大内家の野望   作:一ノ一

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その十四

 晴持率いる本隊は、五〇〇〇の兵を掻き集めて神南山の麓に陣取った。神南山の五十崎と呼ばれる地域で、小田川沿いの小さな平地に簡易的な柵を作った。

 対する戸次道雪は、川を挟んで反対岸に陣取った。背後には、大登山が鎮座しており、この地がどれだけ狭い土地であるか分かるだろう。

 杉重輔が時間を稼いでくれたおかげで、盆地への侵入は防げた。後は、隆房達がこちら側の盆地に戻ってくれれば、数の優位で押し戻せるはずだ。

「通直は?」

「すでに撤退を始めております。加えて、兵の一部を割いて、こちらに援軍を送ってくれるようです」

「よし。通直には、退路を確保していてもらわないとな」

 それに、この戦は通直のための戦だ。通直が討たれてしまえば、大内家が伊予国にいる正当性が揺らぐ。通直がいなくなれば、自ずと河野家の当主は晴通になるので、後方の河野家家臣達が寝返る可能性も出てくる。そのため、彼女の安全はなんとしても確保しなければならない。

「重輔殿が参られました」

 家臣がそう言うと、一人の騎馬兵がこちらにやってきた。道雪と激闘を演じ、時間を稼いでくれた将、杉重輔であった。

 重輔は、晴持の下まで来ると、下馬した。

「大友の軍勢を押さえきれず、申し訳ございません……!」

「バカを言うな、重輔。あなたはよくやってくれた。あなたとあなたの家臣達の奮闘がなければ、俺達は間に合わず後ろを取られていただろう」

「もったいなきお言葉……」

「下がって休んでいてくれ。ここは俺達で押さえる」

 そう言う晴持に、重輔は否と言う。

「総大将が戦うと仰るのに、私が休んでいるわけにも参りませぬ。お供いたします」

「そうか。それは心強い」

 重輔が再び馬上に登り、持ち場に戻るのを見送った晴持は前面に展開する道雪の軍容を見る。

 さすがに整然としている。強壮な大友家の将兵の中でも突出した強さを誇る戸次道雪。晴持は、立花道雪という名で知っていた。歴史ゲームの九州武将では飛びぬけて能力値の高い武将なので、歴史に詳しくなくても知っている人も多いだろう。

 特に有名なのは雷を斬ったという伝説。

 晴持の知っている歴史では、立花道雪は、雷に打たれて下半身に障害を持ってしまったと伝わる。そして落雷に打たれた時に、雷(雷神)を斬った事で命拾いしたという伝説があるのだ。

 その際に使った愛刀は、雷切と銘打たれ後世様々な媒体でその名が使用される事となる。

 戦に於いて無双を誇った伝説的な強さを持つ武将は多いが、怪物退治の伝説を残した戦国武将はそう多くない。

 源頼光や藤原秀郷、源頼朝のような平安時代の武将には付き物の怪物退治の逸話も、戦国時代になると戦場での武功の話に移り変わっていく。

 そのような時代の中で怪物退治の伝説が生まれたのは、やはり鬼道雪とまで呼ばれたその圧倒的な力によるものだろうか。

 ちなみに、史実の晴持は七人ミサキのような妖怪扱いである。

 文字通り格が違う。

 そして、この世界では鬼道雪も見目麗しい姫武将であった。

 互いの陣が近いため、その姿をよく見える。九州で道雪を見た事があるという者に尋ねてみると、敵陣の中央の騎馬がそうであるという。

「雷に打たれる前かよ……」

「如何されました?」

「いや、何でもない」

 戸次道雪は、堂々とした騎馬武者であった。身体に不安を抱えているようには見えない。そういえば、道雪が雷に打たれ下半身不随になったという話も聞いた事がない。つまり、目の前の道雪は文字通りの全盛期である。

