やがて英雄へと導く魔法使い   作:NJR

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第三章   英雄になっちまった!(3)

 エクスはぼんやりとした面持ちで一人歩いていた。

 そんなつもりではなかった。

 ちょっとした冒険のつもりだったのだ。

 村の人間たちが近づかない森へ行って、知恵と度胸で問題を乗り越えお宝を手に入れる。

 そんなささやかな冒険を。

「そのはず、だったんだけどなあ……」

 呟く声に力はない。

 ひょっとしたら心のどこかでアルスを侮っていたのかもしれない。あれだけすごいすごいと褒め称えて、勝手に弟子入りまでしたのに。

 そう考えてエクスはいや、と首を振る。

 アルスを侮っていたのではない。自分は『魔法使い』を侮っていたのだ。

 その結果ああなった。まるで昔話の魔法使いの忠告を無視してひどい目に遭う欲張りのようだ、とエクスは自嘲気味に笑う。魔法使いが凄いなんて当たり前のことだし、アルスがどれだけ凄い魔法使いかなんて知っていたはずなのに。

 けれども今更後悔しても遅いのだ。エクスにできるのは後でもう一度謝りに行くことぐらいだろう。今はとりあえず家に帰っておとなしくしているべきだ。

 エクスが自分の家に向かってトボトボと歩いていると向こうから男が一人歩いてきた、

 妙に背の高い、細目の痩せた男。首元からは二本の角をあしらった変わった首飾りを下げている。こないだも会った医者だ。

「おや、こんにちは」

 向こうも気がついたようで声をかけてきた。

「……こんにちは」

 つい返事がぶっきらぼうになってしまった。なにせこのあいだ会った時は人のことを無遠慮に眺め回した挙句アルスにかなりの嫌味を言ったのだ。なにより今は誰が相手だろうが世間話をする気分ではない。

 そのまま横を通り過ぎようとしたエクスだったが、そんなことはお構いなしに医者は話しかけてきた。

「今日はあの魔女と一緒じゃないんですね」

「……魔女じゃなくて魔法使いですけどね」

 医者にそのつもりはないだろうが、色々と抉られたエクスはつい足を止めて不機嫌さを隠そうともしないで答える。

 そんなエクスに医者は呆れたような顔で向き直る。風で乱れる髪が気になるのか、しきりに頭に手をやっている。風はだいぶ緩やかなため髪の乱れも小さなものなのだがどうにも気になるらしい。

「どっちも同じようなものでしょう。どっちも怪しげな術を使い、何をしているのか分からない気味の悪い連中なんですから。というかあなた噂になっていますよ?最近あの魔女の周りをうろちょろしているって」

 その言い様にカチンときたエクスは正面から医者の目をしっかと見据える。ただでさえ気分が沈んでいたところなのだ。普段であれば我慢して聞き流すような言葉も今はやたらと癇に触った。

「いや別に噂とかどうでもいいし。あとどっちも同じってのはあなたが勝手に決めつけているだけでしょ。別に魔法だって怪しげなものじゃなくて村の役に立つものなんだし」

 エクスの言葉に医者はおや、とでも言うように片眉を上げた。

「君は彼女が魔法を使うところを見たことがあるのですか?」

「え?ああ……いや、ないです。そういう風に話を聞いたってだけで……」

 医者の質問にエクスは一瞬慌てるがなんとか誤魔化す。アルスには言わないでくれと言われているのだ。これ以上約束を破るわけにはいかない。

 エクスの返答に医者は少しだけ訝しげにしていたがすぐに呆れた表情に戻り、

「つまりはただの噂のようなものじゃないですか。伝え聞いた話でそんなことを言われてもねえ」

 その言葉に反射的に大声で言い返しそうになるが、なんとか一旦口を閉じる。呼吸を意識的に深くゆっくりにする。気づけばエクスは無意識のうちにぎゅっと拳を固く握り締めていた。それと同時になんだか視界も狭まったような気がする。

「……それはそっちも同じでしょう。ろくな根拠も無しに魔女呼ばわりして」

 どうにか努めて冷静に言い返す。深呼吸のおかげか、頭に集まった熱が少しだけましになった。

「ですが彼女が得体の知れない力を使うことは事実です」

 これまでとは違う、鋭い口調だった。医者はその細い目に真剣な色を覗かせ、

「君は彼女の力がどんな理屈でどんなふうにすれば扱えるのか知っていますか?」

「……いいえ」

 あの川原からの帰り道に受けた説明を思い出すが、エクスはそれを押し込めて知らないふりをした。代わりに脳裏に浮かぶのは黙っていて欲しいと頼むアルスの姿だ。

「では彼女が具体的にどんな現象を引き起こせるのか知っていますか?」

「…それも、知りませんけど」

 言葉少なに答えるエクスに医者は溜息をつくとそれでも真剣さを崩さずに、

「要するにあなたは『知らない』んです。だというのに君は何故あの魔女を庇うのですか。何かあってからでは遅いのですよ?」

 医者は目線を合わせてゆっくりと語りかけてくる。そのまるで小さな子供に言い聞かせるような口調は余計にエクスの癇に触った。

 エクスは覗き込んでくるような医者の目をきっと睨むと、

「庇うも何も、おかしいと思うからおかしいって言ってるだけですよ。それに何かってなんですか?別にアルスさんは問題を起こすような人じゃないと思いますけど」

 その言葉に医者はああもう、と苛立たしげに頭を掻く。

「だから彼女は魔女だって言ってるでしょうが!何をしでかすか分からないんですよ!」

 医者はエクスに詰め寄るとその痩せた長い指をずいと突きつけてなおも言い募る。 

「あなたはさっきあの魔女の力について分からないって言いましたよね。想像してみなさい。もしその得体の知れない力で襲ってきたらいったいどうするんですか?分からない以上誰にも対処なんてできないんですよ?あれのほんの気まぐれや癇癪で私達は危険にさらされるってことが分からないんですか!?」

「あの人が!」

 思わず声を荒らげた。エクスは自分でも驚く程の大声を医者に叩きつけるが、すぐに我に返ると落ち着いて言い直す。

「……あの人はそんなことをしないです、絶対に。そう信じてます」

「……は?」

 その言葉を聞いた医者は一瞬ポカンとした顔になると次いで大きく顔を歪ませた。まるで決して認めたくない言葉を聞いたように。

「なんでそんな風に言い切れるんだ……信じてる、信じてるだと……」

 酷く歪んだ形相でエクスを睨みつける医者の言葉は、途中からブツブツとした独り言のようになってよく聞き取れなかった。けれども、目の前の存在が許せないという感情だけはありありと伝わってきた。

 医者はしばし一人でブツブツと呟いていたがやがて何かに気づいたようにハッとすると、ニヤリと大きく嫌らしい笑みを浮かべた。

「ああ、なるほど」

 口元はその嫌らしい笑みのまま、見下すようにただでさえ細い目を更に細くすると、

「得体の知れない魔法使いとはいえ、見た目の良い女は得ですね」

「……どういう意味だよ」

 エクスの問いかけに医者は答えず、ニヤニヤとしながら肩を竦めるばかりだ。そして、ああそういえば、と妙に大げさに声をあげる。

「噂で君は彼女の家に出入りしているとか聞きましたけど・・・もしかして夜毎にあの魔女のもとに入り浸ったりしてるんでしょうかねぇ?」

 瞬間、カッと頭が沸騰しそうになった。思わず我を忘れて殴りかかりそうになるのをギリギリでどうにか堪える。ここでこの男を殴り飛ばすのは簡単だが、それでは周りの目がますます冷たくなるだけだ。自分だけなら構わないが、まず間違いなくアルスにも迷惑がかかる。そう考えてエクスは拳を固く握り締めて自分の感情をどうにか殺そうとする。

 だというのに一方の医者はより笑みを嫌らしく、深くする。

「おや、どうしました?もしかして図星をついてしまったかな?」

「あるわけないだろ、そんなこと!ふざけんのもいい加減にしろ!」

 口から言葉を発するのにひどく時間がかかった気がした。なんとか衝動を押さえつけて口にした言葉は、それが滲み出ていた言葉だった。

 どうしてアルスがそんなことを言われなければいけないのだ。

 いったいアルスが何をしたのだ。アルスは人を傷つけるためじゃなく、村のために使っていたのに。もしかしたら目の前のこの男もその恩恵を受けていたかもしれないのに。

『やっぱり自分の魔法で人の役に立てるのは嬉しいかな』

 そう言って笑ったアルスの顔を思い出す。

 あの笑顔が踏みにじられた気がした。それでもエクスは黙って歯を食いしばり、拳を握り締めるだけに留める。

 かたや大声で怒鳴られた医者は、しかしそれを意に介した様子もなく自分の首筋を小刻みに叩くと、

「まあ口では何とでも言えますしね。しかしながらそんなに必死になるなんてかえって怪しく見えますよ?違うというなら無視すればいいでしょう」

 エクスはこれ以上咄嗟に怒鳴らないようにと静かに深呼吸をしていたが、医者の言葉を聞いてますます胸の内で黒くてザラザラとしたものが渦を巻き、グツグツと煮えたぎっていくのを感じた。

「……あんたが、あの人の何を知っているっていうんだ」

 怒鳴らない代わりに吐き出したのは温度の消えた底冷えのする声だった。

 もはや表情の消えた顔で問うエクスを医者は鼻で笑うように、

「じゃあ逆に聞きますけどね」

「なんですか」

 

「君こそあの魔女の何を知っているんですか?」

 

「……え?」

「だってそうでしょう?人にそんなことを尋ねるくらいなのだから、君は彼女について色々なことを知っているのでは?それこそそこまで彼女を庇うくらいなんですし、彼女が危険でないことを証明してくださいよ、今ここで」

「それは……」

 その問いになんと言うべきか、エクスは咄嗟に思いつけなかった。

 知っていることはいくつかある。名前。住所。年齢。使用する魔法やその理屈。けれども逆に言えばその程度だ。何が好きで何が嫌いかとか、趣味は何かとか、得意なことや反対に不得意なこととか。そういった親しいなら知っていることを何も知らない。

 ならば、エクスはアルスについて何を知っているのだろう。魔法はともかく、名前や住所など村人なども知っている。勝手に師匠などと呼んだりしていながらそんな村人たちと変わりないのではないか。ましてや自分だけが知っていることなど魔法についてくらいだ。

 自分はアルスのことを何も知らない。趣味嗜好といったものから、これまでどんな人生を生きてきたのかも。

「どうしました?もしかして答えられないんですか?あんなことを言っていたというのに?」

「…………」

 黙りこくってしまったエクスを見た医者はどこか勝ち誇ったような顔になる。

「結局のところ、友人であるはずの君でさえ彼女のことはよく分からないのでしょう。友人ですらない私や村の人たちが怪しむのも無理はないのでは?」

 それはそうなのかもしれない。『知らない』ということは疑いや時に恐怖を生むのだ。ならば医者の言葉も正しくはなくとも仕方なくはあるのかもしれない。

 それでも、だ。

「確かに僕はアルスさんのことを何も知りません。けれど一つだけ知っていることがありますよ」

「ほう、何でしょう?」

「それはアルスさんがとても優しい人だってことです」

 先ほどの本気で怒ったアルスを思い出す。

 正直、あんなに怒られるなんて思わなかった。勿論悪いのはエクスだ。だがあそこまで真剣に他人を怒る人をエクスは初めて見た。今までエクスが見てきた『怒る』という行為は自分の怒りを発散させるために相手にぶつけるようなものだった。あの水面のように揺れる碧い瞳は、周りがぼおっと朧ろげな中で一際しっかと焼きついていた。

 アルス・アルマルは人のために本気で怒ることが出来る人間だ。あんなに真剣に怒ってくれるような人がそんな得体の知れない恐ろしい存在であるわけがない。何を知っているんだと聞かれ、何も言い返せなくてもこれだけは断言できる。絶対に、だ。

 エクスの言葉に医者はブルリと震え、堪えるようにぎりりと歯を食いしばる。その怒りに満ちた目をしっかりと見据え、エクスは挑むように言う。

「それに……アルスさんのことを何も知らなくっても、信じることはできます」

「……そうですか」

 その言葉を医者はどう思ったのか、表情の消えた顔で静かに息を吐くと、

「どうやら君とはこれ以上話しても無駄なようですね」

 そう言ってエクスの横を通り過ぎ、足早に立ち去った。

 エクスは少しだけ振り返ってその背中を眺める。あれだけ絡んできたのに去り際は随分とあっさりしていた。とはいえエクスとしてもこれ以上会話をしなくて済むのはありがたいが。

 歩きだしたエクスは自身の中に怪物が巣食っている錯覚を覚えた。

 胸の内に溜まったそれはざらついたり燃え上がったり、鋭くなったり煮えたぎったりと目まぐるしく形を変える。エクスは頭を振ってみたり溜息と一緒に吐き出そうとするが上手くいかず、たまらなくなって近くの木を蹴りつけた。返ってくる硬い感触に悪態をつく。

「ああ、くそ……」

 暖かな日差しさえも気分をささくれ立たせる。

 忌々しげに端の方が赤く染まり始めた空を見上げたエクスは、近くにあった小屋の影に入り込んだ。周りが無駄に明るい中唯一といっていい影の中で、ようやく溜息とは違う息を小さく吐き出した。そのままズルズルとしゃがみこんで膝を抱え込む。

