やがて英雄へと導く魔法使い   作:NJR

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第三章   英雄になっちまった!(1)

翌日エクスは空腹で目を覚ました。

「んんあぁ……」

 欠伸のような、よく分からない声を出しながらもそもそとベッドから這い出る。

 窓から差し込む日差しは目覚めたばかりの瞳には少々刺激が強い。エクスは光が刺さった目を擦り、眩しさに慣らそうとする。そうしていると、

「つっ……」

 寝すぎたのか、モヤがかかったような頭の奥で僅かな痛みを感じ、ベッドに腰掛けたエクスは顔をしかめて軽く頭を振る。そしてそのまましばらくぼんやりする。

「あー……まだ眠い気がしなくもない……ってか腹減ったなあ……」

 未だ睡魔から逃げきれていないものの、ようやく頭がしゃんとしてきたエクスはとりあえず顔を洗おうと井戸に向かう。

「今日はどうすっかなぁ……」

 今日もまたいつも通り予定のない一日だ。特にやりたいこともないため、なにをしようか思いつかない。

 家から出て井戸で顔をバシャバシャと洗うと、しつこくまとわりついていた睡魔がようやく消え去った。すっきりした頭を振って水を飛ばし、残った水気を袖で拭い取ると大きく伸びをする。

「ぅんんっ……まあとりあえず、この空腹を何とかするか」

 ついでに体を軽く動かし、固まった関節をほぐす。そうしながら考えるのは昨日アルスから貰った食べ物だ。昨日帰ってきた後で少しだけ食べたが、残りをそう簡単に食べるのはなんだかもったいない気がする。定期的に手に入るものでもないし、出来れば腐らない範囲で少しずつ大事に食べていきたい。

 うーん、としばらく考えたエクスはやがて一つの考えを閃く。

「よし!師匠にご飯もらいに行こう!」

 彼は師匠というものを何か勘違いしていないだろうか。

 昨日本人からは文句を言われたが、結局師匠と呼ぶことにしたアルスの家に行くことに決めたエクスは、家に戻って支度を整える。と言っても着替えて寝癖をなおす程度だが。なのですぐに出かける準備が整う。

「んー……今日は結構天気いいな」

 身支度を終え家から出たエクスは昨日とは違う快晴に目を細める。ポカポカとした陽気が気持ちいい。見上げた白い雲の浮かぶ青空は胸のスッキリするような鮮やかさだ。

 なんとなく足どりが軽くなったエクスは途中で木の実をつまんだりしながらアルスの家へ向かう。

 歩きながら摘んだ木の実を口の中へ放り込むと、甘酸っぱい味がじんわりと広がってゆく。腹が膨れるほどの量はないが、おやつ代わりにはちょうどいい。

 口の中に広がる木の実の香りが消えると、ふと、あたりから草木の爽やかな匂いが漂ってくるのに気付く。こんな田舎では別に珍しくもない匂いではあるが、 木の実の余韻と相まってどこか穏やかな気持ちになる。

 気持ちのいい晴れやかな空といい、今日は気分の良い一日になるかもしれない。

 そんな風に考えていた矢先、その期待は裏切られることになった。

「おお、エクス。昨日はあんがとな」

 突然横から声をかけられたエクスは一瞬ビクッとしてしまい、なんとなくばつが悪そうに振り向く。するとそこには、昨日の依頼人が立っていた。何か売ってきた帰りなのだろうか、空の籠を背負った中年の男は昨日見せた野鼠のような態度と違って、なんだか尊大な態度をにじませている。

「あ、どうも。おはようございます」

 エクスは男の姿を認めた途端、先程までの気分がスーッと霧散していくのを感じた。

 正直あまり関わりたくなかったが、とりあえず挨拶ぐらいはしておく。威張るかのように腕組みをした男は『おう、おはよう』と軽く返してくる。

 あくまで無難に且つ早急にこの場を離れたいエクスは、世間話などが始まる前にとっとと行こうと思い、急いでるんで、と立ち去ろうとしたがその直前に、

「おや、エクスじゃないかい。なんだい、また昼間っからブラブラしてんのかい」

「あらまあ。いい若いモンがこんな早い時間から、ねえ」

 さらに男と一緒にいた村人二人が話しかけてきた。相手の顔を見ると、ちょくちょくこのあたりで井戸端会議というか、益体もない噂話をしている中年の女性二人だ。

「ええ、まあ」

 エクスは内心うんざりしながら二人に返事を返す。返事がぶっきらぼうになってしまったが、エクスはそんなことは気にせず、そのまま話を切り上げてアルスの家へと向かおうとする。

「それじゃ俺はもう行きますんで」

 だがそこで男性に呼び止められてしまった。

「まあ待てエクス。そんなに急がんでもいいだろ」

 思わず舌打ちをしそうになりながらエクスは仕方なく振り返る。

 エクスを呼び止めた中年の男は腕組みをしたまま何かを探すようにあたりをキョロキョロと見渡し、一瞬安心した顔になると再び大人ぶった顔で口を開いた。

「そんでよ、昨日聞いたんだが、あの魔法使いとは知り合ったばかりらしいな」

「ええ。まあ知り合ってまだ日は浅いですけど……それがどうしたんですか?」

 いきなりの意図の見えない質問にエクスは訝しげに答える。エクスとしては早くアルスの家へと向かいたいのだが。

 だが向こうはエクスの事情などお構いなしにはあぁ、と深いため息をつく。。傍で聞いていた中年女性の二人も、一瞬顔を見合わせると眉を顰める。

 男の反応、二人の表情やアルスの話題が出てきたことから、どうせろくな話じゃないんだろうとエクスは考える。昨日あんな話を聞いたあとでは、男の口からアルスの話が出て良い話だとは到底思えない。

「エクスあんた、ひょっとして魔法使いなんかと関わってるのかい?」

「やめときなよ、どんな目にあうか分かったもんじゃないんだから」

 中年女性の二人組が悪戯をした子供を叱るように咎めてくる。

 エクスはうんざりした気分を顔に出さないようにしながら、そもそも自分の評判自体がさほど良くないんだし、いっそ無視して走って逃げてやろうか、などと考える。そうしていると、男は分かってないなという顔でまるで子供を諭すかのように話し始めた。

「まったく……分かってないみたいだから教えてやるがな、あの魔女にはあんま関わらない方がいいぞ。お前はまだ若いから見た目に騙されちまうんだろうが、魔法使いなんてもんは基本的に必要以上に関わるもんじゃねえんだ」

 やれやれという風に語る男に、中年女性の二人もうんうんと頷く。

 エクスは自分の感情を誤魔化すかのように、つま先で地面をトントンと叩きながら口を開く。

「別に見た目に騙されているわけじゃないですし、魔法使いだからって関わっちゃいけないってのがよく分からないんですけど」

「お前な……いったい魔法使いをなんだと思ってんだ」

 エクスの言葉に聞き分けのない子供を見るような顔になった男は、呆れたように質問を投げかけてくる。

「何って……魔法が使えるすごい人たちでしょ?」

 聞かれたことにエクスは素直に答えたつもりだぅたが、その言葉を聞いた三人はますます呆れた顔になった。

「あのなあ……はぁ、まったく。いいか、そもそもその魔法ってやつがどんなもんか知ってるのか、お前は?」

 聞かれてエクスはアルスの雷魔法を思い出す。アルスの説明によると、あれは確か逆続性というやつを利用していたはずだ。

(つまり……って、あれ?)

