大内家の野望   作:一ノ一

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その十三

 大内家の支援を受けた河野通直の快進撃を、河野家単体で支えようとするのが土台無理な話であった。

 河野晴通は、支城が落とされ、湯築城が丸裸にされる直前、家臣らと共に逃亡した。湯築城は、かつて通直が上洛した際に見聞した畿内の城の構造を基にして改修が施された城であるが、相手が元当主という事もあって内応の危険があり、圧倒的な兵力差があるというこの状況を覆しうる何かが備わっているわけではない。

 篭城できないこともなかろうが、援軍がどうなるかも不透明な今、城の構造を知り尽くした通直を相手に篭城戦を挑むのは愚の骨頂である。

 逃亡できるうちに逃亡するという判断を下した晴通は、早々に城を退去して野に下り、大洲城の宇都宮豊綱を頼った。

 河野晴通が湯築城を離れたという情報が伝わると、抵抗していた諸城も開城を選択する事が増え、河野家の勢力が根を張る中予は、ほぼ通直の勢力圏に書き換えられる事となった。

 しかしながら敵が消えたわけではなく、宇都宮家に走った晴通は、宇都宮家の支援を受けながら今後も通直に抵抗するであろうし、通直の足元は未だにぐらついているのは確かである。

「まさか、宇都宮が晴通を受け入れるとはね。びっくりびっくり」

 宇都宮家は、河野家と対立する伊予国人の一つであり、河野家を除けば最大勢力の一つである。

 宇都宮家は、下野国の宇都宮家を本家とし、鎌倉時代から連綿とその血を繋いできた名門である。伊予宇都宮家は、豊前宇都宮家の六代目当主宇都宮頼房の三男の宇都宮豊房が、伊予守護職を与えられた事に始まる。南予の喜多郡大洲城を中心にして勢力を誇ったが、河野家の台頭で凋落し、守護職を奪われて久しい。

 現当主は、宇都宮豊綱という人物である。

 河野家とは長年対立関係にあったが、大内家の伊予国進出を警戒して晴通を受け入れたようだ。

 通直が久方ぶりの帰城に頬を綻ばせながらも不安の色を消せないでいるのは、南予の動きがあまりにも不穏だからである。

 しかも通直が当主となった事で、従来の河野家を支えていた家臣団が崩壊した。これから通直の左右を固める者の選定が重要になってくる。

 無論、村上通康は筆頭となるだろう。彼の功績はそれだけ大きい。一貫して通直を助けてきた実績と、筋を通すという性格は、家中ににらみを利かせる上で非常に適している。

 通直は、新たに編制した家臣団を以て河野家の再編を急ぎ、帰順した者は罪に問わず許したので領内の反発もすぐに薄れて通直の政権の地盤を固めつつあった。

 また、大内家の兵が方々に出て反対勢力の鎮圧に当たったので、中予に関しては五日もかからず治まったと言ってもよいだろう。

 

 

 晴持は、湯築城の評定の間で通直や通康といった河野家の代表と、隆房、隆豊といった大内家の主要な将と共に、今後の動きを考えていた。

「今現在、わたし達の勢力が及ぶのは伊予郡まで。それも道後平野の向こうにいけば怪しくなってくるし、山を越えれば、宇都宮の喜多郡に入る事になるわ」

 絵図を囲んで、皆で伊予国の情勢の把握に努める。最も勢力関係に強いのは通直と通康である。彼らが各国人豪族に書状を出して味方に就くよう呼びかけており、その結果を絵図の上に表している。

「西園寺も宇都宮を歩調を合わせる動きを見せているみてえだ。なかなかに厄介だぜ、こりゃ」

「西園寺。南予の最南端の国人だったか」

 通康が頷いて指し示すのは土佐国との国境に勢力を持つ国人西園寺家である。伊予国内の代表的な勢力は三つあり、それが河野家、宇都宮家、西園寺家である。河野家や宇都宮家が功を以て伊予国に配されたのに対し、西園寺家は公家が武将化したもので、京の西園寺家の支流である。領地を半ば簒奪している点で他二家とは異なる発展をしてきた一族であろう。

