大内家の野望 作:一ノ一
死屍累々の有様であった。
戸次道雪は、穂先に付着した血を紙で拭い取り、戦場を見渡した。
前後に渡って、一条軍の死者が転がっている。
一条家を筆頭とする土佐の軍勢は、道雪の軍勢と睨みあい、散発的な小競り合いを数日続けた後、大規模な合戦に突入した。
戦いは三刻に及び、激烈なものとなったが、一条房基の本陣が奇襲されるに至って敵勢は壊乱状態に陥った。
長曾我部勢や本山勢が懸命に奮闘したものの、瓦解した戦線を維持できず、道雪の突撃を受けて散々に追い散らされてしまった。
この一戦で、一条家の国力は大きく低下したはずだ。しばらく、大規模な軍事行動は取れないだろう。
「道雪様。河野晴通、宇都宮豊綱両名、討ち取られたとの由」
「そうですか」
これといって、表情を変えることなく道雪は返答した。
「大内晴持はやはり生きていたようです」
「そうでしょう。晴通殿も豊綱殿も迂闊に過ぎます」
分かっていて、止められなかったのだから、道雪もこの敗戦の責任を背負う事になるだろう。しかし、状況は逼迫していた。端から敗戦の色が濃い戦であった。敗北は仕方がない。よって、晴通の救援よりも、如何に、大友家の存在感を示すかという事が重要になった。
収穫がなかったわけではない。土佐国に楔を打ち込む事ができたわけだからすべてが無駄だったわけではない。
一条家がこの戦いの後にどのように動くのかは予想できないが、その配下にいる国人達は俄に活動を活発化させるであろう。
すでに、長曾我部家や本山家が道雪に戦勝祝いを密かに届けている。
大内晴持と長曾我部元親。この二名の将器は、道雪も目を見張るものがあった。大内家の屋台骨と、今後の成長が大いに期待できる土佐国の隠れた猛将。
「早々に撤退するのが吉ですね。この戦は骨折り損ではありませんでした。それが分かっただけでも、良しとしましょう」
「承知しました……全軍撤退だ! 荷を纏めろ!」
寸分の領地も得る事ができなかったのは仕方がない。大内家の影響力増大も防げなかった。道雪は大内家に多大な損害と恐怖を与えたが、局地戦で勝利しただけで全体では敗北したという事になるか。
大内家とは、しばらくは上手くお付き合いしていく事になりそうだ。
この二日後、道雪は四国から立ち去って行った。
□
敵の大将首を挙げた大内・河野連合軍は、大勝利の余勢を駆って大洲城を攻略した。
旧伊予守護家の宇都宮家はここに滅亡し、時を同じくして西園寺家が臣従を申し入れてきた。これで、河野通直に従わない勢力は、石川家が領有する宇摩郡と新居郡の二郡のみとなった。
河野家は、正式に大内家の傘の下に入る大名として組み込まれ、大内家の勢力が四国に浸透する足がかりとなった。
懸念すべき、今回の戦で晴持の兄が大敗を喫したことである。
土佐一条家と大内家が結べばそれだけで四国の半分を領有する事になる。しかし、その一条家の勢いに陰りが見えるとなれば、隣接する伊予国の河野家も心中穏やかではいられない。
ともあれ、問題は山積しているが、大内家が直接介入する戦は一旦終了した。
伊予国が温泉大国であるというのは言わずもがなであろう。
とりわけ、湯築城のすぐ近くにある道後温泉は、紀元前一〇〇〇年から数えられる歴史を持ち、聖徳太子が滞在するなど、格式も高い。
通直が無事河野家当主に就任し、新たな体制で統治が始まった事を祝し、また大内家と河野家の繋がりがより深くなる事を祈念して大々的な宴が催された。
酒や食事に贅を尽くし、歌に踊りにと連日連夜続いた宴の後、主要な将は河野家が管理する温泉に浸かっていく事となったのである。
「この温泉には白鷺伝説ってのがあってね」
案内された施設の前で通直が話しだした。
「昔、足を痛めていた白鷺が、ここの湯で傷を癒したって話なんだけど、知ってる?」
「いや。そんな伝説があったのか。知らなかったよ」
晴持の知識では道後温泉の象徴は白鷺となっている。前世で一度訪れた温泉宿だが、当然ながら戦国時代の道後温泉とは外観も中身も大分異なっている。しかし、地形は記憶にあるままなので、どうにも不思議な気がしてならない。それは、この土地にやってきてから度々思う事だが、前世の記憶と今の記憶の差異を見つけるのも、なかなか楽しいものである。逆浦島太郎の気分だ。
