「次の試合は土曜日。相手は第一シードの八千代高校……春の都大会では皇心学館を退け、関東大会でもベスト4に入った強豪だ」
いつもは座学に使っていた時間を、大会中は相手校の対策に当てる。三回戦の対戦相手となる八千代高校は、日本一となった皇心学館とも肩を並べることができる強豪……しかもここ二試合の結果からこっちを研究してくるだろうし、皇心学館を倒した相手に対して弱小だと油断もしないだろう。今大会で慧峰高校が越えなければならない壁の中で、ここが最も高い壁だと沢滝は断言する。
創部から約30年……高校野球の歴史からすれば新参の部類の高校だが、打ち立てた実績は夏の甲子園六度の出場と、春のセンバツ七度の出場に加えて優勝も一度経験している。若さ故の勢いに名門としての自信と厚みを併せ持つ、相手にしてとても厄介なチームであると言えるだろう。
「まずは投手陣。八千代のベンチに登録されていた投手は5人……ウチとの試合で登板してくるのは恐らく、背番号18の伊佐幸四郎だ」
「えっと……伊佐幸四郎、二年生。右投右打でストレートのMAXが154キロ。公式戦で確認された変化球はカットボールとシュート、そして決め球として多用するスプリット。四球が少なくコントロールは良い方だけど、時折いきなり調子を乱して連打を食らうことがある」
「……こうして読んでみると、変化球を覚えた御影よりは格下に見えるな」
「あくまで見えるだけだがな。関東大会では目立った乱調はなかったし、球速と変化球を両立した投手はウチの打線が捉えるのは難しい。好投手を相手にする時程、重要になるのは相手にも自分達以上に点を与えないこと。森園、棚原……三回戦の勝敗はお前達に掛かっていると言ってもいい」
二試合連続で完投した晴真に、またしても無理をさせる訳にはいかない。森園、棚原の両名は自身の右腕にかかるプレッシャーに身慄いする。
緊張するのも無理はない……何せこれまでは先輩達が登板機会を独占していた上に、すぐに負けるもので今まで投げる機会がなかった。これが彼らの公式戦初登板となるのだから。晴真は元より大丈夫だったが、初めての緊張というのは本来計り知れないものである。このプレッシャーを背負うには二人とも少しばかり遅かったのだ。
「そんなに緊張せずとも大丈夫ですよ。僕らは二人の努力をちゃんと見てきましたし……投げないとは言っても打席には入ります。それにどうしてもダメそうなら、僕が二人からマウンドを引き継いで投げますから。援護なら沢滝君がたくさん取ってくれるんだし、大船に乗ったつもりで伸び伸びと投げれば良いんです」
「ああ、そうだな……!」
「初登板は裏を返せば、どこにもタネが割れてないってことだしな。自分の球を伸び伸びと八千代の打線に押しつけてやればいいんだ……!」
「先発は棚原。なるべく二人でこの試合を投げ抜いてほしいが、いざという時には御影がマウンドに立てるよう準備もさせておく。自分を信じてしっかり腕を振れよ。そして次の試合では守備位置も大幅に入れ替えをするぞ」
三回戦ではポジションも変更を加える。森園と棚原ならキャッチャーは佐竹でもできるので、沢滝はショートに入り広範囲をカバーする。晴真を野手として使うなら、強肩を活かせる外野が望ましいためレフトの青木がファーストに入り、代わりに晴真をレフトに置く。
内野に入った沢滝の守備範囲は、ゴロならばファーストからサードまで纏めてフォローが可能。晴真が登板しない分どうしても落ちる守備力を、個人のスペックの暴力で無理やり補うのだ。キャッチャーに入る佐竹も本来これが本職なので、その働きに心配するようなことはない。
「随分逸れたから話を戻すぞ。次は八千代の打線についてだが……特に要注意なのは、なんと言っても上位打線全員だ。森園」
「おう。えっと……八千代は関東大会だと基本的に打順が固定されてて、中でも上位打線を打つ5人は全員が打率4割越えとめちゃくちゃ打つ」
──背番号6、ショートの安守一。初球からストライクを振ってくるし塁に出たらとにかく走る、積極性が持ち味のリードオフマン。ただ振って走るだけなら玉砕だけど、この人は打率は4割を超えてるし盗塁成功率も8割ある。積極性と確実性を高いレベルで両立したいいバッターだ。選手の性質上特にインコースの球に強いから、インコースに投げる時はいっそう注意が必要になる。対戦時はこの男を如何に塁に出さないかが問われるだろう。
