その気持ち、タブーにつき   作:くちばし

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夢から現実へ

 夢、それは全てが思い通りに行く世界。

 心の本音から来る、自分だけの空間。

 

 深く眠れば夢を見て、アタシたちは幸せになる。

 あり得ないシチュエーションを最もリアリティに満ちた形で体験できるなんて、今のゲームでも無理な話だ。

 

 アタシも今夢を見ている。

 どんな夢と言われれば、そりゃもう自分の思い通りに行く自由な夢だ。

 アタシの想いを受け止めてくれるトレーナーと、自分に嘘をつかないアタシだけの世界。

 

 大草原をめいいっぱい走って、そこでトレーナーと一緒に走り回って。

 一緒にキャンプをして、水遊びをして、お互い嘘偽りなく笑い合うんだ。

 そして日が暮れれば、空に浮かんだ月を静かに傍観する。

 

 それがアタシの小さな夢なんだ。

 

『ねぇ、トレーナー。今思ったことがあってね、聞いてくれる?』

 

 夢の中のアタシは言う。

 自信を持って、キラキラとした笑顔で。

 翡翠色の澄んだ瞳が、とても綺麗だった。

 

『一緒に走って、一緒に食べて、一緒に寝て……』

『アタシね、こんなちっぽけなことでも、トレーナーと一緒にいるのが楽しいの』

 

 楽しい、そうだ、トレーナーと一緒にいるのがアタシにとって一番の楽しみだ。

 だからその楽しみを奪いたくない。

 ルールなんかに奪われて、苦しい思いになりたくない。

 

『どうせ一緒にいる時間も長いんだ〜、だからさ』

『もう、付き合っちゃおっか』

 

 アタシの一生をキミに捧げる。

 そんな縛られるような約束は普通なら御免だけど、この約束なら寧ろ受け止めれる。

 受け止めたい、受け止めたいんだ。

 

 夢のアタシと夢のキミが距離を縮める。

 現実のアタシはそれを見てるだけ。

 この先はきっと、アタシの望んだ景色なんだ。

 

 その景色を見れるなら、アタシはこのまま。

 

 そう思った直後、夢が崩れる。

 ぐずぐずに、どろどろになって、黒く染まる。

 気付いた時には地面は消えていて、アタシは堕ちていた。

 

 闇に落ちる。堕ちて、消えてしまう。

 

 真っ暗、何もかもが真っ暗。

 周りも見えず、未来も見えず、何も見えない。

 どうすればここから抜け出せれるの?

 

 お願い、覚めないで。

 どうしてそんな意地悪をするの?

 お願いだから先を見せてよ。

 

 どうすれば、アタシは────。

 

「────夢か」

 

 瞬きをした刹那、世界は変わった。

 視界がぼやけてるけれど、見覚えのある色が映ってる。

 

 目覚めた世界はいつも通りだった。

 見慣れた天井に軽く散らかった部屋。

 さっきまで目の前にあった闇は、もう無かった。

 

 良かったという安堵と、もっと見たかったという虚無感。

 相反した気持ちがせめぎ合って、頭がおかしくなりそう。

 

「憂鬱だぁ〜……」

 

 枕に向かって憐れに呻く。

 気持ちを自覚してから数ヶ月はもうこんな感じだ。

 今まで細かいことは気にしなかったし、嫌なら蹴っ飛ばしてきたけど……今回はそうにも行かないらしい。

 

 正直な話、ここまで引き摺るとは思ってなかった。

 勝手に忘れると思ってたし、なんならアタシなりに勝手に解決してるとすら思ってたから。

 こういう気持ちに関する問題だと、まさか奥手になるとは思わなかった。

 

 お父さんとお母さんみたいに、気付いたら付き合ってた〜とか、我慢できなくて猛アタックしてた〜とか。

 アタシの性格上そうなるだろうと踏んでたんだ。

 

 困ったな、これ以上引き摺ると正常な判断ができなくなるかもしれない。

 現にできなくなってるんだけどね、元々放浪することは多かったけど、最近は特にそれが酷い。

 