「できることならば、宇都宮家の後背を侵してもらいたかったな」

「敵の敵は味方ってヤツだろう。俺達が大内家と組んだ事に危機感を募らせたな」

「南予まではなかなか使者も飛ばせないからな」

 工作が間に合わなかったというのが悔やまれる。

 しかし、これで伊予国内の情勢は分かりやすくなった。

「つまり、大内・河野連合と宇都宮・西園寺連合が喜多郡を境に睨み合っているという事ですね」

 隆豊が簡潔に纏める。

 通直が朱墨で絵図に大まかな境界線を引いた。

「この線の向こうが完全な敵地」

「守護家がこれじゃあな……」

 通康が改めて伊予国の現状を確認してため息をついた。

「そもそも、河野家は一度も伊予を統一してないんだよね」

 ハハハハハ、と渇いた笑いを漏らす通直。

 哀れ河野家。

 南は宇都宮家と西園寺家が古くから居座り、北は細川家の臣であった石川家が二郡を領有している。

 守護というのが、あまりにも虚しく聞こえる有様であった。

 だがしかし、大内家の助成を得た事で、勢いを増した通直は、このままならば宇都宮家や西園寺家を相手に戦えると考えていた。

 河野家と大内家の連合軍は、総計一五〇〇〇に届く大軍に膨れ上がっていた。もちろん、それらの兵力を分散配置せざるを得ない現状では、すべてを戦に投入できるわけではないが、勢いは紛れもなく通直にある。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 湯築城がある温泉郡から大洲へは街道が通っている。

 道後平野から大洲を目指すのであれば、山間の道を進まねばならない。その道こそが、大洲街道である。

 風早郡近見山城主重見通次、浮穴郡荏原(えばら)城主平岡房実らを先鋒として、大洲街道を進軍する。

 通次は、大内家に逃れた重見通種の妹である。主家に背き、追い落とされた兄とまさかともに戦う事になるとは思っていなかっただけに、通次の心中は複雑である。

 通次と房実を中心とした二〇〇〇人の一軍は、大洲街道を直進する。進路上の城もほとんど抵抗なく落ちた。

 四日ほどかかって、先鋒が大洲盆地に辿り着いた頃には、すでに宇都宮家に従う城は盆地内の諸城だけになっていた。

 そして、晴持の本陣は高森山の竜王城を攻略の後、大洲盆地を見下ろす神南山に陣を敷いた。河野家が大洲盆地に入るには、この神南山と妙見山の間の細い道を通らねばならない。退路を確保するという意味でも、この山は確保する必要性があるのであった。

 高森山は大洲盆地を正面に、そして竜王城のある後方にも小さな盆地があるという土地であり、平地を横切るように山体を横たえているような形になっている。

「大洲城、思ったよりも攻めにくい場所にあるな」

 晴持は、大洲盆地の奥に見える大洲城を見て呟いた。

「二つの川に守られた要害ですね。力で攻めるには、少々血を流さねばならないかもしれません」

 隆豊も地形から判断して、険しい表情を浮かべる。

 大洲城は、別名を地蔵ヶ岳城という。

 肱川と久米川の合流地点である地蔵ヶ岳に築城されている事からその名がついた。

 二本の川の間にあり、その川の両脇には山地が聳えているとなれば、軍勢も展開しずらく、攻めるに難く守るに易き城となっている。

「大洲城を囲みつつ、その周囲の支城を攻略していくしか、なさそうです」

「そうだな」

 晴持は、妙見山に陣取った通直と連絡を取り、翌明朝に上須戒城へ朝駆けを行う事で決した。

 上須戒城は大洲城の北方に位置し、大洲城を見下ろす位置にある山城である。ここを陥れる事で、大洲城とその他の城の連絡を断ち、孤立感を高める事ができると踏んだ。

 上須戒城には隆房に従う重見通種を中心とした手勢を送り込む。

 妙見山の向こうに、故郷の山口が見える。大内軍の中には里心がついた者もいるかもしれない。

 晴持は畳床机に腰掛けて、頬杖をつく。

 長期戦も視野にいれて、陣の周囲を整地させ、風雨を凌げる簡単な屋根を作らせる。

 補給に関しては、河野家が補給路を確保しているから大丈夫だとして、正面の大洲城をどう落とすべきか。

 あの城の中に、河野晴通がいるのは確認できている。宇都宮家の兵と河野家の残党が、この大洲城を中心にして通直に反抗しているのである。

 ここを潰さない事には、通直の政権は安定しないのだ。

 そして、翌日、朝駆けによって上須戒城を制圧した大内勢は、本格的に大洲城に攻勢をかける事となった。

 