 杉重輔の部隊と小競り合いを繰り返してきたはずなのに、相手方の将兵は意気軒昂、威圧的な静けさでこちらを見据えているではないか。

 むしろ、その静寂さが恐ろしくて仕方がない。

 晴持は、手の中で軍配を玩びながら、自軍の兵が動揺していないかどうかを具に観察する。幸い、相手が道雪だからといって、兵に怯えがあるわけではないようだ。もしかしたら、その雷名も彼らには伝わっていないのかもしれない。

 晴持の役目はあくまでも時間稼ぎだ。道雪をここに足止めし、隆房ら前線の兵が最低でもこの盆地に戻ってくるという目的を達成するためのものである。

 しかし、妙だ。

「何故、相手は動かない……」

「はあ、それは川を挟んでいるからでは?」

「この浅瀬、乗り越えようと思えば越えられるぞ。相手は、時間をかけていられないはずだ。膠着状態と分かれば河野の援軍だって現れる」

 後方が危険だから河野家が退いたのであって、その安全が確保されれば河野家は再び戦場に兵力を集中する事もできるのだ。

 道雪の部隊が晴持の部隊よりも人数が少ないのも気にかかる。山道を早く駆け抜けるために少数精鋭を選んだというのであれば、それは奇襲部隊であるはずだ。だが、道雪の部隊は奇襲部隊ではない。こうして、がっつりと対陣している点で、拠点占拠を想定した戦闘部隊である。

「それならば、数が少ない。多く見積もっても三〇〇〇人。大友の援軍がこの程度なはずがない」

 大多数が大洲に向かった別働隊ならばこの程度でもいい。だが、それならば、その背後にさらに人数がいるはずだ。

「別、働隊……!」

 晴持は右手を見る。

 山間の道で、川が蛇行しているために入り組んでいる。

 晴持がいる平地は山が引っ込むようにしてできている。そのため、右手は山陰となって見えないのである。その一方で、対岸の戸次勢からは、山陰が見やすい事だろう。

 対陣する敵兵の様子。その前線の兵の視線も、晴持の右手側に動いている者が多数いる。それはつまり、彼らの意識を逸らさせる何かがそこにいる、あるいは迫っているということである。

「右だッ。右から来るぞ!」

 晴持が叫んだ瞬間、道雪の陣から一本の鏑矢が飛んだ。

 

 

 

 □

 

 

 

 戸次道雪が海を渡って四国にやってきたのは、七日も前のことである。

 その時点ではすでに、大内家と結んだ河野通直が四国に凱旋しており、湯築城を奪取せんと方々に書状を出しているところであった。

 大友家の動きが遅れたのは、宇都宮家や西園寺家との調整に手間取ったからである。

 この戦はもともと河野家の内訌という位置付けであり、宇都宮家や西園寺家が積極的に関わる必要のないものであった。

 しかし、そこに大内家が関わってくるとなると、伊予国全域に大内家の影響が広がる事となる可能性が高い。

 情報によると、大内義隆が左大臣三条公頼ら山口に滞在する有力公家を介して伊予介の官位を手に入れようとしているらしい。伊予守護が河野家にある以上、朝廷から得られる官位で伊予国への影響を強めようという狙いであろう。

 こうした大内家の動きから、宇都宮家と西園寺家は手を結んで独立勢力として伊予国内で生き残る道を模索する事になった。

 とはいえ、この二つの家には長年の対立構造がある。共闘するなどもってのほかという意識が根底にあり、大友家を頼る事で合意はしたものの、どのように戦略を立てるかという点では遅々として話が進まなかったのである。

 そうしている内に河野晴通が家臣らと共に宇都宮家に逃れる事態となり、大内・河野連合が宇都宮家の領地にいよいよ侵攻するという頃になってやっと話が動き出した。

 道雪が伴うのは五〇〇〇の兵である。

 八幡浜ではなく、その南の宇和郡に渡ったのは、良港があるからだけでなく、三つの要因があるからであった。

 まず一つ目は、大内勢に気取られないという点。

 大友家としては伊予国の支配権を大内家に取られるのは最悪の事態であるが、それと同時に大内家と伊予国内で睨み合う展開というのもよくない。大内家は、尼子家と好を通じ背後の安全を確保しているが、大友家は頭を大内家に押さえられ、肥後国や日向国に、油断ならない勢力が蠢いている状態だ。伊予国の支援に割ける兵も時間も限られていた。可能ならば、西園寺家、宇都宮家、河野家残党と手を結び、野戦で大打撃を与えたかった。

