やがて英雄へと導く魔法使い   作:NJR

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第五章   魔法使い(2)

 ヴォジャノーイ達と揉めていた医者が二人の動きに気がついたのはその時だった。

 ゲロゲロと文句ばかりで一向に二人を仕留められない配下達に、所詮は蛙かと苛立ちを募らせていた医者は視界の端で二人が走り出すのを見つけたのだ。

「おい役立たずども、何してる!あいつらが逃げるぞ!」

 そう叫んでやるとヴォジャノーイ達は逃げようとしている二人を確認してからようやっと宙をうねる水の中へドボン、ジャボンと飛び込んだ。

(始めからグダグダと逆らわずそうしていればいいものを)

 苛立ちはなおも晴れないが、今はそれより優先するべきことがある。

 医者はいまだ自分の魔法の射程内にいる二人に目を向けると、

「どうやら追いかけっこが好きなようですねぇ。いいでしょう、子供の遊びに付き合ってあげましょうか」

 ニタリと、それこそ魔物のような笑みを浮かべてそう呟いた。

 

 

 

「センパイ、右!」

「う、おぉっ!っぶなっ!?」

 迫るヴォジャノーイをとっさのアルスの指示によってなんとかエクスは避ける。肉体と精神の両方の疲労と、ヴォジャノーイ達が同士打ちも覚悟で同時に突っ込んでくるせいで今までよりも格段に避けにくくなっている。

 エクスは小さく舌打ちをして、

「それで師匠、どこまで逃げればいいんだっけ!?」

「まだもうちょい先!とにかくこの前のとこまで走れ!」

 二人で互いにカバーしあいながら、ひたすら目的の場所までひた走る。

 医者が揉めている間に素早くアルスから作戦を伝えられたエクスだったが、医者がいつまでああしているか分からなかったため細かい部分までは聞いていない。それでも弟子は師を信じて懸命に走る。その姿にアルスは意識がいっそう研ぎ澄まされた。

(ボクの予想が正しければ、あそこまで行けば!)

 ゴポリ、と不気味な音を鳴らしてうねる水の塊を走りながら注視する。その中にはヴォジャノーイ達が槍を携えながら泳いでいる。先程は揉めていたようだが解決したのだろうか。

(いや、多分違う)

 アルスの考えが正しければ解決していなくても問題ないはずだ。

「師匠!また来る!」

「おう!」

 ジャパッ!と飛び出してきた四匹の短槍のうち三本を転がって躱す。残り一本はエクスが例のシャツで受けてくれた。そのままエクスは目の前の一匹を殴り飛ばす。

「無理に反撃しなくていいから!なるべく体力を温存しとけ!」

「了解!」

 少しだがヴォジャノーイ達は先程までより勢いが弱い。おそらく同士打ちを避けるため、もしくは仲間に当たってもなるべく軽傷で済むようにしているのだろう。当然医者の思惑からは外れるはずだ。その様子にアルスは確信めいたものを感じた。

 その医者はのんびりと歩きながら二人を追ってきている。魔法の射程が長いのと、二人が走っているとはいえ避けるために転がって立ち上がってを繰り返しているせいで余裕を与えてしまっている。

(別に構うもんか。目的は逃げ切ることじゃなく、あの場所まで誘導することなんだし!)

 医者は狩人でも気取っているように余裕の笑みで二人を追ってくる。

「せいぜい笑ってやがれ。お前のそれがただの自信過剰だってことは分かってんだよ」

 ジャボン、と音とも飛んできた蛙の持つ短槍をアルスは転がって避ける。標的を外したヴォジャノーイはその勢いのまま地面に落ちてドチャリと間抜けな音を立てた。

「チッ!」

 大きな舌打ちを響かせた医者がさらに水を手繰る。大蛇が暴れるように激しくのたうったそれは邪悪な蛙を内に孕んだまま二人に襲いかかった。

 二人はそれぞれ右へ左へと跳んでそれを躱す。中から飛び出してきたヴォジャノーイはそれぞれエクスに二匹、アルスに三匹が同時に襲いかかる。

「あっ、があぁ!?」

 そしてとうとうアルスは三匹のうち一匹を避けきれずに左手にその鋭い穂先が突き刺さった。反射的に腕を引っ込めると傷が裂けて広がる代わりに左手が自由になる。そのまま勝ち誇るように血のついた短槍を掲げるヴォジャノーイから距離をとる。

「な!?師……」

「だ、いじょうぶ!いいから!」

 思わず駆け寄ろうとした弟子を叫んで押しとどめる。これで足を止めるわけにはいかない。それよりも一刻も早く『あの場所』に辿り着く方が重要だ。

 大丈夫、致命傷じゃない。そう自分に言い聞かせながら右手で血が溢れる左手を抑えて走り出す。少し離れた所ではエクスが心配そうにしながらも同じように走り出した。

(あと少し。もう少しだ!)

 逸る心を押さえつけながら医者の方の様子を窺うことも怠らない。その医者はやっとまともに傷を負わせたことにいよいよ興奮した様子で醜いほど大きく顔を歪めている。それが笑みを浮かべているのだとアルスは一瞬分からなかった。

「いいぞ、ようやっとだ!ようやく正しい結果になった!こうでなければならないんだ!そのまま手だけでなく頭や体も貫いてしまえ!」

 叫んで杯が振り回されるとゴポゴポと大量の水が二人を追いかけてくる。そこにジャボンとアルスを刺したヴォジャノーイが飛び込み、次は頭か心臓かと勢いをつけるために水の中を泳ぎ回る。仲間の怪我を見て尻込みしていたはずだが、手傷を負わせたことでヴォジャノーイ達もやる気になったようで今までより活発に泳ぎ回っている。

「見えた!」

 蛙の槍を気にしながらも走り続けたアルスはとうとう目的の場所を視界に捉えた。

「師匠、跳んで!」

「ぉわっ!?」

 声が聞こえた瞬間、後ろも確認せずに言われたとおり跳ぶと、一瞬遅れてそこにヴォジャノーイが二匹飛び込んできた。目の前で目標に跳んで逃げられた二匹はその勢いのまま互いに頭をぶつけて地面に落ちる。

