「がっ……!」
「たなは……ッ!?」
打球が棚原に直撃した。
急なアクシデントに敵味方共に動揺を隠さずにいるが、何人かは冷静さを崩さず己のやるべきことを果たすべく動いていた。その中の一人として打球を当てられた棚原本人の姿もあった。
「ファースト!」
「お、あ……!?」
派手に尻餅を着いて転んだにも関わらず、棚原は迅速なリカバリーで転がった打球を掴み、ファーストへ送球する。しかしファーストの青木は動揺して動きが止まっており、反応できず咄嗟にグラブを突き出すも送球を弾いてしまった。
バッターランナーはこの間に一塁を踏み、塁審からは当然セーフの宣告がされる。取れてさえいればこのままチェンジだったのだが、仕方ないとは言え惜しいところである。
「棚原、どこに当たった?」
「左手……グラブ越しだったけど、痛え……」
タイムを取って試合を一時中断し、沢滝は棚原の怪我の様子を確認する。不幸中の幸い頭部に当たるようなことはなかったが、グラブを外した拳は内出血で赤と青に腫れ上がってしまっていた。
利き腕ではない方の怪我だが、流石にこれをプレイさせる訳にはいかない。心配して様子を見に近付いてきてくれた保護者に連絡し、棚原はここで通院のため戦線離脱となる。大塚に続いてまたしても負傷離脱者が出てしまった。
「くっそ、また離脱かよ……」
「棚原先輩、大丈夫かな……」
「怪我がどれ程かにもよるな。骨が折れてなければ腫れが引けば復帰できるだろうが……折れていればあいつもリタイアになる」
「今は、勝つしかないか」
一試合の半分……5イニングくらいは投げてほしかったがこうなっては仕方がない。まだ3回2/3と本来の予定よりはだいぶ早いが、森園にリリーフを任せることにする。彼は不測の事態を見越して初回から肩を作っていたので、この状況でも身体だけは本調子で投げることができる。
投げられたらの話だが。数少ない投手……それも同期として、浅からぬ縁があった相手が怪我で離脱するとなれば心中穏やかではいられないだろう。こんな精神状態で果たして本来のピッチングができるだろうかという不安は拭い切れない。
「森園、次の打者は一球で仕留めろ」
「は、いや、それは難しく」
「お前ならばできる。棚原の離脱も、勝ち越されていることも、ランナーを背負っていることも、今は全部忘れろ。俺の言葉だけを意識して投げろ」
「ああ……俺は、やれるんだな」
不安があるなら取り除けばいい。緊張というのは言葉だけでどうにかなる程簡単じゃないが、それでも何もないよりは格段に解れる。ましてやチームで最も信頼できる相手からの「お前はやれる」というお墨付き、それは森園にとって己を奮い立たせるには十分過ぎる効果があった。
『四番、キャッチャー、佐伯君』
「よろしくお願いします」
僅かな投球練習を終え、森園はリリーフとして八千代の主砲と向かい合う。相手は八千代高校という強豪の四番であり、更にはキャッチャーと主将まで兼任する破格の選手。特にキャッチャーとしては世代NO.1の呼び声も高いという。
相手の肩書きや実績に怖気付いていては、勝利を掴むことは永遠にできない。指示通りにこの強打者を一球で仕留めるとしたら、いったいどの球を投げるべきか……やがてバッテリーは覚悟を決め、佐竹は投げる球のサインを出した。
「さぁ、こい……」
「挨拶代わりだ。受け取れ……ッ!」
インコース高めを抉るように投げられた、直球のクロスファイアー。替わりばなの初球はほぼ確実に狙われる……変化球をちゃんとコントロールできるならタイミングを外せるかもしれないが、公式戦初登板な上にこの緊張感の高い状況では、できるものもできなくなっている恐れがあり得る。だから選んだのは速い球……無理に変化球を投げようとしなければコントロールはできる。
しかし森園のMAXは138キロ。遅くはないが速いとも言い難い、佐伯程の打者ならば問題なくスタンドまで運べる程度の球速である。何の策も無しに投げたのなら、きっとアジャストして痛打を食らわせてくるだろう……そう、それが本当にただのストレートであったなら。
「ぐう、曲がっ……!」
「ファースト!」
