「こうして孺子と茶を飲むのはいつ以来だろうな麦穂」
「そうですね。少なくともふた月ぶりではないでしょうか」
「まぁ壬月さんも麦穂さんも書状ではやり取りしていたけど、こうして会うのは久しぶりだね」
剣丞隊隊舎の縁側で、剣丞は久遠の重臣であり妻である、柴田壬月勝家と、丹羽麦穂長秀と共にお茶を飲みながら世間話をしていた。
二人は立場上仕事も多いため、こうして顔を合わせることが少ない。だからこうして三人揃っている事も珍しいのだ。
「しかし書状では知っていたが、こうして目の当たりにすると未だに信じられんな」
「壬月様もでしたか……。それは私も同じです。殿や剣丞殿達が妙な術者により洗脳されたかと心配になりました」
「そうだよね。今回のことはどう説明しても、俺の頭がおかしくなったと思われると思ってたから」
そんな三人の視線の先には、耳と尻尾を相変わらずモフられまくっているアスカとイズナ。
そして乙姫に抱き着かれ、頭を乙姫の臣下である魚達に突っつかれながら呪符を作るセイと、そんな乙姫の爺やであるウミガメの甲羅を布で優しく拭いているナギの姿があったのだ。
「あの式神どもの耳と尻尾を触るまで信じられなかったぞ」
「それもですが、私はお伽噺の乙姫様が本当に存在している事に最も驚きました。剣丞殿は平気だったのですか?」
「俺は魚が宙に浮いて喋った時に、自分の頬を思い切り殴ったよ……」
乙姫の一件は、勿論久遠に包み隠さず正直にそのまま伝えた。初めは表情筋が死んだような顔をしていたのだが、ひよ、ころ、詩乃の証言に加え、乙姫本人が臣下を連れて姿を現した事でようやく表情が元に戻った。
乙姫の身柄はセイと同様に剣丞隊預かりとなり、こうしてセイと共に生活をしている。剣丞は初め、乙姫は海にいなくて大丈夫なのか?と心配になったのだが、彼女は海にいなくても問題はないそうだ。ただ、乙姫は海から距離が離れてしまうと、あまり強力な力を振るうことが出来なくなるそうで、セイとの実験の結果、地面から勢い良く水柱を噴き上げ人を押し流す程度の力しか振るえないそうなのだ。
「まて孺子。それだけでも十分だろうが」
「何だか本人は納得していないみたいで……それに後から知ったこともあるんだ」
「何が分かったのですか?」
乙姫を連れて帰って来た三日後、剣丞隊は戦闘訓練を行っていた。
訓練自体はいつものことだが、最近はアスカも身体がなまらない様に一緒になって訓練に加わっていた。その中でアスカが訓練相手に怪我を負わせてしまったのだ。
怪我事態はそんなでもが、それでも人間より力のある式神がやってしまったことなので、大事を取って医者を呼ぼうとしたその時だった。
たまたま差し入れとしておにぎりを持ってきた乙姫が、その事を目撃し、またどこからか出してきた軍配を頭の上に掲げると、虹色の魚影が訓練場いっぱいに泳ぎ回ったのだ。
「待て。虹色の魚影とは一体何なんだ?」
「そうとしか説明出来ない……」
「あはは……それで剣丞殿、その後どうなったのですか?」
「訓練場にいた皆の怪我が治ったんだ。それだけじゃない。持病から関節痛、とにかく身体の不調がきれいさっぱりなくなったんだ」
剣丞は当たり前のように言っているが、壬月と麦穂はそうではない。持病や怪我まで治った?しかも一瞬で?薬を使うことなく?
「俄かには信じがたいが……」
「ですが、三日前に戦闘訓練をした割には包帯などを巻いている兵がいないことにも頷けます。今なら河童の妙薬の存在も信じられてしまいます」
「もしこれが戦だった場合を考えると恐ろしいな。味方であるならば頼もしいが、敵方だった場合、こちらの負傷兵が増えるばかり。まともに戦える兵の数が逆転し、いずれ負ける」
「実はその事をセイに言ったんだけど、苦笑いしながら『あまり当てにしないでね』って言われたんだ」
「どういうことだ?」
それはある意味、これから起こるであろう事柄の忠告だった。
こんな奇跡の様な力を持った存在がいるのならば、誰だってその力に頼ってしまう。それはそうだ。誰だって楽をしたいのだから。
だが、それに頼ってしまっては、それ以前に頼られていた人々の生活はどうなる?今回に至っては医者がそうである。医者は病人や怪我人の治療をしることで自分たちの生活を維持しているのだから。……きっとガタガタになってしまうだろう。医者を廃業する者、表では治療できない患者の相手をする医者になる者が出るかもしれない。
そしてセイ達は違う世界の住人だ。いずれ元の世界に帰る日が来るだろう。今も必死にその方法を探したり、そういった術の開発を行っているのだから。
ではセイ達が帰ってしまった後、この世界はどうなる?あんな奇跡の様な力が失われてしまったら?
