「……」
以前のヨルであれば、覚悟を決めたジンに何も出来ず敗れていただろう。
しかし今のヨルが相手では……。
ヨルはジンに背を向け、再び前へ進む。
ヨルは過去を思い出し、何故ここまで強くなったのか。
という質問は適切ではない。
ヨルは強くなったのではなく、元々強かったのだ。
しかし自らその強さを罪と捉え、封じてきた。
それを解き放ったのが、今のヨルである。
即ち、これがヨルの──風間 夜叉の本意気。
「……なに?」
そしてこれが……
「なんだよ、追撃してこないのか」
覚悟を決めたジンの本意気。
「カウンター、狙ってたんだがな」
「……」
ジンは簡単に起き上がり、もう一度剣を構える。
そのHPバーは確かに減っているが、しかし受けた攻撃に見合うダメージでは無い。
「本当はお前みたいに完全に受け流したかったんだが、そう上手くはいかないか」
(前のジンなら、この時点で諦めていた。いや、そもそも破砕拳で終わっていたはずだ。覚悟……なるほど口だけじゃないらしい)
ヨルも再び拳を構え、ジンを真っ直ぐ見据える。
(これは”折る”戦いだ。互いの心を、プライドをへし折り屈服させる)
【初撃決着モード】や【半減決着モード】の決闘のように、明確な勝ち負けのルールが定められた勝負でなければ、相手に勝利する方法は限られる。
その一つは、心を折り、負けを認めさせることである。
現実であれば、相手が疲労や苦痛で倒れ、動けなくなればそれは勝利と呼べるかもしれない。
しかしこの仮想の肉体には、疲れも痛みもない。
人間は本来なら数秒の全力疾走で息を切らし、しばらく動けなくなる。
訓練によりその時間は増えるが、それでも限度はある。
仮想現実であれば、どれだけ激しく動いていても、緊張から息を切らすことはあっても肉体が疲れることは無い。
唯一脳を始めとした内蔵だけは例外であり、それ故に休息や睡眠は必要になるが、その気になればヨルのように長時間活動することも出来る。
さらに、傷を負っても痛みは無く、それらは不快なショック反応となる。
(ただ打ちのめすだけじゃあこいつは止められない。だから折る、或いは……)
(などと考えているようじゃお前は俺に勝てない)
仕切り直し、先手を取ったのはヨル。
低く構えたまま走り、ジンとの距離を詰める。
(姿勢が低い、タックルか? それともフェイント?)
ヨルは剣の間合いの僅か外でステップを踏み方向転換する。
右から背中へ周りこもうとするヨルを、ジンは左足を軸に体ごと姿を追う。
しかし
(消え──)
ヨルの姿を突然見失って間もなく、何かを察知し、反射的にジンは半歩後ろへ下がった。
瞬間、ジンの体に四本のダメージエフェクトが走った。
「ッ!?」
ジンは咄嗟に大きく後ろに飛び退き、防御の構えを取る。
(気付けば懐に入られていた……。一体どうやって……、いや、それより今の攻撃)
ジンの額に大量の冷や汗が流れる。
息は乱れ、表情が強ばる。
「甘いなジン、殺さず俺に勝つつもりか?」
ヨルはピピッと右手を振り、ジンを見下す。
「ジン、俺に勝ちたきゃ本気でこい。俺は最初からそのつもりだ」
その言葉を聞き、ジンの体が震え上がる。
(ハッタリじゃない、本気だ。あいつは俺に、殺意を向けている)
対人戦での戦いで勝利する二つ目の方法。
それは対戦相手の殺害である。
当然本人の精神性を無視した場合の話ではあるが、これは最もシンプルでわかりやすい勝利方法だ。
そして、今のヨルにそれを行う躊躇いは無い。
相手がたとえかつて肩を並べ戦った男であっても。
獅子に狙われた兎とは、このような気分なのだろう。と、ジンは思った。
恐るべき重圧。圧倒的な恐怖。
もし、ヨルと出会わなければ一生味わうことは無かったであろう感覚。
本物の殺意。
それはまるで、幾千幾万の凶器を向けられているかのような。
「フッ──!」
再びヨルが前へ出た。
盾は無い。もはやジンにヨルの格闘を防ぐ術はないだろう。
(なら攻める!)
横一文字に振るわれたジンの片手剣を、ヨルが前方に跳んで躱す。
その勢いのまま踵落としで頭を狙うが、ジンもそれを躱し、お互いの距離がまた開く。
その状態でジンに主導権を握られる訳にも行かず、ヨルは間を置かずに再び詰め寄る。
「なにっ!?」
ジンは開いた距離を保とうとするというヨルの読みとは真逆に、ジンもヨルに向かって突っ走った。
見事ヨルの意表を突いたジンはショルダータックルでよろめかせ、追撃で蹴りを放ち押し倒す。
(取った!)
