やがて英雄へと導く魔法使い   作:NJR

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第二章   師匠になっちまった!(2)

 帰り道。

 生乾きのエクスと並んで歩くアルスは、ゆったりと宙を泳ぐ蝶を眺めながら歩いていた。

 暖かい日差しの中で、白と黄色の二匹の蝶がじゃれあうように草むらの上をケラケラと遊びまわっている。白い蝶はどこか白銀めいた色合いで、黄色い蝶はどこか黄金のような色合いを帯びている。どちらもなかなかに美しい蝶だ。

 不思議と既視感を覚えるような気がする光景に、アルスはホウ、と一つ息を吐いた。なんだか落ち着く光景だ。ヒゲの生えたデカイ蛙、などという気色悪いものを見た後だから余計にそう感じるのかもしれない。

「そういえばアルスさん」

 そうやってのんびりリラックスしていると左隣から声が降ってきた。

「なにー?」

 楽しげな蝶たちから目を離し、自分よりも頭一つ高い顔を見上げる。服は生乾きであるものの見上げた先の金色の髪はほぼ乾いたようだ。

「アルスさんが魔法撃つときに唱えてたやつ、あれ何ですか?森がどうとかいうの」

「ああ、あれかぁ」

 アルスは何やらゴソゴソとやると一冊の本を取り出した。革張りの分厚い、なかなかに立派な本だ。きちんと装飾もされている。

 その本をエクスがしげしげと眺めていると、表紙のタイトルが目に付いた。 

「えーなになに……『アルスの森』……?なんですかこれ?」

 眉を寄せ訝しげな顔をするエクスに教師役の魔法使いはゴホン、と咳払いを一つし、

「それはボクが作った魔道書的なやつ。中見てみてよ」

「まどうしょ、ですか?」

 いまいちピンとこないのか、首をかしげながらどこか平坦な発音でアルスの言葉を繰り返し、アルスから本を受け取る。

 言われた通りにエクスはパラパラと本を捲ってみる。が、

「いや、全然読めないんだけど。何語これ?」

 そこに書かれていたのは、エクスがこれまでまったく見たこともないような文字だった。それを見たエクスはまるでチンプンカンプンだと言わんばかりの顔をする。

「それ?魔法文字ってやつ。魔法使い以外で読める人ってあんまりいないんだよね」

「おいこらアルス」

 アルスの言葉にエクスは思わず文句を言う。

「読めなくて当然じゃん!ズルくないそれ?普通に卑怯、それは」

「誰も読めなんて言ってないじゃん。説明すんのにとりあえず開いてみてって意味だよ」

 エクスの文句を軽く受け流し、アルスは説明を続ける。

「この魔法文字はさぁ、樫の木を表していてー、こっちは白樺で……」

 指で指し示しながら丁寧に一つ一つを解説していく。そうして説明を受けているうちにエクスはあることに気がついた。

「なんか木の名前ってか植物しかなくないですか?」

「この本は魔法文字で『森』を表したものだからね」

「んー……森を表したって言われてもよく分かんねえなあ」

 説明されてもよく分からないエクスは、顔に『?』マークを浮かべたまま首を傾げる。

「要は森を構成する要素を魔法文字で書くことでよって、えっと、この本自体が魔法的な森にしてあんだよ」

「えーと、要するに魔法的に見ればその本は森そのものってこと?」

「うん。そういうことだね」

 へー、と感心したような声でエクスは分厚い本をまじまじと見る。よく分からない文字がびっしりと並んでいるが、これらすべてが森というものを形作る何らかの要素を魔法的に書き記したものということか。

 何とも珍しいものを眺める気分で魔導書とやらを見ていたエクスだが、最初の質問の答えとしては噛み合わないことに気付く。

「それでその魔法的に作られた森がどう関係あんの?」

「逆続性だよ」

「ぎゃくぞくせい?」

 またよく分からない言葉が出てきた。またもやエクスの頭には『?』マークが浮かぶ。

 背は小さいのにどこか老練な雰囲気さえ感じさせる魔法使いは分かりやすいようにか、ゆっくりとした口調で話を続ける。

「ボクが雷の魔法撃つときの呪文覚えてる?」

「ええっと……確か森がどうとか、鍛冶の男神がどうとか……」

 先ほどの記憶を思い出しながらエクスは答える。断片的というか、ぼんやりとした感じだがその後のインパクトが強すぎるのだろう。

「呪文の中で『それは森を焼き払うが再びの豊穣を約束するもの』ってのがあったじゃん?」

「ああ、言われてみればそんな感じの呪文でしたっけ」

「あれさぁ、雷によって森がどうなるのかを表した呪文なんだよね」

「んん…?えっとアルスさん。焼き払われるのは分かるんだけど、豊穣って確かこう、豊かになる感じの言葉ですよね。雷で森が豊かになんの?」

 頭の中で森に雷が落ちたイメージを描いていたエクスは疑問の声を上げる。エクスにとって雷が森に落ちるというのは災害のイメージしかない。雨や風向き、風速など状況次第で規模は変わるだろうが結構な確率で火災が発生し、その後は黒焦げになった木々がたくさん倒れている、というイメージだ。実際に見たことはないが、本で読んだ限りだとそんな感じだったはずだ。

 しかし豊穣ときた。

 確かに焼き払われた後いつまでもそのままではないだろう。何年かかるか分からないが再び草木が芽吹いて森は再生される。だがそれは森というか植物が持つ本来の生命力によるものであって、落雷によるものではない。と思うのだが、右隣をのんびり歩いている魔法使いの言うとおりなら何か関係があるのだろうか。

 エクスの疑問に、アルスはゆったりと歩を進めながら答える。

「豊かになるよ。んーと、センパイは空気の中にさぁ、植物にとって栄養になるものが含まれているのって知ってる?」

「え、そうなんですか?初めて知りました」

 よくそんなことまで知っているものだと感心するエクス。ついでに、やはり魔法使いは蓄えている知識が普通の人間とは違うのだろうと一人納得する。

「んでさぁ、雷ってその空気の中の栄養を地面に溶け込ませるらしいんだよ、落雷のときに。で、植物にとって栄養たっぷりの土になる、ということらしい。なんか雷が落ちた畑は豊作になるとか不作になりにくいって話もあるし」

「へー、そんな仕組みがあるのか。自然の神秘ってやつですかね」

「なんかちょっと違う気もするけど、まあそんな感じかな。あとは単純に焼畑の効果もあるし」

 なるほどなぁ、とエクスは感心したように呟いた。それなら確かに『豊穣』という言葉も納得できる。

 生乾きの服が気になるのか、服をパタパタとやりながらエクスは質問を続ける。

「それでそれが逆続性?ってのとどう関係があるんですか?」

「今説明したのは『雷が森に落ちたらどうなるのか』ってことじゃん」

「うん」

「で、この魔道書は魔法的に森そのものである、と」

 トントン、とアルスは魔道書を手の甲で叩く。それからパラパラと本を捲って中身を示しながら、

「実はさ、この本の内容は何回も書き換えられているんだ」

「失敗して、ですか?まあアルスさんドジしそうだもんね」

「違うわボケ」

 ヒゲ蛙を倒した時の尊敬はどこへ行ったのだろうか。

 ゴホン、と咳払いを一つ。

 アルスは気を取り直してトテトテと歩きながら説明を続ける。

「書き換えられているってのは呪文によってだよ。ボクが魔法を使おうと呪文を唱えるたびに本の内容は書き変わるんだよ」

「呪文で書き変わるんですか?」

 へー、と本日何度目か分からない感心の溜息をエクスは漏らす。魔法についてはよくわからないが、それはすごい魔道書なのではないだろうか。

「それで話は戻るけど、これは森そのものって言ったじゃん。で、さっきの豊穣がって呪文の話と合わせて考えてみれば、どうなると思う?」

「えーと……」

 言われたエクスは腕を組んで考え込む。本には草木を始めとする森を構成する様々なものが魔法文字で書かれていて、だからあの魔道書は森そのもので、呪文は森は焼き払われてももっかい豊かになるみたいな感じの呪文で…

「……ひょっとして内容が書き変わるってのは、『森』から『焼き払われた森』に書き変わって、そっからもう一回『森』に書き変わる、とかですか?」

「うん。正解」

 ニッコリと笑顔でエクスの答えを認めてくれる魔法使い。その様子はどことなく生徒の成長を喜ぶ教師を彷彿とさせた。

「正確にはもっと段階があるんだけどね。『森』からいきなり『焼き払われた森』になるんじゃなくて、『焼き払われている最中』とかさ。魔法を使っている時のこの本見てみるとビックリするかもよ?パッパッて書き変わるんじゃなくて、ギュオーン!て、すごい勢いでどんどん書き変わっていくから」

「それはちょっと見てみたいかもしんないな」

 アルスの説明にエクスは興味深そうな顔をする。『ギュオーン!』とやらは具体的には想像がつかないが、なにやら凄まじく早く書き変わるのだろうということはなんとなく分かる。なんかすごい以前に面白そうだ。

 アルスは歩みとともに説明を進めていく。

「でもこれだとさぁ、ただの『勝手に中身が書き変わる変わった本』じゃん?」

「いや『ただの』じゃなくね?」

「茶々入れんなよ……で、まあここでさっき言ってたやつが出てくんの」

「逆続性ってやつですか」

 ふむふむ、とエクスは興味深そうに頷く。それを見ながらアルスは、

「そう。『雷が森に落ちたらどうなるか』という呪文によって『魔法的な森』は呪文どおりに変化する。ここまではいい?」

「はい。まあなんとなくだけど分かった気がします」

「うん。それで例えばだけど、遠くの方で煙が上がってたらセンパイはどう思う?」

 尋ねられたエクスはきょとんとした顔で、

「どうってそりゃ、誰かが焚き火でもしてるのか、じゃなかったら火事を疑いますけど」

「だよね。じゃあもし魔法で逆に、結果から過程を引き起こせたらどうなる?」

「逆に結果から過程を……?煙が結果なんだから要するに……えっと、多分煙があったらそこに火を出せる、みたいな感じ……でいいのかな」

「それで合ってるよ」

 自信なさげなエクスの答えに、アルスはきちんと合格を告げる。

 トウモロコシ畑の横を通り、二人はのんびりと家路を歩く。ふと空を見上げると日が傾き始め、影法師が背を伸ばし始めていた。

 アルスは少しだけ背高になった自分の分身を眺めながら話を続ける。

「それが逆続性ってやつ。要は今言ったようにさ、結果から過程を引き出す魔法の技術の一つ。なんていうか、『煙があるんだから火もなくちゃおかしい』って世界を騙す、みたいな感じかな。ボクの雷魔法も同じなんだよ」

「はー、なるほどなあ」

 考えながら歩いていたせいか、いつの間にか魔法使いの少し後ろを歩いていた生徒は思わずそんな納得の声を上げた。前に目を向ければ、黄金の光に照らされた魔法使いが僅かに立ち止まってこちらを振り向いていた。

 おっと、と思いながらエクスは歩を早める。そうしながら彼なりに話をまとめてみる。

「つまりアルスさんの雷魔法は、ええっと、森そのものである魔道書を起点にして、それで、呪文によって魔道書を書き換えることによって『雷が森に落ちた結果』を示して、そっから逆続性で過程である雷を引き出してぶっ放す、と。こんな感じで合ってます?」

