治癒を騙って仲間の呪いの肩代わりしてたのがバレた 作:甘朔八夏
フィオーレは女神であり、人の子よりも何十倍も、何百倍も長い時を過ごしている。
だから知っているつもりだった。彼らの信念も、願いも、
フィオーレは言葉を失う。
男女の情事を直接見たのは、これが初めてだったから。
「……あの。あの。ごめんね? わたし、ほんとに邪魔するつもりは———」
ラスタとソアレが、二人でベッドに入っていた。
咄嗟に身体を覆い隠すように引き上げられたシーツ。外から見えないように閉じられた窓際のカーテン。ラスタの額にじっとりとにじむ大粒の汗。
頭が真っ白になり、つむじからぽふぽふと煙が出る。フィオーレはそんな錯覚をする。魔物への殺意も、人間界でやり残した仕事も、今だけはすっ飛んでしまった。
「……女神様、これは」
「あ!! 気にしないで、とってもいい事だと思うの。だから……えっと……終わったらキキョウちゃんの部屋に来てくれるっ? わたしもハイネちゃんもそこにいるから」
真っ赤に染まった顔をラスタから逸らして、フィオーレはばたん!と扉を閉める。触らなくても心臓が跳ねているのが分かった。
「……見ちゃった」
ラスタの自室の真ん前で、フィオーレはへなへなと座りこむ。頬が熱い。足に力が入らなかった。
◇
「……助かった、のか?」
女神様が退出してからきっかり5分後。時間差で部屋の前から遠ざかっていく足音に、俺は気の抜けた声で呟く。……ミミのことは、まだバレていないようだ。代わりにとんでもない勘違いをされたような気がしてならないが。
ほっと安堵の息を吐き、胸元で押さえていたシーツを放した。
はらりと布が重力に従って落ちる。ミミが、俺の胸に突っ伏すような形で固まっていた。
「ごめんな、急に抱き寄せて。おでことかぶつけたりしてないか?」
ミミは動かない。顔を法衣にぴったりくっつけたまま俺に抱きついている。
「ミミ?」
……もしかしてまた寝たのか? 彼女の体を軽く揺すろうとする俺を、ソアレが無言で制した。彼女の耳元に顔を近づけ、
「ふぅー」
「んひゃんっ」
息を吹きかけられたミミは、気の抜けた声と共に顔を上げる。その瞬間、全く無駄のない手つきでソアレはミミをひっぺがした。おお、力技ながら鮮やか……。
危惧したとおり、抱き寄せた時に俺の胸にぶつけたのか、ミミの鼻先は少し赤くなっていた。
「やっぱり赤くなってるじゃないか。待ってろ、今治して——」
「ラスタ、ストップ」
ひゅっ、と俺の喉から音が鳴った。ソアレの声色はいつも通りだったはずだ。にも関わらず、俺は背筋に寒気を覚えている。本能がささやく。大人しく従え、と。
「……
「……むむむ。だって、ラスタは匂いがする」
「えっ」
反射的に、服の胸元をつまんで自分の鼻に近づける。……大丈夫だと、思う。いやこれは俺が慣れただけなのか? 俺は体臭が強かったりするのか? いやいやいや、俺のパーティメンバーは皆女性。匂いには人一倍気を遣ってきたはずだ。
無言でミミと見つめ合う金髪の少女に近づく。ミミに聞こえないよう耳元で、
「…なぁ、ソアレ」
「ひゃっ」
ソアレの肩が跳ねた。思わず出たという感じの高い声、俺は不意打ちを受けたように動揺する。
先に冷静さを取り戻したのは、ソアレの方だった。
「あ、えと、ごめんね? どうしたの?」
「……ああ。その。俺って
気を取り直して質問する。……情けない。なんて情けないんだ。発言しながらすごく惨めな気分になった。
ソアレは一瞬きょとん、とした顔を浮かべた後、
「ううん。安心する匂いで、ボクは好きだよ?」
こともなげに言った。
「ラスタ?」
ちょっと、今だけは俺を見ないでほしい。雑念のかけらもない黄金の視線が、俺の心を浄化する。あぁ、どうして。
どうしてこんなくだらない事で、ソアレが以前の
ぱん、と軽く自分の頬を叩く。
「……いや。それならいいんだ。ありがとう」
ソアレは俺の顔をじっと覗き込んで、
「そっか」
儚く笑った。間違ってもその顔を直視してしまわないよう、俺は逃げるように下を向いた。