ジンが倒れたヨルへ剣を振り下ろすと、ヨルは素早く体を丸め前へ回転。
そのまま自分の脚をジンの脚と絡め転ばせた。
ヨルは上体を起こし、上乗りのままジンの顔へ貫手を放つ。
「うお!」
咄嗟に頭を動かし、攻撃から逃れる。
(こうも近間だと剣じゃ無理だ)
ジンは剣を手放すと絡んだ脚を解き、そのまま腕十字固めに持ち込もうとするが、寝技を嫌がったヨルは自ら離れた。
「チッ」
(こいつ、そういえば柔道経験者か。寝技じゃ不利だな)
ヨルは自身の腕を確認する。
(仮想世界なら関節を外されるような心配は無いが、あいつのステータスならそのまま腕を強引に引きちぎるくらい出来てもおかしくは無い)
第三の勝利条件。
それは手足の切断。
SAOでは攻撃を受けた際、バッドステータスとして受けた箇所が切断されることがある。
手足の切断は大きな弱体化となり、特に足は無くなれば動くことすらままならなくなる。
一応回復アイテムを使えば生やすことは出来るが、一度切られてしまえば、相手がその隙を与えるわけもない。
(それにしてもこいつ……)
「見上げたもんだな、まだ
「……」
ヨルは子供に言い聞かせるように優しい声色で、しかし冷たく話す。
「さっき俺を転ばせた時、お前にその気があれば首を落とせたはずだ。そのつもりがないなら、俺を止めようなんて思わないことだ」
「お前こそ、さっきの馬乗りからの貫手、本当なら俺は躱せなかったと思うんだがな」
「なんだと?」
ジンはニヤリと笑い、サッと汗を拭う。
「いやそれ以前に、俺の素人丸出しのタックルだって食らってなかったはずだ」
「……何が言いたい?」
ヨルが少し不機嫌な様子を見せた。
それを確認し、ジンは震える喉を押しのけ更に口角を上げる。
「つまり、お前の疲労は思ってるよりずっと動きに影響を与えてるんだ。そんなお前が本気でやれだと? 自惚れんなよ」
あからさまな挑発。
ボス出現の条件となるクリスマスイヴまでには終わらせたいというヨルの焦りと併せて冷静さを削ごうと試みているのだろう。
そしてその試みは
「自惚れとはよく言ったな。なら試してみるか」
上手く行ったと言えるだろう。
ヨルは先程より更に不機嫌な表情でより低く、より深く構える。
その様は、まるで四足獣である。
(あの構えからどうやって……)
ジンがそう考えたのも束の間、再びヨルが駆け出した。
どう来てもいいようにジンが待ち構えると、突如としてヨルの姿が消えた。
それをジンが認識した次の瞬間ヨルの攻撃が背後から襲いかかった。
「くっ」
間一髪で避けるも、脇腹を浅く削られる。
そのまま真正面の対峙となり、ジンは自身の間合いまで引き離す為に後ろに飛び退く。
それを追うようにヨルもステップを踏み、攻撃を仕掛ける。
ジンはそれを躱そうとするも、予期せぬ方向から衝撃が走った。
(なんだ!? 攻撃が見えなかった! 何をされた!?)
続け様に放たれるヨルの猛撃を往なそうとするも、ジンはその度に全く別方向からの攻撃に襲われ、削られていく。
何とか深手を負うことは回避しているものの、このままではジワジワとやられてしまうだろう。
(終わりだ)
ジンから見て左下から首を狙う。
そこが今のジンの死角。
更に首はプレイヤーにとって急所に設定された箇所。
少し抉るだけでも大ダメージを狙える。
確かな勝利の感触。
「!?」
しかし、その手がジンの命に届くことは無かった。
「なるほど、死角ね」
剣先が、ヨルの右手を貫いていた。
ヨルは強引に腕を引き、自ら距離を離した。
そして驚愕の表情でジンを見る。
(馬鹿な、どうやって気付いた)
「なんとなくかな。そんな気がしただけだ」
「ッ!」
心の中を見透かされたようなジンの言葉に、ヨルは更に顔を歪める。
(強い……。動きに淀みが無くなったジンがこれ程とは……)
ヨルにとって、ジンが来ることは想定内だった。
来てもすぐに終わると、そう思っていた。
しかし現実は、ジンは未だに強大な壁として立ちはだかっている。
想定外。
そしてそれは、ジンにとっても同様であった。
(参ったな。疲れてるヨルならすぐに勝てると思ってたんだけど、何があったのか分からないけどめちゃくちゃ強くなってるぞ)
死角に潜り、貫手や斬撃を放つヨルは、ジンの知らない戦い方であった。
何とか対応しているものの、もう少し実力差が開いていれば、或いはヨルが一日でも休めていればジンは今頃地に伏せていたことだろう。
疲弊した体でジンを殺そうとするヨル。
戦う覚悟を決めるも殺意を持てないジン。
その戦力は五分。
互いが互いの想像を超えた強さ。
決着を分けるのは、如何に自身の間合いを保つか。
この戦いは、間合いを制した者が勝利する。
(俺の勝利条件は殺さず無力化、対してヨルの勝利条件は俺を殺すか逃げおおせるか。若干俺が不利かな)
(さっさと逃げてしまいたいが、ジンはそれを許す男じゃない。やはり殺すか、致命的な隙を作るしかない)
(超至近距離戦になれば俺に勝ち目は無い。なんとしてでも近付かせない)
(死角からの攻撃が通じなくなった以上、得意の近距離で真っ向から潰す)
真逆の戦略。
交差する想い。
ヨルは低い構えを辞め、左手を前、右手を腰辺りまで引いた構えを取る。
それは以前のヨルの構えであり、ジンからすればよく見慣れたものであった。
そしてヨルからしても、最も馴染む構えであった。
対するジンは武器を変え、二本の片手剣を腰に差す。
その武器は明らかに二本一対にデザインされており、細長い刃と鍔に、綺麗な装飾が施されている。
腰に刺さった剣を一本引き抜き、いつも通り構える。
戦いの最後が、近付いてきていた。