「よく出来ました」

 エクスの答えを聞いたアルスは、わー、と小さく拍手をしてきた。まるで小さな子供が難しい問題を解いたのを褒める姉か母親のようだ。

 どことなく満足そうな顔をしたアルスはゆったりと空を見上げながら、

「ついでに言うと、ボクの雷魔法は本質的には天候操作みたいなもんかな」

「ああ、雷って気象現象の一種だもんね」

「そうそう」

 ゆっくりと歩きながらエクスの返事に相槌を打つ。木々の枝からはピーチクと騒がしく鳴き立てる鳥たちが見下ろしてくるが、二人の意識には入らない。それだけのんびりした空気だった。

 エクスの質問の答え合わせが終わったところで一旦会話が途切れる。そのタイミングでアルスが一つエクスにお願いをしてきた。

「あ、そうだセンパイ。今日のことは秘密にしておいてね」

「今日のことって、あのヒゲ蛙の事ですか?」

 隣からは見下ろしてくるエクスに頷きを一つ返す。

「うん。本来行っちゃダメって言われてる所だし」

 あそこには村人は近づかないのだし、魔物のことは報告しなくてもこれ以上の危険はないだろう。

「あ、あと魔法のことも秘密ね」

 さらに付け足された条件にエクスは怪訝な顔になる。

「えぇ、どうしてですか?すげぇ自慢したいんですけど、スゴいの見れたって」

「だからダメだって。魔法なんて、普通の人には怖がられるだけなんだから」

「んー……まあアルスさんがそう言うなら」

 怖がる、という部分に引っ掛かりを覚えたが、とりあえず頷いておく。 

「それにエビセンパイのことだから一個でも喋ったらボロが出そうだし。なら最初から全部秘密にしておかないと」

「いや、どんだけ信用ないんだ俺」

 そんなエクスを見て、クスクスと笑うアルス。その笑う様子を見て、エクスは仕方ないなという顔になる。そしてそこからしばらくは他愛のない話が続いた。

そうしてまばらに草の生えた道を歩いてしばらくすると、ちらほらと人家が目につくようになってきた。

 軽く辺りを見回すと、そこで畑仕事をする村人が目に入り、ふとアルスは明日の仕事をエクスに手伝わせようと思いたった。

「そういやセンパイ、明日暇?」

 どうせ空いているだろうと思いつつ、一応予定を尋ねてみる。

「明日?まあ大丈夫ですけど」

 予想通り予定は空いているようだ。ならば問題ないと考え、アルスは話を続ける。

「じゃ明日ボクの仕事を手伝ってほしいんだけど」

「あ、やっぱり予定があるんだった」

「オイコラ」

 仕事と言った途端これである。アルスは微妙に目を逸らしているエクスの顔をジロリと見る。

「いやホントですよ?明日はちょっと忙しくて……」

「手伝ってくれたら報酬に食糧分けてあげるけど」

「他ならぬアルスさんの頼みですからね。しょうがない、予定はキャンセルしときましょう」

 しょうがないのはお前だよ。

 心の声をグッとこらえたアルスは代わりに、こっそりと小さな溜息を吐いた。そのまま少し歩いた村の入口辺りで、

「じゃセンパイ、明日ボクんとこ来てね」

「はい了解です」

 そうしてその日はアルスの家に寄って、魔石集めの報酬である馬鈴薯を渡し解散となった。

 

 

 

 次の日。

「アルスさん!言われたとおり来ましたよ!アルスさーん?おーい。まだ寝てんのかー?グータラ魔法使いさーん!」

 ドンドンドン!と玄関の扉を叩く音と共に聞こえてきた騒がしい声で、アルスは目が覚めた。嫌な目覚めだ。

「うぅー……」

 まだ眠気が頭にまとわりついて離れないアルスは、なおもドンドンドン!と叩かれる玄関にフラフラと重い足取りで向かう。

「あーもー……うるさいなあ、起きたってば……ってゆーか誰がグータラ魔法使いだ」

「あ、おはようございますアルスさん」

 玄関の扉を開けるとそこには、いつもどおり無駄に爽やかな笑顔のエクスが立っていた。アルスと違ってきっちり目は覚めているようだ。

「まったくもぉ……こんな朝早くから来ることないだろぉ」

「いや朝早くって…もう十一時なんだけど」

 言われて時計を見てみれば確かに時計の短針は十一を指し示している。朝というより昼時に近い。

「ボクはどっちかっていうと夜型なんだよ」

 ぶすっと言い訳をしながらなおも眠たい目を擦る。昨夜眠りに就いたのは何時頃だったか。頭は鈍く、体は重たい。まるで腐った枯れ木のようだ。

「まあいいや。準備するからちょっと待ってて」

 ふわぁ、とアルスはあくびをしながら、とりあえず着替えようと部屋に戻ろうとする。その足取りはまだ少しフラついている。するとそこで、

「お邪魔しまーす」

 エクスがアルスの後についてそのまま家の中に入ってきた。

「いや勝手に上がるなよ」

 ずかずかと勝手に上がってきた不法侵入者に文句を言うが、当の本人はきょとんとした顔で、

「え?でも準備するから待っててくれってアルスさんが言ったんじゃん」

「家の前で待っててってことだよ!」

 グイー、とアルスはエクスの背中を押して玄関から追い出す。あまり家の中は片付いているとは言い難く、客を上げられる状態ではない。見られたのが比較的散らかってない玄関周りで良かった、とアルスは密かに安堵する。

 エクスは背中をグイグイ押されながら、

「普通こういう時って家に上げるもんじゃないですか?」

「んなもん人によるだろぉ」

「ついでにお茶やクッキーとか出したり」

「それが目的か金欠野郎」

 なんだかこの年上の青年は、自分のことを『ご飯をくれる人』とでも勘違いしていないだろうか。

 いつものごとく呆れるアルスだったが、昨日の馬鈴薯といい自分が餌付けした結果である、という可能性には思い至らないようだ。

 玄関の外までエクスを追い出したご飯をあげる人は、そのままバタン、と玄関の戸を閉めると扉越しに、

「とりあえず十分くらいで準備するからそこで待ってて」

 ドタバタと慌てて準備する音が聞こえてくるのであった。

 

 

 

 十分後。

 黒いフード付きのマントを被ったいつもの魔法使い装束に身を包んだアルスは、玄関から出てくると、

「お待たせ。じゃ行こうか」

「待ちくたびれましたよ、まったく」

「調子のんな」

 いつものやり取りをしながら二人揃って歩き出す。

 行き先の分からないエクスはとりあえずアルスについていくことにする。

 今日の天気は曇り気味だ。なんとなくだが道端に目を向ければ、暖かい日差しが無いことに草木達もがっかりとしているようだ。そもそも早朝に雨が降っていたようで、足元が少しぬかるんでいる。

 滑って転ばないように気をつけながら歩く二人は、のんびりと言葉を交わす。

「そういえば今日は何を手伝えばいいんですか?」

 行き先どころか、今日は何をするのかすら聞いていなかったことに気付いたエクスは、隣を歩くアルスに尋ねてみる。

「ああ、今日はナメクジ退治をやるんだよ」

「ナメクジ退治ぃ?」

 予想外の答えに思わずエクスは呆れた声を出してしまう。昨日わざわざ川に行き、魔物に襲われてまで集めた魔石をまさかナメクジ退治に使うとは。というかそもそも手伝う必要があるのだろうか、とエクスは疑問に思う。

「なんだよ変な声出して」

「いや、なんか予想と違ったっていうか……にしても手伝う必要あるんですかそれ?女の子じゃあるまいしナメクジが苦手とか?」

 こいつの目玉は呪われてんのか。

「どっからどう見ても女の子だろうがよぉ!ボクが男に見えんのか!?」

 怒ってポカスカと攻撃してみるが全て軽く躱される。知識はともかく、身体能力ではやはりエクスが上のようだ(まあアルスも本気で殴りかかったわけではないが)

「まったくどこに目をつけてんだお前はよぉ」

「顔ですね」

 違う、そうじゃない。

 結局一発も当てられなかったアルスはハァ、と溜息を吐き、

「まったく少しは考えろよ。魔法使いのボクに来る仕事なんだから普通のナメクジ退治な訳ないだろぉ」

「え、普通じゃないってどういうことですか?」

 プンスカしているアルスの言葉に、エクスはようやく少しは興味が湧いたといった顔をする。

「んー、なんかやたらでっかくて、メッチャ数がいるんだって」

「えぇ……なんですかそれ。想像したらすげーキモいんだけど」

 まるで腐った果実を口にしたかのように、ウゲェという顔をするエクス。想像するだけで精神がジクジクと膿んでいくような気分になる。

「まあ着いたら分かるよ、手伝いが必要な理由もさ」

「はあ。じゃ、まあとりあえず行ってみますか」

 なんとなくやる気が削がれた気はするものの、この魔法使いが『手伝いが必要』と判断したんだし、と思い、そのままアルスについてゆく。

 テクテクと二人で依頼主の家へと歩いていく。エクスはアルスの歩幅に合わせるためか、いつもよりも少しゆっくり気味で足を進めている。

 ふと空を見上げると雲がさらに厚くなっている。雨が降りそうなほどではないが、天気のせいか昨日ほどの暖かさはない。夕暮れに近くなれば肌寒くなりそうだし、それまでに終わればいいな、とエクスは歩きながらぼんやり考える。まあ、ナメクジ退治などそう時間がかかるものでもないだろうが。

「そういやエビセンパイ、今日はちゃんとご飯食べてきたの?」

 不意に隣からアルスに声をかけられて、思考がそちらに向く。というか結局あだ名は『エビ』で定着してしまったのだろうか。エクスとしてはもっと別のあだ名にして欲しかったのだが。

「ええ。昨日アルスさんからもらった芋を一個残しといたんで、それをふかしたやつを」

「そっか、ならいいけど」

 それを聞いてアルスはどことなく安心したような顔をする。

「俺の朝食がどうかした?」

 その様子を不思議に思ったエクスは隣に向かって質問を投げかける。

「いやぁ今日はちょっとセンパイに肉体労働を頼もうと思ってさ。腹ペコで重労働させんのもちょこっとかわいそうかなあ、って思ってね」

「肉体労働?いったい僕に何させるつもりなんですか」

「まあ行けば分かるよ」

「じゃあ逃げる準備をしておこう」

「なんでだよ!?」

 なんとなく面倒事の気配を感じ取ったエクスは、いざとなれば逃げ出そうと考え始める。そしてアルスはエクスの首に紐でもつけておこうかと少々真剣に考え始める。というかある意味どっちもどっちである。

