やがて英雄へと導く魔法使い   作:NJR

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第四章   「魔女」の苦悩

「…………」

 数日後。

 アルスの家の前では無言で佇むエクスの姿があった。玄関の扉をジッと見つめるその顔はひどく真面目だ。

 あの日からアルスはエクスに会ってくれなくなった。メクイグモの件でやらかした時もしばらく顔を合わせていなかったが、今回は少し違う。

「……よし」

 意を決したように一つ頷くと玄関の脇にある来客を知らせる鐘をカンカンと叩く。そして少し待つが反応がないのでまた鐘を叩く。それを何度も繰り返すがやはり反応はない。留守なのかもしれないと思ったが、ジッと耳を澄ませば家の中から押し殺したような気配が伝わってくる。恐らくは窓かなにかから来客が誰なのか確認しに玄関近くまで出てきたのだろう。エクスはは反射的に開いた口を一旦閉じて、そして半ば無駄と知りつつも玄関の扉を叩いてみる。

「……アルスさん?いるんでしょう?お願いですから開けてください。今日は本当に真面目な話なんです」

『…………』

 扉一枚隔てた向こうからはやはりなんの反応もない。木の板で作られた何の変哲もない扉がまるで茨のついた鉄格子のように感じる。エクスは小さく息を吐くとそれでもしばらく扉の前で待ってみる。

 この間からずっとこの調子だ。あの日一人立ち去ったアルスをすぐに追いかけなかったことが今更悔やまれる。アルスの様子から少し時間をおいてからの方がいいかと考えた結果、あれからアルスの顔を見れてすらいない。あの時すぐにあとを追いかけていれば少なくとも話くらいは出来ていたかもしれないのに。一応家の中に気配が会った時に一度玄関の前で謝罪をしたのだが聞こえていたかは分からない。いや何も反応がない以上聞こえていないかもしくは受け入れてもらえていないのだろう。だからちゃんと顔を合わせて謝ろうとこうして足を運んでいるのだ。

(だってのにな……)

 エクスは今度は諦めを多分に含んでもう一度溜息を吐く。そしてもう一度だけ扉を叩こうと腕を伸ばしかけ、止める。

「…………」

 結局腕を下ろしてそれでも未練がましくしばらく扉を眺めていたが、やがてゆっくり振り返るとそのまま重たげな足取りで歩き始めた。それでもしばらく歩くとついちらちらと振り返ってしまう。けれどもやっぱり何も変わらない。

 そうやって振り返っていると玄関脇の枝が折れてしまった木が目に入った。いつぞやにエクスが誤って折ってしまった木だ。エクスはなんとなく近づいて折れた箇所をなでてみる。エクスの記憶では折れた部分は刺さりそうなぐらい尖っていたのだが、目の前のそれは鋸かなにかで切ったように平らな切断面になっている。恐らくは危なくないようにアルスがやったのだろう。

「やっぱまだ怒ってるのかな……」

 木を撫でながらポツリと呟く。当然、目の前の木は何も答えない。

 呪い云々の話で意識の外になっていたが、元々は喧嘩をしていたのだ。あれはアルスの言い方もどうかとは思うがやはり元はといえば自分の無神経な発言が原因だろう。だからこそこうして訪ねてきているのだがこのザマだ。

 謝ろうにも会ってくれなければ謝りようがないではないか。

 そんなお門違いな苛立ちを奥歯を噛み締めて咬み殺す。原因も、故に謝らなくてはいけないのも自分なのだから。

 それでも噛み殺しきれなかった小さなそれが不貞腐れた子供のような声となって漏れてしまう。

「……俺は、心配してただけなのにな」

 その呟きにやはり目の前の木は物言わぬままだった。

 

 

 

 アルスはそっと窓から外の様子を窺い、エクスが立ち去ったのを確認するとホッと胸を撫で下ろした。

 そのまま奥に戻ろうかと思ったアルスだが、そういえばさっきエクスが玄関の脇の辺りまで一度戻ってきたな、と気になり、少し確認してみることにした。試したいものがあって元々外に出る予定だったのでそれも持っていく。

「寒っ……」

 外に出た途端に冷たい風が吹きつけてきて、思わずそんな声が漏れた。気温はそこまで低くないはずなのに風が冷たいせいか妙に寒々しく感じる。

 風のことは一旦我慢するとしてとりあえず玄関脇を調べてみる。

「?」

 特に変わったところはない。はて、エクスは何故わざわざ一旦戻ってきたのだろうかと首を傾げる。そのままもう少し調べてみるがやっぱりおかしな点は見当たらない。

 まあよく分からないが何もないなら別にいいか、とアルスは意識をもうひとつの目的に切り替える。

 アルスは適当にまだこれから成長するであろう小さな苗木を適当に見繕うと、用意していた魔法薬を振りかける。

「さて上手くいくかな」

 アルスが振りかけた魔法薬は植物を一気に成長させる薬だ。始めて調合した薬なので果たして成功するかどうか……

「おおっ!?」

 苗木はアルスの目の前でぐんぐんと大きくなっていく。どうやら上手くいったようだ。

 どこまで大きくなるのかワクワクしながら眺めていると、

「お……ぅわっ!?」

 急激に大きくなった木の枝と地面の間に頭が挟まれてしまった。成長スピードがどんどん早くなり、最後の方はほとんど一瞬だったから逃げる暇がなかったのだ。

 魔法薬で無理矢理急激に大きくなったせいだろうか、地面がらさほど離れていない低い位置に枝が密集して茂みのようになっている。おかげで頭を横に動かして抜け出ることすら難しい。それともそもそもがこういう種類の木だっただろうか。魔法薬の実験のために適当に植えたやつだからいまいち思い出せない。

「頭が挟まった……」

 うつ伏せのまま呆然と呟く。どうにか抜け出そうと頑張ってみるが枝が密集しているせいか妙に重い。おまけに硬くてしなりがほとんどないので無理に脱出しようとすれば頭を怪我してしまいそうだ。

 さて、どうしたものかと思わぬピンチに頭を悩ませていると近くから視線を感じた。エクスが戻ってきたのかと一瞬焦るが、それにしてはどうにもおかしい。

(え、誰……?何、なんで無言なの?)

 頭が動かせないため誰なのか確認できないのがもどかしい。果たして誰なのかと不安を感じ始めてきたその時押し殺したような笑いとともに声がかけられた。

「何……何をしてるの……?」

 その声には聞き覚えがある。エクスではない。というより、

「お前かよ黛!」

 視線の主が数少ない友人であったことにアルスは安堵するとともにこの状況が恥ずかしくなる。

 手足をバタつかせてみるがやっぱり抜けないアルスは誤魔化すように威嚇してみる。

「何見てんじゃワレェ、あぁん?」

 だが黛は何も答えない。足音と気配からアルスの周りを動き回っているようだ。というか色んな角度から動けないアルスを観察しているようだ。

「なんか言えやぁ」

 なんだかいたたまれなくなってきたアルスは黛のことが見えないままもう一度声を上げる。そんなアルスになんか言えと言われた黛は笑いを堪えきれない様子で、

「楽しそう、コイツ楽しそうだなあ」

 そういうことじゃない。

 むしろ黛の方が楽しそうなほど笑いを含んだその言葉にアルスはウガー!と噛み付く。

「喧嘩売ってんのかぁ!?お前もうつ伏せになれやぁ!」

「え、より状況が分からなくなる」

 そりゃそうだ。

 あっさり正論を返されたアルスはぐぬぬ、と悔しそうに歯噛みする。そうしてる間も黛はクスクスと忍び笑いを蒸らす。

「笑ってんじゃねえぞこの野郎」

「いや、笑うでしょ、こんなん」

 姿が見えないながらも明らかに肩を震わせているであろう黛に、アルスはますます不機嫌になる。

「見世物じゃねえぞ、おい」

「見世物でしょ」

「誰が見世物だ!」

 うつ伏せのまま手足をジタバタと暴れさせて抗議の意を示す。その様子はまさに見世物だ。が、すぐにパタリと手足を落とすと疲れたように、

「もういいから抜け出すの手伝ってよ。一人じゃ抜けられないんだからさ」

 そう言うと黛はまだ多少は笑いを含んだ声だったものの仕方ないなと呟いてアルスの下まで歩いてきた。

「これアルスを引っ張るんじゃ無理?」

「それでいけたら一人で抜け出せてるよ。それよりボクの頭を挟んでる枝を少しでいいから持ち上げてほしい」

「分かった」

 黛は言われたとおりアルスの頭を地面に押さえつけてる枝を持ち上げる。それで少し空間に余裕ができた隙にアルスは急いで頭を引き抜く。

「はぁー……やっと出れた……」

 地面に座り込んでほっとするアルスに枝を離した黛が声をかける。

「それでどうしてこんなことになったのさ、アタマ・ハサマル」

「勝手におかしなあだ名をつけるな!」

 アダナ・ハサマル。

 アルスは唇を尖らせると不貞腐れたように説明する。

「実はさっき植物を急成長させる魔法薬の実験してたんだけどさ、思いの外急成長過ぎて…」

「相変わらずというか、どっか抜けてるよねアルスは」

「うるさいな。たまたまだよ、たまたま」

 そこでアルスは気分を変えるように縮こまっていた体を大きく伸ばすと、黛の方へくるんと向き直る。

「それでまゆくんは何しに来たの?」

 アルスの質問に黛は何故か少しだけ考えるような素振りを見せた。

「あー……別に大したことじゃないんだけどさ」

「うん」

「最近エクスと会った?」

 それだけでアルスは黛の意図を察した。

「……なるほど、センパイに会ったんだ」

 小さく溜息をつく。

「まあ、さっきそこでね。それこそたまたまだけど」

「そっか」

「なんかさ、落ち込んでたよ」

「……そっか」

 アルスは黛から目をそらすと視線の置き場所を探し、なんとなく空を見上げた。青い世界を一羽の鳥が飛んでいる。けれどもその姿はすぐに見えなくなった。

 アルスは誰もいなくなった、ただ青いだけの空を変わらず見つめながら続きを待った。

「……まあ俺が口を出すことでもないだろうし、そもそもの発端もただ聞いただけだけどさ」

 黛も一緒になって何もない空を見上げると静かな、けれども確固たる意思の宿った声で続けた。

「少なくとも俺が聞いた限りでは俺はアルスは悪くないと思ってる。それはもう、絶対に」

「…………そっか」

 アルスはそう言って、少しだけ微笑んだ。

 水面から顔を出すように、何もない世界から顔を下ろしたアルスは、何でもないかのような調子で話を続ける。

「別にさ、ボクがセンパイに会わないのは喧嘩が原因じゃないんだよ」

 いっそ柔らかいほどの声だ。それでいて不思議な深みのある声でもある。

 そもそもさ、と呟く。

「どっちが悪いとか悪くないとかそういう問題じゃないんだよ」

 その言葉に黛は眉を寄せる。

「……どういうこと?」

「その喧嘩の時に何が起こったか聞いた?」

 黛は一瞬言い淀むような顔をしたがすぐに答える。

「なんか……まあ、なんて言えばいいのか……いわゆる八つ当たりみたいな感じだったって聞いたけど」

 言葉を選ぶ黛に大してアルスはいつもと変わらない調子で頷く。

「困るよねえまったく。でもまあ、そっちのほうが主な理由かな」

「……でもそれとエクスと会わないのとなんの関係があるの?いやまあ、ショックだったってのは分かるけど」

 首を傾げながらも気遣う黛にアルスはカラカラと笑う。

「別にそんな気ぃ遣わなくてもいいって」

「いやでも……」

「いいからいいから」

 アルスは言いながらパタパタと手を振ると近くの大きな切り株に腰を下ろした。

「それでセンパイと会わない理由だっけ」

 アルスは座ったまま軽く伸びをする。黛はその目の前まで歩いてくると黙って視線で続きを促した。

「さっき言ってた『八つ当たり』の後に何があったか聞いた?」

 アルスの質問に黛は黙ったままフルフルと首を横に振る。それに対しアルスはそっか、と呟くと、

「まあなんていうか他の村の人がボクの批判を始めてさ、それにセンパイが反論し始めたんだよ」

 あれは批判と言うよりは言いがかりのようなものだったが、まあそこはいいだろうと詳しい説明はしないでおく。しかし黛はあっさりと言外の部分を読み取ってくれる。

「多分批判というよりはいつものくだらないやつなんだろうけど……それで?」

「……それでどんどんヒートアップしたんだけど、周りの村の人たちが批判してた人に同調し始めて。なのにセンパイは熱くなって強めに言い返してさ、おかげで周りの村の人たちから例の化け物退治がヤラセなんじゃないかって疑われ始めたんだよ」

 アルスはそう言うと少しだけ目を瞑った。すぐに開いたその瞳はあくまでいつもどおりの碧色だ。

 アルスはわざとらしくやれやれとかぶりを振ると、

「だってのに自分の弁明をするでもなく、ボクはそんな人じゃない!ってますます強く怒鳴ったりしてさあ。バカだよねぇ、せっかく村で英雄扱いされてんのにさ。わざわざこんな魔女を庇うとか」

「アルス」

 その物言いに黛は咎めるように名前を呼んだ。けれどもアルスは僅かに目を細めただけで、結局気にした風もなく話を続ける。

「だって村の人達…全員じゃないにせよ、大勢の人達にとってボクは子供たちを呪い殺してる邪悪な魔女なんだからさ。そんなボクを庇ったりしたらどうなるか分かりきってるじゃん。実際それで英雄扱いを疑問視してるやつとかいたし」