 だがそこでエクスはそれはアルスの雷魔法に限った話で、『魔法』そのものについてはまだよく知らないことに気付く。アルスの説明も『魔法』そのものには言及していなかったはずだ。

「ええっと、具体的に説明しろって言われるとちょっと……」

 まあ、魔法使いでないのだから当然といえるだろう。結局未だエクスにとって『魔法』とは『よく分からないけど凄い、不思議な力』というものなのだ。

「そうだろう。誰だってそうだ、『魔法』ってやつは魔法使いにしか分からねえもんなんだからな」

 確かにそれはそうだが、何が言いたいのだろうか。当然といえば当然のことを語る男にエクスは困惑する。

 男はどこか気味が悪そうな顔で、

「つまりだ、俺らにゃ扱うどころか理解しようもねえ力をいつでも、好きな場所でアイツらは振るうことが出来るんだ。そんなもん、あいつらの気分次第で俺たちなんかどうにでもできるってことじゃねえか」

 いくらなんでもそれは極論じゃないか。

 そう反論しようと口を開いたら、男はさらに話を被せてきた。

「そもそも、だ。なんで普通の人間には使えないモンを魔法使いは使えるんだ?」

 そこで男は一旦言葉を切り、吐き捨てるように言った。

「……『普通』じゃねえんだよ、アイツらは」

「…………」

『よく分からないけど凄い、不気味な力』

 つまり男達にとって『魔法』とはそういうものなのだろう。

 エクスは何か言い返そうと口を開きかけたが、結局開けた口を閉じ沈黙を選択した。代わりに冷めた視線を一つ送ると、そのまま無言で立ち去ろうとする。

 だがそこで男の言葉に追従するように中年女性二人が話を引き継ぐ。

「それに魔法使いってのはその魔法で楽してるしねえ」

「そうそう。みんなが必死に汗水流して働いてるってのに、魔法使いは魔法であっさりなんでもこなしてほいほい稼いでるもんねえ」

 二人の言葉にエクスは立ち去ろうとしていた足を止め、眉を顰める。

 たしかに魔法は普通の人には出来ないことを可能にするが、それは決して楽なものばかりではないはずだ。二日連続でアルスの手伝いをし、準備から実際に魔法を使う寸前まで間近でアルスの頑張りを見ていたのだ。あれが楽をしているなどとは到底思えない。

 さらに一昨日と昨日はたまたまエクスが手伝ったが、それはつまり普段はあれだけの苦労をアルス一人でこなしているのだ。

 それを知っているエクスからすると、二人の話はなにを言っているんだとしか思えない。

「いや、魔法使いだって苦労はあるはずですよ。色々準備とかも必要だし。そもそも魔法の習得だって簡単なことじゃないと思うけど」

 エクスはそんなことはないはずだ、と二人に反論する。だが、

「何言ってんのさ。魔法が使えるってのになんの苦労があるってんだい」

「そうだよ。それに準備が必要だの、魔法の習得が簡単じゃないだのったって、あたしらの日々の苦労に比べたらどうせ大したことないだろ」

「…………」

 ここは何か言い返すべきだろう。偏見に塗れた三人の意見はどう聞いても間違っている。

 だがしかし、それもまた言っても無駄なのだろうということが分かってしまう。彼らは理解を放棄している。いやそれどころかそちらのほうが都合がいいから拒んでいる節すらあるような気がする。

 エクスはしばし逡巡したあと、今度こそ立ち去ろうとする。

「……ちょっともう、行きますんで」

 低い声でボソリと呟くように言葉を投げると、そのまま歩き出す。

 するとエクスのその様子を見て気に障ったのか、

「おい待てエクス」

 まだ何かあるのか。

 苛々しながらエクスは振り向く。正直もう相手をしていたくない。

 そんなエクスの心情を知らない男は、エクスの目を真剣そうにジッと見つめ、

「とにかくあの魔女とはもう関わるな。いいか、これはお前のために言ってるんだぞ。必要もないのに魔法使いに関わるってのは自分からドラゴンに近づくみてえなもんだ。分かるな?」

 分からないし、分かってたまるか。

 心の中で吐き捨てた言葉を、実際に口に出さないようにグッとこらえる。ここで下手に言い返したりしたら余計に時間を無駄にするだけだ。

 だが、態度には出てしまっていたらしい。

 不機嫌そうな顔で黙り込むエクスを見て、中年女性二人組が口を開く。

「ああもう、反抗期も大概にしときなよ。何かあってからじゃ遅いんだからね」

「そうだよエクス。なにせ魔法使い相手なんだ、ただの怪我とかじゃ済まなくなるかもしれないんだよ」

 まるでそうとは知らずに、とても危険な悪戯をしてしまった子供を叱るかのような口調だった。

「……えっ、と……」

 そこでエクスは三人の向けてくる目に、どこか心配している色を見て取った。そのせいでエクスは少しだけ毒気を抜かれてしまう。

 本音を言えば、余計なお世話だ!ほっとけ!と言いたい。だが、それを言っては逆効果なだけだろう。

 どれだけ否定の言葉を並べたって、彼らは絶対に納得しない。だけど、実際に彼女と接していれば誤解が解けるとも思えない。彼らは偏見で歪んだ目でしか彼女のことを見ていないのだから。

(なんでだよ……)

 心の中でポツリと漏らす。

 だってアルスは何も悪くない。彼女はただ『魔法使い』なだけだ。その魔法で何か悪さをするわけではなく、むしろ人助けをしているではないか。なのに何故そんな目で見られなければいけないのか。そんな目を向けられる理由はアルスではなく、周りの人間達が勝手に作り上げたものだというのに。

 もちろん非があるのは村人達の方だ。偏見の目で眺め、よく知りもしないのに勝手に色々決めつけて。挙句一人では怯えるくせに、本人のいないところや複数人になったら妙に強気になって、あれこれ好き勝手に言う。

 しかし彼らは悪人ではない。ただ『解らないの』だ。

 けれど、だからこそタチが悪い。

 当然理解が及ばないからといって、好き勝手に決め付けるのは良くないことだ。しかし彼らは、痛めつけて喜んだり、苦しんでいる姿を眺めて嘲笑ったりしたいわけではない。ただありもしない怪物の影に勝手に怯え、居もしない卑怯者を勝手に疎ましく思っているだけだ。

 果たしてどちらがより悪質なのか。

 もしかしたら悪人の自覚ある悪意よりも、普通の人々の自覚なき悪意の方がある意味タチが悪いのかもしれない。

 はたして、彼らはエクスが彼らに向ける目の微妙な変化に気づいたか。

 男は言いたいことは全て言ったのか、ふと、思い出したかのように話題を変えた。

「そういや昨日頼んだ牛の餌やり、ちゃんとこなしたんだろうな?」

「えっ?」

 それまで鬱々とした思考の海に沈みかけていたエクスだが、その言葉で急に現実に引き戻された。

「だから牛の餌やりだよ。昨日頼んだだろうが。まさかやってないとか言わないよな?」

「え、あ、ああ。もちろん。ちゃんとばっちりやっておきましたよ」

「ん……そうか。ならいいけどよ」

 エクスの反応が一拍遅れたせいでジロリと睨まれるが、ちゃんとやったことを聞くと男は鷹揚に頷く。

 一瞬牛を逃がしてしまったのがバレたのかと思ったが、どうやら違うらしい。

「昨日畑に確認に行った後、あの魔法使いが先に帰ったっての教えに行ったらもういねえんだもんよ。随分早く終わらせたんだな。おかげでちっとばかしサボったのかと思ったぜ」

