知識は多くても困らない。あればある程役に立つ。と、どこかで聞いたことがある。
だが、とある小説の一文には、人間の頭は屋根裏部屋のように記憶できる量には限界がある。そのため記憶する内容は取捨選択する必要があると。
また、他の小説の一文には、五千冊の本のうち、人類の叡智が綴られている本はせいぜい百五十冊程度である。なんてことも書かれている。
では何故こんな事を言っているのかといえば、剣丞隊隊舎の端っこにある小さな部屋に、馬鹿みたいに詰め込まれた書物や巻物を毎日のように読みふけっている奴がいるからだ。
最近剣丞隊預かりとなった異世界の陰陽師、蘆屋清明その人だ。
「……ふぅ」
パタリ。と静かに本を閉じ、凝り固まった身体を解す。動くたび、関節からパキパキと音が出るあたり、かなり集中して呼んでいたことが分かる。
そんな彼を連日見ている剣丞隊の隊員の中には、もしかしたら我らが軍師、詩乃や雫以上に本を読んでいるのではないかと噂になっている程だ。
「セイ。ここにいたの?」
「ん?あぁナギか。どうしたの?」
「こっちの本は面白い?でもたまにはアスカちゃんにかまってあげて?ご主人が遊んでくれないんスよ~って」
「アスカに悪いことしちゃったな。でもそのお陰で、この世界の神話とか妖怪とかのことが大体わかったよ」
「わぁ、流石セイだね。すごいよ!」
「ありがとうナギ。あ、そうだ。剣丞君か詩乃さんってどこにいるか知ってる?」
「二人とも広間にいたよ。どうしたの」
「ちょっと答え合わせでもしようかな~ってさ」
「?」
「それでセイ、答え合わせってどういうことだ?」
「ここ数日、妖怪画まで見ていましたしね。何か判明したことでも?」
「まぁね」
いつも剣丞とセイがお茶を飲む縁側に、詩乃子も交えて今現在でのセイの理論のお披露目がされる。ちなみにアスカとイズナは、ここ最近女性陣にモフられまくっている耳と尻尾をナギの手を借りて手入れをしている最中だ。
「一応確認ね。アスカは何の妖怪でしょうか?」
「えっと……確か犬の妖怪だっけ?」
「正確には犬神ですよ剣丞様」
「じゃあここで質問。二人はアスカが犬神と知った時どう思ったかな?」
「そりゃあ妖怪だってことには驚いたけど」
「私は……そうですね。アスカさんが本当に『あの』犬神なのかと驚きました」
「どういうことだ詩乃?『あの』犬神って」
「僕はまず、この世界の犬神がどんな存在なのかを調べたんだ。そしたらびっくりしたよ」
犬神
生きている犬を頭を出した状態で生き埋めにし、その前に食物を見えるように置き、餓死する寸前に頸を斬る。するとその頸は食物へと飛んで喰らいつき、その頸を焼いて骨として壺に入れて祀る。するとその人に永遠に憑りつき、その人の願望を成就させる。
だが、犬神に憑かれると、その一族は未来永劫呪われ続ける。
「餓死寸前まで自分を追い込んだ人間に対する恨みの力を利用する呪術。分かりやすく言うと蠱毒だ。これはアスカには教えられない。絶対に泣いちゃうから」
「それは確かにそうだな。あのアスカがそんな呪いみたいな存在なわけない」
「ありがとう剣丞君。それじゃあ次の質問。『アマテラス』ってどんな存在?」
「アマテラスって確か太陽の神様だっけ」
「ええ。この日ノ本における主神の名です」
天照大御神(アマテラスオオミカミ)
日本神話における主神。女神として解釈されており、太陽神、農耕神、機織神など多様な神格を持っている。
ちなみに、日本の初代天皇は天照大御神の来孫(五代後の末裔)に当たるそうな。
「なるほどね。じゃあやっぱりそうなるか」
「どういうことだ?」
「僕達の世界とこっちの世界では、神様や妖怪の解釈が異口同音な部分があるってことさ。僕達の世界にも『アマテラス』は存在していてね。しっかり太陽神なんだ」
「そのお話が本当だとすれば、もしや他の神仏もこちらの世界と同じ様な存在だと……?」
「詩乃さん正解。こっちで有名なのと重ねると『七福』、『ツクヨミ』、『スサノオ』なんかはそうだと思う。存在もしているし、会ったこともあるしね」
「セイは神様に会ったことがあるのか!?」
「まぁね。こっちの世界で神様って言われている人には結構会ってるよ。たまに一緒に買い物とかしてるし」
「神様と買い物!?」
「剣丞様。ここでの会話には緘口令を敷きましょう。知られれば大事になりかねません」
詩乃がその提案をするのも無理はない。こちらの世界にも当然神職は存在する。だがここにその神職が崇める神々と会ったことも買い物もしたことのある人物がいるとなれば、セイを神輿とした新たな勢力が出来上がる。ただでさえ鬼の脅威に国中が混乱している最中にそんな勢力が食い込めば、更なる混沌の渦に巻き込まれることだろう。……だが。
「そういうのは大丈夫だと思う。僕が言うのもあれだけど、神様と買い物しただなんて荒唐無稽すぎるしね。それに、もし仮に僕達の世界の神様がこっちに来ていたとしても、記憶の操作なんて簡単なはず。だって神様だしね」
だって神様だし。ここまで信頼することの出来るパワーワードがあっただろうか。いやない。あるはずない。だって神様なんだから!