 この前なんて歌舞伎町をぶらぶらしてたと思ったら、知らぬ間に山の中にいたんだから。

 流石に帰ろうって思って帰路についてたけど、気付いたときには川で水浴びしててビックリしちゃった。

 

 それに、最近は頭がぼーっとする。

 何も真剣に考えられなくて、やること成すこと全てが中途半端になっちゃう。

 昨日もそうだった。練習に全然身が入らなくて不完全燃焼を起こしてたし。

 

 走ることは好きだ。

 だけど、走ることにすら身が入らないのは、アタシにとっては異常なんだ。

 体調面で何も不調は起きてないからこそ、現状が歯痒い。

 この状況からどう抜け出そうか、最近はそんなことばかり考えている。

 

「……シャワー浴びよ」

 

 考え込んでも仕方ない。

 重い寝起きの体を起こして、さっさと不愉快な眠気も飛ばしてしまおう。

 

 思い立ったらすぐ行動。少しでも時間を置いたら、ベッドに体を奪われちゃうからね。

 ロフトから降りて、凝り固まった体をぐっと伸ばす。

 

 ぽきぽき、ばきばき。

 固まった筋肉と関節がほぐれて、気持ちが良くて。

 病みつきになっちゃう快感が、全身に行き渡る。

 

「んぃ〜〜〜……」

 

 猫みたいに体を伸ばす。

 伸ばして伸ばして、ヘンな甲高い声を出しちゃった。

 

 ぐっぐっ、と念を押すように肩をほぐして。

 重かった体が軽くなった、気がした。

 

「よし、シャワーだ!」

 

 身体を伸ばしたお陰か、気分は舞い上がっていた。

 まだ眠気は残ってるけど、それもシャワーで洗い流せれる。

 今日は良い一日を迎えれそうだなぁ。

 

 と思ってたのも束の間。

 耳を澄ますと、外の音が聴こえてきた。

 強い風の音と、大雨が地面を叩く音。

 

「シャワーしても意味なさそ〜……」

 

 どうせ雨で濡れちゃうしなぁ。

 それに言うほど汗はかいてないし、気持ち悪い感じもしないから入らなくてもいいかも。

 そう考え始めた瞬間だった。

 

 ぴしゃん。

 

 閃光が一閃、暗雲を切り裂いて。

 怒りの雷鳴が轟いた。

 

「うわっ!!」

 

 光った次の瞬間にすぐ音が来た。

 近くに落ちたんだ、耳が裂けそう……!

 

 完全に油断していたせいだ、大きな音がいきなり来ると、ウマ娘にとっては耳を痛めてしまうんだ。

 人よりも何倍も耳が良いっていうからなぁ、めちゃくちゃ痛いよ……。

 

 キーンと頭にまで響く音を、頭を押さえてなんとか凌ぐ。

 うずくまってるせいか、尻尾も股の下に入っていた。

 

 やっと(おさま)り始めた耳鳴りと強張り。

 無意識のうちに止めてた息が酸素が欲しいと叫んで、はっと息を吸い込んだ。

 

「はぁ……ふぅ、結構近かったなぁ」

 

 これじゃ外に出るのも叶わないや。

 部屋で一人、かぁ。

 

 つまらないな、すごくつまらない。

 そもそもなんで出れないって決めつけてるんだろう?

 別に雨が強くなっただけだ、何も変わっていない。

 雷が少し強いだけで、怖気ついてもないだろう?

 

 ほんっと、つくづく腹が立つ。

 この不完全燃焼な状況に、腹が立って仕方がない。

 

 よし、決めた。今日は外で走ってやる。

 走って走って走り回って、ストレス発散だ。

 

 大雨がなんだ、雷がなんだ。

 そんなの舞台の鳴物でしかない。

 

「もう走っちゃうもんね、知ったもんか」

 

 むすっとした顔をしてるんだろうな、今のアタシ。

 寝巻きを投げ飛ばして、ジャージをささっと着て。

 姿見鏡を見たら、案の定むすっとしてた。

 

 現状を憂いて、ぶつけようのない苛立ちを持ち。

 原因が分かりながらも、嘘を吐き続ける憐れな人。

 

「ふん、べーだ!」

 

 気に入らない鏡の人に向けて、舌を出して挑発する。

 鏡の人も、アタシに挑発仕返していた。

 