 バカなやつ。小さな雫が溢れるような、そんな呟きを漏らす。

「だからまあ、これ以上センパイが馬鹿なことをしたりしないようにって思ったんだよ」

「……馬鹿なことって?」

 黛の静かな問いにアルスは、んー?と、ぼやけた声を返す。そしてちらりと黛の顔を見ると小さく息を吐いて、

「……結局さ、ボクと一緒にいなければセンパイは変わらず村の英雄だし、あれこれ危ない目に遭うこともないんだよ」

 諦めたようにゆっくりと語ると、大きな切り株の上で少女は静かに瞠目する。

「つまりアルスはエクス自身のために会うのをやめたってこと?」

 黛の問いにアルスは目を開くとただ黙ってその目を見返す。その目はただ静かで、瞳の色と相まって深い水底のような目に見えた。

 黛はその紺碧じみた目をジッと覗き込む。

「それでエクスが喜ぶとでも思ってる?」

「思わないよ、そりゃ」

 即答だった。その顔は何を分かりきったことを、と言いたげな顔だ。

「でもさ、しょうがないじゃん。そうでもしないとセンパイまで村で孤立しかねないし。何か欲しいモノがあるならさ、別の何かを諦めることも必要じゃん。あれもこれもと欲張るのは子供のすることだよ」

 スラスラと淀みなくアルスは語る。恐らくはアルスの中で散々に考え尽くしたことなのだろう。アルスなりに色々悩んで出した結論なのだ。

 確かにエクスに不満はあるし喧嘩のことを思い出せば今でもちょっぴり腹が立つ。けれどもそれ以前にエクスは数少ない友人で、魔法を怖がらずにむしろ尊敬してくれたりもする。くだらないじゃれあいはなんだかんだで楽しくて、講釈をたれている時なんかはそれこそ本当に弟子を持ったような気分を味わえたものだった。

アルスだってそんな日々を自分から進んで失いたいとは思っていない。けれどそれを諦めなければ当のエクスに迷惑がかかる。

 だからこそ離れようと決めたのだ。魔法使いとかそれ以前に、一人の友人としてエクスのために。

 だが黛の次の言葉はアルスのそんな決意に小さなヒビを打ち込むようなものだった。

「でもそれじゃあエクスの意思を無視してるよね」

「…………」

 そう言われたアルスはしばし無言で大きな瞳を何度か瞬かせると、ゆっくりと黛に目を向けた。

「……何が言いたいわけ?」

 ただ、静かな声だった。その静かさにつられるようにしん、と一瞬辺りが無音になる。

 しかし黛はその静寂に臆することなく口を開く。

「だってエクス自身がそれを望んだわけじゃないよね。アルスが勝手にそう判断して会わないだけで」

「だから……そうしないとセンパイが英雄どころか村で孤立するんだってば」

 その声はやはり静かだったが、その静かさは何かを抑えているような静かさだった。

 黛はそんなアルスを見て何かを考えるように眉を寄せる。そして鋭い一言を放った。

「じゃあさ、エクスは英雄でなくなるくらいなら、村で孤立するぐらいならアルスと友達を辞めたほうがいいみたいなことを言ってた?」

 その言葉にアルスは眦を吊り上げて何かを言おうと口を開いたものの、開いた口は震えるばかりで何も言葉にはならなかった。それを黛はジッと黙って待つ。

そうして形にならない何かを舌の上で転がし続けたアルスはしばらくしてようやく嗄れたような声で呟いた。

「じゃあ……どうしろってんだよ…………」

 その声には色がなかった。いつもと同じアルスの声なのに、普段の鈴を転がすような声ではなくその鈴が割れてしまったような、そんな声だった。

 アルスは吊り上げた目尻の端を震わせながらそれでも黛を睨みつけ、

「もう、うんざりなんだよ……」

 呻くように呟く。そしてそこからドロドロしたモノがとうとう溢れ出してきた。

「どうせ何やったって魔法使いってだけでそういう目で見られるんだよ……魔法が使える奴は『正解』を選ばせてもらえないんだから。じゃあ今更『実は魔法使いじゃありませんでした』なんて言ったところで信じる奴がいるわけもない。なら……ならどう頑張ったところでこれ以上の解決策なんかないだろうが!最初っからこれ以外はロクなことにならないのが分かりきってるんだからな!それとも何か?友情は大事だから数少ない大事な友達を、名誉だのなんだの剥ぎ取って貶めてこっち側に引きずり込めと?村の中であの目で見られ続けることがどういうことなのか、ボクが一番分かってるのに?ふざけんな!そんなことしたくないからこうしてんだろうが!ボクが何の考えもなしにこれを選んだと思ってるのかよ!?でなけりゃアイツのことを軽く扱ってるようにでも見えんのか!?だとしたら『会わない』なんて選択肢を選ぶわけねえだろうが!例え本人が望んでいなかろうがこれが最善だと思ったから、他の選択肢なんて無いも同然だったからこうなってるんだよ!」

 慟哭のような怒りだった。いや、実際にその根底にあるのは怒りではないのだろう。

 いつの間にか勢いで立ち上がっていたアルスは肩を震わせながら荒い息を吐く。真っ直ぐに黛を睨みつけるアルスの顔は泣き出す寸前の子供のように見えた。

 トスン、と力が抜けたように再び切り株に座り込んだアルスは疲れたように俯く。

「ボクは邪魔な存在なんだよ」

 小さな声だった。

 こじ開けられた本音は今にも壊れそうなほどに震えていた。

「……アルス……」

 なんと声を掛けるべきか分からないように、ただ名前を呼ぶ黛の前でアルスはうつむいたまま静かに深呼吸をする。そうして次に顔を上げたアルスはいつもどおりの様子だった。

 黛はそんなアルスの目で背筋を伸ばすと、

「ごめん、アルス。配慮が足りなかった。もうちょっと色々考えてからにすべきだったと思う。本当にごめん」

「…………」

 頭を下げる黛をアルスはその大きな瞳をジッと細めて見つめる。

 少しして頭を上げた黛はアルスの目を覗き込むと普段より真面目な声で、

「でもアルス、怒らないで聞いてほしいんだけど」

「……何?」

「その理屈だと今後は俺とも会えなくなっちゃうんじゃない?」

 黛の言葉にアルスは視線を投げつけるように向けると、

「……そうだね。お前はなんだかんだ上手く立ち回ってると思ってたけど……確かに黛とも会わないようにした方がいいのかもね」

「いや違、アルス。違う。そういうつもりじゃなくて……」

 アルスのその反応に黛は焦ったような顔をした。するとその顔を見たアルスは苦虫を噛み潰したような顔で下を向くと小さく、ごめん、と呟いた。そのままゆるゆると頭を振ると、

「……ごめん。ちょっと一人にして」

 それを聞いた黛は少し悩む素振りを見せたが結局はアルスの意思を尊重したようで、

「……分かった」

 そう言うと振り返ってゆっくりと歩き出した。

 アルスはその背中をしばらく見つめると今度は純粋な気持ちで声をかける。

「お前も……あんまり僕に会わないほうがいいよ」

 振り返った黛はジッとアルスを見つめていたが、

「また来るから」

 そう確固たる意志のこもった声で答えると、今度こそその場を立ち去った。

 その言葉にアルスは今度こそ膝に顔をうずめた。

 

 

 

 翌日、エクスは特に目的もなく村の中を歩いていた。

 始めは今日もアルスの家に行こうかと考えていたが、あまりしつこくしすぎても逆効果かもしれないと考えた結果あてもなく村の中を彷徨っている。

「黛さんが上手くやってくれてるといいんだけど……」

 昨日の帰り道に出会った相手のことを思い出す。とりあえず自分も話してみる、と言っていたが結果はどうだったのだろう。結局あの後エクスは真っ直ぐに家に帰ったのでどうなったのかは分からない。

 探して聞いてみるべきかな、と歩きながらエクスが考えていると井戸で水を飲んでいた村長に出会った。

「おぉ、エクスじゃないか」

 畑仕事の途中だったのだろう、農作業用の格好をした村長にエクスは軽く会釈をする。

「んん?どうした?浮かない顔をして」

 口元を袖でグイと拭った村長は無遠慮にエクスの顔をジロジロと眺め回す。エクスはどうにも正直な自分の顔に内心で文句を言いながら適当に誤魔化す。

「別になんでもありませんよ」

 その返答に納得がいかないのか、村長はむうぅ、と低く短く唸った後、はたと周囲を見回した。

「そういえばここ最近アルスと一緒にいるところを見ないな。前まではよく一緒にいたというのに」

 エクスは思わず押し黙ってしまったがそれが答えになったのか、それともやはりエクスの顔は正直すぎるのか、村長は納得したような顔になる。

「なんだ、どうしたのかと思えば喧嘩でもしたのか」

「…………」

 さらに無言になったエクスを気にもせずに村長は呆れたように溜息をついた。

「まったくしょうのない奴だな。いくら言っても魔法使いごっこをやめないし今度は友人と喧嘩か」

 村長の物言いにエクスはざらりとした気分にさせられる。

「誰が魔法使いごっこなんですか」

 思わず苛ついた声を出すエクスに村長はおや、と片眉を持ち上げた。

「そりゃあアルスに決まっているだろう。まだ年若い少女に何ができるというんだ。まあ、薬の調合などは助かっているがせいぜいそれくらいだろう」

 やれやれと首を左右に振る村長にエクスは眉間に皺を寄せて言い返そうとしたが、続いた言葉を聞いて開けた口を閉じた。

「おまけに最近では一部の村人の間で妙な噂が立っているしな。まったく馬鹿馬鹿しい」

 村長は腕組みをして不機嫌そうにフンと鼻を鳴らす。それから改めてエクスに目をやり、

「お前も喧嘩なんかしてないできちんと大人の対応をしてやりなさい」

 一方的に言うだけ言うと村長は満足したのか挨拶がわりに片手を振るとそのまま畑仕事に戻っていった。

 あとに残されたエクスは言い返せなかった分、黙ってその背中を睨みつける。

 言い返すこと自体はできた。だがもしアルスはごっこ遊びではなくすごい魔法使いであるとエクスが言い張れば、例の噂にますます拍車が掛かってしまうだろう。結果アルスのためにはアルスが馬鹿にされているのを黙って見過ごすしかないという歪な状況になってしまっている。

「……クソ」

 エクスは足元の井戸用の桶を一つ蹴飛ばすと乱暴な足取りで歩き出した。

 

 

 

 アルスは薄暗い部屋の中で目を覚ました。

 昨日黛が帰った後に部屋の中で鬱々と考え事をしながら膝を抱えていたのだが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 アルスはぼんやりとした頭を振ると、被っていた毛布を苛立たしげに放り捨てた。こんな時でものんきに寝れてしまう自分に腹が立った。毛布がいけなかったのだろうか。でも仕方が無かったのだ、どうにも寒い気がして。

 アルスは目が覚めたにも関わらず顔を洗ったり着替えたりと身支度を整えることもなく再びベッドに横たわった。眠いわけではない。何もする気が起きないのだ。そのまま眠ってしまう前と同じことをグルグルと考える。

 考えてみれば自分と関わることで迷惑をかけるのはエクスだけに留まるとは限らない。仲がいいというなら黛だってそうなのだ。

 ゴロリと寝返りを打つ。

 結局自分が元凶なのだ。共にいるだけで、仲がいいだけでその人の名誉を傷付け疑心をもたらす。ならば代わりに自分がしたことといえば余計な知識を教えて危険にさらしたり八つ当たりしただけだ。

 こうなってくると子供たちのことも本当に自分が原因じゃないかという気がしてくる。本当はいつものくだらない噂じゃなくて、自分のそういうのに対するドロドロしたものがとうとう呪いになって自分の知らない間に村を襲っていたのではないか。そんな妄想さえ現実味を感じてくる。

 なんだか息苦しくなったアルスは再び寝返りを打つ。だが緩やかに上下する胸は楽にはならなかった。

「……なんでこうなったんだろうな…………」

 その呟きに答える者は当然ながら誰もいない。

 ふとベッドの脇に目を向ける。そこにあるのは喧嘩をする前からコツコツと作っていたある贈り物だ。

 別に特別な意味はない。ただせっかくだから作ってやるかと思っただけだ。

「……どうしようかな、これ」

 せっかく作ったのに捨てるのも忍びないな、と真っ白なそれを手に取って考える。けれどもそれならどうするか。まさかあれだけ避けていたのに今更会うわけにもいかない。かといって他の人にやるのも無理だ。そもそもアルスはもう他人と関わる気になれない。

 まるで何かから思考を背けるようにサラサラとした手触りを弄びながら頭を悩ませる。そうしてしばらく悩んで、そしてこれで最後にしようとそう決めた。

 人と関わろうとするのは今の自分の考えとは合わない。それどころか真逆だ。

「……でも」

 それでもこれだけは。

 直接会わずとも、袋に入れてこっそり家の前にでも置いておけばいい。だからこれぐらいは渡しておこう。

 そう考えてアルスは重たい体をゆっくりと起こした。

 

 

 

 ザワザワ、ガヤガヤと人の声が何重にも重なって周囲から押し寄せる。エクスは雑多な声が渦巻く中、うんざりした顔で頭を振った。ただ単にうるさいというわけではない。それなら単にこの場を去ればいいのだから。そうしないのは周囲の話題がアルスのことだからだ。もちろんエクスがうんざりした顔をしているのも。

 ほんの十分ほど前。村長が去って再び一人になったエクスはあてもなくフラフラとしていても仕方がないと考え、そのまま家に帰ることにした。その途中になにやら村人が集まっているのを見つけたのだ。そこに集まっていたのは全員というわけではないがほとんどが幼い子供がいたり孫がいたりする村人たちだった。もしかしたら誰かが声をかけて集めたのかもしれない。