「悪い、助かった!」

「後で何かくださいよ!」

 ご飯をくれる人の声ににやりと笑って返す。アルスもまた笑って走る。

 目的地が見えたことで気が緩んだかもしれない、とアルスは気を引き締める。見えただけでまだたどり着いていないのだ。最後の最後で油断してやられるなんて間抜けは御免だ。

 医者は医者で手負いのアルスの方を先に仕留めようとしてるのか、アルスばかりを執拗に狙って杯を振るう。だが当たらない。自分で見て跳んで、時にはエクスのこえで避けるアルスは少しずつ距離が開いていく。

 だが構わないとばかりに医者は口の橋を歪める。自分はのんきに歩いてやっているというのにここまできてやっと距離が開き始めたのだ。それもほんの僅かばかりでしかない。所詮奴らは蛙達を避けるために無様に転げ回りながら逃げねばならない。それでは距離を稼げてもたかがしれている。なによりいざとなったら単に自分が走り出せばいいだけだ。

 医者は堪えきれないとばかりに笑うと、

「どうしたぁ、逃げてばかりで何が変わるっていうんですかねぇ!あれだけ散っ々馬鹿みたいな正義感振りかざして偉そうに大口叩いてたくせによぉ!!」

 愉しげに叫ぶ声には取り合わずに二人は走る。それが気に入らない医者は一転して舌打ちをすると、生意気だとばかりに二人を追い詰めようと小走りになった。

 だが医者が二人を追い詰めるよりも先に二人は目的を果たした。

「……よし、着いた!」

 跳んで転げ回りながらも走り続けた二人はとうとう目的地にたどり着いたのだ。

「ここって……ナメクジ退治の依頼の時の……」

 息を切らせながら周りを見渡したエクスが誰ともなく呟く。アルスも肩で大きく息をしながら頷いた。

「おや、もう逃げるのは止めたんですか?」

 いまだ息の整わない二人がその声に顔を向けると、ヴォジャノーイを蓄えた水を頭上でうねらせながら医者が追いついたところだった。

 勝ち誇った顔の医者が掲げる杯に繋がる水の中では短槍を構えた蛙達が飢えた獣のように、今か今かと二人を貫く瞬間を待っている。

「おう、逃げるのはもうやめだよ」

 アルスの挑むような言葉に医者はにたぁと嗤う。

「つまり諦めた、と。いやはや無駄な時間を過ごさせてくれましたねえ。必死に逃げているから何かあるのかと期待していたのに、まったくがっかりですね。そんなのでよくあんな大層な口が聞けたものだ。私なら到底恥ずかしくてできませんよ、あんなこと」

 わざとらしく呆れた口調でベラベラと喋る医者にアルスは何か言い返すこともなく、ただ冷たい目を向けた。

「……なんです、その目は?無様に追い詰められた負け犬の分際で生意気な。せめて命乞いの一つでもすればまだ可愛げがあるというのに」

 アルスのその態度につまらなさそうにフンと鼻を鳴らした医者は次いでエクスに顔を向けて、

「あなたもあなたで不運ですね。よりによって弟子入りしたのがこんな間抜けな無能だとは。まあ下等な愚か者にはお似合いではありますが」

 自らの勝利を確信している医者は嬲るように言葉を重ねる。だが、

「おいおい、あまりアルスさんを舐めんなよ。仮にも英雄の師匠だよ?お前なんかにゃそのスゴさが分かんないかもだけどさ」

 返ってきたのはそんなことは知ったことではないとばかりの言葉だった。

「……どうやらこの期に及んでまだ状況が分かっていないみたいだな」

 ザラリと雰囲気が変わる。医者はその顔から表情を消すと杯を振りかざそうとして、

「ふっ、ふふ」

 聞こえてきた笑い声にその手をピタリと止めた。

「……何がおかしい?それともいざ殺されそうになっておかしくなったか?」

「いやあ別に?というかまだ追い詰めたと思ってんのかよ?」

 ひらりとマントを翻して自分の方を向いたアルスに、医者は黙って無表情のまま目を細めた。

「なんの目的もなくただ逃げてるだけだとでも思った?始めからボク達は『ここ』を目指してたんだよ。つまりお前はまんまと誘い込まれたってわけだ」

 にやりと笑ってみせるアルスを医者はしばし黙って見つめていたが、やがてゆっくりとため息をつくと、

「ハッタリですね。まったくお前なんぞにふさわしい、なんとも情けない最後だ」

 そう言って今度こそその命を奪おうと一歩、二歩と進んだその時。

 

 バッシャアアアアァァン!!と突然轟音を立てて水の塊が崩壊した。

 

「なっ、ばがごぶぼ!?」

 頭上から突然大量の水が降り注いだ医者は、訳も分からないまま、まるで滝に呑まれたかのように水の重みと勢いに耐え切れずに地面に叩きつけられた。

 いきなり草地に撒かれた大量の水を大地は飲み干すことができずに、四方八方へ流れた水はアルスとエクスの足元を膝あたりまで濡らした。その勢いは僅かな間とはいえ嵐の後の川のようで、足を取られて転びかけたアルスをエクスがしっかと支えた。そのエクスも突然の予想外の出来事に目を白黒させている。

 そして数十秒程経って水が流れていったあとの地面では目前の勝利から一転、地面に体を打ち付けた蛙達がもがいており、その中心では医者が目を見開いて足元に転がっている杯と周囲を交互に見ていた。杯を振るう直前だったから水の塊が医者の真上から移動していたのは彼にとっては幸運だっただろう。あれだけの量の水が真上から降り注げばそれだけで命を落としていたはずだ。