 

 大内勢先鋒は陶隆房。元河野家の重見通種を指揮下に収めて大洲城の城兵と小競り合いを演じる。

 矢合戦に始まり、数度の直接攻撃を加えるも城はそのたびに隆房の攻撃を跳ね返す。

 隆房は現状での力押しは難しいと考え、敵に圧迫感を与えるべく川向かいに陣を敷いた。

 ここで城に篭っては士気に関わる。城主宇都宮豊綱は一軍を率いて城外に出て陶勢を睨む位置に陣を敷く。こうして宇都宮・河野連合と大内・河野連合は、肱川を挟んで対陣する事となった。

 乗り込んでこようとする陶勢を宇都宮勢が近づけまいと矢と槍で押し戻す。

 そうして、こまごまとした戦いをしているところに、通種の率いる五〇〇が上順戒城から打って出て敵勢の側面に奇襲を仕掛けた。

 喊声が上がり、宇都宮勢の一画が崩れた。

「でかした。今、押し渡れ!」

 隆房の号令が響き、轟と雄叫びを上げる兵が矢を射かけ、川に飛び込んでいく。

 次第に、陶勢の勢いが勝り、宇都宮勢を押し戻し始めた。

「よし、あたしも行く。本陣を前に押し出すよ」

 隆房は己の朱槍を肩に担いで馬に乗った。大将として兵を指揮する彼女は、自分自身で戦場を駆けるのが好きだった。

 この合戦も、川が目の前にあり、晴持から自重しろと厳命されていたからうずうずしながらもこうして後方からの指揮に徹していたのである。

 しかし、敵が城から打って出ており、こちらの勢いが優勢となれば我慢も限界だ。

「この勢いのまま、一息に晴通の首を取ろう!」

 そう言って、川を渡ろうとする隆房を家臣の一人が止めた。

「お嬢様。しばしお待ちをッ!」

「何よッ。今いいとこでしょ」

「そうですが、神南山の本陣をご覧ください! 様子がおかしゅうございます!」

「え……」

 反射的に、隆房は後方に聳える神南山を振り返る。

 そこには総大将である晴持が陣を敷き、反対側にある妙見山の通直と共に全体を統括している。

 晴持達の位置を示す旗が慌しく動き、山を下っている。それを隆房が認めると同時に、法螺貝笛の音が響き渡った。

 その意味するところは、

「撤退、だって……!?」

 妙見山の河野家の旗も動いている。後方で何かが起こったとしか思えなかった。嫌な汗が背筋を流れていく。一騎の騎兵が旗をはためかせて駆けて来る。伝令兵である。

「失礼致します! 晴持様より、至急撤退せよとの由!」

「何があった!?」

「神南山の南方より、敵勢が押し寄せてまいりました! 森山城を攻略しておられた杉重輔殿の部隊は強襲を受けて壊乱! 晴持様が本陣を押し出してこれに当たっております!」

「なぁ……!」

 隆房は絶句した。

 西園寺家も敵に回っている事から、南からの攻撃にも注意は払っていた。神南山は二つの盆地に挟まれた位置にある独立峰で、その前後を肱川と小田川が流れており、山の南側の森山で合流する。そして、その川が流れて行く先には西園寺領の宇和郡がある。西園寺家の兵が大洲に入るには、街道を北上するか川沿いを遡るかしかなく、川沿いに敵が押し寄せて来たときのために森山の城を落とそうと兵を差し向けていた。

 杉重輔は、豊前国守護代の杉重矩の息子であり彼自身も実力ある武将である。

 それが、こうもあっさりと蹴散らされた上に本陣が表に出てこなければならない状況に陥ったとは尋常の事ではない。

「若が危ない……ッ」

 神南山にまで敵の手が迫っている。それは、晴持がいる本陣が攻撃を受けるという事である。しかも、晴持は、本陣を動かして敵に当たるという。その意図するところは、隆房達前線の将兵の退路を確保するという事である。総大将が自ら殿となっているに等しい行動であるが、そうしなければ全滅してしまう。