 始めは特に興味もなくただその場を通り過ぎようとしたのだが、人々が魔女という単語を口にしているのを耳にして思わず足を止めていた。

 あの魔女の呪いをもう見過ごすことはできない。これ以上子供たちを死なせるわけにはいかない。いや、それどころかもしかしたら子供だけでなく大人まで呪い殺されるかもしれない。

 そんな猜疑の声がエクスの足を貫くようにその場に縫い止めたのだ。思わず怒鳴りつけてやろうかと思ったがそんなことをしても逆効果だとすぐに思い直す。そもそもこの間の反応を見るにエクスが何を言っても聞く耳を持たないだろう。しかしだからといって無視する気にもなれず、エクスは群衆の後ろでこっそり様子を見ることにした。

 そうしてエクスが自分たちで勝手に怯えている人々を冷ややかな目で眺めていると一人の青年が人々の真ん中へ進み出てきた。この間エクスにグルだとか英雄と認められないとか言ってきた青年だ。周囲の反応を見るにこの青年がこの集まりの中心のようだ。エクスはなんとなく見つからないように近くの男の陰に隠れた。

 青年は集まっている人々をグルリと見渡すと軽く頷き、口を開いた。

「なあみんな、この前また赤ん坊が死んだのを知っているよな?」

 ああ、とか、もちろん、などの声が周囲から上がる。

「これで何人目だ?どう考えてもおかしい。これは異常事態だ」

 そうだ、そのとおりだと声が上がる。

「これまでにいったい何人の子供が死んだ?これからいったい何人の子供が死ぬ事になる?そもそも子供だけで本当にすむのか?俺たちがそうならないなんて保証がどこにあるんだ?」

 そこで一度言葉を切った青年は大きく両腕を広げると宣言するように力強く叫んだ。

「全部あの魔女のせいだ!あいつがこの村に来てからこの災いが始まったんだ!」

 それを聞いていた青年の近くの大柄な男が声を上げた。

「ならどうしようってんだ?そりゃ俺たちだってどうにかしたいと思ってるけどよ、どうにもできないからこうなってんだろ」

 それに対する青年の返答は隠れて聞いていたエクスをぎょっとさせるものだった。

 

「簡単だろ。あの魔女を退治すればいい」

 

 その言葉は他の人々にとっても驚くものだったらしく、一気にざわめきが広がっていく。青年はざわめきが収まるのを待ってから再び口を開いた。

「みんなも分かっているだろ。全ての原因はあの魔女なんだよ。あいつが村に呪いをかけているんだ。だからあいつを退治さえすれば全部解決するに決まってる」

 退治。まるで怪物か何かみたいな言い方にエクスは頭が熱くなるのを感じた。

 先ほどの大柄な男が恐る恐る口を開く。

「なあ……本気で言ってるのか?」

 投げかけられたその言葉に青年はしっかりと頷くと、

「もちろん本気さ。むしろこれまでがおかしかったんだ。ただ子供が死ぬのを黙って見ているだけなんて。原因は明らかだってのに」

 憎々しげな表情で吐き捨てるように言うと青年は改めて周囲をグルリと見渡した。

「みんなはこれ以上子供たちが殺されていくのを黙って眺めているつもりかよ?このまま村がじわじわと壊れていくさまを?」

 周囲の人々は困ったような曖昧な表情でお互いに顔を見合わせる。青年の言葉を否定するものはいないし、中には一部頷く者もいたが明確に賛同の声を上げるものは一人もいない。彼らの目に見え隠れするのは不安と怯えだ。だがそれと同時にぎらりとした敵意のようなものも見える。

 しかし青年は周りが賛成しないことに焦れたような顔になる。

「子供がいる奴は不安じゃないのか?今度はウチの子の番かもしれないって。それに子供がいないやつだってあの魔女の不興を買えば呪い殺されるかもしれないんだぞ」

 再度投げかけられた言葉にも人々はやはり困ったように顔を見合わせるだけだ。どこからか『それはそうだけど……』という声が聞こえてくる。

 青年は再び周りの注目が自分に向くのを待ってから今度は落ち着いた声で話し始める。

「確かにみんなが怖がるのも分かる。ああ、無理もないさ。けど一人や二人ならともかく、村のみんなで戦えばどうだ?あの魔女が大勢をいっぺんにやれるならとっくにそうしてるだろ。なのにじわじわ呪いで少しずつやってきてるってことは一度に大勢は相手できないってことだ」

 再びざわざわとざわめきが起こる。確かにそうかも、という声と本当にそうなのか?という疑問の声がかさなる。

「そもそも、だ。魔女を退治した話ってのは一つや二つじゃない。昔からいくつもあるだろう。つまり魔女は無敵の存在じゃないってことだ」

 青年が一旦話を区切ると人々は静かに話の続きを待つ。

「そしてなによりここで戦わなければ村は御終いだということだ。今はまだいいさ。赤ん坊が少しずつ死んでいくだけだ。それだけじゃ村は終わらないし、人ごとの奴だっているだろう。けれどじゃあこの先は?五年後、十年後に村に子供はいるのか?どんな村や町だって新しい世代がいなければ最後には滅びるだろ。いずれこの村は年寄りだけになってゆっくりと滅んでいくんじゃないか?」

 青年の声はいっそ穏やかだった。それが村人たちの危機感をさらに掻き立てる。

「だからまだ子供たちが残っているうちに戦う必要があるんだよ。それにあの魔女が赤ん坊が呪い殺せるなら俺たち大人だって呪い殺せたっておかしくないだろう。今はまだ魔女の気まぐれかなにかで無事なだけかもしれない。けどこれから先もそうだとは限らない。危ないのは俺たちもなんだよ!ひょっとしたら村が滅ぶのは村が年寄りだけになるなんかよりもよっぽど早いかもしれないんだよ!」

 ざわざわと不安そうな声がそこかしこから上がる。いつのまにか青年の言葉に意義を唱える者はいなくなっていた。

 青年は皆が自分に賛成し始めたことに満足そうな顔で頷くと、その勢いのままさらに言葉を重ねる。

「それに考えてもみろよ。相手は魔女だぞ?あんなでかいだけのナメクジとなんか比べ物にならない、それこそ英雄に、『あんなの』とは違う本物の英雄になれるチャンスじゃないか!」

 『本物の英雄』という言葉の部分で青年は僅かに上擦ったような声になり、その目に奇妙な熱が浮かびあがる。その気味の悪い熱が伝播するように周囲の人々の顔が少しずつ同調するような表情になっていく。

「けれどここで怯えて尻込みしていたら英雄にもなれずに村も守れない!俺たちの生まれ育ったこの村が、だ!子供たちは次々と呪い殺され、村から子供がいなくなったら今度は俺たちの番だ!」

 青年はグルリと視線を巡らすとまるで自分にも言い聞かせるように舌を躍らせる。

「この中にもいるだろう、赤ん坊を持つ親が!恐ろしくはないのか?ある日突然愛する娘や息子が物言わぬ骸になることが!まだ言葉も話せない幼い子供があの魔女のせいで未来がなくなるんだよ!そんなふざけたことが許されるのかよ!?そのふざけたことがこれからもっとひどくなる!村が滅ぶまで!」

 大きく腕を振り上げた青年はだんだんと口調も力強いものになっていく。それに合わせて周囲の人々からも『そうだ』とか『確かにそのとおりだ』といった声が上がり始める。

「だからここでやらなきゃもうどうしようもねえんだよ!罪のない子供たちを、俺たちのこの村を守らなきゃいけないんだ!それができるのは他でもない俺たちだけだろうが!!」

 青年が力強く言い切ると同時に周囲からワッと歓声のような賛同の声が上がった。集まった人々は口々に青年が勇者か何かのように称え始める。一部では子供云々どころか農作物の収穫が去年より少ないことや年寄りの腰が悪いことまでアルスのせいにするものまで出てきた。

 中には微妙な反応をする者もいたが、そういった人たちもまた周りの様子を見て、村の一員であり続けるためにそれに倣うようにしてそれらの中に溶けて混ざって消えていった。

 そんな光景をエクスは薄ら寒い思いで眺めていた。

(なんだこれ……)

 気持ち悪い。

 その言葉が一番しっくりくる光景だった。熱に浮かされた目の前の盛り上がりっぷりに胸の奥に膿が溜まっていくような気分になる。

 何かがズレているのに、それに気づかずに酔っている。どんな酒よりもタチが悪い、自分たちの勝手な正義に。ひょっとしたら村人たちは誰でもよかったのかもしれない。それが自分ではない誰かでさえあれば。

 なんでこんなにズレているんだ、とエクスはギチリと歯を強く噛み締める。

 彼らだって村や子供たちを守りたい気持ち、それ自体は至極真っ当で嘘偽りのないものなのに。

 止めなければならないと強く感じた。こいつらは本気だ。本気でアルスを怪物のように退治するつもりなのだ。自分たちの勝手な妄想を根拠にして。しかもそれは彼らにとっての正義からすら外れてしまっているのに、だ。

 あまりの気持ち悪さにむしろ怒りがするりと抜け落ちたエクスは吐き気を堪えるように深呼吸すると、意を決して群衆に持ち上げられている青年に近づいて声をかけた。

「ちょっといいですか」

 まさかこの場にエクスがいると思っていなかったのか、青年は一瞬ぎょっとした顔になったがすぐにニヤニヤとした笑みを浮かべると自分からエクスの方へと近づいてきた。

「これはこれは、英雄様じゃないか。魔女の弟子を名乗るお前がいったい何の用だよ」

 『魔女の弟子』という言葉でエクスに向けられていた周囲の人達の視線が一気に刃物のような鋭さに変化した。しかしエクスは有象無象の視線など気にも止めずに堂々と話を続ける。

「なんか物騒というか馬鹿げた話が聞こえたんですけど。あんたらアルスさんを村から追い出そうってのかよ」

 エクスが青年の目を真っ直ぐに見て話すと青年はニヤニヤ笑いを止めて苛立たしげに舌打ちをした。

「何が馬鹿げた話だよ。自分たちの村を自分たちで守らなきゃならねえって言ってんだろうが」

 青年の言葉に周りの村人たちも『そうだ!』とか『これ以上我慢できるか!』と同調する声を上げる。皆一様に興奮した表情を浮かべていて、まるで何かに取り憑かれたかのようだ。

「そのために勝手な妄想で無理矢理追い出すつもりかよ」

 吐き捨てるようなエクスの言葉に青年は『妄想じゃねえよ』と同じく吐き捨てるように言うと、エクスが何かを言う前にそれに、と話を続ける。

「追い出すんじゃなくて退治だっつってんだろ。村から追い出したくらいじゃこっそり戻ってくるかもしれないじゃねえか」

 だから、と青年は大きく口元を歪ませると信じられないことを口にした。

 

「そんなことがないようにきちんと止めを刺さないとな」

 

「……え?」

 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

 思考に生まれた一瞬の空白が周囲の声を遠くへと押しやる。ざわざわとしたざわめきはどこか遠くからのひと塊の音のようで、耳が拾うことを拒否してそのまま通り過ぎていく。そんな冷たい風のようなざわめきの中から『確かに……』とか『じゃないと意味がない』といった声が這い出るように聞こえてきた。

 けれど同時に群衆の中から『さすがにそれは…』『追い出すくらいならともかく人殺しは……』という声も聞こえた。

 青年はぽかんとしているエクスの顔をまたもやニヤニヤとした顔で眺めていたが、群衆の中から聞こえた『人殺し』という声に舌打ちをすると、

「おい、なに言ってんだ!人間じゃなくて魔女だって言ってるんだ、化け物退治に人殺しもクソもないだろ!姿形が人間だろうと魔女は化け物なんだよ。つまり俺たちの村に化け物が人間のフリして入り込んでんだ!」

 青年の言葉に村人たちは熱狂の声を上げた。聞こえてくるのは青年の言葉を肯定するような声ばかりだ。中にはそいつの人間性を疑うような言葉も聞こえてくる。

 あまりにも異様な光景に頭が理解を拒むような感覚に陥ったエクスが周りを見回すと、村人たちが興奮してる中で何人かの人達が身を竦めるようにして周りの様子を伺っているのが見えた。その表情は周りの興奮している村人たちにこそ怯えているように見える。

 それに気づいた時、エクスは不思議とどうにか思考が立て直されるのを感じた。すうっと音が現実を取り戻す。何故かは分からない。けれどこいつらを投げ出すにはまだちょっとだけ早いんじゃないか。そう思えた。

 ゴクリとつばを飲み込む。改めてあの中に踏み込むのは勇気がいる。今は青年が注目されていおかげでこちらに視線は集まっていないが、再びこちらに注目が集まったならその勢いはどれほどのものだろうか。

 エクスは深く息を吸うと一拍おいてからゆっくりと吐き出した。そうして深呼吸が終わるとさてと青年に向き直る。

 取り囲む群衆の相手をしていた青年は自分に向き直ったエクスに気づくと勝ち誇ったように笑う。だがエクスはそれに付き合わずに挑むように口を開いた。

「あの人は人間だろ。化け物なんかじゃない」

 ぎょろりと周囲の目が一斉にエクスへと向けられた。熱に浮かされたその目はいつぞやのメクイグモを思い出させる。エクスは一瞬怯みそうになるものの無視して青年を真っ直ぐに睨みつける。

 青年はエクスの言葉を鼻で笑うと、自分の周りの人たちを見せつけるように緩く両手を広げた。

「そう思ってるのはお前だけだろ。これを見ろよ。こんなにも多くの人間が俺に賛同してる。皆が思ってるんだよ、あの魔女は化け物だって」

 それに言い返そうとエクスが口を開いた時、何かを言うよりも先に群衆の中から声が上がった。

「あ、あんのぅ……」

 二人が同時にそちらの方へ目を向けるとそこにいたのは一人の老婆だった。エクスはその老婆に見覚えがあった。たしかアルスにカツアゲを疑われた日にアルスから薬を受け取っていた老婆だ。

