「あー……やっと終わったぁ!」
それからしばらく。話し相手もいなくなったので一人で黙々とナメクジを運び続けた結果、一時間以上かかってようやく畑からナメクジの姿が消えた。
「ぅうあぁー……つ、かれ……たぁ……」
スコップを適当にそこらへんに放り出し、畑の中に置いてあった休憩用だろう小さな椅子に腰掛ける。そうやって一息ついた途端、今まで自覚していなかった部分が襲いかかってきた。具体的には腕や肩は妙にプルプルしているし、下半身は若干痺れているような気がする。
「これ絶対明日筋肉痛だよ……」
自分で腕や足を揉みながら明日に襲ってくるであろう全身の痛みを想像し、今から陰鬱な気分になる。とりあえず今日は手製の湿布を貼っておこう。
こういう時は薬草などに詳しい魔法使いは便利だよな、とぼんやり考えながら畑の外に目を向けると、エクスが言われた通り頑張って溝を掘っていた。あれから一時間以上経つが、完成具合はようやく半分といったところだ。この様子ではまだしばらくかかりそうだ。
ナメクジよりも苦労している様を眺め、やはり溝堀はセンパイにやらせて正解だったな、とアルスは一人で頷く。
「そもそもボクは肉体労働が向いてないんだよなぁ」
その点エクスは無駄に体力ありそうだし適任だろうと考える。実際身体能力はアルスよりも上なのだし。
「さて、と。それじゃ待ってる間に準備をしておくかな」
魔法使いは一人呟くと、置いてある荷物の方へ歩き出した。
「終わっ、た……やっと……」
「お疲れー」
それからさらに一時間程たった頃、見るからに疲労困憊なエクスがアルスの下へと作業が完了したことを告げにやってきた。
「はいセンパイ、お水。新しく汲んできといたから」
「あっ、やった!ありがとうございますアルスさん!さすが!」
準備をしてなお余った時間で汲んできておいた水を手渡すと、嬉しそうにさっそくゴクゴクと飲み始める。ついでに汗を拭うためのタオルを渡してやる。
「はー……水が美味い。えっと、それでアルスさん、このあとはどうするんですか?」
喉の渇きを癒し、一息ついたエクスは改めてアルスに向き直る。
「ん、これからナメクジが畑に入ってこられないように結界を貼ろうかと思って」
「え、結界ですか!?」
結界と聞いて、疲れきっていたエクスの目が一気に興味津々なものになる。
「じゃないとまたナメクジがどっからかやってくるでしょ」
そう言うとアルスは、んしょ、と自分の荷物を背負い歩き出す。あの荷物の中に結界を張る道具が入っているのだろうか、などと考えながらエクスはそのあとを追う。
「まずはさ、これをセンパイが掘ってくれた溝にバラまく、と」
アルスが背負った荷物から取り出したのは、昨日二人で川原に取りに行った水の魔石だった。布に巻かれているが水が滲み出るという特性があるためか、巻かれた布はかなり水を吸っている。
「バラまいたらどうなるんですか?」
「それだけじゃどうにもならないよ。そのあとにえーっと……どこだ……」
アルスは水の魔石を一旦エクスに預け、荷物をゴソゴソと漁る。
「これを溝に入れて、そして最後にこれを畑の真ん中に埋めて完成」
そう言って魔法使いが取り出したのは、昨日見せてもらった魔法文字が書かれた二種類の木札だった。片方は魔法文字が書かれただけのもの、もう片方はなにやら魔法陣らしきものが描かれている。
「これで結界が張れるんですか!」
へー、と興味深そうな声を上げながらエクスは二枚の木札を眺める。わくわくしたような顔を見せるところがどことなく子供っぽさを感じさせる。
しばし木札に目を奪われていたエクスだが、ふと何か疑問を覚えたような顔になり、
「あれ?でも魔法で結界が張れるなら、この水の魔石は何に使うんですか?魔力の燃料的なやつとか?」
アルスが一旦預けた水の魔石を軽く振ってみせるエクスに、魔法使いはフフン、となんだか得意気になる。
「ちょっと川を創ろうと思ってね」
「川、ですか?」
不思議なことを言い出したアルスにエクスは首を傾げてみせる。川を作っていったいどうしようというのか。
「川を作るって、水を汲んできて流し込むんですか?どれだけかかるか分かんないんだけど」
「や、違う違う。川を創るっていうのは魔法的な川を創るってことだよ」
教えることが楽しいのか、こういう説明の時はなんだか上機嫌になるアルスは溝に向かって歩きながら講義を始める。
「魔法的なってことはアルスさんのその本と同じ感じ?」
今日も腰につけたポーチに入っている『アルスの森』を指差して質問を重ねる。アルスはその分厚い本をポン、と叩き、
「そうだね。これの川版だと思えばいいかな」
そうしてる間にエクスが掘った溝の所に着く。
アルスはまず溝に沿って歩き始めた。時々水の魔石を溝の中に投げ込んでいる。エクスがよくよく観察してみれば、ある程度等間隔になるように投げ込んでいるようだ。
「センパイはさ、吸血鬼が川を渡れないって話は知ってる?」
溝に沿って歩くアルスの後ろをついていくエクスに、唐突な質問が投げかけられた。
「吸血鬼が……?いや、聞いたことないなぁ。どういう話なんですか、それ?」
アルスの質問に腕を組んでしばし頭の中を駆け回ってみたが、結局答えは見つけられなかった。腕組みを解いたエクスは素直に目の前の黒いフードの魔法使いに質問する。
「まあ諸説あるんだけどさ。川の流れが罪や邪なものを押し流すからだとか、あとは吸血鬼が恐水病と混同されたりしてるせいもあるかな」
ある程度歩いたところで振り返り、前に投げ入れた魔石との距離を測ってから再び溝の中へ魔石を投げ入れる。
「そして川はある種の境界であるから、というもの」
「ある種の境界?」
「そう。川っていうのは神話や伝承によってはあの世とこの世を分け隔てる境目だったりするし、大きな川なんかだとそのまま川が国境になってたりするからね」
説明をしながら歩くアルスはなんだか生き生きとしている。一方で掘り起こされたばかりの土の香りのせいか、エクスはなんとなく気分が落ち着くのを感じた。
「他には民間伝承なんかだと、特定の時間だとかの一定の条件を満たした上で川を渡ったたら妖精の国にたどり着く、とかいうのもあるし、特定の日時にのみ川の向こうが異界に繋がるってのもあるんだよ。満月の晩になるとトロールが川を渡ってきて〜とかいうやつ。でも普段は向こう岸には何にもない、みたいな」
アルスの説明を聞きながら記憶を探れば、確かにその手の御伽噺はいくつも聞いたことがあった。川というのは小川でもない限り危険なため、子供がむやみに近づかないようにするためのものかと思っていたが、中には本物もあるのだろう。
「もしかしてその境界をそのまま結界にしたり、とか?」
「正解。そういうこと」
エクスが説明を受けている間に、用意していた水の魔石は全て溝に投げ込まれたようだ。アルスは再び荷物をゴソゴソとやると、先程エクスに見せた魔法文字だけが書かれている方の木札を取り出す。だが数が多い。十枚や二十枚ではきかなそうだ。
「随分たくさんありますね」
