1日目 AM0:00
「やっぱり、環境が変わると眠れないなぁ……」
食事も風呂も終わり、消灯時間になったが環境が変わると寝付きが悪くなってしまう晴真。今回もやはりなかなか眠りにつくことができずに、気分転換がてら夜の校内を歩き回っていた。宿泊場所である体育館を離れ過ぎると、警備の人に怒られるのであまり遠くへは行けないのだが。
普段は朝昼しか校内にいる機会はないから、真っ暗な校舎がとても新鮮に感じる。5月の夜風はまだまだ冷たくて、眠れなくて陰鬱な気分を切り替えるには十分な散歩道であった。
「……あれ、沢滝君?」
「何だ御影、まだ寝てなかったのか」
特段当てもなく歩いていると、何やら大きな荷物を抱えた人影が見えてくる。警備員かそうでなければ侵入した不審者か……しかしその正体は箱一杯の野菜を抱えた沢滝であった。
他の皆にはさっさと寝るよう指示を出していたのにも関わらず、その本人は寝る間も惜しんで明日のための作業に明け暮れていたようだ。つくづく頭の下がる思いだが、沢滝はいったいいつ休んでいるのだろうかという心配も浮かぶ。
「こんな夜中に何してるの?」
「明日の朝食の用意だ。注文していた食材が届いたからその運び出しだな」
「……一人でやるもんじゃないでしょ。手伝うよ」
「いらん。そんな暇があるなら布団に戻って身体を休めておけ、すぐにまともに動けなくなるぞ」
「そう言われてもね……それをいう本人がちゃんと寝てくれてなきゃ、従おうとは思えないでしょ」
「……どのみち、これで荷物は最後だ」
一人で負担を背負い込ませまいと荷物運びを手伝おうとする晴真であったが、既に今持っている一つを除いて全て運び終わっており、そもそも手伝いは必要なかったというオチが付いた。
やるまでもなく用事は無くなったが、暇なことに変わりはないのでそのまま沢滝に着いていく。その間にもさっさと寝るよう釘を刺されていたが、眠気が来ないことには眠りようがない。沢滝はそれなら仕方がないと、無理に寝かそうとするよりは起きていることに意味を持たせることにした。この遅くに練習はさせられないので、腰を落ち着けて雑談でもしようかと。
「どうせ眠れないなら、しばらくは口でも動かしておくか。朝食の仕込みは5時くらいから始める予定だったしちょうどいい休みだ」
「……なら、君の方こそ寝るべきじゃないの?」
「眠れないお前に変に動かれて、体調を崩されたりしたらこっちが困る。監視に付かれたとでも思って大人しく座ってろ」
「それじゃあせっかくだし……野球に関係ない話題でも出してみるかい?初めて君と会って僕の家まで行った時に、バスの中でそれなりに会話は交わしたけどその続きをさ」
特に何もすることがない時の暇潰しには、やはり雑談くらいがちょうどいい。以前にもいくらかこんな感じの会話をしたことはあったが、それ以降はもっぱら野球に関する話くらいしかしていない。久しぶりの機会にいろいろと話しておこうかと、自然と口数も多くなっていく。
学校の授業が難しいとか、休みの日に何をするか迷うようになってしまったとか、親に頼ってばかりにならないように、自分でも料理を始めたとか。最近は自主練の難易度を上げるようになったとか、姉が野球に興味を持ってくれたこととか、プロ野球をただ応援するのではなく、選手目線でも観るようになったとか。沢滝は相槌が上手く、するすると次の話題が出てくるのを晴真は自覚していた。
──さっきから僕の話ばっかりだな?