そうしてミミと目が合った。ひょっとしたらソアレよりも純粋かもしれない瞳が俺を突き刺して、
「ソアレとラスタって、恋人?」
無垢な爆弾を放ってきた。きらきらした青い目に思考が止まる。
……先ほど女神様は、勘違いをしたのだろう。男女が一つのベッドに入って、体を隠している様子を見て。驚いていたが、予想外というよりは不意を突かれた、といった反応に見えた。
俺たちは、そういう関係に見えるのだろうか。
俺は自覚している。いつからか、ソアレを異性として見ている自分がいることを。幼なじみの見慣れた仕草に目を奪われてしまう自分を。
———駄目だ。
ぶんぶんと頭を振った。
努めてソアレを見ないようにしながら、俺は深呼吸をする。落ち着け。これはきっと、ソアレの信頼を踏みにじるような感情だ。思ってしまうのは仕方ない。しかし表に出してはいけない。
俺は、ソアレを支える人間でありたい。あらなければならない。彼女の綺麗な心をこれ以上汚してはいけない。
「…ねぇ、ミミ」
ソアレは幽鬼のようにミミに歩み寄り、
「そんな事言われたら、ラスタが困っちゃうでしょ?」
ひどく優しい手つきでミミの長い髪を撫でた。手袋ごしでしか触れられないことを惜しむように、丁寧に。ソアレはミミと向き合っていて、俺から顔は見えない。俺の視界に映るのは、ぼっと赤く染まったミミの頬だけ。
「ね?」
突然ソアレが振り向いた。優しい声色に反して、俺を見上げるソアレの瞳は深く暗かった。
強いられるように頷く。ソアレは底の見えない瞳を俺に向けたまま、口の端だけを上げて笑った。
◇
ドアに鍵をかけた後。俺の心を荒らすだけ荒らして、またおだやかな寝息を立て始めたミミをベッドに寝かす。
「……この子のことを、俺たちだけで隠し通すのは不可能だと思う」
ソアレの無言が、俺には続きを促しているように感じた。
「ハイネなら聞いたこともないような魔法で俺たちの秘密を看過できるんじゃないか。キキョウだってそうだ。キキョウの勘が外れた所を俺は見たことがない」
「……そう、だね」
「俺たちの目標は、『ミミの存在を女神様から隠す』ことだ。隠して、結局見抜かれて、二人の不信を買うくらいなら、俺たちから相談した方がいいんじゃないか」
「……」
ソアレは黙りこくる。
目の色が変わった、と言えばいいのだろうか。俺を苦しめる昏い瞳でも、無垢に輝く瞳でもない。冷静な目でソアレは考えている。ソアレはミミのことを伝えるべきか思案している。
「一か八かになると思う」
ソアレが真っ直ぐな目を俺に向けた。落ち着いているのに、不安げに揺れていた。
「確かに二人なら、ボクらの隠し事くらい簡単に見抜いちゃうかも。でも、ボクたちから伝えたとしても、二人が協力してくれるかはわからない。はっきり言うけど、ミミは危険だよ」
鋭い意見に、俺は言葉が詰まった。
「ミミは……ううん。はっきり言うね。魔物は、ボクたちの全部を台無しにできる。……何年も魔物の、瘴気の危なさに気づかなかったボクに、こんなこと言う資格なんて無いかもだけど」
自己嫌悪をにじませた呟きから逃げるように、俺は思案をそのまま口に出す。沈黙を作らないようにする。
「……伝えても危険、伝えなくてもバレるリスクが高い、か。いっその事、夜逃げでもするしか」
「それは駄目」
咎めるような視線が、ジトっと俺を刺した。
「また、何も言わずに消えようとするって事?」
「!」
———逃げないでいてくれますか。
ふと浮かんだ軽い思いつきであっても、また皆を裏切る選択肢が出たことを俺は恥じた。
「すまん」
謝罪を受けたソアレは苦笑する。
「いいよ、謝らなくて。……色々考えたけど、やっぱりハイネにもキキョウにも、ミミのこと伝えるのが一番いいかも。最悪の事態を防ぐためにも」
「賢明な判断だと思う」
「———ッ!?」
弾かれたように声の方向へ体を向けた。部屋にたった一つしか無いシンプルな椅子に足を組んで座る人影。頭から生える、羊のようにくるりと曲がった2本の角。
先ほどの反省を活かして鍵はかけていた。しかしそれは、彼女にとって無意味だった。
文庫本をぱたんと閉じて、ハイネは
「……ハイネ。どこから聞いてたんだ?」
