大内家の野望   作:一ノ一

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その十一

 伊予村上家の始まりははっきりしないが、有力な説としては河内源氏の庶流である信濃村上家から平安時代に分かれたというものがある。

 村上為国の弟定国が保元の乱の後に塩飽諸島に入り、平治の乱の後に越智大島に移って伊予村上氏の祖となったというものである。

 もっとも、能島村上家などは、村上源氏の源師房を祖としていると主張するなど、詳しい系譜はすでに失われてしまっている。

 

 

 そんな能島村上家の跡を継がんと兵を挙げた村上武吉は、年端も行かない少女であった。

 村上水軍では流行なのか、彼女もまた西洋の海賊衣装を身に纏っている。頭の帽子にはご丁寧に髑髏が描かれている有様だ。

 それでも、能島村上家の跡を継ぐ意思は固く、揺れる船上にあって武吉はしっかと前を見つめていたのである。

「叔父上。やっと、この時が来たね。父上の跡を継ぐのはアタシ以外にいないって、証明してやるんだから」

「武吉様、あまりはしゃぎすぎると船から落ちますぞ」

「落ちるか!」

 子どもの面倒を見るような叔父の言葉に、武吉は反発する。

 その様子がますます子どもらしい。しかし、それでも武吉の潜在能力は非常に高い。隆重はそのように見ていたし、風の読み方から秘伝の戦術まで武吉は瞬く間に修めてしまった。

 隆重が彼女を主に担ごうと思い立ったのも、実はその才覚を認めてからであった。

「そろそろ、敵の勢力圏に入りますぞ。ささ、奥へ」

「大丈夫だってば」

 うっとうしがった武吉は、しっかりと海の様子を見ておきたいと外に出たままであった。

 一度目の敗戦で、大内家は力押しから調略に手を切り替えた。そのおかげで、前回よりも余裕のある戦になるはずである。

 周囲には、武吉に従う派閥の能島村上勢。その周囲を、大内家からの援軍の船が囲んでいる。村上水軍の旗艦は機動力と攻撃力を備えた関船であり、小早にも力を入れている。

 それにしても、壮観だ。

 大内水軍はその財力から多くの船を建造し、この戦に投入していた。

「む、あれは……」

 隆重が遠くに船影を見つけた。

「河野の軍船ね。いいわ、一息にやってしまおう」

 武吉は空に手を向けて、配下に向かって叫ぶ。 

「空は晴れ渡り、絶好の海戦日和。怖気づく者もなし。この戦、アタシ達が勝利を手に入れる! 大内殿に恥ずかしい戦は見せられないよ! 気合入れろ!」

「おおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 

 海戦の基本は接近して敵船に乗り込む移乗攻撃だ。

 よって、如何に敵船を寄せ付けず倒し、こちらから乗り込んでいくかという点が重要である。

 数で勝る能島村上勢は、敵に囲まれるという可能性はほとんどない。そのため、正面から堂々と進軍し、接近戦を挑んでいく戦法で交戦する。

「弓隊、射て!」

 船が敵味方入り乱れる中で、あちらこちらから号令が飛び、矢が飛び交う。その戦場に、一際高く響き渡る轟音が、武吉の耳を打つ。

「ッー、何、今の音!?」

「陶殿の船からです。どうやら、例の鉄砲なる武器の音かと」

「大内家の武器ってこと」

 武吉の見ている前で、弓兵に混ざって黒い筒を敵兵に向けている者がいる。その筒から火花が飛び出たかと思えば、船を近づけようとした敵兵が海に落ちて沈んでいく。

 武吉はごくり、と生唾を飲んだ。

 この海で死ねば、遺体を上げる事もできない。

 暗い海のそこで永遠に眠り続けなければならないのである。

 そんなことは、絶対に嫌だ。なんとしてでも、この海戦に勝たねばならない。

「とにかく敵を近づけるな。長槍、押し戻せ!」

 敵の小早が武吉の乗る関船の下を掻い潜り、矢を射掛けてくる。それに対して、弓兵が応戦する。船同士の激突で沈んだり、移乗攻撃によって乱戦にもつれ込んだ関船がいたるところに現れる。