「え?先に帰った、って何がですか?」

 昨日は二人で帰ったのに、先に帰ったとはどういうことだろうか。

 エクスが不思議そうな顔をするのを見て、男はしまったという顔になる。

「ああいや……えー、なんつーか結局俺の勘違いだったんだけどよ、うん」

 エクスから視線を外し、後頭部をガリガリとやりながらばつが悪そうに男は答える。そこで急に男は何かを思い出したようにハッとした顔になると、

「なあおいエクス。昨日のことだけどよ、言ってないよな?」

 昨日あれだけ頼んできたことを確認してくる。何かあったのだろうか。

「ええ、もちろん」

「本当か?本当にだな?」

 だが男はしつこく確認をとってくる。そばで見ている中年女性二人も何のことかと不思議そうな顔をしている。

「本当ですって!」

 しつこさのあまりエクスが苛立ち混じりの声を上げると、男は納得したのかようやく引き下がった。

「あ、ああ……ならいいんだ、うん」

 はあ、とエクスは軽くため息をついて気分を切り替える。

「ねえ、いったいどうしたってのさ?」

 気になったのか、そばで見ていた中年女性の片割れが事情を聞いてくる。

「ああ、いや。なんでもない、たいしたことじゃねえんだ」

 男はちらっとエクスを見ると、適当に笑って誤魔化す。そしてエクスに向き直ると咳払いを一つして、

「いいかエクス、俺らが言ったことをよく考えろよ。この村で暮らす以上は『平穏な生き方』ってのがあるんだ」

 そんなことを宣うのだった。

 

 

 

「ししょー!居ないんですかー!それともまだ寝てるんですかー!おーい師匠ー!」

 ガンガンガン!とアルスの家の玄関脇に取り付けられた来客用の鐘を叩く。始めは普通に声をかけたのだが、どうにも反応がないので鐘を叩いてみることにしたのだ。

 そのまましばらく叩き続けるもなかなか反応がない。

 留守なのかな、と思いながらも叩き続けていると、ガンガンガン!という高い鐘の音に混じって、ドタドタドタ!という足音が家の中から聞こえてきた。

「あーもー!うっさいなぁ!ってゆーか誰が師匠だ!」

「あ、師匠。おはようございます」

 バン!と勢いよく玄関の戸を開けて、お怒りモードのアルスが顔を覗かせる。寝てるところを起こされたのだろう、格好は寝巻きのままだ。おまけに目はまだしょぼくれていて髪には二箇所ほど寝癖がついていた。

 眠りを妨げられたアルスはエクスをジロリと睨むと、

「んで?こんな朝早くから何の用だよ、まったく」

 まだ眠気がこびりついているのだろう目を擦りながら、不機嫌そうに文句を言う。

 対してエクスは滅茶苦茶爽やかな笑顔で、

「師匠!ご飯分けてもらえませんか?」

 バタン!

 もはや会話すらなく、目の前で玄関の扉を閉められた。

 家の中ではアルスが『さーて、寝直すかぁ』などと呟きつつ、ベッドに戻ろうとしている。

「師匠!?どうしたんですか師匠!開けてくださいよ師匠!」

 なんか玄関の前では馬鹿が騒いでいるようだが無視だ無視。

 アルスが自称弟子をほっといてもぞもぞとベッドに潜り込もうとした時。

 ガンガンガン!ガンガンガン!

「うるっせえよ!?ボクの睡眠邪魔して楽しいのか、あぁん!?」

 たまらずアルスは外に飛び出し、安眠妨害野郎を怒鳴りつける。

「師匠!お腹がすきました!」

「知るか!大体昨日渡した報酬の食べ物はどうしたんだよ!」

「いや、せっかく貰ったのに簡単に食べちゃうのももったいないかなって」

「ケチってんじゃねえよ!」

 ガー!と図々しい野郎に正論をぶつけてやる。だが当のエクスは意に介した様子もなく、

「ってゆーか昨夜そんなに遅く寝たんですか?昨日はあんなに疲れてる様子だったのに」

「ん?ああ……いや、昨日はさすがに疲れたから早めに寝たけどさぁ、この時間いつもは寝てる時間だから眠いんだよ」

 欠伸を噛み殺しながら答えるアルスに、エクスは若干呆れたように、

「寝すぎも体に良くないですよ」

「うー……分かってるけどさぁ……ってゆーか、だからって叩き起すな」

 それでも眠いものは眠いのだ。そもそも眠たいのに無理して我慢するほうが体に良くないのではないのだろうか。

 とはいえ、何だか一連のやり取りで目が覚めてしまったアルスは、

「それで?センパイはご飯が欲しいんだっけ?」

「はい!」

 ぶん殴りてえほどいいお返事である。

「そもそも昨日渡したの、そんなに少なくなかったと思うんだけどなあ」

 昨日の帰り道の様子を思い出してみると、アルスが渡した分と牛の餌やりで貰っていた分とで結構な量だった気がする。そこまで節制しなければいけない程ではないと思うが。

「え?だって次はいつ手に入るか分かんないじゃないですか」

「いや働けよ」

 餌を溜め込む野生動物かお前は。

 正論をぶつけられたエクスはふむ、と何かを考え、

「じゃあ師匠の手伝いでもしようかな。師匠だし」

「だから誰が師匠だよ。勝手に弟子入りしやがって」

 もはやエクスの中では確定事項なのだろうか。なんだかアルスは面倒な気分になる。

 そこでふと、昨日依頼人の男に言われた『助手』という言葉を思い出す。

(いや。いやいやいや……こんな助手いらんわ)

 心の中で否定するものの、昨日、一昨日と二日連続で手伝わせたことには思い至らない。まあ誰しも、心の奥底と表面で考えていることが一致するとは限らないものだ。

 そんな素直でない魔法使いはフルフルと頭を軽く振って気分を切り替えると、

「まあいいや。しょうがないし、とりあえず入ってよ」

 この分だと素直には帰らないと判断したアルスは、仕方なくエクスを家に招き入れる。

「お邪魔しまーす」

 軽く挨拶をし、エクスは玄関をくぐる。

 中は結構広かった。エクスは外観からそこまで広くはないのかと考えていたが、思っていたより空間が広がっている。

「へえ……思ったより片付いてますね」

「失礼だなオイ」

 エクスの無遠慮な発言にアルスはジト目を向ける。

「いやいや。なんかこう、魔法使いの家って結構散らかっているイメージだったんで」

 実際にはそこまで雑然とはしておらず、むしろすっきりした印象を受ける。気になるところといえばあちこちで何冊も積まれた本くらいか。分厚いものや古めかしいものなど様々だ。これがなければもっと瀟洒な様子だっただろう。

(ま、そこらへんはイメージ通りって感じだけど)

 エクスが一人口の中で呟いているとアルスが呆れたように、

「まーた変なイメージ持って……センパイは物語に引っ張られすぎなんだよ。魔法使いったって色々いるんだしさぁ」

 『魔法使い』という固定観念に囚われるな、と小言を言うアルスだったが、実は内心、

(家の中片付けといて正解だったぁ……!)

 実は昨日エクスが家の中に勝手に入り込もうとしたことに若干危機感を覚え、帰ってきてから適当にパパッと片付けたのである。ちなみに疲れている中適当に片付けたので、見た目が綺麗になっただけで整理整頓はされていない。恐らく後日あれがないだの、あれはどこにしまっただのと騒ぐことになるだろう。

 アルスは(実はあまり中身の伴っていない)小言を終えると一息つき、

「とりあえず座ってて。なんか適当に用意するから」

 エクスにそう言うと自分はさっさと台所に向かう。なんだかんだ言って、結局何か食べさせてくれるようだ。

 そんなご飯をくれる人は台所にて、はてさてなにを食わせようか、と考える。

(ま、なんでもいいか。どうせセンパイなんだし)

 元々寝てるところを叩き起された挙句のタカリなのだ。あり合わせのものを適当に食わせておけば充分だろう。そう考えたアルスはささっとそこら辺から食材を見繕って調理を開始する。

 まずは馬鈴薯をいくらかと、何種類かの野菜の切れ端を少量の塩と一緒に鍋に入れる。さらにコンソメを投入。そこに壺から水を汲んで、鍋に入れると『火の杖』で熾した火にかける。