「私はそうは、思わねぇんだども……」

 その言葉に周りの鋭い視線が一斉に老婆に突き刺さった。老婆は周りの注目が集まったことにびくりと身を竦ませるが、それでもおどおどとしながらも話を続ける。

「あん子はいづも薬さ安く売っでくれるし、銭こがねぇときは代わりに食いもんで構わね言うてくれるし……そりゃ魔法だなんだは分がんねはんで気色ワリくねぇなんてしたら嘘こさなるけども……」

 異様な熱気に気圧されているのか、老婆の声はだんだんと小さくなっていった。だがその言葉にはちらほらとだが賛同の声も上がる。「たしかに」だとか「あの子の薬のおかげで楽になった」といった声が聞こえてくる。

 中でも一人の男が腕を組んで重苦しく唸るように口を開いた。それはアルスにナメクジ退治を頼んだあの男だった。

「……俺が偉そうに言えたことではないけどな、お前らは独り歩きした噂を通してあいつを見てるから化け物に見えるんじゃないのか」

 男は腕組みをしたまま深く息を吐くと、

「少なくとも俺は、周りの勝手な噂で散々に叩きのめされてみんなからあんな風に扱われて、そしてとうとう耐えられなくなってあんな風に泣きそうになっているあの顔を見て、あいつが化け物だなんて思えない」

 幾人かの人々は頷き、さらに何人かの人は押し黙って目をそらした。

「そんなの演技に決まってるだろ」

 苛立ったように青年は吐き捨てる。だが男はゆるりと首を振って、

「被ったんだよ」

「は?」

「……うちの倅とな。年も性別も何もかも違うのに、泣き出すあの顔がどうしても息子を思い出させたんだ。それで思っちまったんだよ。俺はこんな年若い娘にこんなひどい顔をさせちまったのかってな」

 そう言うと男はやはり腕組みをしたままむっつりと黙り込んでしまった。

 少ないながらもエクスや老婆の意見に賛成する声が上がったためか、それとも男の言葉に思うところがあったのか、群衆の熱が冷めて盛り下がった雰囲気になる。だがそれを察した青年は大きく顔を歪めてさっきよりも大きな声を張り上げた。

「騙されるな!ここでやらなければ子供たちが皆殺しにされるんだぞ!?そもそも薬を安く売ってくれるだの代わりに食べ物がどうのこうのなんてのは金の話じゃねえか!金に薄汚い業突張りが!庇ってる奴らは金で子供たちの命や村を売るつもりか!?」

 そうだ、その通りだと賛同の声が上がる。

 せっかく落ち着いた熱が再び盛り上がる。青年の言葉だけでは火がつききらなかったが、賛同の声が上がったせいでそれに乗っかるような声がそこかしこから上がった。そしてそれに釣られるようにさらに声が上がる。

 特に『金の話』という言葉が琴線に触れたようだ。とかくあの魔女を排除しろ、金の亡者の言うことなんか知ったことかと叫ぶ群衆がまるで牛飼いに呼ばれた牛のように青年の周りに集まる。

「あの、別に金で売るなんて誰もいってないでしょう」

 群衆が青年の周りに集まったことで、自然と青年側とエクス側で分かれることになったがその数の差は圧倒的だ。そして気持ち悪い熱気も。だがそれでも若い女性がエクスや老婆に賛同した人達の中から一歩前に出た。

「ただ単にお金がどうこうじゃなくってこっちに配慮してくれてるって話じゃないの?」

 女性は怯えてるのか、喋りながらエクスや老婆の方にちらちらと目を向ける。それだけ群衆の何重にも突き刺さる視線が鋭いのだろう。事実、青年の周りに集まった者たちの向ける目は同じ村の人間に向けるものではなく敵に向けるような目つきだ。

 その群衆の中心、女性に自分の言い分を否定された青年は大きく舌打ちをすると、

「何が配慮だよ。本当に配慮してくれてんならなんでお得意の魔法で子供たちを助けないんだ?貧乏人は気遣ってもどんどん死んでいく赤ん坊のことは無視すんのかよ」

 青年の言葉に同調する声がいくつも上がる。青年はそれに気を良くしたように頷くと、

「結局はあの魔女が犯人だからだろ。というか薬が安いのもどうせ怪しまれないためだとかそんなところだろ。本当に優しいやつだったらこんな何人も死ぬ前になんとかしてんだから」

 せせら笑うような青年の言い方にエクスは言い返す。

「それだけで犯人とは言えないだろ。怪しまれないためだとかいうのも決めつけに過ぎないし。それに魔法だって別に万能じゃないのに」

 その言葉に女性や老婆、他の数少ないこちら側の人が何人か頷いてくれた。

「コイツの言うとおりだ。さすがに決めつけがすぎる。それだけで村から追い出すどころか殺そうとするなんていくらなんでもやりすぎだ」

 誰が言ったのかそんな声が上がると何人かの同意の声が続けて上がる。数は少ないしどこか躊躇いがちではあるものの、その声は確かにあった。

「ならなんであの魔女が村に来た途端に赤ん坊が死に始めたんだよ」

 青年が口にしたのは突きつけるような言葉だった。それまで青年に反対していた人達が『それは……』と気まずそうに目を逸らす。

 その様子を見て青年がそれ見たことかと笑う。だがエクスはそんなことは無視してきっぱりと言い放った。

「そんなのただの偶然に決まってるだろ」

 けれどもそれが向こうの群衆を悪い方へ刺激してしまったらしい。

「偶然だと?ただの偶然でこんなことになるか!」

「お前は子供たちがどうなったってもいいってのか!?」

「赤ん坊がこんなにどんどん死ぬなんておかしいだろ!おまけに死因も分からないなんて!」

「うちにはまだ半年になる娘がいるんだよ!お前らの綺麗事のせいで娘が死んだらどうするんだ!」

「そうよ!あんたたちの言ってることだって確かなものじゃないじゃないの!私も幼い息子がいるのよ!?なんであんたたちのいい人ごっこにうちの子の命を賭けなきゃいけないのよ!」

 いくつもの怒鳴り声が重なり合ってエクスの耳朶を打つ。耳が痛くなるような叫び声にエクスは思わず顔を顰めた。

 膨れ上がった熱がまるで獣のごとく暴れ狂っている。それはひょっとしたらここまで膨れあがらせた青年自身もこの熱に呑まれてしまっているのかもしれなかった。

 そして誰かが言った。

「もしかしてあいつら魔女の仲間なんじゃないか?」

 血走った目玉達がぎょろりと蠢いた。それまで耳が痛くなるほど叫んでいた怒りの叫び声がフッと止んだかと思うと、いくつもの視線が突き刺さる。あまりにも鋭い視線がいくつも束なってるせいでエクスはまるで一匹の巨大な怪物に睨まれているような錯覚を覚えた。

 叫び声が止んだことで奇妙な沈黙が生まれた。その中で群衆の中からいやまさか、でも確かに、と呟く声がポツリポツリと聞こえてきた。その猜疑の声たちは反響するようにして少しずつ増えていく。そして反響する疑念が何か恐ろしい気配をじわりじわりと育てる。

 まるで何かの笑い話だとエクスは思った。だって彼らは自分達で疑いの心を育てているのだ。いや疑念だけではないのだろう。きっとアルスへの敵意や拒絶もこうやって膨らませたのだ。自分達で育てているのだ、見えない怪物を。それは空っぽの怪物だ。事実によって怒るのではなく事実よりも自分達と同じ意見を舐めあうことで敵意と猜疑を育てているのだから。そんなものに支配されるなんて笑い話のように滑稽だ。

 そして反響するような声たちが波が引くように止んだ。殺気と共に張り詰めた空気の中、それを破るようにとうとう大柄な男が老婆に手を伸ばそうとしたその時。

「いったい何の騒ぎだ、これは!」

 村長がやってきた。さっきと変わらず農作業用の格好をしている。先程までは近くにいなかったため、たまたま通りかかったか騒ぎを聞きつけたのだろう。

 ただでさえまずい状況なのにますます厄介な奴が来たとエクスは苦い顔をするが、そんなことは知らない村長は大股でずかずかと群衆に歩み寄ると、

「それで?やたらと殺気立っているようだがいったい何をしてるんだ、お前達は?」

 ジロリと青年達を睨みつける。一方睨みつけられた青年達は外側から水を差されたことでいくぶんか気が削がれたのか、それとも村長という立場によるものなのか、我に帰ったように目を逸らしている。だがそれでも一度膨れあがったそれは見えないところでグツグツと煮えたぎっているようだ。

「別に……ただ村を守ろうとしていたんだよ」

 青年が吐き捨てるように言った。

「村を守る?どういうことだ?」

 村長が訝しげな目を向けるが、『そうだ!村を守れ!』『子供達のために!』と叫ぶ声に飲まれてしまった。

「お、おい、なんなんだ!落ち着けお前ら!」

 突然の勢いに村長が気圧されたように目を白黒させるが群衆の勢いは止まらない。それどころか『殺された分の報復を!』『あの化物を殺せ!』などとますます勢いは増す。

 始めは群衆の勢いに押され気味だった村長だが、叫ぶばかりで説明をしようとしない群衆に次第に苛立ったようで、

「いい加減にしろ!ぎゃーぎゃーと喚いてばかりで何なんだいったい!ワシはどういうことだと聞いてるんだ!」

 群衆の叫び声を押し潰すように怒鳴りつける。その迫力に興奮状態だった群衆は思わず鼻白んだ様子を見せる。

 その様子を見ていたエクスは小さく舌打ちをした。正直村長がどう反応するのか分からないが『魔法使いごっこ』などと言ってアルスに否定的だったことを考えるといい反応をするとは思えなかった。いやもしかしたらもっと悪い、最悪なことになるかもしれない。仮にもこの村で一番権力のある立場の人だ。もしあちら側に村長が賛成したらいよいよあの狂気的な熱と勢いは止められなくなるだろう。そうなればどんな結果になるかは明白だ。

 上手くできるかは分からないがなんとか誤魔化して追い払うべきだとエクスは結論づける。だがエクスが行動を起こすよりも早く老婆を庇った若い女性が村長に声をかけた。

「あの、村長。この人達は魔法使いのあの子のことを魔女は人間じゃない、化物だとか言い出して……それでその、あの子のことを退治、というかその…殺そうって言い出して……すごい興奮して話を聞こうとしなくて……」

「なに……!?」

 それを聞いた村長は目を剥くと、エクスの予想とは裏腹にキッと眦を吊り上げて群衆に詰め寄った。

「おい!今の話は本当か!?」

 半ば掴みかかるような勢いの村長に青年の周りに集まった連中はバツの悪そうな顔をする。けれども誰一人として否定したり誤魔化したりする者はいなかった。中にはいっそ開き直ってるような態度の者までいた。

 その様子に村長は激昂する。

「正気か貴様ら!?よりによって殺人計画を立てようとしてたのか!?」

 だが村長のそれも彼らには子犬の威嚇程度のようだ。むしろ居直ったような態度で大柄な男がふてぶてしく口を開く。

「殺人計画?俺らは村を守るために魔女を退治しようってだけだよ。というかそもそもあんたが村の長としてちゃんと子供達を守らないからこんなことになってるんだろ」

 大柄な男の言葉にそうだ、そのとおりだと同意の声がどっとあがる。その毛は止まずに再び叫び声の合唱のようになる。

 いきなりいっぺんに湧いたたくさんの声に村長は面食らったようだが、すぐに気を取り直すと、

「守るもなにも赤ん坊達が死んでいるのは仕方ないことだろう!確かに最近数は多いが子供は死にやすいものなのだし、新生児となればなおさらだ!悲しいのは分かるがどうしようもないことじゃないか!」

 きっぱりと言い切った村長に今度は群衆が怒り出す。

「だからそれが魔女の呪いだって言ってるんだよ!仕方ないで済ませてんじゃねえよ!」

「死にやすいったって限度があるだろ!」

 怒りが渦を巻くような群衆に村長は一切怯むことなく負けじと怒鳴り返す。

「呪いだと?そんな馬鹿げたことがあるか!そんなふざけた理由でこの村で人殺しなんぞしてみろ、牢にブチ込むだけでは済まんからな!」

 その言葉が何かの琴線に触れたのか、それともたまたまそのタイミングだったのか、とにかく群衆の中の一人が村長に掴みかかった。

「ちょ、落ち着いて!それはダメだって!」

 慌ててエクスと何人かが止めに入る。幸いすぐに引き離したため双方ともに怪我等は無いようだ。

 とりあえず掴みかかった相手は一旦引いたが息は荒くひどく興奮している。いや興奮しているのは皆同じだ。青年の意見に賛成できないこちら側でさえもあちらに呼応するようにあれとはまた別の、けれどもよく似た熱が渦巻き始めているような気がする。

 刃物のような敵意が村長に突き刺さるのを見て、こちら側から男性が三人ほど村長を守るように進み出た。村長も憮然とした顔をしているがやはり警戒しているのか距離を取るように数歩下がる。結果、村長も立ち位置的にこちら側の人間になる。

 再び村長が来る前と同じような睨み合いになる。互いに無言で奇妙な静寂があるのも同じだ。誰かが口を開けば今度こそ取り返しがつかなくなる。互いにそう思っているのだろう。村長も下手に刺激してはまずいと思ったのか口を閉ざしたままだ。

 群衆の中心であった青年も黙りこくったままだ。そのくせ時々エクスの方へ憎々しげな視線をチラチラと向けている。だが村長に対して先程までのように反論するような様子はない。

 そうして緊張だけが高まり続ける中、口を開いたのはエクスだった。

「そのですね、多分色々言いたいことはあると思うんだけどちょっとこう、頭に血が上りすぎてるっていうか、とりあえずここは一旦時間を置いてお互いに頭を冷やしませんか?」