 しかし、大内家の船と焙烙玉や鉄砲といった、従来の木製の楯では防げない火薬兵器が戦の流れを変える。

 鉄砲の数は多くない。しかし、火薬を陶器の器に入れればいいだけの単純な構造の焙烙玉は、大内家の財力があればいくらでも量産できる。もっと簡易的に、油を壷に詰めて火縄をつけて落とすだけでも効果的な燃焼武器になる。

 この海戦で大内・能島村上連合軍が優位性を発揮できたのは、火を上手く用いたからであった。

 河野家の水軍は、半ば玉砕とも呼べる形で跳ね返されて撤退していく。

「武吉様……!」

「もちろん、追撃。アタシ達の目的は、あくまでも能島。こんなところで戦が終わりなんて事はない!」

 能島までは、まだかなりの距離がある。

 真っ直ぐ突き進まなければならないので、どうしても追撃戦になる。

 船団は乱れた隊列を整えて斎灘を渡っていく。右手には四国の陸地が見え、正面には大三島や高縄半島が鎮座する。

 海というには聊か狭い瀬戸内海の東側を、大内・村上連合艦隊は突き進んでいく。

 風向きも戦の流れも追い風であった。

 少なくとも、この時までは。

 

 事態が逼迫したのは、船団が高縄半島の先端である梶取ノ鼻にまで差し掛かった頃である。正面の敗走兵を追い散らしながら、進んでいた船団の左手に、突如河野家の別働隊が現れたのである。

 左手にある小島の間、観音崎に潜めていた遊撃部隊による奇襲攻撃であった。

 船団の側面を奇襲された連合艦隊は、大いに乱された。

 船は小回りが利かないのが弱点でもある。奇襲攻撃にはとことん弱い。対応するには、各船を操る船乗りに任せるしかないのが現状である。

「勝ち戦の隙を突かれたか」

 隆房は渇いた唇を舐めて笑った。

 慌てることはない。数は少数。隊列は乱されたが、対応できないほどではない。

「お嬢。正面の敵、回頭しています!!」

「あははッ。謀られたね」

 思わず笑ってしまったのは、してやられたと認めたからである。

 調子に乗って追い散らしていたら、自分達から罠に飛び込んでしまったということか。

「鉄砲も焙烙もまだまだ余裕があるんだし、慌てる事はないよ」

 将が慌てては、下の者の不安を徒に煽るだけである。隆房は余裕の表情で船の外を見つめる。その姿に勇気付けられて、兵達は、自分の作業に集中するようになった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 大内家が、能島村上家の家督相続争いに介入しているというのは、瀬戸内海を領有する者達には好ましく思えなかったというのが正直なところである。

 特に、大名家である河野家は現当主が大友家よりということもあって大内家には敵対的だ。そのような状況下で瀬戸内海を大内家に取られてしまうと、海に面している河野家は干上がってしまう。なんとしてでも、撃退しなければならなかった。

 その河野家も、今回の海戦に向けて着々と準備を進めていた。

 それは来島の村上通康が、大内家に動きがあることを報せていたからである。広島湾に集う軍船の数が増えていて、直に二度目の攻撃があるだろうと。

 一度目は村上水軍を主力とする河野水軍が勝利したものの、二度目となると勝てるかどうか。

 その上で矢面に立ったのは、四国ではなく離島に居を構える国人の大祝家であった。

 大祝家は、大山祇神社の大宮司を務める家である。戦国時代に入って、兵を出すようになったが、この家の特徴は、神職を勤めているということで一族の者から陣代を派遣するという事にあった。