 二つ目は、西園寺家に釘を刺すという点。

 西園寺家は河野家と領地を接していないために、いまいち危機感が薄い。下手をすれば日和見を始めかねないのである。

 それを防ぐために西園寺家の領内にまず陣を敷いた。

 そして、最大の理由が一条家への牽制だ。

 土佐一条家は西園寺家と度々領土争いを繰り返してきた一族であるが、大内家の総大将として入ってきた大内晴持は、一条家から大内家に引き取られた養子である。

 当主の一条房基は大内晴持の兄だ。房基自身も武勇に優れ、一条家の勢力圏を広げている。弟を支援する、というのは、大内家と結んで伊予国に侵入する都合のいい理由となる。

 大友家が援軍に駆けつけた上で、一条家に対しても余計な行動はするなと睨みを利かす。

 そうした上で、道雪には二つの選択肢があった。

 街道を進み、大洲城を支援する事で、敵軍と正面衝突するか、それとも川沿いの道を遡り、山間を抜けて敵の背後を突くか。

 正面から戦えば、確実に支援できるだろうが勝敗は付けにくくなり、場合によってはこちらが疲弊する。背後から襲えば勝率は上がり成功した時に敵に与える打撃は大きなモノとなろう。ただし、狭い道を行くために危険が伴う。

 そして、道雪は後者を選んだ。戦人としての勘もあったが、この策のほうが面白そうだと思ったのである。

 そうして川沿いに軍を進めた道雪は、神南山の麓にある森山城の攻略に梃子摺っていた大内勢に強襲をかける事で戦闘を開始した。

 神南山には案の定敵の本陣がある。総大将の大内晴持が在陣しているという。

 道雪は逃げる敵兵を追い散らしながら、隊を二つに分けた。

 道が狭く、通りにくい事もあるが、晴持の本陣が山を下る動きを見せたのが大きい。蹴散らした杉家の手勢も、道の狭さを利用しての足止めに徹しており、とても晴持が山を下るまでに盆地を押さえる事はできそうになかった。

 

 

 

「総大将が殿とは珍しい」

 道雪は対岸に布陣する敵陣を見て呟いた。

 杉家の兵を追い散らしている時には、あちらの岸を駆けていた道雪であったが、途中から川を渡って神南山から川を挟んで反対側に移動していた。晴持が逃げるのではなく向かってくる動きをしたからである。

「大洲を攻めている兵を逃がすためですか。なるほど、家中の支持を集めるのも分かります」

 くすり、と道雪は笑みを零した。

 大内晴持と、向き合うのはこれが初めてである。だが、噂は耳にしていた。大内家の神童とまで呼ばれ、奇抜な発想で農機具や肥料の開発、絹の生産などに着手し、大内家の財と名声を増し、そして尼子家との戦いで武人としても名を上げた。

 文の義隆武の晴持とすみわけを行っている点も大内家の結束の一因であろうか。

 先代の大内家当主が何を思って晴持を一条家から養嗣子として引き入れたのかは分からないし、それが義隆の息子という扱いであるのは不思議である。あるいは男系にしたかったのであろうか。疑念は尽きないが、大内家でも中心的な立ち位置を確保している晴持を討てば、その時点で大内家の屋台骨が揺らぐのは間違いない。

 この戦。通直と晴持のどちらを倒しても大友家には大きな利益をもたらすのである。

 晴持の失態は、南に対する防御を迅速に整える事ができなかったという事であろう。もしも、杉重輔が森山城を速やかに落としていれば、道雪は撤退せざるを得なかった。この一点が、大内勢を苦しめている要因だ。