「あとはこれ入れて、っと」

 そこに干した茸を入れてよくかき混ぜる。これを入れると茸の味が染み出して、美味しいスープになるのだ。

 あとは火が通って味が混ざり合うまでクツクツと煮込めばいいだけだ。手抜きといえば手抜きだが、どうせエクス相手なのだし構わないだろう。

 そして煮込むこと三十分と少し。

「うし、出来た!」

 いい具合に煮込まれた野菜スープを前に、満足そうに頷くアルス。

 鍋を覗いて見ると、完成した野菜スープのいい香りが鼻孔をくすぐる。煮込まれて優しい色合いになった具材と相まってなかなか美味しそうだ。正直エクスには勿体ないかもしれない。

「ししょー、出来ましたー?」

 ピッタリなタイミングで、のんきな声とともにひょこっとエクスが顔を出す。匂いを嗅ぎつけたのだろうか。

「お腹減った子供かよ……ご飯ならちょうど今完成したところだよ」

 エクスのタイミングの良さに呆れながらアルスは鍋を指し示す。

 エクスは鍋に目を向けると、フンフンと鼻歌を歌いながら鍋に近づき中を覗き込む。

「おー、美味そうじゃないですか」

「言っとくけどボクの朝ごはん分も入れてこの量なんだからね。一人で全部食うなよ」

 放っておけば勝手に全部食べてしまいそうな気配を感じたアルスは、期待するかのような目で鍋の中を覗き込むエクスに釘を刺しておく。

 するとそこで何かに気付いたエクスが、

「師匠、あれ何ですか?」

 エクスが指さした方を見て、アルスは『チッ、目聡いな…』と小さく舌打ちをする。

「ん〜?別に何でもないよ」

「何か美味しいものな気がする」

「どういう嗅覚してんだよセンパイは!」

 どうやら下手な誤魔化しは通用しないようだ。

 エクスの食べ物に対する勘の良さに観念したアルスは、仕方ないというようにエクスが指さしたものを説明する。

 そこにあったのは小さな鍋だった。蓋がしてあるのだがその蓋が少しずらしてあり、奇妙なことにその隙間から木の枝が差し込んであった。

「これは昨日センパイから貰った牛乳だよ」

「牛乳?ってことはバターでも作ってるんですか?」

 牛乳はこのあたりでは貴重な油糧食糧であるバターの原材料だ。そして牛乳で作るものといえばバターぐらいしか思い浮かばない。だが何故木の枝などを差し込んであるのだろうか。

 アルスはエクスの疑問に違う違う、と手をパタパタやり、

「これはアキサンゴの枝なんだけどさ、これを温めた牛乳に浸けて置いておくとヨーグルトっていう食べ物になるんだよ」

「ヨーグルト?え、牛乳がそのまま食べ物になるんですか?」

「うん、そう」

「へー……そんな食物があるのかあ……」

 よくそんなことを知っているものだ、とエクスは感心する。さすが魔法使い。

 エクスは鍋に差し込まれた枝を観察しながら、

「アキサンゴって聞いたことないですけど、なんか珍しいやつですか?」

「まあこの辺じゃ自生してないね。ボクんちのも行商人からもらったのを植えたやつだし。確かもっと南の方の木だったはずだけど」

 なるほど。どうりで聞いたことがないわけだ、とエクスは納得する。

「じゃあ、これってもしかして貴重なものなんじゃないですか」

「まあ割とそうかもね……あ、そうだ」

 突然アルスは何かを思いついた様子で、棚の中をゴソゴソとやりだす。何かを探しているのだろうか。

「あ、あったあった」

 少ししてアルスは何かの瓶を二つ取り出してきた。

「何ですかそれ。木の実?」

 アルスの持っている瓶の中を見てみると片方はよくあるジャムで、もう片方は何やら乾燥した赤い木の実が入っていた。

「これはアキサンゴの実だよ。そのままだとあんま美味しくないけど、煮出すとお茶が作れるんだよ。せっかくだからこれでお茶入れようかと思って」

 そう言うとアルスはさっそく『火の杖』でお湯を沸かし始めた。

「センパイは適当にスープとヨーグルト盛っといて。あ、器はそこにあるそれ使って」

「了解でーす」

 エクスは言われた通り器を手に取ると、まずはスープから盛っていく。そこまで強くはないものの穏やかな香りと、野菜が溶け合った優しい色合いが美味しそうだ。

(で、次は、と)

 次にアキサンゴとやらの枝が差し込まれた鍋の蓋を開けると、何やら白くてドロっとしたものが入っていた。

(へー……これがヨーグルトか)

 エクスとしては牛乳が固まった食べ物というからカチカチになった、白い氷のようなものを想像していたのだが、実際には思いの外柔らかそうだ。なんだか動物の脂肪にも少し似ているかもしれない。

 しげしげと眺めたあと木のヘラで掬い取ってみる。その感触はなんだか柔らかいを通り越して崩れそうだ。

「ちゃんとボクの分も盛っとけよぉセンパイ」

 アルスが火の様子を見ながら声をかけてくる。まったく疑り深い人だな、とエクスは呆れながら、

「大丈夫です。ちゃんと師匠の分も盛ってますんで」

「自分の分だけ多めに、とかはするなよ」

「……大丈夫です」

「おい、今なんで言い淀んだ」

 アルスがジロリと目を向けてくるのをスルーしつつ、公平になるように盛り直す。

「師匠―、終わりましたよ」

 きっちり平等になるように盛り直した器をテーブルの上に並べつつ、アキサンゴの実を煮出しているアルスに声をかける。

「んー…こっちはもうちょいかかりそうだし…センパイ、ちょっと火ぃ見ててよ」

「あ、はい。分かりました」

 アルスが火のそばを離れたので、エクスは言われた通り火に注意しておく。

「うし!できてる!」

 エクスにお茶を任せたアルスは、なにやら平べったい器の前で喜んでいる。

 何ができてるのだろうか、とエクスがそちらに目を向けると、ちょうどアルスが小さな平パンと一緒にそれを持ってくるところだった。

「あ、バターですか」

 アルスが持ってきたのは器に入った小さなバターだった。

「昨日センパイにもらった牛乳で作ったやつ。これも分けてあげるよ」

「やった!ありがとうございます師匠!」

 予想よりも豪華になりつつある食事に、エクスは喜色満面になる。なんだかんだ言って甘い魔法使いである。

「お茶の方はどんな感じ?」

「んー……もうちょいって感じですかね」

 エクスが目を向ければ、お湯に若干色がついてきたところだ。煮出し終わるにはもう少しかかるだろう。

「じゃ鍋とか洗ってるからセンパイはそのまま様子見てて」

「分かりました」

 そう言うとアルスは壺から水を汲み、洗いものを始めた。そして五分ほど経ったころ、

「師匠!こんな感じでどうですか?」

 お湯の色もだいぶ濃くなり、良い香りもしてきたのを確認したエクスは、アルスを呼んで確認をしてもらう。

「うん、いい感じじゃん。コップ持ってくるからそこにあるスプーンとか並べてて」

 アルスは食器類が仕舞われている棚を指差すと、そのままトテトテとコップを取りに行く。その間にエクスは言われた通り、テーブルの上に食事の準備をしておく。

 そしてアルスがコップを持ってきて、ようやく食事となった。アルスが席に着き、エクスはその正面に座る。

「じゃ、いただ「いやー、美味しいですね師匠!」

 アルスが食前の挨拶をしようとした瞬間に、エクスは既にバクバクと食事を始めていた。

「センパイさぁ……」

「?」

 アルスの呆れた顔にエクスはきょとんとした顔を返すだけだ。

「美味いですよマジで。あ、おかわりください」

「いや、早すぎんだろ!」

 エクスが差し出した器を見ると本当に空っぽだった。いったいどれだけのスピードでがっついたのだろうか。まるで飢えた獣だ。

 アルスは仕方なく新しく盛りながら、

「まったく……食事代に何かしてもらうからなマジで」

 アルスの言葉をどう受け取ったのか、再び野菜スープの入った器を受け取ったエクスは少し考え、

「いい子いい子」

「子供扱い!!」

 思わぬ扱いにアルスはテーブルをバンバンと叩いて抗議する。この野郎、ネズミになる魔法薬でも飲ませてやろうか。持ってないけど。

 エクスは新しく盛られたスープを飲みながら、

「でも師匠、師匠が弟子の面倒見るのは当たり前じゃないですか?」

「お前が勝手に弟子入りしたんだろうが!」

 そもそもアルスは弟子入りを認めた覚えはないのだ。何故かエクスの中では確定事項になっているようだが。

 そんな押しかけ弟子はアルスの抗議を聞き流しているのか、食事に夢中である。

 それを見たアルスも『あーもう、まったく…』と呟きながらも、自分も食べ始めることにする。まずはスープから口に運ぶ。

(ん、美味い)