 十年ほど前に大内家が攻めてきたときは、大祝安舎が戦場に出て大内家と戦っている。

 今、関船の上には、性懲りもなく攻めてきた大内家に辟易しながらも、憤りを隠せない表情で薙刀を肩に担ぐ少女がいる。

 名を鶴姫。

 大祝安用の長女であり、三人目の子である。

「お嬢様まで戦場に出られずとも」

 と、配下の兵に諭されても、鶴姫は我関せずであった。兄が戦場に出て妹が戦場に出ないという理屈が分からない。

 武士の家に生まれた女性は名を付けられるその瞬間に、その後の人生がある程度決まる。

 男の名を付けれれば、武士として戦働きが求められ、女の名が付けられれば、そのまま奥に控えて教養を深め、後々には政略結婚など中心とした人生を送る事になる。

 鶴姫は当然、後者に当たる。

 これは、男が二人も生まれたのだから、三人目に生まれた待望の女の子を戦場に送りたくないという親心の発露でもあったが、それが鶴姫には気に入らなかった。

「わたしも兄上やお父様と同じように、戦働きで手柄を挙げます!」

 何を言っても聞かない鶴姫に、周囲も仕方ないと隊の一つを割いた。ただし、それは妥協の末ではない。もしも鶴姫に軍才がなければ、このような判断はしなかっただろう。だが、鶴姫には二人の兄を差し置いて、非常に高い軍才があったのだ。薙刀も、もう大の男でも刃が立たないというくらいの技量である。

 そうして戦場に立った鶴姫は、自分の部隊を島影に隠して戦況を見守った。

 大内家の船団と河野家の船団が、斎島の西側で激突した報せを受けた

「よし、船を動かすわよ!」

「応援に向かわれるのですね」

「何言ってんの。来島の連中が遅れているってのに、勝手に敵に突っ込んでった奴らよ。あっという間に蹴散らされるわ」

 鶴姫はこの海戦、まともにやっても勝てないと分かっていた。

 戦力の違い程度ならば、まだ何とかなる。陸上と違って海上では潮の流れを支配したほうが強い。壇ノ浦の故事を引くまでもない。

 しかし、そのためには熟練の船乗りが必要だ。

 河野家の中で、最も船に詳しいのは、間違いなく来島村上家である。通康は瀬戸内海に様々な情報網を張り巡らせており、行き交う船の警護をして金銭を徴収している。大祝家の領地である大三島でも何度か参拝に来た商人などの警護を勤めていて、鶴姫はそういった海賊紛いの活動を快く思っていなかった。

 それでもその実力は認めざるを得ない。

 今回の海戦でも、彼の力が必要だった。数の多い敵には親大内派の村上水軍が就いている。潮の流れもある程度学んでいるはずである。

 それなのに、前回の戦いで勝利した事で驕ったのか、来島勢と合流を果たす前に打って出てしまったバカ共の一団が斎島の辺りで戦っている河野勢だ。

「ああいうのは、逃げ足は速いわよ。わたし達はそれを待ち受けて、追ってくる大内勢の側面を襲う」

 鶴姫は一団を大崎下島を影にして観音崎まで移動させる。

「わたし達がここで時間を稼ぎ、敵に打撃を与えれば、来島勢の加勢も間に合うはずだわ」

 風に乗った船団は島の影にひっそりと塊り、まるで風景の一つであるかのように息を潜めてその時を待つ。

 鶴姫の白い頬に一滴の汗が流れた。

 戦の高揚と緊張が、身体を小刻みに震わせる。

 僅かな時間が万に等しく思えるくらいの静けさを、荒々しく逃げ帰る河野家の軍船が打ち消した。

 

