大内家の野望   作:一ノ一

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その十二

 瀬戸内海を押さえる三つの村上水軍のうち、来島村上家は大内家に、因島村上家は安芸国人小早川家に臣従し、そして能島村上家もついに大内家が後押しした村上武吉が跡を継ぐ事となった。

 また、来島村上家と大内家の挟撃を受けた河野海軍は壊滅的な打撃を被り、事実上の全滅となってしまった。

 この海戦での勝利は、大内家が瀬戸内海を完全に掌握したという事を示しており、必然的に畿内も含めた諸国の水運貿易の類に大内家は非常に強く影響を与える立場になった。

 能島村上家が武吉の手に渡った事で、やっとこの戦の目的の半分が終わった。

 残りは、来島村上家を丸め込む際に約束した河野家への対処である。

 この時点で、来島村上家の裏切りは、河野家中にも知られているであろう。制海権を取られた河野家は、一方的に大内家に攻め込まれるだけで、防戦以外の選択肢はない。

 晴持は小早川家をはじめとする安芸国人達と共に因島村上家の案内で激しい潮流を渡りきり、能島城を攻略した。

 能島城は大島と鵜島の間に位置する周囲約一キロメートルほどの能島とその南にある鯛崎島の二島から成る。能島は島の中心に本丸を置き、その周囲に二の丸、西に三の丸が配され、さらに南に東南出丸、東に矢櫃と呼ばれる郭があり、潮の流れの複雑さもあって天然の要害を駆使した堅牢な守りを実現していた。

 だが、その堅牢な島城も、因島村上家が寝返り、大内家の兵力を加えた圧倒的な武力を前には為す術もなかった。

 最終的に、村上義益は、来島村上家を頼って落ち延び、そしてそこもすでに敵地と知って自害したのであった。

 来島村上家があえて出陣を遅らせた理由の一つに、村上義益が自分達を頼って落ち延びてくる可能性があったからである。能島城を力で落とすのは面倒だが、相手が篭城を諦めて放棄してくれれば占領は容易い。大内家の海軍力を見れば、単独での抵抗は難しいと判断できるし、そうなれば頼れるのは縁故があり河野家でも有力者の一人と目される来島村上家の村上通康であった。

 こうして、能島を陥れた晴持は、河野水軍を破った隆房や武吉の一団と共に能島正面に浮かぶ大島に上陸し、河野家に属する城を落としていった。

 大島は大三島に匹敵する大きな島で、島内には砦とも呼ぶべき小城がいくつもある。

 大島を越えた先に来島があり、その奥に四国の土がある。よって大島は、現在対大内家の最前線なのであるが、しかし来島が大内家に就いたために四国からの援軍が得られず、完全に孤立してしまっていた。

「四国に足を踏み入れるためにも、さっさとの大島を占領したいところだな」

「そうですね。このまま時が過ぎれば、来島の河野殿にも敵が押し寄せてしまいますし」

 晴持の言葉に、隆豊が頷く。

 来島にいる河野通直は、河野家の前当主。しかし、家臣達と折り合いがつかず、分家筋の河野晴通を担ぎ上げたクーデターによって来島に隠居させられている。来島村上家が大内家に就いたことで、当然ながら彼女を担いで河野家を叩こうというこちらの意図は漏れているだろう。

「通直殿に倒れられたら本末転倒だ。どうにかして、ここを押さえないといけない」

 大島の位置が来島と能島の間にあるのが問題なのだ。能島には今、武吉が入っているおり、その後方の安全は確保されているが、この大島の動き次第では連絡を絶たれる可能性もあった。

「一つ一つの城に時間をかけていられないぞ。どうする?」

「こちらの軍を分散し、各砦に当たらせてはどうでしょう」

「小規模とはいえ山の上に位置する城を分散した兵で攻めるのであれば、一軍を以て次々と攻め落としていったほうが早いのでは」

 という主戦論に混じり、

「すでに敵方に打撃を与えておりますし、敵には勝機もありませぬ。ここは、開城交渉を行い、穏便にすませるのがよいかと」

 というような意見も出始めた。

 力によって攻め落とせない事もないが、少なからぬ犠牲もでよう。ならば、大内家の威容を大いに見せ付けたことであるし、交渉して守備兵の命を救うのを条件に開城してもらったほうがいいというのだ。

 この意見を軟弱と罵る者も幾人かいたものの、支城の出先機関程度でしかない大島にいつまでもかかずらっている時間もないというのは衆目の一致するところであり、妥協とは思いながらもそれも兵法と、城兵とコンタクトを取って一日の後に、大島の主要な砦から守備兵達を退去させるに至ったのであった。

