「襲われたの? 魔物に?」
ぎょっとした表情で姫様が訪ねてくるのでええ、と頷く。
「まあ山なんて野生動物と魔物の巣窟ですので、当時そんなこと全然知らずに山に入ってましたね」
「……良く生きてましたね、アナタ」
サリアが呆れたような、信じられないものを見るような目で俺を見やる。
実際、山に入ってすぐに収穫があってそれ以上深く入らなかったためあの程度で済んでいたがもう少し深く踏み入れていたら普通に囲まれて逃げ場も無く魔物の餌となっていただろう。
改めて考えてもあの時あの場で鬼面鼠一匹だけと遭遇したことが俺の人生を一変させたと言って良い。
「どういうこと?」
そんな姫様の疑問を。
「それは、まあ今からの話の続きですね」
そう告げて先送りにした。
* * *
少しずつ、少しずつ、心が平静を取り戻していく。
―――生きた、生きている、生き延びた。
その事実に震えが収まっていく。
怖かった、心底恐怖した。だが俺はあの魔物を殺した、殺して、俺が生き延びた。
勝ったのだ、その事実に僅かに心に火を灯る。
そうして思考に冷静さを取り戻していくと少しずつ少しずつ思考が回り始め、やがて色々なことが気になりだす。
持って行った物全て投げだして逃げてきてしまったこと、倒した魔物を放置してきてしまったこと、夕方になり日が落ちかけてきたこと、明日からのこと。
たくさんの思考が頭の中を駆け巡り、その度に体を突き動かす衝動となる。
先も言ったがすでに日は落ちかけている、が山の入口に程近い先ほどの場所までならば行って帰って来れる距離だ。
行くならば急がねばならなかった。
少しだけ臆するように足を止めて、けれどすぐに調理場からナイフを一本持って家を飛び出した。
―――魔物とは魔力を持つ生物の総称である。
残念ながら自身は魔力が何かなんてことは知らないが、理解としては『よく分からないエネルギー』だとだけ分かっていればだいたい困らない。
故に魔物は『魔法』を使用できる。
魔法が何かと言われれば『魔力を使って引き起こされるなんかすごいこと』という答えしか返せない、実際一般人の認識なんてその程度である。
『
残念ながら俺は魔法というものを実際にはほとんど見たことが無いので、よく知らない。
そして何より魔物の最大の特徴として体内に『魔石』を持つことが挙げられる。
この『魔石』こそが人類にとって最も重要と言って過言ではない代物なのだ。
というのも実のところ人間もまた魔力というものを持っている。
だが人間は魔物と違って魔法を使うことができない。
というのも人間の体内には『魔石』が無いからだ。
理屈は良く知らないがこの『魔石』が無いと魔法が使えないらしい。
逆に言えば『魔石』さえあれば人間もまた魔法を使うことができる、ということだ。
今や一般家庭にも普及するほど広く知られた『
そしてその魔石は魔物を倒し、その体内から剥ぎ取ることで得ることができる。
そう、つまり俺が倒したあの鼠の魔物の体内にも魔石が存在するはずなのだ。
魔石は魔物の生きた年月や魔力の強さなどによってその大きさを変える。
そして基本的には大きい魔石ほど強力な力が発揮できるようになるわけだがそんな強力な魔石を宿した魔物は早々存在しないし、いたとしても強力で簡単には倒されない。
俺が倒したあの鼠もきっと小粒な魔石しか宿していないだろうが……魔石というのはだいたいそんなサイズだろうが金になる。勿論小粒なものでは大した金額にはならないだろうが、それでも確実に売れるのだ。
こんな田舎の村で確実に金になる代物というだけでも貴重なのだ。
もしくは、自分で使うか、だ。
―――鬼面鼠から剥ぎ取れる魔石は確か……。
脳裏に過る思考に、ふと違和感を覚える。
―――そう言えばどうして俺はあの鼠の魔物の名前を知っているのだろう?
鬼面鼠、あの魔物を見た瞬間その名前がすっと出てきた。
まるで何度も見てきたかのように、だが当然ながら俺は今まで一度だって魔物なんて見たことが無かった。
だったらどうして俺は
そんな疑問を覚えながらも山道を再び歩いて登り、目的地にたどり着く。
現場を見た瞬間脳裏に再び死にかけた恐怖が過るが、そっと木の陰から覗けば周囲に他の生物の姿はなく、折れた槍と槍の柄が突き刺さった巨大な鼠の死体が転がるだけだ。
きょろきょろと傍から見れば不審なほどに周囲を見渡しながらまずは投げ捨てた荷物を回収する。
それからまた何度も何も居ないか執拗なほどに確認しながら鼠の死体にそっと近づき、まずは折れた槍を引っ張り出す。
ほとんど自分と同じくらいの大きさの、体重に至っては三倍近くありそうな巨体に突き刺さった槍を五歳児の小さな体で抜くのは苦労したが、それでも最早動かない死体から長さは半分くらいになってしまった槍を引き抜く。
残念ながら折れた柄のほうがもうダメだろう。
折れた断面をさらに何度も何度も鼠に突き刺したためすでにボロボロだった。
仕方ないとそちらは諦め、改めて家から持ってきたナイフを逆手に持ち……鼠の腹を引き裂く。
―――転がりだした鼠の臓物とむせ返る血の臭い、途端に溢れ出す死臭に吐き気がこみあげてくる。
家で震えていた間何も食べていなかったため最早出てくるものは胃液くらいだが、何度も何度も吐いて吐いて、それでも突き刺したナイフを何度となく動かしてその
トラウマになるかとも思ったが、先ほど本気で殺されかけた相手だけに寧ろ『ざまあみろ』という気持ちのほうが強かった。
それでもむせかえるような臭いにまた吐き出しながら鼠の体内を漁っていると恐らく心臓だろう臓器の中に片手の手のひらで抱えるほどの大きさの石ころを見つける。
血に塗れたその石を荷物の中の水筒で洗い流せばまるで真っ黒な宝石のようなその姿を見せた。
それを見た瞬間に脳裏に浮かんだのは。
―――『
そんな言葉だった。
どうしてそんなことが分かるのだろうか?
そんな疑問と共に徐々に浮かび上がって来るのは『オレ』の記憶の数々。
鬼面鼠、そして悪食の魔石、まるでそれらが検索キーワードにでもなったかのように頭の中で連鎖的に記憶が浮かび上がって来る。
―――ああ、そうか。
その瞬間、『オレ』は気づいたのだ。
―――ここは、IFSの世界なのか。
この世界が『オレ』がかつてやっていたのだろう
そんな驚愕の事実に気づき呆然としている俺の耳に、山の奥から遠吠えのような獣の叫びが響く。
はっとなって空を見上げればすでに日は落ちかけていて、手の中の魔石を荷物に放り込むと一目散に山を下りていった。