 あり合わせで適当に作ったがなかなかに上手くいった。まあ失敗しにくい簡単な料理ではあるが。さらにヨーグルトもジャムを混ぜて食べるとこちらも良い出来だ。

 と、そこで顔を上げるとエクスがなんだか微妙な顔をしていた。さっきまでがっついていたのにどうしたのだろうか。

「センパイ?どうかした?」

 もしかして何か口に合わないものでもあったのだろうか、とアルスが声をかけると、

「あ、いや何でもないです。ちょっと考え事してただけです」

 エクスは誤魔化すように笑って食事を再開する。そこでエクスが食べているものを見たアルスは、

「ちなみにセンパイ。ヨーグルトはジャムかなんか混ぜないと酸っぱいだけで美味しくないからね?」

「は!?先に言ってくださいよそういうことは!」

 どうやら当たりだったらしい。なんとも不満そうな顔を向けてくる。

 一口分損した、などとブツブツ言うエクスに、アルスはクスクスと笑ってジャムの瓶を手渡す。

「なに笑ってんですか師匠」

「別にぃ」

 意図せぬ意趣返しが出来たアルスが笑うのを見てエクスはムスッとした顔になるが、渡された瓶をジッと見つめ、なにやらマジメな顔になると、

「師匠、蜂蜜とかの方が好みなんですけど」

「調子乗んなこら」

 相も変わらずなエクスに、アルスはテーブルの下でエクスの足をゴスっと蹴ってやる。欲しがればなんでも貰えると思ってないだろうか。

 気を取り直して食事再開。そのまま二人で他愛のない話をしながらパクパクと食事を続けていると、テーブルの上の食べ物はあっさり無くなった。

「ふう、美味しかったです。ごちそうさま」

「おう、感謝しろよセンパイ」

 エクスのお礼に、アルスは冗談めかして尊大に言い放つ。

 とりあえず食器を洗うのは後回しにして、例のアキサンゴのお茶で食後のティータイムをのんびりと楽しむことにする。

「お茶も美味いけど、料理もなかなか美味かったですね」

「まあ口に合ったようで何よりだよ」

 適当にざっと作った料理だったが、褒められて悪い気はしない。何度も美味しかったと言われたせいか、アルスは若干目をそらしながら答える。誤魔化すようにお茶を一口。

「……」

「…………」

 そこでふと会話が途切れた。二人の間に舞っていた言の葉が止み、先程までのじゃれつき合うような雰囲気がホロホロと崩れていく。

 そして崩れるのと一緒に、その静けさがじんわりと部屋の中に染み込んでいく。

(……静かだ)

 そんなどこか切り取られたような世界で、二人でただお茶を喫する。

 まるで自分たちだけが絵画の中にでも閉じ込められたみたいだ。

 そんなことをぼんやり思うアルスは、ゆったりとした気分の中に驚きが混じっていることに気付いた。誰かといるのに静寂が己を急き立てない。人付き合いがあまり得意ではないアルスは、こういった沈黙はあまり好ましくないものだったはずなのだが。アルスはそれを意外に思うが、目の前の人物とどこか自分の中で噛み合う気がした。

 と、そこでアルスが正面に目を向けると、エクスがなにやらこちらをジッと見つめていた。

 なんだか考え込むような顔で、視線は固定されているものの、思案に耽るためにどこかぼんやりした様子でもある。

「……何だよ、人の顔ジッと見て」

 なんとも居心地が悪くなり、その視線から逃れるように身動ぎをしながら声をかける。

「あ……いや、別に何でもないです。えっと、師匠の顔見てたらなんか落ち着くなあ、って思いまして」

「はあ?落ち着くって何がだよ」

 唐突に妙なことを言い出したエクスに、アルスは胡乱な目を向ける。

「いや落ち着きますよ。なんかこう、観葉植物みたいで」

「誰が観葉植物だ!」

 心に優しい緑にでも見えんのか。幻覚だ。

 浸っていた気分を台無しにされたアルスは不機嫌そうにお茶をグビグビと飲むが、エクスの顔に何か一瞬、苦いものが走ったことに気がついてしまった。

(……?)

 一瞬、お茶が不味かったのだろうかと思ったが、それならばエクスは先ほどのヨーグルトのようにもっと違った反応をするだろう。だがちらりと顔を見てみても、どうにもいつも通りな気がする。

 気のせいか、とアルスは首を傾げるものの、

(けど、なんか引っかかるんだよなあ)

 なんとなく。なんとなくだが、何かあったんじゃないかと思う。

 別にエクスとは付き合いが長いわけではなく、むしろ知り合って一ヶ月経っていない相手だが、何故か付き合いは短いのに勘が働いた。

(まぁ、聞いたところで、なぁ……)

 多分だが、エクスはあまりそういうのを人に見せたりはしないタイプな気がする。

 普段これだけ無遠慮で図々しいのに、変なところで一線を引いているような気がするのだ。

(ま、それもなんとなくでしかないけど)

 結局のところ『気がする』というだけなのだ。これでグイグイいくわけにもいかないし、そもそも人付き合いが苦手なアルスは到底そんなことできるわけもない。

 そんなことをつらつら考えていると、手に持ったコップの中身が空っぽになっていることに気がついた。考え事をしていたせいで、いつの間にか飲み干してしまっていたようだ。チラとエクスの方を見るとあちらもどうやら飲み終わったようだ。

 それを見てふむ、とアルスは何かを少し考え、

「じゃあセンパイ、ご飯の分このあと少し手伝ってよ」

「御馳走様でした師匠。じゃ、僕はこの辺で失礼しますんで」

「待てやこら」

 自然な様子で玄関に向かおうとしたエクスの腕を、アルスはガシッと掴む。

「うわっ、とと……何すんですか師匠!危ないじゃないですか!」

 アルスに腕を掴まれたせいでつんのめりかけたエクスが文句を言う。

「ボクの言うこと無視するからだろうがよぉ!食べた分きっちり働いてもらうからな!」

「あっ!痛い!いててて!腕が!師匠に握りつぶされた腕が!これはもう、治るまで安静にしていなければいけないやつだ!」

 彼の腕は小枝かなにかなのだろうか。

「バッキバキにへし折ってやろうかオイ」

 アルスはエクスが逃げ出さないよう台所の扉を閉め、改めてエクスの腕を掴むと、

「とりあえず食器洗って、そのあときっちり手伝ってもらうからな」

 がっつり腕を掴まれたエクスは観念したのか、渋々頷くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 食い逃げ未遂犯が魔法使いに連れてこられたのは村から離れたところにある森だった。最初にアルスとエクスが出会った森とはまた別の森で、森の手前に奇妙な形の岩がある村人たちは近づこうとしない森だ。エクスも来るのは初めてだ、というより決して近づくなと言われていた気がする。