「なるほど。だから『当てにするな』か」
「その様な力を失ってしまえば、今まで楽に出来ていたことが出来ずに社会が混乱する。そうなれば連合の維持に多大な影響が発生してしまい、最悪また乱世の世に戻ってしまう。そういうことですか」
「うん。だからセイは『この世界の文明や社会が混乱するような事には協力出来ない。出来ても本当に最小限だけ』って釘を刺されたよ」
「確かにそうだな。便利な力を取り上げられるのは誰もが嫌がる」
「壬月様は薬を塗ることが嫌なだけでしょうに。一瞬でしたが、表情が明るくなっておりましたよ?」
「……何のことだかさっぱりわからん」
誤魔化せていないのは重々承知してはいるが、それでもばつが悪くなり麦穂から視線を外す壬月。その視線の先には相変わらずウミガメ爺やの甲羅を拭くナギの姿があった。
剣丞の報告では彼女は人間ではあるが式神だそうで、セイやその式神達の霊力を一時的にではあるが爆発的に増幅させることが出来る力を持っている。……そうなのだが、セイと同様に彼女も霊力が著しく低下、今はその力を使うにしても、一日一回が限度なのだそうだ。
それだけでも十分だろうが本人は納得がいっておらず、剣丞隊の雑用を積極的に手伝っているそうだ。そのおかげか彼女の人柄か、剣丞隊の兵達とも仲良くやっているそうだ。
ただ一つ懸念があるとすれば、天下御免の誑し者、新田剣丞に惚れてしまわないかどうか。新田入れば落ちにけり。なんて言葉があるぐらいだ。もしその様なことになったのならば色々と教えていかなければならない。
「爺やさん。甲羅キレイになったよ。ちょっと待っててね。えっと鏡が確かここに……」
「……(右前足で鏡を押す爺や)(ウミガメ)」
「ありがとう爺やさん。……どうかな?これで見える?」
「……(首をゆっくり縦に振る)(ウミガメ)」
「これでいいかな?全部キレイになった?」
「……(満足そうに首をゆっくり縦に振る)(ウミガメ)」
ウミガメと会話をしている少女。
人間と意思疎通の出来るウミガメ。
この光景を客観的に見ると、そう言わざるを得ない。ウミガメに関しては単なる偶然の可能性もあるが、明らかにナギの言葉を聞いてから動いているので、そんなことはないだろう。
「ナギさん、少しいいですか?」
「なんですか麦穂さん?」
「どうしてそのウミガメの甲羅を拭いていたのですか?」
「普段爺やさんは海で暮らしていますから、体とか甲羅には砂や埃がつくことがないんです。だからこうして拭いてあげているんです」
「……(首をゆっくり縦に振る)(ウミガメ)」
海中の生活とはそういうものなのか。いやそれよりも、何故そんなことを彼女が知っているのだろうか。
「乙姫さんがよく教えてくれるんです。竜宮城ではこの様な生活をしていましたよ~って」
「そうして聞くと随分と凄まじいことだな」
「えぇ、何せお伽噺の登場人物が話をしているのですからね……」
会話のキッカケさえ出来てしまえば、例えウミガメを交えていても会話は弾む。ちょっと蚊帳の外な感じな剣丞ではあるが、その会話を聞いているのも存外楽しいものだ。
ふと、さっきから呪符を作っているセイに視線が向く。
サラサラと澱みなく、慣れた手つきで何やら呪文を書き込んで呪符へと仕上げていく。セイに聞いたところ、術の内容によって書いている呪文も変えているそうだ。
今作っているのは結界符。本人曰く、結界符はいくらあっても困らないのだとか。ただ今のセイの霊力では強力な結界を作ることが出来ない為、そのカバーとして大量に呪符を作っているというわけだ。……乙姫に抱き着かれ、宙に浮く魚に頭を突かれながら。
「セイさま、そろそろご休憩になさいませんか?」
「んー、あと五十枚作ってから休憩するよ」
「おのれ!乙姫様のお心遣いに対して何たる態度だ!!(タイ)」
「乙姫様の言うことを素直に聞くのだ!!(サバ)」
「はーい。もう少しで終わりますからねー。あとタイさんの歯が地味に痛い」
「セイさまのお仕事の邪魔はわたくしが許しませんわよ?」
「「申し訳ございません乙姫様!!(タイ)(サバ)」」
喋る魚と言えども、主である乙姫の言葉には従うようだ。だが竜宮城建設には乙姫の言葉に逆らってしまったようだが。それにしてもやはりセイの式神だからだろうか、乙姫はセイにぞっこんの様に見える。
「どうしたの剣丞君?」
「いや乙姫がセイにべったりしてるなーと思ってさ」
「乙姫と初めて出会ったときにマガツヒから彼女を救ってね、それ以来こんな調子なんだ」
「まったく!セイさまは何時になったらわたくしと結婚してくださるのですか?今か今かと待っているのですよ?」
「好意は嬉しいけど結婚はちょっと勘弁かな」
ん?結婚?誰と?誰が?セイと?乙姫が!?
「うそだろぉぉぉぉぉ!?」
「わたくしは本気ですわ!!」
「だから好意は嬉しいけど結婚はねー。呪符作り終えたっと。そういえば乙姫、爺やさんの様子見てきたら?ナギが爺やさんの甲羅拭いてたよ?」
「まぁそうでしたのね。ナギさま~爺や~」
パタパタと優雅な小走りでナギの方へ向かう乙姫を尻目に、慣れた手つきで完成した呪符を纏めるセイ。
いやそれでも、かの有名な乙姫様から結婚の申し込みをされていただなんて……。
そんな事を思いながら、剣丞はセイに尋ねてみる。
「なぁセイ。もしかして契約してる他の式神からも結婚してくれとか言われてたりしてるのか?」
「そうだね。ありがたいことに。でも流石に結婚はちょっと……それに、不誠実な態度をしちゃったら、みんなが怖がる人に怒られちゃうからね」
「怖い人?」
「そ。誰しも怖がる裁判官にね」
「……その方は可愛いので無罪とする。可愛いは『正義』なのだから」