六回裏ワンアウト一・二塁で、迎える慧峰の五番打者は真堂祐輔。晴真と同じくこの試合まだヒットの出ていない彼だが、この大チャンスの場面をしっかりモノにすることができるだろうか。
二塁ランナーを返せたら上々、最低でもツーアウト二・三塁の状況は作りたいところ。クリーンナップの意地を見せることはできるのか。
「引っ掛けた!」
「セカンド!」
結論から言うとダメだった。低めのスプリットを引っ掛けてしまい注文通りのショートゴロ。そのままセカンド→ファーストとボールが行き交い、教科書に載せられるようなゲッツーとなった。
せっかくのチャンスだったが、慧峰の得点はこのイニング一点止まり。スコアは6ー3……三点の差が終盤になって重く伸し掛かる。延長になれば不利になるのはこちら側、あと三回の間に何としても逆転してやりたいところだが。その前に七回の守備を乗り切ることはできるのだろうか。
「ふぅー……よし、行くかぁ」
「だ、大丈夫か……?」
ここまでよく投げているが、森園も流石に疲れが溜まってきているようだ。前の回でスリーランホームランを打たれたことも、彼の緊張の糸を緩ませているのかも知れない。
側から見ても疲れていると分かる状態で、それでも森園は勇ましくマウンドに立った。男が一度任された戦場から逃げる訳にはいかないという、一つの意地がそうさせていた。
「森園先輩、僕はいつでも変わりますから!」
「ああ……そこで、待っとけ」
自信満々……ではないが、マウンドを守るのは自分だという確かな覚悟で放った言葉。森園はこの七回表の守備で、エースを差し置いてマウンドに立つに相応しい素晴らしいピッチングを見せた。
まず六番を九球目で空振り三振に取り、続く七番は当てたものの打ち上げてライトフライ。八番にも粘られ十二球を投げさせられたが、最後はインコースの変化球で見逃し三振に取った。文句の付けようもない三者凡退のピッチングに、チームメイトやスタンドからも驚きの声が寄せられる。
「何だお前、そんな球投げれたのかよ!」
「最初からそれやれ!」
「凄かったな、今のピッチング……」
「粘られてはいたけど、危なげなかったわね」
ここまで散々打ち込まれた上、ホームランまで打たれている打線を相手に、七回という終盤にもなってのこの素晴らしいピッチング。できるのなら初めからそうしろと言われているが、これが初めからできるなら森園もやっていただろう。
ここまで何度か、森園には緊張やプレッシャーによる力みが生まれる場面があった。そのせいで打たれて失点する結果を招いていたが、この回は力み以上に身体の疲れが先行していた。疲労のせいで身体に余計な力が入らず、必要な分だけを出力できたからこそのピッチングである。ここから疲労の比重が増えてくればもうできなくなるだろうが、それでも嬉しい誤算ということに変わりはない。
「これは想像していなかったが、おかげでどうにか次の回までは保たせられそうだな」
「あと二回、頑張って欲しいところだね」
この予想外の好投を、良い流れとして攻撃に繋いでいくことができるか……どうにかして出塁してやると意気込んで、慧峰側も六番から七回裏の攻撃を開始する。しかしここまで大して打たれてもいない伊佐の消耗はそれ程でもなく、しかも森園のピッチングに影響を受けたのか、こちらもピッチングのキレが冴え渡っていた。
六番はバットに掠ることさえできず三振、七番は初球のストレートを引っ掛けてセカンドゴロ。八番は高めの釣り球を打ち上げさせキャッチャーフライとこちらも三者凡退でこの回を終わらせた。スコアが動かないまま試合が進むことで、両チームの心境にも変化が生まれる。リードする八千代には余裕と不安……追いかける慧峰には焦燥と覚悟。
「森園、何人塁に出しても構わん……この回は絶対に無失点で切り抜けろ」
「ああ……やってやるよ」
魔の八回とも呼ばれるこのイニング、果たして魔物を味方に付けられるのはどちらだろうか。
「打った、けど……外れた!」
「あっぶな……」
先頭打者の九番を相手に、森園と佐竹のバッテリーが初球に選んだのは外のスプリット。変化が甘くバットに当てられて大きく飛んだが、打球が大きくスライスしファールゾーンに落ちたことで、ギリギリのところでどうにか事なきを得た。フェアになっていたらツーベースは免れなかっただろう。
命拾いしたことで腹を括れるようになったか、二球目に投げた内へのストレートはしっかり入った。打者に反応させる間も無く、ストライクゾーンに入れた上で見逃しのストライク。続く三球目は同じコースに今度はカットボールだが、これは制球が乱れて打者を退け反らせボール。バッティングカウントとなったが、落ち着いて四球目に森園が投げたのはストライクからボールになるカーブ。