 大内軍の目的地は、能島なのだ。ならば、斎灘を突っ切り、高縄半島を迂回していくという航路しかない。

 目的地がはっきりしていれば、先回りして待ち伏せするというのも不可能な事ではない。

「いくぞ、敵は大軍だが、勝利に浮かれて周りが見えていない。わたし達が側面を突き、敵陣を混乱させる」

 そして、その隙に正面に逃げている河野家の主力部隊に反転させて、乱れた敵陣に大打撃を与えるのである。

 鶴姫は潮流と風すらも味方につけて敵船団に突っ込んだ。

 勝機に目を眩ませていた敵陣は驚くほどあっけなく崩れ、次々と小早がひっくり返っていく。鶴姫も陣頭に立ち、自ら弓を引き、声を上げて味方を鼓舞した。

「小早なんぞに用はない。大将の船に乗り込め!」

 大内勢の側面に襲い掛かった鶴姫の船は、その陣を切り裂きながら突貫し、ついには、敵の関船にまで辿り着いた。鉄砲や焙烙によって、鶴姫達も大きな被害を受けていたが、味方が勇気を振り絞って反転し、敵勢の正面に喰らいついたおかげで勝機が見えた。

「乗り込め!」

 接舷した船から、鶴姫の掛け声に合せて戦意の高い兵達が飛び移っていく。大内勢はそれを矢や鉄砲や槍で押し戻そうと必死になる。しかし、勢いはこちらにあったようで、一人また一人と敵船に乗り移って槍や刀を振るった。鶴姫もまた甲高い雄叫びを上げて飛び移り、邪魔をしようとした敵兵の首を一度に三つ、斬り落とした。

 気炎を上げる鶴姫の薙刀で命を刈られた者は片手の指の数を越え、今二桁に上ろうとしていた。

「なんという女子だ」

「これは手の付けようがないぞ」

「臆するな押し包んで討ち取ってしまえ」

 逃げようとする者は、鶴姫に蔑みと共に後ろから討たれた。また、抵抗する者は、多少の敬意を込めて首を落とした。

 いずれにしても、鶴姫の武力は圧倒的だった。

「どうした、どうした! その程度か大内の侍は! 京かぶれの軟弱者め、香でも焚いて、奥に引っ込んでなさい!」

 鮮血をばら撒いて、鶴姫は大内勢を斬り殺す。

 その鶴姫の武威に勇気付けられた河野勢も勢いを盛り返していく。乱戦の天秤は少しずつ河野勢に傾いていく。

「強い大内が望みなら、あたしが相手になるよ」

 朱色の槍を担いで出てきた少女が、鶴姫の前に立ちはだかった。

 鶴姫は、それまでとはうって変わった緊張感のある表情で、少女と相対した。

 この娘、相当できる。

 鶴姫の勘が、油断してはならないと警鐘を鳴らしている。

「あなたは……?」

「陶隆房」

「な、……そう、ですか。あなたが」

 陶隆房の名を知らぬ者は、もうこの瀬戸内にはいないだろう。

 大内家の筆頭家老陶家の娘で、若くして武勇で名を馳せた少女である。

「で、あんたは?」

「失礼しました。わたしは、鶴姫。大祝家の娘です」

「へえ、……武士ってわけじゃないのにそこまでできるんだ」

「女だからと戦場から引き離されるのは、納得いきませんので」

「それ、分かる。まあ、あたしは武士として育てられたけど、共感するな」

 槍と薙刀。リーチは同じ。上背は鶴姫のほうがあるが、戦場を駆けた経験は隆房に一日の長がある。刃と刃が触れ合い、金属を引っ掻く嫌な音が響いた。それを合図に、二人は激突した。

 

 

 

 □

 

 

 

 一撃の重さは、槍よりも薙刀のほうが上だ。

 重量と勢いで切断する薙刀は、まさに台風めいた白刃で敵の首を駆り落とす。薙刀を手足のように操る鶴姫は、その名が示すように鶴のようなしなやかさで舞うように死を与える。

 しかし、突く、斬る、叩くと三拍子揃った槍は薙刀以上に取り回しやすい。人間を相手にするのであれば、過剰な攻撃力は必要ない。どこか急所に一撃入ればそれでいいのだ。

 鶴姫の薙刀を台風とするならば、隆房の槍は鎌鼬だ。

 死の蒙風の中を、滑るように突き出される槍の一刺し一刺しが、鶴姫の身体に傷を負わせていく。

 手数、そして鋭さの違い。

 それが、鶴姫が押される要因だ。

 否、それは武器の性能差でしかなく、柄の長さが同じであれば言い訳にならない。薙刀でも使い方次第では、槍のような扱いもできる。それでも押されているのは、単純に技量の問題だ。