「大内晴持殿ですか。なるほど、いい判断でした」

 尻込みせず、自らの陣を道雪の進路を塞ぐように配した事、そしてその陣が川を挟んだ位置にあり、その上で軍勢が展開できるギリギリの広さの土地を利用しているために、道雪側も陣形に気を配る余裕がない。となれば、数で勝る相手のほうが優位に立つ。そして、時間稼ぎに徹する。もしも保身に走り、彼が逃げていれば、道雪は速やかに追い散らして街道を封鎖し、大洲の兵と共に混乱する敵兵を挟み討ちにして大打撃を与えていた事であろう。

 晴持の陣が道雪の目論見を崩したのだ。

 おまけに晴持自身が戦場にいることで、兵の間には緊張感が漂っている。あの陣にいるのは、大内勢の中でも選りすぐりの人員である。さすがに、大内家の本陣と誉めるべきだろう。

「仁ある方を討つのも忍びないですが、これも戦国の倣いと思いましょう」

 ちらり、と道雪は対岸を見る。大内家の陣ではなく、その右手、道雪からすれば左手だが、山陰になっているところに、遅れていた大友勢が到着していた。

 晴持が山を下り、道雪の足止めに動くなら、陣を敷くのは神南山側なのは目に見えている。ならば、敢えて自分は川を渡り、反対側に陣を敷く事でその目を道雪に引き付ける。その上で、遅らせた別働隊が側面に奇襲をかけるというのが、道雪の狙いであった。

 大内勢は、慌しく布陣し、杉家の兵を受け入れた事で混乱していた。遅れてくる別働隊に気付く余裕はなかったのである。

 道雪は陣中で密かに鏑矢の用意をさせた。

 その時、対岸の晴持が右手に視線を向けた。

 明らかに、その目には焦燥が見える。

「気付きましたか。ますます、ここで討つのは惜しい方です」

 そう言って、道雪は鏑矢を放たせた。

 

 

 

 □

 

 

 

 右手から来る。

 その言葉に反応できたのは、やはり晴持の傍に控えていた者だけであった。空に放たれる鏑矢を何事かと見る大内の兵を威す喊声が響き渡る。

 山陰から大音声を挙げて駆けて来る漆黒の一団を率いるのは、黒髪の姫武将、大友家中の小野鎮幸。高らかに名乗りを上げて突撃してくる。

 「剛勇にして智謀あり」と謳われ、道雪が「奇正相生」を引用して「奇」の将、つまり奇策を司る将として賞賛した武将である。有名な子孫はオノ・ヨーコ。正史に於いては、まだ戦場に出る年齢ではないはずだが、この世界ではどうもその辺りが狂っている。そもそも武将が女性という点でおかしいが、鎮幸の名を知らなかった晴持は気にもならない。

「さあさあ、大内侍、派手に一戦行こうじゃないか!」

 槍を振り回し、自ら先頭に立って大内勢を蹴散らす鎮幸に、大内家の兵は悲鳴を挙げて崩れていく。

 奇襲を受けた大内勢の間に恐怖が伝染していく。悲鳴が伝わり、血飛沫が舞い、陣が押し込まれる。

「そらそらそらァ! この小野鎮幸を止められる者はいねえのか!?」

 挑発しつつ、大内勢の陣を右から左へ押していく。大内兵はすっかり肝を潰し、右も左も分からない状態に追い込まれていた。

「鉄砲を」

 その状態を見た晴持が隣に従っていた鉄砲持ちに手を差し出す。烏に属するその兵は、意図する事が分からないまま晴持に鉄砲を渡した。

 鉄砲を受け取った晴持は、鉄砲の銃口を斜め上に向けて、引き金を引いた。

 爆音が轟き、戦場を伝わっていく。

 その音は、鎮幸が生み出した狂騒を上回り、塗り潰した。

「お前達何を怖気づいている! よく見ろ、五〇〇もいないじゃないか! 地に足つけて押し戻せば、怖くないだろ!」

 五〇〇もいないというのは、誇張である。実際は、一〇〇〇はいるだろう。しかし、平地で、しかも道そのものが狭いので、軍勢を展開できず一〇〇〇人も五〇〇人も変わらず、しかも高みから見ている騎馬兵でなければ、その全体像が見えない。