「引っ掛けた!」
「セカンドゴロだ!」
ボールになることに気付いた打者はバットを止めようとするも時既に遅く、バットの先に引っ掛けてしまいセカンドゴロ。ボテボテの打球を捕球から送球まで丁寧に行い、ファーストもこれをしっかりと受け取って一つ目のアウトを取った。
幸先の良い八回のスタートだが、ここからは上位打線との四度目の戦いになる。スイングの鋭さもパワーも駆け引きの巧さも、下位打線とはまるでレベルが違う怪物達。勝利のためにもこれ以上点差を着けられる訳にはいかないが、森園のピッチングは彼らを相手にどこまで通用するか……
「ストライク、バッターアウト!」
「空振り三振だ!」
結論から言うと通用した。七回の守備から続いている疲労による力みが取れた状態。それが今の段階でも維持されていることで、無駄に体力を浪費することなく、100%の球威とコントロールを実現することができていたのだ。
アウトコースにチェンジアップ、からのインコースへのストレート。高めのボール球でインハイ近くへの投球を印象付けさせ、アウトローへのストライクからボールになるスライダーで、一番打者を見事空振り三振に打ち取ってみせたのだった。
「これで、この回はあと一人!」
「森園、気張れよ!」
クリーンナップに回る前に、ここで終わらせたい二番打者との四度目の対決。森園の集中はここにきて最高潮に達しており、後ろから見ていた守備する面々はこの一球が最高のモノになることを、リリースされるまでもなくモーションで察していた。
投げられたのはコースはアウトロー、球種は何度となく投げてきたストレート。そう何度も同じ手は食わないとばかりにスイングする打者、タイミングはドンピシャ……振り切れば勢いそのままライトスタンドまで飛んでいくだろう。
「何っ!?」
「……引っ掛かってくれたな!」
ライトスタンドに入るホームラン……打ったのが本当にストレートだったならば、それが現実になっていたであろう。しかしボールはミートする寸前で変化しポイントを少しだけずらした。森園の投げた球はストレートではなくカットボールだったのだ。
芯を外されたことで打ち上がったボールは、ファールゾーンに外れるも十分間に合う飛距離。落下点に先回りしたファーストがこれを捕球し、ファーストフライでスリーアウトをもぎ取った。七回に続き六者連続の凡退劇である。
「よっ……しゃあ!」
「ナイスピッチング、森園!」
チームメイトの賞賛と、スタンドからの拍手を受けながらベンチに戻る脚は重い。疲労がピークに達していることが一目で分かる消耗振りに、仲間達は彼への感謝と労いを惜しまなかった。
「はは、やってやったぜ……後は、頼んだ」
「何を言っている、次の打順はお前からだぞ」
「あ……」
「あ、あともうちょっとさ!」
大役を終えベンチで休むつもりであったが、裏の攻撃が自分から始まるため森園が休むことは残念ながら叶わなかった。重たい足取りでふらふらと3点の差を埋めるべく打席に立つ。
九番打者である森園が出塁できれば、ランナーを残した状態で沢滝に打席が回る。十中八九敬遠されるだろうがプレッシャーをかけるためにも、アウトカウントを増やさないためにも、ここは絶対に出塁したい場面であった。
「そうだ沢滝君、さっき言ってた秘策についてそろそろ教えて欲しいんだけど……」
「ああ、まだ教えていなかったか」
沢滝がネクストバッターズサークルに入る前に、晴真は三打席目の時に言っていた『確実に打てるようにしてやる』の根拠を尋ねた。
確実にというのはまぁフカしだろうが、晴真に打てるメンタルを作らせるための。それでも何も聞かないよりはずっと打てる可能性は上がるはず、それを信じて晴真は真っ向から質問する。沢滝の答えは想像していたよりもずっと単純で……しかし確かに晴真には必要な作戦であった。
「成る程……確かに、このまま相手のバッテリーに振られ続けるよりはずっと打ち易いかもね」
「あまり取らせたくはない方法だがな。それでも今のお前では八千代の年季には敵わん……下手に駆け引きをして負けるくらいならこっちがマシだ」
話している間に、森園はカットボールに当てたものの打球は打ち上げてしまいショートフライに。出塁は叶わずベンチに戻ってくることとなった。
「くっそ、抜けてればヒットだったのに……」
「仕方ない、ベンチで休んでおけ」
続く沢滝の四打席目、今回はいつもの右打席に立ったことで八千代は申告敬遠を選択する。左打席に立てば勝負したかもしれないが、今打ったところで返せるのは一点のみ。あまり効果的とは言えないため確実に塁に出ることを選んだのである。