「な、にが……いったい、どうなって……」

「見りゃ分かんだろ。お前の魔法が破られたんだよ」

 ハッと顔をあげた医者の目に映ったのは追い詰められていたはずの少女だった。

「やぶ、られた、だと……?ありえない……なにを、私にいったい何をした貴様ああああぁぁああぁぁ!!」

 叫んで飛びつくように杯を拾う。そして迷わずそれをアルスに向けるが、

「なんでだ!なんで魔法が発動しない!?」

 ゴポリという音はしたもののその音はあまりにも弱々しく、おまけに一度鳴ったきりうんともすんとも言わない。それはまるで動物が死ぬ間際に一声だけ鳴き声を上げたようだった。

 諦めの悪い子供のようにブンブンと振り回される杯をアルスは指差して、

「それ。水を生み出してんじゃなくて、ただの操作するための道具なんだろ」

「な!?」

 ギクリと図星を突かれたように医者がその体をこわばらせた。

「え、師匠、ならあのたくさんの水はどこから来たんですか?」

 代わりに疑問の声を上げたのはエクスだった。アルスは周囲でのたうちまわっているヴォジャノーイを指し示して、

「こいつらだよ」

 その言葉に医者はまさか、と顔を歪めた。目の前の少女が、こんな奴が自分の隠された秘技のその奥までたどり着けるわけがないと。そんなことができるわけがない、できてはならないと。そう言いたげに。

「そもそもこいつらもおかしかったんだよ。ヴォジャノーイはお前が従えていたやつらだけでなく、村の中にもいた。それも何匹も。はて、いったいどうやってそんなに大量の魔物を従えていたのかな」

 わざとらしく首をかしげたアルスはそれから一転して刃を突きつけるように鋭く、

「多分それがお前の邪神から授かった力なんじゃないの。強制的に従わせるのか、契約でも結ぶ方法を知識として授かったのかまでは分からないけど」

 思えば医者がヴォジャノーイ達に無茶な突撃をさせて揉めていた時もそうだ。魔物側が不満を抱いているというのにそれで見捨てられたり裏切られたりしないということは、そこに何らかの強制力が働いているということだ。

「そしてお前の魔法はボクの雨乞いの影響を受けなかった。水の属性を司る魔法の道具なら逆に周囲の同じ属性の影響を受けるのに。ということはお前の魔法の本質はその杯じゃないってことだろ」

 剥がれていく。少女の口が一つ語るたびにその鍍金が。けれども少女の言葉は止まらない。

「じゃあお前の魔法の『本体』はどこか。怪しいのはやっぱりこいつらしかいないよなあ?」

 そう言ってアルスは半ば気絶しかけているヴォジャノーイに近づくとそのヌメヌメした背中を軽く蹴っ飛ばす。

「こいつらはさ、水辺の魔物じゃん。本当ならこんな周りに川も池も沼もない場所にいる魔物じゃないよね。じゃあさ、なんでわざわざ水辺の魔物なんて連れてるの?魔物を従える力があるなら陸地じゃ動きにくいこいつらじゃなくて普通に陸の魔物にすればいいのに」

 単純に自身の魔法と相性がいいからだろうか。しかし医者の魔法の本質は水の象徴である杯ではないのだ。つまり自分の魔法に魔物を合わせたわけではない。

「ならそこに何かがあるんだよ。例えばそこから逆に過程を捻じ曲げるとか」

 本来ならいるはずのない場所にいる魔物。それを結果として過程を捻じ曲げるなら当然『ここにいるのが当然である』という風に捻じ曲げられるだろう。つまり、

「魔法の逆続性」

 スッと刃を刺し込むように答えを突きつけた。

「要するに水辺の魔物がここにいるのだからここには水辺があるべきだ、っていう感じで結果から過程を捻じ曲げた結果があの鞭のような大量の水ってことだろ。杯の方はあくまでも属性を利用してのコントローラーでしかなかった。だからボクの雨乞いが効かなかった。まあもしかたらちょっと操作がしにくくなったくらいの影響はあったかもだけど」

 アルスは医者の魔法を見たとき『まるで空中の川だ』と感じたが、実はあれは的を射ていたのだ。

「……それでお前は何をしたというんだ?お前はただ逃げていただけだろう!呪文を唱えたり、儀式めいたことをしたり…私の魔法を破る何かをした素振りなんか何もなかったじゃないか!」

 その身を覆っていたはずの秘密が剥ぎ取られた男が癇癪を起こしたように叫びながら睨みつけるさまは、まるで子供のようだった。

 故にこの答え合わせはせめてもの情けか、それともただの勝利宣言か。アルスはゆっくりと口を開いた。

「ここさ、前にでかいナメクジが大量発生して、それを何とかしてくれって依頼を受けた畑なんだよ。それでその時ボクは畑の中のナメクジを駆除するだけじゃなく新しく入ってこれないように結界を張ったんだよね」

「結界、だと……?」

 その時医者はそう言われてようやく近くに魔法の気配を感じ取った。

 アルスは勝ち誇るように笑って、

「そう。川を魔法的に創って、それを境界として結界としたんだよ」

「っ!?」

 仮にも魔法使いなのだ、その意味が分からない医者ではない。見開かれたその目がヒクヒクと痙攣する。

「なあ、川のそばに水辺の魔物がいるのは当たり前だよなあ?」

 神秘のベールは剥がされた。邪悪な蛙も地に落ちて、奴を特別にしていたものはもう何もない。

 だから魔法使いの少女は高らかに宣言してやった。

 

「つまりこの場所ならその逆続性は成立しない!お前の魔法は通用しないんだよ!」

 

「こ、の」

 バキリという何かが割れるような音が響いた。それは医者が自身の一番の武器であったはずの杯にヒビを入れた音だった。

「……んな……こんな、ガキが……!」

 ずっと惨めだった。ずっと痛くて悔しくて、それでもようやく勝つ側になったというのに。むしろ今までがおかしかったのであって今こそが正しい状態なのに、なのによりによって『こいつ』がそれを否定して踏みにじろうというのか?

「ふざ、けるな……よ……!」

 怒りで気が狂いそうだった。目の前の少女も、その隣の青年もとにかく殺してやりたくてたまらなかった。いいや、その考えを、価値観を、人生を、存在すべてを心の底から否定してやらなければならない。そうでなければ自分がこれまで積み上げてきたものはいったいなんだったのだ?