「ん、これにはそれぞれ色んな魚の名前や水草とか、あとは川虫の名前を魔法文字で書いた物だからね。どうしても数は多くなるんだよ。はい、これ」
喋りながらアルスは、適当な感じで半分ほどを渡してくる。エクスはとりあえずそれを受け取るが、さてどうすればいいのだろう、と魔法使いの目を見る。
「水の魔石をだいたい一定の間隔で入れたから、これで土台は完成。あとは適当にこれを溝の中にばらまけば簡易的ではあるけど『川』が完成するから。あんまムラがないように手分けしてやろ」
「あっ、はい。分かりました」
木札をエクスに渡すとアルスはそのまままた溝に沿って歩き始めた。
受け取った木札の束をしげしげと眺めながらエクスは、とりあえずアルスとは逆方向に溝に沿って歩き出す。
そのまま歩きながら言われた通り、溝の中に適当に木札を投げ込んでいく。足を進めるにつれて少しずつ手の中の木札が減っていくが、魔法使いではないエクスには変化が起こっているかどうかすら分からない。事情を知らなければ子供じみた変なオマジナイをやっているようにしか見えないな、と僅かな優越感を覚えながらさらに木札を投げ入れていく。
そのまま溝の隣を進んでいると三分の二程歩いた辺りでアルスと合流した。半分でないのはエクスの方が歩くスピードが少し早いからだろう。
「あれ、まだ残ってるの?」
アルスはエクスが手に未だ木札が残ってるのを見て不思議そうな顔をする。実のところエクスは特に何も考えず適当に投げ入れてただけなので、残りが何枚かも把握していなかった。だがそういうアルスも木札を手にしているのにエクスは気が付く。
「アルスさんも残ってるじゃん」
「ボクはちょうど半分でなくなるように調整してたからだよ」
そこでアルスはんんー、と何かを考え、
「じゃあセンパイ。センパイの残りの分もボクがやっとくから、センパイは依頼人を呼んできてくれない?」
「え、手伝いはもういいんですか?」
「まあ、あとはこれをばら撒いて畑の真ん中に魔法陣の木札を埋めるだけだし」
そう言うとアルスは、荷物の中から魔法陣の木札を取り出してみせる。どうやらこれが魔法的な『川』を結界に変える物のようだ。
アルスの言葉を受けたエクスはしかし、何やら不満そうな顔にまる。
「んー、でも結界が完成するとこ見たいんだけどなあ」
だがアルスはきょとんとした顔で、
「え?でも魔法使いだったらともかく、センパイが眺めてても見た目にはなんもないよ?」
「ええ?マジですかそれ?うっわ、期待して損したな」
期待を打ち砕かれたエクスは、途端に残念そうな顔になりがっかりしたようにボヤく。
「勝手に期待しといて何だその言い草は」
まったく!と呆れ半分のアルスは子供を叱るようにエクスをペシペシとやる。だが身長差のせいで叩いてる場所がエクスの肩のあたりなため、傍目には子供が駄々をこねているように見えてしまう。
ひとしきりペシペシやると満足したのか、エクスの顔を見上げ、
「じゃあとにかくお願いね」
「ま、しょうがないか。じゃあこれお願いします」
エクスは残りの木札をアルスに渡すと、んんーっ、と一つ伸びをしてから依頼人の家に向かって歩き出そうとする。だがそこでエクスの脳裏に一つの考えが浮かんだ。
「待てよ……このまま依頼人の下へ俺が報告しに行くってことは、俺がそのまま報酬を全て受け取ることも可能なんじゃ……?」
彼はどこに良心を置き忘れてきたのだろう。
「ねえセンパイ。なんか良からぬこと考えてない?」
「え?何がですか?」
背中に投げかけられた言葉に曇りなき眼で返す。
「なんか報酬横取りするみたいなこと聞こえたんだけど?」
「幻聴ですね。疲れてるんですよアルスさん」
こっちは欲望に憑かれてる。
「頭から水ぶっかけて雷魔法ぶっ放されるのと、顔面に火の杖やられるのどっちがいい?」
「すみませんでしたぁっ!」
アルスの処刑選択に腰を九十度折っての見事な謝罪。この間僅か一秒である。
「いや違うんですよ、つい魔が差したっていうか、そういうことも出来るよなーってだけで、実際にやろうとしたわけじゃくてですね」
エクスの弁明にアルスはため息を一つ。
「ほら、もういいから呼んできてよ」
「あ、はい。分かりました」
アルスに促され、エクスは今度こそ依頼人のもとへ歩き出した。
「すいませーん。ナメクジの駆除、終わったんですけどー」
コンコン、と一般的な田舎の農家といった感じの家の扉をエクスは軽く叩く。
すると奥から男性の声がし、少し待つとドタドタという足音がしたかと思うとギィ、と扉が開けられた。
「ああ、終わったかご苦労さん……って一人か?肝心の魔法使いはどうしたんだ?」
中から出てきたのは日焼けをし、がっしりした体格のいかにも農夫といった風貌の中年男性だった。彼は家の扉の前に立っていたのがエクス一人であることに訝しげな顔になり、アルスの姿を探すように辺りをキョロキョロと見回す。
「えっと、アルスさんは今最後の仕上げにですね、ナメクジが畑に入ってこないよう結界を張っていて、それでその間に呼んでくるよう言われたんです。あ、畑にいたナメクジは全部片づけときましたんで」
それまでどことなくうさんくさそうな顔をしていた男性は、畑のナメクジを全て片付けたと聞いてパッと顔を明るくする。
「おお、そうかそうか!いやアイツらには散々悩まされていてなあ。おかげで助かったよ!」
余程困らされていたのだろう、途端に破顔した男性は朗らかに感謝の意を述べる。
「それで俺はこのまま畑に行けばいいのか?」
「はい、アルスさんはそう言ってました」
分かった、と呟いた男性は少し待っててくれと言い残し、一度奥に引っ込む。
何か準備でもあるのだろうと考えたエクスは、言われた通り玄関先で待つ。手持ち無沙汰な彼がのんびりと辺りを見回すと、灰色雲が旅立った空が赤くなり始めていた。
なんだもうそんなに時間が経っていたのか、と思ったら、途端に体に重しをつけたような錯覚がやってきた。体力には自信がある方だが、それでもやはり今日はなかなかに疲れたようだ。
少しだけ涼しいような、僅かに生温いような、なんとも微妙な風に体を撫でられながらぼんやりそんなことを考えていると、エクスの人より鋭敏な耳に、家の奥から何やらヒソヒソと話し声が聞こえてきた。特に耳をそば立てることもしないが、かといって耳を塞ぐこともなく、家の奥からの話し声はぼんやりとしたエクスの耳の中をするりと通り過ぎようとする。
「ねえあんた。本当にあの魔女にそんなに払うのかい?」
「今更何言ってんだ。依頼をしたのはこっちなんだし、値切ったりしたら何をされるか」
「でもねえ……」
「さっき聞いた話じゃ、あの魔女はなんでも畑にナメクジが入ってこないよう結界を張ってるらしいぞ。それ自体は助かるけどよ、そんな訳の分からん不気味な力、こっちに向けられてみろ。どうなっちまうか分かったもんじゃないぞ」
「まあそりゃそうかもだけど……そもそもそのナメクジだってあの魔女が集めたんじゃないかい、あたしらから巻き上げるためにさ。なんだかよく分かんないけどナメクジが入ってこられないように出来るんなら、逆に呼び寄せることだって出来そうなもんだけどね」