「ミミって子を女神から隠したいって所から。私の名前が聞こえたから聞き耳たててた。二人とも声小さかったから聞き取れない所も多かったけど」
ハイネの淡々とした説明を聞きながら、俺は額の冷や汗をぬぐった。もし聞き耳を立てられていた状態で「隠すことにしよう」なんて決めていたと思うと……想像したくもない。
「で、どうしてその子を女神様に秘密にする必要があるの」
「……」
ソアレと視線を交わした。俺たちの間にはっきりと気まずい沈黙があったことに、ハイネは眉をしかめる。
「ボクが、説明するよ。キキョウも呼んできていい? ……あと、ラスタ。またフィオーレさまを連れ出してもらえないかな。何度もごめんね」
「……ふうん。いいよ、キキョウは私が呼んでくる」
入室時と同様、ハイネは魔法で音もなく消えた。再び俺とソアレと眠るミミだけになった部屋。ソアレは申し訳なさそうにこちらに歩み寄った。
「ラスタ、勝手に決めてごめんね。……でも、説明する時、ラスタは二人の目の前にいない方がいいと思うんだ」
ソアレの意見は正しい。魔物、瘴気。それらが今最も結びつきやすいのは、やはり俺の寿命だろう。
新鮮なトラウマを持つ彼女たちに、あえて想起させる必要はどこにもない。
———じゃあ、ソアレは?
ふと頭に浮かんだ疑問を、俺は慌ててかき消した。彼女はミミを守るために俺と共闘を望んでくれている。それが現実であり、全てだ。
「……賛成だ。ソアレ、頼めるか」
「うん、任せて」
「大変な役割ばかり任せてるな。……申し訳ない」
目覚めたミミと話すことも、ハイネとキキョウに事情を伝えることも、気を抜くことが許されない仕事だ。苦労ばかり押し付けている気がする。
「お詫び……いや、お礼をさせてくれないか」
「んー、それなら……今度、ご飯行こうよ。二人きりで。美味しいお店、期待しとくからね?」
ソアレは笑った。苦難なんて何も知らない、普通の少女のように。
◇
女神様を連れ出すのは簡単だった。一日に何度も呼び出しているので怪しまれるかと危惧していたが、「マリーが女神様に会いたがっている」と言えば一撃だった。
この口実ならば、俺も罪悪感を抱かなくて済む。
「ラスタ!いらっしゃい!……あ!!真っ白のお姉ちゃん!大丈夫?前来てくれた時はしんどそうな顔してたけど……とりあえず入って!わたしいま魔法の勉強してるんだよ!」
その口実は紛れもない事実でもあるからだ。
「魔法の勉強? すごいね、わたしにも見せてくれる?」
マリーの元気な声を聞いて、女神様は柔らかく微笑む。その慈悲深い顔に俺はなんとも言えない感情を抱いた。
教会までの道中、女神様は俺にときおり羞恥に真っ赤になった顔を向けていたからだ。
俺まで顔が熱くなる。誤解を解きたい。ソアレとはそんな関係じゃない、と声を大にして言いたい。しかしそれはミミの存在をほのめかすヒントになるかもしれない。だから言えない。真っ黒の秘密とピンク色の誤解が混ざり合って、頭がおかしくなりそうだ。
「……『
あたたかな光が俺の手を包む。マリーはなかなか筋が良い。苦悩にがんじがらめになった頭までほぐれていくようだ……いや、本当に頭痛が治っている。
「真っ白のお姉ちゃん?ラスタ?返事してよー」
「……フィオーレ様。これは」
「うん。天才、だね」
「わたしすごい?」と無垢に尋ねてくるマリーを本心から褒めると、彼女は両手をあげてぴょんぴょん飛び跳ねた。
「ラスタと一緒だ!うれしい!」
全身で喜びを表現するマリーに、思わず顔がほころぶ。実際は俺の能力は魔法と別物だ。しかし野暮なことは言うまい。
「ふふ」と、女神様が口元に手を当てた。
「マリーちゃん、ラスタのこと大好きなんだね」
にっこり笑う女神様の顔は、神々しくて、親しみやすくて、優しかった。
今も、女神様の頭の中には真っ黒な感情が渦巻いているはずだ。しかし彼女は決してマリーの前でそれを見せない。
銀髪をたなびかせる彼女は、無垢で、可愛らしくて、愛情に満ちあふれた祈るべき存在だった。
———ちゃんと事情を話せば、女神様だって分かってくれるんじゃないか。