 そのままエクスは日が暮れるまで取り残された影の中で小さく丸まっていた。

  

 

 

 メクイグモの一件から十日が経った。

 アルスはあれからエクスと顔を合わせてはいない。単純に薬の調合の依頼が続いて忙しかったのだが、それだけではない。

 一度だけアルスが出かけた先から帰ってきた時、家の前でエクスを見かけた。帰ってきたアルスには気づかずに遠慮がちに玄関の扉をノックしていたが、留守だと諦めたのか玄関から離れるのを見てアルスは咄嗟に木陰に隠れた。隠れてから何故隠れなければならないのかと思ったが、ならばと出て行ったところでどんな顔をして会えばいいのか分からず、結局そのまま木陰でやり過ごした。

 何の用だったのか、それすら分からないままだ。

「大事な用ならもっとしつこく来ると思うけど……」

 暗い夜道を歩きながらアルスはポツリと呟く。

 すっかり日の沈んだ夜道は、しかし意外な程明るい。今夜は一際月が明るいのだ。

 夜闇に同化するかのような黒いフード、そこから覗く銀髪が月明かりを受けてキラキラと美しく輝く。もしそれを見る者がいたなら、まるで御伽噺に出てくる銀の絹のようだと思ったことだろう。

 だがその美しさとは裏腹に本人は浮かない顔だ。その愛らしく整った顔には思考がこんがらがったような色を浮かべている。

「けど仮に来てもどんな顔で会えばいいんだよ……」

 結局はそこなのだ。

 ただ単に怒ったから気まずい、というだけではない。言いつけを破ったのはエクスだが、アルスはアルスで魔法使いとしての責任があるのだ、その負い目もあってどうにも顔をあわせづらい。

 とはいえさすがにそろそろ覚悟を決めるべきだろう。アルスの魔法使いとしての負い目などエクスは知りもしないのだし、会わなければ会わないほど余計に顔を合わせづらくなるだけだ。

 うーん、でもなあ、などとアルスが歩きながらブツブツ悩んでいると、月明かりに照らされた道の向こうにぼんやりとした人影が見えた。

(あ、まずい……!)

 アルスは人影を見つめて小さく舌打ちをする。都会と違って酒場すらないこんな田舎の農村では基本的に日が沈んでからは誰も出歩かない。やましいことは何もないが、こんな時間に出歩いてるのを見られたらまた魔女がどうのこうのとあらぬ噂を立てられる。

(というかあっちはあっちで何してんだろ?)

 人影を警戒しながら疑問に思う。考えてみれば不自然な時間に出歩いているのは向こうも同じなのだ。滅多にないが夜には野犬や狼が入り込むこともあるのに出歩く村人がいるのだろうか。

 もしや盗賊だの物取りの類かと身を固くしたところで人影がこちらへと近づいてきた。

「え…エビセンパイ?」

 近づいてきた人影はちょうど頭を悩ませていたエクス・アルビオだった。何やら持ち手のついた網のようなものを持っている。投げる用ではなく掬う用のものなのだ。

 エクスはエクスで驚いた顔で、

「え、あれ?師匠?何やってるんですかこんな時間に」

 その相変わらずの呼び方にアルスは少しだけほっとした。

「それはこっちの台詞だよ。こんな暗くなってから出歩くなんて何してんだよ」

 最後に会った時があれだったのでついつい怪しく思ってしまう。けれどもその口調は以前よりもどこか躊躇いがちだ。視線もなんとなく目を合わせない。

 一方エクスは以前とほとんど変わらない調子で、

「ちょっとご飯をですね、捕りに行くとこなんです」

「は?ご飯?」

 なんか予想外の返事が返ってきた。『ご飯を獲りに行く』というのも意味不明だし、夜になってからというのも分からない。

 どうにも怪しいと感じたアルスはどこか遠慮がちに質問する。

「えっと……ご飯って何捕りに行くの?」

 手に持っている網を使うのだろうが何を狙う気なのか。もしや魚を捕るためにこの間の川に行くつもりではないだろうか。だとしたらまた叱るべきなのだろうが……

 頭を悩ませ始めたアルスとは対照的にエクスは何故か少しドヤ顔で、

「実はですね…村の外れの池でエビが捕れるんですよ」

「え、共食い?」

 どうやら自分の弟子が甲殻類に見えているようだ。

 思わず反射的に喋ってしまったアルスにエクスは心外だと言うように、

「いや、何でだよ!?なんかやばいこと言ってるんだけどこの人。頭おかしいわマジで」

 自称人間さんは甲殻類扱いが大変不満らしい。

 どこか緊張した面持ちのアルスはそれを押し殺すように明るく振舞う。

「陸のエビVS池のエビかぁ。どっちが勝つんだろうなぁ」

 クスクスと笑うアルスはエクスを完全にエビ扱いだ。陸のエビとは何なのか。

 だがその実、内心はかなりホッとしていた。さっきまで気まずく感じてあれこれと考えていたのだが、いつも通りのエクスにアルスもつい以前と同じような反応をしてしまった。直後にしまった、と思ったがエクスの反応を見て、それがわざとなのかは分からないがそのまま甘えることにしたのだ。

 一方で、

「俺をなんだと思ってるんだ、まったく」

 不満そうな顔でブツブツ言うエクスは果たしてどう思っているのか、軽く溜息をつくと気を取り直したようにアルスに向き直る。

「まあいいや。お腹減ったんでとりあえず行きましょうか」

「あ、うん」

 エクスに促され二人は歩き出した。アルスは帰りでエクスはこれから向かうところだが、方向はたまたま一緒なので二人で並んで歩く。

「…………」

「……」

 歩き始めるとエクスは何やら考え込み始めた。先程までとは違って真面目な顔だ。

 何をそんなに考え込んでいるのかアルスには分からなかったが二人で歩いているのに無言でいるというのにも耐えられなかったので、また適当に軽口でも叩こうと口を開く。だがそれより早くエクスが静かに喋り始めた。

「あの、師匠」

「何?」

 短いやりとり。だが先程までとは空気が変わったのをアルスは感じた。

「この前はすみませんでした」

「……」

 一旦立ち止まったエクスはアルスに向き直ると、深々と頭を下げて謝った。

「なんていうか、えっと、ちゃんと忠告されたのにそれ無視して、それで勝手に危ない目に遭って心配かけて色々手間とらせて…だから、その…申し訳ありませんでした」

 目の前まで下がってきた金色の頭を眺めていたアルスは何かを覚悟するかのように細く長く息を吐くと、

「もういいよ。ボクがもっとちゃんと言っておけば…ううん、それ以前にあんな危険な森に連れて行かなければ良かったんだし」

「いや、そんな……悪いのは俺ですし……」

「それ以前の話だよ。仮にも魔法使いを名乗るならもっと慎重になるべきだったからさ。ましてやあんな場所に連れて行くなんて」

 頭を上げたエクスはどこか困ったような顔でアルスを見つめる。

「あれから色々考えたんだ」

 アルスは目を逸らすようにゆっくりと空を見上げた。静かで、どこか穏やかな夜空は小さな宝石を目一杯に散りばめた黒いビロードのようだ。その真ん中に浮かぶ一番大きくて明るい女王のようなそれと、アルスは何故か目があった気がした。

「知識の伝え方やその慎重さとか魔法使いの知識の危険性とか。そういうのを色々考えてさ、やっぱり色々と迂闊だったなぁって思ったんだ」

「いやでも、師匠の忠告を無視したのは俺だし……」

「うん。それはそう」

 アルスは視線を戻し、はっきりと断言する。けれどもその表情はこのあいだのように厳しいものではなく、むしろ柔らかい雰囲気だ。

「でも大事なのはそこじゃないんだよ。それ以前に魔法使いが知識のない一般人を軽々しく危険な所に連れ回したのが問題なんだから」

 アルスはどこか大人びた目でエクスの顔を見ると、

「だからさ、センパイのそれとは別にボクはボクで魔法使いとして非があるんだよ。これはセンパイが悪いからとかで消えて無くなるものじゃない」

 そう言うと魔法使いの少女は目の前の弟子の目をしっかりと見据え、

「危険な場所に連れて行って、そしてちゃんと教えなくてごめんなさい」

 頭を下げた。

 慌てたのはエクスの方だ。

「ちょ、師匠!?顔を上げてください!」

 エクスはアルスに近寄って顔を上げるように促すが、アルスは深く頭を下げたまま動く気配がない。その様子に困ったエクスは中途半端に伸ばしかけた手を行き場なくフラフラと彷徨わせる。

「あの、師匠……?」

 声をかけてみるがアルスは頭を下げたまま動かない。その頑なな姿勢を見てエクスはどうしたものかと少し悩んだ後、

「えっと、師匠の言いたいことは分かりましたから。とりあえず顔を上げてくださいよ」

 そっとアルスの肩に手を置いて促すとようやく顔を上げてくれた。エクスは小さくホッとする。

「その、師匠は師匠で魔法使いとして責任を感じてるみたいですけどそれで俺が悪くなくなるわけじゃないし……だからなんていうか、まあ、お互い様ってことで」

 自分より頭一つよりも下にある顔を覗き込むようにして言うと、アルスは少し黙ったままだったがやがてこくりと頷き、

「ん、分かった」

 そう言って肩の力を抜くように小さく息を吐いた。その様子にエクスも釣られたかのように安堵の息を吐く。

 そうして再び並んで歩き始める。二人とも、その足取りはなんだか軽いものになっていた。

 穏やかな闇の中、しゃらり、しゃらり、と降り注ぐ月光を浴びながら二人は歩く。時折、風が草木の香りとともにゆっくりと流れていく。目が見えにくくなるからか、暗闇は匂いを強くするようだ。それとも胸の内に抱え込んでいたものが晴れたからか。アルスはすっきりとした胸の内を満たすように深く息を吸う。