 なるべく穏やかな声になるように心がけて言葉を選ぶ。根本的解決にはならないが沸騰寸前のこの状況はあまりにもまずい。とりあえず時間稼ぎでも構わないからこの場をなんとかすべきだろう。もちろん稼いだ時間でアルスに危害が加えられないように気をつけなければならないが。

 だが群衆はまるでそれが最大の侮蔑であるかのように怒り狂った。

「うるさい、黙れ!誰のせいで頭に血が上ってると思ってるんだ!俺達は村を守ろうとしているのに邪魔してんじゃねえよ!頭を冷やす冷やさない以前にお前達があの魔女を庇うのを辞めればいいだけだろうが!」

 そうだそうだ!と声が爆発した。結果的に火に油を注ぐ形となってしまったエクスは思わず歯噛みするがもう遅い。あっという間に勢いよく燃え上がったそれはとうとう限界を越えようとした時、そこで一つの声が差し込まれた。

「何故あの子を庇ったらいけない?」

 そう言ったのは意外にも村長だった。その問いかけに一瞬怒号が止み、いっそポカンとした沈黙が生まれる。

 先程までは口を閉ざしていた村長は厳しい表情を浮かべてもう一度繰り返した。

「何故アルスを庇ったらいけないんだ?」

 再びの問いに返ってきたのは憎悪の声だった。

「ふざけんな!あんた村長のくせに魔女に味方する気か!?」

 もはや村長のことすら敵と見なしているような目つきで大柄な男が叫ぶ。村長を守るように周囲にいた数人がさっと緊張の色を走らせるが、村長はむしろ彼らを押しのけるようにして自分から前に出た。

「あれが魔女だと?あの年若い娘がか?まったく馬鹿馬鹿しい。あんな小娘にいったい何ができるというんだ」

 村長の小馬鹿にしたような言葉に群衆の中の一人が苛立ったように怒鳴りつける。

「何ができるじゃねえよ!だから村に呪いをかけてるって言ってんだろうが!」

「だからそれがおかしいと言っとるんだ、この馬鹿者が!」

 一瞬で怒鳴り返され、相手の方がひっと怯んだ様子を見せる。その様子を見て村長はフンと不機嫌そうに鼻を鳴らすとあたりをグルリと見渡した。

「お前達はあの娘のことをなんだと思ってるんだ。確かに彼女は愛想は悪いしそのせいで怪しげに見えるかもしれんが、あれで根は優しい子だぞ」

 村長はゆっくりと腕組みをすると長く重い息を吐き出した。

「お前達は呪いだなんだと言っているがアルスがこれまで何をしてきたか分かってて言ってるのか?彼女は村や人のためになることこそすれ、誰かの迷惑になるようなことはこの村に来てから一度もしていないぞ」

 静かな声で諭すように話す様は子供に言い聞かせるようだった。それが癇に障ったのか、それまで黙っていた青年が大きな舌打ちをして口を開く。

「……そんなもん俺らを油断させるための罠に決まってるじゃねえか。つーかこれまで何をしてきたかじゃなくて今何をしてるかを話してるんだろうが」

「その今を見極めるためにこれまでを振り返ったのが分からんのか」

 呆れたような村長の言葉に青年は顔を赤くして押し黙る。そばで成り行きを見守っていたエクスはついでとばかりに言葉を添える。

「そもそも本当にそんな呪いをかけるような力があるなら村の人たちを油断させる必要なんかないんじゃないですか」

 エクスの言葉にこちら側の人たちが、そうだよなと頷く。逆に群衆は勢いが削れて小さなざわめきになる。村長も同じようにウムと頷くと、

「アルスがこれまで村のために何をしてきたか、まったく知らない奴は少ないだろう。豊作だとか狩りが上手くいくまじないをかけてくれたり、薬が買えないような貧しい者のために色んな薬草を煎じてくれたり。まあまじないの方は気休め程度だろうが」

 そこで一旦村長は集まっている人達を大きく見回した。

「この中にもいるだろう、アルスの薬の世話になった奴が。他にも畑の害虫駆除だとかあの娘の世話になった奴は多いはずだ。だというのになんだお前らは。そういったことをまるでなかったかのように振舞って、挙句自分達の不安を八つ当たりで押し付けて」

 まったくけしからん、と語る村長をエクスは意外な気持ちで見つめていた。

 始めは村の中で殺人が起こるのを見過ごせないだけかと思ったがそれだけでは無いようだ。普段魔法使いごっこなどと言ってあんなに否定的だったのに。だがそこでエクスはふとあることに思い至った。

 今は怒りの方が勝っているが普段の村人達は魔法使いであるアルスを恐れている。畑のナメクジ退治を依頼していた男性の様子などからそれは明らかだろう。

 ならばもし村長が村人達と同じだったなら堂々と本人の前で魔法使いごっこなどと言うだろうか。馬鹿にしてると怒りを買ってもおかしくないのに。

 そんなことを考えていると群衆の中からひとつの声が上がった。

「……なら何故たった半年でこんなにもたくさんの子供が死んだの?」

 ポツリと呟いたのは幼い息子がいると叫んでいた女性だった。自然と皆が彼女に注目するなかでぞろりとその口から言葉が漏れ出した。

「ついこの間隣の家の子が死んだ……」

 その言葉にエクスはドキリとする。まさにこの前アルスに詰め寄っていたあの母親の鬼気迫る様子が否応にも思い出された。

「ふくふくとしてて可愛い子だったの。うちの子と歳が近くてよく母親同士で大きくなったときのことを話していたわ」

 女性の声は淡々としていて、いっそそれゆえに不気味でさえあった。

「大きくなったら二人で一緒にあちこち駆け回って、それで泥だらけになって帰ってくるんだろうなって。男の子同士なんですもの、二人で悪戯して私達を困らせるかも、なんて話もしたわ。向こうが『上手く仲良くなれるかしら』って言ってたから、『おとなりさんだもの。年も近いし兄弟みたいなものなのだから大丈夫よ』って笑ったら奥さんも笑って、母親につられるようにあの子も笑って……そう、兄弟みたいに育つはずだったの。そうなる『はずだった』!」

 分け合っていた暖かなものはもはや火にくべる薪になったのか、激高した女性は激しく村長に詰め寄った。

「赤ん坊は死にやすい?この半年で何人死んだと思ってるのよ!死にやすいなんて言葉で片付けられる数じゃないでしょう!」

 その勢いに村長の周りの人達が女性を阻もうとするが、この間の母親のような鬼気迫る様子に及び腰になってしまっている。

 女性の激しさに同調するように群衆からもいくつもの大声が上がる中、村長はそれを気にせずに真っ直ぐに女性と目を合わせた。

「……確かに人数を考えればそう考えたくなる気持ちも分からんでもない。だがな、もし仮に子供達の死に何らかの原因があったとして、その原因があの子の呪いとは限らないだろう」

 普段は傲然とした目つきのその目を憐れむように細めた村長は、

「悲しいのも、憤るのも分かるがな、それは仇討ですらないただの八つ当たりだ」

 ゆっくりと静かな口調で語った。

「じゃあ他に何の原因があるって言「ちょっと黙ってて」

 大声で怒鳴り返そうとした大柄な男を当の女性自身が有無を言わせずに黙らせる。大柄な男性は同じ立場、それも自分が援護しようとした女性の反応に戸惑った顔をする。他の群衆も概ね同じ反応をするが、女性はそもそもそちらを見てもいない。その様子に村長は小さく溜息をついた。

 村長の言葉をどう頭の中で転がしているのか女性は少しの間だけ口を引き結ぶと、

「……怖いのよ」

 喉を震わせるようにして小さな声を漏らした。

「あれだけ仲良くしてたのにあの子が死んだと聞いた時真っ先に頭に浮かんだのはうちの子のことだった。もちろん悲しかったし可哀そうだとも思ったわ。けれどそれよりも恐怖が勝った、うちの子が同じように死んだらどうしようって」

 それを心から悲しむことができなかったせいか、女性は自分を責めるように唇を噛み締める。

「守らなきゃ、なんとかしなきゃって……でもどうすればいいか分からなかった。けれど魔女の呪いかもしれないならあの魔女をなんとかすればいい。とりあえずそれで子供が無事で済むなら私はそうする」

 その力強い声と視線に群衆が何か反応するよりも早く村長は静かな声を返した。

「怖がって、それで『とりあえず』で人を殺める気か?」

「…………」

「そうやって怯えて本当にそうなのかどうかも分からないまま無実かもしれない娘を殺して!その血に濡れた手で大事な子供に触れるのか!?」

「そうよ!子供のためなら『とりあえず』で罪を犯すわ!私はあの子の母親なのよ!そのためなら善悪なんか知ったことか!私は善人として生きたいんじゃない、あの子の母親でありたいのよ!今までも!これからも!ずっと!」

 吐き出すだけ吐き出した女性はハァハァと荒い息を吐く。その後ろではよくぞ言ったとばかりに大柄な男達が騒いでいる。

 エクスは女性の迫力に少したじろいだものの、それでも果敢に反撃する。

「とりあえずで殺……危害を加えられるアルスさんの身にもなってくださいよ」

 なんとなく『殺される』とは言えずにエクスは言葉を濁す。それを見透かしたように女性はハッと鼻を鳴らすと、

「じゃああんたがなんとかしてみなさいよ!魔女の弟子で、この村の英雄なんでしょ!」

 エクスの眼前に鋭く指を突きつけ、耳がギンとなるような金切り声をあげた。ざわめく群衆の中からは青年が一際大きく、そうだ、そうだと喚いているのが聞こえてくる。

 エクスが突きつけられた指を見つめながら眉根を寄せて口を開け閉めしていると、村長がその手を掴んでゆっくりと下ろさせた。

「気持ちは分かるが落ち着け。呪いだと言い切れないのはお前も分かってるだろう」

「…………」

 ただ黙って、静かに自分を睨むその目を村長はじっと見ていたが、やがて切り替えるように小さく息を吐くと群衆の方へと目を向けた。

「というか、だ。お前達は何故他の可能性を考えないんだ?呪いよりも病気とかの方がよっぽど現実的だろう。そもそも誰が呪いだなんて言い出したんだ」

 尋ねられたあちら側の人々は互いに顔を見合わせるが答える者は誰もいない。ざわざわと『お前が言ってたから……』『俺だってあいつから聞いて……』などと互いに言い合うばかりだ。

 そんな中、村長を睨みつけていた女性が口を開いた。

「あの人が言っていたのよ」

「あの人?」

「お医者の先生よ。短い間に子供がこんなに亡くなるのはおかしいって。おまけに死因も分からない。こんなのありえない、医者から見ても異常だって。こんな状況は呪いかなにかだって」

 その言葉にエクスは脳裏にあの神経質そうな顔が浮かぶ。やたらと突っかかってきてアルスに否定的だったがそれが理由だったのか。

 村長はふむと顎に手をやると、

「分かった。ならあいつとはワシがきちんと話をしておこう」

 うん、と一つ頷くと改めて群衆に向き直る。

「とにかくだ。憶測で馬鹿な真似をするのはやめろ。これはこの村の長としての命令だ」

 巌のような声でがんと言い切った。その言葉に群衆はどよめき、不満の声が上がるものの、単純な肩書きや権威ではなくもっと違ったそれに表立って反抗する者はいなかった。女性は黙って村長やエクスを睨むばかりで、青年や大柄な男は忌々しそうな顔をするもののそれだけだ。

 そして村長は腕を組み少しだけ目を瞑ると、

「そもそもさっきも言ったがあんな小娘に何ができるというのだ。まだ年若く、半分子供のようなものなのに。あんなものはごっこ遊びのようなものだろう。魔法使いというのはもっと怜悧で、老練で……なんというか、そういうもののはずだ」

 どこか懐かしむように、少年のような顔でそう言った。

 ざわざわと再び顔を見合わせる人達。その雰囲気は分からなくもないといった感じだ。ただ庇うのではなく『そんなことできるわけない』と否定的な根拠だったのが効いたのかもしれない。特にアルスの容姿や背の低さなどもあってか、半分子供のようなものという言葉に何人かがぎくりとした顔をした。

「……もし、もしそうだとしても、だ」

 けれどそんな中でもやはり納得できない者がいた。

「例えあの魔女が化物じゃなかったとしてもあいつはよそ者だ……俺らの村に勝手にやってきてそのまま居座った!あいつが来るまでこんなことはなかったんだぞ!?」

 叫んだのは大柄な男だった。

「魔法がだとか、薬がどうのこうのと知ったことか!そんなのなくたって俺たちは上手くやってきたんだ!今までずっと!」

 吠えるように叫ぶ姿はまるで住処を荒らされ寄る辺をなくした獣のようだった。大柄な男はまだ吠え足りないとばかりに、

「そもそもこんな小さな村の中でこうやって争うはめになっているのがいい証拠だろう!」

 自分達の側とエクス達の側をそれぞれ両手で指し示すと野良犬のように吠える。

「どうしてあの魔女のせいでこうやって同じ村の連中で争わなきゃいけないんだ!あの魔女がいなきゃ平和なんだ!あいつの存在自体が迷惑だろ!」

 ぎちり、という音が聞こえた。一番最初に手を出そうとした奴がそんなことを言うのかとエクスが拳を握り締めたのだ。だが下手に言い返せば、それ自体が相手の言い分を肯定することになるかもしれないと喉まで出かかった言葉を無理矢理に飲み込んだ。そもそも自分達の意見以外はすべて否定してばかりで聞く耳を持つとは思えなかった。