──背番号4、セカンドの三枝雅弓。二番打者だけどバントはほとんどせず、ヒッティングで塁に出た安守を返すことを役割としている。体格は小さいが選球眼が良く、クサいところをカットして粘る技術もある……非力に見えるがそのバッティングはスイングスピードに優れており、相手投手の球に力負けしない打球を飛ばすことができる。打線の起爆剤故に、彼を抑えれば八千代の打線の破壊力を一気に下げることができる。
──背番号9、ライトの高山龍平。八千代高校の首位打者でありその打率は.572と圧倒的。四番との勝負の前に前座として立ち塞がり、焦りが出た投手の甘い球を逃さず捉える仕事人。何より脅威なのは、不意をつかれても即座に修正を可能とする繊細なバットコントロール。多少ズラされた程度ならきっちり反応してバットに当ててくるので、完全に虚を突くか、反応が間に合わないくらい大きく読み間違わせる必要がある。
──背番号2、キャッチャーの佐伯博文。首位打者の高山や本塁打王の杉原の中間といった、ミート力と長打力を高いレベルで両立する四番打者。二年生にして名門の四番に抜擢されるその実力は大したものだが、まだまだ若さがあるか難しい球にも簡単に手を出し凡打になりやすい傾向がある。ランナーがいる時といない時ではバッティングに天と地程の差があり、チャンスの場面では打率も長打力も格段に上がる最も警戒すべき相手。
──背番号3、ファーストの杉原恵介。八千代の本塁打王であり、高校通算でのホームラン数は驚異の63本に到達している。打率を残すよりも長打を打つことを優先したバッティングのため、打率は良くないがその分当たった時は凄まじく飛ぶ。チャンスで佐伯との対決を避けたとして、次に来るのがこいつである。そのため八千代との対戦時はチャンスをそもそも作ってはならない。そうなれば慧峰は最低でも2点を献上することとなるだろうから。
「……こうして読んでみると、やっぱりヤバいね」
「伊達に名門はやってねえってことだ」
情報を纏められた資料を読んだだけでも、相手の強さに大きなため息が出てくる。というかこの量の情報を沢滝はいつ纏めたのだろうか。まだ二回戦が終わったその日の夜だというのに、まさか対戦する可能性のある全校のデータを持っているのか。
考えても仕方ないことは置いておいて、この打線を森園と棚原の二人で、どうやって9回まで抑えるかを考えていく。
「なぁ沢滝……俺ら何点取られると思う?」
「5、6失点でも上出来じゃないか?勝つためには2失点くらいに抑えてほしいところだが……やはりお前達にも更なる戦力が必要だな」
沢滝の言葉に息を呑む二人。こういう場面で冗談を言わないと分かっているからこそ、その言葉を冷静に受け止めることができる。晴真の家で八千代と戦えると言われてはいたが、あくまで『戦える』であって勝てるとは言われていないのだから。
森園と棚原、二人とも投手としての能力はとても似通っている。どちらも130キロ代前半が球速のMAXだし、投げられる変化球もスライダーにカーブとフォークという同じもの。ここに晴真がやったように更に二つ、それぞれ新たな変化球を八千代戦までに覚えてもらう。これを本当にモノにすることができたなら、二人の評価は八千代と『戦える』から八千代に『勝てる』に変わるだろう……そう簡単にいくことはないと皆も理解してはいるが。
「……そろそろ下校時刻になるな。今日はもう解散にして明日から対策の続きだ。明日からは実践練習も交えてやっていくので、今日は帰ったら自主練も控えてしっかり身体を休めておけ」
「今日もお疲れ様でした!」
「お疲れ様でした!」
「よし、解散!御影、お前は投げずに休めよ」
「はい……」
「……お前、帰ったら投げるつもりだったろ」
名指しで釘を刺され、変化球の感触を確かめるくらいはやろうとしていた晴真は首を竦める。やったら気付かれるだろうし、大人しく今晩は休むことにしようと誓うのだった。
〜
同刻 八千代高校グラウンド
「よーし、全員集合!」
「おーっす!」
八千代の野球部は、各学年につき部員数が40人を超えるマンモスチーム。大会中のこの時期は一軍に選ばれた20人以外は、練習の中心から外れるがそれでもその人数はとても多い。
普通は大会に備え、練習はあっても流す程度に留めるのだが。八千代の一軍メンバーにはその普通は適用されず、彼らは普段と同じ……いや人数が少なくなった分よりキツい練習をこなす。そしてその上で他校への対策も並行して行なっていくのだ。
