大内家の野望 作:一ノ一
時は戦国。
応仁の乱以降、日本各地は国人や守護大名が各々独立し、戦火を拡大する末世の時代となった。
刀を振り回し、槍をつき、火を放っては強奪する。そんな悪逆非道が行われているそんな中で、乱世を思わせない風雅を漂わせている庭園がある。
さわさわと吹く風に桜の花弁が乗って舞う。
目の前に広がる大きな池は、自然界にあるものではなく、人工的に設計されて作り出されたものだ。
湖面に桃色の華が咲き、波紋が悠々と広がっていく……
「美しいでしょう。当家自慢の庭園なのです」
湖畔には十数人の人だかりがあった。
皆、豪奢な着物を身に纏い、気品ある背格好をしている。
その先頭をきって、青年は人好きのする笑みを浮かべて説明した。
広大な敷地を持つこの館の中には、いくつかの庭園があった。どれも荒廃した時代にあるものとしては信じられないくらいの優雅さと華やかさ、そして幽玄さを備えていて、屋敷の主が多大な財力を有していることがわかるだろう。
「うむ…さすがは大内殿のお屋敷じゃ。これほど見事な庭園はいまや京にもないじゃろうの」
「左大臣様、お気に召しましたか?」
「もちろんじゃ」
まぶしそうに目を細める男性を青年は左大臣と呼んだ。
何を隠そうこの男性、その名を三条公頼という。
甲斐の虎・武田信玄と姻戚関係にあった、とされていたはずなのだが、この世界ではそうではないらしい。この世界、という言い回しはどういうことか。
それは、青年の隠された出自にあった。
彼は大内晴持という。
生まれは土佐一条氏。公家でありながらも戦国大名化した稀有な家柄で、土佐の国人衆からはその家柄から別格とされて崇拝されている家の次男坊だった。
そして三歳のとき、大内氏第三十一代当主大内義隆の養子となって周防国にやってきた。
それがこれまでの晴持の人生だった。
が、それとは別に彼には他の人生の記憶があった。
思い起こされるのは、争いが身近にない平和な時代。
年号は平成といったか。すでに体感にして十数年も昔の話であるので、記憶は日に日に薄れつつある。
それでも、彼には大内晴持としてではない二十余年の人生があったのだ。
(まあ、同年代には負けていられないよな)
そう思い、慣れない勉学に身を削り、武芸を修めた。物覚えのよい晴持は、家中でもすぐに評判になり、母というよりも姉に近い義隆に非常に気に入られていた。
「京は今動乱の最中とはいえ、このような西の果てまで逃れなくてはならないご心痛お察し申し上げます。我等としても、左大臣様が心安くお過ごしできるよう、精一杯の心づくしをさせていただきたいと存じます」
「かたじけないの、晴持殿」
左大臣三条公頼は憂いを捨て去ったかのように落ち着いた笑みを浮かべていた。
三条家の疲弊した財政と、京での内乱は彼の心身に多大な負担をかけていた。今の時代、公家はおろか、天皇家や将軍家ですら日々の食に困る時代だ。都落ちした公頼が、西の果て、この山口にまでやってくる間にどれほどの苦難があったことか。
当主の義隆は、こうした公家や仏僧を手厚く保護する保守的な政治を行っている。また、周防、長門を中心に、石見の一部、安芸、北九州にまで勢力を持つ大大名であり、明や李氏朝鮮との交易で莫大な資産を有している。
西日本は、今現在大内家か山陰の尼子家に二分され勢力争いをしているのであった。
□
「つ、疲れたー…」
自室に戻るなり、晴持は布団に横たわった。