「湯治にはぴったりでしょ」
「なるほど、確かにな」
傷が癒えるという伝説があるのなら、肩の傷にも効くかもしれない。
「平時は麓の守護所とかにも湯船があるんだけどね」
「再建は急がないといけないな」
湯築城周辺は、今回の騒乱で焼き払われている。もちろん、防衛設備のない城外の館なども焼き討ちにあった。
「そうそう。せっかく温泉が出るんだもの。他にはない街づくりをしていかないとね」
破壊された街を建て直すのも、新たに伊予国を治める立場となった通直の役目である。
「そういうことで、今後の事も大内家と連携していきたいから、後でまた話してもいい?」
「ああ。伊予との連携はこちらも考えているところだしな」
大内家の本拠地と河野家の本拠地は瀬戸内海を挟んで向かい合っている。船での交流になるが、そこも村上家を押さえた今問題にはならない。
船は陸路よりも多くの財を一度に運べるので便利だ。畿内と博多を結ぶ海路として、瀬戸内海は重宝する。
「じゃ、また後で。ゆっくりしてってよ」
にかっと笑って、脱衣所の前で通直は晴持の怪我をしていないほうの肩を叩いた。
これも河野家からの心づくしというものだろう。
晴持はいそいそと服を脱いで、温泉に向かう。
城という限られた空間に設けられた当主及び重臣のための空間があるという。晴持は、そこを自由に使っていいのだとか。
温泉らしい温泉に入るのは、戦国時代ではかなり難しい。湯浴み自体が、高価な時代である。天然温泉ほど贅沢なものはないだろう。
晴持が湯殿へ向かおうと戸に手をかけた時、その奥に人の気配を感じて動きを止める。
「む……」
温泉を利用できるのは、ごく一部の者に限られると聞いている。侍大将程度では、この湯殿は利用できないのであり、大内家と河野家の重臣だけが利用を認められている。
ならば、この奥にいるのは重臣の誰かであろう。
貸切ではないのか、とも思ったが、温泉を貸切というのも味気ないような気もする。やはり大人数で楽しんでこその温泉だろう思うのは、晴持がそもそもこの時代の人間ではないからか。
いや、もしかしたら背中をお流ししますという展開も、無きにしも非ず。
期待してしまうのは、男ゆえ致し方なし。
生唾を飲んで、戸を開け放つ。
溢れ出る湯煙。
真白に染まる桃源郷への入口。
熱い湯で温められた熱気が一気に噴き出し、晴持の身体を焦がす。
そして、湯煙が拡散し、晴れ渡った先にいたのは――――
「なんだ、大内の若旦那じゃねえか」
デェェェェン。
現れたのは、筋肉モリモリマッチョマンの村上通康であった。
通康は肩に手拭いを引っ掛けて、日に焼けた筋肉を惜し気もなく前面に押し出していた。もちろん、普段は隠すべきペンデュラムも湯殿に於いては束縛を受けるべくもなく、自由の戦士たるの象徴として、常ならぬ輝きを放ちぶら下がっていた。
「なぜ、貴様なのだァァァァ!」
晴持は右ストレートを放とうと拳を固めるも、肩が上がらずに断念した。
その代わりに上段蹴りを放つ。
「おおう、いきなりご挨拶だな若旦那よぉ。ちょいと先に入ってただけじゃあねえか」
歴戦の猛者である通康は晴持の蹴りを容易くかわした。
「ふ、甘いな、若旦那。今のあんたじゃあ、俺には一発も入れる事はできねえ」
「何ッ」
晴持はキッと通康を睨み付けるも、その屈強な肉体美に圧倒されかける。晴持も鎧兜を身に纏い槍を扱う武人であるので、筋肉は発達しているが、荒くれ者共と海を渡る海賊の棟梁でもある通康には及ぶべくもない。
とはいえ、あっさりと避けられたのは癪に障る。
「おおっと、筋肉は関係ねえぜ。いや、もちろん若旦那のそれよりも俺のほうが幾分か鍛え抜かれているってぇのも事実だがな。だが、それ以上にどでかい差があるんだな、これが」
「でかい、差だと……!」
晴持は筋肉と上背以外で劣る部分を探る。反射、経験、技のキレ、どれをとっても隆房との訓練で培い、実戦でも槍を振るった晴持のそれは平均値を大きく上回るはずである。