 朝になれば村人が行き交う道もこの時間なら誰もいない。アルスとエクス。魔法使いとその弟子。暗闇が邪魔者を追い出した静かなそれを二人はのんびりと味わう。

「それにしても何でこんな時間にエビ捕りに行くの?」

 アルスはもう一度夜空を見上げながら隣を歩くエクスに声をかける。この貴重な静寂を破るのは少しもったいない気もしたが、やはり無言でいるのも居心地が悪い。

「奴ら昼間はあちこちに隠れてるんですけど、夜になると出てきて簡単に捕れるんですよ」

 一方エクスは無言も静寂もどちらも気にしてないような様子で、若干ドヤ顔でエビの豆知識を教えてくれる。あまり役には立たなさそうな知識だが。

「どこで覚えたんだよ、そんなこと」

「経験ですね。何度も挑んでもっとも捕りやすい時間を見つけたんですよ」

「その情熱をもっと別のことに活かせよ」

 アルスは呆れた目で隣の顔を見上げる。まるで職人のような言い方だが結局はエビ捕りである。というか池のエビなど食べても大丈夫なのか。

「あんまりヘンなもん食うなよ。お腹壊しても知らないぞ」

「大丈夫ですって、壊したことないし。っていうか普通に美味しいですよ」

「いや、味の問題じゃないって」

 そこでエクスは何やら難しそうな顔でアルスを見たかと思うと、うーんと考え込むように低く唸る。

「んー……しょうがない。三匹までなら譲りましょう」

「いらないよ!ボクがいつ欲しがったんだよ、エビなんて!」

「え、いらないんですか?……まったく、好き嫌いするなんて師匠も子供ですね」

「エビの餌にしてやろうか」

 エビが食中毒をおこしそうだ。

 やれやれと首を振るエクスをポカリとアルスは軽く殴る。だがその様子はどことなく楽しそうだ。

 なんだかこういうやりとりも久しぶりな気がする。あれから十日しか経っていないのに不思議なものだ。

 そんなことをアルスが考えているとエクスが、

「そういえば師匠。最近見かけませんでしたけどなんかあったんですか?俺、何度か師匠の家に行ったんですけど」

 その言葉にアルスはぎくりとした。まさか木陰に隠れていたなんて言えない。だが幸運にもエクスはそのことに気がついていないようだ。

「あー、まあ、なんていうか色々と忙しかったんだよ」

 あはは、と誤魔化すようにアルスは笑う。実際忙しかったのは事実だ。エクスも何度かと言っていたが彼の姿を見たのは木陰に隠れた一度きりだし。

 エクスは特に疑う様子もなく、

「あー、確かに見た感じ、そんな感じですね」

「そんなに忙しそうに見える?」

 アルスの疑問にエクスはちょっと屈んでアルスの顔を覗き込むと、

「だってなんか寝癖とかついてるし、ちょっとクマできてるしで分かりやすいですよ」

「ちょっ!?あんま見るなよ!」

 アルスはまじまじと人の顔を観察する無礼野郎をグイーと押しのける。暗くて見にくいからか思いの外近かった顔についでに軽くパンチを食らわせる。

「いった!?え、何、急に?いきなり発狂したんだけどこの人」

 顔を抑えて大げさに反応するエクス。そこまで、というかまったく力を入れていなかったのだがやたら大げさに騒いでいる。

「あー、ダメだ。すげえ痛い。師匠のパンチ痛すぎるんだけどマジで。ずっと痛いってか、このままじゃ治んない気がする。なんか食べ物貰ったら治ると思うんだけど」

「よし、歯を食いしばれ」

 慌てて逃げるエクスをアルスが追いかける。夜も遅いというのにドタンバタンと賑やかな音が鳴り響く。たまたま近くに民家が無かったのは幸運だった。

「……?」

 そこでふとアルスが動きを止めた。何かに気がついたように耳を澄ませる。

「師匠?」

 アルスの様子に気がついたエクスも逃げるのを止めてアルスに目を向ける。

「……センパイ、今何か聞こえなかった?」

「え?……いえ、何も」

 アルスに目を向けられたエクスもつい今しがたの記憶を探るが、特に思い当たることはない。

「んー……気のせいかな……?なんか変な音が聞こえた気がしたんだけど」

 いまいち釈然としない顔でアルスが首を傾げる。しかし結局気のせいだと考えたようで気を取り直したように再び歩き出した。

「それにしてもそんなに忙しかったんですか?」

 じゃれあいも有耶無耶になったことでエクスが後を追いながら話題を戻す。

「まあねー……薬の調合の依頼が重なっちゃってさぁ。おかげでここ最近は寝不足だよ」

 仕事があるのはいいことだけどね、とアルスは苦笑いする。

「昨日なんか依頼人の家に届けに行ったら、肝心の調合した薬を忘れちゃってさ。いやホント何してんの自分、って」

「師匠って時々アホになりますよね」

「うっさいよ。まあとにかく、それだけ忙しかったんだよ。薬に限らず忘れ物はちょくちょくしちゃってたし」

 ふーん、とエクスは気のない返事をする。そしてぼそっと聞き取れない声で、

「……普段あんな目で見てるのに都合のいい時は頼るんだな」

「?……何か言った、エビセンパイ?」

 なんと言ったか聞き取れなかったアルスがエクスに目を向ける。

「いや、頭でかいのに記憶の容量は少ないんだなって」

「脳みそエビ野郎に言われたかねえわ!」

 ウガー!と再びエクスに殴りかかろうとするアルス。だが再びその動きはぴたりと止まる。アルスのその不自然な体勢に逃げようとしていたエクスは訝しげな顔になる。

「ねえ……やっぱり気のせいじゃないって。何か変な音聞こえるんだけど」

 言われてエクスも耳を澄ませば、何やらズズズと奇妙な音が聞こえてきた。

「なんだこの音……?」

 二人して耳を済ませたまま眉を顰める。このような音は今まで聞いたことがない。

 困惑した二人がしばらくそうしていると不意にアルスが何かに気づいたように、

「なんか……でかい何かが這いずり回ってるような感じじゃない……?」

 アルスの言葉にエクスは嫌そうに顔をしかめる。

「いや、でかい何かってなんですか。気味の悪いこと言わないでくださいよ」

 だがそう言われてみればそんな感じの音のように聞こえる。エクスは軽く首を振り気のせいだろうと思う事にする。

 しかしエクスは先程までの奇妙な音に加えて、ヌチャヌチャと気持ちの悪い音も混ざっていることに気がついた。隣を見ればアルスも聞こえたようで顔が少し引きつっている。

「……」

「……」

 二人は無言で顔を見合わせると音の聞こえてくる方へと目を向けた。

「……どうする、センパイ?」

「どうするって……」

 視線を闇の向こうへと向けたまま尋ねてくるアルスに、エクスはどうしたものかと頭を悩ませる。確かに気になる。気にはなるのだが、同時になんだか嫌な予感がする。それはもう、猛烈に。

「師匠はどうなんですか?」

 自分では悩むだけなので隣の魔法使いの意見を聞いてみる。あるいは背中を押して欲しかったのかもしれない。

「ボクは……やっぱり確認だけでしとくべきだと思う。このままだと不安だし」

「ですよね」

 エクスは改めて音の方へ目を向ける。好奇心がないわけではないがそれよりもアルスの言うように不安が大きい。正直嫌な予感がするが『分からない』ことによる不安や気持ち悪さの方が大きい。危険な何かだったとしても近寄らなければ安全だとは限らないし、分からなければ対処のしようがない。もし自分達が逃げたとして他の村人や家畜達が被害に遭うかもしれない…もちろん音の原因が危険だとは決まっていないが。

「まあきっと、猫か何かが変な悪戯でもしてるんだよ」

 いっそ白々しい様子でアルスが冗談めかして言う。アルスは少し緊張してはいるが、逆に言えばそれだけのようだ。その姿にエクスは少し肩の力を抜いた。

 そう、なんだかんだ言ってもこちらには魔法使いがいるのだ。一人だったら逃げ帰ったかもしれないがアルスが一緒ならば平気だろう。もし猛獣だのの類だったならば、またあの雷をお見舞いしてくれるだろう。

 エクスがそんな風に考えていると、アルスは気持ちを切り替えるように、

「それじゃエビセンパイはちょっと待ってて」

 その言葉を聞いたエクスは慌てたように、

「いやいや俺も行くって。置いてかないでくださいよ」

「何ガキみたいなこと言ってるんだよ。何がいるか分からないんだから大人しく待ってろっての」

「猫かなにかなら問題ないじゃん。っていうかこの状況で一人残される方が怖いわ。師匠と違って魔法とか使えないんですよ、こっちは」

 エクスがそう言うとアルスはぐむ、と一瞬押し黙った後に溜息をついた。

「ま、どーせ正体はたいしたことないだろうし。ただ万が一の時はとっとと逃げろよ」

「分かりました」

 話がまとまると二人は音の聞こえてきた方へそろそろと歩き出した。不気味な音はこうしている今も聞こえてくる。

 そうして周りの様子を伺いながら歩いていると。ズルっとアルスが何かに足を滑らせて転んでしまった。夜だからか、バタン!と音が響く。

「大丈夫ですか、師匠?」

「いったぁ……何だよこれ。油、じゃないよね……」

 アルスが周りの地面を触ると、ヌルリとした何かが手についた。最初は油かと思ったがそれにしては妙に粘ついている。さらになんだか生臭い匂いまでする。

「うわっ、気持ち悪っ!」

 慌ててアルスは手についた粘液を手近な布で吹く。

「って、なに人の服に拭ってるんですか!自分の服で拭ってくださいよ!」

「だってそうしたらボクの服が汚れるじゃん」

 この師にしてこの弟子あり。

「それにしてもなんだろ、これ」

 アルスはしゃがみこんだまま地面を観察する。月明かりに照らされたそれはヌラヌラと気味悪く光を跳ね返している。まるで美しい月光とは相容れないかのようだ。

 近くに落ちていた小石でいじってみれば、ヌルヌルと滑るうえに地面から小石を離せば糸を引くほどの粘つきをみせる。

「んん……?なんかこれ、最近どこかで……」

 粘液に引っかかるものを感じたアルスはここ最近の記憶を探ってみる。が、どうにも思い出せない。確かに最近どこかで見たはずなのに、とアルスは眉を寄せる。

「し、師匠……」

 アルスが頭を悩ませているとエクスの上擦ったような声が聞こえた。

「ん、ああ。まあこのヌルヌルは置いといてもう行こうか」

「いや。そうじゃなくて、あれ…」

 いったいどうしたのかとアルスがエクスが指差す方へ目を向けると、

「……へ?」

 そこにいたのは横は三メートル、高さは二メートル近くある巨大なナメクジだった。

「え、なにあれ……?」

 ウネウネと目玉を揺れ動かすその化物は、その巨体を動かすたびにズズズッと低い音を響かせる。さらに体が草木に触れるたびに粘液がヌチャヌチャと気持ち悪い音を立てている。その動きは巨体故かナメクジとは思えない早さだ。

 予想だにしない光景に二人して呆然としていると化物の動きがピタリと止まった。目玉のついた触手がウネウネしているため分かりづらいが、なんだか見られているような気もする。

「あの、師匠……なんだか嫌な予感がするんですけど……」

「……奇遇だね。ボクもなんだけど」

 二人が嫌な汗をかきながらジリジリと後ろに下がっていると、いきなりズズズッ!と巨大ナメクジがせまってきた。

「「うわわああぁぁっ!?」」

 慌てて悲鳴を上げると二人は回れ右をして走り出す。

「なんなんですかあれ!あれも魔物!?」

「ボクも知らないよ!っていうか追ってきてるし!」

 言われてエクスが後ろを振り返ってみれば、化物はナメクジとは思えないスピードでおってきていた。

「ヤバいって師匠!ナメクジのスピードじゃないんだけど、あれ!」

「いいから走れ!」

 いくらナメクジとは思えない速さとはいえ、さすがに本気で走れば逃げ切れる。そう思っていたが、

「うわっ!?」

 いきなりエクスが先ほどのアルスと同じように、足を滑らせてドシンと転んでしまった。

「いったた……ちょ、これ走りにくいんだけど。何これ、どうなってんの」

 傍で見ていて腰が心配になるような転び方だったがたいした怪我は無いようだ。少し痛がるくらいで動けなくなったりはしていない。しかし問題はその足元の方だ。

 よくよく地面を観察してみればあちらこちらがヌラヌラと光っている。これでは走るのは難しそうだ。エクスもそのことに気がついたようで、

「はあ!?待ってこれどうやって逃げればいいんだよ?逃げれないじゃん、これじゃ!」

「ちょ、とりあえず立てって!」

 エクスを助け起こしながら後ろを振り返ってみれば、意外なほど近くまで化物は迫ってきていた。その距離はもう十メートルもあるかないかだ。

 アルスに助け起こされたエクスも後ろを振り返り顔を引きつらせる。

「こうなったら仕方がない……あれを使うか」

「あれ?何か作戦でもあるの?」

 アルスがエクスの顔を見上げるとエクスは自信満々に頷く。そして今なお迫り来るナメクジをビシッと指差すと、

「今こそ出番です師匠!さあ派手にやっちゃってください!」

「ボクかよ!っていうかここ村の中なんだけど!?」

 ただでさえ村の中で肩身が狭いのだ。これ以上悪目立ちしたくない。

「そんなこと言ってる場合ですか!それにそもそも黙っていればバレないって!」

「……ああもう!仕方ないか」

 正直村の中で派手な魔法は使いたくなかったが状況が状況だ。エクスの言うように黙っていた所でナメクジの死骸などでまた面倒な噂が立つかもしれないが、それを今考えてもしょうがない。

 アルスはそう考えると、腰の『アルスの森』へと手を伸ばす。が、しかしなぜかそこでアルスの動きがピタリと止まる。

「どうしたんですか師匠?早くしないとマズイですって!」

 動きを止めてしまったアルスに焦れるようにエクスは急かす。距離はもう五メートルもない。

「センパイ……落ち着いて聞いてほしいんだけど」

「何ですか?」

「えー……と、あの魔道書、家に忘れてきちゃった」

 ダッ!

「あ、おい待てぇ!一人だけ先に逃げるなぁ!」

 アルスの言葉を聞くなり一人で脱兎の如く逃げ出したエクスを追って、慌ててアルスも化物に背を向けて逃げ出す。

 エクスは滑って転ばないよう腰を落として小走りで走りながら叫んだ。

「つーか何忘れてきてるんですか!あれがなかったら雷の魔法が使えないんだろ!アホなんですか師匠!」

「忙しかったからしょうがないだろお!ボクだって好きで忘れたんじゃないんだからな!」

 ギャアギャア言い合いながらちょこちょこと小走りで逃げる二人。そんな二人をナメクジは逃がす気は無いようでズズズッと音を響かせながらなおも追ってくる。

「ちょ、ナメクジ……いや、ナメクジさん!食うなら師匠の方が美味いぞ!若くて多分柔らかいから!頭でかくて食いごたえあるし!滅茶苦茶脂ノってるからこれ!」

「おいこの馬鹿!人を生贄にしようとしてんじゃねえ!?」

 突撃!今日の晩御飯(ナメクジ編)にされそうなアルスが叫ぶ。

「魔道書を忘れた責任を取るんだ師匠!師匠の勤めを果たしてください!」

「やかましいこのバカ弟子が!お前こそ弟子だって言うんなら師匠の代わりに戦えよ!」

 メクイグモの件で真面目に謝り合ってた二人はどこへ行ったのだろうか。

 そうこうしながら逃げているとアルスはある違和感に気がついた。

 おかしい。さっき向かっていた時はここらへんに粘液はなかったはずだ。

 そう考えたアルスが周囲に目を走らせるとぎょっとした顔になる。

「センパイ……周りがヤバい事になってるんだけど……」

「いや、もう充分ヤバい……ってなんだこりゃ!?」

 エクスが驚くのも無理はない。何故なら周囲にはいつのまにかこの間畑で見た大きなナメクジたちがうようよしていたのだ。ただし数はあの時よりもかなり多い。そのせいかあの時は足元が滑ることはほとんどなかったが、今は気を抜けばあっというまに転んでしまいそうなほど粘液まみれになっている。