バッテリーの取った選択は、インハイへのカットボールであった。変化球を無理に投げようとしてはコントロールが定まらず、かと言って安易にストレートを投げても合わせられる。ならばどうすればいいか……答えは簡単、ストレートの速度で軌道を曲げてしまえばいい。
森園が元から持っていた球種はスライダーとカーブの二種類。そこに特訓の成果として加わったのが今のカットボールともう一つの変化球。カットボールが上手くいったことで、肩から余計な力が抜けた今ならもう一方も投げられるだろう。ファーストがゴロを捕球し自らペースを踏むのを見届けると、森園はベンチに戻る道すがら拳を強く握った。
「あいつもカットボール投げんのか」
「まったく、やってくれるぜ」
ここからは裏の慧峰の攻撃だが、この回は沢滝に打順が回ってくることになる。その前に一人でもランナーを出そうと奮闘した8、9番だってが、健闘虚しく仲良く空振り三振と相成った。
『一番、ショート、沢滝君』
「よろしくお願いします」
どうにか追いついてくれという、ベンチの期待を背負って沢滝は打席に立つ。しかしその期待を挫くように八千代のベンチから伝令が飛び出し、審判に申告敬遠を告げる。チームの得点源が打つ機会を奪われてしまった。
嫌な戦術だが、自分達も皇心学館戦で同じようなことをしたので責めることはできない。ましてや徹頭徹尾敬遠し続けた自分達と違い、八千代は一度は勝負しているのだから尚更。沢滝が少しは揺さぶれないかとマウンドを見つめると、そこに立つ伊佐は微笑みながら両手を高く上げてみせた。
「……成る程、お手上げか」
「お前強過ぎ。まともに勝負なんかしてられるか」
特にゴネたりすることもなく、沢滝は指示に従って一塁へ向かう。敬遠されたことに対する怒りや憤りは感じられず、むしろお手上げのポーズを見せた伊佐に微笑み返すだけの余裕があった。
中島がどうにかヒットを打ってやろうと試行錯誤をしている間に、沢滝は一塁から二塁へ、そして二塁から三塁へ迅速に盗塁を決める。ツーアウトながらランナー三塁で得点のチャンスだったが、中島はピッチャーゴロに倒れこの回も無得点となった。
このチームの得点はほぼ沢滝に依存しており、彼が封じられては攻撃力が激減してしまう。好投手相手にはどうしても打力で負けてしまうという、慧峰の弱みが現れたイニングであった。この状況を打破できるかもしれないのは一応いるが……
「今のところ、スプリットはツーストライク以降でしか使ってない……始めの内は可能性としては切り捨てていい、高めになると変化球の変化が甘くなる時がある、意図して投げているのかそれとも何か理由があるのか……」
……果たして晴真の打力は、慧峰の力不足を覆す戦力になり得るのか。それはまだ分からない。
四回表、森園は五番の杉原をライトフライに打ち取るも六番伊佐に四球を許す。七番金城には右中間を破るツーベースを放たれ、八番徳田の犠牲フライで1点を失い3ー1となる。
ツーアウト二塁で九番佐々木、ファーストの頭を越えるヒットで出塁し一・三塁のピンチ作り、一番に帰った端から四球を出し満塁としてしまう。炎上もあり得る状況だが、バッテリーは落ち着いて守備陣に呼びかけ警戒を強めさせる。森園自身も満塁になって尻に火が付いたか、前の打者に四球を出したとは思えないコントロールで三枝を翻弄。
「ストライク、バッターアウト!チェンジ!」
「っしゃあ!」
四球を増やしていた要因でもあった、もう一つの新球であるスプリットで、見事に三枝から空振り三振を奪ってみせたのだった。
「青木、アウトになろうともバットをしっかり振ることは忘れるなよ。ただヒットを打つだけがバッティングじゃない、投手を揺さぶってプレッシャーを掛け、有利な展開を引き込むんだ」
「おう、当たって砕けてくるぜ」
「砕けるな。御影はどうだ、打てそうか?」
「何とも……」
四回裏の慧峰の攻撃、打順は三番青木から始まり初球から積極的なスイングを見せる。速い球には食らいついていき、フェアゾーンに落ちなくとも粘ってストライクを取らせない。遅く変化の大きい変化球は落ち着いて見逃すことができている。何もできずにやられた一打席目と違い、ちゃんと伊佐の球を相手に戦えていた。