ならば、やはり肩か。あの一瞬、肩を庇った事で蹴りが入らなかったのか。
晴持の思考を読んだのか、通康は、ふっ、と笑った。
「肩の怪我も関係ねえんだな」
「そんな事があるか。あんたがいくら歴戦の猛者とはいえ、俺だって戦場を駆けた武士だ。大きな差があるなどと言われても納得がいかないッ」
「ふん、だったら問おう。どうして腰布などを付けているのかと!」
通康は腰に手を当てて、晴持の下半身やや上を指差す。
「ぬ……!」
山口の湯殿ならばまだしも、見知らぬ土地ゆえについつい腰布を巻いてしまっていた。しかし、これはマナーでもある。誰かが湯殿にいると分かっていれば、とりあえずは巻くものだ。まして、女性がそこにいてくれないかと期待していたのだから当然であろう。
「バカを言うな。この程度で差が生まれるか」
「一糸纏わぬこの姿に後れを取った事実。若旦那。あんたは、無意識のうちに腰布が落ちないように自分の動きを押さえていたんだよ。すべてを放り出した姿に、そのような中途半端な格好で及ぶはずがねえ」
「畜生め、説得力があると錯覚させられる不思議がある」
確かに蹴りを放つときに腰布が落ちないように意識していたような気もする。その僅かな意識の間隙こそが、晴持の技のキレを損なわせたというのか。
「湯殿は自由の国! 規則、常識、体面、羞恥心、そんなもんに支配されたあんたじゃあ、この俺を倒す事はできねのさ!」
「適当言いやがって、つーか、腰を振るんじゃねえよ!」
「HAHAHAHAHA まあ、そう慌てなさんな。再挑戦を受けてやりたいところだが、俺は今すぐに来島に待たせている嫁のところに帰らなきゃならねえからな。若旦那、自由を取り戻せたら、相手してやるぜ」
通康は、晴持の肩を叩いて、サムズアップ。高笑いして背中を向けて去っていく。
「若旦那よぉ。男は湯殿か布団の中でこそ真価を発揮するべきなんだぜ」
最後にそういい残して、通康は消えていった。
「通康、今から来島に帰るのか」
晴持達大内勢も、近日中には来島を経て本州に帰還する。通康は、嫁に会いに行くと言ったが、大内勢を送り出す準備をする必要もあるため、一足早く湯築城を後にするのである。
「一気に疲れたじゃないか……」
ため息をつき、晴持は軽く身体を洗ってから、湯船に浸かった。
「傷、ずいぶんとよくなってきましたね」
晴持に宛がわれた部屋で、隆豊が晴持の肩に包帯を巻きながら、そんな感想を漏らした。
「そう見えるか?」
「はい。とても、よくなっていると思います。傷口も乾いてきましたし」
「じゃあ、もう少しだな」
「はい。あと一月もすれば、きちんと塞がると思います」
一時は本当に死にかけた事もあり、この傷には大変な目にあわされたが、そのおかげで敵を殲滅する策を立てられた事もあり、図らずして災い転じて福と為すを実践する形になった。
「一月は長いな」
「湯治で治りが早くなったかもしれませんよ」
「そうだといいけどな」
白鷺伝説が事実だといいなと淡い期待をかける。若いので自己治癒能力も高いはずだ。とはいえ骨のほうの問題もあるので、傷が塞がってもしばらくはリハビリを続ける必要はあるだろう。
もっとも、罅程度であれば、そこまで気を張る事もないだろうが。
痛み止めがないので、鈍痛は未だに肩の奥に響いている。それがなくなってやっと完治したといえるのだろう。
「若旦那、いる?」
そこに声をかけてきたのは通直である。
「ああ、いるぞ」
「入っていい?」
そう尋ねてきたので、構わないと答えると通直が障子戸を開けて室内に入ってきた。
「あ、隆豊殿もいたんだ。そうか、包帯か」
「はい。さすがに、若様お一人ではきちんと巻けませんので」
「そっか。傷の具合はどう?」
通直が尋ねてきたので晴持は、順調、と答えた。
「それでも、一月はかかるらしいけどな」
「あの戸次道雪と一騎打ちして命を拾っただけでもすごい事だよ。四海に名を轟かせたね」
「大げさだよ。それに、打ち勝った訳じゃない。河野勢の援軍がなければ、討たれていただろうし」
それが、今の晴持の限界であった。
