栄冠は灰色に輝く   作:笛とホラ吹き

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プロローグ

 都立慧峰(けいほう)高校。かつては野球の強豪校として名を馳せていたが、今ではすっかり万年初戦敗退の弱小に成り下がった哀れな高校である。

 部員の中にはかつての栄光を知らぬ者も多く、先人達の築き上げてきた情熱と実績は、やる気のない顧問と、ダラダラと日々を無為に過ごすだけの屑によって地の底まで埋められてしまっていた。

 

 しかし、こんな糞の掃き溜めにも転機が訪れる。

 

 どんなにどうしようもないものも、些細なことで変わり得るのが現実だ。糞の掃き溜めと言うのすら侮辱にならなかった慧峰高校野球部は、きっかけを得たことでかつての強い姿を取り戻す。

 転機となったのは、ある年に入部してきたたった二人の新入部員であった。これはその内の一人……後にプロとして大いに活躍し、野球史に名を刻んだ大エース。御影(みかげ)晴真(はるま)の物語である。

 

 〜

 

 四月。新しい人生の始まりの春に、慧峰高校にも新入生が入学した。

 部活動勧誘期間の一週間も終わり、大体の生徒が自らの青春を預ける舞台を決めた頃。新入部員は野球部にもやってきていた。……もっとも、新一年生400人中入部したのは二人だけなのだが。

 

「洗谷中学出身、御影晴真です。野球は観るだけで未経験ですけど、初心者なりに精一杯頑張りたいと思っています」

 

 ──ここで頑張れるのか、ちょっと疑問だけど。

 

 一年生の御影晴真は、野球部に入った僅か二人の新入部員の一人である。中学までは他のスポーツをやっていたのだが、進学にあたって前から興味のあった野球を始めてみることにしたのだ。

 何か目標がある訳ではなく、それなりに楽しんでやれたらいいなぁという程度の興味。しかしその程度ですらできるのかと疑問に思う程、このチームは惨々たる有様であった。新入部員を入れてチームが新生するという大事な日であるにも関わらず、先輩が揃っていないのはまだいい。部を仕切るべきはずの顧問が、何故かこの場にいないのである。

 

 ──サボり……はまだ仕方ないとして。先生まで居ないってどういうことだよ。むしろよくこれまで廃部にならなかったなこのチーム?

 

 強くないチームということは知っていたが、まさか顧問にさえ見放されているレベルだとは、流石に晴真も思ってもいなかった。

 自己紹介では調子のいいことを言ったが、こんな緩い空気で自分を保てるだろうか?この時の晴真の心配は、結果的に杞憂で終わることとなる。

 

「高良瀬中出身、沢滝(さわたき)零士(れいじ)。この慧峰高校野球部を再建するために来た」

「は?」

「再建?沢滝……君、それじゃ昔は強かった時期があったみたいな感じだけど……」

「そうだ。このチームも昔は強かった。甲子園では常連だったし、優勝を5回も経験している名門と呼ぶに相応しい素晴らしいチームだったよ。もっともそれは、50年以上も昔の話だ。初めて知ったという反応が多いのを見るに、やはり忘れられて久しいということだな」

 

 晴真の次に自己紹介を始めたのは、もう一人の新入部員である沢滝零士。彼の放ったは言葉は弱小校に入った一年生の発言とは思えない程、自信満々ではっきりとしたものであった。

 チームのかつての栄光。どうしてそれを知ってるのかもそうだが、今の有り様を見て尚そんなことを宣える肝の太さが、チームに心配を抱いていた晴真の関心を少しだけ惹いた。先輩達が戸惑い、かける言葉を見つけられずにいる中で、晴真だけは沢滝の言葉の続きを真剣に待っていた。

 

「昔は強かったウチは、野球理論の最適化や練習の効率化に着いていけなくなった。成績を落としながらも昔ながらのやり方に固執し、素質に優れた選手がより効率の良い練習を、より長い時間することのできる私学に水をあけられるようになる」

「………………」

「そんなことをずるずると続けていく内に、応援してくれていた人達は離れていった。部員の質は下がり練習内容も時代遅れになり、私学の名門はおろか同じ公立校にすら勝てなくなった。勝利を望めなくなったとあれば、誰の心も野球から……チームから離れていく。かつての栄光は忘れ去られ、サボりや顧問の不在すら容認されるようになる程、チームは落ちぶれた。……これが、慧峰野球部の現状だ」

「時代に取り残されて勝てなくなった、か……」

 

 沢滝の話を聞いて、晴真には少しだけその気持ちが分かるような気がした。

 スポーツが楽しいのは勝てるからだ。練習に身が入るのは、勝利という結果こそ今までの努力が肯定される唯一の瞬間だからだ。それが手に入る見込みすらない状況で、努力するためのモチベーションが続く訳がない。部に残ったのがサボり上等のダメ人間ばかりなのも、嫌な話だが納得できてしまう。