「そんなこと言ったって始まんねえだろうが。野良犬にでも噛まれたと思えばいいんだよ」
「野良犬に噛まれたにしちゃ随分高い治療費だけどね。まるでぼったくりだよ」
聞こえてきた言葉になんとも不快な気分が胸の内に蟠るが、小さな舌打ち一つで抑える。
そうやっている間に、依頼の報酬が入っているのだろう袋を抱えた男が戻ってきた。
「すまないな、待たせちまって」
「いえ。大丈夫です」
どうにも苛々したものの声色に出すことなく普段通りに会話ができた。だというのに男はエクスを見て何故だか顔が青くなる。どうやら声は誤魔化せても表情に出てしまったようだ。いっそ開き直って取り繕わないでおくか。内側でジリジリと炙られる心に従って、エクスは聞こえていたことを無言で語る。
男は何か言い訳を探すかのように視線を少し彷徨わせたあと、妙に明るい口調で話し始めた。
「いやはや。それにしても大変だったろう、あのナメクジどもを相手にするのは。俺も随分苦労させられてなあ」
はっはっはっ、と作り物のように笑う男にエクスはそうですね、と素っ気無く返す。どうせ相手も分かっているのだ。彼女の諦めを理解は出来ても共感しきれていない以上、ここで『大人の対応』に逃げたくはない。別段争うつもりもないが、気分を害したということ自体は言外に伝えてもいいだろう。そう考えるうちにエクスの表情は無意識のうちにほんの僅かに憮然としたものになる。
エクスの態度や表情を見て男は色々と察したのか、一瞬だけ判決を待つ囚人のような顔をしたが、今度は媚びたような笑顔で馴れ馴れしい調子で話しかけてきた。
「あー……なんていうか、さっきの聞こえてしまってたか?いやあ、すまんなあ。ウチの嫁はどうにも疑り深いタチでな、いっつもあんな感じなんだよ。かといって下手に否定しようもんなら癇癪を起こすしな。俺も嫁にゃ正直困ってるんだよ。ま、女の言うことなんかああやって適当に聞き流してりゃいいんだけどよ。お前も男なら分かるだろ?な?」
分かってたまるか。なんとか心の中で呟くだけに留める。なんとか誤魔化そうとする男の言葉は、まるで逆効果にしかなっていない。
それにあれのどこが聞き流していたんだ、と心の中で唸りながら、饒舌なくせにどこか乾いた男の言葉に無理矢理耳を傾ける。
「そもそも俺らから巻き上げるってのがおかしいよな。どこも似たり寄ったりとは言え、ウチよりもうちっと裕福な家も少しはあるのによ。騙すならそっちを狙うだろうに、ウチの嫁ときたら短絡的っつーかなんつーか。ホント参るぜ、なあ」
「そうですか」
人間性を信用してるわけじゃないんですね。思わず、そう言いそうになるのを慌てて飲み込む。
いったいどう返すのが正解なのか。自分のこれが子供じみた意地だと分かっていても、大人の対応に逃げたくないと思ってしまう。けれどアルスの立場を考えると、真っ向から本気で喧嘩するわけにもいかない。行き場のない感情が、澱んだ水のようにグルリ、グルリと濁っていく。
エクスが黙りこくったからか、それともその態度のせいか、男は焦った様子で言葉を投げつけてくる。
「いや、まあ、悪かったって。うん、俺らが悪かった。だからそんな怖え顔しないでくれよ」
その様子を見てエクスは不機嫌ながらも、何か違和感を感じた。これは気まずいだとかばつが悪いだとかそういうのじゃない。これは……
(怯えてる……?)
そんなに恐ろしい顔をしていたのだろうか。そう思ったエクスは努めて表情を消してみた。腹は立っているが、何も別に恐怖を味わってほしいわけではない。
だがそんなエクスを見た男はますます焦った顔になり、
「なあ頼むよ。なんなら報酬にはもうちょい色つけるからさ、あのまじ…魔法使いには黙っててくれよ。俺にゃまだ今年で九つのガキがいるんだよ……」
大の大人が、媚びるを通り越していっそ情けない声で懇願し始めた。それを見たエクスはようやく彼が何に恐怖しているのかを察した。
思い返せばさっきの会話もそうだ。怒りもあってか、なんだか小馬鹿にしているように聞こえたが、不気味な力だの、こっちに向けられたらたまらないだの、根底にあるのは侮蔑ではなく恐怖だったように思う。表面上は馬鹿にした感じの言い方は、ひょっとしたらそれは精一杯の強がりだったのかもしれない。
半ば祈るような体制で頭を下げようとし始めた男性を、さすがに哀れに感じてしまったエクスは右手を突き出して止める。
「別にそんなこといちいち告げ口したりしませんよ。所帯を持つと色々大変ですもんね」
先程の男性と同じかそれ以上に白々しい作り笑いを浮かべるが、男性は心底ほっとした顔になる。まるで森の中で出会った狼が、気まぐれで見逃してくれたかのような安堵だ。
それを見ながらエクスは心のどこかで、あの諦観に納得を感じていた。
これは確かに難しいだろう。
なにせ侮蔑ではなく、恐怖なのだ。
恐怖というものはそう簡単に拭えるものではない。例え表面上は親しく出来ても、心の奥底に染み付いたそれは消えない。
結局エクスは、どこか楽観視していたのかもしれない。村の連中が彼女のことをよく知れば少しずつでもなんとかなるだろうと。だが『彼女をより知る』というのは逆効果にしかならないのだ。
エクスは彼女があんなにもすごいのに、あのような扱いなのは納得がいかないと思っていた。逆だ。彼女はすごいからあのような扱いを受けているのだ。
魔法使いがすごいということははっきりとした理屈が分からなくても、皆なんとなく分かっている。だからこそ遠ざけ、そして自分達のしょうもないプライドや見せかけの正当性のために、表面上は馬鹿にしてみたり差別したりする。
自分たちよりも優れた者に対する恐怖。そこにさらに嫉妬などが混ざり込む。
エクスはアルスに出会ってひと月も経ってないが、彼女がなんだかんだ言って優しいことを知っている。村の連中は魔法使いに対する偏見のせいでそれを知らないから、というのもあの扱いの一因なのでは、とエクスは考えていた。
だが違うのだ。
例えるなら、未知の猛毒を塗った剣を常に持ち歩いているようなものだろう。そんな人間が身近にいたら必ず警戒する。もし関わるうちに、優しく善良な人間であると分かっても、自分たちにはその毒に濡れた刃が向かないであろうと分かっていても、不安は決して拭えないだろう。そしてその毒はどういうものなのか、どこで手に入れたのか、どうすれば助かるのか、自分たちには理解できない。根底にあるのはそんな不安と恐怖だ。
彼女の人間性など関係ない。魔法使いというだけで恐ろしい。彼女が魔法使いとして優秀であればあるほど、余計に。
そして人間というのは集団になると増長する。
一対一では恐ろしい相手でも、集団になれば何故か強気に出れる。そこになんの根拠もなくても。もちろんそうでない人間もいるが、集団には同調圧力というものがある。それを振り切って『賢い判断』ができる者はどれだけいるのだろう。
本来の力関係を見せつけてやればそんなまやかしなど簡単に消し飛ぶだろうが、彼女にそれが出来るとは思えない。