「言っとくけどバックれたら食べ物分けてやらないからな」

「え、ヒドイ!なんでですか!?」

「いや当たり前だろうが!」

 餌付けの弊害ここに極まれり。もはや『ただでご飯をくれる人』扱いのようだ。

 しょうがないなあ、などとブツブツ言うエクスに、アルスは呆れた顔すら見せない。出会ってからまだそんなに日は経ってないが、もう慣れたのだろう。

 ふう、と一息ついたエクスは気分を切り替えたのか、

「それで今日手伝ったら何くれるんですか?また馬鈴薯?」

 エクスに尋ねられたアルスは軽く悩む素振りを見せる。

「うーん……馬鈴薯ばっかりだと栄養が偏るし、今日は別の食べ物分けてやるよ」

 なんというかこの少女、年上の青年に対して保護者のような目線になりつつあるのではないだろうか。

「まあ美味けりゃなんでもいいですし、楽しみにしておきます」

 そう言ってエクスはフンフンと鼻歌を歌い出す。食べ物がもらえると分かってご機嫌のようだ。

 そのままアルスの案内で歩いていると、道の向こうから人がやってくるのが見えた。

「ん?」

 相手はこちらに気づくと声をかけてきた。

「おや、アルスにエクスじゃないか。珍しい組み合わせだな」

 小太りの初老の男だった。こんな田舎では珍しい、仕立ての良い高級な風合いの服を着ている。厳格な顔つきからは厳しい教師のような雰囲気を感じるが、どこか横柄そうなイメージも受ける。

「あ……村長」

 相手が顔見知りだと気付いたアルスは小さな声でどうも、と挨拶をする。だが相手は聞こえてないのか返事はない。

 村長は二人をジロジロと眺めると横柄さがにじみ出る態度で、

「また昼間からブラブラしているのか。しかも二人で……まあいい。ちょうど人手が欲しかったところだ。少し手伝いなさい」

 村長の尊大な物言いに少なからずムッとしたエクスとは対照的に、アルスはオドオドとした感じで相手の足元を見ながら村長に話しかける。

「あ、あの……その、別にブラブラしてた、わけじゃなくて、えっと……」

 さっきと同じくらい小さな声だったが、今度は聞こえたらしい。

「じゃあ何をしてたというのだ。皆が畑仕事なりなんなり、汗水流して働いている時間帯にこんなところで」

「え、あ……それは依頼を受けて、その、向かっていた最中で……」

 アルスは先程よりも小さくなった声で説明を試みる。が、

「ああ、なるほど。また『魔法使いの仕事』か。まったく……いい加減にしなさい。もっとまともな仕事をすればいいだろう。そんなことじゃ嫁の貰い手も無くなるぞ?せっかく目鼻立ちは整っているのに」

 呆れた顔をした村長は軽く溜息をつきながら余計なお世話を焼いてくる。

 アルスは村長と目を合わせないまま言葉を探すが、なかなか上手く出てこない。やはり下を向いたまま、オドオドとしている。

 その様子を見た村長はもう一度ハァ、と溜息をつくと腕を伸ばし、

「とにかくこっちに来て手伝いなさい。さっき行商人から塩を仕入れてな。あそこの小屋の二階に運んで……」

「ちょっと待ってください」

 村長が喋りながらアルスの腕を掴もうとするのを、エクスがスッとアルスの前に出て止める。いつもと違うとてもマジメな表情で、何かを押し殺しているようにも見える。

「なんだエクス。遊んでばかりなのだから少しは村の手伝いをしろと言ってるだけだろう」

 邪魔をされた村長は苛立たしげな表情でエクスを睨めつける。だがエクスも相手の目をジッと見たまま目を逸らさない。よくよく見れば、その目はまるで獣が人に化けたかのように鋭い。

「な、なんだ。言いたいことがあるならはっきり言いなさい」

 その獰猛さが見え隠れする目にたじろいだのか、村長は目を逸らしながらもぎりぎり横柄な態度を崩さない。

 エクスは静かにひと呼吸おくと作り笑いを浮かべ、

「すいません村長。僕たち害虫駆除を頼まれてまして。そっちの方行かなきゃなんないんですよ」

 その言葉を聞いた村長は、変なことを聞いたかのように目をぱちくりさせ、

「害虫駆除……ってエクス、お前がか?」

「はい。僕だけじゃなくアルスさんもですけど。疑うなら確認をとってもらってもいいですよ。それで害虫駆除がどうかしましたか?」

 しばし驚いたままだった村長はハッ、と我に返るとそれでも驚きが抜けきらないまま口を開いた。

「あ、ああ……いや、お前がそういったことをするのは意外だと思ってな……ああだが良い事だ。雑用レベルの仕事とはいえ、ようやく村の役に立つ気になったか」

 エクスの顔をまじまじと見た村長は、一人でうんうんと頷く。

「よし、その調子で村に貢献しなさい」

 若者の成長を喜ぶ大人、といった感じで、村長はエクスの肩をポンポンと叩く。

「じゃあ今日はそちらの方を頑張るといい。こっちはこっちで何とかするから」

 そして村長はもう一度エクスの肩をポンとやると、『塩運びは他の者に手伝ってもらおう』と呟きながらそのまま二人の脇を通り過ぎていった。

「ああそうだ、アルス。いい加減に『魔法使い』もほどほどにしておきなさい」

 そんな余計な一言を付け加えて。

 

 

 

「なんだよアレ」

 村長がいなくなってから少しして、エクスの不機嫌そうな声がアルスの耳朶を打った。

「え、エビセンパイ?」

 びっくりしたアルスが思わずエクスの方に顔を向けると、エクスはハッとした表情になり、慌てて頭を軽く下げてきた。

「あ、ゴメン。いきなり大きな声出して。ちょっとあのジジイにムカつき過ぎちゃって」

「いやいいよ、別に。ちょっと驚いただけだし」

 アルスはアルスでいきなり謝られて、あたふたと気にしていないと伝える。それからフウ、と一息ついてから、

「まあそれはそれとして、別にセンパイがそんなに不機嫌になることもないんじゃない?」

 チラチラとエクスの反応を気にしながら喋っているのは、昨日からすごいすごいと子供のような反応を見せていたのに、さっきのオドオドした姿を見せてしまったからだ。だが、

「何言ってんですか、アルスさんは悪くないでしょ。悪いのはあのジジイですよ。前から横柄な人だというのは知っていたけどここまでとは思わなかったわ」

 一応村で一番偉い人間をジジイ呼ばわりするエクスは、自分のことよりアルスの扱いに腹を立てているらしかった。正直アルスにはそれが意外で、思わず目をぱちくりさせる。

「えっと……自分のことは?なんか上から目線で村の家畜みたいな扱いだったけど」

 問われたエクスはムスっとした顔のまま答える。

「誰が家畜だ。いやムカつくっちゃムカツクけど、まあいつものことだし。それよりアルスさんの扱いの方がおかしいでしょ。なんか魔法使いだから馬鹿にしてるみたいな感じだったし」

 昨日アルスの知識や魔法に触れて本気ですごいと思ったエクスにとって、村長の魔法使いを軽んじるような態度はかなり気に食わなかったようだ。アルスとしてはあのぐらいの知識は魔法使いとしては当たり前だし、魔法に関しては基本的に怖がられたり忌み嫌われることがほとんどだと思っていたため、村長の態度はごく当然のものである。むしろアルスにとってエクスや黛のような人間の方が少数派なのだ。

「まあ村長も言い方はアレだけどさ、ボクのために言ってくれてるのかもしれないしね。魔法使いなんて色々苦しいのが基本だし」

 とりあえずエクスをなだめようとアルスは声をかけてみるが、エクスはますますムスっとした顔になる。

「どこがですか。ただただアルスさんを馬鹿にしてただけじゃん」

 それを聞いてアルスはこれまでのエクスの言動を思い出す。おそらくエクスは魔法使いへの偏見や、凝り固まった思考を持たないからこそ分からないのだろう。というより魔法使いに限らず、性格的にそういった差別的なものとは無縁なのだろうが。

 さてどう説明しよう、とアルスは思考を巡らせ、とりあえず一から噛み砕いて説明することにする。

「前にこんな田舎じゃ魔法使いはあんまり儲からないって話したよね?」

「?……そういやそんな話してましたけど、急になんですか?」

 ムスっとしながらも訝しげな顔をするエクスに、アルスは曇り空の下を歩きながら講義を始める。

「なんで魔法使いをやめたほうがいいのかって話。そんで、元々魔法使いや魔女は、占い師や医者も含めた村の便利屋のような存在だったんだ」

「ああ、聞いたことあります。なんかそういう歌とかもあったような」

 エクスの言葉を聞き、アルスもその歌を思い出す。確か『困ったことがあったら森のお婆さんに相談してみな。魔法が使える不思議なお婆さん』という歌詞から始まる歌だったはずだ。なかなかに古い歌だったと思う。昔々は魔法使いの立場も、今とは違ったものだったのだろうな、とアルスは思いを巡らせる。

「ところがさ、何十年か前に国が全国に医療制度を浸透させる政策をとったんだよ」

「そういや歴史で習ったような……でもそれは良いことじゃないですか?」

「まあ良い事と言えば良いことなんだけど。弊害があったんだよ、魔法使いにとって」

「弊害?」

 コホン、とアルスは咳払いをし、弊害について説明して行く。

「その政策はね、全国の町は勿論、小さな村に至るまで医者と医療設備を配置するってものだったんだ。で、結果として全国の魔法使いの役割から『医者』という役割が消えたんだよ」

「あー……なるほど。仕事が一つ減ったなら確かに弊害っちゃ弊害かもなあ」

 隣を歩くエクスは一人うんうんと頷く。

「もちろん他にも役割がある以上、それで魔法使いたちが御役御免となったわけじゃないだけどね。けど『医者』の役割は魔法使いたちの仕事の中でも、割合がかなり大きかったんだ」

 右手の人差し指をピンと立て、小さくとも大きく見える魔法使いは講義を続ける。

「例えば他の『仕事』である占い。これは災害や疫病、その年は豊作か不作かなどを予見するものなんだけどさぁ。どっちかっていうと重要な役割なんだけどそういう大きな占いは年に数回程度。あとは個人相手の小さいのを細々とやるだけ。さらに信じない人間も一定数いるし、はっきりいうと仕事としては割に合わない部分が多いんだよ」

 ふむふむ、と頷くエクスはなるほどと思う。アルスの説明は魔法の時と違ってすんなり頭に入ってきた。

「確かに災害だのは年に何十回も占ってもらうものではないし、豊作かどうかなんて年に一回、作物ごとに分けたって年に数回程度ですよね」

 そういうこと、と頷くアルスは一転ハア、と何かを憂うように溜息をつく。

「魔法にしても、実は普通の人々からはいざという時以外はあまりあてにされないしね」

「え、何でですか?あんなにすごいのに」

「普通の人達からすればそれこそ割に合わないからだよ」

 アルスの言葉にエクスはワケが分からない、という顔をする。それを見たアルスはおとがいに指を当て、んー、とどう説明すれば分かりやすいか少し考え込む。

「えーと……例えばさ、作物が病気になったとするじゃん」

「麦が黒くなったりとか、葉っぱに斑点ができたりとか?」

「そうそう。で、広がりきってからなら『いざという時』として魔法使いにお鉢が回ってくるんだけどさ、そうでなければ広がらないように病気になっちゃったところや、その周りだけ除去して終わりにしたりするんだ。もちろんその分の収入は減るけど、魔法使いに高い報酬を払って頼むよりそっちのほうが結果的に安上がりだったりするからね」

「要するに魔法使いに頼まなくても、ある程度までなら自分達で何とかできるってことか」

 ふむ、とエクスは考えをまとめる。確かに魔法使いに頼めばきちんと解決してもらえるだろうが、だからといって何かトラブルが起きるたびに魔法使いに丸投げして、自分たちでは一切解決しないというのは聞いたことがない。村でも大抵のことは魔法使いではない村人たちで何とかしていたと思う。