「……釈然とはしませんが、そういうことにしておきましょう」
「詩乃、疲れてる?」
「セイさんが来て以来、毎日のように常識が作り変えられています。これが疲れないわけがないでしょう……」
「何かごめんね。まぁとにかく今はこんな感じかな」
もうすっかり冷めたお茶をセイが飲んだところで、セイの理論発表会が終わった。
そんなセイを眺めながら、剣丞はセイに対して抱いていたモノに納得がいった。
見た目が自分と対して変わらないはずなのに、やたらと大きく感じる彼の心の器。その器を育てたのは、きっと彼が今までに経験してきた人生の道のりなのだろう。何せ神様と買い物するぐらいの人生経験を積んでいるのだから。
自分だってこの世界に来てからの経験は、自惚れてはいるだろうが濃いものだった。しかしそれでも蘆屋清明の経験には敵わない。だから、そう感じたのだろう。
「あ、そうだ。ねぇ剣丞君、紅茶とかって何処かで売ってたりしないかな?」
「紅茶?う~ん、どうだろう詩乃?」
「この近くではまず売っていませんね。運が良ければ堺で手に入るかも知れませんが、恐ろしく高価でしょうね」
「というか、何で紅茶なんだ?」
「僕の式神に紅茶が好きな子がいてね。お陰で紅茶を淹れるのが上手になったぐらいこだわりが強いんだ。もしその子がこっちの世界に来ていても大丈夫なようにしておきたくてね」
「なるほど……」
「剣丞様から堺商人に頼んでみては?仮にその式神がいなかったとしても、久遠様や公方様への献上品として扱えますから」
そういえば久しく紅茶も飲んでいないなぁ。というか紅茶好きな式神もいるんだ。そう思っていた時だった。
剣丞隊の兵の一人が隊舎に向かって走ってきた。確かあの人は、よく久遠からの書状を持ってきてくれる伝令の兵だったはず。
「お頭!久遠様からの伝令をお持ちしました!」
「ご苦労様。ゆっくり休んでくれ」
「へい!」
予想は大当たり。彼が持ってきた書状に目を通す。
だが、その書状の内容は、剣丞の予想の遥か斜め後ろの方向にすっ飛んでいくような内容が書かれていた。
「剣丞様、書状には何と?」
「……一先ず読んで。そうすればわかるから。わからないけど」
「……?では失礼致しまして」
そうして詩乃も書状にを読んでいく。そうしていると、段々と眉間にしわが寄っていき、こめかみに手を当てながらもう一度ゆっくりと書状を熟読する。そしてチラリと剣丞の方に顔を向けると、剣丞も深く縦に首を振った。
そして詩乃はおずおずと、読んでいた書状をセイへと渡したのだ。
「詩乃さん?」
「セイさん。この書状を読んで下さいませんか?」
「いいの?僕なんかが目を通して」
「ああ。というかセイに読んで欲しい」
「わかったよ。どれどれ……」
セイも読み始めたその書状には、普通なら有り得ないような事が記されていた。
―――近頃、海へ漁に出ても魚がまったく掛からない。それでもごく稀に掛かるのだが、掛かった魚が『流暢に人語を操る』時があり、漁師がびっくりしている内に海へと逃げてしまう。
どうかこの事件を調査して欲しい。
「あー、これは確かに僕が行かないとダメなやつだね」
「魚が喋るってどういうことなんだ?」
「はぁ、今後このような事象が増えるのかと思うと頭が痛くなってしまいます……」
「剣丞君、早速だけどいつ行こうか。僕は出来る限り早く行きたいんだけど……」
「詩乃」
「そうですね……内容だけ見れば少数の兵で足りるとは思いますが、前回のように鬼の襲撃があるやもしれません。せめて二日間ほど時間を貰えませんか?」
「うん、わかったよ。二日ね。僕もアスカ達に伝えておくよ。さーて今から呪符を作れるだけ作らないと……」
そう言いながらアスカ達の元へ向かうセイの後ろ姿を見送る剣丞と詩乃。それと同時に二人は思う。
これからきっと、人智を超えた現象を目撃したとしても、まったく驚かない人間になっていくのだなぁ……と。
「ふふっ、こちらの陸の世界も面白いことばかりですわ♪早くお会いしましょうね『セイ』さま♪」