そして集団から離れれば、本来の力関係を見せつけなくても集団が与えていたそんなまやかしはあっという間に消え去る。目の前にいるこの男性のように。
まるで昨日聞いた『便利なトロール』に出てきた居もしない怪物に怯える人々のようだ、とエクスは思う。自分で考えることを放棄しているあたりが、特に。
「えーと、だな……じゃあ、とりあえずそろそろ行くか」
そんなことを考えていたエクスの思考を、男性の言葉が引き戻した。先ほどのエクスの言葉で男性も安心したはずだが、それでも男性の声はまだどこか硬さが残っていた。
そういえば畑に戻らなければいけないんだっけ、とエクスは少々強引に頭を切り替える。
「そうですね。あんまり待たせちゃ悪いですし」
エクスは軽く首肯すると、二歩ばかりどいて男性が玄関から出てくるのを待った。だが何故か男性は再び『ちょっと待っててくれ』と言い残すと、先程とは別の部屋に引っ込む。
「?」
何か忘れ物でもあったのだろうか、とエクスは男性が引っ込んだ部屋の扉を見つめる。すると男性は、今度はすぐに戻ってきた。
「悪いな、何度も」
「いえ、別に」
戻ってきた男性はさっきまでとは別の小さな袋を持っていた。
「それでな、ついでに一つ牛の餌やりも頼みたいんだよ」
「牛の餌やり、ですか?まあそれは構わないんですけど」
エクスが引き受けるのを聞いてどこかほっとした表情をみせた男性は、持っていた小さな袋をグイっと押し付けるようにエクスに渡し、
「じゃあこいつはその分のお礼な。家畜小屋はちょいと壊れてて今は畑に行く途中にある物置が仮の家畜小屋になってるからよ、ついてくりゃ分かる……ああ、あと柵が壊れちまってるから、くれぐれも牛を外に出さないようにな」
男性はそう言うとエクスの脇を通り過ぎ、そのまま畑の方へと歩き出した。そしてどこか呆れたような冷めた表情のエクスは、ため息を一つつくと距離が空いた男性の後を歩き始めた。
「地味に面倒くさいな、これ」
家畜小屋の中で干し草用のフォークを片手に、エクスは牛たちを見ながらぼやいていた。
なにせそこそこの数の牛が好き勝手に小屋の中を歩き回っているのだ。こんな状態での餌やりは色々と手間だ。
具体的にはどの牛が餌を食べたかきちんと把握し、既に食べた牛が食べ過ぎないように、まだ食べてない牛が他の牛に横取りされないように気をつけて、全ての牛に適度に餌が行き渡るようにしなければならない。
「あー……もっと効率よく出来るようにしてくんないかなマジで。一頭ずつ個別にするとかさ」
とっくに食い終わったくせに、まだの牛のご飯を横取りしに来た牛を追い払いつつ、牛しか聞いていない愚痴をエクスは一人こぼす。けれどまああのナメクジどもに比べたらマシか、とエクスは気分を切り替え、牛たちへの餌やりに励む。
「ほら、お前はもう食っただろ……っておい!お前も!他人の横取りしようとするんじゃない…まったく、なんて食い意地が張ってるんだ」
言うことを聞かない牛たちに悪戦苦闘しながら餌を配る。牛たちはほとんどが食い意地が張っていて、おかげで作業がなかなか進まない。だがそれでも少しずつ配っているうちに、なんとか頼まれた仕事を完了させる。
「終わったー!えっと確か報告しなくていいっつってたし、あとはアルスさんと合流するだけか」
このあとのことを確認し、んー、と大きく伸びをして体をほぐす。首のあたりの骨がパキパキ響くのが心地いい。
「さて、と……あれ?」
さて行くか、とエクスは家畜小屋を出ていこうと人間用の扉に手をかけるが、そこで妙な声を出す。戸が開かないのだ。
「ええ?ちょ、閉じ込められたんだけど?」
ガタガタと扉を揺するが、どこか引っかかってしまったのか、いっこうに開く様子はない。
「いや、開かねえし!どうすりゃいいんだよこれ!」
焦った声を上げ、どうにか開けようと力いっぱい引っ張ってみたり、蹴飛ばしてみたりするが扉は応えてくれない。そのまましばらく頑張ってみたが、どうにも開く気配がない。
だがそこで、
「あっ、そっか。こっちから出ればいいのか」
今まで開けようと頑張っていた人用の扉から離れ、牛用の出入り口へと目を向ける。さすがにあっちも開かないということはないだろう。エクスは牛用の出入り口に向かって、牛たちの間を通り抜け歩く。途中牛たちがバカを見るような目を向けてきたのはきっと気のせいに決まっている。
「あー、焦ったわ、マジで。この小屋建て直したほうがいいんじゃないか、まったく」
小屋への文句をブチブチ言いながらギィと扉に手をかける。だがその瞬間、
「いった!?って、あああああぁぁぁぁ!!」
エクスが牛用の出入り口を開けた途端、牛たちがエクスを無理矢理押しのけ、外に出てしまった。
「マズイ!マズイ!やめろ!やだやだ!逃げ出さないで!逃げ出さないで!やだ!やだ!」
慌てて牛を小屋の中へ押し戻そうとするが、人の力で牛に敵うはずもなくあっけなく突き飛ばされる。
「ダメ!ダメ!帰って!帰って!帰って!お願いだから!お願い帰って!やだ!やだ!やだやだ!やだ!帰って!帰って!お願い絶対に…ああああぁぁぁ!」
それでも諦めず自由を求める牛たちに向かっていくが結果は変わらず。とりあえずこれ以上逃げ出さないよう扉を閉めるが、その間に既に逃げ出した二頭の牛は壊れた柵からどこかへ行ってしまった。
「マズイ……外に放出してしまった……」
思い思いの方向へバラバラに逃げ出した牛たちを見ながら呆然と呟く。
「終わったなぁこれは…完全に終わったなぁ……」
追いかけて捕まえるべきなのだが、追いかけたところで飼い主でもないエクスの言うことなど聞くはずもない。どうやって連れ戻すのかも分からないままエクスは乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
「いやはや、おかげさまで本当に助かりました!」
結界を張り終えたアルスは、畑にて依頼人の男性からお礼とともに報酬を受け取っていた。少し前に畑で待っていた時に、呼びに行かせたエクスの姿が見えず依頼人しか来なかったのは少し疑問に思ったが、聞けばエクスは牛の餌やりを頼まれたらしい。
(うーん……たかが餌やりとは言えセンパイだしなあ……何かやらかさなきゃいいけど……)
受け取った報酬の袋をしっかりと抱え直しながら、この場にはいない青年を心配していると、依頼人がニコニコと話しかけてきた。
「それにしてもすげえですね。畑からナメクジを片付けるどころか寄せ付けねえようにしてくれるとは。さすが魔法使い様だ!」
「あ、ありがとうございます…その、畑からナメクジを駆除しただけじゃ、えっと、根本的な解決にはならないと思って……多分これで大丈夫だと思うんですけど……」
どうにもやりづらい。アルスはモゴモゴと喋りながらそんなことを思う。
その原因は依頼人の態度の変化だ。何故か依頼を受ける前はどこか冷たく、表面的には小馬鹿にされてるようなところまであったが、畑にやってきた依頼人は妙に気さくになったというか、いっそ媚びるような雰囲気すら感じさせるのだ。
