡翠の瞳は開かれる。
「だからこそ、だ。心は空よりも広くて、より身勝手で、自由で、ワガママだとアタシは思ってる」
開かれた瞳は爛々と輝いていて。
今まで優しかった語りが、忽然と強い声色に変化していた。
先にトレーナーが自信を持って話した時と同じように、シービーもまた自信を持って話していた。
空から目を逸らしたトレーナーはシービーを見る。
夢から戻ってきたかのような、あのシービーの世界の余韻をまだ味わっているかのような。
シービーの言うことが全て理解できた気がして、シービーがくれた世界を味わっていて。
最早悟りにも近いとすら、トレーナーは思った。
けれど、それも一瞬。
「キミの話を聞いてさ、愛と恋の違いがなんとなく分かった。人の心が恋に縛られるなら、地球も空に縛られておかしくないもんね?」
優しく軽やかな声に、その悟りは閉ざされる。
「なる、ほど……ちょっと分かる気がする」
「あはっ!分かろうとしてくれるなんて、本当優しいんだから」
先程まで分かっていたのに、何故か今は分からないという未知なる感覚。
理解はしたけど、理解はできていない、そんな矛盾に襲われながらも、トレーナーはうやむやに声を出した。
『分かる気がする』というトレーナーの優しさ。
その優しさはもう貰い過ぎたモノで。
けれど、心の欠けた部分が埋まる感覚を、シービーは感じ取った。
「うーん……でも、あまり分かってないからなぁ……」
苦虫を噛んだ顔をトレーナーは浮かべ続ける。
これも違う、あれも違う、何が正しいと。
シービーのために考えて、考えて。
徐々に面白おかしく歪むトレーナーの顔を見て、シービーは声を出しながら吹き出した。
笑う、愉快に笑う。
シービーが笑って、笑って。
「な、なんでそんなに笑ってるんだ?」
「いやぁ?キミの悩んでる顔がちょっとおかしくって!」
「俺の顔が変だって言うのか〜!?」
トレーナーも乗って、一緒に笑って。
お互い、揶揄い合う言葉を投げかけながら笑った。
そんな風に一頻り笑い合えば、トレーナーは息を吸い直す。
どうすればあのシービーの世界が理解できるのだろう。
あの世界をもう一度理解したい、理解しなければならないとすら思っていた。
また悩みで歪みかけているトレーナーに、シービーはある提案をする。
「そうだなぁ、じゃあ次はキミの世界を教えてよ」
「俺の……世界?」
「そう、キミの世界。アタシの世界を手っ取り早く理解したいなら、一緒に世界を共有すればいいと思うんだ、どう?」
その提案にトレーナーは一唸りする。
果たして自分にそれができるのか、と。
詩人のような感性は持ち合わせてるわけではないし、シービーのような話術もない。
そんな自分に、自分の世界を見せれるのか。
でも、やってみなければ分からない。
そう一括りした。
「……よし、決めた。シービー、一緒に外を見てくれないか?」
「うん、キミのお願いなら」
ぴょんっ、と上機嫌に跳ねて、トレーナーの隣りへと行く。
お互い開けられた窓から外を見て、風を浴びた。
あの優しい風が、もう一度二人を撫でる。
髪が揺れて、けれど目は閉ざさない。
青空と、自然と、人工物と。
混合した世界が、目の前にあった。
「シービーの話を聞いて思ったんだ。地球は空も、自然も、そして俺たちのことも愛しているんじゃないかって」
沈黙が続いてた二人の間に、男の声が響く。
空気を破くように響くのではなく、優しく、優しく伝って響く。
耳を立て、少女は声を聴いた。
少女のように優しい語りで、優しい眼差しで。
男は、語る。
「地球というただの塊。その塊を空は閉ざして、縛って、閉じ込めている。これって、独占的な恋心だと思うんだ」
「人もそうだ。いろんなものをくれる地球の上でワガママに歩いて、建物を建てる。地球からしてみれば、勝手に触られた挙句おめかしをされてるようなものだ。これも一方的な恋だと思う」
語り、男は空を見た。
続いてグラウンドで走るウマ娘たちと、郊外で歩く人々を見て。
最後は、全体を見渡した。
少女もまた、釣られて目線を移す。
普段大きく見える建物が、今は小さく見えて。
それよりも小さい人は、もっと小さく見えて。
でも、それを縛りつけてくる空は非常に大きく、恐く見えていた。
あの空に自由を縛られるとどうなってしまうのだろうと、恐れ慄いた。
けれどその恐れは、男の声で解ける。
「でもね、地球はそれでも愛してくれる。俺たちを愛してくれて、いろんなものをくれて、時に怒ってくれる。それは空にも、自然にも同じことが言える」
目を閉ざして、男は言った。
少女が語った世界と似ていて、それでいて何処か通ずるような世界。
その世界が今、少女と男を包んでくれていた。
風が優しくて、音が優しくて。
そこに存在する凡ゆるものが、優しい世界だった。
少女はもう、自分が男の世界にいるのだと。
気付かぬうちに招かれているのだと、密かに想った。