 エクスは一瞬だけ足を止めるが、まあ魔法使いであるアルスが一緒なのだし大丈夫だろうとすぐにまた歩き出す。

「あ、ちょっと待って。森に入る前にこれを……」

 そう言いながらアルスはゴソゴソと何かの瓶を取り出し、中の液体を自分とエクスにパッパッと振りかける。

「うえ……師匠、何ですかこれ?なんか酸っぱい匂いすんですけど」

「んー……虫よけ、というか蜘蛛よけかな」

 なんとも奇妙な匂いに顔をしかめるエクスにアルスはよく分からないことを言う。だが詳しく説明する気はないのか、そのままスタスタと歩き出してしまう。

 後を追いかけ、二人で森に中に入ったエクスは隣に並んだアルスに声をかける。

「それでなにすればいいんですか、師匠?」

 こちらの森にも来たことがないのか、物珍しそうに辺りをキョロキョロと見回しながらエクスはアルスに仕事内容を尋ねる。

 アルスはエクスの質問にふんむ、と尊大に頷くと、

「今日は薬草採取をしてもらおうか、センパイ」

「薬草採取、ですか」

 なんだか少し魔法使いらしい仕事だ、とエクスは新鮮な気分になる。昨日は結局、結界を張るところは見ていない(見ても分からないらしい)し、蛙殺しは偶然出会っただけで仕事とは少し違う。少なくともナメクジ退治よりはマシな仕事な気がする。

 だがそれはそれとして、

「なんか面倒臭いんでお腹痛くなってもいいですか?」

 なんて斬新な体調管理なんだ。

「いいわけねぇだろ!腹パンすんぞコラ!」

 だるそうな顔をしたエクスを一喝。破門してやろうかこの弟子。認めた覚えもないけど。

 アルスはエクスが逃げ出さないようにエクスの袖を掴むと、そのまま森の中を歩き始めた。ちなみに昨日チラと考えた『首に紐を付ける』というアイデアが、歩いているうちにアルスの中で昨日よりも現実味を帯び始めていた。袖掴み続けるのメンドくさい。

「師匠、なんか変なこと考えてません?」

「え、何のこと?」

 考えを見透かすようなことを言われ、アルスは咄嗟にとぼける。相変わらず妙に勘が鋭い奴だ。

 そうしながら草を踏みしめ、木々の間を通り抜け、エクスはアルスに引っ張られながら歩く。そして十五分ほど歩いたあたりで、

「うし、大体この辺かな」

 アルスはそう呟き、足を止めた。

 一緒に足を止めたエクスは辺りを見渡すが、先程までの場所と何が違うのかよく分からない。まあすぐに説明があるだろうと思い、アルスの方に顔を向ける。

「えーっと……あ、これだこれ」

 そのアルスはなにやらしゃがみこんで、ギザギザした葉っぱの草を自分の荷物から出した小さなスコップで掘り出していた。あれが薬草なのだろうか。

 アルスは薬草と思しき草を根っこごと掘り出すと、根っこについていた土を丁寧に払う。

「さて、センパイにはこれと同じ植物を採ってもらおうか」

 アルスは見本のつもりなのだろう、採った草をズズイとエクスに渡してきた。ついでに『はい、これも』と二本目のスコップを取り出し、それも差し出してきた。

 エクスは渡された草とスコップを交互に眺めると、

「分かったけど、これ手で引き抜いちゃダメなんですか?」

 正直スコップでいちいち掘り出すのは面倒臭い。だが、

「ダメ。これモレフェスっていう薬草なんだけどさぁ、根っこにも使い道あるんだよ」

「あぁ、やっぱり。ちなみにどんな効果あるの、この草?」

 アルスが根っこから土を払っているのを見て、なんとなくそんな気がしたが予想通りだったようだ。

「簡単に言えば睡眠薬だね」

「睡眠薬?師匠って不眠症なの?」

「別にそういうわけじゃないよ。これは不眠の改善の他にも、眠りを深くしてより疲れをとれるようにしてくれる効果があるからさ。それが欲しいんだよね」

 へー、と渡された草をエクスは眺める。そういう薬草なら自分も欲しいかもしれない。

「薬が出来たら俺にも分けてくんない、それ。ちょっと欲しいんですけど」

「いいけど、使いすぎると眠りが深すぎて仮死状態になるよ」

「やっぱいらないです」

 それはもはや毒ではないだろうか。まあ薬と毒は紙一重のようなものだろうが。

 アルスは改めてスコップをエクスに押し付けるように渡すと、

「そういうわけだから億劫がらずにちゃんと掘り出してね」

「まあ、そういうことなら。分かりました」

 正直ちょっと面倒に思いながらエクスはアルスからスコップを受け取る。

「じゃよろしく。二十本はお願いね」

 アルスはそう言うとさっさと採取作業に戻る。エクスもやれやれと言うように一つ息を吐くと、アルスから渡された草と同じものを探し始める。

(んー……)

 とりあえずしゃがんで近くを見回すが目当ての草は見つけられない。気づけばアルスはすでに二十メートル近く離れたところにいる。もっと広い範囲で探さなければいけないのかも、とエクスは考え、中腰になって辺りをうろちょろ探してみる。ちなみに普通に立ったままだといまいち草の見分けがつきにくい。

(お、多分これだよな)

 そうしていると一本目を見つける。葉の形や色合いからして恐らくこれだろう。そのままザクザクと言われた通り根っこから掘り出す。

「よし、と」

 途中ちょびっとだけ根っこが切れてしまったが、九割方は掘り出せた。まあ残り一割は見なかったことにしよう。人間の記憶は不完全なものなのだし。

 念のためこの草で合ってるかどうかアルスに確認してもらおうと思い、掘り出した草を持ってアルスのところまで歩いていく。そして近くまできて声を掛けようとしたところで、アルスの背中に蜘蛛がついていることに気が付く。

「師匠、背中に蜘蛛いますよ」

「え……?ぅわ、ちょっ、取って取って!」

 何気なく声をかけたがエクスの予想以上にアルスは焦った様子を見せる。

「あー、取りますからほら、動かないでくださいよ」

 慌ててバタバタとやっているアルスの背中を軽く払って、蜘蛛をとってやる。というか雲だと思ったら蜘蛛っぽいゴミだった。

「師匠、もう取れましたよ」

 アルスの背中から蜘蛛(みたいなゴミ)がなくなったのを確認して伝えると、アルスはわざわざ自分のマントを脱ぎ、目を皿のようにしてマントを確認し始めた。

「いや、ホントに大丈夫ですって。ていうかそんなに蜘蛛嫌いなんですか師匠」

 あれだけ凄い魔法使いなのに、まるで箱入りの令嬢のようだとエクスは思う。

 だがアルスはマントを調べながら、

「いや、嫌いっちゃ嫌いだけどさぁ、この辺りはヤバイ蜘蛛がいるんだよ」

「ヤバイ蜘蛛?」

 アルスの言葉を聞き、ひょっとしてこの辺にはあの髭蛙のように蜘蛛の魔物でもいるのだろうか、とエクスは周囲を警戒し始める。

 一方アルスはようやく蜘蛛がマントについていないことを確認し終えると、再びマントを羽織り、

「そう。メクイグモって言ってね、魔力の篭った糸を吐くんだけどさぁ。この糸が厄介なんだよ」

「は?魔力の篭った糸、ですか?よく分からないけど何かヤバそうに聞こえんだけど……え?ていうか俺にはついてないよね!?師匠、ちょっと確認してみてくんない!?」

 ぎょっとしたエクスはよく分からないながらも、自分の体をバタバタし始める。自分だけでは背中などは確認できないため、アルスに確認してもらいながら一通りバタバタして蜘蛛がついていなかったことを確認する。そして、