 アルスは一つ頷きを返すと話を続ける。

「つまりはそういうことだよ。畑の実りを豊かにしたいなら、魔法に頼らずとも肥料を撒けばいいし、狼や狐、野犬とかから家畜や畑を守りたいなら結界を張らなくても柵を作ればいい。魔法に頼んなくても大抵のことは知恵と工夫でなんとかなるし、なんとかなるなら自分達でなんとかしたほうが安上がり。魔法使いというのはなんとかならなかった時の最後の手段ってわけ」

 エクスは難しい顔をして魔法使いの話を聞いていたが、ふと疑問を持った。

「でもそれなら魔法使い側が値段を下げればなんとかなるんじゃ……?」

 割と簡単に解決しそうな気がしたが、よくよく考えてみると世の魔法使い達がそんな簡単なことを思いつかないはずがない。

 案の定アルスはあっさりと答える。

「ああ、そうすると今度は魔法使い側が割に合わなくなるんだよね。魔法だって無限に使えるわけじゃないし。回数に個人差はあるけどさ、魔力というものを消費して使う以上限りがあるんだよ。なのにそれを安価で受けるとどうなると思う?」

「えっと……簡単に言えば薄利多売は成り立たない、的な?」

「そういうこと」

 薄利にしたところで多売が出来なければ意味がない。なのに無理矢理値を下げたところで食うに困るだけだろう。

「そうやって考えると結構大変な仕事ですね、魔法使いって」

「ホントにね」

 軽い溜息とともに答えるアルスの横顔に、疲れや憂いのようなものが一瞬浮かんだ。

 アルスは歩きながら、んぅっ、と軽く伸びをし、話を再開させる。

「それでもねぇ、一つだけでは成り立たない仕事も、他の仕事と合わせることで『魔法使い』という職業が成り立っていたんだけど」

「けれど、それが国の政策によって崩れた、と」

「そう。別に国が悪いって言いたいんじゃないけど、なんていうか、結果としてそうなっちゃったって感じかな」

 そこでアルスは隣を歩くエクスをちらりと見やると、一瞬何かを考え込む素振りを見せてから、ゆっくりと言葉を吐き出し始めた。

「魔法使いっていうのは元々便利な存在であると同時にさ、畏怖される存在でもあったんだよ。普通の人々からすれば、魔法使いは『自分たちにはよく分からない力を使う怪しげな連中』という評価でね。そこに国のお墨付きで、『便利だけどよく分からない力』を使わない安心できる『医者』が現れた。人々がそちらに流れていくのも当然でしょ?」

 結果、魔法使いはかなり厳しい状況に立たされることになった。これでも都会のほうはいくらかマシらしいが、アルスの住んでいるような田舎では魔法使いは白い目で見られがちな職業である。

「なんていうかさ、人ってのは自分たちとは違う存在を排除したがるもんじゃん。それは色々と迷信深くなる田舎ほど排他的になるんだ」

 この村みたいに、と呟くアルスに対して、エクスは隣で目をぱちくりさせると、

「え、なんで?自分に出来ないことが出来るやつがいたら『スゲー!』ってなるじゃん」

 それを聞いたアルスは、エクスの純粋な言葉に思わず苦笑してしまう。

「エビセンパイはお人好しだからピンと来ないかもしれないけど、普通の人は自分たちに出来ないことが出来る人にはさ、貶めたり排他的になったりするもんだよ」

 『普通の人々』の価値観を理解出来ず、きょとんとしているエクスに魔法使いは自然と、柔らかな陽光のような眼差しを向ける。なんだかんだ言って彼は根が純真なのだろう。

「ま、つまり魔法使いの評価ってのは元々そのぐらい低いんだよ。なにかトラブルがあれば『魔法で解決させて報酬を騙し取るために、魔女がわざと起こしたんじゃないか』と疑いの目を向ける人がいるくらいには。さらにそこに追い打ちで『医者』の役割がなくなっちゃった。だから魔法使いってのは仕事として結構苦しいんだよ」

 アルスは足元に目を落とすと、

「ボクだって最初からこの村で魔法使いとしてバカ正直に名乗ってたわけじゃないし。あくまで最初は薬師としてやってたけど、ある時魔法じゃないと助けられない人がいてそれで魔法使いってバレたからこうやっているだけなんだし。最初の頃は例の件もなかったしね」

 話し終え、そっと横目でエクスの様子を窺うと、何やら腹が立つような意味が分からないような複雑な顔をしていた。根が純粋な彼にとって最後の部分はいまいち納得がいかないことに聞こえるのだろう。まあアルス自身きちんと納得しているわけではないが。とはいえ仕方のないことだし、とアルスが適当に話をまとめ、この話は終わりにしようとした時。エクスは一度だけ深く深呼吸すると、僅かに曇り空を見上げながら口を開いた。

「……なんつーか、『医者』の役割云々はしょうがないけど、魔法使いの評価が低いのって結局、魔法使い側に原因があるわけじゃなくて単に周りがクズなんじゃないですか?周りが原因で仕事にも影響してるっていうか」

「……」

 かつて飲み込んだ、いや飲み込まざるを得なかったことを吐き出させるような言葉だった。その言葉を聞き、アルスは咄嗟にどう答えるべきか分からなかった。数秒の間に頭の中をグルグルと色んな言葉が巡り、そして結局出てきたのは先ほどと同じ台詞だった。

「……さっきも言ったけど、そう思うのはエビセンパイがお人好しだからだよ」

 口にしたのは事実だが、質問の答えとしては嘘だ。

 当然アルスの答えにエクスは納得いかないという顔をして、

「いやでも、魔法使いの人達って何にも悪いことしてないじゃないですか。そりゃ魔法使いの中にも悪い奴はいるかもだけど、それとこれとは話が別っていうか……」

 話を切り上げたいのに、正論を並べられる。エクスが口にするのは当たり前の理屈だ。分かりきっているほど。

 少し考え、恐らく納得しないだろうが正直に答えるか、とアルスは誤魔化すのをやめる。

「でも仕方ないことだもん」

「仕方ないって……色んな知識があって、あんなすごい魔法が使えるアルスさんがあんな扱いなのはおかしいでしょ絶対。しかもその理由が偏見とか」

「……」

 予想は付いたが、やはり納得しないようだ。どうしたものかと、アルスは思考を揉みほぐすように軽く眉間をグリグリとやる。

 エクスの言うことは正しいとアルスも思う。思うが、世の中は正しさだけで回っているわけではないのだ。そしてそれもまた当たり前のことだ。エクスがそんな当たり前のことも理解出来ないほど愚かだとは思わないが、子供のような純粋さのせいかなかなか自力でそのことに思い至らないようだ。

 彼の言葉は美しい。だが、ただそれだけだ。

 そうこう考えている間も、エクスは美しいだけの言葉を振るう。

「結局そんなのって自分たちが多数派だから傲慢になっているだけでしょ。魔法使いが少数派だからっていじめみたいなもんじゃん。あとは……まあ僻みみたいなもんじゃないですか?自分たちに出来ないことが出来る人間に対して排他的になるのって。いずれにせよろくでもない考え方じゃないですか」

 なおも険しい顔で言い募るエクスに、アルスは軽く溜息を吐く。もはや空虚さすらある純粋さが、とうに出た答えに無鉄砲な斧を振り下ろすのだ。

 軽く頭を振り、何となしに上を見れば、空が重い。泥が塗りたくられたかのような空で、まるで天地が逆転したかのようだ。曇り空が恨めしい。こんな気持ちになるのはきっとお日様が顔を見せないせいだ。うんざりして足元の本物の泥に視線を戻し、アルスはゆっくりと答える。

「そう言ってくれるのは嬉しいんだけどさ、しょうがないじゃん。さっき『あんなすごい魔法が』って言ってくれたけど、その魔法だって、あんなの見せたら怖がられて、余計に嫌悪されるよ。センパイは褒めてくれるけど、普通は逆効果にしかならないんだよ」

「逆効果って……」

 言われて昨日の言葉を思い出す。アルスは確か、魔法のことを村人に言ったら怖がられる、と言っていたはずだ。エクスからすれば、アルスの魔法はまるで英雄の物語に出てくる魔法使いのようで、なんというか凄くてカッコイイと思うものだった。それだけにアルスの言葉はいまいちピンとこない。理屈では分かるの だが、『怖がる』人の心情がどうにも想像できないのだ。

 故に素直な思いをそのまま口にしてしまう。

「でもやっぱり納得いかないわ。村長だって、昨日のカエルに襲われたらどうせ何も出来ないでしょ。スゴいやつはスゴいってなるべきじゃん、普通。だからなんつーか、別に仕方ないとは思わ「じゃあさ」

 純粋な言葉を、一言遮る。

「じゃあボクは周りの人達を恨めばいいのかな。ボク達は何も悪くないのに、理不尽だって」

「あ、いや……」

「……あ」

 一瞬で熱が冷えたエクスの顔を見て、アルスはとっさに口からこぼれてしまった言葉を後悔する。

「えっと、いや……そういうんじゃなくて、ですね…」

「いや、ゴメン!なんか意地悪な言い方しちゃった!あの、なんていうか、そういうつもりじゃなくて……」

 言葉を探すエクスにアルスは慌てて謝る。思わず口にした言葉だが、今更取り消せない。

 そういうつもりではなかったのだ。ただどうしようもないことだから、『仕方ないこと』で済ませてほしかったのだ。頭の中ではそんな言葉が浮かんでくるが、だがアルスも上手く言葉が出てこない。

 二人で暫しアワアワとやって、先に落ち着いたのはエクスの方だった。

「すいませんアルスさん!なんかよく分かってないのに偉そうなこと言って!」

 ビシッ!と、頭を下げて謝罪するエクスに、アルスは慌てて頭を上げさせる。

「いやボクの方こそゴメンだよ。なんかすごい嫌味な言い方しちゃってさ。センパイはボクのために怒ってくれてるのに、あんなこと言うなんて」

「でもなんか、俺なんかが口を挟むことじゃなかったっていうか、そもそも素人の俺がグチグチ言ってもしょうがないのに」

 今度は謝罪合戦になりそうなところで、アルスもようやくある程度の落ち着きを取り戻し、なおも申し訳なさそうな顔をするエクスの背中をポンポンとやる。

「えっと、エビセンパイの善意みたいなのは分かるよ。理不尽に怒ってくれること自体は、まあ、嬉しいし」

 どうにか言葉を選びながら話す。あまり人と関わってこなかったせいで、アルスはこんな時いつも自分を少しだけ恨めしく思う。だがそんな邪魔な思考はすぐに追い出し、アルスは魔法を使う時か、それ以上に頭を必死に働かせる。

「ただこういうのって難しいっていうか、多分だけど、大勢の人が何十年もかけて解決するような問題だからさ。だから、えっと……」

 けれど結局上手く言葉を選べず、探しても言葉が出てこなくなってしまう。

 だが言いたいことはエクスにきちんと伝わったようで、

「ああ。怒ってくれたりするのは嬉しいけど、個人じゃどうしようもないから『仕方ない』で済ませるしかないんですね。いや俺ホント馬鹿だな、ちょっと考えたら分かるのに」

 言いたいことは伝わったようだがなんだか自虐的になってきたので、アルスは『もういいから気にするな』というように、背伸びをして自分より頭一つ高い金髪をワシャワシャとやってやる。するとエクスは少し気恥ずかしそうに、