 だが相手が聞く耳を持たなくても言うことを聞かせられる人間がいる。

「……言いたいことは分かった。だがな、やはりだからといって今回の件がアルスのせいだとは限らん。それにアルスが来るまでも上手くやっていたからといって、それでアルスが村人のためにしてきたことが無意味だというわけではないだろう」

 ゆっくりだが厳しさのこもった村長の声は自分勝手な平和をぴしゃりと咎めるようなものだった。

 それでも大柄な男性はまだ何か言いたげだったが、村長の毅然とした目に射抜かれて口を閉じた。

 大柄な男性が黙ったのを見てエクスは張り詰めていた息をそっと吐いた。意外にも村長に助けられたな、と考えていると、

「なんでどいつもこいつもアイツばかり……」 

 そんな声が聞こえてエクスが振り向くと青年が忌々しそうにこちらを睨みつけていた。青年は村長とエクスを交互に見ると吐き捨てるように口を開いた。

「結局呪いなんてあるわけないんだから気にすんなってことか?このまま黙ってこの先も子供が死んでいくのを眺めてろって?」

 青年の言葉を聞いて、それまで黙っていた女性も、

「そうよ!あんた達のお人好しに付き合ってうちの子が死んだらどう責任取るのよ!?」

 すると村長はふむ、と顎に手をやると、

「よし、ならばワシの命を賭けよう」

「は……?え!?」

 思わぬ言葉にエクスはぎょっとして村長に目を向ける。予想だにしなかったのはあちら側も同じようで、皆ざわめきながら村長が何を言いだしたのか分からないというような顔だ。困惑していたり、ぽかんとする群衆に向かって村長はゆっくりと語る。

「なに、アルスがこの村に住むことを認めたのは他でもないこのワシだからな。もし、そのせいで多くの子供が死んだならその責任は取るべきだろう」

 先程までと違い、皆黙って村長の言葉に耳を傾ける。

「ワシはこの村を治める人間だ。故にこの村に住む全ての人間に対して責任があるのだ。それはお前達はもちろん、亡くなった子供達、そしてアルスに対してもだ」

 そして村長は一旦言葉を切ると、強く、とても深い眼差しで、

「だからこの一件、もし何かがあったならワシはきちんと責任を取る。お前達の言うとおり実際に何人もの赤ん坊が死んでいるのは確かだからな。だが今言ったとおり責任があるのはアルスに対してもだ。だからな、そんな理由でアルスをどうこうしようとするのを見過ごすわけにはいかんのだ。ワシも医者やアルスと話をしたりしてみるからここは一旦わしに預けてくれ」

 そう言って集まった人々に向かってしっかりと頭を下げた。

 その意外な光景に今日一番の大きなざわめきが起きた。皆、普段の横柄な村長からは想像もできない様子に戸惑いと驚きを隠せない。互いに顔を見合わせる彼らは先に誰かが口を開くのを待っているようでもある。

 そしてややあって、

「……まあ、村長がそこまで言うのなら……」

 頭を下げたのがあの村長だというのが効いたのか、誰かが仕方ないというように呟いた。

 その言葉が流れを決定づけたかのように、仕方ないなという空気が人々の間に広まる。女性や大柄な男性も納得はしていない様子だったが、渋々引き下がった。ただ一人、青年だけが悔しげに顔を歪めていたが、もう誰も青年のことを見てはいなかった。

 そして少しすると、とりあえずではあるが話がまとまったことによって人々は少しずつぱらぱらと解散し始めた。集まっていた人々が去っていくのを見た青年も乱暴な足取りで足早に去っていく。

 エクスが自分ももう行こうかと思って歩き出そうとすると、老婆などアルスをかばっていた側の人達と何か話していた村長と目があった。そして村長は適当に話を切り上げると疲れたような顔でエクスの方へとやってきた。

「まったく……あいつらにも困ったものだ」

 なんだか一気に十歳ほど老け込んだように見える村長は大きな溜息とともにそう言った。

「ありがとうございます。おかげで助かりました」

 まさか村長があの場を収めてくれるとは思ってなかったエクスは素直に礼を言う。

 村長は木漏れ日を与える大木のようにフッと柔らかく笑うと、

「言ったとおり私はアルスも含めて村の全てに責任があるからな。まあ、当然のことだ。アルスのことも贔屓をするつもりはないが、村に越してきた時から何かと気にかけていたのだし、まあその延長のようなものだ」

 一転、村長は疲れと呆れが入り混じったような表情になると、

「その分前々から魔法使いごっこは辞めろと言っていたのだがな……結局このザマだ」

 やれやれと力が抜けるように首を振った。

 『魔法使いごっこ』と聞いてエクスは反射的にピクリとしたが、とりあえず黙っておく。

「エクス、お前からもアルスのやつに言ってやってくれないか。いくら村の長とはいえ、ワシが庇うにも限界というものがあるんだからな」

 目元の皺をより深めるように眉を顰めた村長はその視線をエクスに投げてよこす。

 だが視線を向けられたエクスはバツが悪そうに思わず顔を逸らす。それを見た村長は訝しげな顔をした後、はたと思い出したように、

「ああ、そういえばお前達は喧嘩していたんだったか……まあ、とはいえ子供の喧嘩……とまでは言わないが、なにも生涯縁を切るほどの喧嘩でもないだろう」

 そう言うと村長はポンとエクスの肩に手を置き、

「ワシからも言っとくがな、頼むからなるべく早めに仲直りして、そのついでに言っておいてくれ。魔法使いの真似事なんかやめろとな。ワシも次もどうにかできるとは限らんからな」

 そう言うと空気を変えるように途端に明るい声になると、

「まあ魔法使いごっこで逆に良かったのかもしれないな。もしアルスがあんな小娘でなく本物の魔法使いだったのならもっとひどいことになっていたかもしれんからな」

 そう軽く笑うと複雑そうな顔をしているエクスに気がつかないまま手を振って歩き去っていった。その背中はエクスが今まで思っていたよりも大きかった。

 

 

 

 エクスの家の前に例の物を置いたアルスはトボトボと家への帰り道を歩いていた。

 大した距離ではないのになんだかやたらと時間がかかる。まるで足全体に重たい泥がたっぷりとまとわりついているようだ。アルスは他でもない自分自身だというのについ苛々してしまう。

 トボトボとした足取りは続く。ヘンルーダの茂みの脇を通り、クリの木の下を少し過ぎたあたりで、アルスは道の脇に何か落ちているのを見つけた。

「……?なんだろ?」

 近づいてみてみるとどうやらそれは首飾りのようだった。手に取ってみれば二本の角があしらわれた変わったデザインが目に付いた。

「これってたしか……」

 この変わった意匠は見覚えがある。確か医者がいつも身につけていたものだったはずだ。

 アルスは首飾りを拾い上げると間近で矯めつ眇めつ眺める。

「これ何を表してるんだろ……」

 前から気になっていたが改めて見るとなんとも奇妙な意匠だ。二本の角というのは分かるが、その二本の角が何を意味するのかさっぱり分からない。どこか遠い異国の文化なのだろうか。

「それにこれ、なんか嫌な感じがするな」

 真ん中の赤い宝石をじっと見つめる。目の前の真紅の宝石からはなんとなくだが不気味な気配を感じるような気がする。その赤い色のせいか、どこか血が結晶になったかのような雰囲気だ。

「……ま、いっか」

 なんとなくでしかないのだから多分気のせいだろうし、それにあまり人の物を許可なくジロジロと眺めるのも良くないだろう。そう考えたアルスは首飾りを一旦ポケットに仕舞うと、家に帰る前に医者のところへ届けようと帰り道とは別の道へと足を向けた。宝石がついているくらいなのだし、高価なものだろうからちゃんと渡さなければならない。

 アルスはそう考え、医者の家に向かって歩き出した。

 

 

 

 エクスは夕陽に照らされる家までの道を頭を悩ませながら歩いていた。

 アルスと仲直り、と言っても、さてどうするべきか。どうにも考えがまとまらない。そもそもアルスの方がエクスを避けて会うことができないのだ。会うことができなければ仲直りもなにもない。

 それに村長の頼みもどうしたものか。

 エクスはもちろんアルスのことを『魔法使いごっこ』などと言うつもりはない。アルスが実際にすごい魔法使いだということはこの目で見て知っている。

 だがそれこそがアルスの村での立場を悪くしている。言ってしまえば『魔法使いごっこ』の方がこの問題を解決するには都合がいいのだ。

「……それでも、そんな扱いしたくないってのは俺のワガママなのかな」

 誰ともなしに呟く。その呟きは風に流され、溶けるように崩れていった。それがひゅうと続けて吹いた風を冷たくしたように感じられて、エクスは体を縮こまらせた。

 分かってはいるのだ。

 なにも本心からそう思うのではなく、あくまで村人達の前でだけそういう風に振る舞えばいい。それだけの話に過ぎない。

 けれどもそういう理由があるとはいえ、そんな風にするのはアルスへの侮辱ではないのか。他にも何かやり方があるかもしれないのに、アルスのためという理由でアルスを侮辱するような安易な方法に飛びついていいのか。

 そうエクスは頭を悩ませるがしかし、なるべく早くすぐにでも対処しなければいけないのも事実だ。村長がなんとかとりなしてくれたとはいえ、あの連中の様子を思い出せばあまり悠長にする気にはなれない。

 アルスの魔法を見たことのある人間はどのくらいいるのだろうか。そんなことを歩きながらぼんやり考える。

 アルスの口ぶりからして村の連中は見たことがないのだろう。もしかしたら黛はあるのかもしれない。この村に来る前はどうだったのだろう。分からないが、多分そう多くはないのだろうと思う。

「けど俺は見た」

 少なくともエクスは知ったのだ、本物の魔法使いというやつを。

 よりによってそのエクスが、もしかしたら自分だけかもしれないというのに、表面上だけでもアルスを侮辱して、否定してみせなければならないのか。

 エクスは苛立って足元にあった石を思い切り蹴飛ばした。蹴飛ばされた石は勢いよく飛んでいって、道の脇に生えていたシラカバの木にビシッとぶつかって落ちた。

 なんとなくその木に目を向ければ、石がぶつかったせいでその白い木肌にベッタリと汚い泥がつけられていた。それが思わず目に入って、エクスは顔をそらすように天を仰いだ。まったく、どうにも頭が重い。

 しばしそのまま黙って雲の流れを眺める。ゆったりと流れていく白い綿雲はどうしようもなく自分はちっぽけなもんだと言ってくる。

 エクスは重い頭がますます重くなった気がして、かくんと頭を落とすように見上げていた頭を元に戻した。

 歩きながらつい舌打ちをしてしまう。そうするしかないのか。なんで自分は他のもっと上手いやり方を思いつかないのか。そもそも『魔法使いごっこ』扱いしたからといって必ずしも上手く解決するとは限らないのに。

 幼稚な考えだと分かっていても、やはり他に何かないかと考えてしまう。

「…………」

 だってアルスはすごいのだ。

 初めて魔法を見て感動した。あれは生涯忘れられないほどの衝撃だった。

 火を吹く魔道具も初めて見た。あんな便利なものがあるなんて驚いた。

 川で魔物について解説を聞いたときはとても感心した。魔法の解説だってそうだ。さすが魔法使い!と心から思ったものだ。

 アルスは色々なことを知っていて、少し口は悪いけどなんだかんだで優しくて、すごい魔法が使えて、引っ込み思案だけど仲良くなると冗談とかも言ったりして、色んな薬を作ることができて、何故か自分より動物に好かれる人で、困ったときに助けてくれて、自分がバカなことをやらかした時にはちゃんと叱ってくれて。

 そして、

「そして……師匠なんだよ、俺の」

 偉大なほどに輝く、されど届かぬ星を見上げるような。そんな想いは再び風の中に溶けて消えた。

 そこでふと気がつくと、エクスはすでに自宅のすぐ近くまで帰ってきていた。どうやら自分の内にこもりすぎていたらしい。やれやれと首を振るも鬱々とした気分は晴れないまま家の中に入ろうとすると、玄関の前に何か包みが置いてあるのに気づいた。

「……?なんだ、あれ?」

 近づいて置いてあったそれを拾い上げる。手に持ってみると思いの外軽い。その軽さからなんとなくだが中身は危険なものではないのだろうと予想する。

 とりあえず結び目を解くと中からは真っ白な服が出てきた。

「え、何?服?なにこの真っ白い服。なんで?」

 薄い布の簡素な服はまったく見覚えがない。というかそもそも服を家の前に置かれるような心当たりがまったくない。白い布地を広げてあれこれ眺めてみるが誰の仕業なのか見当もつかない。

「本当になんだこれ?誰の仕業?」

 あれこれ矯めつ眇めつしてみるエクスは、ふとその真っ白な色に記憶を刺激された。

「……なんか、見覚えがあるような……」

 サラサラとした手触りは全然ピンとこないがこの白色はどこかで目にしたことがある。はたしてどこで見たのか、エクスは服を手に持ったまま頭の中で記憶を巡らせる。するとある記憶を思い出した時に頭にビリッとしたような衝撃が走った気がした。

「これ、まさかあれか……!?」

 色合い的にはまさにそのままだ。サラサラとした感触は全然違うが正しく加工すればこうなるのかもしれない。なにより思い当たる節といえばあれしかない。

 だとするならこれを家の前に置いていったのは一人しかいない。

「ははっ」

 エクスは思わず小さく笑った。もしかして許してくれたのだろうか。それともそれとこれとは話が別なのか。何を思ってこれを置いていったのかは分からないし、どんな顔をして合えばいいのかも分からない。けれでエクスは会いたいと思った。会って話がしたいと、そう強く思った。

 そのまま衝動的に走り出そうとしたエクスははたと何かを考えると、急いで家に入り、せっかくだからと服を中に着てみた。ついでとばかりに剣を背負うと今度こそエクスは家を飛び出した。