俺は希望を抱く。それほどまでに彼女の顔には慈悲に満ちていた。
頭突きをする勢いで俺に抱きつくマリーを受け止め、頭を撫でながら理想に浸る。
ミミ。
今俺に抱きついている幼い少女と同じくらい小柄で、無邪気で、守られるべき存在。魔物であっても、ミミはマリーと同じ子供だ。
わかってくれる。きっとうまくいく。視界が明るくなる感覚がした。
ふと、むず痒い感覚に気づく。その正体は視線だった。少しじっとりとした2つの目。
「……俺の顔に何か付いてますか」
「……面倒見いいなー、と思って。ラスタがお父さんになったら、すっごく子煩悩に……なりそう」
「ソアレちゃんも小さい子に優しそうだし!二人に育てられる子は良い子に育つだろう……ね」
大失敗。話題を逸らすはずがど真ん中を突き進んでしまった女神様は、何も言えなくなった。指先をいじいじする女神様の姿は、信仰の対象というよりおませな幼い女の子でしかなかった。
おいたわしや女神様。さっきまですごくかっこよかったのに……。
「ま、マリーちゃん。ソアレちゃんのこと好き?二人とも優しい?」
「
歩み寄ってきたマリーに、目をぐるぐるさせながら声をかける女神様。本当に恥ずかしくなってきた。こんなに何度も言われると意識してしまうからやめてほしい。切に。
マリーはぷくっと頬を膨らませて腰に手を当てていた。
「わたし、ラスタとソアレの子供じゃないよ!なるならラスタのお嫁さん!」
ぴしり、と空気にヒビが入った気がした。いつもなら子供の可愛らしい世迷言で済むその発言は、今の俺たちには少々センシティブすぎた。
「お姉ちゃんもラスタのお嫁さんになる?それならわたしとソアレと一緒に住めるよ!」
ひび割れた空気が早々に、マリーの追い討ちによって粉々に砕け散った。女神様、お願いですからこっちを見ないでください。
俺たちの間に漂うじっとりした空気。
それを晴らすように、マリーは向日葵のような笑顔を浮かべた。
「——わたし、毎日がとってもたのしい!大人になってもこんな毎日を送りたいの」
「!」
女神様が息を飲んだ。マリーの言葉はあまりにも眩しかった。緊張に固まっていた表情をふっと崩し、女神様はマリーの頭を自身の胸へ寄せる。その仕草はあまりに穏やかで、マリーは何の抵抗もなくその小さな腕に抱かれた。
「……わたしは、マリーちゃんのお母さんがいいな」
「……お母さん?」
マリーが、今日初めて表情を曇らせる。俺の胸がどきりと跳ねた。どれだけ明るく笑っていても、彼女は孤児だ。孤児院の皆も、俺も、マリーの家族のつもりだ。しかし血の繋がった本当の家族にはなれない。
でも、女神様なら。ずっとこの世界を守ってくれている彼女なら。マリーの心の奥底にある寂しさを埋められるのかもしれない。
「そう。だからマリーちゃんも、もっとわたしにワガママ言ってくれたら嬉しい。みんなに幸せになってほしいな。不甲斐なくて、頼りないかもしれないけど、わたしにはその力があるから。怖いことや
◆
あなたを守らなくちゃいけないから」
朝焼けに照らされる地面には、真ん中でぽっきりと折れた剣が落ちていた。ミミを守ろうとしたソアレの剣だった。
女神様を中心に、三人の影が俺たちに立ちはだかっていた。
ハイネ。横長の瞳は、敵意を持って俺たちを睨んでいる。
リル。神都で出会った天使の一柱。再会を喜べない。彼の拳は俺たちを
2本の羊角が淡く光った。俺たちが後ずさった一歩を、ハイネは前に出て詰める。
「ソアレは私が抑える。リルはキキョウを止めといて」
「助かるよハイネちゃん。ソアレちゃんには丸腰でも負ける気しかしなくてね……」
「ちゃん呼びはやめて」
ハイネが女神様に歩み寄る。細い首にかけられた美しいネックレスが、脈動するように点滅していた。
「女神様。あの魔物、仕留められる?」
ハイネはミミに指をさす。何も知ってほしくなくて、俺は少女の耳を塞いでいた。それでも、ミミは俺の胸の中でびくりと跳ねた。
女神様は、ハイネよりも無表情だった。女神様の顔がこちらを向く。彫刻が突然動いたかのような恐怖を覚えた。
「うん、殺すよ。絶対に」