 そうしている今も後ろからはズズズッと、あの巨大ナメクジが追ってきている音が響く。

 本気で走れば逃げ切れるだろうが本気で走れる状況ではない。そのことに歯噛みしていると前方に二階建ての小屋が見えた。村の共同の保管庫になっている小屋だ。

 エクスは前方の小屋を指差すとアルスに向かって言う。

「師匠!俺があの小屋に隠れてナメクジを引き付けるんでその隙に師匠は逃げてください!」

 それでナメクジが追うのはアルスの方だろう。

「ふざけんな!隠れる時点で引き付ける気ぃねえじゃねーか!っていうかそれだとボクが引き付けることになるだろ!」

「チッ、気づいたか」

「ぶっ飛ばすぞお前!」

 ギャアギャア言っていると後ろのズズズッという音が少しずつ距離を縮めていることに二人は気がついた。

 さすがに冗談を言っている場合ではないと急いで小屋を目指す。後ろを振り返ればじわじわと距離が縮まってきているのが見えたが、ナメクジのスピードと小屋までの距離を考えるにどうにか間に合いそうだ。

「くっそ……たいした距離じゃないのに!」

 滑らないように小走りでしか走れないエクスがもどかしそうに呻く。アルスも同感だがそれ以上に滑らないように必死だ。

 そのまま足元に気をつけながら走り、やっと小屋にたどり着いた。

「師匠!早く中に!もうそこまで来てるって!」

「ちょ、分かったから押すなって!」

 幸い小屋に鍵はかかっていなかった。エクスは迫ってくるナメクジを気にしながらアルスを小屋の中に押し込んで、自分も転がり込む。

 小屋の中はだいぶ暗かった。それでも元々月が明るかったおかげか、窓からの月光で輪郭くらいは朧ろげに見ることが出来た。

「……つーか、こっからどうする!?よく考えたら鍵がないから立てこもれないじゃん!」

 小屋に入って安心したのも束の間、ナメクジが小屋の中にまで追ってくる可能性に気づいたエクスは焦る。扉が開かないように何か適当に積み上げればとも思ったが、食料の保管庫だからか小屋の中を見渡してみても、一階には積み上げられそうなほどの物はなかった。二階に何かあっても階段の昇り降りなどを考えれば間に合わないだろう。これではとてもじゃないが安全とは言えない。まあそもそも鍵が掛かっていたら小屋の中へ逃げ込めなかったのだが。

「とりあえず二階に逃げよう。足があるわけじゃないから階段が上がれないかもしれない」

 アルスがそう提案するとエクスも頷き、二人は二階へ逃げることにした。

 二人がさっそく階段を上ろうとした時、

「うわっ、来た来た来た!」

 あの巨大ナメクジが押し入るようにして小屋の中へと侵入してきた。小屋の扉にねっちゃりと擦り付けた粘液から糸を引くそいつは、ウネウネと感情の読めない目玉触手を二人へと向ける。

「急いでくださいよ師匠!ほら、早く!」

「だから押すなって!」

 ズルズルと這ってくるナメクジに、わたわたと慌てながら二人は階段を登る。

 二階まで上がり周りを見渡すと、いくつかの保存食らしき物とおそらく壺、それと袋に詰められた何かが複数置いてあるだけの空間だった。二人共、窓からの月明かりでぼんやり見えるくらいには小屋の中の暗闇に目が慣れてきた。そのままエクスが後ろを振り返ってみると、

「ちょっ、昇ってきてるんだけどアイツ!」

 アルスがしていた予想を裏切ってナメクジはズルズルと這い上がってきていた。階段のような足場を這い上がるのはやはり難しいのかこれまでと違ってナメクジらしいゆっくりさになっているが、それでも確実に二階の二人へと近づいてきている。

 アルスとエクスの顔に冷や汗が浮かぶ。階段は当然一つだけだし、窓は人が通れる大きさじゃない。逃げ道がない。ゆっくりだが少しずつ登ってくる化物を見ながらどうするべきかと焦る。

 言葉を交わす暇もなく、二人は同時に何か役に立つ物はないだろうかとあたりに置いてある品々を急いで調べてみる。階段の方を気にしながら調べてみるとアルスの方は発見がなかったが、エクスの方は壺の中身が油だったことが分かった。それを見てエクスは、

「よし、こうなったらもう火を放とう」

「待ってセンパイ、それ下手したらボクたちも焼け死ぬじゃん!?」

 保管されていた油を見ながらとんでもない提案をするエクスをアルスは慌てて止める。

「でも師匠、もう運を天に任せるしかないですよ、この状況は」

 ウグ、とアルスは言葉に詰まる。確かに打開策が思いつかないのは事実だ。しかし、だからといって…そんな風に頭を悩ませるアルスだったがエクスの方はとっとと壺を動かそうとしている。

「師匠、ちょっとこの邪魔な袋どかすの手伝ってください」

 壺の周りの袋をまずはどかしたいようでアルスに手伝いを頼んでくる。アルスが階段をちらりと覗き込むとすでに三分の一ほど登ってきていた。それを見たアルスは他に策が思いつかないためとりあえず言われるまま袋を運ぶのを手伝う。小麦粉でも入っているのだろうか、ずっしりと重い袋を頑張って運ぶ。

「ところでエビセンパイ、火種はどうするの?」

 アルスがふと気になったことを尋ねるとエクスは抱えていた袋をドサっと落とし、

「……どうやらここまでのようだ」

「考えてなかったのかよ!?」

 アルスの言葉にエクスは気まずそうに目を逸らす。これで焼け死ぬ可能性はなくなったが同時にナメクジを倒す方法もなくなった。

 エクスもアルスも思わず黙り込んでしまう。しかし突然エクスは名案を思いついたように叫んだ。

「そうだ、油だ!油を撒けばあいつも登ってこられないかもしれない!」

 言うか早いかエクスは壺に飛びつくと階段まで抱えて走る。そして思いっきり階段の下へ向かって壺の中身を一気にブチまける。これでどうにかなるかと思ったが、階段の下を覗き込んでみると、

「嘘だろ……!?」

 油をぶちまけられたナメクジはより登りづらくなったのかさらにゆっくりとしたスピードになったものの、それでもなお確実に階段を登ってきていた。

 エクスは半ばヤケクソ気味に空になった壺をナメクジへと投げつける。しかしナメクジにぶつかった壺は割れることすらなく、ヌルリと滑ってナメクジの後ろへと落ちていった。少し遅れてガシャン!と床にぶつかって割れる音がする。当のナメクジは突然の反撃に驚いたのか一瞬動きを止めたが、すぐにまた階段を登り始めた。

 それを見たエクスは金髪をグシャグシャッとやると焦ったように部屋の中を見渡した。時間はかけられない。グルリと首を回した結果舌打ちをして結局二個目の壺へと走る。

 アルスも階段と壺に交互に目を向けながら何かないかと考えていたが、すぐに諦めて壺の置いてある所へと走る。

 すると途中でジャリッとした感触を覚えた。靴底を通して何か砂利のような感じがする。何かと思ってしゃがんで見てみると壺の周りにあった袋があった。エクスが先程抱えていたものを落としたときに破れたのだろう、中身が出てしまっている。ジャリジャリした感触はその中身のものだ。始めは袋の中は小麦粉かなにかだと思っていたが小麦粉にしてはザラザラしている。

「あれ、そういえば確か……」

「師匠!何やってるんですか!」

 袋の中身に記憶を刺激されたアルスの思考をエクスの苛立ったような声が中断させる。すでに二個目も運んだ後のようだがやはりたいした効果はなかったようだ。そのままアルスの方へ走ってくる。

「何それ、さっきの袋?そんなのいいから師匠も手伝って……」

 まくし立てるかのような勢いのエクスに、あることを思い出したアルスは無言で手を突き出し一旦黙らせる。そして足元のザラザラしたものをペロリと舐めた。

「……塩だ、これ」

 アルスはナメクジ退治に出かけた日のことを思い出す。そういえば行く途中で出会った村長が塩を買って二階に運び込んだとか言っていた。

 エクスはアルスの後ろから覗き込むと、

「え、塩…ってあの塩!?もしかしてナメクジが溶けるやつ!?

「うん。その塩」

「……」

「……」

 エクスとアルスは無言で顔を見合わせた。

 そして、

「オラオラオラ!どうしたナメクジさんよぉ!さっきまでのお前はどこ行ったんだァ!?」

「さんっざんビビらせてくれやがって!師匠と二人でこの小屋をオマエの墓場にしてやるよ!」

 途端にこれである。

 アルスとエクスはとにかく袋を開けては中身を階段の下へ思いっきりブチまける。袋は次から次へと開けられナメクジ虐殺兵器の投下は止まる様子がない。

 階段の下では全身にたっぷり塩を浴びたナメクジが登るのを止めて苦しげに身悶えている。窓から差し込む月光に照らされたその体は、さっきまでの粘液とは違うドロッとしたものになっていた。

「勢いがねえなぁ勢いがよお!そんなんじゃあっという間に溶けちまうぞ!」

「師匠!追加の塩です!」

「よっしゃあ!全部ぶちまけろぉ!」

「了解!」

 アルスの言葉を受けてエクスは袋を開けると袋ごとナメクジに投げつける。頭から大量の塩を被ったナメクジはすでに大きさが四分の三程になってしまっていた。

「まだまだぁ!どんどんいけえ!」

 二人は保管されていた塩を全て使い切る勢いでどんどん投げつけていく。階段の下は元々の粘液を合わさって暗い中でも見えるほどドロドロになってしまっている。

 ナメクジは一度逃げようとしているのか、身をよじって方向転換しようとしているようだ。しかし階段をある程度まで登っていたのが災いして上手く動けないようだ。もたもたと身をよじるナメクジにさらに塩が降り注いでいく。

「師匠、アイツもう瀕死になってますよ!」

「うし!せっかくだからトドメ代わりに残りを全部ぶちまけてやるよ!」

 ナメクジの弱っているさまを見た二人は残っていた袋をすべて開けて一気に投下する。

 ドザザアアァッ!と、今までで一番多くの塩をたっぷりと浴びたナメクジは自身の粘液に耐えられなくなったのか、ナメクジはまるで足を滑らせたかのようにズルリといったかと思うとそのまま階段の下までズルズルと一気に落ちていく。階段の一番下まで落ちたナメクジはそこでしばらくもがいていたが、やがてドロドロとした粘液の中に沈むかのように動かなくなった。

 

 

 

「いやあ、よくやった!」

 翌日の村は大騒ぎだった。

 なにせ村の中にあんな化物が現れたのだ。しかもそれだけでも十分大事なのに、現れたその日のうちに村の若者があっというまに退治してしまったとなればそれはもうお祭り騒ぎのようになっても仕方がない。というかさらに一日経った今、現に村長なんかは祝いの酒を振舞ったりしている。

「まさかエクスが怪物退治をやってのけるとは!」

「は、はあ」

 赤ら顔の村長に背中をバンバンと叩かれ、エクスは言葉をどう返したものかと頬を掻く。

 昨夜はあれから大変だった。まずナメクジが動かなくなってからも本当に死んだのかどうか分からなかったため、しばらくアルスと二人で階段下を眺めることになった。しばらくしてから暗くて分かりづらかったがさすがにもう動くことはないようだと二人で恐る恐る階段を降りると、途中で二人揃って足を滑らせ互いの頭をぶつけてしまった。どうもナメクジから溶け出した粘液のせいで足元がとんでもないことになってしまっているようで、滑り落ちないように階段に座ったまま慎重に一段ずつ降りることになった。おかげで二人共一階に着く頃には下半身はドロドロのヌルヌルになってしまった。

 その後這うようにして外に出ると(階段でついた粘液のせいで立って歩くこともままならなかった)これでは到底動けんということでまずはそこらの雑草でせめて靴だけでもと拭きまくった。それがまたやたらと時間がかかって仕方がない。拭いても拭いても全然取れないのだ。とはいえ近くに水場はなく雑草くらいしか拭くものもない。地面に擦り付けてとろうにも地面は元々粘液まみれ。仕方なく二人はひたすら時間をかけて雑草で拭き続きた。ちなみに他のナメクジ達はいつのまにかいなくなっていた。

 二人して雑草をとっては足を拭いてを繰り返しながらこれからどうするか話し合った結果、「村長に報告する」で話がまとまった。さすがに村の中にあんな化物が出たのなら村長に話はするべきだし、ナメクジが死んだ場所が場所なため隠蔽は難しいという結論になったのだ。というか二人だけであんなドロドロ掃除したくない。しかも朝までに。無理だろ。

 辺り一体の雑草が無くなるほど足を拭いてようやく歩けるぐらいになった二人は疲れた体に鞭打つようにそのまま村長の家へと向かった。

 そして村長の家に着いてからも大変だった。夜中にいきなり起こされてかなり不機嫌だった村長は、こんな時間に出歩いていることに説教するばかりで二人の話を全然聞いてくれなかったのだ。仕方なくエクスが村長の話を無理矢理遮って手短に説明した。最初は村長も胡散臭そうな顔をしていたが、エクスが明かりで自分の下半身を照らすと半信半疑ながらもさすがに小屋に確認しに行こうと言ってくれた。

 そして村長と一緒に小屋に戻り、持ってきたカンテラに照らされた巨大ナメクジの死骸を見つけた村長は慌てて村中に連絡を回したのだ。ちなみに村長は三回滑って転んで頭にタンコブを作っていた。

 そして空が白み始めた頃二人はようやく家に帰ることが出来た。そのまま寝てしまいたかったがさすがにドロドロのまま寝るわけにいかず。着替えて体を洗ってようやく休むことが出来た。