大物を接待する役回りを与えられ、過度な緊張で精神的な疲労感がすごいことになっている。
まだ日が暮れてもいないのに、早くも眠気が襲ってきている。
「これではいかん。素振りでもしよう」
昼間から寝ていては重矩のじいさんになにを言われるか、と晴持は無理矢理脳を動かして修練用の槍を片手に外に出た。
三条家の人たちは、皆帰ってしまい、今は大内家の家臣のみがこの屋敷内にいる。義隆は今政務に励んでいるか遊んでいるかのどちらかだろう。
幸いだった。
公家衆に武芸の鍛錬を見られるのはよいことではない。
左手を前に槍を構える。
手の中で槍を滑らせて突き出し、しごくように引き戻す。槍は振り回すか突くかが基本の武器だ。威力だけでいうのなら遠心力を盛大に使った振り落としがもっとも効果的だろう。
棹が長ければ長いほどに、遠心力は強くなっていくものだから。
しかし、その一方で、竿状の武器は隙が大きく、大きな一撃を放ったあとは無防備になってしまう。それであれば、素早い点の一刺でもって敵の命を奪ったほうがいい。
晴持の槍捌きは、突き技を中心に構成されていた。
如何に速く突き、如何に速く引き戻すか、それを追及しているのだ。
一息に二回、三回と突きを放つ。
二メートルほどの槍ながら、これが曲者で、狙ったところに穂先を持っていくのが難しい。撓りぶれる槍を変幻自在に操るのが楽しくて、ここまで武芸を磨いてきたようなものだった。
手の平が摩擦で熱をもつ、ここに来て晴持は攻め手を変える。
突き出した槍をそのまま回す。あたかも相手の槍を絡めて弾き落とそうとしているかのようだ。
ついで横に振るい、地面を穂先で引っ掛け大きく槍を振り下ろす。
イメージは足払いからの一撃だ。
速さを重視しつつも、小手先の技を忘れない。それは、相手が使ってくるかもしれない技を自らも修得するとことで、素早く対処できるようになるからだ。
頬を汗が伝っていく。
程よく熱を持った身体に春先の冷たい風が当たって心地よい。
槍を回して、晴持はほう、と息を吐いた。
石突を地面につけて、棹を肩に背負う。
「俺が槍を振るう場面がそうあるわけでもないんだがな」
立場上大将となることの多い身だ。必然的に陣中にあってもっとも深いところにいるのが戦の常であった。
また、大内軍は精強で、大将が槍を振るうほどに追い詰められたことはこれまで一度としてなかった。晴持が槍を振るうほどの戦。それは、大内軍が壊走するほどの痛手を受けたときに他ならない。
そうなってからでは遅いので、日々の鍛錬は重要だ。
なによりも、武断派の武将からの受けもいい。
そういう意図もあって、晴持はさらに半刻ほど、槍を振り続けた。
■
最初の一月は何が起きたのかわからず、現実を受け入れることができなかった。
山口にある地方大学の卒業を控え、根強い就職活動の結果なんとか地元の企業に就職を決めたのは四年生の夏の事だった。決してよい息子ではなかったし、数多くのやんちゃをしていながらそれでも見限ることなく大学にまで行かせてくれた両親には感謝してもしたりない。
だから、あのときは飛び跳ねて喜ぶというよりは、がっくりと全身の力が抜けて安堵したという感覚だった事を今でも鮮明に覚えている。
人生で、これほど危機感を覚えていた時期もないだろう。受験なんぞとは重みが違う。将来の生活がかかっているのだ。なによりも、大学を出ていながら親のすねかじりなんて真っ平ゴメンだった。恥ずかしくて世間様に顔向けができないし、何よりも両親にさらに迷惑をかけることになってしまう。