♢♢♢♢♢♢

 

「はっ、はっ……!!」

 

 走る。

 雨を割いて、走る。

 

 水溜まりを割って、(そら)を飛ぶ。

 飛んで、堕ちて、もう一度飛んで。

 

 重くなった脚が、速さを殺した。

 

「は、く……こほっ……」

 

 鬼のようなハイペースで走り続けたせいか、体はとても重かった。

 肺に鉛が入ったようで、息がままならない。

 肩で苦しく息をして、不足した酸素を取り込んで。

 

 それが今、アタシのできる限界だった。

 

「……ま、だ。まだだ」

 

 掠れた声だ、もう限界だって体が訴えかけている。

 いいや、限界じゃない。

 まだアタシは走れる、この限界すら突破できる。

 

 体が重い?

 いいじゃん、これで走れればきっと気持ちいいよ。

 服が重い?

 だから何、ただの重りに過ぎないでしょ?

 

 まだ、まだ走れるよ。

 

「ふうっ……!!」

 

 息を深く、深く吸って。

 大地が、弾んだ。

 

 もう一度(そら)を飛ぶ。

 キミが夢だと言ってくれたこの走りで、(そら)を飛ぶ。

 

 飛ぼうとして、堕ちた。

 

「ぐ、ぅ……っ!!」

 

 脚が引っ張られる感覚がした。

 物理的に引っ張られてる訳ではない、脚が限界を迎え始めてるせいだ。

 脹脛が痙攣して、これ以上はダメだと警鐘を鳴らしている。

 

 肺も、心臓も。

 どっちも収縮を繰り返し過ぎて、破裂しそうだった。

 

 視界が霞む、息ができない。

 

(まだ、まだ燃えれていないのに……!)

 

 まだ、アタシは不完全燃焼なんだ。

 

 でも、脚は止まってしまった。

 体の重さは急増して、肺も心臓も爆ぜたんじゃないかと思った。

 

 苦しい、辛い、きつい。

 

 そんなありきたりな弱音が出そうになって、飲み込んだ。

 

「はぁ、げほっ!!ひゅ、ぅ……っ!!」

 

 肺に溜まった熱気を吐き出して、外の冷気を吸い込んで。

 その温度差で咽せてしまって、胸が苦しくなる。

 

 ────まだ、走り足りない。

 

 心の欠けた部分が、まだ埋まっていない。

 あの人が埋めてくれた欠けた部分がどんどん拡がって、どんどん切なくなるんだ。

 

 走りへの喜び。

 放浪による孤独の湧き潰し。

 あの人の親のような愛。

 

 それらが合わさって欠けた部分が埋まっていたというのに。

 憐れなアタシは、貪欲なほどに愛を求めてしまっている。

 

 キミは知らないよね。

 アタシの燃え盛るこの気持ちを。

 沸々と膨れ上がる、愚かな嘘すらも。

 

 嘘は嫌いだ、適当な誤魔化しも嫌い。

 なのに、嘘をついてしまっている。

 自分の気持ちを誤魔化してしまっている。

 

 何故? 答えは簡単だよ。

 この楽しい時間を奪われたくないからだ。

 

 キミがいたから、アタシは自由に走れた。

 キミが夢を重ねてくれたのが、嬉しくて堪らなかった。

 キミが愛をくれたお陰で、アタシの心が満たされた。

 

 そんなことをされたら、こんな劣情を抱かないのには無理があるんだ。

 

 キミのことを目で追ってしまって、キミと離れることを時に切なく思ってしまうなんてことにはならない。

 もう走りだけでは埋めれない、いや、埋まらない。

 

 だけど、このタブーをキミに押し付けてしまったら、キミはきっと何処かに消えてしまうんだろうね。

 キミは優しいけど、常識人なんだから。

 

 キミとのひと時を、この楽しさを。

 アタシのちっぽけなワガママで奪われてしまうと思うと、悍ましい恐怖に襲われてしまう。

 でも、もう嘘をつくのは嫌なんだ。

 

 キミのせいなんだよ?

 アタシの欠けた部分がなんだったのか、それを教えてくれたのがキミだったんだよ?