「まったく、実に見事だ!」

 買い貯めしてあった塩を全部使ってしまったと言った時には一瞬目がつり上がっていた村長だが状況的に仕方なかったと思ってくれたのか、ナメクジの死骸の片付けが終わってからはずっとこんな調子だ……あの時のことを思い出せばひょっとしたら塩を全部使い切らなくても倒せたかもしれないが(というか調子に乗って全部使い切ろうとしただけなのだが)、まあそれは言わない方がいいだろう。

 ちょっとした料理が振舞われている中、エクスは鹿肉の串焼きをもらってかぶりつく。隣では村長がさらに褒めちぎってくるがこれはこれで居心地が悪い気がする。もちろん褒められて悪い気はしないのだがどうにも違和感が拭えない。

 エクスは村長に適当に相槌を打ちながら残りの肉にがぶりと噛み付くと、そわそわと落ち着かない様子でグルリと辺りを見回した。周囲では村長と同じく顔を酒で赤くした男達が楽しげに談笑している。ナメクジの死骸を片付けと粘液の後始末という重労働を終えて打ち上げのような雰囲気だ。

 少し離れた場所では鍋だのなんだのといった調理器具を持ち出した女衆があれこれ料理を作っては振舞っている。よくよく見てみれば肉の中でもいい部位などは男共に振舞われることはなく女衆の間で食べられている。男達は酔っていて気づかないか、気づいていても黙っているようだ。料理をすべて任せているわけだし調理番の特権といったところか。

 子供達はそんな大人たちの間を縫うようにして楽しそうに駆け回っている。最初のうちは興奮したようにナメクジの死骸に群がってあれこれ騒いでいたのだが、次第に飽きたのか今は合間に料理をつまみながら追いかけっこしたり隠れんぼしたりするのに夢中らしい。

 ついには笛やら太鼓やら楽器が得意な連中が家から持ち出してきて演奏を始めた。それに酔っぱらい共が陽気に歌う調子っ外れの歌が重なる。これではお祭り騒ぎどころか本当にお祭りのようだ。

 そんな賑やかな喧騒の中。

「納得がいかねえ……!」

 エクスの隣で滅茶苦茶不機嫌そうにしているアルスの姿があった。

 こういった場が苦手なためか、黒いフードを目深に被りエクスの影になるような位置に立ってはいるものの、今日はいつもと違ってオドオドよりも苛々が勝っているようだ。

 何故アルスがギリギリと不機嫌オーラを出しまくっているのかといえば。

「アルスもよくやったな!きちんとエクスを手伝って化物退治に貢献したのは素晴らしい働きだ!」

「……どうも」

 何故か昨夜の一件、アルスはあくまで手伝いでナメクジはエクスが退治したことになっているのだ。説明しようにも酔っ払っていて聞いちゃくれない。

 ちらりとエクスの方を見れば素知らぬ顔で目を逸らされた。

「いやまったく、エクスはもはや村の英雄だな!」

 村長はそう言いながら豪快に笑って酒を煽ると、手にしていた杯が空になったようで新たな一杯を求めてフラフラと旅立っていった。

 あとに残された二人は同時に大きく息を吐く。

「なんかナメクジとは別の意味で疲れた…」

「つーか何でお前がメインになってるんだよ。ボクがお手伝い扱いじゃねえか」

 ジロリと睨みつけてやるとエクスは適当に伸びをしながら、

「んー、なんかよく分かんないんだけどいつの間にかそういうことになってたんですよ、マジで。まあなんていうか、ほら、俺の英雄としての資質的な感じじゃない?」

「何が英雄だよ、たまたま手近な所に塩があったってだけだろぉが。偶然じゃねえか、偶然」

「運も実力のうちって言うでしょう。嫉妬は見苦しいですよ師匠」

 のんきに言いながら二本目の串焼きの肉を食べようとしたところでアルスはひったくるようにそれを奪い、苛立ちをぶつけるようにガブリ!と喰らいつく。

「ふぁいふぁひっほは」

「いや何言ってるか分かんないんだけど」

「……ゴクン。何が嫉妬だバカがよぉ。そもそもボクとセンパイとで働きにたいして違いは無えだろうが」

 アルスは不機嫌そうにエクスを睨みながらそう言うと残りの肉にかぶりつく。ナメクジ退治はもちろん、危ない目にあったのも怖い思いをしたのもアルスとて同じだというのに不公平極まりない。

 だがエクスは調子に乗っているのか大して気に留めていないようで、

「そういや師匠。なんか村長が褒美に俺に剣くれるらしいよ。なんか村長が昔戦に行った時のやつだとか」

「剣〜?センパイ剣なんか扱えないでしょ。自分の手足斬っちゃうのがオチじゃないの?」

「いやいや才能でなんとかしますよ。これでも英雄なんで」

 肉を食べ終わったアルスは呆れた目を向ける。才能なんてあるかどうか分からないし、そもそも剣なんてもらっても使う機会がないだろう。傭兵にでもなるわけじゃあるまいし。

「まったく浮かれやがってよぉ」

 ハア、と溜息をつく。やたらめったらに褒められるのは居心地が悪いがそれはそれとして、ということか。気持ちは分かるがさすがに浮かれすぎな気がする。というか何故エクスにだけ褒美があるのか。自分の分は?

 まったく理不尽だと腹を立てながらアルスは串焼き肉のおかわりに手を伸ばす。と、そこでアルスはふとあることを思い出し、ピタリと伸ばした手を止めた。

「あ、そうだ。センパイちょっとそのまま立ってて」

「なんですか?」

「まあまあ、いいから。ほらちゃんと背筋伸ばして」

 アルスは串焼きに伸ばした手をエクスの背中に向け直し、エクスをビシッと立たせると腕を水平に上げさせ、何やら紐を巻き付け始めた。

「あの、本当になんですかこれ?」

 怪しむエクスにまあまあとしかアルスは答えない。何をしているのかじっくり観察してみると何本も巻きつけた紐に印をつけたりして、どうやら何かを測っているようだ。

「うし、終わり!」

 測り終えたらしいアルスは満足したように一つ頷くと紐を外し始めた。一本一本混ざらないように丁寧に分けると、そのまま別々にしまう。

「さて、肉肉っと」

 どうも説明する気は無いようでアルスは誤魔化すように改めて串焼き肉に手を伸ばす。

「あの、師……」

「おーいエクス。こっちきて化物の話を聞かせてくれよ」

 エクスが改めてアルスを問いただそうと口を開いあた瞬間、離れたところにいた酔っぱらいからお呼びの声がかかった。

「ほら呼んでるよセンパイ」

「えー……」

 嫌そうな顔をするエクスの背中を酔っ払いたちの方へ押し出してやる。お手伝い扱いは癪だがこういう風に面倒がないのはいいかもしれない。渋々歩いていくエクスを見ながらそんなことを考えていると不意に後ろから声をかけられた。

「なんか大変だったみたいだね」

「あ、黛」

 振り返れば片手に盃を持った黛がいた。

「大変だったなんてもんじゃないよ。マジで死ぬかと思ったんだから」

 そう返しながらアルスは手探りで次の串焼き肉に手を伸ばす。だが何故かその手は何も掴まず空振ってしまった。不思議に思って見てみるといつのまにか皿は空になっていた。はて、数え間違ったのだろうか。

「でもアルスだったらいざとなったら魔法が使えるじゃん。まあ目立ちたくないだろうし、できるだけ使いたくはないんだろうけど。さすがに本気で死にそうになったら使うでしょ」

 黛のその言葉にアルスはフイっと目を逸らす。

「……実はいつも持ってるあの魔導書。あの時はあれ家に忘れちゃってたから、ろくな魔法が使えなかったんだよね」

「え、バカなの?」

 あまりにストレートな言葉にアルスはムグッと妙な声を出してしまう。

「しょうがないじゃん!別にわざとじゃないんだしさぁ!」

 フンッとそっぽを向くアルスを見て黛は真剣な顔になると、

「アルス…怒らずに聞いてほしいんだけど…」

「な、何だよ」

「バカなの?」

「何で二回も言うんだよ!」

 大事なことなので。

 アルスは怒って抗議するが黛は呆れた様子で受け流す。

「だって魔法使いが家に魔導書忘れて魔法使えないは普通にバカでしょ」

 悔しいが言い返すことのできないアルスはぐぬぬぬと喉の奥で唸り声を上げるだけだ。

 黛は手にした杯を傾けてとろりとした黄金色の液体を喉に滑らすと、

「まあでも結果的に退治できたんだからいいんじゃない。二人共無事だったし、エクスは村の英雄みたいな扱いになってるし」

「そこが気に入らないんだけどね」

 村の英雄という言葉にアルスは不機嫌そうな顔をする。別にエクスが英雄扱いされることは構わないが、同じことをしたのにエクスだけが主役のような扱いをされるのは納得がいかない。

 そう言うと黛は少し考えて。

「じゃああとで俺の方から村長とかに説明してみるよ」

「あー……ありがたいけど、まあできたらでいいよ」

 軽くかぶりを振ってアルスは答える。自分が村の中でどんな存在か、分かっているつもりだ。期待はしないでおこう。無論、黛ではなく相手の方に。

 アルスが溜息をついているとどこからかヒソヒソと囁き声が聞こえてきた。

「ほらあそこの黒いフードの。化物ナメクジに追いかけられてたって」

「化物に追い回されるなんて何したんだろうね」

「というかそもそも何で夜遅くになんて出歩いてたんだ?」

「そんなの魔法使いだからに決まってるでしょう」

 アルスは周りを見渡そうとして、やめた。

「……ふん」

「……?どうかした、アルス?

 囁き声が聞こえなかったのか、黛は地面を見ながら鼻を鳴らすアルスを不思議そうに見つめる。

 アルスは意識して笑うと空になった皿を黛にグイと押しやる。

「別に何でもないよ。それよりまゆ君さぁ、さすがに疲れたからもう帰りたいんだけどセンパイに伝言頼める?」

 皿を受け取った黛はアルスの言葉に眉をぴくりと動かしたが、すぐにいつもの表情に戻ると、

「分かった。伝えとくね」

「うん、お願い」

 黛にそう言うと、アルスは変わらず賑やかな喧騒に背を向けてさっさと歩き出した。

 

 

 

 化物ナメクジの件から一週間後。

 エクスはすっかり村の英雄として持ち上げられていた。

 

「それにしてもすごいな。夜中に出歩いていた理由が妙な気配を感じたからなんて」

「まあ、まぐれみたいなもんですよ」

「エクス君。よかったらこれ食べておくれ」

「え、チーズもらったんだけど!やった、マジでありがとうございます!」

「おまけに怯えて逃げ出すんじゃなく倒すために塩のある小屋までおびき寄せるとは。化物に追いかけられながらよく思いつくもんだ」

「やっぱり追い詰められた時こそ冷静にならなきゃいけませんからね」

 

「……なんだあれ」

 薬草の採集の帰り道、村人からチヤホヤされているエクスを見かけたアルスは呆れた声で呟いた。

 エクスは例の剣を背中に背負い、十人くらいの村人に囲まれていた。村人たちは老若男女様々でエクスを褒め称えたり食べ物をあげたりと、もう一週間も経っているというのにいまだに例の話題で盛り上がっている。というか、なんだか色々と捏造されていないだろうか。

 試しにアルスがしばらく聞き耳をたてていると村人たちの間ではナメクジの大きさが倍近くになっていたり、なにやら口から得体のしれない毒液を吐くことになっているらしかった。アルスの視線がますます呆れたものになる。

 しばらく村人と話していたエクスだが白けた視線を送るアルスに気がついたようで、アルスの方にちらりと目を向けると半ば強引に村人たちとの会話を断ち切る。村人たちはもう少し話したそうにしていたがやがて思い思いの方向へ散っていった。一人残ったエクスは軽く周りを見渡すと真っ直ぐにアルスの方へと歩いてくる。