「あー……いや、別に子供扱いはしなくていいっていうか……」

 そのまま後ろに一歩下がって避けようとする。だがそれを見たアルスは何か悪戯を思いついたような顔になり、一歩下がったエクスを追いかけるように同じく一歩前に出ると、

「よしよし。いいこ、いいこ」(ナデナデ)

「いや俺のこといくつだと思ってるんですか!?」

 さすがに『いいこ、いいこ』は限界を超えたのか、エクスは慌ててズザザッと逃げる。そんなエクスの反応を見てニマニマと笑うアルスは、

「んー?精神年齢的には五歳くらいかなぁ?」

「は?んだとコラ」

 アルスの挑発にエクスは不満そうな顔になる。そして一瞬何かを考えた後何を思ったのか、アルスの顔に手を伸ばすとどこかモチモチした印象のあるほっぺたをムニィ、と引っ張る。

「はひふんはひょう!」

「いやー、やられっぱなしってのもアレだし、お返ししとこうかなあって思いまして」

 フガフガと文句を言うアルスに、さらにモチモチをムニムニしながらエクスはケラケラと笑って言い返す。

「ほひょう!」

「おっと」

 モチモチした人がとうとうエクスに殴りかかるが、エクスはそれを難なく躱す。だがアルスは諦めず追撃をする。アルスの追撃を軽く避け、逃げるエクス。それを追いかけるモチモチ人。逃げる精神年齢五歳児。

「待てコラ!」

「そう言われて待つやつはいないんですよ!」

 そうして暫し二人は道端で子供のような追いかけっこに興じた。

 先程まではニマニマとした笑顔も、ケラケラとした笑顔も二人とも少しだけ作り物のような感じがあったものの、子犬のようにじゃれあう二人には、もうそんなものはどこにもなかった。

 ふとアルスが空を見上げれば、いつの間にか雲の切れ目から陽の光が差していた。

 

 

 

「「うっわぁ……」」

 二人が依頼人の畑に案内されて、最初に出てきた言葉がこれだった。

 あの後気まずい空気も無くなった二人はそのまま依頼人の下を訪れ、さっそくナメクジ退治に件の畑へ向かったのだが。

「え、何ですかこれ?地獄?」

 エクスが思わずそう呻くのも無理はない。エクスもナメクジは好きではない、というか嫌いだが、それでも駆除すら出来ないというほどではない。だが今エクスの目の前にいるナメクジは小さいもので三十センチ程度、大きいものにもなると七十センチ弱程もあった。そんなただでさえ気持ち悪いのに、さらに生理的嫌悪感が限界突破したナメクジたちが畑のあちこちでウゾウゾと蠢いている。いったい何十匹いるのか、もはや数える気にすらならない。まさしく地獄絵図だ。

「えぇ……どうやって駆除しろってんだよこれ……」

 げんなりした声を出すエクスは、目の前の光景に気力が一気に削られたようだ。一応アルスが事前に簡単な説明をしていたが、『気持ち悪い』をそのまま表現したかのような目の前の光景はエクスの予想を上回っていたようだ。

 一方アルスは、

「一匹ずつ片付けるしかないね」

 あっさりと言う。表情からはアルスも気持ち悪いと思っていることが覗えるのだが、それはそれとして割り切っているのか、仕事に対する前向きさも感じられる。

 対してエクスはアルスの言葉にますますげんなりした顔をして、

「一匹ずつって……ナメクジって簡単に死なないし、このサイズだと刃物使ったって何匹か斬ったら多分、粘液で斬れなくなっちゃうと思うけど。追い払うにしてもどうやって移動させるんですか?この大きさだと木の枝か何かでつついたぐらいじゃウネウネするだけ……」

 自分で自分の言葉に気持ち悪くなったのか、エクスは喋ってる途中で青くなり口元に手を当てる。そんなエクスの様子はお構いなしで、アルスは依頼人から借りてきたものをぽんと渡す。

「はいエビセンパイ、これ」

「あ、はい。何ですかこれ、手袋?……ってまさか」

 エクスは嫌な予感がして、ギギギと錆びた人形のような動きでアルスに目を向ける。するとアルスはニッコリと、嫌な予感が確信に変わってしまうような笑顔で、

「これで一匹ずつ捕まえて運んでね」

「急用を思い出しましたっ!」(ダッ!)

「逃がすかぁっ!」(ガシッ!)

 予想していたのか、二秒で逃げ出そうとしたエクスを即座に捕まえるアルス。エクスの左腕を掴み、ンギギ、と全力で引っ張るが、エクスも負けじと全力で逃げ出そうと踏ん張る。

「離してくださいアルスさん!実は叔父の父の兄弟の従兄弟の隣人の息子が危篤なんです!」

「それはただの他人だよ!」

「そんなヒドイ!あなたには人の心が無いんですか!?」

「こんなナメクジ地獄に女の子一人残して逃げようとしてるヤツが何言ってんだ!」

 全力で踏ん張り合いながら叫び合う二人。なんとも仲がいい。

 本来なら力があり、体格に優れているエクスが勝ちそうだが、とにかくアルスが必死なためなかなか振りほどけない。

「だってあんなでかいの手袋越しとはいえ手づかみなんてヤですよ!」

「しょうがないだろそんなの!っていうかボク一人でこの数は無理だって!」

 ンギィ、とアルスに左腕を引っ張られながらもジリジリとエクスが前に進み始めた。アルスも全力で踏ん張っているのだが、やはり力と体格で敵わないためか少しずつ引き摺られていく。

 さすがにまずいと思ったのか、アルスは慌てて叫ぶ。

「ああもう!分かった!その分報酬弾んでやるから!」

 ピタッ、とエクスの動きが止まる。

 報酬を弾んでやる、という言葉を聞いたからか、エクスは渋々といった様子で体の力をゆっくりと抜いた。そしてはああ、と肺の空気を全部吐き出すような大きな溜息をついて、

「しょうがないなあ……じゃあその分たっぷり食べ物くださいよ」

 ジト目をアルスに向け、折れたことを宣言する。

「もちろん。ちゃんと働きに見合った分はあげるよ」

 アルスもようやく体の力を抜いて畑に向き直る。今ので結構疲れたのか、息は少し荒く額には汗が浮かんでいる。とりあえずその汗を拭い、息を整える。

 そして軽く深呼吸すると、覚悟を決めたように二人で畑へと足を踏み入れた。

 まずは準備を整える。

「あー……見てるだけで吐きそう……」

 エクスがなおもブツブツ言いながら渡された手袋を手にはめていると、アルスは何故かトテトテと畑から出て行き、何やら手に持って戻ってきた。よくよく見てみるとその手に握られているのはスコップだ。そこそこ大きくて運搬にも便利そうである。なんというか、目の前で蠢いているナメクジぐらいなら運べそうなぐらいには。

「じゃ、ボクはこっちからやるから、センパイはそっちお願いね」

「オイコラ、アルス」

 そう言ってそそくさと居なくなろうとしたアルスの頭をガシッと掴む。

「何一人だけイイもん持ってんですか!?え、ズルくない?俺にも貸して下さいよそれ!」

「しょうがないだろぉ一本しか借りれなかったんだから!それとも女の子にナメクジ手づかみしろってのかぁ!?」

 頭を掴まれ、ジタバタともがくアルスだがエクスは離そうとしない。というかこの魔法使い、エクスのことをとやかく言えるのだろうか。

 そうこうしているうちにエクスは片手で掴んでいたアルスの頭を両手で掴み、ガクガクと左右にシェイクし始めた。

「やああぁめえぇろおぉぉぉぉ!」

「止めてほしければそのスコップを俺に寄越すんだ、今すぐに!」

 なんだか悪役のセリフのようである。

 頭を揺さぶられ、思考までシェイクされてしまいそうなアルスはガクガクやられながら仕方なくエクスにスコップを渡す。

「やった!ありがとうございます!」

 スコップを受け取り、喜ぶエクス。これで両手ヌルヌメ地獄へ行かなくて済む。一方アルスは片手で頭を抑え、フラフラになりながら少し離れた所まで歩き、

「じゃセンパイ頑張ってね。ボクはここで応援してるから」

「いや働けよ!?」

 アルスの堂々サボり宣言にエクスは思わずツッコミを入れる。この仕事、誰が受けた依頼だったっけ?

 だがエクスのツッコミにアルスは耳を塞ぎ聞こえないモード。そして不貞腐れたのか、ツンとそっぽを向く。困惑するエクスはそれを見てどうしたものかと溜息を吐く。

(んー……とはいえ、確かにあの大ナメクジを手づかみさせるのもなあ。気が引けるっていうか……)

 俯きながら軽く頭を悩ませ、そしてまあしょうがない、とエクスは顔を上げる。

「じゃあアルスさん、交代でやり、ま……あれ、アルスさん?」

 だがそこにさっきまでいたはずのアルスの姿は見えなかった。

「え、いないんだけど。どこ行った?え?アルスさーん」

 まさか逃げたか?とエクスが辺りを見回すと、畑の外からアルスがトテトテと戻ってくるところだった。手にもう一本のスコップを持って。

「あんじゃねえかもう一本!」

 再び思わずツッこむエクスに、アルスは悪戯が成功した子供のようにケラケラと楽しそうに笑ってみせる。それを見てからかわれていたと気づき、エクスは一気に脱力する。

「まったく……しょうもないことしてないで早く片付けましょうよ」

「ゴメンゴメン。じゃあそろそろ始めようか」

 なおもクスクスとやってるアルスにエクスも思わず苦笑する。そして二人ともナメクジに向き直る。今度こそ作業開始だ。

 とりあえずエクスは一番近くにいたナメクジを掬うようにスコップに乗せる。途端にナメクジはスコップの上でウネウネと暴れ始める。見た目だけでも大変気持ち悪いが、その大きさのせいで暴れる振動がスコップを通して手に伝わってきて気持ち悪さも倍増である。           

 気にしてはいけない、無心になれエクスアルビオ、とエクスは自分に言い聞かせる。

 そこでエクスはそういやこのナメクジをどこにやればいいのだろうと思う。畑の外に捨てたところで戻ってくるだけだろう。

「そういやアルスさん。こいつらってどこにやればいいんですか?」

 少し離れたところで同じようにナメクジをスコップに乗せ、『気持ち悪い』と顔に書いてあるかのようなアルスに声をかける。

「んー?えっとね、こっちの方に依頼人が掘ってくれた穴があるからさ、そこに捨てて。で、捨てたら油で焼き殺すから」

「あ、なるほど。了解でーす」

 喋りながら穴の方へ案内してくれるアルスにエクスはそのまま付いていく。すると畑のすぐ横にアルスの言った通りの穴がいくつかあった。どれも横幅は一メートルちょいしかないが深さはなかなかに深い。二メートル弱はありそうだ。少し離れたところには掘るのに失敗したのだろうか、穴が埋められた跡がいくつかあった。