 『人を想う感情』が欠けてたのを教えてくれたのは、キミが親身に接してくれたからなんだ。

 

「……きみにより 思ひならひぬ 世の中の 人はこれをや 恋といふらむ」

 

 どっかの誰かさんの短歌を詠う。

 掠れかける声で、喉を震わせて。

 

 キミのせいで、アタシはまたタブーを破りたくなったんだ。

 常識以上に固い、言うならば社会的規範ってヤツだよね。

 

 それを破ったら、流石のキミでも怒るのかな。

 

 ねえ、どうすればいいの?

 キミはどうして欲しいの?

 

 お願いだから、受け止めてよ。

 

 ぴしゃりと、雷が鳴った。

 

「ははっ、お叱りを受けちゃったかな」

 

 空気を震わせながら爆ぜる轟音は、怒鳴り声みたいにも聞こえた。

 お天道様か、三女神様が見ているんだろうな。

 

 そう、破っちゃダメ?

 じゃあ破りたくなるな。

 

 ダメと決められるのは好きじゃない。

 アタシはアタシらしく、キミはキミらしくでいい。

 

 それに、アタシが卒業したらトレーナーと会う機会ってほぼ無いに等しくなるよね?

 なら結局失ったも同然じゃん、何も得ずに終わるだけじゃん。

 

 掛かっちゃってるのかな?

 いや、至って冷静だね。

 何も得られず終わるなら、得てしまった方がいい。

 

 うん、決めた。

 嘘をつくのはやめよう。

 そしてこの気持ちを正直に伝えてみようか。

 

 どんな反応するんだろう。

 拒絶だったら悲しいなぁ、でも受け入れられたらそれはそれでちょっと怖気ついちゃうかも。

 多分、軽く流す程度なんだろうな。

 

「明日から、明日からやろう」

 

 今日は休みだから、きっと彼には会えない。

 だから明日。

 明日からもう一度決意を持つんだ。

 

 ……でも、また嘘を吐きそうで、怖い。

 

 雨が酷く冷たい。

 頭が重くて、服も重くって。

 もう帰って寝ようと、そう思い脚を踏み込んだ。

 

「いたっ……!」

 

 がくんと、バランスが崩れる。

 爪が痛い。

 脚も震えて、力を込めると爆発しそう。

 

 脚の中が張り裂けてるとすら思う痛みと、指の先に生じる耐え難い激痛。

 爪が割れてるんじゃないかと心配になった。

 

 あれだけ限界を無視して走り続けたんだ。

 生まれつき爪は弱かったから、今日の走りでやられてしまったんだろう。

 完全に自業自得だ。

 

「立て、ないなぁ……ははっ、ヤバいかも……」

 

 力がすっと抜けて、その場にへたり込んだ。

 脚が痙攣して、立つことすらままならない。

 このどうしようもない現状に、顔が引き攣ってしまった。

 

 さて、どうしたものか。

 トレーナーを呼んでしまうのは迷惑がかかるし、かと言って無理に歩けば脚を壊す可能性が高い。

 それにこの雨、さっさと帰らなきゃ風邪を引く可能性もある。

 

 家を出てからもう一時間は経ってる筈なんだけどな、一向に弱まる気配がないよ。

 こりゃすっごく大泣きしてるなぁ、なんて呑気に思い。

 

 ポケットの中のスマホが、小刻みに揺れた。

 

「あっ……」

 

 通知欄に記された名前を見て、声を漏らす。

 トレーナーからのメールだった。

 

『今何しているの? 外は危ないから気をつけてね』

 

 キミらしく、優しいんだなって。

 こんな大雨の中でも外出を許してくれるんだから。

 

 ……うん、そうだな。

 やっぱり、会いに来て欲しいかも。

 

『今外なんだけど、ここに来れる?』

 

 マップで現在地が示された画像を添付して。

 震える脚から、感覚が無くなり始めている。

 

『大丈夫だけど、どうして?』

 

 理由を聞いてくるキミ。

 きっと何も心配せず、本当に気にしてるだけなんだろうね。

 

 ごめんね、今から心配させちゃう。

 

『足、ケガした』

 