「なんか、すっかり人気者だね」

 目の前までやってきたエクスに挨拶がわりに声をかける。

「ま、村を救った英雄ですからね。これも当然の反応ですよ」

「どこが当然だよ。詐欺レベルで話盛りやがって。嘘もいいとこじゃねえか」

 アルスがエクスの足を軽く蹴りながら文句を言うと、エクスは心外だというような顔で胸を張る。

「俺は嘘を吐いていませんよ。ただ尾ひれがついた噂をあえて否定していないだけです」

「嘘よりタチ悪いじゃねえか!」

 アルスのツッコミにも意に介した様子のないエクスは真剣な顔になると、

「師匠、俺は一つ気づいたことがあるんです」

「なんだよ」

「英雄ってのはなるものじゃなく作るものだって」

「それのどこが英雄だ!」

 人はそれを詐欺師と呼ぶ。

 まったく、とアルスは頭痛を堪えるように頭に手を当てる。こんなのが英雄とは世も末だ。

 だがそんなことはどうでもいいエクスは気にせずアルスの抱えていた籠に目を向ける。

「師匠はこんな所で何してたんですか?あとそれ美味しいもの?」

「ただの薬草採集の帰りだよ。っていうかオマエさっきチーズ貰ってただろ」

 籠を覗き込もうとしてくるエクスから籠を隠すようにアルスは体ごと横を向く。

「薬草採集なら呼んでくれれば手伝ったのに」

「ちなみに目的は?」

「報酬のご飯に決まってるじゃないですか」

「だと思ったよ」

 はあ、とアルスは溜息をつく。なんだか最近溜息が増えた気がする。

 アルスはゆっくり首を振るとエクスに向き直る。

「別に薬草採ってくるぐらい多少大変でも一人でなんとかなるよ。森の中は何かと危険なんだし、もう連れてけないって」

 アルスの言葉にエクスは不満そうに眉を寄せる。そして口を開くが何かを考え、結局何も言わずに口を閉じる。代わりに再び口を開いた時に出てきた言葉はこれだった。

「それ師匠が危ない目にあったらどうするんですか」

「ボクは自分でなんとかするよ。エビセンパイは気にしなくていいって」

 エクスは籠を抱えなおすアルスとの間に、一瞬だけ薄くて透明な壁のようなものがあるように錯覚した。

「そんなことよりセンパイはどこに行く途中だったの?」

 しかしアルスはこれ以上取り合う気はないようでさっさと話題を変える。

 僅かに黙ったエクスは小さく息を吐くと気を取り直したように答える。

「別にどこに行く途中ってわけでもないです。ただブラブラしてたってだけで」

 エクスの言葉にくりくりとした大きな瞳を向けてくる。

「ただブラブラしてたって散歩でもしてたの?」

「というより適当にぶらついてたら色々貰えるんで」

「さすが後輩カツアゲ男だよ」

 アルスの視線が再び冷たいものになる。

「いや、違うって!あれ誤解じゃん!そっちの勘違いだったでしょ!」

「はぁ?結果としちゃ似たようなもんだろうがよぉ」

 目の前のエクスの顎を軽く小突いてやる。本当は額にデコピンでも食らわせてやりたかったが身長差があってやりにくいから諦めた。

 エクスは小突かれた顎を抑えて、

「痛った……いきなり攻撃してくるとか頭ヤバいわこの人……」

 なんかブツブツ言っているが面倒なので無視する。

 こんなのは放っておいてそろそろ帰ろうかとアルスが考えていると、エクスが先程村人からもらっていたチーズを掲げてみせた。

「そういや師匠、せっかくチーズ貰ったんで師匠にも分けてあげますよ」

 食べ物をくれる?コイツが??

 不審に思ったアルスは警戒するように一歩引くと疑いの眼差しを向ける。

「代わりに何をよこせっていうの?」

「いや、別にそういうんじゃないって。いつも貰ってばかりなのも悪いし」

 まったく疑り深いな、とブツブツ言うエクスはチーズを適当に半分に割ると、アルスの抱えている籠の上にポンと置く。

 まあくれるなら貰っておくかと思ったアルスは礼を言ってそのまま受け取ることにした。

「それじゃボクはもう帰るから。チーズありがとね」

「はい。それじゃあ、また」

 言葉を交わしてお互いに手を振ると、二人はそのまま家路についた。

 

 

 

 その後もアルスはエクスの噂を度々聞いた。特に尋ねるでもなく、村の中を歩いていれば勝手に聞こえてくるのだ。あの巨大ナメクジはこの小さな田舎の村に大きな衝撃をもたらしたのだということが感じられる。まあ、多分に脚色、というか誇張されていたが。

「一応ボクも頑張ったんだけどなあ…」

 薬草採取に向かう途中に偶然耳に入った、何度聞いたか分からない言葉にアルスは独りごちる。別にあんなふうにちやほやして欲しいわけじゃないが自分の手柄がなかったかのように扱われるのはやっぱり面白くない。

「はあ……」

 アルスは溜息を一つつくと、まあぐちぐち言っていても仕方ないと気持ちを切り替え、森へと足を進める。

 ふと道すがらに大勢の人が集まっているのが目に入った。なんだろうと思ってよくよく見てみると、集まっている人々は喪服を纏っていた。誰かが亡くなったのだろう。アルスはそちらに近づかないようにそそくさと別の道へ行く。多少遠回りになるが仕方がない。

 時折ちらちらと葬式の方を気にしながらなだらかな坂を降りていくと、しばらくして喪服の人々は見えなくなった。アルスは胸の中に溜めていた息をふう、と吐き出す。そして足取りをゆっくりとしたものに戻すと再び森を目指して歩き出す。

 周囲に目を向ければ、人々を避けて選んだ道から見上げる空は澱んだ曇り空で、灰色の汚れがこびりついたようだった。雨が降りそうなほどではないが、どうにも鬱々とした気分になる天気だ。日の光が無いせいか、道端の草木たちもなんだか不貞腐れているように見える。そのやる気のなさは同じ緑のはずなのにいつもの若々しいいろはどこへ行ったのかと驚くほどだ。

 さて、クツクツとした不満を無理矢理飲み込んだアルスが村の外れに差し掛かると、近くの畑の方からこんな声が聞こえてきた。

「いやはや、アイツの怪物退治の話はやっぱりすごいな!」

 またか、とアルスはうんざりした気分になる。こうも何度も同じことばかりでは段々と苛立ちも通り越すというものだ。アルスはさっさと足を早めて通り過ぎようとする。

 だがその後に聞こえてきたのはいつものとは違ったものだった。

「そうは言ってもたまたま上手くいっただけだろ。というかどんなにデカくてもナメクジなんだから塩があるんだったら誰でも勝てるじゃん」

 おや、とアルスは会話が聞こえてきた方に顔を向ける。今までエクスを褒め称える声は何度も聞こえてきたが、逆に批判するような意見は珍しい。

 顔を向けた先では数人の村人が集まって歩きながら駄弁っていた。格好を見るに葬式に向かう途中だろうか。その中に一人だけ憮然とした表情で腕組みをしている村人がいた。茶色いくせっ毛をしたその男は村人達の中で一番若そうだ。他の人らの反応を見るに、どうやらそいつが文句を言ったらしい。

「お前な……そもそも立ち向かうことが出来ること自体すごいことだろう。普通の人間だったら、ただただ逃げることしかできないぞ」

「逃げた先で偶然塩を見つけただけじゃねえの?というか最初から逃げてないなら小屋の中で例の化物見つけたことになるんだし、だとするとアイツ夜中に保管小屋に忍び込もうとしてたってことだろ」

 せせら笑うようなその言葉に周りの村人たちは呆れた顔を浮かべる。その中の一人がやれやれと首を振ると、

「いくらなんでもひねくれすぎだろう。決めつけがすぎる。素直に凄いでいいじゃないか」

 というか、と別の村人が口を挟む。

「そもそも俺が聞いた話だと、小屋の中から変な音がしたから調べてみようと覗いたら化物がいたって聞いたぞ」

 その言葉に他の村人たちはそれ見たことかといった顔をする。若者は一瞬顔を赤くして押し黙ったものの、すぐに食ってかかるように反論する。

「何言ってんの?俺が聞いた話とかただの噂じゃねえか。盲目的に肯定しやがって。っていうかそもそもなんでアイツは夜中に出歩いてんだよ。なにかやましいことでもあるんじゃないのか?」

 だが他の村人たちはもはや呆れ半分、面倒臭さ半分といった感じでまともに取り合う気はなさそうだ。

「やましいことがあるとか決めつけもいいとこだな」

「君は盲目的に否定しているね」

「なんか論点がコロコロ変わるな」

「そもそも夜中に出歩いてることと何の関係があるんだよ。夜中に出歩いてようが化物倒した英雄には変わりないじゃん」

 振り払うかのように口々に反論された若者は黙り込むもののブチブチと口の中で文句らしき言葉を呟いている。

 しかし若者以外の村人はそれを相手にせずに再びお喋りを始める。しばし黙りこくっていた若者だがやがて不貞腐れたようにくるりと背を向けた。

 憮然とした足取りの若者がこちらに歩いてくるのを見て、アルスは慌ててその場を離れる。あちらはアルスに気付かなかったようでそのまま歩き去った。

 ふう、と息を一つ吐いたアルスは改めて薬草の採取に向かう。

(それにしても……)

 持ち上げる人ばかりではないのだな、と道すがら考える。てっきり皆が肯定的に捉えているのかと思っていたが、さすがにそうはいかないか。まああれだけ急に持ち上げられれば面白くないやつも出てくるだろう。むしろ否定的な若者の方が真実に近い。実際逃げ込んだ先の小屋の中でたまたま塩を見つけただけだし。肯定的な人間より否定的な人間の方が事実に近いとはなんだか皮肉な話だ。

 しばらく歩くと森にたどり着いた。最初にエクスと出会った森だ。そのまま迷わず森に入ると、天気のせいもあって少し薄暗い。アルスは足元に気をつけながら木々の間を歩く。薬草を探しながら歩いていると、突然ギャアギャアという鳴き声がしてアルスはビクッと身を竦ませる。辺りを見回すとバサバサっという音がする。さらにまたギャアギャアと鳴き声。見上げると枝の上に黒い姿。どうやら鳴き声の正体は鴉のようだ。ほっと肩の力を抜いたアルスは薬草探しを再開する。

 薬草を探しながらもどうにも僅かな気持ち悪さを拭えなかったアルスは、ついつい先ほどのことを考える。

 なんというか、奇妙に思えたのだ。多数で一人の若者を嘲笑う村人たちが。

 彼らはまるで蜜を頭から被ったかのようだった。『英雄』というナニカがもたらすとろりとした黄金の蜜を頭から被り、とろとろと流れたそれが目を塞いでしまったかのような。目も耳も塞がれてしまっているのに、そのどろりとした猛烈な甘さに酔ってしまった彼らはそのことに気づけなくなっているみたいに。そんなことは、当のエクスも望んでいないだろうに。

 アルスはブルリと背筋を震わせる。不満に思っていたが、もしかしたら自分はおまけでよかったのかもしれない。それと同時に自分とは逆の方向なのかもしれないとアルスは思った。

 アルスが村の連中から受けている冷たい視線。それは彼らの中の勝手な『魔法使い』を通して注がれているものだ。エクスの場合はそれの逆。だが向きが真逆なだけで、恐らくは根本は同じなのだろうと思う。言葉を交わし、お互いを知ることができる人間同士なのに、『自分ではない誰か』を見ているだろう彼らに、まるで見た目だけは人の姿をした化物のような得体のしれない気持ち悪さを感じた。

 薬草探しをしながらそんなことを考えていると、

「あっ」

 アルスは地面に出っ張っていた木の根っこにつまづいて転んでしまった。慌てて手を振り回すが何も掴むことはできず、したたかに木の幹に頭を打ち付けてしまう。

「いっ!……たた……」

 倒れた体勢のままアルスは痛みに呻くが、どうにか堪えて立ち上がる。

「まったく、こんなとこに根ぇ生やしてんじゃねえよ、このっ」

 植物相手に理不尽なことを言いながらつまづいた木の根を蹴る。が、今度はつま先に痛い思いをする。思わず痛めた足を抱えて片足で跳ねて紛らわそうとするが、今度はバランスを崩して尻餅をついてしまう。まさしく踏んだり蹴ったりだ。

 尻餅をついたまま、うぅ、と恨みがましそうに呻いていると額にどろりとした熱いものを感じた。今度はなんだ、と思って手をやってみると指先が真っ赤になる。

「うわっ、ちょっ」

 どうやら先程頭を打ち付けた時に出血してしまったようだ。アルスは慌てて腰のカバンからハンカチと鏡、そして自家製の薬を取り出す。

 ハンカチで血を拭って鏡で見てみるとただ単に打ち付けて出血したというよりも、木のゴツゴツザラザラとした樹皮で削れてしまったようだ。アルスは痛みを堪えながら丁寧に薬を塗っていく。ちなみに水は持ち歩いていなかったので傷口を洗うことはできない。帰ったら改めて綺麗にしなければいけないだろう。

 薬を塗り終わると諸々の道具を鞄にしまってゆっくりと立ち上がる。ついでに尻餅をついて汚れてしまったであろうお尻をパタパタとはたいておく。

 まったく、ついてない。

 そう口の中でボヤくとアルスは再び薬草を探しながら森の中を歩き始めた。

 

 

 

 薬草を採り終わっての帰り道。アルスは村の中を歩いていた。

 空はますます重く垂れ込み、逆さまに灰が降り積もったかのようだ。おまけに風も吹き始めた。ひゅうひゅうとか細い悲鳴のような音を立ながらてアルスのマントをバタバタとはためかせていく。

 これはとっとと帰って引きこもったほうが良さそうだ、とアルスはマントを抑えながら考える。これで雨でも降ってくれば嵐になるだろう。

 ビュウッと一際強い風が拭いてフードが脱げそうになったアルスは軽く舌打ちをしてフードを被り直す。ついでにそのまま額にそっと手を触れてみる。額の傷は薬のおかげもあってか血は止まったがじくじくとした痛みを訴えてきていた。

 帰ったら綺麗な水で洗って改めて薬を塗り直そう。そう考えたアルスは家へ向かって足を早める。と、そこで後ろから声をかけられた。

「あ、師匠」

 振り返るまでもなく呼び方で誰か分かった。早く帰りたいのに、と少し唇を尖らせながら振り向くとそこにはぎょっとした顔のエクスがいた。

「え、どうしたのセンパイ?