「ふざけるなよこのクソガキがああああぁぁぁ!!」

 対してその少女は不敵に笑うのみだった。もはや敵ではないとでも言うように。

 

 そうして偽物を打ち倒す魔法使いの戦いが始まった。

 

 

 

「起きろ馬鹿共!とっととあのガキをブチ殺せ!」

 先に動いたのは医者の方だった。近くに転がっていたヴォジャノーイを蹴っ飛ばすとヒビの入った杯を掲げた。その杯が心臓のようにどくんと一つ脈打つと、

「グ……ゥウェェルゥプ……!」

 それまで半ば気を失っていたヴォジャノーイ達が起き上がった。そうしてフラフラと短槍を構えると、ビョン!とまさしく蛙らしくなかなかの跳躍で二人に襲いかかってきた。

「くっ!?」

 驚いたアルスは一瞬反応が遅れるもなんとか頭上から襲いかかる鋭い穂先を避ける。

(こいつ……!?あの『川』を封じれば終わりだと思ったのに、悪あがきしやがって!)

 おまけにヴォジャノーイの動きがさっきよりも機敏になっている。さっきまでの『川』から出たあとの様子から陸上ならば大したことないと考えていたのに。

「センパイ!多分あいつ、逆続性の魔法を捨てて同じ水の属性を通すことで蛙共を強化しやがったっぽい!」

「了解!」

 杯は水の属性を司るものでヴォジャノーイは水の魔物。それを通して自身の魔力でも分け与えたか。恐らくは先程脈打っていたのがそれだろう。アルスが『火の杖』でやっていたように呪文などが必要ないのが属性を司る魔法具だ。おかげで気づくのが少し遅れた、とアルスは舌打ちをする。だが、

(結局悪あがきでしかない。別にさらに逆転されたわけでも、状況が覆されそうなわけでもない!)

 いくらヴォジャノーイ達の動きがさっきまでより機敏になったからといって、別に武術の達人ような動きになったわけでも人間じゃ太刀打ちできない怪力になったわけでもない。

 アルスが勝利を確信していると視界の端で何かがエクスに向かって飛んでいくのが見えた。エクスはそれを難なく避け、さらに飛びかかったヴォジャノーイも逆に蹴り飛ばす。

 アルスが何かが飛んできた方に目を向けると今まさに医者がアルスに向かって石を投げようとしているところだった。

「わっ、とと」

 それを屈んで避けたアルスは思わず笑ってしまった。そこに高く跳んだヴォジャノーイが踏み潰すように襲いかかってくるのを転がって避ける。『川』から飛び出してくるよりよほど避けやすい。

(とはいえ油断はできない)

 いくらたかが投石とはいえ、頭や目など当たり所が悪ければまずいことになる。先程までと比べればどうしても情けなく見えてしまうが油断は禁物だ。たかが悪あがきと油断して負けるのはあまりにも間抜けだろう。

「避けてんじゃねえよ!きちんと殺されろクソがァ!」

「誰が殺されてやるかよ」

 叫ぶ医者の言葉にアルスはボソリと呟く。とにかく怒りのままに石を投げまくる医者は、

「私は、私が正しいんだ!お前たちなんか……!こんな何も分かってない馬鹿ガキが、魔法使いじゃねえんだよ!お前なんかは!!」

 口から泡を飛ばすように割れた声で怒鳴り散らす。けれどもその石も、ヴォジャノーイ達の攻撃も二人には当たらない。アルスはふとさっきの会話を思い出した。

 

『問題はあいつの攻撃を避けながら誘導しなきゃいけないってことなんだけど……』

 医者がヴォジャノーイ達と揉めている間に素早く行った作戦会議。アルスの懸念に応えたのはエクスの意外な言葉だった。

『多分だけどなんとかなりますよ』

『え、なんで?』

『だってあいつって今までロクに攻撃当てられてないじゃないですか。俺がこのシャツで防げたのだって何度も何度も繰り返してようやくじゃん。あいつの二段構えの攻撃って仕組みを考えればかなり避けづらいのに』

 言われたみればたしかにそのとおりだ。少しずつ狙いの精度が上がっていくことに焦りと恐怖を覚えたが、逆にいえば最初のうちは狙いが的はずれすぎたということだ。

『多分あいつって戦闘経験がかなり浅い……もしくはないんじゃない?これがまともな初戦闘な可能性すらあるぞ、あいつ』

 その意外な考えにアルスは大きな瞳をまん丸にする。

『ていうか今まで村の中であんな魔法使って戦ってたら誰かしら気づくでしょ』

『で、でも夜とか村の外とか人目につかないところでこっそりとか……』

 現に今だって誰も出歩かない夜だから人目につかないのだ。しかしエクスは首を傾げる。

『そもそもあいつ表立って何かしてたんじゃなくて裏でこそこそ小細工してたんでしょ。なら戦った経験なんてあんまなくて当然じゃね?それに夜に一度や二度ならともかく、何度も暴れてたんならさすがに何かしらの痕跡くらい見つかるんじゃない?ついでにあいつが村の外に出てったことなんて確かほとんどないはずだし』

 というかさ、とエクスは首をひねって、

『こんな何もない田舎で何と戦うワケ?』

『あ』

 痕跡は魔法で消せるかもしれないし、夜中に村の中でなく、村の外で何かやっていたなら誰も気づかないかもしれない。

 しかしそこまでして、エクスの言うとおりこんな田舎で魔法を使ってまで戦う相手などいるとは思えない。

 もしかしたら村に来る前はそういう経験があるのかもしれないが、医者が村に来てだいぶ経つはずだ。つまりもし仮にそうだとしてもブランクがそこそこあるということになる。

 ということはつまり、だ。

『じゃああいつって、実は大したことない……?』

 

(そうだ、言われてみればそのとおりじゃねえか)