ワンアウト一塁、二番中島の四度目の打席は初球ストレートから始まった。インコースに正確に投げられた150キロ越えの直球を、どうにかバットに当ててファールとする。本当はちゃんと打って前に落とすつもりだったが、そう簡単にヒットを打たせてくれるような相手ではないということだ。
「大丈夫……速い球に狙いを絞って……」
沢滝の盗塁を警戒するなら、緩い変化球を投げる割合は少なくなるはず。狙いはストレートから変えずしっかりとバットを振っていく。
投げる前に牽制が何度も入ることからも、盗塁へのというか沢滝への警戒がよく分かる。自分の考えは間違っていないとの確信が持てれば、バットを握る腕からは余計な力が抜けていく。狭まっていた視界が開けていくような気がする。
「こ……こ!」
「打った!」
「二遊間抜けた!」
カウントを取りにきた変化球や、枠から外れたストレートをきっちり見送り、1ー2で投げられたストレートにセンター返しを決める。これによりワンアウト一・二塁という、得点には絶好の機会をクリーンナップに回すことに成功した。
三番の青木は今日1安打、当たりのない晴真よりは現状ヒットを期待できる打者である。ここで一発が出れば同点だが、何度か似たようなシチュエーションで慧峰は無得点に終わっている。クリーンナップの意地を見せることが彼にできるだろうか。
「ストライク!」
「まずは見てきたわね」
「無闇に振りにはいかないか。ゲッツーのリスクも高いしまぁ妥当な判断だな」
初球はストレートでストライク。振りにいけば当てられないでもない球だったが、それでいきなりカットボールなどを当てさせられてはいけない。下手を打てばゲッツーどころか、トリプルプレーすら有り得るのだから慎重に行かざるを得ないのだ。
二球目は外低めのスプリット、これは少し外れてボールの判定。ここでは青木は打ちにいく素振りすら見せなかった。三球目も同様にピクりとバットを握る腕に力が入るものの、アウトコースと見た時点で腕から力が抜ける。青木はアウトコースを捨て完全にインコースのみに狙いを絞っていた。
「こい……こい……打てる球」
沢滝が来てからの約3ヶ月、打球を強く引っ張ることだけを意識したバッティングをしてきた。もちろん打てるならそりゃあ流し打ちもするが、八千代相手に練習していない流し打ちを咄嗟にできるような技術は青木にはない。はっきり言ってそれしかできないからこその苦肉の策である。
それでも打席に立つからには、クリーンナップを任されたからには結果を出したい。いつまでも一年生におんぶに抱っこではいたくない。そんな気持ちが腕に力を与える。
「ファール!」
「当てた、けど……全然合ってないわね」
「力み過ぎなのではないでしょうか」
四球目はバットに当てこそしたが、全く芯を食わずフェアゾーンを大きく外れていく。せっかく狙いのインコースが来ていただけに、勿体無いと言える一振りであった。
だがカウントはまだ2ー2、投手的にも打者的にも勝負するには早いタイミング。五球目の変化球が見逃されてボールとなり、フルカウントになってから本当の勝負が始まる。
アウトコースの球も振っていくのか、それともインコース狙いを貫くのか。ストレートでくるのかそれとも変化球でくるのか、コースはインコースだろうかアウトコースだろうか。ストライクを入れにくるのか枠を外してくるのか……いや、打者集中と見せかけてランナーを牽制で刺すのでは?
考え出すとキリがない。ここまでくれば両者がやるべきことは一つ……この一球に全力を尽くす。投げられたボールは果たして、どんな結果をもたらすのだろうか。
「……ッ、らあ!」
「当てた!」
「走れ走れ浅いぞ!」
「ホーム帰っ……ダメだストップー!」
「いっ……けえー!」
「三遊間、抜けたぁ!」
「レフト前ヒット!」
「ワンアウト満塁だ!」
フルカウントの六球目、投げられたのはインコースへのボールになるストレート……と見せかけて枠に向けて変化するカットボール。インコースの球がきたことで振りにいった青木であったが、ボールが変化したことで芯を外しかける。
しかしここで練習の成果が現れた。強い打球を飛ばすために常々言われていた、身体の前で捕まえて強く叩くバッティング。多少芯を外してもバットを振り切ったことで、ライナー性の強い打球となりサードとショートの間を抜くことができた。浅いヒットのため沢滝がホームに帰ることは叶わなかったがこれで……
『四番、レフト、御影君』
「さて、やりますか」
3点ビハインドでのワンアウト満塁という、ヒーローになるには絶好のシチュエーション。御影晴真の四度目の挑戦が始まろうとしていた。