ここで打てなくとも、このまま粘って球数を稼がせれば疲れて甘い球を投げるかもしれない。そうでなくともプレッシャーはかけられるし、交代するとなればその代わり端を誰かが叩きにいける。打って塁に出ることは確かに大事だが、今はそれ以上にどうやって点を取るかを意識する必要がある。青木は打席でしっかりものを考えていた。事前に沢滝に言われたのが効いているのだろう。
「いっ……けえ!」
「落ちた!」
粘りに粘った11球目。僅かに甘く入ったカットボールを弾き返し、打球は二遊間を抜けてセンター前に落ちるヒットとなった。ここで初めてランナーを出せた慧峰打線、せめて1点だけでも取って差を縮めたいところ。
ランナーを返し、塁上を一掃するからこそのクリーンナップ。点を取ることを誰よりも期待されるからそこの四番という打順。得点の好機と言うには物足りないシチュエーションではあるが、晴真はランナーを返せるだろうか。
──狙うはストレート、それは変わらない。
一打席目とは狙いは変えない。いきなり狙い球を変えたところで対応し切れないだろうし、またカットボールが来ても、今度はちゃんと合わせられる自信がある。同点に追いつくためにも絶対にここで打ってみせると、バットを握る腕に力を込めた。
「やっちまえ御影ー!」
「ホームランで同点だー!」
ベンチから飛んでくる応援の声に背中を押されるように、晴真は初球からバットを振る。シュートをいい感じで捉えたのだが、引っ張りが強過ぎて逆にフェアゾーンに落とせなかった。
二球目インコースへのカットボール、これは明確に外れてボール。並行カウントで投げられたアウトローへのストレートも、際どいところではあったが見逃すとボールと判定された。伊佐は不服そうな面をしていたので、今の球は入っていたという自信があったのかもしれない。
──バッティングカウントだし、次は流石にストライクを入れてくるかな……?
カウント1ー2と打者有利の状況なら、並行カウントに戻すべくストライクを取りにくるはず。そこを叩ければ嬉しいがどんなボールでくるか……アウトローの後だからインコースと予測し、晴真はギュッと脇を締めた。
そして実際に投げられた四球目……予想通りインコースにきたストレートに対し、合わせてバットを振ろうとしたその瞬間ボールが変化を見せる。芯を外したことで打球は思うように飛ばず、またしてもファールという結果になった。
──くそ、今のは勿体無かったな。
「……マズいな」
「マズい?今のも惜しかったろ」
「いや、御影は今ので決めるべきだった」
「……?よく分からんけどピンチなのか」
カウント2ー2。またも並行カウントに戻ってしまったが、普通にストライクを取られてこうなるのとは少し意味が違う。晴真は今の球をどうくるか予測を立てて打ちにいき、そして裏をかかれてファールに甘んじてしまった。ただストライクを見逃してカウントを進められるのと、打てたはずの球を打ち損じてカウントを自ら進めてしまうのでは、打者の心理面に大きな違いが出てしまう。
晴真は野球の天才であった。僅か4ヶ月足らずの短い期間で投手としては一流となり、打者としてもその打力には非凡なものがある。正直言って晴真が素質で負けるような相手は、高校レベルなら皇心学館の稲羽くらいのものである。しかしどうしても今の彼では勝てないものが……今の彼では他の選手に追いつけないものがある。
「さぁ……打てるもんなら、打ってみろ」
「……こい」
それは培ってきたもの。選手として野球に打ち込んできた時間という、個人の素質だけでは計れない絶対的な時間の差。
練習時間を伸ばしたり、内容を工夫したりすればある程度は追いつけるかもしれない。相手によっては軽く追い越すことも可能だろう。しかしそれでは八千代のような、そんな工夫を積んできた時間さえも上回ってくる相手は越えられない。何せ相手は学生時代のほぼ全てを野球に捧げた、根っからの野球星人……選手としての完成度が違う。
「ストライク、バッターアウト!」
「くそ……ッ!」
これは経験の差。晴真にはまだ才能を活かし切るだけの積み立てが足りていないのだ。
ランナーがまだ一塁にいるから、ゲッツーを狙うなら低めの球で決めにくるはず……その予測を逆手に取った高めの釣り球に手を出してしまい、あえなく空振り三振となるのだった。
四回を終えて未だ3ー1。
力の差は、縮まらない。