とはいえもともとの態度が態度なため、さすが魔法使い、などと持ち上げられても白々しく感じる。そもそも魔法使いだからあんな態度を取っていたのだろうに。
(エビセンパイが何かやったとか……?いや、でもセンパイもそこまで無鉄砲じゃないだろうし。うーん……)
依頼人の変わりように気味悪さを感じながらその原因を考えるが、いまいち思いつかない。一瞬だけエクスが頭をよぎったが、彼は説明すればきちんと理解する人間のようだし、その可能性は低いだろうと思う。
「それじゃ俺はこれで失礼させてもらいますんで。ありがとうございました」
「あ、はい。また何かあったら話を聞きますので」
少々考え事の方に意識を集中させていたせいで依頼人が意識の外にいたアルスは、声をかけられ慌てて挨拶をしておく。
そこでアルスはふと一つ聞いておくことを思い出す。
「あ、すいません」
「ん?なんでしょう?」
アルスに呼び止められた依頼人は振り向いた一瞬は面倒くさそうな顔をしたが、アルスに向き合った瞬間には貼り付けたような愛想のいい笑顔になっていた。
「あの、牛の餌やりを頼んだって言ってましたけど、その小屋ってどの辺ですか?」
途端、愛想のいい笑顔に嫌そうな感情が混じる。本人は変わらずのつもりなのだろうが、貼り付けたような感じも相まってなんとも気味が悪い。
その様子を見て、自分は何かマズイことでも聞いたのだろうか、とアルスは一瞬考えるが特に思い当たることはない。なにせエクスが餌やりに行った牛小屋の場所を聞いただけなのだ。
アルスがそんなことを考えていると依頼人は言い淀むように、
「あー……そういやアイツは餌やりが終わったらそのまま帰るそうですよ」
「え、そうなんですか?」
「ええ、確かそう言ってたはずです、多分。しかしさすが魔法使いですね。その若さで助手までいるなんざ」
「へ?」
見当違いな依頼人のおべっかにアルスは思わず間の抜けたこえを出す。
「いや、そんなもんじゃないですよ。知り合ったのもついこないだですし。今日の手伝いだって、昨日たまたま会ったから頼んだだけです」
「え、そうなんですか?わざわざ手伝うくらいだから俺ぁてっきり助手かなんかだと。そうか、まだ知り合ったばっかりか」
男は何故かほっとしたような、一安心という顔になる。
「そんじゃ、今度こそ失礼しますんで」
「はい、お疲れ様でした」
軽くお辞儀をして去っていく依頼人を眺めながら、アルスは彼がある程度離れたところでポツリと呟く。
「エビセンパイが報酬貰わないで帰るわけないじゃん」
どこか冷めた目で依頼人を見送り、完全に見えなくなると、
「さて、と」
報酬の袋を手に持ったアルスはエクスと合流しようと考え、とりあえず歩き出す。小屋の具体的な場所は分からないが、依頼人が畑に来た時に途中にまで案内してきたと言っていたので、恐らく依頼人の家と畑の間のどこかだろう。あとは適当に探せばそのうち見つかるだろう。
そんな風に考えながら歩いていた時。
「モー」
「え?」
目の前を牛がのんびりと歩いていた。なんとも牧歌的な光景だ……じゃなくて、
「何?なんでこんなところに牛が?」
思わぬ光景に驚くアルス。いくら田舎だからって勝手に牛がそこらへんを歩いているのはおかしい。
「え、どっから出てきたのこれは?え?これはどちら様のお牛さんですか?」
さすがに野生というのも有り得ないだろうし、と飼い主を探してあたりを見回すが、それらしき人は見当たらない。
だがそこでアルスは先程聞いた話を思い出す。確か依頼人の話ではエクスは牛の餌やりを頼まれていたらしい。
「……まさか」
いやさすがにそんなヘマはしないだろうという考えと、いやセンパイならやりかねない、という考えが頭の中でせめぎ合う。
さて、それはそれとして牛をこのままにしておくわけにもいかないし、どうしたものかと考えながら周囲を見回していると、離れたところに牛小屋らしきものとそれを取り囲む、一部が壊れた柵が見えた。
「とりあえずあそこまで連れてってみるかな」
そう呟くとお金とともにもらった報酬の野菜を取り出し、牛の鼻先に近づけてみる。
「ほ~ら、こっちおいで〜」
ふりふりと鼻先で軽く振りながらアルスがゆっくり後ろ向きに歩くと、釣られて牛も歩き出した。牛は頭が良いと聞くが、なかなか素直だ。これならこのまま小屋まで連れていけそうだ。
一方その頃事の元凶は、追いかけなければとにかくどうしようもないと考え、連れ戻す算段もないまま駆け回っていた。
「あーもう、どこ行ったんだよマジで……」
逃げ出した二頭の牛が一頭も見つからないままアテもなく走っていると、
「居たぁっ!しかも二頭!……って、あれ?」
ようやっと牛を一頭見つけ、さらにそこから少し離れた場所にも一頭見つけたが、そちらの方はそばに誰かいる。
「ああああ!?アルスさん!?アルスさん!?アルスさんがなんかしてる!アルスさんがなんかしてる!」
よくよく見ればアルスが牛を誘導してくれていた。手に持っているのは報酬の一つである野菜だろうか。それをうまく使って牛を小屋の方へと連れて行っている。ありがたいことこの上ない。
だが牛はもう一頭いるのだ。アルスはこちらには気づいていないようなので、声をかけて一緒に誘導してもらおうと考える。
「アルスさん、ここにもいるんですけど!あのーここに、こっちです」
声を張り上げアルスを呼ぶと気付いてくれたようで、エクスの方をちらりと見てから牛を誘導しつつこちらへやってきた。
「エビセンパイ何やってんすかぁー」
しかたないな、というように苦笑しながら声をかけてくる。何をやってるのかと聞かれればエクスには返す言葉がない。
「すいません、アルスさん。ちょっとこいつらが自由に憧れすぎてたっていうか。まあね、こいつらもそういう年頃なんですよ多分」
エクスが近くの牛の背中をポンポンとやりながら言うと、ビシッと尻尾で頭を叩かれた。
「つつ……ええっと、それで悪いんですけどこっちの牛もお願いできますか」
叩かれた頭をさすりながらエクスがアルスに頼むと、
「お前がやれセンパイ〜」
アルスは新しくもう一つ野菜を取り出すと、エクスに投げ渡してきた。それを受け取ったエクスはアルスの見よう見まねで牛を誘導しようとする。
「まったくさぁ。ボクがいなかったらどうしてたんだよ」
「アルスさんごめんなさい。アルスさんすいません。アルスさんもう一生敬います。もう舎弟にしてください、すいません舎弟にしてください」
平謝りである、というか卑屈になっていないだろうか。実際アルスがいなかったら大変なことになっていたかもしれないので、対応が正しいといえば正しいのだが。
そんな感じでエクスはぺこぺこしながら、受け取った野菜でアルスの見よう見まねで牛を誘導しようとするが、
「待って!牛が全然こっちに来ないんだけど!?」
アルスと違ってエクスの方の牛は野菜に見向きもしない。心なしか牛の視線が冷たいのは気のせいだろうか。
何故こっちの牛はあっちの牛と違ってついてきてくれないのか。エクスはどうにか牛の興味を引こうと牛の目の前で野菜をアピールするが、プイッとそっぽを向かれてしまう。
「素直になれよお願いだからさあ」