「く……ッ」

「そりゃあッ!」

 隆房の刺突を柄で受け止めた鶴姫が踏鞴を踏む、と見せかけて半身になり隆房の追撃をかわし、そのまま反転する。勢いのままに横凪に薙刀を振るった。

 隆房は身体を逸らしてこれを避け、同時に槍を片手で振り上げて下から鶴姫を狙った。

 片手で振り上げた槍は速度が足りず、鶴姫の籠手に弾かれてしまった。

「さすが」

 隆房はにやりと笑う。対する鶴姫は笑う余裕などなかった。一歩何かが狂えば即座に殺されるのが目に見えている。

「噂など当てになりませんね」

 体勢を立て直した鶴姫は、額の汗を拭った。

 周囲の兵は、自分達の戦いを忘れて二人の死闘に魅入っていた。

「噂?」

「あなたの噂。とても強い、鬼のような武人だと」

「へえ、そりゃ嬉しいのかな。あ、でも鬼ってのはなあ」

 頭を掻いた隆房は、歳相応の娘のように見える。だが、その実体は鶴姫は背中に季節はずれの寒気を感じるほどの死神だった。

「そうですね。鬼のような、ではなく鬼そのもの。あなたの武勇に関しては、ですが」

「ははは、他のとこまで鬼って言われたらどうしようかと思った……本当に」

 隆房の手元から槍が消えた。

 寸前まで、だらりとその切先を下に向けていたというのに。

 陽光が何かに反射して、鶴姫の目を焼いた。咄嗟に顔を背けると、頬を槍の穂先が擦過していったのが分かった。

 予備動作もなく、ただ速い刺突で顔面を狙ってきていたのだ。

 鶴姫の目に飛び込んできたのは、穂先に反射した太陽光だったのだろう。

「……本当に」

 鬼のような人。

 鶴姫は頬から滴る血とじわりと染み込んで来る熱を感じて薙刀を握る手に力を込めた。

「ふぅん。避けるんだ。すごいね。若も、似たような事したけど」

「若、大内晴持殿ですか」

「そう」

 隆房の槍を薙刀で払って、鶴姫はまた一歩下がった。

「あなたほどの女将が、ただの男に媚びを売るなんて、ちょっと幻滅です。武勇を示すでもなく、後ろで命を下すだけでしょうに」

 瞬間、怖気が走るような鋭い視線に、鶴姫は射抜かれた。

「ふぅん…………そろそろ死ぬ?」

 柔らかな手がそっと子どもに触れるように、するりと差し出された槍。

 あまりにも自然に向かってくるので、鶴姫は判断を狂わされた。

 隆房の手が伸びたような錯覚すら抱く槍は、途中で跳ね上がり、その直後鋭く振り下ろされた。蛇が鎌首を擡げて獲物に喰らいつくが如き動きであった。

 目で追う事もできず、ただ危ないから下がったというだけの回避行動が、何とか鶴姫の生を引き伸ばした。しかし、鶴姫は衝撃を殺しきれずに尻餅をついた。

「まだ、……ッ!?」

 座っていては首を落とされる。立ち上がって、薙刀を構えようとした時、唐突の薙刀が中央から二つに折れた。

「そ、んな……!?」

 よくよく見れば、それは折れたのではなく、斬れていた。頑丈な鶴姫の薙刀を両断したのは、隆房が打ち込んだ最後の一撃であろう。

「鶴姫様!」

「お嬢様!」

 鶴姫の武器が壊れたのを見て、彼女の配下の者達が慌てて楯になるように隆房の前に立ちはだかった。それを見て、同時に隆房の家臣達も動き出す。

「あー、やめやめ。終わり」

 しかし、両者が切りあいに発展しようと言う時に、隆房は槍を担いでそう言った。

「ここまでにしよう。鶴姫って言ったっけ。もういいでしょ、帰っていいよ」

 何を言われたのか分からなかった鶴姫は、それを理解して激高した。

「情けをかける気ッ!? わたしは、まだやれるわよ!?」

「戦が終わったんだから、帰れって言ってんだけどね」