「よいしょっ、と」

 アルスが掛け声と共に穴にナメクジを捨てたのに倣い、エクスも同じ穴にナメクジを放り込む。やれやれ、と思いふとスコップの先を見るとぬらぬらと光っている。思わず顔を見合わせた二人は、どうせまたこうなると分かっていても二人して無言で近くの木にザリザリと拭いておく。精神衛生、大事。

「とりあえずこれの繰り返しですか」

「だね」

 二人で揃って軽く溜息をつき、畑へと戻る。そうしてまた適当な奴をスコップに乗せ、穴へと運んでいく。これを五回ほど繰り返したあたりで、

「あ、ちょっ!?」

 突然アルスの慌てた声がエクスの耳に聞こえてきた。

 どうしたのかとエクスが目を向けると、せっかく穴に捨てたナメクジたちが穴から這い出てきてしまっていた。アルスが頑張って穴に戻そうとしているが、一匹戻している間に他のナメクジが穴から逃げ出してしまっている。ナメクジのくせに妙に早い。体が大きいせいだろうか。

「ああもう、なんで逃げるんだよぅ!だいぶ溜まったからそろそろ焼き殺そうと思ってたのに!」

 逃げない理由があるものか。

 せっかくの努力が無駄にならないよう、エクスも慌てて駆けつけアルスを手伝う。畑にいるナメクジは捕まるまでは大人しいのだが、こちらのナメクジは一度捕まっているからか必死に逃げるし、ちょっとでも近づくととにかく暴れる。スコップの上に乗せてしまえばなんとかなるのだが、乗せるまでが一苦労だ。

 だがそれでも二人がかりでやればなんとかなるもので、十分ぐらいかけてなんとか全てのナメクジを穴の中に戻した。

 地面に立てたスコップに体を預け、荒い息を整えているアルスに同じく息の乱れたエクスが話しかける。

「アルスさん。もうこの穴も結構いっぱいになったし、またこいつらが逃げ出さないうちに火をかけようぜ」

「だね……とっとと焼き殺しちゃおう。ちょっと油持ってくるからエビセンパイはまた脱走しないように見張ってて」

 そう言うとアルスは疲れた足取りで油を取りに行く。あまり運動が得意な様子でもないし、ナメクジ大脱走による予想外の作業は結構堪えたのだろう。

 そのまましばらく、アルスに言われた通りエクスが穴をボケっと眺めながら油を待っている。すると少し離れた道を、知り合いが通りかかった。

「ん、あれ?エクス?」

「あ、黛さん」

 そこに通りかかったのは、アルスとエクスの共通の知人である黛灰だった。黛は買い物でもした後なのか、中身の詰まった革で出来た袋を持っている。

「珍しいねこんなとこにいるなんて。ここでエクスは何してたの?」

「ああ、これ見張ってたんですよ今」

 近くまで歩いてきた黛に、手に持ったスコップで穴を指し示す。そうしてるうちにまたナメクジが二匹ばかり穴から這い出てこようとしたので、スコップでまた穴の中に落としておく。

 黛はその様子を見てから穴の中を覗き込み、「うわぁ……」と小さく呟く。表情にそこまで大きな変化はないが、ドン引きしているのが雰囲気から伝わってくる。そのまましばし穴の中をジッと眺めていたが、突然何かを思いついたようにエクスと穴の中のナメクジを交互に眺め、

「まあ趣味は人それぞれだし、ちゃんと責任持って最後まで面倒見なよ」

「飼ってたまるか、こんなおぞましいもん」

 これを飼う人間がいたら医者に連れて行くべきだろう。

 精神が錯乱していると思われてはたまらない、とエクスは黛にアルスの依頼を手伝っていることを説明する。

「へえ、アルスの手伝いか」

 説明を聞いた黛は意外そうにエクスの方へ顔を向ける。

「なんか最近アルスと仲いいよね」

 正面からエクスをジッと見つめる。その顔はいつもどおりで表情は読めない。

「まあそもそも知り合ったのが最近だし。それがどうかしましたか?」

 エクスが不思議そうにそう聞いても黙ってジッと見つめていたがややあって、

「……いや、いいことだなって。アルスは友達が少ないし、なんか最近は変な噂も聞くし」

 フッと小さく口の橋を緩めてそう言うと再び穴の方へ目を向けた。

 エクスは這い出ようとするナメクジを穴の中に落としながら気になったことを尋ねる

「変な噂ってどんな噂ですか?」

 エクスの質問に黛はしまったというように僅かに眉を寄せる。

「別に大した噂じゃないって。所詮は噂だし」

 適当に誤魔化そうとする黛に向かってエクスは食い下がる。

「いや、気になるじゃん。大した噂じゃないなら教えてくださいよ」

 そのまましつこく尋ねてみると黛はしばし逡巡する様子を見せたが、ちらりとエクスを見やると一つ息を吐き、

「……まあくだらない話なんだけどね。アルスが村の子供たちに呪いをかけてるって噂。なんでも村の赤ん坊が死ぬのは魔女の呪いなんだってさ」

「は……?なにそれ。ほんとにくだらないじゃん」

 悲しい話だが子供というのは死にやすい。体力も少なく免疫なども弱い。赤ん坊ともなればなおさらだ。それもこんな田舎の農村では皆が皆大人になれるわけではない。冷たい言い方をすれば子供というのはある程度は死んで当たり前なのだ。だというのに呪いだのなんだのとはくだらないにも程がある。

「……なんかすみません」

「まあ別に。どうせ信じないだろうし、というかそれ以前にデマに決まってるしね」

 黛自身も信じていないだろう噂に呆れた色を浮かべる。黛もアルスと親交があるのだし、そんな根も葉もない噂が流れているのでは気になるのだろう。

 なんとなく二人が黙り込んでしまうと、そこへアルスが油を持って戻ってきた。

「あれ、黛じゃん。どうしたの?」

 油が入っているであろう壺を両手で抱えたアルスは、エクスの隣に見知った顔がいるのを見て話しかける。

「あ、アルス。いや、エクスを見かけたから何してんのかなって。アルスはそれ何持ってるの?」

 二人の下までトテトテとやってきたアルスが抱えている壺に、黛は興味を示す。古びた感じの茶色の壺は、なかなかに大きく結構重そうだ。

「ああ、これ?中身は油だよ。そこの穴の中にばら撒いて、ナメクジを焼くための」

 よいしょ、とアルスは両手で抱えた壺を黛に中身が見えるように抱えなおす。

 ふーん、と壺の中身を覗き込み眺めていたが黛だが、そこでふと気の毒そうな表情を浮かべ、

「ねえアルス……いくら貧乏だからって焼きナメクジを食べるのは……」

 どうやら正気を疑われているらしい。

「食ってたまるか、そんなおぞましいもん!」

 すかさずツッコミを入れるが、そこで何故かそばで聞いていたエクスまで気の毒そうな顔になり、

「アルスさん……そこまで食うに困っていたなんて……食糧たかったりしてすいませんでした!」

「いいから話聞けよお前ら!ってかセンパイは仕事だって説明しただろーがよぉ!」

 二人にからかわれ、アルスはプンスカ怒る。

「まったくもう……ほらエビセンパイ、先輩の方が力あるんだから油お願いね」

「あ、はい。分かりました……っとと。アルスさん、これってもう穴の中に流し込んじゃっていいんですか?」

 アルスから油の入った壺を受け取ったエクスは、そのまま穴の近くで壺を構える。ナメクジを延々と穴の中に戻す作業に飽きたのだろう。とっととナメクジ達を焼き払ってしまいたいという顔をしている。

「うん、いいよ。ただ油はまだまだ使うんだから少しずつね」

「了解です」

 アルスの言葉を聞いたエクスは言われた通り、少しずつ油を穴の中に流し込んでいく。どれくらいで充分なのかは分からないが、とりあえず少しだけ入れて足りなければその都度さらに少しずつ足していく。ひとまずはそれで大体の適量を見極めればいいだろう。

 穴の中全体に且つ、入れすぎないように慎重にゆっくりと油を注ぐエクスから目を離し、アルスは隣で同じくエクスを眺めている黛に話しかける。

「黛は買い物帰り?」

 黛の持っている革袋に目をやれば、色々な物が入っているようだ。

「ん、さっき珍しく行商人が村に来てね。色々買ったんだよ」

 持っていた革袋をポンポンと示す。そういえばさっき村長が行商人がどうのと言っていたな、とアルスは少し前の事を思い出す。

「何か珍しい物でもあった?」

「んー……細々したもの買っただけでそんなに珍しいものは……あ、これとか」

 そう言いながら革袋の中をゴソゴソとやり、黛が取り出したのは小さいな木箱だった。見た目は少々古ぼけていて、側面にねじまき用だろうか、小さなつまみがある。

「何ですかそれ?」

 そこへちょうど油を撒き終わったエクスがやってきた。さてどうなったか、とアルスが穴の中に目を向けると、どうやらナメクジ達は油で滑って登れないようだ。というか油が体にまとわりつくのが苦しいのか、半分以上は登ろうともせずにその場でウネウネと暴れているだけだ。その光景は精神衛生上良くないので、アルスはとっとと目を逸らす。これならとにかく急いで火を放つ必要もないだろう、と黛の木箱が気になるアルスは木箱をジッと観察する。

「これね、ちょっと変わったオルゴールなんだよね」

「ふぅん、オルゴールですかぁ。何が変わってるんです?」

 オルゴールをしげしげと眺めるエクスは、今はナメクジよりもオルゴールの方が気になるようだ。

 同じくオルゴールをジッと観察していたアルスは、先程から気になっていたことを聞いてみる。

「なんかさぁこれ、魔法の気配がするんだけど」

「えっ!?マジですかアルスさん!?」

 驚きながらも魔法と聞いて、一気にテンションが上がるエクス。そして先程以上にまじまじと食い入るようにオルゴールを見つめる。

「んー……まあ実際に聞いてみてもらったほうが早いか」

 どう説明しようかと考えていた風だったが、結局黛はそう言うと側面のつまみをジィコジィコと回す。

 するとオルゴールからオルゴールらしからぬ音楽が流れてきた。オルゴールは普通、単一の音色だが、黛のオルゴールからはまるでオーケストラのような様々な種類の楽器の音色が聞こえてきたのだ。それもこれまで生きてきた中で今まで聞いたこともないような美しい音楽だ。

 色々な弦楽器が紡ぐ心を震わすような音色。様々な管楽器が寄り合った魂を揺さぶるかのような音色。他にも打楽器など、たくさんの楽器の音が絡み、溶け合い一つとなり、音楽という芸術を作り上げていた。