なんだか若干虚しくなりながらも、諦めず牛の顔の前で野菜を振る。
「センパイ舐められてんねぇ。それに比べて君はいい子だねえ」
ゆっくりと、だが確実に牛を誘導しながらアルスは余裕たっぷりにクスクスと笑う。
「いやこの牛が悪いんですよ。多分世界一ひねくれてる牛ですよコイツ。っていうかちょっとそっちの牛で一回やらせてみてもらえませんか?そっちなら上手く出来そうな気がするんですけど」
全然思い通りになってくれない目の前の牛を諦めて、アルスが誘導しているもう一頭の牛に目を向ける。こっちと違ってあちらは素直そうだ。というかアルスがいうことを聞かせられるなら自分だって出来るはずだ。
「ん~、まぁいいけど……」
「よし!ありがとうございます!」
アルスの許可ももらえたのでさっそく牛を交代して改めてチャレンジしてみる。だが、
「なんでだよ!?お前さっきアルスさんの言うこと聞いて素直だったじゃん!」
さっきまでアルスに誘導されておとなしく歩いていた牛が、エクスに交代した途端にプイッとそっぽを向いて反抗モードになってしまった。一方アルスは、
「そうそう、いい子だね~」
さっきまでがんとして動かなかった牛は、アルスに交代したら急に素直になった。
「え、なんで?なにこれ、俺全世界の牛に嫌われてんの?」
自分の言うことは聞かないのにアルスの言うことは素直に聞く牛たちを見て、エクスはなんとも心外そうな顔をする。
「ハァ……所詮は獣か」
ビシッ。
「いった!?お前その尻尾振り回すの止めろよマジで!結構痛いんだからなそれ!」
牛のオモチャにされていないだろうか。
「まったく……結局ダメじゃん、センパイ」
エクスが牛に遊ばれているのを見て、楽しそうにアルスはクスクスと笑う。遊ばれている方はちっとも楽しくないが。
とりあえずエクスは一通り牛に文句を言った後、諦めずにもう一度牛の目の前に野菜を持ってくる。
「いや、もう一回だ。俺はこいつを信じる。ちゃんと話せば分かる、俺はそう信じてる」
するとさっきまでそっぽを向いていた牛は、めんどくさそうにエクスの持っている野菜にちらりと目をやると、のそのそと歩き出した。
「あぁ~いい子!いい子すぎる!いい子すぎる!」
ようやく動いてくれた牛に感動し、エクスはやたらと牛を褒めちぎる。
「お前の名前はベルセルクだ!」
人の牛に勝手に名前を付けるな。
勝手に名前を付けるほど一人で盛り上がってるのに対し、牛は冷ややかな目を向けてくる。だがそれでも時々足が一旦止まるものの、一応エクスの後をついてきてくれている。
「ここだ、ここ!ここの中に入るんだベルセルク!」
そのまま小屋まで連れて行き、のったりのったりと歩いてきた牛を小屋の中へと誘導する。今度は中の牛が逃げ出さないように細心の注意を払いながら扉を開け、牛を中に入れる。
「やった!いい子だ!マジでいい子!」
まずは一頭。なんとか連れ戻せたことを喜びながらすぐに扉を閉める。アルスが誘導してくれている牛がそこまで来ているが、その僅かな間に逃げ出されたらたまったもんじゃない。
「よ~しいい子だねえ、そのままおいで……あ、センパイ。そこ開けて」
「はいはい」
言われた通り扉を開け、アルスが誘導している牛も中に入れる。そしてアルスが出てきてから扉を閉めようとする。が、そこで、
「あぁー、よかったー!どうなるかと思ったわ本当に……って、え?」
エクスがほっと一息ついているとトンッ、と小屋から出てきたアルスが後ろから背中を押し、エクスはよろけて小屋の中に入ってしまった。そしてガチャン、と鍵を閉められる。
「おぉっ!?ええぇっ!?」
慌てて小屋の扉をガチャガチャとやるが、当然そんなことで開くわけもない。
「いやいやいや……助けるふりをして……助けるふりをしてやりやがった……」
窓の外で楽しそうに笑うアルスを見て呆然と呟く。
「上手にしまえたねセンパイ。牛戻ったねえ」
ついでにエクスもしまわれた。
アルスはくすくすと笑うだけで鍵を開けてくれない。
「友達だと思ったのに……舎弟にしてもらおうと思ったのに……」
本気で舎弟になりたかったのか。
なんだか裏切られたような雰囲気を出しているが、出会ってからのエクスの言動を振り返ってみればどっちもどっちである。
閉じ込められ、外から見られていると、なんだか見世物小屋の珍獣になったような気分になってくる。ついでに牛たちにも『何やってんだこの馬鹿』みたいな目で見られている気がする。
「見せものじゃないです。見せものじゃ……見せもんじゃねーぞ」
牛たちを追い払い、扉をドンドンと叩く。するとやっとガチャンと鍵を開けてくれた。
「何してくれてんですか、まったく」
文句を言いつつ、牛たちが逃げ出さないように気をつけながら外に出る、そして改めて鍵をかけると大きく息を吐いて、ようやく気を抜いた。
「そもそも牛を逃がすのが悪いんだろぉ」
未だにクスクスと笑っているアルスは、小屋の壁をトントンと叩きながらそもそもの発端を突いてくる。
「いやそれはそうなんですけど、っていうか俺を閉じ込めるのと何の関係があんですか」
「まあ完全に面白半分だったね」
エクスの顔を見上げたアルスは、悪びれもせずにクスクス笑いながら堂々と言い放つ。
「はあ、もう……まあいいや。今度こそ帰りましょう」
その顔を見て、もう少し軽く文句でも言ってやろうかと思っていたエクスはため息一つで済ませた。まあ連れ戻すの手伝ってくれたしな、と小さく呟く。
その口元は本人も気づかぬうちに緩んでいた。
夕暮れに染まる空の下、二人は家路をのんびり歩いていた。目の前を歩く影法師はすっかり伸びきっている。
二人ともどろんとした疲れにまとわりつかれているものの、それ以上にナメクジ地獄から解放されたというすっきりした気持ちの方が強い。遠くに見える真っ赤な太陽の熱を乗せて泳ぐ風が、疲れた体を通り過ぎてゆく。
「あっ、そうだ」
不意にアルスが何かを思い出したような素振りをみせる。
「はい、これ。先輩の分」
そう言ってアルスが差し出したのは、何種類かの野菜とバター、そして二枚の銀貨だった。
「え、いいんですかこんなに?」
予想よりも多めの報酬にエクスは驚いた顔をする。
「まあなんだかんだで大分助かったからね」
「まあ確かにそれもそうですね。むしろもうちょいくれてもいいですよ」
誰がやるか。
「やっぱ最後の牛でやらかした分、さっぴこうか。ボクのおかげで解決したんだし」
「すみません冗談です!やめてください!」
調子にのったエクスからアルスはミスした分を減額しようとするが、エクスは両腕で抱え込むようにして必死にガードする。
その必死な様子を見てしょうがないな、という顔になったアルスは、エクスが抱えている報酬から手を離し、
「ま、とにかく今日は一日お疲れ。手伝ってくれてありがとね」
手を伸ばしてエクスの背中をポンポンと軽く叩く。
「ああ、いえ。結局肝心なとこはアルスさん任せでしたし、単純作業しかしてないですけど」
「その単純作業がありがたいんだよ。ボクは力仕事苦手だしさ」