 邪神。子供の生贄。ヴォジャノーイに知らない魔法。

 そんなものに惑わされる必要はない。おぞましいほどに邪悪だろうが、魔物を従えて驚くような魔法を使おうが関係ない。

 結局左手に食らってしまったがそれだって致命傷ではない。あれだけ何度も攻撃して、これだけ時間をかけても手傷を負わせるだけ。結局その程度の実力でしかないのだ。

 そもそも、だ。医者が本当に凄い魔法使いなら最初から邪神なんかにすがらないだろう。

 邪悪な力に頼らなくとも差別や迫害などに屈するものか。救いが欲しければ自らの力で勝ち取るはずだ。素晴らしき智慧と理をも超える術をもって、あらゆる困難に打ち勝つ。それこそが魔法使いなのだから。

 だから、

「お前こそ、魔法使いじゃあないんだよ!」

 最後のメッキも剥がれた。

 目の前にいるのはただ逃げ続けて、そのせいで魔法使いになり損なった、その成れの果てでしかない。

 ならば恐れるものはもう何もない。

「お、らあぁっ!」

 さっき『川』が崩れた時に落ちたのだろうヴォジャノーイの短槍を拾い上げると、アルスはそれを近くのヴォジャノーイに突き出した。が、ビョンと飛び跳ねてよ蹴られてしまう。チッと舌打ちして追撃をする。

 できれば雷の魔法で片付けたいが、ヴォジャノーイはまだ五匹残っている。いちいち魔法を使っていたら魔力が足りなくなってしまう。まずは魔法なしで数を減らさなければならない。しかし動きが強化された蛙共はちょこまかと動いてなかなか当たらない。さらに当然ではあるが向こうの攻撃も避けなければならない。

「うらっ!この髭蛙共め!その髭引っこ抜いてやろうか!」

「グゥェェルルゥ!?」

 半ばジリ貧のアルスと違ってエクスはヴォジャノーイを上手く捌いている。強化されているせいで一撃で倒せはしないが、相手の攻撃を避けると同時に反撃するというカウンター式で確実にダメージを与えている。

 それを横目で見たアルスはその愛らしい顔に似合わぬ獰猛な笑みを浮かべた。別に倒すのはどちらでもいい、数を減らしさえすればあとは魔法でなんとかなるのだ。

 だが医者も黙っていなかった。いつの間にか投石をやめていた医者はエクスと戦っていたヴォジャノーイに近づくと、

「オラッ!」

「ゲエェ!?」

 その背中を思いっきり蹴飛ばした。

「いっ、だ、ああぁ!?」

 驚いたのはヴォジャノーイだけではない。攻撃のタイミングをずらされたエクスはその足にとうとう短槍を受けてしまった。浅くはあるが太ももの真ん中にその穂先が埋まり、月明かりの中でも分かるくらい真っ赤な血がぱっと散り流れる。

「ちょっ、センパ!?」

 エクスの怪我にアルスの注意がそれたその隙を逃さずにヴォジャノーイが短槍を突き出してきた。

「な、この!?」

 咄嗟に転がってなんとか避けるが、危うくエクスの二の舞になってしまうところだった。

 すぐに立ち上がり、周囲を飛び跳ねる蛙達に向かってそこをどけと言わんばかりに無事な右手で短槍を振り回すが、やはりビョンビョンと跳ねる蛙達には当たらない。

「この、くそ!」

 それでもアルスは当たらない槍を必死に振り回す。

 エクスがあんな大きな怪我を負った以上、アルスがなんとかヴォジャノーイの数を減らさなければならない。そう焦り始めた時、

「ぎゃっ!?」

 医者の短い悲鳴が聞こえたきた。なんだと思ってヴォジャノーイを警戒しながら目をやると、エクスが逆に石を投げつけていた。医者は額から血を流しているところを見るに医者と違ってエクスはコントロールがいいようだ。

「この、クソがぁ!」

 激高した医者は荒れ狂ったように石を投げつけるが半分は外れ、もう半分は上半身だけでエクスに躱される。ならばとヴォジャノーイをけしかけるが、投石といつの間にかエクスも拾っていたらしい短槍で牽制されて近づけずにいる。