 鉄砲の音に頭を殴られたようになった兵達は一様に狂乱から冷めて体勢を立て直そうとした。その一方で晴持が放った銃声は、鉄砲に慣れていない鎮幸の隊の動きを萎縮させた。騎兵の中には馬が驚いて暴れ、振り落とされた者もいた。

「如何にも、若殿の仰るとおり。大友侍など恐るるに足らず。奇襲に怯えて逃げ散る大失態を演じたはどこのどいつだ?」

 と、前線の将が叫ぶと、そのような恥知らずはおらんとばかりに将兵の目に光が戻る。

「押し返せェェェッ!!」

 鎮幸の部隊に、大内勢が反撃を開始する。

 斬り込んだ鎮幸が危うく取り囲まれそうになるところに、家臣が槍を突き出して大内勢を近づけまいとする。互いに隊列を組んで、槍を振り下ろし、打ちのめす小競り合いとなった。

「ハッ」

 鎮幸が壮絶な笑みを浮かべた。

「そうこなくちゃなッ……とぉ!」

 槍と槍が打ち合わされる。鎮幸に斬りかかるのは杉重輔だ。

「あんたは確か……」

「先ほどは情けない戦を見せてしまい申し訳ない。私が名は杉重矩が一子重輔。拙い槍ではあるが、馳走しよう」

 一合、二合と槍を合せて、互いに手綱を引く。

「いやいや、謙遜だな。嬉しいぞ。剛勇の士の首は自慢になる」

「私の言葉だな、それは」

 重幸が身体を張って奇襲部隊を押さえた。

 これで、奇襲の勢いはそぎ落とした。

 しかし、安心してもいられない、奇襲だけで済むほど優しい戦ではない。目と鼻の先に、敵の本隊が整然と並んでいるのだ。

「乱れた隊列を立て直せ!」

「若様、前方敵先鋒、来ます!」

「木楯を構えろ! 内藤!」

「承知! 弓隊構え! ――――射てッ!」

 号令と共に、矢が一斉に放たれる。空を斬り裂く甲高い弓弦の音がけたたましく鳴り響き、敵味方問わず互いの矢に当たったものは倒れていく。

 そして、轟音が鳴り響く。

 烏の鉄砲隊が、二〇の鉄砲を敵陣に叩き込んだのである。音の数だけ屍が生まれ、小田川を紅く染める。

 だが、戸次勢止まらず。精強な戸次勢は、鉄砲の音に萎縮した者もいたであろうが、道雪の喝のほうが何倍も効いたと見えて、雄叫びを上げて大内勢の前面に喰らいついた。

 鉄と鉄を打ち合わせる音が至るところで鳴る。

 その戦振りを見て、ギリギリだな、と晴持は奥歯を噛む。前線の兵はよく持ちこたえている。川岸に敷いた即席の柵と槍で押し戻している。とはいえ、側面から襲われているという恐怖が常に付きまとっている中で前面にだけ集中できていない。

「敵右翼に動きありッ!」

 見れば分かる。道雪の傍にいた厳つい武将が彼女の傍を離れて一隊を率いて別に川を渡ろうとしている。こちらの左側面を狙い、三方向から挟んで殲滅するつもりだろう。

 しかし、それはこちらも同じ事を狙っていたので対応は早い。

「若様、わたしがッ!」

「隆豊頼むぞ!」

「はい」

 隆豊が馬を駆って離れていく。

 その少し後で、隆豊率いる五〇〇人の兵が、ほぼ同数の敵右翼と川岸で衝突した。

「隆豊の相手をしているのはなんと言う武将だ?」

 隆豊は見た目に反してかなりの実力を持つ武将だ。突出したものはないが大抵の敵には安心して当てられる高水準で安定した万能性もある。その隆豊をともすれば押し込もうとすらしている屈強な兵を率いる武将は何者だ。