そしてその内気付く。自分のことばかりが話題に上がって沢滝の話はされていないことに。これではせっかくの機会が半分無駄になると判断し、晴真は急遽これまでの話題を捻じ曲げて、沢滝に彼自身の話題を出すよう仕向けていった。
「そういえば……沢滝君はどうして、他の高校じゃなくて慧峰高校に来たの?」
「俺の祖父が、ここのOBなんだ」
「へぇ、お爺さんが」
「小さい頃から飽きる程聞かされたよ。自分が高校生の頃は野球がとても盛んで、中でも自分のいた高校はとても強かった。勝ち上がりの報を聞く度にみんなでそれを喜び合い、甲子園では全校生徒が集まって野球部の応援をしたものだ……今じゃ見る影もないがな、とな」
話題を捻じ曲げた甲斐あって、沢滝は身の上話をしてくれるようになった。晴真としても彼程の力があって何故、強豪校ではなくこの落ちぶれた弱小校に来たのか気になっていたので、それを教えてくれるとなると聞く耳にも力が入る。
なんでも話によると、沢滝の祖父は慧峰高校の卒業生であったそうだ。まだ野球部が強く甲子園出場も当たり前だった時代を知る祖父は、沢滝の幼い頃から当時の思い出話を、事ある度に昔は強かったんだぞと彼に話していたという。……今はそんな面影見えないという現実もセットで突き付けて。
「あまり昔のことばかり話すものだからな。過去がそんなに良いなら俺が代わりに戻してやると、そう約束したんだ。だから最初から他の高校は選択肢になかったのさ」
「お爺さんと、仲が良かったんだね」
「そうだな。俺の恩人だ」
「ウチは祖父母とは一緒に暮らしてないから、ちょっとだけ羨ましいかも。離れて暮らしてると会う機会なんてほとんどないからね」
「亡くなったから俺ももう会えんぞ」
「……なんか、ごめん」
昔の良さを語っていた祖父は、残念ながら沢滝が慧峰を変えるのを見ることなく亡くなった。もう実際に見せることはできなくなったが、それでも約束は残っている。だから沢滝は慧峰高校をもう一度甲子園に連れて行き、その朗報を供え物の代わりにするつもりであった。それが彼がわざわざ他の高校ではなく慧峰高校を選んだ理由である。
たった一つであったけども、沢滝のことを知れて少しだけ彼の働きぶりに納得する。今までの働きも全ては亡き祖父との約束を果たすためとあれば、熱が入るのも納得できるというものだ。
そんな家族を想う気持ちが理由なら──晴真にもいくらか気合いが入る。ここまでいろいろと恩恵に預かっておいて、沢滝の意気に報いようと思えないなんて男が廃るというものだろう。
「ありがとう沢滝君。僕はもう戻るよ」
「おう、しっかり休めよ」
「おやすみなさい。君もあんまり無理しないでね」
「これくらい無理の範疇に入らんさ」
眠れないなど言ってる場合じゃない。晴真は明日に備えて布団に戻ることにした。明日以降も今日と同じメニューを行うとするなら、回復しておかないとどんどんキツくなっていくはずだ。その時に寝不足が祟って潰れてしまわないように、例え深く入眠することはできなくても目を閉じるくらいはしておこう。
沢滝の話を聞いて、晴真は少しでも彼の目的に助力したいと思った。それなら寝不足で自滅するなんてあってはならない。何故なら自分はエースとして活躍を期待されているのだから。
──明日以降も、頑張らなくちゃ。
他の皆が寝静まる中、起こさないよう静かに自分の布団の中に潜っていく。いつもは環境が変わると眠れるようになるまで時間がかかるが、今日だけは不思議とすぐに眠りにつくことができた。
〜
そしていろいろあって、合宿4日目。
土、日曜日となる最後の二日間は、初めの頃のように二日連続でダブルヘッダーを設けている。全試合相手が違うので、厳密に言えば変則ダブルヘッダーになるのだが。
いつもなら試合ができるのは喜ぶべきだが、選手達に笑顔は一つも見えない。正確に言えば練習試合を楽しもうとする程の余裕が持てない、というのが彼らの今のコンディションであった。
「本日はお時間いただきありがとうございます」
「よろしくお願いします……?そちらの選手さん達今にも死にそうな顔してますけど、これで試合して大丈夫なんですかね?」
「合宿中ですので、流石に疲労が溜まってきている様です。疲労を言い訳に腑抜けた試合はさせませんのでご安心ください」
「なら、良いんだけど……」
対戦校の監督すら、思わず心配な声をかける程に彼らは満身創痍になっていた。今この場でまともに動ける慧峰の選手は、元から物が違う沢滝と晴真の一年生二人くらいだろう。
しかし、もしもこれが本番なら疲労や不調など負けてもいい理由にはなり得ない。どんなに辛くても苦しくてもベストを尽くさねばならないのが、一発勝負の高校野球というものだ。最悪に近いコンディションの中でも、どれだけいつもの自分に等しいパフォーマンスを引き出せるのか。この二日間の試合ではそれを問われることとなる。
「今回の相手は西東京の市原第三高校だ。突出した選手はいないものの、統率の取れた穴のない守備と抜け目のない攻撃で粘り強く戦う、過去には甲子園出場も果たしている強いチームだ。正直言って今の状況では最悪の相手だな」
「だからこそ、僕らの地力が問われる」