 こちら側に河野通直がいるというのも、彼らには大きかったのだろう。今までのような大内家を侵略者と決め付けた戦いだと決め付けるわけにもいかず、大内家と敵対するという事は、河野通直を否定する事であり、それは大内家が四国に上陸し、通直を河野家の当主に据えなおした場合、自分達の立場を危うくする。

 見るからに大内家が優勢にある今、生き残りをかけるのであればどのように行動すべきか、説かずとも分かるであろう。

 このようにして、因島、能島、来島に至る航路を完全に確保し、補給路を安定させた大内勢は、河野通直を支援すべく四国の土を踏んだ。

 

 四国に足を踏み入れて、何かしら郷愁の念でも湧いてくるかとも思ったが、土佐ではないし、これといって思うところもなかった晴持は少々拍子抜けした思いで河野通直の歓待を受けた。

 伊予国の中央部やや東よりに位置する高縄半島のさらに北東部に来島村上家は勢力を持っている。大内勢が迎え入れられたのは、遠見山城。かつては、詰城として利用されていたが、この地を領有した村上家が吸収したものである。

「この度は、河野のためご出馬を賜りまして、ありがとうございます」

 河野通直は小柄な女性であった。焦げ茶色の短い髪と快活さを思わせる目つきが人好きのする人格を想起させる。

「こちらこそ、斎灘における合戦では、村上殿の救援によって命拾いした者も大勢おります。お礼を申し上げるのはこちらのほうです」

 大内勢の総大将である晴持と河野勢の総大将である通直は、戦勝の宴を催すと共に、河野家を牛耳る河野晴通に対して河野家の家督相続争いを仕掛ける宣言を発した。

 伊予国内に物見の兵を送り出しながらも、海戦での疲労を取り去るために、最低でも三日は出陣を見送るべきとの判断から大内勢は遠見山城の本隊を置き、その周囲の来島村上家の支城に各部隊を配置して漸進的に隊を進めた。

 宴の席は大いに盛り上がった。

 大内家はもともと、文化文芸に深い造詣を持つ家臣が多い。とりわけ和歌、能楽、管弦の類はお家芸と言っても過言ではない。

 それは、歴代の大内当主が代々貴族趣味で、京を羨望し、朝廷や公家との交流を篤くしてきた事で培われた風土であり、大内当主のみならず、直臣ともなれば求められる水準もかなり高いものになる。

 そして歴代当主の中でも突出して文治的な大内義隆は、大陸文化の受容に千金を惜しまず投じ、公家や仏僧から有職故実や四書五経、漢詩に朱子学、和歌、管弦、禅学などなど様々な知識を貪欲に吸収していたから、その傾向はますます強くなっていると言える。

 こうした当主を担いでいる家臣達の催す宴で披露される芸は、京にも引けを取らない高度なものになっていた。

 文化水準の高さを見せ付けられた通直の家臣達は、あるものは眉を顰め、またある者は羨望の眼差しを大内勢に向けるのであった。

 文化というものは、それ自体が地力の違いを如実に表すものである。

 戦国の世に於いて、京にも匹敵する文化水準を持ち、その上でそれを守り続けているという点で、大内家は他家のどこにも負けない地力を持っているのである。

 晴持は、宴の席を抜け出して城内を歩いてみた。さして広くもない砦程度のものだ。天守が考案されるまでまだ時が必要な頃である。遠見山城の外観は、実に質素なものであった。とはいえ、支城や出城などというものは、概してそういうものだ。

「おっと、大内の若旦那がこんなところで何してんの?」

「通直殿、驚かせないでくれないかな」

 月光と篝火しか明かりのない中で、柱の影から声をかけられれば驚きもする。

「うっそ、全然驚いてないじゃん」

 月光の下に出た通直は、にかっと笑ってそう言った。晴持は割りと本気で驚いていたのだが、伝わらなかったらしい。

「して、通直殿は、どうしてここに?」

「通直でいいよ、若旦那。そっちのほうが立場は上でしょ」

「まさか」

 晴持は笑った。

「守護家を差し置いて、俺が上なんて事は言えないだろう」

「わたしはまだ守護を取り返してないし、それにその守護家はあなた達の支援なくしては立ち行かない。有名無実の守護職だよ。悔しいけどね」

「であれば、これから盛り返せばいいだろう。そのための兵も出す。もちろん……」

 そこまで言って、晴持は言葉を切った。

 以降の言葉を、通直は続ける。

「分かってる。大内家にここまでしてもらったんだしね。以後は、そちらの指図を受ける用意はあるよ。そのほうがわたし達にとっても都合がいいから」

「そうか。それなら、それでいいんだ」

 何も、大内家は単なる善意で通直を支援しているわけではない。そこには、通直を守護に返り咲かせるという建前の裏に伊予国を大内家の影響下に置くという本音がある。力で攻めても伊予国を掠め取る事は可能だろうが、正当性のある戦にする事で、以後の支配を安定させる狙いがあるのだ。