「ふぅ、問題なし、と。それで師匠、そのメクイグモってなんなんですか?というか予め言っといて欲しいんだけど、そういうの」

「まぁごめんって……えっとそれでさ、簡単に言えばメクイグモの糸は固まるんだよ」

「固まる?」

 抗議を軽く受け流したアルスの説明にエクスはんん、と首を傾げる。それのどこが危険なのか、いまいち想像しにくい。

「うん。しかもすげー固くなるんだよ。なんかもう石みたいなレベルで。それで虫だけじゃなくて動物まで動けなくして襲うの」

 例えば、とアルスはエクスの腕を指差し、

「センパイの腕にメクイグモの糸が絡んだとするでしょ。最初は普通の蜘蛛の糸だから気づきにくいんだけど、時間が経つにつれて固まっちゃって、大体十分もしたらセンパイは腕を動かせなくなるよ」

「……あの、そんなのがいるなんて聞いてませんけど?」

 ようやく頭の中に危険な蜘蛛の糸を思い浮かべたエクスは、思わず自分の師に半眼を向ける。さっきは軽く受け流されたがもう一度抗議するべきか。

 だが彼の師はそんな弟子のジトッとした視線に気付かぬ振りをしながら、

「まあ蜘蛛に気をつけて採取してってことで!それじゃ作業再開!」

 何かを誤魔化すように声を張り上げたかと思うと、そそくさと離れていってしまった。

「ええ……」

 その背中に今度は呆れたような視線を向けるが、当のアルスは離れたところで作業に没頭しているようだ…している振りに見えなくもないが。

 まあいつまでもグチグチ言っていても仕方ないか、とエクスは考え、

「はあ、まったく」

 気分を切り替えて再び採取作業に戻るのだった。

 

 

 

「うし!こんだけ集まればいいだろ」

「あー、やっと終わったー!」

 二時間ほどの時間をかけてようやく採取を終わらせたエクスが、解き放たれたかのような声を上げる。

「いやぁ、ずっと中腰だと腰にくるなあ……」

 二時間近くしゃがむか中腰かのどちらかだったエクスが、ググッ、と背中と腰を大きく後ろに反らす。そして集めた薬草をアルスへと手渡しする。

 採った量に対して時間が掛かり過ぎている気もするが、なにせ小さな蜘蛛を警戒しながらの作業だ。おまけに薬草自体あまり生えていなくて探すのに苦労した。そこらへんを考えればむしろ早く終わったほうかもしれない。

「おう、お疲れー」

 一方のアルスはさほど疲れた様子が見えない。おそらくはこういった事に慣れているのだろう。

 やることもやったし、アルスが集めた薬草を腰につけた袋に仕舞うのを少し待ち、そして共に帰路につく。とりあえずあとは帰るだけなのだが、森を出るまでは例の蜘蛛に気をつけなければいけないだろう。

「なんかお腹空きましたねー」

「もうかよ。朝飯を人にタカッときながら」

 ジトリ、とエクスを睨んでやると、だって結構時間経ってるし、とのこと。

 ふむん?とエクスの言葉を受けアルスが空を見上げればたしかに太陽が高い。もうじき昼時のようだ。となればなるほど、空腹も覚えるだろう。

「……食わせてやるのはパン一個が限度だかんな」

 どうせまた何か食わせろと言うんだろう、とアルスがぶっきらぼうに言ってやると、

「え、昼飯もいいんですか!?やった、ありがとうございます!」

 エクスは予想外の反応を見せてきた。もしかして先程のはただの世間話だったのだろうか。

「え、あ……う……」

 思わぬ反応を見せられたせいで咄嗟になんと言うべきか言葉が見つからず、アルスはしどろもどろになってしまう。

 だがアルスがまごまごしている間にもエクスは話を続ける。

「いやあ、悪いなあ朝飯に続いて昼飯までなんて。っていうか師匠ってやっぱ優しいですよね、なんだかんだ言って」

「はあ!?うっさいよ、『どうせまたタカるんだろうな』って呆れたっていうか、諦めてただけだし!」

 どうにも言葉を見つけられなかったアルスだが、エクスの褒め言葉に反射的に言い返してしまう。

 だって自分はタカッてくるから仕方なくご飯をあげていただけで、なのに、これではまるで自分から好き好んでご飯を与えているみたいではないか。

 実際傍から見れば餌付けしているように見えるわけだが、この魔法使いはその辺を客観視できないようだ。

 一方褒めたのに何故か噛み付かれた形のエクスは目を白黒させたあと、

「ええ、なんでいきなりキレてんの……?なんかヤバ、この人」

 グヌ、と若干引き気味のエクスに言葉に詰まってしまうアルス。たしかに我が身を振り返れば少しだけ、ほんの少しだけ今のは理不尽かもしれない。だが妙な勘違いをされる前にこれだけは否定しておかなければいけないのだ……別に自分からだろうがタカってきたのに対してだろうが、施している以上(程度に差はあれど)優しいことに変わりはないのだが。妙なモヤモヤと少しばかりの羞恥を抱えた魔法使いはそこまで頭が回らない。

 歩きながら八つ当たり気味に足元の雑草を蹴っ飛ばしたアルスは、フルフルと頭を振って思考を切り替える。

「まあ昼飯の分も何か手伝ってもらえばいいか」

「あ、ズルい。なんか卑怯なこと考えてるんだけど、この人」

「何が卑怯だオイ」

 ジロリと目を向ければエクスはそっとさりげなく目をそらす。それから話を誤魔化すかのように、

「そういえば師匠、さっき言ってた蜘蛛って魔物なんですか?」

「え?んー……まあ、魔物って言えば魔物……かなあ。微妙なとこではあるけど」

 唐突な質問に記憶のページを手繰ってみれば、どの本でも危険な蜘蛛と書かれてはいても魔物とは書かれていなかったはずだ。とはいえ魔力の篭った糸を吐き出して、虫どころか動物や、時には人まで襲うのだ。これはもう魔物扱いでいい気もする。

「そんな魔物が潜むところにたった一人の弟子を連れてくるとは」

「自称のくせに何言ってんだオマエは」

 別に弟子入りを認めた覚えはないのだがエクスにとってはそんなことは関係ないようだ。

「でも魔力の篭った糸とか、言葉だけ聞くと凄い物みたいですよね。てゆーか売って金にできたりとかできないかなあ」

 両手を頭の後ろで組んだエクスはブラブラと歩きながらそんな益体もないことを呟く。

「一応、その糸を特別な処置を施した上で編んだ布は普通の剣とか槍を通さない、みたいに役に立つらしいけど……糸をそのまま売るってのは聞いたことがないなぁ」

 そのまま、かつて本で学んだ知識をころりと何気なく口から零す。すると、

「え、何それ?ちょっと師匠、その話もっと詳しく聞かせてくんない?」

 途端に目を輝かせ始めたエクスを見て、アルスはしまったと後悔する。

 話の流れからしてあとでこっそり捕まえに来るつもりだろうか。魔物と呼んでもいいくらいには危険であると説明したばかりなのに。というかこれ以上詳しく説明なんぞしたら止めても実行に移しそうだし、どうしたものか……と一瞬アルスは考えこみ、

「あー……別にさぁ、ボクも本で読んだだけだから詳しくは知らないし」

「じゃあ知ってる範囲でいいので教えてください」

 それとなく誤魔化そうとするがエクスはなおも食い下がる。ちらりと目を向けると子供のように目を輝かせた顔が目に入った。

 そのワクワクした顔を見て、こりゃ折れそうにないな、と考えたアルスはハァと大きな溜息とともにメクイグモの糸について仕方なく語ってやることにした。ただ話の後できちんと釘は刺しておこう。