 あーあ、やっちゃったな、と。

 すぐ返信が返ってくるかなって思って、スマホの画面をじーっと見た。

 

 けど、既読がついたままで返ってこない。

 一分経っても、二分経っても。

 

 顔を見上げ、曇天を眺める。

 雨に打ちつけられて、ちょっと痛い。

 でも、その痛みを感じなければ、罪悪感から逃れることができなかった。

 

 雨で罪悪感を洗い流そうとして数分経った頃か、誰かの足音が聞こえてきた。

 ぱしゃり、ぱしゃり、ぱしゃりって。

 騒がしい音を立てながら、走ってきている。

 

「……そんな必死な顔、しないでよ」

 

 音の主は、やっぱりキミだった。

 背中に巣食っていた罪悪感が増幅するのを感じる。

 キミの今にも泣き出しそうな顔を見て、背中から胸へ、胸から心へと乗り移ってくのを感じる。

 

 そんな大袈裟な救急箱まで持ってさ。

 いつもの練習みたく、ちょっと怪我しただけだよ?

 

 あゝ、嫌だなぁ。

 洗い流したいのに、どんどん汚れちゃう。

 

「シービー、大丈夫!? 足はどうなってるの!?」

 

 私服が汚れるのに気を留めず、キミは膝をついてアタシの足を見た。

 

「脹脛が痛くて。それと、爪も」

「分かった、じっとしてて!!」

 

 丁寧に、しかし素早く靴と靴下を脱がすキミ。

 露わになった素足は、血豆のようなものが出来上がっていた。

 爪も……血が、少し出てきている。

 

 ある程度状態を確認したトレーナーは、靴と靴下をバッグに仕舞いこんで、アタシの側に寄った。

 ダメだよ、そんなことしたらキミのバッグが汚れちゃうのに。

 

「シービー、背負うから乗って!」

 

 バッグを前に背負って、救急箱を持って。

 もう手は埋まってるのに、キミはアタシを背負おうとするんだね。

 

 優しいけど、その優しさが辛いよ。

 

「大丈夫だから、肩を貸してくれれば歩け」

いいから早くっ!!!!

 

 断ろうとした、けどそれを遮って、キミは怒鳴った。

 

 初めてだった。

 キミにこんなにも剣幕に迫られて、怒られたのは。

 

 少し呆気に取られて、頷いて。

 キミの肩に後ろから手を回して、ぐっと持ち上げられる。

 アタシの足に変な衝撃が行かないように、大事に抱え込んで。

 

 優しく、優しく……歩き出した。

 

「……ごめん」

 

 ぎゅっと抱きついて、抱き締めて。

 『アタシのせいなのに』と付け加えて、謝る。

 揺すられる感覚を心地良く感じている自分が、憎たらしくて仕方がない。

 

「いいんだよ、やりたくてやってるから」

 

 『寧ろ怒鳴ってごめんね』なんて、逆にキミが謝ってきた。

 いやいや、それはおかしくない?

 悪いのはアタシなんだよ? なんでキミが謝るわけ?

 

 なんでキミはそんなに優しいの、どうしてそんなに優しくしてくれるの?

 分かんない、分かんないよ。

 

 また無意識に、抱き締める。

 抱き締めると、何故か空いていた穴が塞がっていくんだ。

 これって、アタシが求めていたことなのかな。

 

 きっとそうだよね、やっぱりそうなんだ。

 

 キミと一緒にいたいんだ、アタシ。

 

「……ありがとう、トレーナー」

 

 精一杯のありがとうを。

 嘘偽りのないありがとうを。

 

 今だけは、全部本当だよ。

 

「気にしなくていいよ、大丈夫」

 

 子供をあやすように、キミは言う。

 その声色が心地良くて、でも切ない。

 

 キミとこうして近くにいれてるのに。

 どうして切ないんだろうね、胸が苦しいや。

 

「……」

 

 まだ、近くにいたい。

 そんな思い一心で、また強く、抱き締めた。

 

♢♢♢♢♢♢

 

 しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん。

 

 屋根のあるベンチで、雨音が鳴り続ける。

 その屋根一つ下、アタシたちは座っていた。

 

「雨、止まないね」

「今日は一日中降るらしいからね」

 