 

 勝ちたいと願う人間が、勝てないと分かっているチームに入るなんてあり得ないのだから。

 

「悔しいとは、思わないか?」

 

 そう、それでも『このチームで勝ちたい』と願う奇特な人間以外は。

 

「最初から勝てる訳がないと決めつけられ、実際に勝つことはできず、周りがサボるのを同調するか見て見ぬふりをすることしかできず、引退する時まで無為に日々を過ごす!言いたい放題やられたい放題なのに、原因が自分達の中にあるから反論することも許されない!それが悔しいと……見返してやりたいとは思わないのか!?」

「思うさ!」

 

 二、三年生に詰め寄る沢滝。彼の言葉に皆が口をつぐみ歯軋りを堪える中、唯一反論を返したのは主将であった。

 彼は数少ない、慧峰高校の過去の栄光を知っている部員であった。入部した当初はかつてのような強い慧峰が戻ってくることを期待していたし、自分がそうさせてやるという気概も持っていた。

 

 しかし、当時の先輩達からはその情熱を迷惑なものとして扱われる。野球部を『ちょっとした暇潰しのための場』程度にしか考えていなかった彼らには邪魔だったのだ。せっかくのヌルい環境にわざわざ火を焚べようとする彼の存在が。

 道具を隠されたり、傷付けられたりするみたいな嫌がらせは当たり前。結託して無視されたり試合の予定を一人だけ伝えられなかったり、『みんなの楽しい野球部』を守るための先輩達の行動に、やがて疲れ切った主将は屈することとなる。そうして心の内に不満を抱え込みながら、今日までこのだらけ切った野球部に迎合してきたのだ。

 

「お前に何が分かるってんだ……俺がこの野球部を正すためにどれだけ頑張ってきたか!何も知らないくせに偉そうな口を聞くな!」

「負け犬の言い訳なんぞ知ったことか」

「ああ!!?」

「結局は多数派に迎合したんだろう?そのご立派なお気持ちを捨てて、身も心も楽になるために自分を逃したんだろう?なら、お前がするべきことは俺に突っかかることじゃない。そこのちゃんと来た分は多少マシな盆暗共と一緒に、チームを再建するために俺に着いてくると宣言することだ!」

 

 沢滝はそこまで言うと、主将から目を離し今までずっと黙っていた他の二、三年生に向き直る。そして彼らに向けて「お前達には残っているか!?少しでも勝ちたいと、甲子園に行きたいと思う気持ちが残っているのか!?」と力強く問うた。

 

 彼らは答えない。甲子園の舞台は高校球児にとっては夢の舞台、そこに立ちたいという気持ちがないなんてあり得ない。

 それでも言えなかった。今日はたまたま……新入生の入る日だから仕方なく来ただけで、普段なら自分達だってサボっていたような連中である。それが甲子園だなんて、どんな口をしていれば恥ずかしげもなく言えるのだろう。沢滝の問いに初心を揺さぶられてはいても……小さなプライドと罪悪感が、それを口に出させることを許さなかった。

 

「お前達に少しでも、甲子園に行きたいという気持ちが残っているのなら……俺が!お前達を甲子園に連れて行ってやる!堕落していた自分を捨ててまたやり直すんだと、そう言ってみろ!それすらできないというのならもう、部活など辞めてしまえ!」

「………………………………!!」

「僕は、甲子園に行きたいよ」

「み、御影……?」

 

 尚も踏ん切りがつかず、口をつぐむばかりである二、三年生の間に割って入り、晴真は部員として自らの望みを簡潔に伝える。

 

「沢滝君なら、こんなチームでも甲子園に連れて行けるっていう自信があるんだよね?」

「ああ。一度約束したなら必ず守る」

「なら、君に僕の青春を託すよ。どうせやるなら僕は勝ちたい。どんなに頑張ったって何にもならないなんて、斜に構えて自分の未来に勝手に絶望なんてしたくない。沢滝君、お願いします……僕を甲子園でも闘える、強い選手にしてください」

「もちろんだ。約束する」

 

 晴真は沢滝に頭を下げる。右も左も分からない初心者として彼に青春を託すことを決め、そして彼の言葉に殉ずることを決めた。チームの惨状を目の前にしてそれでも迷わず宣言できる、沢滝の覚悟を本物であると信じたから。

 

 一年生二人が率先して、『このチームは強くなるべきだ』という雰囲気を作ったことで、二、三年生も同調せざるを得ないかという空気になる。

 きっとかつても何度か、似たようなことはあったのだろう。そしてその度に先輩達の圧力に屈し己を曲げなければならなくなった。だが今度は一つだけ違う点がある。それは少し残酷な話だが……改革を訴える者の力の差であった。