 そしてヴォジャノーイに向かって投げられた石の一つをそのヴォジャノーイがひょいっと避けたせいで医者の顔の真ん中にぶち当たった。

「~!!」

 思わず鼻を抑えた医者は屈んで声にならない悲鳴をあげる。元々『火の杖』で怪我をしていた所だ、とてつもない激痛だろう。

 医者は息も絶え絶えになりながらも怒りと憎悪に燃える目をエクスに向けると、足元の杯を引っつかんでエクスやアルスとは逆方向に走り出した。

「なっ、おい!?逃げんのかテメ、えっ!……いっ!」

 叫んで追いかけようとするが、足の怪我が痛んで反射的に固まってしまう。医者はそれを無視して片手で鼻を抑えながら叫ぶ。

「こっちに来い、蛙ども!」

 くぐもった声で叫ばれたヴォジャノーイ達はワタワタとエクスから離れて医者の後を追い始める。

 ここまでやっておきながら逃げ出すのかとアルスが追いかけようとすると、

「ちっ……おい、そこのお前ら!あのガキに邪魔させるな!」

 ビョンビョンと追いかけてきたヴォジャノーイを二匹足止めに差し向けた。

 アルスは舌打ちをして短槍を振り回す。が、やはり蛙達は倒せない。

 残りのヴォジャノーイを全て引き連れた医者はある程度距離を取るとくるりと振り返った。そしてヒビの入った杯を高く掲げる。

「は?え、なにやって……?」

 ゴボゴボという音を響かせて再び『川』が生み出される。それを見たアルスは困惑の声を漏らした。

 たしかに距離を取れば川の結界から離れるから逆続性は復活する。だがそれは逆に近づくことはできないということだ。近づけばまた逆続性は失われて『川』は壊れるのだから。

 無意味なはずのその行動にやはり逃げるつもりかとアルスは目つきを鋭くする。

 だが医者のそれは逃げるためではなかった。

「あっ!?」

 投げたのだ。杯を、『川』ごと。エクスに向かって。

 当然、川の結界に近づいた『川』は逆続性を失って崩れる。

「ごっ、ぽぐばごぼ!?」

 その崩壊に巻き込まれたエクスは逃げようとしたものの間に合わず、大量の水に地面に叩きつけられた。しかも医者の時よりも大量の水を受ける形で。

 ザバァ!と大きな音を立ててエクスが見えなくなる。そして数秒たって水が引いたあとには呻きながらもがくようにして起き上がろうとするエクスが倒れていた。

「ふっ……ふふ、はははははは!」

 その姿が愉快でたまらないというように医者は腹を抱えて哄笑を上げる。

「ざまあみろ……ざまあみろよ!このゴミが!下等なゴミの分際で身の程をわきまえないからこうなるんだよ!まったく頭の悪い…なんで現実をきちんと理解しないんだろうなあ?なぁ、おい!?」

 叫びながら足元の石をエクスの方に蹴っ飛ばす。濡れてグシャグシャになってしまった金髪にコツンと当たるが、エクスは呻き声を上げるばかりで返事もろくにできない。

 その姿に医者はハッと鼻を鳴らすと一歩二歩と歩いてそこに落ちていた短槍を拾う。いよいよ、といったように周りを飛び回る蛙達が勝ち誇ったように奇妙な叫び声をあげる。  

 そして大きく唇を歪めた医者はエクスに向かって槍を大きく振りかぶったその時、

「理解していない現実ってのはこういうことかよ?」

 その声に顔を向けた医者が見たのは二匹のヴォジャノーイが地面に倒れてもがいている姿だった。

「……は?」

 何故蛙共が倒れている?あれは今まで倒せずに無駄なあがきを繰り返していたはず…

 疑問が頭の中を駆け巡り動きが止まってしまった医者にアルスはつまらなさそうに吐き捨てた。

「お前さ、同じ水属性なのを利用してあの杯でヴォジャノーイを強化してただろ。なのにそれを解除して逆続性の魔法を使って、あまつさえ肝心の杯を投げ捨てたらどうなると思ってんだよ」

「あ……ああ!?」

 いっそ間抜けな叫びが医者の口から漏れ出た。

 強化をしたということは逆にいえば強化する必要があったということだ。実際、陸上では大したことないヴォジャノーイが強化されたことで攻めあぐねていたのだ。その強化が失われたらこうなるのも当然だろう。

 医者は己の短絡さを後悔するがもう遅い。代わりにその後悔は歪んだプライドによって目の前の少女への憎悪に捻じ曲げられる。

「よくも……!」

 低い声で呟くと、憎々しげな目つきでエクスに突き刺そうとしていた短槍をアルスの方へ向かって思いっきり投げつけた。

 しかし全力で投げた槍はあっさりと避けられる。それどころかアルスは笑ってみせる余裕まであった。魔法のないお前なんかなんでもないとでも言うように。

「こ、のぉ……!殺せぇ!あのガキを串刺しにしろぉ!」

 医者の爆発に呼応するように周囲のヴォジャノーイがアルスに向かって飛びかかってきた。

「ふん」

 だが強化のされていないヴォジャノーイではそれは難しかった。動きの鈍くなったヴォジャノーイ達をアルスは簡単に避けて、返す刀で右手の短槍を突き刺し、斬り払う。槍なんか扱ったことのないアルスでもまるで本職の戦士のように面白いくらいにバッサバッサと魔物を倒すことが出来る。そのくらい強化の魔法が解けたヴォジャノーイは陸上では弱かった。

 あれだけいたヴォジャノーイがあっというまに一匹、また一匹とその数を減らしていく。そのさまは美しい戦女神が舞うようであった。

 反対に医者はその顔をどんどん醜く歪めていく。

 おかしい。こんなのは間違っている。あんな小娘が。自分こそが正しく魔法使いなのに。

「くそ!」

 強化の魔法を解いたことで押し負けるならもう一度強化すればいい。

 医者は投げた杯を拾おうと急いで辺りを見渡すが何故か見当たらない。いったいどこへいった、と夜の暗がりにすら腹を立てながらよくよく探してみると、倒れていたエクスがいつの間にか胎児のように丸まって何かを抱え込んでいた。

 医者の顔色が見る見る変わる。

「テメエ……!返せこのガキ!この!ふざけるな!それは、それは私のものだ!私だけのものなんだよ!」

 怒鳴り散らしながら二度、三度と蹴り飛ばすがエクスは丸まったまま抱えたものを離そうとしない。ただ必死に胎児のような姿勢のまま耐えている。

 何のために?

 決まっている。あの少女のためだ。

「〜ふざけるなよ!!」

 それがどうにも我慢できなくて、一際強く蹴飛ばしたその時、

「これで、ご自慢の下僕は品切れかな?」

 最後のヴォジャノーイが貫かれ、地面に崩れ落ちた。アルスはすっかり真っ赤になってしまった槍をずぶりと引き抜くと適当に放り捨てる。

「な、ん……!」

 わなわなと、地面に倒れたヴォジャノーイ達とアルスを何度も見比べる。

「なん、でだ……なんで、こうなる?おかしいだろ……んで!なんでだ!?」

 ザリ、という音に医者がハッと首を回せば、いつの間にか倒れていたエクスが逃げていた。太ももから血を流し、ボロボロの体を引きずるようにして距離をとるエクスはそれでもにやりと笑っていた。

 勝ち誇るように。

 取っておきの何かを自慢するように。

 

「だから言ったじゃん。俺の師匠を舐めるなって」

 