自分よりも頭一つ高い顔を見上げ、さらに感謝を伝えると、エクスはこそばゆそうにほんの一瞬だけ目を逸らし、
「まあお役に立てたなら良かったです。また何かあったら呼んでください。ちゃんと報酬くれるなら働きますんで」
「えー?牛の分一回くらいはタダ働きしてもらうつもりなんだけどなぁ」
わざと意地悪くクスクスと笑ってみる。するとエクスは、
「それはそれ、これはこれです」
なんだかやたらとキリっとした真顔できっぱりと拒否してきた。
「それにいつまでも過去のことにとらわれているのはよくないですよ。ちゃんと未来に目を向けないと」
「センパイの立場で言えるセリフじゃないだろぉ」
お互いに軽口を叩きながら夕焼けで赤く染まった道を歩く。
「それにしても魔法使いの仕事ってのもなかなかに大変ですね」
エクスが大きく伸びをしながら話題を変える。
「と言っても今日みたいなのはそうそうないけどね」
実際普段は薬草の調合や魔除けの護符作りなどがほとんどだ。まだ半人前で経験が浅いというのもあるが、今日の仕事はアルスにとっても珍しいものだった。
「まあ確かに大変ではあるけどさ」
そこで言葉を切ったアルスはくるりとエクスに向き直り、
「やっぱり自分の魔法で人の役に立てるのは嬉しいかな」
そう言って柔らかく笑った。
その笑顔を見て、花のようだとエクスは思った。柔らかく咲き誇る、白い花のようだと。
「……なんだよ、人の顔をジロジロ見て」
「え……?あ、ああ。いや、なんか頭デカイなぁと思って」
「は?頭ん中足りてねぇ奴よりマシだよ、頭デカい方がよぉ」
バシンと頭が足りない奴の肩を叩く。何か呆けた顔をしていると思ったら、四アルスはとアルスは二発三発と続けるがさすがに防がれてしまう。そうやってギャアギャアと賑やかに夕暮れの道を歩いていく。
しばらくそうしていると、落ち着いたところでなんとなく会話が途切れた。
ザアァ、と二人が黙った途端に周囲の音が思い出したかのようにやってくる。シャラシャラと風が奏でる草花の音色が耳に心地いい。
会話が一旦途切れたことで、アルスは少し気になっていたことをエクスに聞いてみた。
「そういやエビセンパイ」
「なんですかアルスさん」
声をかけられたエクスは落ちていた木の枝を拾って、リズムを取るようにブンブン降っている。まるっきり子供の仕草だ。
「依頼人を呼びに行った時、なんかあった?」
するとブンブンと振られていた木の枝がピタッと止まる。だがすぐにまたエクスはブンブンと振り始め、
「別に何もないですけど。それがどうかしたんですか?」
不思議そうに質問をし、急にさっきまで歌ってなかった鼻歌を、木の枝を振るリズムに合わせて歌いだした。
「……そっか。いや、何もないなら別にいいよ」
妙に明るいエクスの鼻歌を聞きながら、アルスは何かを言いかけ、飲み込んだ。そしてしばし無言のまま足を動かす。
頭上で鳴き声が聞こえ目を向けると、ねぐらに帰るのだろうカラスが二羽、連れ添うように夕日に向かって飛んでいった。その姿を見送るアルスの頭に、エクスが向かった小屋を訊ねた時の依頼人の妙な態度が浮かんだが、それもまた飲み込むことにする。
飲み込むことは得意なのだ。魔法使いとして生きてきたから。
そう考えたところで、そんなことが得意でどうする、と一瞬息が漏れるように嗤うが、気にしても仕方ないと思考を切り替える。
「そういやセンパイ、牛の餌やりの報酬もらったんでしょ?牛連れ戻すの手伝ったんだし、いくらかもらおうかなぁ?」
思考と空気を変えるため、エクスにちょっとした冗談を言ってみる。
(まあどうせあげないとか言うんだろうけど、そっから適当に冗談でも…)
「いいえ?そんなのもらってませんよ。何変なこと言ってるんですかアルスさん」
しれっと嘘吐きやがった。
「……じゃあ、センパイの腰にぶら下がってるそれは何?依頼人のとこ行くまではなかったよねそれ」
白を切ろうとするエクスに腰にぶら下げられた袋を指摘してみる。腰にぶら下げるには少々重そうなくらい大きく膨らんだ袋はナメクジ退治の時には持っていなかったものだ。
エクスはいっそ不自然なほどに目を逸らし、
「……ファッションです」
「え、ダサッ」
思わず素で返してしまった。不格好に膨らんだ古びた革袋が、歩くたびにブランブランと揺れる様からは、どう頑張っても洒落てる様子は見えない。
「は?めっちゃおしゃれじゃん。もっとよく見てくださいよ」
「いやーないわー。ファッションだとしたら滅茶苦茶ダサいわー」
一歩引いて全身をまじまじと見てから改めてダメだし。やはりどう見ても洒落っ気は見出せない。
「まったく……アルスさんセンスないんじゃないですか」
なんだかわざとらしい呆れ顔をしてみせるエクスだが、アルスはそのわざとらしさにジト目になり、
「ぶっちゃけさぁ、自分で言ってて無理あると思ってるでしょそれ」
「そんなことないです。そんなわけないじゃないですか」
「目ぇ逸らさずに言えよ」
目を逸らすどころか顔を逸らし始めたエクスに、まったくもう、と呆れたように呟くアルスだが、その口元には僅かな笑みが浮かんでいる。
「それでどんなのもらったの?……別に取らないって。さっきのは冗談だから」
途中でエクスが警戒した顔になったのを見たアルスは、それはセンパイの物だと示す。
「まあそれならいいですけど。ええと……野菜を少しと、あとは…ああ、牛乳かあ」
とりあえず警戒は解けたのか、依頼人からもらった袋をゴソゴソとやるエクスは金属の容器に入った牛乳を見て微妙な顔になる。
「いいじゃん。バターって大事なんだし」
容器を振って牛乳をチャプチャプやってるエクスはアルスの言葉を聞いて、ますます微妙な顔になる。
「えぇ、作るの面倒くさ……」
「ただ放置しとけばいいだけだろぉ。そりゃ置き場所には気を使わなくちゃいけないけどさ」
「その置き場所に気を使わなきゃいけないのが面倒くさいんですよ」
アルスの呆れた言葉にエクスは分かってないというように首を振る。それからハア、とため息をついたエクスはハッと何かを思いついた顔になり、
「これそのまま飲んだらマズイかな……」
「いや、やめときなよセンパイ。お腹壊しても知らないよ」
エクスならやりかねないと思ったのだろう、無謀な真似をする子供を止めるかのような口調でアルスは釘を刺しておく。なんだかエクスに向ける目も子供をみるものに近いものになっている。
「うーん……じゃあ、これはアルスさんにあげます。牛手伝ってくれたお礼ってことで」
「なんか押し付けようとしてない?まあ、くれるなら貰うけど」
若干疑いつつも特に損はないのでアルスは受け取っておくことにする。そして、そのまま渡された容器を自分の荷物の中にしまっておく。
「じゃバターができたらくださいね」
「それボクに何の得があるんだよ!?」
一ミリもない。要はただバターを作るだけのタダ働きである。
いい加減にしろぉ、と呆れたような目を向けながらも、どこか楽しそうなアルスと歩くエクスは別のことを考え始めていた。
(なんか腹減ったな……結構体動かしたからなあ。なんか食いたい、体が食い物を欲している)
そこでちらりと隣を歩くアルスに目をやると、
