京の都を恐怖に陥れた鵺に佐渡の首領の妖怪狸。
この2人を説き伏せる命蓮寺。
そんな寺が普通の寺ではないわけでして。
逢魔が時をとうに過ぎ、草木も眠った時間の蚕食鯢吞亭。
冬の澄んだ空気を嫌うがごとく、本日の酒場はラウとマミゾウの紫煙が漂っていた。そんな煙たい酒場の煙草の肴は――
「『奇怪!空飛ぶイカダ人里へ!犯人は封獣ぬえか!?』ねぇ……」
文が持ってきた新聞の1面だった。
――先日の未の刻、巨大な帆船が人里上空を通過し、街中に大混乱を与えた。
事件の犯人は封獣ぬえ。動機は、当人が所属する命蓮寺の広告を目的とし、事に及んだのだろうか――
そんな憶測混じりの文言と浮かぶイカダに仁王立ちしながら、満面の笑みを浮かべているぬえの姿を映した写真が大々的に紙面を飾っていた。
そんな昔馴染みの大騒ぎに、ラウとマミゾウは顔を曇らせていた。
「ハッ、ぬえも隅におけないね。こんなことしちゃぁ、霊夢が黙っていないだろ」
「ええ、霊夢さんはカンカンに怒って、その場でのしてました」
「れ、霊夢さんらしいアグレッシブさですね……」
そんな2人の顔の苦味で、文と萃香は升一杯の酒を煽り、美宵は愛想笑いを浮かべ、酒を注いでいた。
「しかし、ぬえ助が寺の広告をするもんかねぇ……あいつは喜んで寺を潰すような奴じゃぁなかったかい?」
「え?そうなんですか?……ってぬえ助……?」
プゥと紫煙と疑問を吐き出したラウに美宵は燻製卵を差し出しながら聞いた。
「あぁ、あだ名さ。昔、ケガを治してやったらチョロチョロ付いていくようになってねぇ。なんか犬みたいでそう付けたのさ」
「へー古い仲なんですね」
「そりゃそうさ。なんせ、儂とぬえを引き合わせたのもラウのおかげじゃし、ぬえとの仲は儂より長いわな」
「っで?そんな旧友から見て、ぬえは牙でも抜かれたのかってくらい丸く見えると?」
懐かしむラウの顔を見て、萃香は酒気を吐き出しながらにへら顔を浮かべる。
「あぁ、牙も爪もやすりがけされたのかってくらい丸く見えるね。あいつはねちゃっちい悪戯で何人不眠症にさせたかとか、何人を返り討ちにしたとかを自慢話にするような悪戯好きだと記憶してる。そんな悪戯、雑念好きさ。そんな奴が思想をかき消す寺にぃ?嬉々として悪戯するに対象じゃぁないか。入る理由がない」
「――おや、そう言えば、ラウには話してなかったのぉ。命蓮寺は妖怪と人の共生を望む寺での。ぬえは寺の主の聖に感銘を受け、仏門に入っとる」
「……まじですか」
「まじじゃ。何なら、儂も居候しとる寺じゃ」
「ハッハッハッ!――人は、いや、妖も変わるってね」
「……なんというか、珍しい尼ですね」
マミゾウの告白に驚くラウの姿を見て、萃香は大笑いしていた。
雑念を消す。それは精神を主とする妖にとっては致命傷足りうる
「ふぉっふぉっ。確かに変わっとる尼僧じゃな。しがらみが多いくせに、外面も内面も清廉潔白が服を着て歩いているような良い奴じゃよ。なんなら、ぬえに会うついでに見にいくかい?」
「その僧侶を……そんな簡単に会えるのですか?」
自身の提案にキョトンとするラウをよそに、マミゾウはフフンと鼻を鳴らしながら話を進める。
「おうよ。法事が無い日は妖怪、人それぞれに公開説法したり、修行したりと忙しい身じゃが、大方寺におるし、声を掛ければすぐ笑いながら時間を割いてくれるぞ」
「……なら、明日寄ってみますかねぇ。ぬえ助の今も気になりますし」
「決まりじゃの。さ、卵が無くなるまえに食べようかの」
「ええ、ってあー!萃香の姐さん!」
「くく、こんな美味いもんを放って
つま楊枝ほどの萃香と自分の取り分の燻製卵の防衛線をしなながら、夜は明けていった。
◆◆◆
翌朝の幻想郷。澄んだ空気は荘厳たる命蓮寺の後光もあってか、より透明感を感じさせる。そんな浄化の権化のような命蓮寺では。
「――ちりをー払わーんー、あかをー除かーんー……はぁ、高徳のため、反省のために、と聖は言って箒だけを渡したけど、これが本当に高徳に繋がるのかしら。ただの掃除じゃない」
かつては京の都で恐怖の渦を巻き起こした大妖怪。封獣ぬえがめんどくさげに本堂の掃除をしていた。
「あーあ!私の能力を渡り鳥の群れに使うの失敗だったかなぁー……あれなら、星蓮船の再来!聖様の御威光!ってなると思ったんだけどなぁー……まさか、ただの釣り用イカダになるとは……はぁ……」
「おや、周利槃特の真似事とは、相も変わらず元気そうだねぇ。ぬえ助」
溜息をつくぬえの背後から、凛とした声が響く。ぬえはその声に遠き日の昔馴染みを思い出す。