「ど、どういうことですか?」

 戦が終わったと、肩の力を抜いてそう言う隆房に、目を瞬かせて尋ねた。

「見てよ、アレ」

 隆房が顎でしゃくったのは、艦隊が進む方角である。

 河野水軍が、鶴姫の特攻に合せて突撃していた方向である。今でも、激しく前方では戦いが繰り広げられている。

 しかし、そのさらに奥。高縄半島を回って、船団がやってくるのが見えて鶴姫は目を見開いた。

「来島勢、か」

 来島勢。来島を拠点とする河野家配下の村上水軍。武勇に秀でた村上通康が将として率いている水軍が、今、こちらに向かって来ている。

 遅い、と怒鳴りつけてやるべきだろう。

 来島村上家がこの海戦の重要な要素だったのだ。彼らが戦闘に遅参しなければ、このような決死の戦いに持ち込まなくても済んだ。

 だが、そうなると隆房の余裕と矛盾する。

 来島勢の登場は、確実に大内・村上連合軍にとって不利な事であるはずだ。なのに、何故、隆房はここで戦が終わりだと宣言できた。

 まさか、諦めたわけではないだろう。

 戦力は、それでも大内・村上連合軍のほうが勝っているのだから。相手が、来島村上家の水軍であっても、正面から戦って突破する事もできなくはない。

「ま、さか……!」

 最悪の予感は、得てして的を射る。

 来島村上家は戦場に後れて駆けつけた。ただし、河野家のためではなく、河野家を打ち倒すために。

「裏切り、なんてこと」

 絶句する鶴姫の前で、来島村上家の船に大内家の旗が上がった。河野家の船が今度は挟まれる形になったのである。

 戦場に悲喜交々の絶叫が木霊する。大内勢は勝ち鬨を上げ、河野勢は我先にと退散していく。逃げ道などないが、とにかく逃げねばならないと小早を奪い合い、ひっくり返って沈んでいく。

 河野家の水軍が、完全に崩壊した瞬間だった。

「今頃、能島にも若が攻撃を加えてる頃だよ」

「能島、でもあそこには因島もあるのに……まさか、因島までが」

「水先案内人をしてくれてるよ。来島の連中が遅れたのはね。能島の戦況を見てから出撃したからだよ。能島を挟むか、それともこっちの河野勢を挟むか状況を見て判断してってね」

 隆房の言葉が事実であれば、能島はすでに陥落しているはずだ。裏切った来島勢は、能島の陥落、あるいはそれに近い状態になったのを確認してからこちらを攻める事にしたのだから。

「こっちは囮だったって事」

「どっちも本隊だよ。あなた達がこっちに食いつかなければ、こっちが能島を落としてた」

 結局は戦力の差という事だった。

 因島村上家と来島村上家を取り込んだのだから、海上戦力は能島に篭る村上義益と河野家が束になっても敵わない。

 防戦すらも許されないほどに、力の差があったのだ。

 鶴姫はその場に壊れた薙刀を投げ捨てた。

「情けは無用。斬ってください」

 どっかと鶴姫は覚悟を決めて座り込んだ。

 その鶴姫に、隆房は槍を収めて言った。

「嫌だ。あなたは惜しい」

「ッ……」

 鶴姫は、文句の一つでも言おうとしたが、結局言葉にならず歯を食いしばって俯いた。

「それに、情けじゃない。最後、あなたを本気で殺そうとして殺せなかった。だから、あなたは殺さない事にした。勝者の決定だから、ちゃんと従ってね」

 河野勢は壊乱。

 能島は落ちて村上義益は自害。

 鶴姫はこの戦で最も活躍したと言えるだろうが、隆房との仕合に敗れて降伏する事となった。


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