 

 今までの彼らには足りなかった。周りに変わりたいと思わせるだけの説得力が。こいつの言う通りにやってやろうと思わせるだけのカリスマが。そしてその言葉を信じてくれる、仲間が。実際に仲間を作った沢滝の言葉には、彼らでも信じてみたいと思えるような覚悟がそこにあった。

 

「本当に……お前に、できるのかよ」

「できる。だが言うだけならタダだ、少しは根拠になるものを見せてやろう」

 

 支持する仲間はできた。ならば次はその言葉の根拠を提示する番である。沢滝はバッターボックスに入ると、投手に球種やコースは何でもいいから投げるように言う。そしていきなりのことに戸惑いながらも投手が投げた外角低めのスライダーを、完璧に捉え学校の敷地外まで飛ばしてみせた。

 

「……あの球は諦めた方がいいな」

「嘘だろ……流し打ちであんな飛ばすかよ、普通」

「200mは飛んだんじゃねえか?」

「これが、甲子園に行けるっていう根拠?」

「……の、一つだ。試合では最低でも4点分は俺が保証してやる。どうだ?これだけでもかなりのアドバンテージがあると思わないか?」

「行け、るのか?俺達が、甲子園に?」

 

 4点分は保証する……つまりソロホームランだけでも4回は打つということ。ほぼ全ての打席で点を取ると言っているも同然であり、普通なら信じられない発言だが……今のバッティングとここまでの大言を考えると、もしかしたら本当にやれるのではないかという気にもなってくる。

 そしたら当然、頭をよぎる。

 

『本当に、甲子園に出られる?』

 

 あくまでこのバッティングも、根拠の一つでしかないと沢滝は言った。ならばこれと同じくらい大きな要素を、まだまだ隠し持っているはず。それらも今後活かしてくれるのなら、甲子園は本当に夢ではなくなるのかもしれない。

 

 期待しても、いいのだろうか。

 

 自分達が、この大船に乗ってもいいのだろうか。

 

「………………行きたい」

「え?」

「俺、甲子園行きたいよ!今までずっと嫌なことたくさん言われたけどさ、サボってちゃんと練習してない自分が悪いからって聞き流してたけどさ!いつの間にか俺……俺達、バカにされるのが当たり前になってたけどさ!やっぱりバカにされるのは悔しいよ!甲子園に行って、アイツらを見返してやりたいよ!」

「お、俺も……!練習試合でも負けるのが当たり前で、対戦相手に『ボーナスステージ』とか言われるのはもう嫌だ!勝てるのなら勝ちたい、負けて敵に嗤われるのはもう嫌だ!」

 

「俺も!」

 

「オレもだ!」

 

「オレだって!」

 

「……なんだ、ちゃんと言えるじゃないか」

 

 答えはもう決まっている。どんなに恥知らずだと言われようと、必死過ぎると嗤われようと、勝利はあらゆるプライドに優先する。高校生活恥を抱えて過ごすくらいなら、いっそ恥を飲み込んで闘う方が幸せだろう。そう思えるようになった。

 

「沢滝。信じていいのか?俺達はお前に着いていくことで本当に、甲子園に行けるのか?」

 

 闘う覚悟を決めた全員を代表して、主将が改めて沢滝に問う。お前に今まで誰も成し得なかったことを成す力はあるのか、と。沢滝もまた、そんなことは決まっていると力強く断言する。

 

「行ける。俺は一度した約束は必ず守るし、何より甲子園は俺の望みでもあるからな」

「そうか……なら、俺達はお前を信じるよ。俺達もまたお前に従う、着いていくって約束する。だからよろしく頼むぜ、ニューリーダー」

 

 慧峰高校野球部は、ここに一つに纏まった。後に不動の強豪『絶対強者』として名を馳せるチームが産声を上げた瞬間であった。

 

「それじゃあ早速、始めるとするか」

「野球部の練習ってどんなことするの?」

「まずは……環境整備だな」

「へ?」

「そもそもこのグラウンドの状態は、練習場として全く相応しくない。雑草がそこかしこ伸び放題だし砂利も多過ぎるし土も硬い。備品もロクにメンテもされてない骨董品しかないのでは、質の良い練習など夢のまた夢だ。まずは来週までに環境整備を終わらせるぞ、練習はそれからだ!」

「ええええぇぇ!!??」

 

 新生慧峰高校野球部は、まだまだ産声を上げたばかりの赤ん坊。後の『絶対強者』も、この時はまだへなちょこであった。強くなっていくのはこれからである。……部員にとっては、肩透かしを食らった気分だろうが。

 

「はは、良いじゃん。これなら頑張れそうだね」

 

 何はともあれ、新生慧峰野球部の……そして後の『球界の至宝』御影晴真の三年間が幕を開けた。




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