 マキャベリが言う「ライオンのような勇猛さと狐のような狡猾さ」というものである。

 また、彼は、君主は信義を守るべきではないが、具えているように見えるのは有益であると説いている。

 こうした考え方は今の大内家のやり方にも関わっていて、本音はどうあれ建前上は伊予国に兵を向ける事に対して文句を言われる筋合いはないと豪語できるだけのものを具えている。

 そして、大内家の兵が通直を当主に据えるとなれば、今後の河野家は大内家の風下に立つという事でもあった。

「で、話は戻るけど、どうしてこんなところに? 言っちゃなんだけど、何もないよ?」

「何もないのは見て分かる。とにかく、宴の席から出たかったんだよ」

「ふぅん。それはまたどうして。あなたが、主役じゃないの」

「いやいや、主役はそちらだろう」

 晴持がそう言うと、通直は口を大きく開けて笑った。

「何言ってんのさ、主役はそっちだって」

「これは君が凱旋した祝いでもあるだろうに」

「わたしは大内家の風下にいるんだって」

「そうは言うが、君を押し立てているわけだから、君だろう」

 互いに主役を譲り合っていくうちに、徐々に意固地になってきてしまう。それでは切りがないので、両者が主役という事で妥協する事になった。

「まったく大内の若旦那はなんていうか謙虚なくせに強情だねぇ」

「その言葉、そっくり返すぞ」

 同時にため息をつく。

 不毛すぎる。

「ねえ、若旦那。こんなところにいるのもなんだし、わたしの部屋においでよ。といっても、本拠じゃないからなにもないけど、お茶くらいなら出せるよ」

「ああ、まあそうだな。今から宴に戻る気にもならんし」

 そうして、晴持は通直の部屋に行く事にした。

 

 

 騒がしい宴の席と異なり、その部屋の中には晴持と通直の二人しかいないという事もあってとても静かだった。

「一つ、改めて確認しておきたいんだが、君は守護に返り咲きたいと思っているのか?」

 通直の部屋で茶を振舞われた晴持は一段落したところで尋ねた。

「今、それ聞くの?」

「今を逃せば、聞く機会もないからな」

 これから先、本格的に戦を始めるとなれば、もう彼女の要望に関係なく進んでいかなければならない。通直が後で気持ちを翻す事があってはならないのである。

「そりゃあね、あんな形で城を追い出されちゃ悔しいし、何よりも通康みたいに、それでも助けてくれる家臣がいたんだ。報いるのが、わたしの仕事でしょ」

「そうか。そうだな。通康殿は、大した方だ」

「でしょう。わたしにはもったいないくらいよ」

 ケラケラ笑う通直にとって、唯一と言ってもいいくらいの家臣が通康であった。状況に流されて敵に就いたりこちらに就いたりを繰り返した者とは違い、一貫して通直の味方であり続けた。

「今、俺達がいるのが、通康殿の力が及ぶ地域の中央部」

「そう。それでも河野家の全勢力の五分の一くらいは押さえた事になるけどね」

 来島村上家は、その実力と実績を買われて通直を隠居させながらも重臣格として扱われてきた。そのため、通康が影響力を発揮できる地域は大きい。それに加えて、河野家は小さい。守護とは名ばかりで、伊予国を統一できた試しはないのである。

「河野が押さえているのは、伊予の中央部。この半島は、その端っこになるのかな。伊予の東は石川家が押さえていて、南にいけば西園寺家と宇都宮家が幅を利かせている。河野の勢力はその間に挟まれている地域くらいよ」

「なるほど、かなり厳しいところだな。今回の目的は、湯築城を取る事だが、そうすると石川家に背後を突かれるかもしれないと」

「こちらに就くようにと書状は送っているけれど、もともとうちとは縁のない国人だからどう出るか」

 伊予国の石川家は、備中守護代石川家からの分かれであるらしい。阿波国が隣国という事もあり、細川家の支援を頼みにする可能性も否定できない。まかり間違っても今の段階で阿波国に兵を差し向ける事はできない。阿波国を襲撃すれば、最盛期の三好長慶と管領細川晴元を敵にする事になるからだ。