――いや、その声は昔馴染みそのものだ。まさか――
「その声……ラウ!?」
ぬえが振り返るとそこには、共に旧友のラウとマミゾウが本堂の扉の前に立っていた。
自分が心の奥底で願ったかのような景色を見て、ぬえは羽の先まで震わせる。
「わぁ――え?本当にラウ!?マミゾウの変化じゃなくて!?」
ぬえは手元の箒を引きずりながら、ラウらの元まで近づき、ラウの頬を触る。
絹のような柔肌に、煙草の苦い香に仄かに混じる香る練り香の甘い香り。それはまさしくぬえの記憶をそのまま映し出したがごとく、ラウたらしめる香だ。
「おうとも。姉さんの変化じゃないよ。正真正銘、本物さ」
「わ、わぁ――やば、涙出てきそう」
「ふふ、おおげさじゃないかい?」
涙目になりながら、ベタベタと自身の顔を触るぬえに微笑みながら、ラウは彼女の涙を指で拭う。それはは、生き別れの姉妹の再会の様な光景だった。
「大げさじゃないもん!ラウったら、私が何度も何度も幻想郷に行くのを誘ったのに、首を縦に振らなかったじゃん!」
ラウの反応を見て、ぬえは未だに涙目ではあるが、頬を膨らませ、怒る。
「ごめんごめん。姉さんがほっぽりだした外の世界のお仕事をしないといけなかったからさ。でも、何とか片づけて遅れて参上さ」
「うぐぅ……急に誘った私にも責任があるから、胸が痛い」
「ま、まぁ、過ぎたことじゃ。それよりも、だ。どうじゃ?再開を期して、今から酒でも煽らんか?」
「いいね!するする!」
「だめですよ。ぬえ。感動の友人との再会の気持ちは理解できますが、それは修行をサボる口実にはなりませんよ。ましてや、お酒だなんてもっての外です」
マミゾウの冷や汗と共に出た提案に目を輝かせながら飛び跳ねるぬえは、突然の澄んだ声でピシャリと制止し、同時にマミゾウも冷や汗を吹き出す。
「ゲ。聖……いつから?」
「こんにちはマミゾウさん。ついさっきですよ」
白黒のゴシック風ドレスを身にまとう少々くすんだ深紫色の髪をなびかせる少女は、少々怒りの色は見せるものの、どこか全てを見通しているような、落ち着いた雰囲気を持っていた。
「ほ、ほら、聖よ。くだんの件はぬえもじゅーぶん反省しとるしの?」
「そんなこと言ってもだめですよ。まだ掃除は終わっていませんし――と、あなたは初めてお会いする方ですね?初めまして。聖白蓮と申します」
プリプリと擬音が見えるほど可愛らしくマミゾウを叱る聖は一転、ラウに気づいたとたん、凛とすました顔に戻り、ラウの事を見る。
「あ……あぁ。そうだね。初めましてだね。二ツ岩ラウと申すよ」
「さて、ラウさん。先ほどは急に驚かせて申し訳ございません。しかし、ぬえはここの門徒でして。本日は先日の騒動の反省と修行を兼ねて、寺の掃除を任せているのです。あなた方のお気持ちも痛く分かりますが、可能であれば、お引き取り願います」
聖の言葉を聞き、ラウは手で顎を触り、周囲を見る。分かりやすい程ブー垂れているぬえ。仕方ないと諦めの顔をしている姉。バツが悪そうな、しかし自分の考えは変えるつもりはないような目をしている聖。
そんな名々の顔を見回した後、ラウはニヤリと微笑み、聖に話しかける。
「ふむ――白蓮殿だったかね?その修行、いや、今回はけじめの方が正しいのかね?わっちらもそのけじめを一緒につけていいかい?この子とは古い仲でね。この子の罪はわっちらの罪だ」
「え?儂も?」
「もちろんです。旧友との再会は一緒に穢れを払ってからです」
あっけに取られ、目を丸くするマミゾウを微笑みながら受け流すラウの姿を見て、聖は溜息をつきつつ返答する。
「……はぁ、仕方ありませんね。マミゾウさんもいらっしゃいますし、なんとかなるでしょう。良いでしょう。認めます」
「やったー!ありがと、聖!」
「特別ですからね!残りが本堂と廊下まで貴方が終わらせたからですからね!」
曇った目を再び輝かせ、聖に抱きつくぬえを見て、マミゾウは巻き込まれたことに観念したか、苦笑いをしながら手をポンと叩く。
「さて、なら、善は急げじゃ、場所が2か所あるなら、手分けして作業するかの?儂とぬえが本堂。ラウと聖が廊下でいいかい?」
「そうですね。そうしましょう」
「よーし!お掃除みんなでがんばろー!」
「おい、元凶の悪戯犯」
元気いっぱいになり、拳を上げるぬえに、マミゾウは苦笑いを浮かべながらぬえにこつんとゲンコツを当てる。
「ふふ……では、早速行きましょうか――マミゾウさん、お願いしますね」
「おうとも、任された」
その言葉を残し、聖とラウは本堂を後にした。