 もうすでに日も暮れかけているがそんなことは関係ない。脱兎の如く駆け出したエクスの顔は先程までとは真逆の表情だった。

 

 

 

「あのぅ、すいませーん……」

 夕暮れを通り越して半ば薄暗くなりつつあるなか、アルスはコンコンと医者の家の玄関を控えめにノックした。そのまま耳を澄ませて待つが家の中からは何の反応もない。

 さらに少し待ってから返事がないのを確認してもう一度、今度はさっきより少し大きくノックするがやはり返事はない。

「んー……いないのかな?」

 アルスは困ったように呟いた。拾った首飾りはできれば今日のうちに渡しておきたい。明日にすればまた盗ったんじゃないかなどと疑いをかけられるかもしれない。なんだかあの医者には特に嫌われているような気がするし。

 いっそ家の前に置いておこうかなどと考えるが、すぐにそれはまずいかと考え直す。これからどんどん暗くなるんだし、もしかしたら気づかずに踏んづけて壊してしまったりするかもしれない。

 さてどうしようかと考えて、結局もう一度だけ強くノックして、それで返事がなければ留守ということで家の前で待っていようと考える。

「すいませーん!」

 さっきよりも大きい声でさらに強めにノックすると、キィという音を立てて扉がわずかに開いた。重めの扉だから強めにノックするまで動かなかったようだ。

「え、開いてる……?」

 なんと不用心な。そう心の中で呟いたアルスは扉を閉めようと手を伸ばすが、そこでふと家の中に置いていけばいいのではないかと考えた。

(いや、さすがに勝手に入るのはマズイって)

 そんなことをすればまた何を言われるか分かったものではない。そう自分を戒めるが同時に向こうからは誰の仕業か分からないのだし、それならば別に構わないのではないかとも考えてしまう。何かを盗むわけではないのだし、ただ落し物を届けるだけだ。

 それに家の前で待つといえどいつ戻ってくるのか分からないし、そもそも顔を合わせて関わりたくない。どうせ落し物を届けたとしてもお礼なんて言われないだろう。それどころか嫌味を言われたり、難癖を付けられたりするかもしれない。それを考えるとこのまま帰りを待って直接渡すよりも家の中にこっそり置いてくる方がいいだろう。

「よし……」

 アルスは意を決すると念のため周囲を確認してゆっくりと扉を開けた。恐る恐る家の中に誰もいないことを確認してから踏み込む。外よりもなお薄暗い中辺りを見回す。医者の家は玄関が直接大きな部屋に繋がっており、その部屋は整理整頓が徹底され余計なものが何一つないような部屋だった。部屋の中で唯一目を引くものといえば大きな本棚に収められたたくさんの本だろうか。

 家具の置き場所一つとっても厳密に決められているような部屋の中、アルスは目に付いたテーブルの上にポケットから出した首飾りをそっと置いた。

 ふぅ、と肩の力を抜いたアルスはさてと回れ右をして出ていこうとする。が、そこで何か奇妙な音が聞こえた気がした。

「……?」

 思わず辺りを見回すが特に何もない。気のせいか、と再び歩き出そうとしたところで今度ははっきりと聞こえてきた。

 音というより何かの声のように聞こえたアルスは眉をひそめて周囲に目をやった。今のはこの家の外から聞こえてきたものではない。家の中から聞こえてきたものだ。

 アルスはゆっくりと周囲を確認する。家の中には誰もいなかったはずだが暗かったので見落としがあったのだろうか。緊張した面持ちで二度、三度と視線を走らせる。そして少なくともこの部屋の中には誰もいないことを確認すると、ほっと安堵の溜息をついた。

 とはいえ他の部屋にいるのかもしれないのだし早いとこ退散したほうが無難だろう。そう考えたアルスは静かに、だが急いで扉に向かう。そして本棚の前を通り過ぎようとしたところで、

「……泣き声?」

 微かに、誰かが泣き叫ぶような声が耳に届いた。不審に思ったアルスは足を止め、耳をすませる。てっきり他の部屋にいるのは医者かと思ったが、声は医者と違う妙に高い声だった。

「…………」

 他の部屋にいるのが医者ではないのならやはり医者は外出しているのだろう。ならば彼が帰ってくる前にとっとと出て行くべきだが、どうにも何かが引っかかる。

 そのまま自身の聴覚に神経を集中させていると、

「本棚……?」

 件の泣き声は本棚の方から聴こえてくるようだった。

 本棚に近づいて調べてみるとどうやら本棚と壁の隙間から聴こえてくるようだ。というか、

「これって隠し通路、かな?」

 本棚に隠されているそこにはどうやら秘密の通路があるようだ。もしかしたら秘密の部屋かもしれない。

 そこでまた泣き声が聞こえた。

「……」

 アルスは向こう側を見通すように本棚をジッと見つめた。ありえない。ありえないとは思うが今のはまるで、

「……赤ん坊の声……?」

 そう呟くもすぐに首を横に振る。医者は妻子のいない独り身のはずだ。赤ん坊の声が聞こえるわけがな「……ん、ぎゃぁぁ……」

(やっぱり気のせいじゃない!)

 再びの泣き声で考えを否定されたアルスは本棚の向こう側に耳を澄ませる。

 もしかしたら重病の赤ん坊を一時的に預かっているのかもしれない。そう考えるが、

(本棚で隠した部屋の中に?それにさっきから赤ん坊の声ばかりで親とか保護者の声や気配がしない。大人ならともかく医者が預からなきゃいけないほど重病の赤ん坊に付き添いがいないなんてあり得るのかな?そもそもそんな重病ならほっといて出かけるか?)

 アルスの中でどんどん疑念が膨らんでいく。頭の中で色々な角度から考えてみるがやはり悪い予想が拭えない。少しの間頭を悩ませたアルスは、

「……うし」

 深く息を吸って吐くと自分でも無意識のうちに足音を殺しながら一度玄関の扉の方まで行き、外を見回して医者がまだ帰ってきていないことを確認する。そしてまた本棚の前まで戻ってくるとなるべく音を立てないように本棚を動かそうとする。

「お、もい……っ!」

 見た目通りどれだけ押しても微塵も動かない本棚を必死に押すことしばし。まずは中の本を抜かなければいけないことに気づいたアルスは急いで本を本棚から抜き出す。

 抜き出した本をそのへんに適当に積み上げると空っぽになって軽くなった本棚をもう一度押してみる。まだ少し重かったが今度はズズズと床を擦る音を立てながらゆっくりと動き出す。

 そうして隠されていた空間が露わになるにつれてその先からの泣き声がより大きくはっきりと聞こえてくるようになる。

(もし本当に重病の子を預かってるだけだとか、なんだったら隠し子がいたとかだったらボクはただの不審者だな)

 しかしそうではないだろうという予感がある。理屈ではなく、魔法使いの勘のようなものがそう言っている。

 アルスは一つ息を大きく吐くと隠されていた空間に足を踏み入れた。一瞬振り返って本棚を下に戻すべきかと考えたが、何度も本棚を動かすのは大変だし時間ももったいないと考え、そのままにして歩き出した。

 踏み込んだ通路は真っ暗だった。隠し通路だから当然といえば当然だが、窓一つないため明かりが入口以外どこからも入ってこないのだ。アルスは『火の杖』を取り出して松明替わりにする。ボッという音と共に火が灯ると照らされた周囲がよく見えるようになった。

 泣き声が響き渡る通路の先、『火の杖』が照らすそこにあったのは、

「……階段?」

 地下へと下る狭い階段だった。どうやら地下室があるらしい。今も聞こえてくる泣き声の主はそこにいるようだ。

 アルスは転ばないように気をつけながら慎重に階段を下りていく。音が反響するからか、降りるにつれて泣き声が四方八方から聞こえてくるような錯覚を覚えた。

 やや時間をかけて長い階段を下りきったそこは思っていたより広い空間だった。階段の長さからなんとなく予想していたが高さもそこそこある部屋だ。明かりが『火の杖』しかないため部屋全体を見渡すことは難しいがほとんど物がない。すっきりしているというよりガランとした寒々しい印象を与える部屋だ。

 泣き声はこの部屋の奥から聞こえてくる。アルスは一応周囲を警戒しながら声の元へと向かう。

「うわ、何これ?」

 部屋の奥へと向かい、そこを照らすとまず目に入ってきたのは巨大な牛の像だった。ただの牛ではなく牛があぐらを書いて座っている。よく見れば首から下は人間の要素が混ざっているようにも見える。半人半獣と言うべきか。胴体の部分には取っ手と開閉口のようなものが見られ、どうやら中は空洞らしかった。暗い部屋の中で僅かな明かりで浮かび上がったその顔は不気味なのを通り越して禍々しい雰囲気を感じさせる。

 そしてその像から少し離れたところに小さな机があり、その上には籐で編まれた大きめの籠があった。んぎゃあ、んぎゃあという泣き声にアルスが駆け寄って中を覗いてみると、中には赤ん坊が毛布にくるまれて泣いていた。

「やっぱり……」

 アルスは泣いている赤子をあやすようにそっと触れてみる。柔らかい頬からは暖かさが伝わってくる。ほっぺたを優しくて撫でると泣き止むことはなかったが少しだけ泣き声が小さくなった。

「それにしてもどこの子だろう……?」

 まさか本当に医者の隠し子ということはないだろう。顔つきから髪の色、瞳の色まで全く似ていない。そもそも人種が微妙に違うように見える。というか、

「どっかで見た覚えがあるような……」

 自分に赤ん坊に縁はないはずだ。ならばどこで見たのか。そんなアルスの思考を打ち切ったのは不意に背後からかけられた冷たい声だった。

 

「ああ、『それ』はついこの間死んだことにした子供ですね」

 

「っ!?」

 慌てて後ろを振り向くとそこにはいつのまにか医者が立っていた。アルスがここにいることに驚いた様子もなく、ただ気味の悪い薄ら笑いを浮かべている。

 思わず後ろに一歩下がろうとしたアルスは机にぶつかってしまい、赤子の入った籠が落ちないように慌てて両手で籠を掴んだ。せっかく少し落ち着いた泣き声がまた大きくなる。

 医者はその泣き声に不快そうに顔をしかめると、

「まったく……随分と余計なことをしてくれますね。せっかくモレフェスの根で明日の儀式まで死んだように眠らせていたというのに。やはり一応は魔法使いということですか」

「モレフェス?」

 その名前に聞き覚えがあったアルスは身を守るように『火の杖』を構えながら慰謝に向き直る。

「どういうこと……ですか?あれは使いすぎると仮死状態になる危険な……」

 そこまで言いかけてアルスはハッと何かに気づいた。

「まさか、この間死んだって騒いでいたあれ…死んだんじゃなくて仮死状態に!?

 村人に何かあった時に診察するのは当然医者だ。その時にこっそりなり騙すなりして薬を投与すれば簡単に死んだように見せれるだろう。

 アルスの言葉を否定せずにニヤニヤと笑う医者にアルスは疑問の声を漏らす。

「なんだってそんな真似を……」

 その言葉に医者はハッと鼻を鳴らすと、

「今更何を言っているんです?わざわざこんなところまで忍び込んでおいて。全部知ったから今ここにいるんだろうに」

 ギラリとナイフのような目で睨みつけてきた。

 アルスはその視線にびくりと身を竦ませる。だが同時に困惑した表情で恐る恐る言葉を返す。

「……なんのこと?ボクはただ首飾りを拾って、それを渡しに来たら赤ん坊の声が聞こえたから、それで怪しく思って……」

 しかし医者が反応したのはアルスがここにいる理由ではなかった。

「首飾り、だと?」

 そして怪物のように激しく顔を歪ませると、

「いったいどこへいったのか、何故なくなったのかと思ったら……お前か。お前が私のあれを盗んだのか!」

 突然激高し、憎悪のこもった怒声を張り上げた。

「え、ち、違……だからあれは拾っただけだって……」

 恐ろしい形相でいきなり怒鳴られたアルスはビクッと怯え、思わず構えていた『火の杖』を取り落としそうになる。その背後では驚いたのだろう赤ん坊がぎゃあぎゃあと泣き喚いている。

「拾っただと?あれは私がいつも肌身離さず身につけているものだ。それを道端に落とすなんてありえないだろうが!」

 医者は乱暴な足取りでずんずんとアルスに迫ると、

「あれが!どれだけ大事なものか……!それをお前は!この、卑しい盗人が!」

「ひっ!」

 そのままアルスの胸ぐらを掴もうとしてきたためアルスは反射的に『火の杖』で医者の手を払った。

「熱っ!?この……!」

 掠っただけだがそれでも手を焼くには充分だったらしく、医者は一歩下がって火傷した手を抑える。だがその目は変わらず憎々しげにアルスを睨みつけていて。今にも再びアルスに掴みかかってきそうな凶暴さを感じる。

 それを感じ取ったアルスは医者がもう一度襲いかかってくる前に、いっそ話を聞こうとしない怒りをぶちまける。

「だから何のことだか分かんないってば!そもそも首飾りはお前がいっつも首から下げてたじゃん!自分で今言ったばっかじゃねえか!首から下げているものを気づかれずに盗むなんてどうやったらできんだよ!?」

「む……」

 その言葉に納得したのかは分からないが、医者は忌々しげながらも難しい顔をして黙り込んだ。医者の怒気と勢いが僅かに緩んだのを見て取ったアルスは畳み掛けるように怒鳴りつけてやる。