「大友家中由布惟信でございます!」

「また、聞き覚えのある名だなッ」

 道雪配下でもとりわけ名の知られている武将だ。こちらは晴持でも知っていた。

「隆豊を信じるしかない。……矢を射掛けるのを忘れるな!」

 隆豊と重輔が側面を押さえてくれているおかげで持っている。しかし、それは本隊に兵力を集中できていないという事でもある。

 晴持の本隊は、奇襲の乱れから立ち直り、続けて惟信の別働隊にも素早く対応した。防御陣形もきっちりとしている。だが、しかしそれは極一般的な武将を相手にするものでしかない。超一流の武将、戸次道雪を相手にするには、定石に過ぎた。

 道雪が開戦と同時に注視したのは、鉄砲の数と位置、そして特性である。そして、多くの鉄砲が連射しておらず、殺傷性の高さに比べて連射性能に劣り、それゆえに戦場を支配できるだけの火力には繋がらないという事も読みきっていた。

 また、鉄砲は致命的な事に、乱戦では使えない。

 距離を取っていては兵の士気があの轟音に削り取られてしまう。音が気にならないくらいの乱戦に持ち込み、鉄砲そのものを封殺する。

 道雪自ら槍を持ち、敵陣にできた僅かな隙を見定めて突撃した。

「マズイッ」

 道雪が自分で馬を駆って突撃してきた。その勢い、力があまりにも凄まじく、前衛が切り崩された。

「若様。お逃げください!」

「ここはわたし達が!」

「道雪が来るぞ!」

 本隊が混乱状態に陥った。味方が圧倒され、押し潰されていくように陣形が変形する。そのため、晴持は逃げようにも逃げられなくなった。味方に退路を絶たれているのだ。

「覚悟を決める」

「わ、若様ッ!?」

 悲鳴のような声が上がった。

「お、お待ちください。まだ早ようございます! 諦めてはなりませんぞ!」

 そう言い寄ってきた老将に眉を顰めて言う。

「誰が諦めるか。俺が言ってるのは、ここで道雪と戦うって事だよ!」

 槍持ちから槍を引っ手繰るように奪うと、晴持は毅然とした表情で切り込んでくる道雪を睨み付けた。

 晴持の覚悟に老将は涙すら流し、お供しますと槍を携える。

「総大将がこうして敵と槍を構える展開をどう思う?」

「少なくとも勝ち戦ではないでしょう」

 隣の内藤隆春に話しかけると、険しい表情でそのように言った。言葉少なに、現状を正直に語っていた。

「相変わらずだな。もう少し冗談を交えられんのか」

「性分ですので」

「そうかい」

 それはそれでいいかと、晴持は頷く。

「さて、ここが正念場だ。道雪殿を押さえる! 前進だ!」

 晴持自ら槍を構えて馬を走らせる。混乱する味方の兵を押し退けて、最も精強な大内家の直臣団が前面に出て道雪の部隊を交戦を始めた。

 

 

「オオオオオオオオオオオオオッ」

 耳を劈く大音声で、晴持達は道雪に突っかかる。道雪の隊も突出しているために数が多いわけではない。大内家の屈強な侍で構成された非常に硬い部隊であり、それがぶつかったのだから道雪もこれまでのように敵を押し潰すような圧倒的な武威は示せない。

「混乱していない自らの供回りを前に出してわたしを押さえる算段ですか。なんとまあ……」

 自分の主にはない苛烈な戦い方に舌を巻いた道雪は、尚も馬を前に進める。槍を突き、振り回して襲い掛かってくる敵兵を薙ぎ払う。

 その力はいっそ神々しいくらいであった。

 対する晴持は愚直に道雪の兵を打ち倒していく。圧倒的という感はないものの、積み上げた修練の結果が道雪の屈強な兵に血を流させている。

「大内晴持殿ですね。諸事情により、討たせていただきます」

「戸次道雪殿。お噂はかねがね」

 道雪の槍と晴持の槍がここに激突した。火花を散らし、打ち合ったのは初撃の一回。次は道雪の槍が蛇のように晴持の槍に絡みつき、その動きを押さえ込んだ上で心臓に突きこまれてくる。それを、晴持は左手の籠手で受けて逸らす。籠手の表面に焼け焦げたような焦げ跡が刻まれた。