 何故驚かれているのか分からないアルスはそう尋ねると自分の体を改めてみる。どこかおかしなところでもあったのだろうか。

 エクスは小走りで駆け寄ると、

「いや、どうしたのじゃないですよ!どうしたんですかその怪我。おでこヤバいことになってるじゃん!え、マジでどうしたの、それ?」

 心配するように頭一つ高いところから覗き込むエクスから一歩離れるアルスは、ああ、それか、と納得する。

「あー……ちょっと薬草取りに行ったら転んじゃってさ、木の根につまづいて。それで近くの木にぶつけちゃったんだよ。まったくついてないよ」

 あまりにも心配そうな顔をするので、あははと半分笑って答える。

 だがエクスはなおも心配そうな顔で、

「ちょっとって……っていうかそれ、ちゃんと綺麗にして薬塗った?」

「水を持ち歩いてなかったから洗うのは帰ってからだけど、とりあえず薬は塗っといたよ」

 あまりに凝視してくるのでアルスは怪我を隠すようにフードを引っ張りながら答える。するとそれでようやくエクスもそっか、と頷いてくれた。

「それにしても呼んでくれれば行ったのに。なんで呼ばなかったんですか師匠」

 その言葉にアルスは少しだけムッとした。いくら巨大ナメクジのインパクトが強すぎたとはいえ自分はきちんと自分なりに考えて反省したのに。

「だからもう無闇矢鱈に連れ歩かないって言ったじゃん。何かあってからじゃ遅いんだし」

 今度はエクスがムッと眉を寄せた。

「一人で行って怪我してたら世話ないでしょ。そりゃ別に一緒に行けば絶対怪我しないわけじゃないけど一人で行くよりは二人で行ったほうが安全じゃないですか」

 エクスの言葉にアルスはますます顔をしかめる。

「そういう話じゃないだろ。安全がどうとかじゃなくて危ないかもしれないところに連れて行くわけには行かないって言ってるんだから」

 なんとなく雰囲気が刺々しくなってきた。

「心配して言ってるんですよ。危ないかもしれない場所ならなおさら一人で行くべきじゃないでしょ」

「心配してくれるのは分かるけどそれとこれとは話が別なんだよ。それに一人ならなおさらって言うけど魔法使いと普通の人間を一緒にするなよ」

 だんだんと、二人の間の空気が硬質化していく。お互いに苦々しげな視線を送るが、どちらも譲る気配はない。

「一緒にするなって言っても怪我してるじゃん。っていうか何その子供みたいな扱い」

「いや、子供扱いとは違うだろ。今回はたまたま怪我しちゃっただけだよ。別に毎回毎回怪我してるわけじゃないんだからさ」

 さらに言葉を重ねても話は平行線のままだ。二人は睨みあったまま動かない。

 アルスとしてもエクスが心配してくれているのは分かっている。だがアルスにとっては自らの責任の方がそれより重い。もしその責任が果たせなかったらと考えると足元が崩れ落ちて奈落の底へ落ちていくかのような錯覚を覚えた。

 アルスはじわりと芽生えた恐怖を振り払って、改めてエクスの顔を見上げる。目の前の青年を見る度に気を引き締めなければいけないという気持ちになる。もうあの背筋が凍るような思いはたくさんだ。だからどれだけ心配してくれてもここは譲るわけには行かないのだ。

 そんなアルスの考えを知ってか知らずか、エクスはなかなか折れないアルスに苛立つたように大きく溜息をつくと、呆れたようにこう言った。

 

「というか、ちょっと森に行って帰ってくるだけでしょ。心配しすぎじゃない?さすがに」

 

「……は?」

 それを聞いた瞬間、アルスの顔から表情が消えた。

 糸で固められて動けないエクス、手にした籠の中から伝わってきた蠢く気配、白い蝶と黄色い蝶、不用意に連れて行った後悔、月明かりの下での会話。

 それらの思いが一瞬で胸の内を駆け巡り、アルスの中から何かを奪っていった。あとに残ったのは寒々しい伽藍洞な感情だけだった。 

 エクスはアルスが向ける熱も色も失った瞳に気づかず、言葉を重ねる。

「そりゃ確かにヤバい目にはあったけどさ、だからって心配しすぎでしょ、俺のこと。別に俺のことはそこまで気にしなくていいからもうちょい自分の心配しようよ、マジで」

「心配しすぎ……?」

 聞き取れないような小さな声で呟く。その表情は俯きがちでよく見えない。

 伽藍洞の心をふつふつと埋め尽くすように何かが燃え上がる。それはまさしく、凍てつくような極寒の炎だった。

「そもそも子供じゃないんですし、いくらなんでもちょっと行き過ぎというか、過保護すぎるというか……」

 つらつらと語っていたエクスだったが、そこでようやくアルスの様子に気づく。そしてまずいと思ったのか、冗談めかすような口調に変える。

「……あ、いやほら、その村の英雄を子供扱いしすぎっていうか…」

「何が……」

 静かに、低く呟く。何かが、どろりと溢れ出すように。そして次の瞬間、燻っていた火が、大きく爆ぜた。

「何が英雄だ!無駄に調子に乗りやがって!お互い様だとか言っときながら、結局何も反省してねぇじゃねえか!結局は口先だけだったのか!」

 ふざけるな!と爆ぜた火を全力で叩きつける。あまりの大声に喉がギシギシと痛むが知ったことかとさらに大きく爆発させる。

「自分がどんな目にあったのかなんで分からないんだ!あんなことになっておきながら『心配しすぎ』だと!?ふざけるのも大概にしろ!何が『子供じゃない』だ、クソガキ以下じゃねえかお前は!」

 怒鳴りつけながら涙が出そうになって、アルスは必死に堪えた。あまりの情けなさに声が震えそうになる。

 あの時、果たして自分はどんな顔をしていたのだろう。

 自分は間違えた。それはひどい間違いで、なんとか悪くない結果になったのはただ単に運が良かったからだ。だから反省した。きちんと自分のしたことに向き合って、足りないかもしれないけど、それでも自分なりに自分のしたことを反省したのだ。そしてそれを伝えようと、自己満足かもしれないけど反省したから謝らなくてはいけないと思って。謝るのにも勇気は必要で、けれども悪いのは自分なのだからと頑張って一歩踏み出して。

 なのに。

 結局。

「センパイには何も伝わってなかったんだな……!」

 あの夜、彼はどんな気持ちで自分の謝罪を聞いていたのだろう。よく分からないから適当に頷いておけばいいとでも思っていたのだろうか。それとも理解した上で心の中で鼻で笑っていたのだろうか。もしかして自分の思いなどどうであろうがどうでもよかったのだろうか。

 届けたはずの後悔と反省が寄る辺をなくし、それ自体がぼやけた霧のようになろうとするのを必死に押しとどめる。それとこれとは話が別だと。受け取る者がいなくなったからといって、それそのものから重みがなくなるわけではないのだと。そう言い聞かせてもそれはアルスの中でゆっくりと溶けて消えてしまいそうになる。

 もはや自分ではどうしようもないほどグチャグチャになっているのを自覚しながら、それでも怒りを抑えることができない。

「人が真面目に考えて、必死に反省していたのに。本気で謝ったのに……それをお前は!」

 怒鳴りつけるアルスにエクスは怯みながらもどうにか説明しようとする。

「いや、違うんですよ。えっとその、誤解っていうか、そういうつもりじゃないんです」

「何が誤解なんだよ、言ってみろ!」

 アルスはますます苛烈さを増して声を荒げる。

 逆に油を注いでしまったかのような様子に、それでもエクスは言葉を選びながら弁明を続ける。

「だから別に反省してないわけじゃないんですよ」

「反省してるならなんでそんな言葉が出てくるんだ!」

「いやだから、心配して言ってるんだって」

 言い方を間違えた。内心でそう焦るエクスはどうにか落ち着いてもらおうと、宥めるように慎重に言葉を重ねる。けれどもアルスが次に発した言葉でそれが消え失せた。

 

「誰が!いつ!心配してくれなんて言ったんだよ!」

 

 硬い音が、響いた気がした。

 きりきりと締め付ける何かが二人の間に張り詰めていくのが分かる。

 ゆっくりと、それまでのエクスと何か変わっていくことにアルスは気がつかない。いや、気づいていても気にならないくらい怒りが燃え盛っているのだろう。

「……なんだよ、その言い方。さすがに言いすぎだろ、それは」

 じわり、と滲み出るような言葉だった。

 今まで失言したという自覚が蓋になっていたのだろう、そこから溢れた感情は鋭いのに妙に静かだった。

 それにアルスは一瞬鼻白んだような顔をしたが、すぐに噛み付くように怒鳴りつける。

「お前が悪いからそうやって言われてんだろ!」

 そして、恐らくはそこが限界だったのだろう。

「はあ!?心配するのが悪いことなのかよ!?」

 エクスもまた、アルスと同じように声を荒げる。熱を帯びたその言葉はアルスをさらに激しく燃え上がらせる。

「そういう事じゃないだろうが!いちいち話すり替えんな!」

「すり替えてないだろ!心配する方が悪いみたいな言い方したくせに!」

 お互いに叩きのめすかのように大きな声を張り上げる。ぎちり、とぶつかる視線はまるで鍔迫り合いのようだ。

 結局のところ、どちらも根底にあるのは同じものなのだ。けれどもだからこそ、お互いに譲れないものとなっている。互いに怒りが湧き出ているそれは、しかし決して悪いものではない。それは当たり前のことだ。だから一旦冷静になればお互いに気づいて歩み寄ることも出来るだろうが、もはや二人は自力で火を消すことはできないぐらい昂ぶっている。

 このままさらに過熱し、どうしようもなく争うだけかと思ったその時。

「この人殺し!」

「「っ!?」」

 二人の喧嘩を止めたのはいきなり飛んできた叫び声だった。

 それまで気づかなかった第三者からの罵声に二人が驚いて顔を向けると、いつのまにかアルスが行きに遭遇した葬儀の集団が近くに来ていた。その中の一人、 三十歳くらいの憔悴した様子の女性がまるで悪魔のように眼を吊り上げながらアルスを睨みつけていた。

「人殺しっ!」

 もう一度同じ言葉を叫んだかと思うと、女性はアルスに恐ろしい形相で掴みかかってきた。

「なんであの子を殺したんだ!なんで!あの子が何をしたのよ!」

「えっ、いや、ちょっ……」

 いきなり掴みかかられたアルスは抵抗しながら、突然のことに混乱した顔で女性の顔を見つめる。それが何か女性の癇に障ったのか、女性は金切り声を上げながらますます激しくアルスを攻撃する。

 エクスは思わず呆気に取られていたが、引っ掻かれて髪を引っ張られ地面に引きずり倒されそうになっているアルスを見て慌てて止めに入る。

「離せ!離してよ!」

 暴れる女性を抑えてなんとか引き離すと、アルスはボロボロになっていた。

「師匠、大丈夫ですか!?」

 さっきまでの剣呑なやりとりを忘れてアルスに駆け寄る。

「う、うん……なんとか……」

 フードは脱げかけ、マントは破れて穴が空いてしまったアルスは呆然としながら答える。髪はボサボサになり、顔などの肌にはいくつもの引っかき傷ができてしまっているが、そんなことは意識の内に入らない様子で周囲を見回している。それは状況を把握するというよりも視線をどこに向けるべきか分からないといった感じだ。実際周囲の様子が視界に入っても意識には入っていないように見える。

 引き離した女性が暴れるのを止めたのを確認したエクスは女性を離して、アルスのもとに駆け寄る。

「うわ、ボロボロじゃん……なんでこんな……」

 アルスの状態を見て思わず呻く。すると背後から呟く声が聞こえた。

「なんで……?」

 振り返ってみると先ほどの女性がゆらり、と一歩近づいてきた。その顔はさっきまでとは違い、面を被ったかのように表情がない。まるで生きている人間とは思えないほどの無表情でさらにゆらり、と一歩近づいてくる。

 異様な雰囲気を漂わせながら近づいてくる女性に、エクスは咄嗟にアルスをかばうように身構える。

「……なんでって……それは、こっちの台詞だあああああああぁぁぁ!!」

 絶叫。

 怪物の鳴き声のような叫び声を上げながら、女性は恐ろしい形相で両手を前につき出してアルスに向かって突進してくる。その勢いはさっきよりもよっぽど強く、エクスは身の危険を感じたが、先程は呆気に取られて見ているだけだった他の参列者も今度は女性を止めてくれた。

 それでも女性の幽鬼のような様子に圧倒されたのか、女性を完全には止められていない。

「お、おい、落ち着け!」

「やめとけ、止まれって!」

「うううぅああぁぁぁあああああああぁぁぁ!」

 もはや言葉にならない叫び声を上げながら女性はアルスに掴みかかろうと激しく暴れる。

 複数人で抑えても完全には止められないほどの勢いではあるもののそれでも勢いはかなり削がれていて、アルスが混乱しながらも距離をとるため近づけないでいる。このまま女性が落ち着くまで逃げ続けていればいいように見えたが、突然女性が一層恐ろしい顔になったかと思うと勢いを増して押さえつけていた人たちを振り切ってアルスに掴みかかった。