だから、就職活動は死ぬ思いでやって、やっとの思いで手に職をつけたのだ。
しかし、現実は無情だった。思い返しても涙が出る。
雨の日だった。
狭い路地を通って家に帰る途中、侵入してきたトラックが身体を押しつぶしたのだった。
痛みを感じることはなかったのが幸いとしかいえない。ひき潰され、もみくちゃになった肉体だったが、脳だけは無傷で残っていた。自分の状況はまったくといっていいほど理解できなかったし、声で助けを呼ぶこともできない。できたとしても助からなかっただろう。
血が抜け、激しい睡魔に襲われながら、彼の人生は数多くの未練を抱いたままに終焉を迎えたのだった。
(怖気の走る光景だったろうな)
晴持は、あのときの自分の状態を客観的にそう断じた。
晴持はすでに元服を済ませ、初陣も終えている。
現代人の感覚が抜け切っていなかったあのときは、小規模な戦であったが肝が凍りつくかのような感覚に襲われたものだ。
(いや、それは今も同じだ。忘れてはならない)
戦を恐れる心が慢心を消す。現代人の感覚が、命の大切さを切々と訴えかけてくる。それは決して臆病なのではない。
「若様? ……どうかなさいましたか?」
混じりけのない涼やかな声に、晴持は現実に引き戻された。
今は仕事中であった。
「すまない。ぼうっとしていた。今書き上げるよ、冷泉殿」
冷泉殿、と呼ばれたのは小柄な少女だった。可愛らしい顔立ちをしていて、ほんわかとした印象を受ける。
髪は肩口で揃えられ、なぜか桃色をベースにした割烹着のような服を着ている。それが可愛いという理由で義隆から押し付けられた代物だという事を晴持は知っている。
彼女の家は、本姓を多々良氏といい大内家の傍系にあたり、彼女の父親の代から母方の姓を冒して冷泉と称した。
冷泉家というのは公家の家柄で、藤原道長の子、藤原長家の子孫の家系であり、藤原定家の孫である冷泉為相から始まる。藤原定家は、新古今和歌集の編纂で知られる。その血を受け継ぐ冷泉家は冷泉流歌道を継承し平成に至る。
彼女の父親がなぜわざわざ母方の冷泉を名乗ったのかはっきりとしたことはわからないが、おそらくは大内家の家風が公家文化に傾倒するものだということから、公家の名門の血を取り入れ名を冒したのだろう。
隆豊はさすがに冷泉の姓を称するだけあって、歌道に堪能な武将だった。
「まあ、こんなところか」
さして重要性のない書状ではあるが、誤字脱字は失礼にあたる。もっとも、この時代の誤字脱字は多少仕方のない面もある。筆と墨で書く以上簡単に修正できないわけだし、大目に見てもらえることも多い。しかし、さすがに大内家の人間がそういった手抜きをするわけにもいかない。二度三度確認して、間違いがないことを確かめてから隆豊に渡した。
「冷泉殿、それではこれを」
「はい、確かに承りました」
隆豊は書状を受け取ると立ち上がった。
とそこに、ドドドドド! と、表現すればよいか。
巨大怪獣がタップダンスを踊っているかのような音が聞こえてくる。
「若、いる!? ……とぉ、隆豊も一緒か」
勢いよく現れた短髪少女は、陶隆房だ。
陶家は大内家の譜代の重臣の家系で、彼女もまた義隆に幼少の頃から仕えている。
当然、晴持との付き合いもずいぶんと長い。
「隆房か。一体どうしたというんだ? そんなに慌てて」
「若の仕事もそろそろ終わった頃だと思って!」
「遊びに来たと?」
「うん!」
元気の良い返事!