「石川家は後回しか。手を出してきたら、それを大義名分にするという形にするべきだな」

「そうね。石川家の動向に対応できるだけの兵は割かなければならないのが厄介だけど」

「中央は、今細川氏綱の反乱を鎮圧するのに手一杯だ。阿波の兵も大分取られているらしいから、石川家を助ける余裕はないと思いたいな」

 現段階では、河野晴通が敵であり、石川家は進路を妨げる存在でもない。石川家を敵とするのであれば、通直が守護となってからでなければ大義名分が立たないのだ。

 

 

 

 □

 

 

 

 大内家の侵攻に対して、河野晴通とその家臣達に対策案があったかというと、これといった妙案はなかった。

 いつかは大内家との戦いも避けられないというのは、河野家全体に共通する危機感ではあった。それが、安芸国を平定し、尼子家と不戦の約を交わしたとなれば、大内家の次の狙いは九州か四国のいずれかであり、養嗣子の晴持が土佐一条家から迎えられた人物であるとするならば四国に来寇する可能性は十二分にあった。

 そのために、家中一丸となり、あるいは周辺国人達と関わりを深めて事態に当たるべきであったのに、まさか来島村上家が真っ先に敵に就いた挙句、通直を押し立ててやってくるとは思いもよらなかった。

 これで、表面上はこの戦は大内家の四国制圧戦から河野家の内訌という次元にまで引き下がった形になる。

「大友だ。大友の援軍が到着するまでなんとしてでも持ちこたえねば!」

「敵の勢い甚だ猛勢! 葛籠屑城開城との由!」

 葛籠屑城が落ちたという事は、敵の先陣はすでに湯築城から十キロメートルと離れていないところにまで迫っているということである。

「根性なしめが……!」

 晴通は未だ若輩の将であり、戦の経験も少ない。自分達ではどうにもならない大軍を相手に、為す術もないこの状況で、冷静でいられないのだ。

「敵の先鋒は重見通種殿にございます」

「通種か。裏切り者の不忠者め」

 歯軋りしつつも、唸るような声を出す。

 重見通種は、かつて河野家に仕え、大内家の侵攻をよく防いだ武将である。しかし、謀反の疑いありとされて河野家によって攻められ、大内家に逃亡したという経歴の持ち主であった。

 おまけに敵は通直を旗頭に据えている。それだけでも河野家中の動揺は必至であった。

「通直……今更出てきて何とするか。大内家に伊予を売る売国奴に、断じて河野の家は渡さぬぞ」

「その意気でございます」

 追放した前当主が今更ながらに兵を挙げている。しかも、宿敵とも言える大内家の兵を引き込んでだ。このような事態になるのであれば、通康を敵に回してでも首を刎ねておくべきであったと後悔するが、もはや詮無い事であった。

 今の晴通単独で大内家の軍勢に勝てるはずがない。伊予国そのものが大内家の手に落ちる可能性もあるこの戦には、伊予国内の国人達も敏感になっている。書状を出して、協力を取り付ければ大友家が来援してくれるまでの時間は稼げる。そのように思っていた。

 しかし、現実には一門が篭る支城も次々と攻略されていく現実がある。

 因島村上家の氏族が入る城もあり、そういった城は早期に内通して無血開城となるところも多々あった。

「御中進!」

 軍議の間に、また伝令が駆け込んでくる。

「村上水軍が、湊山城に攻め寄せているとの由にございます! 至急、援軍をとの事です!」

「湊山……! 海からも来るというのか!」

 来島から四国の土を大内家が踏んだのが十日ほど前。明確に進軍を始めたのが七日前である。この間、敵方に就いた村上水軍はこれといって四国の地を侵す事なく、大内家の背後を守るのに徹していた。

 それが、今になって海岸を守る城に襲い掛かってくるとは。

 湊山城は、河野水軍の本拠地である。

 そのため、河野水軍は湊山衆とも呼ばれ、忽那家が代々城主として守っていた。河野水軍は、大内家の伊予討ち入りの前哨戦とも言える斎灘での海戦に敗走しており、因島水軍と能島水軍を合わせた大内警固衆に勝てるはずがなかった。

 篭城に徹し、本城にこうして窮状を報せる使者を寄越しているというのに、晴通は救援を出すことができないでいた。

 支城が攻撃を受けたときは、救援を出さねばならない。それが、戦国の基本的なルールである。そうしなければ、城兵は本城を見限って敵に就いてしまうからである。湊山城は湯築城から七キロメートルほどのところにあり、すぐに応援が出せない距離ではない。

 しかし、その一方で、大内勢の本隊が葛籠屑城を陥れている。

 つまり、道後平野に突入されてしまったわけだ。

 敵本軍を阻む有力な城は、花見山城のみだ。数で勝る敵に野戦を仕掛けるような真似はできない。

 苦渋の決断ではあったが、見捨てるしかなかった。

 

 


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