「わぁ……」

 その美しい音色に、アルスの口からは思わず感嘆の声が漏れる。隣ではエクスも似たようにその虹色のような音色に聞き惚れていた。

 曲が終わり、二人はしばし余韻に浸る。そしてどちらともなくふと我に返り、

「……すっご!え、すごくないこれ!すごい名曲だったんだけど!」

「……だよねえ!あー……いいなぁこれ!ボクも欲しい!」

 エクスとアルスは興奮し、はしゃぎ合う。まるで頭の中の色彩がいっぺんに塗り替えられたような気分だ。おかげで自分の目が別物になったような気さえしてくる。

 普段は二人ともどちらかというと音楽には疎い方なのだが、そんな二人でも感動を覚えるほどの名曲だった。

「まあこういう魔法のオルゴールってこと。ちなみにつまみの回し方によって違う曲になる。確か五曲だったかな、これに入ってるの」

 黛の説明を聞いてアルスとエクスはさらに目を輝かせる。一曲だけでもすごいのに、五曲も入っているとは本当にすごい。

 いまだ余韻冷めやらぬエクスは羨ましそうな目をオルゴールに向け、

「いやーいいですねこれ本当に。俺も欲しい、ってかマジで欲しいなあこれ」

「アルスに買ってもらいなさい」

「だそうですよアルスさん」

「いや、なんでだよ!」

 彼らにとってアルスはどんな扱いなのだろうか。

「断られましたよ黛さん」

「まあ多分いい子にしてたら買ってくれるから」

「いつからボクはセンパイの保護者になったんだよ!」

 答え、餌付け。

 まったくもう、などとブツブツ言いながら、そろそろ火をつける準備をしようとアルスは自分の荷物をゴソゴソと漁る。いくつかの荷物を押しのけ、アルスが取り出したのは奇妙な棒だった。

「?……アルスさん、何ですかそれ」

 その様子を見ていたエクスが声をかけてきた。

「ん?ああ、これは火をつける魔道具だよ」

 答えながら手に持った魔道具を軽く振るアルス。

 魔道具と聞いて興味を惹かれたエクスは、ふむ、とそれをよく観察してみる。全体的に赤い色が塗られていて、先端が二つに割れている。そしてそこには黒い石が挟まれている。一目見た印象としては一風変わった、絵本に出てくる魔法使いが持っているような杖、といった感じだ。

「あ、分かった!その挟んでる石が魔石なんじゃないですか?そうでしょアルスさん?」

 しげしげと観察していたエクスはピン、と閃くと、結構自信満々にアルスに答えを聞いてみる。が、

「これ?これはただの磁石だけど」

「え?」

 自信満々の答えが見事に空振りだったエクスは、ポカンとした顔になる。ちなみに横では黛がフッ、と顔を背けて笑っていた。

 そんなエクスをよそにアルスは魔道具を右手に持ちながら、穴の縁に立つと、

「まあ見ててよ」

 穴の中のナメクジ達にむかって魔道具を構える。そして何やら目を瞑って集中するような表情になる。

 すると、ボオオォォ!と、燃える音と共に魔道具の先から火が吹き出した。魔道具から生まれた火は穴の中に撒き散らされた油に燃え移り、ナメクジ達をゆっくりと、だが確実に焼き殺していく。

「おお!」

 その光景にエクスは感嘆の声を上げる。視線の先ではナメクジ達はウネウネと暴れているが、次第に動かなくなっていく。一度火をかけてしまえば、あの手こずりようが嘘のように感じられた。

 火を噴き終わった魔道具を下ろし、ふう、と一息ついたアルスがトテトテと戻ってくる。

「とりあえずちょびっと休憩しようか」

 まだまだこれからではあるが一旦一区切りついたからか、アルスはそんな提案をする。

「お疲れ、アルス」

 黛が労いの言葉をかける。一方エクスはアルスの持っている魔道具に意識を持って行かれていた。

「いやぁ、すごいですねアルスさん。ところでそれって、炎を自在に操るとかそんな感じのやつなんですか?」

 パチパチと未だナメクジ達を焼き続けている音が耳を通りながら、エクスはアルスの持つ魔道具について尋ねる。

 んぅ、と軽く伸びをしたアルスは、手に持った魔道具をエクスの目の前に持ってきて軽く説明してやる。

「えっとね、ボクの腕じゃそこまで自由自在には操れないけど、ってかボクは火の魔術自体苦手なんだけど、まあ本質的にはその認識で合ってるかな」

 魔道具をエクスから少し離し、軽く振る。するとそれに合わせて僅かに火の粉が舞う。

「これは『火の杖』って言ってね、これ自体が火の属性を司る魔道具なんだ。だから呪文の詠唱とか無しでもあのぐらいの火なら出せるんだよ。まあ、とはいえこういう何かの属性を司る魔道具は周囲のその属性のものに影響を与えたりもするし、同時に影響も受けちゃうから扱いが難しかったりもするんだけどね。例えばこれだと周りの火の火力を強めたりできるけど気を付けないと周りの日から力が逆流して暴走しちゃったりとか」

 へー、と昨日と同じく感心した声を上げるエクス。なんとなくだが、魔法に興味があるというより未知の世界が楽しいのだろう、とアルスは思う。

「じゃあ逆に詠唱やったら失敗するんですか?」

「んっと、呪文が間違ってない限りは失敗しないと思うよ。むしろ逆に、より大火力になるんじゃないかな。呪文無しでも火が出せるってだけで、あった方が効果は大きいだろうね」

 なるほど、と頷くエクスはそこで何か急に閃いたような顔になり、

「アルスさん!思いついたんですけど、呪文が要らないんなら俺にもそれ使えるんじゃないですか?」

 エクスは目を輝かせながら聞いてくるが、アルスの反応は素っ気ない。

「エビセンパイは魔力が無いから無理でしょ」

 アルスの言葉にがっくりと肩を落とすエクス。結構期待していたようだがこればかりは仕方ない。

 その様子を横で見ていた黛も同意するように、

「それって結構便利だから魔法使い以外も使えたらいいんだけどね」

 黛の言葉にエクスははたと顔を向ける。

「黛さんはこれ知ってたんですか」

「まあね、何度かアルスに頼んだことがあったから。料理の火起こしとか、暖炉の焚付に便利なんだよ」

「せっかくの魔道具を何に使わせてんですか」

 なんとも日常的な使用例に呆れた声になる。しかし、

「エビセンパイのイメージとはズレるかもしれないけど、魔法なんてそんなものだよ。御伽噺みたいにさ、魔物と戦うために使ったりする方が圧倒的に少ないって」

 昨日魔物を倒すのに雷魔法をぶっ放した人が……とエクスは思ったが、とりあえず黙っておく。

「そんなもんですか」

「そんなもんだよ」

 まあ昨日のは滅多にないイレギュラーのようなものか、とこの魔法使いが言うんだからそうなんだろうとエクスは納得しておく。

 さてそろそろ再開するか、とエクスが畑に戻ろうとすると、んぐんぐ、と変なアルスの声が聞こえてきた。なんだ?と思って隣に目を向けると、家から持ってきたのか、横で小さな革袋に入っていた水を美味そうに飲んでいるアルスがいた。

「あ、ズル。何一人で飲んでるんですか」

「ん?センパイの分もあるけど」

 そう言って、アルスはもう一つ小さな革袋を取り出した。チャプチャプした革袋を受け取ったエクスは喜び、

「あ、ありがとうございますアルスさん!いやー、さすが気が利くなあ!」

 そこで黛がこそっとアルスに、

「アルス、タダで渡すの?」

「んー……じゃあ銀貨三枚ね」

「ぼったくりじゃねえか!?」

 ケラケラと笑う悪徳商人達はほっといて、エクスは革袋に詰まった水を喉に流し込む…美味い。肉体労働をしたからか、近くで火を焚いているからか。

(ま、両方か)

 そのままごくごくと思わず革袋に詰まった水を全て飲み干しそうになるが、まだこの後もナメクジ退治が続くことを思い出し、途中で喉を潤すのを止めておく。だがまだ飲みたい。もっと潤したい。

(ふむ……)

 なのでご飯をくれる人に頼んでみる。

「アルスさん、足りないんでもっと水ください」

「自分で井戸で汲んでこい」

 ごもっともすぎる。

「じゃ、そろそろ再開しようか」

 そう言うとアルスはエクスをほっといて、一人でスコップを手に畑へと歩いてゆく。それを見て優しさが足りないなどとブツブツ言いながら、エクスは仕方なくそのままナメクジ退治に戻る。

 畑に戻り、適当なナメクジを捕まえる。

「あー重い……っつーか暴れんなよまったく」

 暴れるナメクジをスコップに乗せて運んでくると、穴の中ではまだ火が燃えていた。よくよく覗き込んでみると、さっきまではこれ以上入りそうもなかったのに先程までよりかはスペースが空いている。穴の中にいたナメクジ達はすでに焼け死んでいるようだが、焼かれたせいか、体がいくらか縮んでいるようだ。

「よいしょ、と」

 まだ入るのであればこの穴に入れてしまおうと思い、まだ火の消えていない穴の中へ運んできたナメクジを放り込む。途端にジュウゥッ、と焼ける音と共に、なんとも気持ち悪い匂いが漂ってくる。エクスは顔をしかめ、とっとと次を運んでこようと畑に戻ろうとするとアルスが同じようにナメクジを運んできた。

「あれ、センパイ?その穴もういっぱいになってなかった?」

「ああ、なんか焼けたせいなのかナメクジが縮んでまだもうちょい入る感じになってんですよ。ほら」

 そう言って穴の中を指し示すと、そのまま覗き込んだアルスも「あー確かに」と呟く。

「じゃ、もうちょいここに入れちゃおうか。まだ火も消えてないし」

 そう言うとアルスはスコップに乗せていたナメクジを穴の中に放り込む。放り込まれたナメクジは焼かれて暴れるだけで、逃げる余裕もないようだ。これならさっきみたいに逃げ出す心配もない。

 そしてまた二人で畑に戻る。ちなみにスコップのヌラヌラは早くも慣れてしまった。

「んしょ、っと……ん?」

 アルスが火の消えていない穴の中にナメクジを放り込むと、それをジッと眺めていた黛がなにやらオルゴールをいじっていた。また何か曲を聞かせてくれるのかと思ってアルスが見ていると、なんだか壮大な、けれどもどこか物悲しい曲が流れてきた。そしてそれに合わせて黛が穴のそばで吟遊詩人のように朗々と唄い始める。

「もうやめて!これ以上ナメクジたちを殺さないで!」

「熱いよぉ……助けてぇ……」「嫌だあぁ!死にたくないぃ!」「誰かぁ……誰か助けてくれぇ……」(全て裏声)

「……どうしてナメクジたちは殺されなくちゃいけないんだ……!」

「「いや、やりづらいわ!!」」

 ちょうどナメクジを穴に捨てに来たエクスと一緒にツッこむ。

「雰囲気を出してあげようかと思って」

「なんでナメクジ側の雰囲気なんだよ!」

 相変わらずの無表情でとぼける黛にアルスは当然のクレームを入れる。アルスとエクスが非道な虐殺を行っているかのような雰囲気を出してどうするのか。

「曲をかけるんならもうちょっと別の曲にしてくださいよ」

 なんだか一気に疲れた感じのエクスはそう言うと畑へと戻っていく。それを見てアルスもあとどれくらいかかるのか、うんざりしながらも畑の方へと足を進める。

 畑に入るとエクスがげんなりした顔で畑を眺めていた。

「どうしたの、センパイ?」

「ああ、アルスさん。いや、あとどんぐらいかかるのかなって……」

 どうやらエクスも同じことを考えていたらしい。ざっと畑を見回すと、最初と比べてナメクジの数は目算で、大体四分の一ぐらいが減っている。

「まだまだかかりそうだね……」

 アルスの声は重い。この作業は体力もそうだが駆除対象が対象なだけに、精神力が一番削られるのだ。まあそれでも頑張るしかないのだが。

「よし、黛にも手伝わせよう」

 頑張る以外にも方法はあった。

「さすがアルスさん!いい考えですね!」

 エクスもアルスの考えに即賛成する。

 とりあえず適当なナメクジを穴に捨てるついでに黛をナメクジ地獄に引きずり込もう、と二人で考え、そこら辺でウネウネしていたやつをスコップに乗せて黛を捕まえに行く。

 エクスは歩きながら、スコップは二つしかないし交代制にして一人が休めるようにするか、などと考えていると、さっきまでいたはずの黛の姿が見えなくなっていることに気がついた。