(アルスさん何かくれないかな。っていうか牛乳あげたしな、代わりにちょっと飯をねだるか。代わりに飯を頂こう。代わりに請求しましょう)
エクスがそんなことを考えている一方アルスは、
「まあ、牛乳はありがとう」
とりあえずお礼を言いつつ、
(なんかセンパイにしては珍しい気がするな……うーん、代わりになんかあげるかぁ。タダより怖いもんはないって言うし。ってかお腹すいてそうだなぁセンパイ。ナメクジに続いて溝堀りに牛にと肉体労働ばっかだったし)
アルスも隣を歩くエクスにちらりと目を向け、
(うし。じゃあご飯あげるか)
アルスは一人そう頷くとゴソゴソと荷物の中からベイクドポテトを取り出す。長引いた時に食べようと持ってきたものだが、思わぬ形で役に立ちそうだ。
「アルスさん『はいセンパイ、これ』ご飯くれませんか……ってええぇ!?」
たまたま同じタイミングで似たようなことを考えていたせいか、エクスがねだるより前にアルスがご飯を差し出した。
(あー……言う前にあげちゃったよぉ)
なんだか以心伝心のようで、アルスはなんとなく気恥ずかしくなる。そしてエクスはそれが意外だったのか、
「くれたんだけど!?ええ!?」
「いや驚きすぎだろ」
エクスは受けとったベイクドポテトとアルスを交互に見比べ、なんで分かったんだろうという顔をする。そして唐突にアルスの顔をジッと凝視したかと思うと、いったい何を思ったのか、
「ししょう!?師匠!師匠!!」
なんかおかしな呼び方をしだした。さらに、
「師匠!ついてきます、一生!」
勝手に弟子入りしやがった。
急にトチ狂ったようなことを言い出したエクスから、一歩、二歩とアルスが少し距離を取ったことにエクスは気がつかない。
「師匠!ありがとうございます!」
「誰が師匠だ」
アルスのツッコミも聞こえてないのか、はたまた聞く気がないのか、さらにさすが師匠!などと言い出すエクスに、訳の分からないものを見るような目をアルスは向ける。
その視線の先ではやっと落ち着いたエクスが何やらベイクドポテトを一口囓り、首を傾げていた。いったいどうしたというのか。不審に思ったアルスが声をかけようとした瞬間、エクスが先に話しかけてきた。
「もうちょっといい飯ないですか?」
「は??」
ナニヲイッテルンダコイツハ。
思わずアルスの目が点になったところに、エクスはさらに追討ちをかける。
「キャビアとか」
「は????」
南方の黒い海で取れるらしい高級食材を要求され、一瞬さらに思考が固まる。
「なんていうかこれ、えー……ちょっとしょぼいんですけど。しょぼいです、ちょっとしょぼいですこれ」
(これ一発殴ってもいいんじゃないかねそろそろ)
顔から表情が消えたアルスは、とりあえず近づいて腹に一発。
「あぁっ、ああ、分かりました、分かりました分かりました!すいません!」
途端にエクスはペコペコと謝り出す。
「我慢します、すいませんでした。すいませんでした、我慢します。はい分かりました」
なんだか反省の色が見えない気がするのは気のせいだろうか。
はあ、とため息をついて構えていた拳を解く。まったくすぐ調子に乗る、などと口の中で呟きながらまた歩き始める。
「まったく……暴力は良くないですよ師匠」
やれやれと呆れたように言いながらエクスもあとに続く。呆れてんのはこっちだよ、と思いながら、一旦立ち止まってエクスの横に並ぶ。
「ていうかなんで師匠なんだよ」
勢いというか、冗談のはずだろうにエクスはまだ妙な呼び方をしてくる。
「尊敬しているからに決まっているじゃないですか」
「絶対嘘でしょ」
尊敬されるようなところを見せた覚えがないアルスはジト目でエクスを睨む。
エビ呼ばわりしたお返しだろうかなどと考えもするが、まあ、師匠という呼び方自体は悪くないかもしれない。からかわれているような気がしなくもないが。
「ま、いっか」
エクスの奇行は今に始まった事じゃないし、と心の中で呟きながら夕焼け空を見上げる。鮮やかな赤色を眺めていると、エクスの奇行もどうでもいいかという気分になってくる。慣れって怖い。
「何がまあいいか、なんですか?」
隣を歩くエクスが頭一つ高いところから降らせてくる疑問に、別にぃ~、とそっぽを向く。エクスも少し不思議そうな顔をしたが特に追求する気はないようで、アルスとは反対の手でまた木の枝をブンブンとやりながら、さっきとは違う穏やかな雰囲気の鼻歌を歌い始める。
そのまま二人は夕暮れの小道をのんびりと帰るのだった。
「ところで尊敬する師匠。デザートはないんですか?」
「やっぱ尊敬してないだろお前!」
その魔法使いの人生は虐げられる人生だった。
理由はただ一つ、魔法が使えたから。
たったそれだけの理由で、その人生は他の者達とまったく別のものになってしまった。
色々なものを取り上げられ、惨めに踏みにじられる。そんな理不尽に塗れた人生。その度に各地を転々と移った。
腹が立った。何故自分がこんな目に遭わなければならないのだと。
けれども、どれだけ憤ったところで無意味だった。
もちろん魔法を使えば理不尽な暴力に対抗したり、腹の立つ奴らをどうにかすることは出来る。むしろそれは簡単なことだった。実際にはそうしたことももちろんある。だがそうすると後でより一層ひどい理不尽が襲ってきた。一人にやり返せば三人がやってきて、三人にやり返せば五人がやってくる。
そんなどうしようもない悪循環を繰り返すたびにより多くの人が敵になった。魔法なんか使えても『数』には敵わないのだと気づくまでそれほど時間はかからなかった。
結局理不尽に抗えたことなどあったのだろうか。
魔法使いは万能ではない。魔法で周りの人達を操ろうにもそんな便利な魔法は知らない。魔法という『暴力』で無理矢理従えようにも数の力には敵わない。
とどのつまり、周囲の人々に受け入れられなければ理不尽がなくなることはないのだ。
そう気づいた時には魔法使いはすっかり諦めていた。自分は魔法使いなのだから人々に受け入れられることはないのだと。
ならば一人で生きていこうと考えた。そもそも周りに人がいなければこんな目に遭うこともないだろう。そう考えて。
しかし完全に一人で生きていくことは困難を極めた。
繰り返しになるが魔法使いは万能ではない。人より多くのことが出来るがそれは決して他者の協力を必要としないというわけではないのだ。ましてや自分の人生から他人を一切排除するような生き方など不可能だった。
熟練の魔法使いならそんな生き方も出来たかもしれない。経験を積み、知識を蓄え、充分に一人前と呼べるような魔法使いなら。
だが知識も少なければ経験も浅いその魔法使いには無理だった。
だからその魔法使いが魔法使いであることを隠して生きようとするのは必然だった。鼠のようにこそこそと生きる人生を選んだのだ。
それでも人々の『魔法使い』に対する嫌悪感は相当なもので隠しているはずなのに何度もバレた。繰り返すたびに隠すのは上手くなっていったが、同時にどうしようもなく情けなくて腹が立った。
そんな時だ。
魔法使いが『それ』に出会ったのは。