「お前達、160キロを打ってみてどうだった?」
「マシンでもやっぱ凄く速いっす。でも志士堂との試合をこの眼で観たから言いますけど……御影の投げる球はマシンじゃ比べ物になりません」
八千代高校監督、岡田祥吾は選手達に今日の練習の感想を聞いていく。三回戦……八千代にとっての初戦となる慧峰高校との試合、そこで登板してくるであろうエースを打つための練習の感想を。
真っ先に答えたのは、チームのキャプテンにしてキャッチャーの佐伯博文。マネージャーと共に慧峰と志士堂の試合を観に行っていた彼は、現地で実際に見た球とマシンの球では、球の持つキレが全く違うということを指摘した。
「既にに試合連続で完投してるんで、ウチと戦る時には球質かスタミナどっちかは落ちてるでしょう。それでもイメージ的には……春に俺達がボコボコにされた皇心学館の稲羽よりも、余程速いストレートに思えました」
「そこまで言うか……まったく、どうしてこんな逸材が弱小校から出てきたんだ?ウチや皇心学館みたいな強豪じゃなくても、安岡とか猛士みたいな中堅どころならまだ納得がいったのに」
「あ、俺御影晴真って名前調べてみたんスけど。全中水泳大会優勝って出てきましたよ」
「水泳選手だったのか……そりゃあ中学野球で話題にならない訳だ」
いろいろ関係ない話もするが、八千代が取る晴真への対策はあくまでもストレート狙い。ツーシームやチェンジアップでのタイミング外しは、単体でも確かに脅威だが、それはストレートが常に投球の中心として機能しているからこそ。変化球に惑わされずストレートを叩けば、変化球も自ずと機能不全に陥らせてやることができる。
あのストレートは性質上、当てることさえできればよく飛んでいく。だから晴真を対策するならひたすらにストレート狙いが正解となる。もちろん変化球だって、タイミングを判断して打てるのなら積極的に狙っていって構わない。それよりも対策をしておきたい選手が他にいる。
「沢滝零士……コイツをどうするかだよな」
「ここまで打率10割、安打の全てがホームランとかいうイカれた成績だぜ?こんなのどうやって抑えろってんだよ」
慧峰高校の攻守の要、この男をどう対策するかが三回戦の鍵を握ることになるだろう。
攻撃面では打率10割に加えて、安打の全てがホームランという異常な成績。一発で仕留めてくる時もあれば妙に粘る時もあり、しかもちゃんとバットを振ってカットするから、審判がバント扱いにすることも期待できない。選球眼にも優れており少し外れただけでも微動だにせず見送ってくる。ストライクゾーンに入っているなら振ってくるので、ただ見逃したということにもならない。おかげで何を狙っているかも投手目線では分からないという、とても厄介な性質があるのだ。
何よりもヤバいのは、沢滝の後に続く打者で強打者と呼べるのはせいぜい晴真くらい。なのに他の打者までもが強打者の如く、バカバカ打ち出すようになるのである。一打者としても打線全体で見ても強過ぎる凄まじい打者である。
守備面ではキャッチャーとしての、160キロのストレートを軽々受けるキャッチング力。変化球も当然のように捕球し、ここ二試合ではエラーどころか落球すらしていない。リード面でも投手に球種が少ないとはいえ、首を振らず投げていることから信用が窺える。肩に関してはランナーを刺す機会がなかったため未知数だが、あれだけ軽々ホームランを打てるパワーがあって、肩は弱いなんてことは流石にないだろう。判明していない部分だけで評価しても高評価を出さざるを得ない。
そしてこれら選手としての実力より、八千代が警戒しているのは監督としての力量であった。一年生にして上級生達を纏め上げた統率力。弱小の名に相応しい程度の実力しかなかった彼らを、しっかりと戦えるレベルまで育て上げた育成力。大人のサポートを何一つ受けられない試合中もそれを選手に感じさせない、サイン出しからマネージャーの仕事まで熟すサポート能力。
どれを取っても中学を出たばかりの青二才にできることとは思えない、これこそ沢滝零士という男を警戒する真の理由であった。
「試合は土曜……やることが多いな?」
「ウス、頑張ります!」
時間はあっという間に過ぎていく。互いに互いを倒すための準備を整えそして、決戦の日は瞬く間にやってきた。