 冷や汗を流す間もなく、晴持は己の槍を右手一本で操り、撓る柄で道雪の小柄な身体を打ち据えようとする。道雪はそれを身を屈めてかわした。

「いやはや、さすがですね。鬼道雪殿」

「あらいやですわ。こんなうら若き乙女を捕まえて鬼だなんて」

 傷ついたような表情を見せながら、道雪は無造作に槍を打ち込んでくる。

 晴持は道雪の槍の下に柄を滑り込ませて上に跳ね上げた。

「できる事ならば表情と行動を一致させていただきたいですね。せっかく美しいお顔立ちなのに」

「ふふふ、そのように口説かれたのは初めてです。気恥ずかしいですね」

 轟、と槍が晴持の身を屈めた頭の上を擦過していった。一瞬判断が遅ければ、トマトめいて頭部を破砕消失しているところであった。

「だから、表情と行動を一致させてくださいと言っているんですよ」

 あるいはそれも相手の油断を誘う技なのか。

 だとしたら、いい性格をしている。

 本当に、冗談抜きで美人だから性質が悪いのだ。

 

「大内の若造が道雪様を口説いただとォ……ッ!」

「首を落として三崎灘辺りに沈してくれるわッ」

「色狂いの艶福家がァ。ここで死に曝せッ」

 まったく晴持の意図しないところで、かなりの反感を買ってしまった。晴持は、襲い掛かってくる戸次勢の男衆に半ば唖然とする。

 反論しようとする晴持の言葉をかき消すほどの怒声が大内勢から放たれる。

「若をお守りしろ! これ以上近づけるなッ!」

「若様に不細工が伝染ったらどうするのよッ。下がれ下がれ、この脳筋共ッ!」

「嫉妬が見苦しいのよ筋肉達磨ッ! 臭いわッ!」

「言い寄るなら戦場以外でどうぞ」

 槍や刀のほか、拳まで交えて乱闘が勃発した。

 罵りあいは戦の基本とはいえ、売り言葉に買い言葉で熱を帯び、その争いは際限なく激しくなっていく。

 

「いい具合に、皆戦意を高めていますね」

「これがいい具合に見えるのなら、一度医者にかかられることをお勧めしますよ」

 事ここに至って、まだ笑っていられる神経に呆れる。

 晴持にはまったく余裕がないというのに。

 晴持を援護しようとする家臣達もそれぞれの相手に手一杯になりつつあるし、道雪に軽くあしらわれてしまっている。晴持を相手にしながら、周囲の大内勢も一緒に打ち払っているのだ。これが、九州最強の武将か。尋常のものではない。

「ッ……!」

 道雪の槍が、晴持の肩に突き立った。鎧が割れ、血が噴き出し、痛みに頬が引き攣る。身体が仰け反ったおかげで深くは刺さらなかったのが不幸中の幸いだ。

 本当に強い。正面からでは勝てる気がしない。

 が、しかし、晴持の左手、盆地のほうからやっと河野家の手勢が押し寄せてくるに及んで天秤が動いた。

「道雪様ッ! 敵の援軍ですッ!」

 そこに駆け込んだ敵の伝令兵が、晴持が競り勝った事を告げた。

 ふう、と道雪はため息をついて、肩を落とした。

「残念です。さすがにこれ以上は、残れませんね」

「残っていってくださっても結構ですよ。歓待しましょう」

「わたし、殿方のお誘いには乗らない事にしているんですよ」

 そう言って、頬についた血を拭う。

「それでは晴持殿。お身体にはお気をつけて。その肩の怪我も放って置けば命に障りますよ」

 そうして、道雪はすばやく兵を退いた。

 駆けつけてくれたのは村上通康であった。通直がしっかりと退路を確保し、隆房達が戻ってくるための道を守りながら、大洲城からの追撃兵にも目を配ってくれたので、撤退はうまくいったらしい。

 戸次勢に押し込まれた大内勢は、道雪を追撃する余力が残っていない。

「ぐ、つぅ……」

 安堵したためか、晴持は血の気が引いていくのを感じた。血を流しすぎたらしい。肩の痛みも気にならないくらいに気分が悪くなり、そのまま意識を手放す事となった。


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