「この身体がクソ重い中で、どれだけ本来の実力にパフォーマンスを近付けられるか……」
「相性は最悪の相手だけど、見方を変えれば課題に向き合うには最適の相手……!」
「やってやる、やってやるぜ!」
「いつも通り、俺は九番に入ってなるべく自分から得点に絡みにはいかないようにする。彼らの守備の厚さを考えれば……お前達の力だけで取れる得点は2点もあれば上出来、と言ったところだな」
ただでさえ格上なことに加え、満身創痍の身体ではまともな動きは期待できない。甘く見積もって2点も取れれば上出来と伝えてきた沢滝に、選手達はむしろやり甲斐があると笑い返す。
勝つにしろ負けるにしろ、これからの四試合を良い結果で乗り切ることができれば、それは揺るぎない自信として皆の中に残るだろう。そうして強固になった精神力は、これまで培ってきた練習も併せて肉体にも良い変化をもたらすはずだ。手を抜いたりなんてするのもされるのも以ての外。せめて気合いを入れるべく大きく声を出していった。
「それでは、慧峰高校対市原第三高校の練習試合を開始します。双方礼!」
「よろしくお願いします!」
試合は一回の表、慧峰高校の攻撃から始まるがやはり苦戦することとなる。市原第三高校のエース田村健のアウトコースの球に手を出せず、インコースやストレートを狙い打とうとしたところを、決め球のフォークに引っかかり内野ゴロ。僅か5球でツーアウトを献上した上で三番が空振り三振、全く良いところなく攻撃が終わってしまう。
続く裏の守備。先発投手としてマウンドに立った晴真はいつもよりテンポを遅らせることで、普段のフォームを維持することを試みる。しかし腕を振り切れていないのか、フォームをしっかり作れていないのか……どうしても制球が甘くなり、ど真ん中のボールを痛打されいきなりのピンチを招く。二番には初球で送りバントを決められて一死三塁、外角の球を要求されるもやはり投げられず、逆球を捉えられ先制のタイムリーツーベースを食らった。
「むむむ……全然球が走らない」
「フォームを正そうとする余り、意識が脚に集中してしまっているな。しっかりと手首を立てて投げられないから、ボールに力が伝わらずいつものキレがなくなるし、コントロールも効かなくなる。脚より腕の方に意識を向けて投げてみろ」
「腕……手首の方か」
「次は四番だ、一発には気を付けていくぞ」
作戦会議後は市原第三の主砲と対峙する。身長は見たところ190はありそうで、いかにもパワーがありますと言いたげな厚みを持った巨漢。一発だけは避けたいところだが、コントロールが効かない以上あまり贅沢なことは言えない。
──いつも通り、落ち着いて投げるだけ。
贅沢なことは言わず、今出せる力の範囲で最善を尽くす。なるべく自分達の力だけで試合を作るようにするため、点取りには極力関わらないようにする沢滝だが。リードに関してはストレート一本の晴真でも抑えられるように、しっかり考えた上でミットを出してくれている。ならば自分がやるべきことは彼を信じていつも通り投げること。
初球はアウトコース低め、これはボール1つ分外れてボール。2球目はインコース寄りの構え、これは多少甘くても全力で投げろという意味だ。注文通り全力で腕を振り、多少甘くなったもののバッターはこれを見逃しストライクき。3球目はインハイを狙って投げたボールをフルスイングされたが、芯を食わなかったおかげでファールに留まった。
──あ、危なかった……
偶然要求通りのコースに投げられたから良かったものの、少しでもズレていたら確実にホームランになっていたスイング。肝を冷やしたが結果的にカウントはこちらに有利になった。
これで少しは精神的にも軽くなる……そんな思いで投げた第4球。さっきとは真逆のアウトローいっぱいを要求するリードに応え、寸分違わずミットを目掛けて腕を振り抜いた。しかし見逃しなど許さないという意地か、どん詰まりながらもバットに当てられフェアゾーンにボールが飛んだ。
「ショート!」
強めのゴロを警戒し、内野が定位置より下がっていたおかげで十分に追いつける距離。このままショートフライでワンアウト……となるには動き出しが遅過ぎた。
ショートの二瓶は果敢に打球を追うも、ギリギリ追いつけずグラブの先で弾いてしまった。レフトの青木が咄嗟にカバーに入るも二塁にいたランナーは走り始めており、バッターランナーも既に一塁に到達されている。懸命なバックホームも送球が高くランナーの帰還に間に合わない。たった一つのエラーが取れたアウトを失わせ、その上で失点まで許してしまう結果となった。
「ぐむむ……今のは惜しかった」
「済まん、次は気を付ける!」
「あんま気に病むなよ、まだ初回だぞ!」
「アウトには繋がらなかったが、打ち取った当たりだった。あまり引き摺らないようにな」
皆で声を掛け合い士気の低下を防ぐも、1アウトも取れずに2失点したダメージは大きい。エラーは仕方ないこととは言え、それでも多少なりとも重い空気が守備に伸し掛かっていた。
苦しい展開だが、それでも乗り越えていかなければ夏に繋がらない。深呼吸で酸素を大量に取り込み晴真は再び気合いを入れ直すのだった。