「えっと、メクイグモの糸ってのはそのままだと固まっちゃうけど、固まる前に特別な処置をしてやると糸としてのしなやかさはそのままに、同時に石の硬さの如き丈夫さを併せ持った糸になるんだよ」

「特別な処置?なんか呪文唱えるとかですか?」

 より好奇心が膨らんだのか、歩きながらも体ごとアルスに向いて質問してくる。

 ちゃんと前見て歩け、と一つ叱ってから具体的な手順を話す。

「まずは綺麗な水に浸す」

「ふむふむ」

「次に踊りを踊る」

「……はい?」

「いや、だって本にそう書いてあったんだよ!」

 胡乱げな視線に慌てて言い返すが、それでも疑わしげな目は変わる様子がない。

 アルスは仕切り直すようにコホンと咳払いを一つして、

「えっとそれで……踊りを踊るってのは本来蜘蛛の毒を抜く儀式なんだよ」

「毒、ですか」

「そう。もともと踊りってのは神や精霊に捧げる儀式であり、特別な力が宿るもの。だから踊り自体には色々な儀式があるんだけど、その中に『蜘蛛の毒を抜く踊り』というのがあるんだよ」

「へー……そんなのがあるんだ」

 毒抜きの踊りとはなんとも珍しい儀式があるものだ。それはどういう踊りなのだろうか。

 エクスは踊ってる様をふと想像してみた。頭の中では繰り広げられるのは村で行われる収穫祭の踊りなどとは違って、怪しげで奇妙な踊りだ。それを目の前の少女が踊ってるところまで想像して、エクスは思わず小さな笑い声を漏らした。

「?……どうかした?」

「あ、いえ。何でもありません」

 エクスは慌てて何でもないかのように誤魔化す。

 一旦足を止めて訝しげに見ていたアルスだったが、すぐにまあいいか、と呟き再び歩き始める。

「まあ、そもそも『蜘蛛の毒を抜く踊り』も踊りじゃなくて、体を動かして汗をかけば毒も一緒に流れるっていうものなんだけどね」

「え、じゃあ儀式関係なくない?」

「一番最初はそうだったのかもね。でもただ運動としてやるよりも一度で二つの効果が得られる方法があるとなれば?」

「あ、なるほど!どうせ体を動かすなら、儀式でもある踊りを組み合わせればより効果が期待できるってことか」

「うん、多分だけどそんな感じだったんじゃないかな」

 木の根や雑草に足を取られないよう歩く魔法使いはどこか見た目よりも大人びた雰囲気で話を続ける。

「そしてその儀式としての『蜘蛛の毒を抜く踊り』から派生して、『蜘蛛を近づけない踊り』だとか逆に『蜘蛛をけしかける踊り』なんてのが生まれた」

 ふむ、とエクスは魔法使いの言葉を頭の中で整理する。

「つまり、踊りという儀式を行うことで蜘蛛や蜘蛛に関するものを操ったり影響を与えたりできる……ということですか」

「まあ、そういうことだね」

 エクスが話をまとめると魔法使いはひとまずといった調子で頷いた。

「一応補足しとくとさ、まあ当然だけど踊りってのは蜘蛛関連以外にも色んな儀式があるからね。精霊を自分の身に降ろしたりだとか」

 エクスは自然と、はー、と感心したようなため息を漏らす。ちらと聞いただけでは冗談のようなことも、詳しく話を聞けばちゃんとそれなりの理由があるものだ。あと単純にこの魔法使いの話は面白い。

 アルスの話に集中していたせいか、固く背の高い雑草に足を取られかけ、エクスは意識が幾分か足元に向く。これだから森の中は……心中でぼやきながらも話を続ける。

「それでその後はどうするんです?」

「その後は月の光を三日間浴びせれば完成。ただその時金星の光を浴びせないよう、月の光だけを浴びるように呪文を唱えなきゃいけない」

 エクスとは違い、アルスはマントにいくつか葉っぱをつけながらも危なげなく森を歩いていく。森を歩き慣れていないエクスは、そのあとをついていきながら重ねて質問をする。

「なんで金星の光はダメなんですか?」

「んー……まあ、おとぎ話の類なんだけど、さ……昔々月の神様はすでに奥さんがいたにも関わらず金星の女神に恋をしてしまい、ちょっかいを出そうしてね。んで女神の父親が激怒して月の神様はしばかれたんだよ。だから月を利用した魔法や儀式の時はなるべく金星を遠ざけないといけないんだよ」

 聞いたことのない御伽噺にエクスはへー、と興味深そうな声をあげる。御伽噺はいろんなものを聞いたけれども、これは初めてだ。そもそも月の神というのが聞いたことがない。

「そんな御伽話があるんだ。初めて聞きました」

「……まあ、なにぶん古い話だからね」

 突然、ヒュウッと二人の間を冷たい風が通り過ぎた。その冷たさに一瞬身を竦めると、ついでに風が孕んでいた塵芥が目に入りそうになり、エクスは思わず足を止めて目を擦る。まつげに引っかかっていた塵芥を取って前に目をやると、気づいていないのかアルスは先へと足を進めていて、慌てて小走りで後を追う。

「じゃあ三日後には魔法の糸ができるってわけですね」

 追いつき、そう話しかけたところ、アルスは『遅れてたのか』という顔で振り返り、

「そうらしいよ。ボクも実際にやってみたことはないからあくまで本によれば、だけど」

 下草を踏みつけながら歩くアルスは少しだけ自信がなさそうに答える。

 そんなアルスの横に並んだエクスは取引を持ちかけるように、

「実際に試してみたいとは思いませんか?」

「ボクは思わないけど?」

 即答である。取り付く島もないほどバッサリと斬って捨てられたエクスはどうにか魔法の糸を作ってもらえないかと頭を回転させるが、考えをまとめるよりも先に、

「特に興味もないしね。魔法の糸も別に欲しくもなんともないし」

 だから、とトドメを刺すようにアルスは続けて、

「センパイもメクイグモをどうこうしようなんてぜっ、た、い、に!考えないでよ。さっきも言ったけど危険なんだしさ。ってゆーか命に関わるし。肝心の糸も魔法の糸にするよりも先に固められて、蜘蛛の餌になるのがオチなんだから」

 子供に言い含めるようなアルスの言葉に、エクスはどこか不満げな顔をしながらも渋々頷くしかない。

「分かりましたよ……あの、あくまでもちなみになんですけど、糸で固められたらどうすればいいんですか?」

「……石を叩き割るみたいに強い力で叩いて砕けばいいけど……まさかセンパイ、捕まえようなんて思ってないよなぁ?」

 どう聞いても『ちなみに』なんて思えない言葉を受けて、少しばかり強めに釘を刺すとエクスは心外だとばかりに顔をしかめ、

「ひどいですよ師匠、僕がそんなことするような人間に見えるんですか?」

「むしろそんなことするような人間にしか見えないけど」

 それを聞いてハア、とエクスは大げさにため息をつく。

「どうやら師匠の目は曇っているようですね」

「曇ってんのはお前の心だろ」

 言いながらえい、と隣を歩く長い脚を軽く蹴ってやる。

「痛っ!?え、いきなり攻撃してきた……ヤバいわこいつ……」

 なんかブツブツ言い始めたエクスに今度はアルスがため息を一つ。というか自称とはいえそれが弟子の言うセリフか。

 とにもかくにも、

「いいから余計なことすんなよ。もしエビセンパイに何かあったとしても助けてやれるとは限らないんだからな」

 アルスの言葉にエクスは目を合わせずこっくりと頷くのだった。

 そしてその日はそのまま何事もなくアルスの家まで戻り、そこで解散となった。

 

 ちなみに昼飯はパンだけでなく、ご飯をくれる人から豆のスープまでもらっていた。

 

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