「敵はどこの手の者!?」

「某が見たのは抱き杏葉の紋で……」

 伝令兵の言葉を最後まで聞くまでもない。その家紋はあまりにも有名だからだ。

「ちくしょう、大友かッ」

 隆房が歯軋りしつつ、前線を見る。

 宇都宮勢と陶勢が今でも激闘を繰り広げているが、それでも突然の撤退命令が影響して急激に押され始めていた。

 ここで兵を引けば、宇都宮勢に背後を突かれてしまう。

「陶様!」

 また、一人伝令兵が駆け込んできた。身体が濡れているのは、川を渡ってきたからだ。

「重見通種様の手の者にございます。ここは、我ら重見の者で食い止めますので、どうかお退きください!」

「はぁ……!? あなた達どうすんのさ!?」

「旧恩を捨てるのは武家の恥と、一同覚悟しております。では、御免!」

 そう言い遺して、伝令兵は再び前線を目指して走っていった。

「あのバカ……ッ」

 通種が大内家に逃れた時、彼を拾ったのは、陶家であった。諸々の便宜を図り、将として生き残る道を与えたのである。通種は、それを恩義に感じているという事であろう

 いや、今はその行為を無駄にしてはならない。ごちゃごちゃと考えるのは後でいい。とにかく、戻らなければ、すべてが手遅れになる。

「全軍撤退!」

 隆房は血を吐く思いで叫んだ。

 

 

 

 □

 

 

 

 神南山の中腹に本陣を置いていた晴持が異常に気付いたのは、杉重輔から伝令兵がやって来たからであった。

 まさに青天の霹靂、異常事態であった。

「大友が、川沿いを遡ってくるだと……!?」

「ぎ、御意」

 バカな、と晴持は一瞬忘我した。

 大友家の部隊が現れるのであれば、大洲の先、八幡浜から来ると予想していた。大洲城を救援する最も確実な道だからだ。

 何故、南から山と川の狭間を通って押し寄せてくる。

「謀られたか」

 大友家の援軍の遅れ、あるいは宇都宮家や旧河野家の残党は見放されたかとも思っていた。そのため、大友家が介入してくる前に早々に決着をつけようと、急ぎの出陣をしたのだが、実はこの地まで引き込まれていただけだったのではないか。

 大友勢がどこから現れたのか。

 八幡浜でなければ、西園寺家の領内から来たに決まっている。

「端から湯築城を捨て、この地を決戦の場にする公算だった、とかか」

 西園寺の領内に身を潜めてこちらの動きを探り、前に出てきたところで挟み撃ちにする。大洲城を攻めるには、どうしても本陣をこの辺りに敷かねばならないから、大友勢ははじめからそれを狙っていたのであろう。

 大友勢は、どうやら小田川を北上するつもりのようだ。それはつまり、神南山の背後の盆地に出るという事であり、そこを取られれば、完全に退路と補給路を断ち切られる事になる。

 ここで、晴持が逃げれば、前線で戦っている将兵のみならず妙見山の河野勢の退路も絶たれて孤立する事になる。

 側面に展開していた杉家の部隊はもう持ち応えられないという。山間の道のため、大部隊を展開できないのだ。そのため小勢でも大勢を相手にできるはずだが、大友勢は巧みな用兵で杉勢を蹴散らそうとしている。

「敵将は誰だ?」

「おそらくは、戸次道雪と目されます」

「大物だな、クソッ……」

 戸次道雪は、大友家でも随一の将だ。それが、背後を取ろうとしていると聞いて、晴持は心臓を死神につかまれたような心地になる。

 だが、同時に納得する。 

 杉勢が単独で道雪に相対できるはずがない。

「山を下るぞ。道雪殿の進路を塞がなくては、全滅だ」

 すぐに判断した。道雪率いる部隊と大洲城の将兵が呼応しているのは、その動きから分かる。

「貝を吹けッ。撤退だッ! 通直にも撤退を報せよ! 隆房達前線の将兵にも伝令を遣わせ! これより本陣は、杉の兵を回収しつつ、山を下って大友勢の道を塞ぐ!」

 晴持は、配下に手早く指示を出し、攻め寄せてくる大友家の軍勢に相対すべく山を下った。

 


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