晴持は、一応主家に当たるのだが、このあたりお互いに線引きをしているので問題なし、だろう。陶家は家中でも筆頭に位置しているしいざとなれば父君が拳骨をプレゼントすることになるはずである。
これまでも何度かそういう場面に出くわしていたし、
「若様も、あまりコヤツを甘やかさないで頂きたい!」
とお叱りを受けた事もあったのだが、なんだかんだで関係は崩れることなくいまだに続いていた。
それに、大内家を盛り立てる上で、陶隆房という人物は非常に重要な位置にいる。それは彼女の戦における高い能力の他に、前世の数少ない知識の中にあった大内家滅亡に隆房という武将が大きく関わっているからである。
それが、果たしてどこまでこの世界に通用する知識かわからない。が、彼女の存在はそれらを差し引いても重要である事には変わりがなかった。
正直、晴持にとって非常にフレンドリーに接してきてくれる隆房は、日々の憂いを消し去ってくれる存在でもあったのだ。
現代人の感覚が残る晴持は傅かれることには、なかなか慣れることができないからだ。
「なるほど。それで、その右手に鷲掴みにしている隆元殿はいったい?」
晴持が指差したのは隆房の右手、にむんずと襟首をつかまれ目を回している毛利隆元だった。
「はわ~……」
何が起こったのかわからない、という体で隆元は全身を弛緩させて隆房の右手にぶら下がっていた。
「隆元はそこにいたから連れてきた。どうせすることもないだろうしね!」
「まあ、たしかにそうかもしれないけど、丁重に扱ってやれよ」
毛利家からの人質である隆元には、ここにいたとしても特にすることはない。
むしろ、彼女がここにいるということそのものが重要であり、彼女の働き自体には大内家としては大して期待はしていなかった。
「あの、それを堂々と言うのはどうかと……」
隆豊が控えめに意見するのだが、隆房は意に介さなかった。
元の世界の隆元の力を知る晴持としては、そんな彼女には商人とのパイプをそのうちに作ってもらいたいと思っているのだが、人質になったばかりでそれほど時が経っておらず、迂闊な動きは周囲の警戒を誘うだけだということで、延び延びになってしまっている。そろそろ、彼女にも活躍の機会を与えてやりたい。なんといっても、大内家は重商主義でやっている家だ。
「はあ……まあいい。それで、いったい何をするつもりだ?」
「鍛錬!」
「だと思ったよ」
隆房は口を開けば鍛錬鍛錬と言う。
可愛らしい見た目にそぐわず、武芸は一級品で、考え方もよく言えば武士らしい。所謂武断派の人間で、晴持とは武芸を競う仲でもあった。
西国無双の侍大将と呼ばれるのも時間の問題かもしれない。
だが、遊びと鍛錬は違うだろう。
「やれやれだ」
晴持は立ち上がって背筋を伸ばした。パキパキと音が鳴っている。
「やるか」
「うん! 実は、試してみたい技があって……うげ」
目を爛々と輝かせていた隆房の表情がにわかに曇った。
「陶、また若様にご迷惑をおかけしているな?」
現れたのは書簡を持った茶髪にめがねを装備したいかにも文官といった風な少女だった。
相良武任というのが彼女の名前だ。
「迷惑なんてかけてないー! そういうあんたは一体何しに来たのさ!?」
「ボクが若様のところに何をしに来ようと君には関係がないだろう? 見たところ若様は仕事明けのご様子。そんなときに陶の相手をしてはお身体に障る」
「そんなことないよ。ずっと座っていたんだから身体を動かしたほうがいいに決まってるじゃん!」
二人は瞬く間に口論を始めた。
隆房と武任は昔からよくこうして喧嘩をしていた。
武術を重んじる隆房と学を重んじる武任は、思想の方向性が正反対なのだ。そのために、彼女たちは口論を絶やさず、お互いをライバル視して今日に至っている。
本来はそれほど仲が悪いわけではないので、いいかげん素直になってほしいところだ。
「まあ、待て二人とも。俺の意見を聞く前にそうやって話を進めるものじゃないだろう」
晴持はそう言って二人を嗜める。
すると、隆房と武任は同時に、しゅんとして項垂れた。
「とりあえず、身体が鈍っているような気がするから隆房と稽古をするよ。武任の用件はその後で聞く。武任、それでいいな?」
「……はい。若様がそう仰るのでしたら」
「やた、じゃあ、若、先行ってるから!」
隆房はそう言って、隆元を投げ出して走り去った。
「若様。本当に良かったのですか?」
「いや、どうかな……」
隆房は調子に乗りやすいので、下手をすれば怪我をする。無論、一流の武芸者である隆房が、力加減を誤るということもないのだが、鍛錬好きに付き合わされて、体力を削り取られかねない。
「とりあえず、お怪我だけはなさらないようにしてくださいね」
やり取りを後ろから眺めていた隆豊が、心配そうに呟いた。