 その一言は、もしかしたらなによりも効いたのかもしれない。

「……まれ」

 目を背けていた現実が追いかけてきた。自分とは違う『魔法使い』の姿が過去の苦い泥の味を無理矢理思い起こさせる。

「黙れええええええぇぇぇぇぇ!!」

 だから医者は叫ぶしかなかった。叫んで、否定して、塗り潰そうとした。

 けれども二人はそんなことに付き合わなかった。魔法使いの少女も、その弟子の青年も、そんな哀れな自己満足や惨めな現実逃避など知ったことではないのだから。

「まだだ……」

 医者は呟くと飛びつくようにエクスに掴みかかった。アルスが止める間もなくびしょ濡れの二人が転がるように地面に倒れこむ。

「まだ終わっていない!返せ!私の、私の力を!どこだ!?どこに隠しやがった!?私の『魔法』を返せ!!」

 必死の形相でエクスの胸ぐらを掴みながらギョロギョロと目玉を動かし、周囲を探す医者にエクスは笑ってネタばらしをしてやった。

「最初っから何も持ってないけど?」

「……は?」

 ぎしり、と軋んだように医者の動きが止まる。

「だからお前が俺を蹴飛ばしてた時から何も持ってないんだよ。俺はただ何か抱えてるように丸まってただけだって。何か持ってるなんて一言も言ってないじゃん。お前が勝手に勘違いしただけだろ?」

 つまり囮。本物はとっくに大量の水に押し流されてどっかに行ったよと笑うエクスに、医者は歯がガチガチと鳴るほど怒りで震えた。

「こ、の……!」

「もういい?」

 その声に医者が顔を上げるとつまらなそうな顔をしたアルスがいた。

「もういい、だと……?」

 なんだその顔は。さっきまであんなに怯えて、狐に追われた兎のように逃げ惑っていたくせに。私こそがその顔をする側で、勝利する側だったのに!

「たまたま……たまたまだ。偶然だろう、川の結界を作ったのも、そんな依頼があったのも…たまたま、運良くここ最近に私の魔法に相性のいい結界を作る依頼があっただけのくせに!クソガキが、調子に乗るなあぁ!!」

 叫び、近くに落ちていた短槍を拾うとそのままアルスに襲いかかってきた。

 対してアルスは二歩、三歩と後ろに飛ぶようにして距離をとる。いい加減アルスの体力も限界だ。おまけに医者の動きは拙いものの強化の解けたヴォジャノーイよりは俊敏だ。

 だがアルスは小さく笑った。

「やっぱお前馬鹿だろ」

「ああ!?」

 獣が吠えるような声をあげた医者にアルスは笑って告げる。

「だってあのままエビセンパイと揉み合っていれば少なくともボクは巻き込むことを恐れて魔法を撃てなかったのに」

「……しまっ!?」

 アルスの一番得意な魔法は雷魔法だ。だからさっきみたいに揉み合っていれば使えなくなる。おまけに二人共びしょ濡れの状態ならなおさらだ。

 だが医者はアルスの挑発に乗り、自ら安全圏から離れてしまった。

 ならばもう遠慮することはない。

「我が手には数多の木々。それは草木の生い茂る豊かな森なり」

 アルスは痛む左手を我慢して『アルスの森』を構え、呪文を紡ぐ。

「このぉ!」

 医者が焦ったように突き出す槍を半身をそらすようにして避ける。鋭い穂先が頬を掠めて赤い筋が走るが、気にせず目の前のクソ野郎をぶちのめす為の呪文を続ける。

「ここに鍛冶の男神の呟きを示す」

 呪文を唱えながらも後ろに距離をとり、医者がそれを追いかける。アルスが先に詠唱を終えるか、医者が先にアルスを刺し貫くか。ここが全ての分かれ道だった。

 だがアルスは結果を運に任せなかった。

 頬を掠めたことでだらだらと流血したその血を右手で拭うと、それを医者の顔、より正確には目を目掛けてパッと放った。

「が!?目が、目があぁ!?」

 目に入ったどろりとした異物に医者は驚いて一瞬動きが止まる。アルスはその隙にも槍が届かない場所へと距離をとる。

「くそ!この、どこだ!どこに逃げやがった!?」

 ぼやけた視界の中、医者は滅茶苦茶に槍を突き出すがすでにアルスは間合いの外だ。どれだけ槍を突き刺そうとしても当たるどころか掠ることすらできない。

「それは森を焼き払うが再びの豊穣を約束するもの」

 もはや攻撃というよりは子供が駄々をこねているような動きで、なおも諦め悪く医者は槍をブンブンと振り回す。

「何も知らないくせに……魔法使いの苦労も、魔法使いがどれだけ特別な存在なのかも、何も分かっていないくせに!!」

「なら…お前はそれを分かってもらう努力をしたのかよ?」

「…っ!」

 詠唱を一時中断したアルスの問いに医者は答えられなかった。

 だって、いつだって世界は彼の『敵』だった。

 それが当たり前で、だから『敵』でなくなる努力なんかしたことがなかった。

 だから当然、目の前の魔法使いの少女も彼の『敵』だった。

 だからこそ、彼はこう叫んだ。

「何が分かってもらう努力だ…こんな、魔法が少し使えるだけのガキが…魔法使いのごっこ遊びのくせに!知った風な口をきくんじゃねえよ!お前なんか、お前なんか『魔法使い』じゃない!!」

「ああ、そうだよ」

 アルスは素直に首肯した。

 自分が未熟なことなんか分かっている。そのせいで周りの人に迷惑をかけたことも。

 それでも、信じてくれる人がいる。なら何を迷うことがあろうか。真っ直ぐに立つには、それだけで充分なのだから。

 故にアルスは目の前の男をまっすぐに見据えて、挑むように言ってやった。

 

「だからこれからなるんだよ。お前なんかとは違う、本物の『魔法使い』に!」

 

 その言葉に、離れたところにいる弟子が笑った気がした。

 そして中断されていた最後の呪文が紡がれる。

 

「その呟きは神々の怒りとなりて我が敵を討ち滅ぼせ!」

 

 ズバチィ!とアルスの右手から医者めがけて雷が走った。

「ぎ、あああああぁぁぁあああぁぁぁぁあぁぁ!?」

 絶叫が迸った。

 直撃を受けた医者はその勢いのまま、一回、二回と弾むように地面を転がると、体を不自然に痙攣させてそのまま動かなくなる。

 それが決着だった。

 放たれた神々の怒りは見事邪神を奉じる男を打ち倒したのだった。

 