 他愛の無い会話を展開して、すぐ閉じる。

 まるで雨音に、全てを飲み込まれるようで。

 

 ガーゼに巻かれた足をぷらぷらと揺らした。

 

「足はもう大丈夫?」

「少しはね。でもまだ痛いかな」

 

 トレーナーの問いに対し、アタシは目も合わせず言う。

 目を合わせてしまったら、また罪悪感に呑み込まれてしまう気がするから。

 

 それに、さっきまでおんぶされていたことも思い出しちゃう。

 

(匂いとか大丈夫だったかなぁ〜……)

 

 雨で汗が流れてるとは言っても、やっぱり匂いは気になる。

 あれだけ近くにいたなら尚更だよ、絶対にアタシの匂いがバレる。

 

 赤らめてしまった顔を見られないように、景色を見るフリをして誤魔化して。

 でも、耳はキミの方に向いてしまっていて、恥ずかしかった。

 

「シービー、走るの楽しかったか?」

 

 ぴょこんと耳が跳ねて、彼の声が聴こえてくる。

 走るのがアタシにとっての生き甲斐だ、だから走れなくなるのは嫌だ。

 少し痛くても走れる時は走るし、無理な時は走らない。

 

 でも、今回のように無理なのに走ったのは初めてだった。

 だからキミは疑問を抱いているんだろうね。

 

「……全く。つまらなかった」

 

 正直に答える。

 楽しくなれると思って、心の穴を埋めれると思って走ったのに、結果的には何も得られなかった。

 ただただ無駄な走りでしかなかったんだ。

 

「なんでそうなるまで走ったの?」

「なんで……そうだな、ちょっと難しいかも」

 

 その問いに答えられないことはない。

 けど言語化するのにはすごく難しいんだ。

 

 自分の中にあったしがらみが、絡みに絡まり続けた結果、今回の凄惨になりかけた事態を招いた。

 もしあのまま走ろうとしたら。

 震える脚を無理に立たせたら。

 きっと、アタシの脚は壊れていた。

 

 でも、なんでそうなるまで走ったかは分からない。

 はっきり分かるのは、自分の中にあるモヤモヤを追い払うため。

 そのモヤモヤは誰のせいだろう?

 

 そう、キミのせい。

 そして、アタシのせい。

 

 なんたって、アタシたちは一心同体だから。

 

「キミのせいで、アタシのせい、かな」

 

 もう嘘はつかない、逃げるのはやめた。

 なんでだろう、何故かは分からないけど、今は勇気を持って話せれるんだ。

 

 キミの驚きと悲しみが混ざった顔を見るのはちょっと嫌だけどね。

 そんな悲しみ、すぐ掻き消してあげるから。

 

「アタシね、ずっと思ってたんだ。大分前だけど、アタシの欠けた心の部分について話したよね?」

「あれはね、キミのお陰で埋まったんだ。でも、キミのせいで拡がっちゃった」

 

 黙りと、キミはアタシの話を聞く。

 ふふっ、何が何だか分からないみたいな顔だね。

 アタシも……なんでこんなに勇気が湧くのか、分かんないや。

 

「なんでか分かる? キミがアタシにタブーを教えたせいなんだよ?」

「キミがいたから、アタシは『人を想う』ことが出来るようになった。それが心底嬉しいんだ、人の心が知れて楽しくて仕方ないもん」

 

 元よりアタシは他人の考えなんて汲み取れなかった。

 エースがアタシを壁として見ていたことも、ルドルフがあんなにも壮大な目標を持つことも。

 

 別に悪いとは思っていない、寧ろ素晴らしいものとすら思う。

 だけど、アタシには理解ができなかったんだ。

 

 最近、この走り続けた日々に思い耽ることがある。

 思い耽るたびに、彼女たちが一体どんな思いで走っていたのか。

 それを想像するだけで、心が躍るんだ。

 

 彼女たちも、夢を持って走っているんだって。

 

 当たり前のことだけど、見落としてたこと。

 だから、嬉しくて、楽しくて仕方がない。

 

 キミがいなければ、彼女たちの想いを考えるなんてことはしなかった。

 キミがいてくれたから、アタシはこんなにも楽しく過ごせたんだ。

 