「あれ、黛?」

 同じようにナメクジをスコップに乗せ後ろをついてきたアルスも黛の姿がないことに気づき、辺りをキョロキョロと見回している。

 まあ一旦ナメクジを捨ててから探そうとエクスは考え、だいぶ火の弱くなった穴に近づくと、穴のすぐ近くの地面になにやら文字が書いてあるのが見えた。

「んん、なんだこれ?」

 どさっとナメクジを穴に放り込んでから屈んで見てみると、こんなことが書いてあった。

『なんか手伝わされそうだからそろそろ帰るね   黛』

「逃げやがったな黛さん!」

 思わず辺りを見回すが、当然どちらの方へ逃げたのかなど分からなかった。

「どうしたのさセンパイ?」

 悔しげに唸るエクスを見てアルスが声をかけてくる。

「ああ、アルスさん。見てくださいよコレ」

「んーと、なになに……って、しまった!逃げられた!」

 アルスも慌てて追いかけようとするが、当然エクスと同様に行き先が分からないので悔しげに辺りを見回すだけに留まる。そうして二人して悔しがるなか、エクスはハッとあることを思いついた。

「ったく、しょうがないですね。俺が連れ戻してきます」

 やれやれといった感じでどこへとも分からぬまま歩き出そうとすると、

「ちょっと待て」

「っとと、何ですか急に」

 いきなり服の裾を掴まれ、思わずつんのめりそうになるのをこらえる。そのまま振り向いて、裾を掴んだままのアルスに文句を言う。すると、

「そのままセンパイも逃げる気でしょ」

 大正解である。

 考えを見透かされ、エクスはギクリと一瞬体をこわばらせる。だがすぐに、

「何言ってるんですか!僕がそんなことする人間に見えますか!?」

「だったら目ぇ逸らさずに言ってみろ!」

 思わず目を逸らしたのが災いし、エクスの突発的逃亡計画は未遂に終わった。

「まったくもう……まぁ、黛の奴は元々約束してたわけじゃないし仕方ないか。ほらセンパイ、とっとと続きやるよ」

 軽く溜息をついたアルスはそう言うとさっさと先に畑に戻ってしまった。エクスも足枷をされたかのような足取りでそれに続く。そしてまた作業再開。

 ナメクジを捕まえて運んでくると、一つ目の穴が焼きナメクジでいっぱいになっていたので、さすがに新しい穴を使うことにする。今度は先程までと違って最初に二、三匹放り込んだらとっとと油を撒いて火をかけることにする。あとは火が消えないように少しずつ油を足していきながら捕まえてきたナメクジを放り込む。こうすれば畑に戻っている間でもさっきのように逃げ出されることはないだろう。

 そうして作業再開してからしばらくして、二人合わせて十匹以上を運んだ頃。アルスが光の消えた瞳でまだまだ畑のあちこちにいるナメクジ達を見ながら、ボソッと不穏なことを呟く。

「もういっそ畑に直接火を放つか」

 正気に戻れ。

「ナイスアイデアですね、アルスさん」

 同じく暗い目をしたエクスもアルスの放火案に賛成する。どうやらナメクジ達は精神攻撃にて一矢報いていたようだ。

 フフフ…と二人して奇妙な笑い声をあげていると、アルスの視界の端でなにやらおかしなものが映った。

「?」

 何か赤いものが揺らめいたような……と、思って目をやると、なんと一匹のナメクジが燃えながらも穴から這いずり出てきていた。

「ちょ…ちょっとセンパイ!あれ!」

「なんですか急に……ってうわ!?なんだあいつ!?」

 アルスに腕を引っ張られ、面倒くさそうに振り向いたエクスは火だるまのナメクジを見て、驚いた顔になる。

「いや、どんだけ根性あるんだよアイツ……」

 確かに他のナメクジ達は、火をつけられたらただその場で暴れるだけで逃げる余裕などないのに対し、あの一匹だけは暴れながらもジリジリと穴から遠ざかっている。

 するとそこでアルスはナメクジの進行方向に危険なものがあるのが見えた。油の入った壺だ。そしてそこから少し離れた場所には、畑の雑草を抜き取った後のものだろう、膝丈くらいの枯れ草の山があるのが目に入った。

 思わずアルスの喉が干上がりそうになる。ナメクジの大きさは六十センチに僅かに満たないくらいだ。あの大きさで暴れながら壺にぶつかったら壺が倒れて中身がぶちまけられるかもしれない。そばに枯れ草があるのも合わせて、そうなったら火事になる。確かに畑に放火したいといったが、誰が本当に火を放てと言った。燃やしたいだけだ、焼き払いたいわけじゃない。

「ちょ、アルスさん!ヤバくないですかあれ!」

 エクスも気付いたのだろう、慌ててアルスの腕を引っ張る。ナメクジは暴れながら進んでいるため速度は遅いが、確実に油の入った壺、そしてそばの枯れ草に向かって進んでいる。

「とりあえず穴に戻しましょう!」

 言うか早いかエクスはとっとと駆け出す。一瞬遅れてアルスも慌ててそのあとを追う。先に着いたのは当然エクスだった。手に持ったスコップでなんとかしようとしているが、ただでさえ大きなナメクジが火を纏って暴れているのだ、なかなか苦戦している。

「ああもう……というかなんで死なないんだコイツは!」

 体が大きいせいか、生命力も強いようだ。そこに少し遅れてアルスが走ってくる。

「よしアルスさん!魔法で何とかしてください!なんかこう、フワァと浮かせて穴に戻す的な感じで!」

「無茶言うな!」

 そんなことが出来れば最初からやっているだろう。

 そうしていると放火魔特攻ナメクジは進むのを止めてとにかく暴れ始めた。すると火のついた粘液か何かがあたりに飛び散る。傍目には大きな火の粉が舞っているようだ。

「うわアツっ!?」

 そうして二人が怯んだ隙にまたジリジリと進み始める。進行方向といい恐らく偶然なのだろうが、なんだか知能があるように見えるナメクジだ。

「ほら!アルスさんが畑に火を放つなんて言うからコイツやる気出しちゃってますよ!」

「ボクのせいかよ!センパイだって賛成してたじゃん!」

 一方こちらはあまり賢くないようだ。

 二人はスコップを片手に悪戦苦闘する。とりあえずある程度時間を稼げば焼け死ぬかと思ったが、なかなかにしぶとい。

「アルスさん。俺がナメクジの相手しときますから、その隙に壺と枯れ草どかしといてください!」

「分かった!」

 ようは危険物と触れさせなければいいのだ。そう判断したエクスは咄嗟に指示を出しナメクジと相対する。だがそこで、

「あれ…?」

 燃え盛るナメクジはすでに動かなくなっていた。唯一穴から抜け出してきたド根性ナメクジとはいえ、さすがに限界だったようだ。ただ燃えているだけとなったナメクジは、もはや火を焚くための薪と化している。

「はぁ…焦らせんなよもう……」

 壺を抱えたアルスが疲れたようにため息をつく。エクスもスコップを地面に立てて、どっかりとその場に座り込む。二人とも精神的疲労が大きいのが見てとれた。

「……とりあえず、一旦休憩しませんか……」

 エクスの言葉にアルスは無言で頷き、そのまま近くの切り株に腰を下ろすのだった。

 

 

 

「とりあえず残りのナメクジはボクが片付けるよ」

 エクスがそう言われたのは二度目の休憩が終わってしばらくした頃だった。

「え、でもまだ二十匹くらい残ってますけど」

 袖で額の汗を拭いながら答える。あれから二人で黙々と頑張った結果大分少なくなったとはいえ、ざっと見渡せばまだそこそこの数がそこかしこで畑を荒らしていた。一人で片付けるには少々多くないだろうか。

「うん、だからそれはボクが片付けるよ。代わりに先輩には畑の周りに溝を掘ってもらおうと思って」

 喉の渇きを覚えたアルスは、まだ少し中身を残しておいた水入りの革袋を片手に新たな仕事を頼む。アルスもそこそこ汗をかいているため、水分補給は欠かせない。

「溝?そんなもの掘ってどうするんですか?」

 アルスからもらった水はあと一口ほどしか残っていないエクスは、それを羨ましそうに眺めながら疑問をぶつける。

「えーっと、ここに来る途中の話は覚えてるよね?」

 アルスの質問にエクスはわずかに顔を曇らせる。それを見たアルスは慌てて、

「あ、違う違う!蒸し返したいんじゃなくて、その、本当にいざって時しか魔法使いには頼まないって話のことだよ!」

 アルスがブンブンと手を手を振って否定するのを見たエクスはほっとした表情になり、ついでに記憶を辿ってみる。

「確かにそんなこと言ってましたね。自分たちで出来ることは魔法使いに頼らないで、自分たちで何とかするみたいな…それがどうかしたんですか?」

 話がよく分かっていないエクスのきょとんとした顔に、アルスはどこか子供を見るような目になる。

「なら、この仕事おかしいと思わない?確かに大変だけど魔法使いじゃなくてもできることじゃん」

「あ」

 矛盾を指摘されたエクスは、言われてみれば、という顔になる。なかなかにキツイ作業だったため違和感を覚えなかったが、確かにこのナメクジ退治は魔法使いでなくても出来ることだ。というか、今日はアルスが魔法を使ってるのは『火の杖』ぐらいしか見てない。その魔法だって他のものでいくらでも代用できるものだ。魔法使いしか火を扱えないわけではないのだし。

「え、じゃあいったいどういうことなんですか?」

 ひょっとして依頼人に何か騙されているのか、それとも単に自分の考えが浅いのか。考えてもよく分からなかったため、ここは素直に目の前の魔法使いに尋ねてみる。

「実はさ、この畑がナメクジに荒らされるのは三度目なんだって」

「え、そうなんですか?じゃあ一回目と二回目はどう……って、ああ。そういうことか!」

 喋っている途中で急に何か得心がいったような顔をするエクスに、目前の魔法使いは満足そうに頷く。

「うん。一回目と二回目は依頼人自身が同じ方法で退治したらしいんだけどさぁ、それでもどこからともなく新しくやって来て、それでこれは手に負えないなってなったんだって」

「それで魔法使いのアルスさんに依頼が来たと。じゃあ溝ってのは何か魔法的なことに必要なことなんですか?」

 アルスの言葉からここからは『魔法使いとしての仕事』だと察したエクスは興味津々で質問を重ねる。

「ま、そういうことだね。溝を掘るのはなんていうか、下準備みたいなものかな。そんなわけだからよろしくね。あ、こんぐらいの幅と深さでお願い」

 そう言うとアルスは手に持ったスコップで、目の前の地面に見本となる穴を掘ってみせる。それを確認し、エクスは一つ頷くと畑の外へと向かった。

「さて、じゃあ残りも頑張るか」

 一人残ったアルスはそう呟くと、スコップを片手に残りのナメクジへと向かうのだった。

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