 

 

「センパイ大丈夫!?」

「まあ、なんとか……ていうか師匠の方は大丈夫なん?」

 ぐったりと座り込んだエクスは駆け寄ってきたアルスを見上げた。

 あたりはひどい有様だった。なにせあちこちに血を流した馬鹿でかい髭蛙が何匹も倒れているのだ。蛙特有の生臭さと血生臭さが混ざり合ってひどい匂いが漂っていた。

「ボクの方もなんとか……正直けっこうギリギリだったけどね」

 槍が掠った頬を撫でながら疲れたように答えた。血はほとんど止まったようだがズキズキと痛む。とはいえ結果的に勝利の鍵となったのだしこのぐらいは我慢するべきだろう。

 エクスは頭をブルブルと振って水気を飛ばすと、

「ま、ギリギリでも何とかなったってことで……いっ、つつ……」

 ゆっくりと立ち上がろうとするが、どうにも力が入らないらしい。太ももの血は止まったがまだ痛むようで、上手く立てないようだ。

「しょうがねえな、ほら」

 アルスが手を差し出すと、すいません、と一言謝ってその手をとって立ち上がる。

「たた……これ治んのにどのくらいかかるんだろ……」

 それからエクスはぐるりと周りを見回して髭蛙たちの屍に眉をしかめる。そしてふと倒れている医者を見つけると、

「えっと、あの……あれって……その、死んでるんです……?」

 なんとなく気まずそうにアルスに尋ねた。

「一応手加減したから死んではない……はず」

 いくら子供ばかりを狙った殺人鬼とはいえ、さすがに人殺しは躊躇われた。だからアルスは死なない程度に手加減をしたつもりなのだが、医者はピクリとも動かない。

 気絶してるだけだよな、とアルスはおそるおそる医者に近づいてみる。そしてそこらに落ちていた槍でツンツンとつついてみると、

「う……」

「あ、やっぱ生きてる」

 聞こえてきた呻き声にほっと安堵の息を吐く。振り返ってみればエクスも死んでいては後味が悪かったのか、どことなく安心した様子だ。

「さて、こいつどうしようか」

 当然このまま放っておくわけにはいかない。とりあえず縄かなにかで縛り上げて、あとは目隠しと、ついでに杯は無くなってしまったが念の為に猿轡的なものも噛ませておくか、とアルスは近くの農具小屋の方へ顔を向ける。事情が事情なのだし、勝手に借りてしまってもいいだろう。

 小屋の中に縄くらいはあるよな、とアルスが歩き出そうとしたその時、

「ちょっ、師匠!?」

 なにやらエクスの焦った声が聞こえてきた。なんだと思ってアルスがエクスの方を見ると焦った顔で医者に視線を向けていた。

「なんだよ、いったい……って、熱っ!?」

 そのまま医者の方へ目をやろうとした瞬間、アルスは足に熱いものを感じて思わず飛び退っていた。

 いったい何事かと今一度医者を見てみればその首から下げられた、二本の角をあしらった奇妙な首飾りから炎が吹き出していた。

「は、はっははは!やらない……私のものだ……お前たちには何一つ、髪の毛一本だってやるものか!」

「はあ!?おい、何言って……」

「偉大なる×××よ!我が身体と魂を捧げます!」

 ゴウ!と炎が風を飲み込んで勢いを増した。

「な、ちょっ!?」

「師匠、危ないって!」

 いつの間にか近くまで来ていたエクスがアルスの肩を掴んで医者から遠ざける。そうしている間にも炎は肉が焼ける匂いを漂わせながらその赤い体をどんどん広げている。

「わだ、しはぁ、何ぼ間違ってない!ぐぅ、私ば!『魔法使い』とじで、最後ばで闘い抜いだんだ!あ、ぎ……からぁ!その『正しさ』は!誰にも踏みにじ、らぜない!おばえだぢなんがに!奪わせてやるぼのかぁ!!」

 轟々と燃え盛るまでになった炎が大きく渦を巻いた。それは一際大きく揺らめいたかと思うと、そのまま巨大な手の形になり医者をがっしと掴んだ。

「なんだ、あれ……」

 アルスは呆然と呟いた。

 医者の首飾りからは相変わらず炎が吹き出している。その炎が見るからに禍々しい手の形をとっているのだ。それだけではなく手首、次に腕と、炎は何かが出てこようとしているようにその体を大きくしていく。まるで医者の胸元から大きな赤い腕が生えているようだ。

 巨大な炎の腕は医者を掴んだままぶるりと一度大きくその手を振るわすと、ぎゅるん!と自身が吹き出している首飾りの中に引っ込んだ。

「え?」

 間の抜けた声を漏らしたのは、アルスか、エクスか。

 医者を引きずり込んだその光景はまるで地蜘蛛が獲物を巣穴に引きずり込むようだった。だが虫のそれとは違って明らかに人が入れない大きさだ。いや、そもそも大きさの問題でもない。

 もはや首飾りから炎は吹き出していないが、轟々と燃え盛っている音は聞こえてくる。そしてそれに混じって首飾りの中から、

「はははは!あがぁぁははっははあ、ひっひい熱ぅ!?ふっふふ、はははあははひひひゃひゃははあ!!」

 生きたまま焼かれる苦痛と、それでも愉快そうな笑い声が狂ったように響いてくる。

 何をどうすればいいのか分からずに、アルスはただただ首飾りを黙って見つめるしかできない。

 そうしているうちに首飾りがぶるりと震えて、さらに激しく炎が燃え盛る音と、悲鳴のような笑い声が辺りに響いた。

 そしてそれっきり首飾りは沈黙し、何も聞こえてこなくなった。あとには黒い焦げ跡と焦げ臭い匂い、そして二本の角をあしらった奇妙な首飾りだけが残っていた。

 その他には何も、何一つとして残ってはいなかった。

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