 紛れもない、キミのお陰なんだ。

 

「アタシは縛られるのが嫌いだ、縛るのも嫌い。だからキミを縛る気はないよ、自分のやられて嫌なことはやらないからね」

 

 話を聞くキミの顔はとても神妙で。

 ちゃんと聞き込んでくれてるんだなって、こんな些細なことで嬉しくなってしまう。

 

 でもね、ごめん。

 その誠実さ、ちょっと崩しちゃうかも。

 

「アタシね、キミのせいで縛られているんだ」

 

 そう告げたキミの顔は、まるで石のように固まった。

 声すら出ないってこのことなんだ、面白いな!

 

 でもキミにとっては面白くないか。

 アタシを縛るのは、キミの信条に反することだもんね。

 

 大丈夫、縛られてるけど、縛られてないよ。

 

「縛られてるって言っても、キミが縛ってる訳じゃない。でも、キミのせいで縛られている。どういう意味か分かる?」

「キミには分からないよね。だってキミは優しい人なんだから」

 

 訳が分からないと、キミの表情を言い表すならこんな感じかな?

 その通りだよね、訳が分からないよね。

 だってアタシが自分の気持ちに対して、訳が分からなかったんだもん。

 

 けど、今なら全部分かる。

 キミにもこの気持ちを分かって欲しい。

 

 一度、息を深く吸って、吐く。

 赤らめそうな顔を我慢して、抑えて。

 声を出そうと頑張るキミに、向き合った。

 

「三年以上キミと一緒に走ってきた。その日々はあまりにも楽し過ぎて、忘れたくても忘れられないんじゃないかって思うよ」

「でも、それでもアタシの心の穴は拡がってしまう。これってすっごくワガママなことだよね」

 

 胸に手を当てて、笑って。

 言葉を探すキミの仕草が、愛おしい。

 

「し、シービー、俺は」

「しーっ、まだアタシの番」

 

 ここで途絶えたら、もう二度とこの気持ちを伝えれない。

 確証もない確信だけれど、アタシはそう思う。

 

 勘ってやつだ、だから喋ろうとするキミの口に手を当てて、声を飲み込ませた。

 キミはなんて言おうとしたんだろうね。

 知りたいけど、知りたくない。

 

「この雨なら、きっと誰にも聞こえない。だから、言わせて欲しいんだ」

 

 言う、言ってしまう。

 この気持ちを伝えたら、もう後戻りはできなくなる。

 キミのことを縛ってしまうかもしれない、一生縛り合って生きていくかもしれない。

 

 でも、それでも。

 

 言うよ、アタシは。

 

「アタシね、キミのことが────」

 

 ぴしゃり。

 

 刹那、雷鳴が全てを切り裂いた。

 雨も、声も、何もかも。

 

 まるで『黙れ』と言われた気分にもなる、怒鳴り声だった。

 

「うわ、すごい近くで落ちたな……!」

「……うん、そうだね」

 

 あまりにも近くで落ち過ぎた。

 そのせいでアタシも、キミも、この不思議な気分から抜け出してしまった。

 

 今はまだお預けした方がいいってこと?

 このタイミングで走ってしまえば、アタシたちの関係は裂けてしまうって伝えたかったの?

 

 ……なら仕方ない、神様に従おうかな。

 

「そういえばシービー、さっきなんて言おうと」

「秘密、知らなくていいよ」

 

 苛立ちを隠すような言い方で、キミの声を遮った。

 ごめんね、ちょっと不愉快な対応だったかもね。

 

 ごめん、今は……顔、見せれないや。

 赤くなり過ぎて、苦しいから。

 

「トレーナー。まだ一緒にいてくれる?」

「……勿論、痛みが引くまで側にいるよ」

「……ふふっ、ありがとう」

 

 少しだけ、もう少しだけ。

 

 このひと時を、この恥ずかしさを。

 

 味わっていたい。




在原業平
『 きみにより 思ひならひぬ 世の中の 人はこれをや 恋といふらむ 』
意味:あなたによって人を想うことを学びました。世の中の人はこれを恋というのでしょう。

次回、最終回。
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