「そっちこそ、この子はいったいどういうことだよ!仮死状態にして親を騙してって誘拐だろ!?」

「それは……」

 医者はここぞとばかりに怒鳴るアルスと泣き喚く赤子を交互に見やると溜息をついて、

「……もし君が本当になにも知らないと言うのなら……まあ、隠し子、とでも言い張っておけば良かったかな?」

 怒気を収めた医者は先程のようにニヤリとすると小馬鹿にするように言った。

「とはいえこれを見られた以上そんな言い訳も無駄なことか。いくら君が駆け出しの半人前だとしても」

 医者はそう言うと言葉とは裏腹にまるで自慢するかのように牛の像へと顔を向けた。

「……?どういうことだよ?」

 意味が分からない。この牛の像がなんだというのか。

 アルスはいきなり怒ったり、かと思えばニヤニヤ笑い出したりとなんだか気味の悪い様子の医者を警戒しながら牛の像へと目を向ける。が、やはりよく分からない。牛をかたどった半人半獣の像は禍々しい雰囲気を漂わせているものの何のための像か見当もつかない。

 だが医者はアルスのその反応が予想外だったのか、驚いた顔をアルスに向ける。

「どういうことも何も……この像がなんなのかくらい君も知っているだろう」

 そう言われても知らないものは知らない。アルスはフルフルと首を横に振った。

 何故かアルスがこの像について知っていて当然だと考えていたらしい医者はゆっくりと目を細める。

「……本当に知らないのか?君は、魔法使いなのに」

 その目からは呆れと僅かな失望が見てとれた。

 アルスがその言葉を否定せずにただ緊張した面持ちでいるのを見た医者はチッと舌打ちをし、

「まさかここまでとはね……」

 小さく呟いた。そして先程までの小馬鹿にした態度とは変わってつまらなそうな目をアルスに向けた。

「この像がなんなのかすら分からないんじゃあオマエはもう魔法使いを名乗るのをやめたほうがいいですよ。というかやめなさい、そんなんじゃ半人前とすら呼べませんから」

 心底くだらなさそうに吐き捨てる医者にアルスはさすがにカチンとくる。この変わった牛の像がそんなに大層なものには見えないし、何より魔法使いでもない医者にそんなことを言われる筋合いなどどこにもない。

 そう文句を言おうとアルスは口を開いたが、アルスが言葉を発するよりも先に医者が喋りだした。

「これはね、神様なんですよ」

「神、様?」

 出鼻を挫かれ思わずオウム返しで聞き返したアルスに、医者は今度はニヤニヤではなく子供のようにニコリと笑って頷いた。

「そう、神様。この神様のおかげで私は幸せになることができたんです」

 うっとりと、恍惚の表情で語る医者。その医者の様子にアルスは何故かぞわりとした感覚を覚えた。恍惚とした様子もそうだし、それにこいつはこんなにも極端に感情や表情が変わる男だっただろうか。

 そんなアルスの様子に気づかずに医者はうっとりとしたまま話を進める。

「私はねぇ、昔はとっても不幸だったんですよ。周りの人間がとにかくおろかで醜悪で。だというのにそいつらは自分達の愚かさにも気づかず、いや愚かだからこそ自覚できないのか。とにかくどいつもこいつもこれっぽっちも自分たちを省みることなんかなく、ただ私が悪いと罵って、理不尽に私達を虐げて、奪って、踏みにじって……」

 記憶を探るように目を細めていた医者がブルブルと震えながらその顔を歪んませていく。けれどもすぐにパアッと顔をほころばせると、

「何故こんな目に遭わなければならないのかといつもあのクズどもを呪っていました……だけど、そんな時にこの神様と出会ったんです」

 いっそ無邪気にすら感じられるその表情は薄ら寒さを感じさせた。

 泣き疲れたのか、いつのまにか背後の赤ん坊が静かになっていることに気づいたアルスはこっそりその籠を自分に引き寄せながら医者に続きを促す。

「それで、どう幸せになったの?」

 医者はアルスの動きに気づいていないようで、ニコニコしながら楽しげに語った。

「ん?ああ。そうだなあ……まあ簡単に言うとですね、神から様々なものを授かったおかげであの価値のないゴミ共を駆除できたんですよ」

 にこやかな医者が語る『駆除』とやらがどういうことか、アルスは医者から目をそらそてあえて考えないことにした。

 アルスが目をそらしたことをどう受け取ったのか、医者は牛の像に歩み寄るとその重く黒い鉄の体をゆっくりと撫でた。

「まああなたが知らないのも仕方ないかもしれませんね。だってこの神様はこんなに素晴らしいのにずっとあちこちで迫害をされてきたんですよ」

 アルスは優しく牛の像を撫でる彼が、何故か鏡を眺めているように見えた。

「……それで儀式がどうって言ってたけど、この子が何か関係があるわけ?」

 なんとなく嫌な予感がしているアルスは、そう尋ねた直後にその予感が正しいことを知った。

「またまた。さすがに気づいているでしょう?」

「……」

 苦笑しながら言う医者を、何かから目をそらすようにアルスは黙って睨みつける。

 医者はそんなアルスを見てニタリと嫌らしく嗤うと、楽しそうに告げた。

「生贄、に決まってるじゃないですか」

 その言葉にざわり、と全身の毛が総毛立った気がした。だが同時にアルスの中にはやはりと得心する自分もいた。こんな幼い子供を死んだと親を騙して勝手に無理矢理使う儀式なんてそれくらいしか思いつかない。

 つまりあの牛の像はいわゆる邪神の類なのだろう。あちこちで迫害されてきた神らしいが当然の話だ。

 アルスが緊張しながらもいよいよ鋭い目つきになるのを気にもせずに、医者は愉しそうに邪神と生贄の説明を続ける。

「古くは王の一番上の子供だけを捧げていたらしいのですが……悲しいことに迫害され、国や民族、そして王族が信仰しなくなった現代ではそれも難しい。ですが信仰とは時代とともに代わるものです。王の一番上の子にこだわらなければ神への捧げものは可能なんですよ。むしろ昔よりもより多くの子供を捧げられるようになったくらいです」

 自慢げな医者のその説明に身構えていたアルスは違和感を覚えた。

「時代とともにって……本来のやり方じゃないんならそんなの正しい儀式とは言えないじゃん」

 人間側の都合で勝手に儀式のやり方を変えるなど、儀式として間違っているだろう。もちろんそれ以前に生贄など人としても間違っているが。

 だがアルスのその言葉に医者はふふんと笑うと、

「そうでもありませんよ。実際に生贄を捧げるたびにお恵みをくださっているのですから。それどころか王の子供を捧げていた頃と比べて、現代では与えられる恩恵は知識に幸運、そして単純に力などと古の時代に神から与えられていたものよりもずっとたくさんのものが得られるようになったのです」

 それは神として何かが変質しているのではないか。子供のように胸を張る医者から牛の像へと視線を移したアルスはその先に映るそれがより邪悪なものに感じた。

「さて、説明が長くなってしまいましたがそろそろ『それ』を返してもらいましょうか」

「……っ」

 それまでの楽しげなものから一変して目つきを鋭いものに戻した医者はアルスに、正確にはその背後に視線を向けた。その鋭さに射抜かれたような錯覚を覚えたアルスはそれでも赤ん坊を背後に庇ったまま医者を睨み返した。

「……嫌だって言ったら?」

 怯えが隠しきれない顔で、それでも挑むように目をそらさないアルスに、医者は小馬鹿にしたような笑みを向けた。

「どうしましょうかね。生贄にするような年齢でもありませんし……ああ、そうだ。奴らの餌にでもしてしまいましょうか」

 そう言って喉の奥で笑った医者はわざとらしく首を傾げると、

「それで?どうするつもりですか?あなたにいったい何ができると?」

 答えはなかった。アルスは返事を返すかわりに松明代わりに持っていた『火の杖』を医者に勢いよく投げつけた。

「な!?ばっ!?」

 流石に予想外だったのか、面食らった医者は勢いよく飛んできた高温の凶器を顔で受け止めてしまった。ドコッ!という肉と硬い物がぶつかった鈍い音に一瞬遅れて、ジュウウ!という何かが焼ける音が聞こえてきた。

「あぎゃぁぁアあァぁあアァぁ!?」

 両唇の裏側が切れたのだろう、口元と鼻から血をダラダラ流しながら香ばしい匂いを漂わせた医者が絶叫を上げる。それを無視してアルスは背後の籠を抱えると暗い闇の中出口に向かって走る。腕の中では医者の絶叫に、もしくはいきなり抱えて走り始めたことに驚いたのか、その両方か、赤ん坊がこれまで以上に大きな声で泣き出した。

 その音量にアルスは顔を顰めながら地下室から急いで脱出する。ちらりと一瞬後ろを振り返れば医者は服に燃え移った火を消そうと苦痛にもがきながらも自分の服をバタバタとやっていた。どうやらぶつかった後床に落ちた『火の杖』から燃え移ったらしい。『火の杖』自体はとっくに火が消えているが医者の服の方はなかなか消せないでいる。アルスは今のうちとばかりに急いで階段を駆け上がった。

 暗闇の中、足元が見えないせいで転びかけたがなんとか階段を登りきる。その先に目を向けたアルスは一瞬足が止まってしまった。

 明かりがなくても入ってきた時のように僅かな光のおかげで本棚の入口がわかると思ったが、その予想は外れて目の前には真っ暗闇が広がっていた。どうやら外は完全に日が沈んでしまったらしい。

 アルスは仕方なく小走りで走りながら右肘を壁に触れさせて出入り口がないか確かめる。できれば片腕を完全に使いたかったが、赤ん坊の入った籠を片手で抱えるのは無理そうだったので諦めた。

 小走りで出口を探すアルスはあまりに真っ暗なため、もしや医者は入ってくるときに本棚で塞いでしまったのではないかと一瞬考えたが、通路側からあの本棚を動かすのは難しい配置だったはずだと思い直した。

 とにかく今はひたすら急ぐしかないと足早に出口を目指す。

「くそ、どこだよ出口は!?」

 焦るアルスだったが真っ暗闇のためこれ以上足を速めれば転んでしまいそうだ。そうして不安と焦りに苛まされながら闇の中を進んでいると、後ろから乱暴な足取りで階段を登る音が響いてきた。

(!?まずい、早く早く早く!)

 焦りばかりが募るなか、転ぶ可能性を考えずに思わず足を速めそうになった瞬間に右肘が何もない空間を捉えた。

「っ!」

 そのまま右側に倒れ込みそうな勢いでアルスは秘密の通路から出た。勢いが良すぎて右足を本棚にぶつけてしまったが痛がっている暇はない。後ろからの足音はさっきよりもずっと近くなっているのに気づいたアルス部屋の中を見回す。部屋の中はこちら側は真っ暗なものの、玄関の近くは窓からの月明かりでうっすらと扉などが見えた。アルスはそのままその扉を目指して再び走り始める。

 だが十歩ほど走ったところで、

「このガキ!」

「あっ!?」

 玄関が目の前というところで追いついた医者がアルスのフードを掴んだ。

「ちょっ、やめろ!離してよ!」

 アルスはジタバタと必死に藻掻くが、荒々しくガッツリと掴まれたフードから医者の手は離れない。それどころか医者はグイと掴んだフードを乱暴に手前に引き寄せると、そのまま投げ捨てるようにアルスを引き倒した。

「うぐっ!」

 強かに床に背中を打ち付けたアルスは息が詰まり、思わずうめき声を上げた。それでも幸いと言うべきか、咄嗟に九十度程くるりと回したおかげで、抱えていた籠からなんとか赤ん坊は落とさずに済んだ。

 嵐のように激しく泣く赤ん坊の声がアルスの鼓膜を叩く。だがアルスは背中の痛みと衝撃でに息を整えるのに精一杯でそんなことを気にしていられない。そんなアルスを医者は暗い月明かりの中でも分かるほど口と鼻から血を流し、顔に酷い火傷を負った顔を怪物のように歪めた恐ろしい形相で睨みつけている。

「よくも……よくもやってくれたな!」

 咆哮のような怒鳴り声に、ようやく少し息が戻ってきたアルスはぎゅっと目をつぶってしまう。けれど、それでも赤ん坊の籠を抱えたままよろよろと玄関へ向かおうと立ち上がろうとする。

 だが、

「このっ!」

 だんっ!と立ち上がろうとしたアルスの腕を踏みつけて医者は再びアルスを床に縫い付けた。そのせいであっと思う間もなくとうとう籠が手から離れ、赤ん坊が床に転がった。

 床に転がった赤ん坊の激しい泣き声に、医者はひどく苛立った獣のような目を向けたが、すぐにその視線をアルスに向けなおすと一層強く力を込めてその腕を踏みつけた。

「いっ、ぅぐ……!」

 思わず痛みに呻いたアルスだが、その目に映るのは自分の腕や踏みつけている足ではなく床に投げ出された赤ん坊とようやく目の前までたどり着いた玄関の扉だ。もう少し、あと僅かなのに、そのあと僅かをもうこえることはできなくなった。

 痛みと恐怖、そして悔しさに泣きそうなアルスはそれでも諦められないというように赤ん坊に、そして玄関に向かって這いずろうとする。

 しかし医者はそんなアルスを見て嘲るように鼻を鳴らすと、腕から足をどけて今度は勢いよくその背中を踏みつけた。

「ゴフッ!」

 無理矢理肺の中身を吐き出させられたアルスはうまく息ができずに藻掻き苦しむ。だが背中を踏みつける足に込められる力はさらに強くなり、肺腑が圧迫されたアルスは呼吸困難に喘いだ。

 息すらまともにできなくなり、滲む視界の中でアルスはどこへともなく手を伸ばす。あとたったこれだけ。目の前なのに。ここまで逃げたのに。でも、もう……

 そうしてアルスの全身からゆっくりと力が抜けた。もう届かない。そのことが分かってしまったから。

 けれどもその時、届かないと思っていた扉が目の前で開いた。

「おい」

 

 そして、

 

「師匠に何してんだ、お前」

 

 そこに英雄が現れた。

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