「お前の、お前のせいでえええぇ!」

 エクス達が再び女性を取り押さえて引き離そうとするも逆に跳ね飛ばされてしまう。

「なんで!あの子が死ななくちゃならないんだ!あの子はまだほんの赤ん坊だったのに!それなのに、それなのに!返してよ…あの子を返してよおおおおぉぉおおおぉおぉぉ!」

 心の方が限界だったのだろう、エクス達が引き離すよりも先に女性は泣き崩れた。その悲痛な泣き声に周囲の人々をは激しく揺さぶられたような顔になる。

「…………」

 地面に伏せるようにして酷く泣き叫ぶ女性。アルスはその様子を困った顔で見ていた。

「あの…いったいどうしたんですか?」

 エクスが女性を一緒に取り押さえていた青年に尋ねる。青年はなんと言うべきか困ったような顔で、

「あー……いや、なんていうかな、子供を亡くして取り乱してるみたいで」

 青年の歯切れが悪そうな言葉に、泣き崩れていた女性がぎらりと顔を上げた。

「あいつが、あの魔女が!私の子を呪い殺したのよ!」

 睨みつけたその目は随分と腫れていて。泣き崩れるずっと前から、恐らくは何日も前から涙を流していたのだろう。泣き腫らしたその青い瞳は砕けたガラス玉のように見えた。

「呪いって……何馬鹿なこと言ってるんですか」

 困惑したようにエクスが呟くと、女性はグリン!と首を回して睨みつけてきた。

「……だっておかしいじゃない。前の日まであんなに元気で、そんな様子なんてちっともなかったのに、なのに、なのに突然!いきなり死んじゃったのよ!この魔女とたまたま道ですれ違った次の日に!」呪い以外にないがあるの!?」

 その叫びに、表情に、エクスは思わず後ろに下がってしまう。それでも何か覚悟を決めるように喉を一つゴクリと鳴らすと女性を見据えて一歩前に出る、

「とりあえず落ち着いてください。子供を亡くしたことには同情するけどおかしいでしょう、呪いなんて。そもそも赤ちゃんなら突然亡くなってしまうことも有り得るじゃん」

「うるさい……うるさいうるさいうるさい!黙れ黙れ!何も知らないくせに!お前に何が分かるんだ!?」

 できるだけ刺激しないように優しく声をかけたつもりだったが、エクスの言葉にも噛み付くように叫ぶだけで聞く耳を持ってくれない。

「まあまあ。そう興奮するなって、な?」

 引き離すのに協力してくれた男性の一人が宥めるように声をかける。だがそんな男性さえも敵に見えるのか、女性は憎悪のこもった目つきで睨みつけるばかりだ。

「えっと、あの……」

 どう反応すればいいのか。それが分からないもののただ黙っているのも気まずくなったアルスがおずおずと声をかける。

 すると男性どころか他の村人達までぎょっと目を剥き、目をそらしたりさりげなく数歩距離をとったりする。

「あ、ああ!別に大したことじゃないんですよ。こいつ子供が死んじまって取り乱しちまって。本当にすいません、ご迷惑をおかけしました」

 男性は急に早口になって言い訳めいたことを並べ立てる。その顔には愛想笑いを浮かべているが、決して目は合わそうとしない。

 だが女性はそんな男性をぎろりと睨みつけると、

「何が大したことじゃない、よ……人の子供の、あの子の命をなんだと思ってるのよ!?」

 今度は男性に掴みかかる。

「ちょっ、やめろ!落ち着けって!」

 男性に押さえつけられた女性は半狂乱で叫ぶ。

「なんで邪魔するのよ!全部、全部あの魔女が悪いんじゃない!」

 暴れる女性を押さえつける男性はアルスの方をちらりと見ると、女性を無理矢理抱えてアルスから離れようとする。その際にこそっと、

「馬鹿!これ以上は下手したらお前まで呪い殺されちまうぞ!」

 ヒソヒソと女性の耳元で囁く声をエクスは聞いてしまった。

 男性の言葉を受けた女性はようやっと暴れるのをやめ、いっそだらんとした感じで体の力を抜く。だがその目だけはより深くアルスを睨みつけている。

 女性が大人しくなったおかげか他の女性たちが気遣うように声をかける。暴れていた女性はそのまま他の女性陣に連れられて去っていった。

 最後まで、ずっとアルスを睨みつけたまま。

 ふと気がつくと、いつの間にか村人たちは半分以上が減っていた。残っている者たちもどこか女性とは距離をとって他人のような雰囲気を醸し出していて、ついでにアルスと目が合いそうになると慌てたように目を逸らす。

 その様子を見たエクスは先ほどの言葉も相まって苛立ち半分呆れ半分で口を開く。

「大の大人が揃いも揃って……いい歳して本気でこの人が呪い殺したなんて噂信じてるんですか?大人として当たり前の常識すらないのかよ」

 その言葉に何人かはムッとした顔をした者もいたが、アルスの方をちらりと見ると、

「いやいや、信じてる訳無いだろ」

「さすがにそんな迷信じみたこと、なあ」

 薄っぺらい笑みを顔に貼り付けた彼らが口にするのは、結局口先ばかりの言葉だった。

 それがまたエクスの神経を逆撫でする。

「ならそんなに遠巻きにする必要もないでしょう。なんで頑なに距離を取るんですか?」

 苛立った声を投げかけられた村人たちは困ったようにお互いの顔をちらちらと伺いあう。

 自分ではない誰かが口を開き、自分はその他大勢の一人でやり過ごせることを期待するように。

 誰もが視線を合わせず押し黙っているのを見てエクスは舌打ちを一つ漏らす。

 それを見たアルスがもういいから、とエクスに声をかけようとすると、そこで村人たちの中からしかめっ面をした者が一人歩み出てきた。

「逆になんでお前はそんなに庇うんだよ」

 それはアルスが行きに見かけたエクスを批判していた青年であった。

「庇うも何も……これが普通の反応だろ。呪い殺したなんて信じる訳ないじゃん」

 問われたエクスは目を細めて爪先で地面をトントンと忙しなく叩きながら答える。

 それを聞いた青年は馬鹿にしたようにハッと鼻で笑うと、

「何が普通だよ。周りの反応を見たら分かるだろ、お前がおかしいんだよ」

 槍玉に挙げられた村人たちがぎょっとした顔で青年を見る。

「お、おいお前、いきなり何言い出してるんだ」

 近くにいた村人が青年の肩に手をかける。が、青年は無視して話を続ける。

「魔法なんて得体の知れない力を使うやつがいる。そして村の中で子供が不審な死に方をしている。これで怪しむなってのが無理だろ」

 アルスがどうするべきかオロオロとしているのを手で制して、改めてエクスが一歩前に出る。

「その二つが繋がってるという根拠がないだろ。魔法使いってだけで難癖つける気かよ」

「難癖じゃねえだろ。呪いなんて魔法使いにしかできないんだから」

 呆れと苛立ちを混ぜたような顔をする青年は吐き捨てるように言う。それよりもさらに苛立っているエクスはどうにも乱暴な口調になる。

「やっぱり難癖じゃねえか。そもそも呪う理由がないっつってんだろうが」

 その言葉を聞いて青年は苛立たしげに舌打ちする。だがそこで不機嫌ながらも胡散臭そうな目になるとエクスを下から上まで見回す。

「……つーかグルなんじゃねえの、お前ら。そこまで庇うとか」

「は?」

 何を言われたのか理解できずエクスは困惑の声を出す。それは他の村人も同じだったのか、先程女性を抑えていた男性が声をかける。

「グルって…お前村を化物から守ってくれた英雄に何言ってんだ」

「それが怪しいっつってんだよ。それまでブラブラしていた奴がいきなり化け物退治とか。そもそもなんで夜中に出歩いてたんだ?」

 青年は自分の周囲の人間をグルリと見渡すと演説でもするかのように声を大きくする。

「大方あの魔女が例の化物を呼び寄せてそれを自分たちで片付けただけなんじゃねえの?村で受け入れられるために」

「バッ、なっ、なんてこと言うんだ、おい!?」

 青年の思いもよらぬ言葉に男が顔を青くして怒鳴りつける。男の様子はまるで目の前で狼に石を投げられたかのような焦り方だ。

 だが青年は止めるどころかますます声を張り上げて周囲に呼びかける。

「なあ、おい。皆変だと思わないのか?」

「いい加減にしろこの馬鹿!」

 何人かの村人が慌てたように青年を取り押さえる。その勢いは男だからかそれとも別の理由か、先ほどの女性よりも激しかった。

「こんな奴が英雄なわけあるか!魔女を師匠呼ばわりしてるような奴が!」

 青年は地面に組み伏せられながらもなおも叫ぶ。

 彼が投げかけた疑念は漣のように村人たちの間に伝播していく。

「確かになんかいつも一緒にいるし」「というか師匠って呼んでたわよ」「じゃあ弟子ってこと?」「ならもしかして本当に……」

 疑念が黒い色を伴って広がっていく。それは広がるにつれてどんどん真っ黒になっていく。まるで底の見えない沼のように。

 村人たちが向ける目はもはや化物から村を守った英雄に向けるものではなかった。

「ほら、皆この魔女が呪い殺したと思ってるんだよ」

 青年が倒れたまま勝ち誇ったように言う。青年がそう口にした途端、その皆は目を逸らしたが。

 いよいよ我慢できなくなったエクスは怒鳴るように声を張り上げる。

「この人がそんなことするわけがないだろ!そもそもそんなことして何の意味があるんだよ!?」

 苛立って声を荒げるエクスに村人たちは疑念の目をますます深める。それにさらに苛立って口を開いた時、

「もういいよ……」

 ポツリと、小さな呟きが聞こえた。

「え……?」

 その声はとても小さな声だった。なのに何故かその声はその場にいた人々の耳に届いた。

「もういいって言ったんだよ」

 もう一度。今度ははっきりと響いたその声はその場に渦を巻いていた熱を圧倒した。

 しん、と皆が思わず黙った静寂の中、アルスは人形のような冷たい表情で前に出た。

「グダグダグチャグチャとうるさいんだよ。呪いだのなんだの、魔法のことなんて何も知らないくせに素人が適当抜かしやがって」

 魔法使いの少女は集まった群衆をぐるりと見渡すと、かえって無機質に感じられるほどグツグツとした低い声で、

「もし本当にボクが犯人だってなら証拠を見せろよ。ふざけた言いがかりで人のこと人殺し呼ばわりしやがって」

 そこでああ、と何かに気づいたようにせせら笑うと、

「証拠なんていらないんだよな。むしろ証拠なんてない方がお前らにとってはありがたいのかな?」

 人々は答えない。その低い声こそがむしろ呪いであるかのように彼らは口を開くこともできずに固まっている。

 ザワと強い風が吹いて木の葉を揺らす。それすらも魔女の怒りだとでも言うように何人かの人々はその身体をさらに強ばらせた。

 アルスはその様子に自嘲するように唇の端を僅かに歪めた。

「結局生贄みたいなもんだろ。自分達の不安を押し付けて、無理矢理背負わせて。そうやって解消するための生贄。それに一番都合が良かったのがボクだったってだけだろ、なあ!?」

 突然の大声に人々はびくりと体を震わせる。だがそれもアルスをより苛立たせるだけで、その怒気がますます強くなる。

 そしてとうとう溜め込んでいた一番大きくて、一番煮えたぎっているものを吐き出そうと大きく息を吸い込んで。

「……!」

 それでも最後の一線は超えるまいと開いた口をどうにか閉じた。

 代わりに、

「……もし本当にボクが呪いを使えるとして

 ヘドロのような黒いモノが口から漏れ出た。

「お前らなんか、呪う価値もない……!」

 その顔は泣き出す寸前の子供の顔だった。

 ふー、ふー、と少女は歯を食いしばって荒れ狂う感情を無理矢理に押さえ込む。それでも抑えきれずにその大きな目から滲みでたものをぐいと袖で拭った。

「……」

 それを見た何人かの人が気まずそうにそっと目をそらした。

 それに気づいたのか、それとも少し落ち着いたのかアルスはフードを目深に被り直すと、

「……それと、勘違いしてるみたいだけどこいつは弟子でも何でもない」

 どうしたものかと口を出せずにいたエクスを顎で指し示す。

「え?あの、師匠?何言って……」

 エクスが困惑したように声をかけてきたが、アルスは聞こえていないかのようにメモくれずに話を続ける。

「その師匠ってのもふざけて呼んでるだけだし。そもそもボクは弟子なんて認めた覚えなんてないってのに、師匠、師匠ってしつこく呼びやがって」

 その言葉にこれまでのような温度は感じられない。

「え、あの……その、さっきのこと怒ってるならごめ「だからもういいっつってんだろ」

 エクスの謝罪は冷たく遮られた。アルスはエクスを無視して周囲を見回すと、

「とにかくこいつをボクの弟子扱いすんな。ボクに……ボクに弟子なんていない」

 まくし立てるようにそう言うと、アルスは誰にも目をくれずに踵を返してその場から走り去った。

「あ、し……」

 その後を追おうとしたエクスは、けれど追いかけて何を言えばいいのか分からなかった。必死にそれを考えてみるものの言葉は見つからず、迷いは足をその場に縫い留めて。そうしてるうちにアルスの姿はどんどん小さくなって、そしてついには見えなくなってしまった。

 

 そしてその日からアルスはエクスの前から姿を消した。

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