【本編完結】もしもさりなちゃんがゴローと結婚するとしたら 作:ぶり大根(元・孤高の牛)
「それじゃ僕はホテルに泊まるから」
「うー……仕方ないけど寂しいなあ」
「明日のチケットもあるから大丈夫、ちゃんと観に行くよ」
「約束だよ?」
「勿論、僕はちゃんと約束を守るから」
「んふふ、知ってる。明日も気合い入れちゃうからね」
「それは楽しみだ」
いくらメンバーの旦那と言えど、同じ屋根の下で夜を過ごすのは流石に色々とまずいのは誰もが承知の事実であった。
そもそも吾郎は既に近場のホテルを予約しているのでそういう問題には発展しないのだが。
「……私も、頑張るから。いや……楽しむ、かな。久々に心の底から笑える気がするんだ」
「うん。しっかり全員見てるからね」
「私とカナンの事もお願いしますねー!」
「ふふ、俄然力が入る。良い……同僚アイドルの旦那さんが奥さん含む全員を器量の大きい心で全力でオタクをしてくれる……とてつもないシチュエーションだよ……これなら私はどこまでも頑……ブツブツ……」
そして彼と話した事のある三人は既にその魅力に好意を持っていた。
無論、人間としてだが。
とはいえ三人全員が懐いているという光景は吾郎も少なからずデレてしまうものである。
カナンの早口オタクムーブにも微笑ましそうに見つめていた。
「いやーまさか僕なんかがここまで好意的に見られるとは……人生良い事もあるもんだなあ」
しみじみと呟く吾郎の言葉は、更に三人のモチベーションを上げるには充分過ぎる言葉なのは明白であった。
少し、今日は良い酒を飲もう。
ホテルに帰る前にどこかで飲んでいこうと密かに考える吾郎だった。
「こんなところに良さそうなBARがあるじゃないか」
ふらりと立ち寄ったのは小さなBAR。
隠れ家的なスタンスなのだろうか、敢えてそこまで目立つ場所には無く彼も偶然見つけられた様なものだった。
だがそう言った場所の酒は、当たりが多い。
彼なりの直感と経験則だがピンと来た。
最近はさりなと結婚した事もありあまり飲んでいなかったが、たまには気兼ねなく飲んでも良いだろう、ちょっとした冒険気分でそのドアを潜った。
「いらっしゃい」
中は上品で落ち着いた雰囲気、思った通りとカウンターに座りフルーツカクテルを頼む。
最高のライブを見た後に飲む、こういった酒はやはり美味いと舌鼓を打ちながらリラックスモードに入る。
「……ウイスキー、もう一杯」
「上原さん、流石に飲み過ぎじゃないですか?」
「うっせーほっとけぇ!こうでもしねーとやってらんねえんだよクソッタレが……」
「全く。貴方とも長い付き合いですが酒癖の悪さだけは抜けませんね」
「へっ、褒め言葉として受け取っといてやらぁ……あ?なんだ見ねー顔だな」
……入る前に絡まれた。
先客だろうか、ベロベロに酔っている男性が訝しげにこちらを見つめてきていた。
絡むと言うにはマイルドだが、出来れば一人で飲みたかった……と思いつつもこれもまた何かの縁かと割り切る。
「今日は久々に東京に来まして。ふらりと良い感じのBARを探して立ち寄ったんです」
「おっ、だろー?ここ俺もお気に入りでさぁ……ここに来ると嫌な事なんでも忘れられる」
満足そうに笑ったかと思えば神妙な顔付きをする男に、吾郎は何だか放っておけない気持ちになる。
こういう時の人間は何かしら愚痴を誰でも良いから吐き出したい時だ、と察しだったら聞いてやろうと座り直す。
それを見てか見ずか、男は話を続ける。
「……俺って情けねえからさ。実の息子に何度も手を上げて、もうしちゃいけねえと思ってても繰り返して、その癖何もしてやれなくてよ……もう手を上げないように施設に入れてやるのが精一杯だった。それで全部解決したら良かったんだが……今度は嫁と反りが合わなくなってな。自暴自棄になったって訳だ……はは、馬鹿らしいだろ?」
「僕は……なんと返して良いか分からないです。初対面で、それもまだ会って数分の方の家庭事情に何かを言ってしまう方がおこがましいと思っています。ですが……反省をして、息子さんを危険な目に遭わせない様に施設に預けたのは紛れもない親心ですよ。人生は長いんですから、ここからでだって充分、やり直せます」
そこには吾郎の実体験も含んでの言葉があった。
30を目前にするまで彼の人生は苦しみが多分を占めていた。
自分が産まれた事で母親が死に、父親に恨まれ、祖父母とも良いとは言い難い関係で。
愛を知らずに30目前まで来て、そこから人生が変わった。
たった一人、彼を心の底から愛してくれた女の子の為に生きてみようと思う事が出来た。
ならば、この目の前にいる男だってきっと変われる。
彼は深く反省をし、息子の為に動けたのだから。
「……そうか、そう言ってくれるのかぁ……まだ、やり直せるのかねえ、俺」
「やり直そうと思った時には、もう間に合ってるもんなんですよ。僕も人生34年生きてきて、生きる事も悪くないななんて思い始めたのは30からですし」
「そんなもん、なのかね……いや。そうだったら……良いなあ……」
男は穏やかな笑みを浮かべた。
と、同時に『こんなに穏やかに笑えたのはいつ以来だっただろうか』と噛み締める。
「そんなもんだよ、上原さん。まだアンタだって37なんだからここから人生40年くらい生きられる猶予はある。充分取り返せるさ」
「へっ……いっちょ前に歳だけ俺より上だからって講釈垂れやがって……ありがとよ。なんかもう少しだけ頑張ってみようって思えたよ。……そういや名前、聞いてなかったな」
「雨宮吾郎って言います。普段は宮崎で産婦人科医をしています」
「ほー、産婦人科医か。俺はな、こう見えて役者やってんだ……この歳になっても未だ売れず仕舞いの底辺だけどな。ほら、これ名刺だ。やるから名前覚えて帰ってくれよ〜」
「上原清十郎……分かりました、これも何かの縁だと思って持ち帰らせてもらいますね」
「おうよ!いつかこの名前でゴールデンの主役やってやらぁ!そん時はこの日を思い出してくれよ!俺の恩人なんだからよ!」
「お、恩人だなんて……僕は話を聞いただけですよ」
「そんでも良いんだよ!雨宮サンに聞いてもらえた事が俺にとっての転機って事でよ!」
グイッと上原はウイスキーを飲み干す。
こんなに美味い酒もいつから飲めていなかっただろうと笑みを零す、たった少しの出来事が自分を変えようとするキッカケになろうとは上原本人も思っていなかったがこれも運命だろうと席を立つ。
「よし、酒は終わりだ!駄賃は置いとくぜマスター。……暫くやってなかった役者としての練習、またちゃんと始めねえとなんねえからな」
上原の顔はやる気に満ち満ちていた。
それを見た吾郎は、こっそりと満足そうな顔でカクテルを飲むのだった。
何だか今日の酒は一段と美味い、そう思いながら。