「この風も、この空気も。こんな些細なこと全てが地球の愛だとすら、俺は思っている」
「だからこそ、愛を持つ人にはあまり会えないんだろうな。だって、愛を教えてくれるぐらい、心が広い人とは出逢えないんだから」
そうして、男の世界は解けて、溶けた。
ゆったりと開かれた瞳は、どこか寂しげで。
声も何処か淋しく、けれど愛らしく、優しく。
少女から見た男の顔が、とても凛々しく見えていた。
「こんな感じかな?語るのって難しいね、シービーみたいには言えないや」
ぱっと、いつもの明るいトレーナーに戻る。
儚げな表情はもうそこには無く、いつも通り向けてくれる優しい笑みが、そこにあった。
少女は想う。
もっとあの世界を見たかった、と。
キミの
心の中で小さく呟いて、醒めた。
「……ううん、そんなことないよ。とても、とっても……綺麗な世界だった」
細められた輝く瞳で、シービーは言う。
本当にあの世界が綺麗だったのだと。
一目で分かるぐらい、彼女の顔は満足げだった。
「やっぱりキミってさ、詩人らしいところあるよね」
「そうかな……?きっと誰かさんに似ただけさ」
「その誰かさんに影響されるなんて、嬉しい限りだよ」
窓に
シービーが笑えば、トレーナーも笑って。
このひと時が、二人にとってはあまりにも楽し過ぎるもので。
今この世で一番楽しんでいるのだと、二人は思う。
「恋と愛……同じ意味に見えてたけど、掘り下げてみれば意外と深かったね」
「あぁ、意外とね。言葉って難しいな」
笑い終えた後、二人は余韻に浸りながら喋る。
今起きたことの感想を共有して。
ふとした時に、シービーは思った。
「アタシたちの関係ってさ。さっきの話で例えると、愛で出来上がったものなのかな」
濁した言い方はせず、直球で伝えた。
トレーナーとウマ娘の関係において、恋愛感情は存在してはならない。
教師と生徒の関係である以上、タブーを設けられているのは当たり前のことなのだ。
故に、トレーナーは口を噤んだ。
数秒の沈黙。
息を吸って、吐いて。
お互いの些細な音すら、今だけは強く感じ取れる。
至って平常に脈を打つ音が、ほんの少し揺れた。
「そうかもしれないね」
心が懐柔されるような声で、トレーナーが言う。
シービーの時が止まった。
効果音で表すなら『きょとん』という音だろうか。
今だけは息が止まって、この一瞬だけ脈が消えた。
けれど、本当に一瞬。
軽く揺すられた脈を感じながらも、
「────じゃあ、両想いってやつだね?」
まるで反撃を返すかのように、言った。
飄々と、しかし妖艶な笑みを浮かべながら。
またお互い、時が止まる。
目を離さず、見つめ合って。
たった一秒が、永く、永く感じる。
「語弊が生まれるから、これ以上はよそう」
その止まった世界から抜け出したのはトレーナーで。
まるで大人が子供をあやすような言い方で、シービーを軽く叱った。
同じく抜け出したシービーは『てへっ』と言いながら舌を出す。
いたずらっ子が大人の叱責をのらりくらりと避けるように。
二人とも何も気にしてないようで、表情には軽々しさがあった。
「よし、また歌いたい気分が湧いちゃったから歌ってくるね」
「うん、気を付けてね」
子を見送るような優しい目と声で、シービーを見送る。
シービーもまた、子供のように無邪気に返事をして、軽い足取りでトレーナー室を後にした。
♢♢♢♢♢♢
屋上にて、優しい風を浴びながら少女は歌う。
まるで自分が主役であるように、身振り手振りをつけて、演出家のように歌う。
しかし、いつもよりも細い音色でいて、何処か震えて落ち着きがない。
数分歌ったところか、雲の隙間から日照りが差して、シービーを照らす。
酷く、熱く感じた。
(顔、火照ってるなぁ)
顔が紅く染まって、瞳が揺れる。
愛と恋についてトレーナーと語り合った。
愛とは何か、恋とは何か、自分なりに答えは出した。
今までトレーナーと築いていた関係がなんだったのか、その答えを出してみせた。
トレーナーが向けてくれた親のような愛。
シービーが向けた子供のような愛。
健全で、それでいて親子のようで。
何不自由のない答えを出したと思った。
出したはずだ、けれど。
その答えは、違う。
(ずっと前から、分かってるんだけどな)
答えは明白、その感情はタブーだから。
けれどミスターシービーは抱いてしまった。
無自覚に抱いてたものを、自覚してしまった。
否、抱いてたのを否定していた。
「……アタシ、キミのせいで縛られてるよ」
風が、声を掻き消して。
顔は髪に隠れて見えなかった。
鳥が風に乗って空を飛ぶ。
自由と謳われる鳩が、翼を羽ばたかせる。
けれど鳥に自由はない。
鳥は空に縛られているから。
そして心に自由はない。
心は恋に縛られているから。
その
これは、ミスターシービーが特別な人に恋を伝えるまでの、小さな恋の物語。
次回以降はシービー時点です。