戸次道雪の強さは別次元にも思えた。隆房なら、とも思ったが、鍛錬に付き合ってくれる隆房とも本気で殺し合った事があるわけではないので、比較してよいものかどうか。
今後、道雪を相手にするには、道雪に匹敵する猛将の加入を待つかあるいは陣城を設けて鉄砲や弓矢で敵陣を消耗させるなどするべきではないか。
「若様。今後はあのような危険な行いは厳に慎んでください。若様に何かあっては、大内家は立ち行きません」
「あの時はああするしかなかっただろう。まあ、俺も死にたいわけじゃないし、今後はああならないように注意するさ」
「はい……」
隆豊も、あの時晴持の傍にいながら、晴持が危険を冒さざるを得ない状況に陥った責任を感じている。
晴持の傍で戦った者が皆、晴持の武勇を自慢しながらも、その怪我に関しては思うところがあるのである。
「河野のために出兵してくれたのに、こんなところで死なれたら、寝覚めが悪くて仕方がないよ。若旦那が無事でよかった」
そう言って、通直は晴持の前に座った。
「そうだ、通直。こんな時間に来て、どうしたんだ?」
「これからの事で、話があるんだ」
「ああ、さっき言ってたヤツだな」
湯殿に向かう前に、大内家と河野家とで今後どのように連携していくか後で話をすると言った。
「うん。で、いろいろと考えたんだけど、やっぱり河野家が大内家に臣従する証は立てたほうがいいと思って」
「む、なるほど。まあ、確かにそのほうが周りの目もあるし、確実に治まるだろうし、大内家としても願ったり叶ったりだが、いいのか?」
大内家に臣従する証を立てるという事は、今後河野家が独立した大名として勇名を馳せる事はないという意思表示になってしまう。
伊予国を大内家が支配するに際して、これほど都合のいい話はない。
「あの、それで証というのはどのようなものなのでしょう?」
隆豊が通直に尋ねた。
一般的に同盟などをする時には、一族の誰かを人質に出すものである。しかし、今回の河野家の内訌で、晴通に就いた河野予州家は一気に没落した。河野宗家からも人質に出せる人間がいないとなれば、人質政策は使えない。
「だから、今夜はその相談に来たんだ。大内家が受け容れてくれるかって事もあるから。若旦那、人払いを頼んでいいかな」
晴持はいぶかしむ。この部屋にいるのは隆豊だけである。人払いを頼むという事は、隆豊にも聞かれたくない話だという事だ。
邪魔だと言われた様なものであり、隆豊は不満げに表情を曇らせるも、徐に立ち上がった。
「ごめんね、隆豊殿」
「いえ、これも大内家のためですから。それに、若様ですし」
隆豊は、諦観したような表情で笑った。
「あんたも苦労するね」
「今後はあなたもその一員ですよ。それに、義隆様が否を唱えるかもしれませんし」
「そ、その時は口添えしてもらえるとありがたいかな」
「ふふ、その時が来たら、考えます」
珍しく隆豊は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「それでは、若様。今宵は失礼します。傷に障らぬ程度に、ゆるりとお過ごしください」
そう言って、隆豊は晴持の部屋を辞した。
晴持は、隆豊の奇妙な物言いに首を傾げつつ、通直に問い直す。
「それで、話の続きをするか」
改めて通直に向き直る。通直は、少し身体を縮こまらせて、
「うん、それでね、その、あれよ、わたしを若旦那の妾にでもしてもらえばいいんじゃないかなー、なんて……思ったり……ね」
頭の後ろを掻きながら恥ずかしそうに通直は、頬を紅くして言った。ろうそくの灯りに照らされていても、それと分かるくらいだった。
一瞬、何を言われたのか分からなかったが、要するに、
「婚姻同盟ってヤツか……」
通直は頷いた。
「う、うん。うちはもう、大内家の後ろ盾がないとどうにもならない状況だし、若旦那ももうじき四国から帰っちゃうでしょ。だから、もう、この機会しかないし」
指を絡ませてもじもじとする通直は、如何にも場慣れしていない感が出ている。普段は元気に溢れる姫武将だが、こうした姿を見ると非常に愛らしい少女だという事が分かる。
「通直がそれでいいのなら、俺が断る理由もない」
「そ、そう。じゃあ、決まりって事で……不束者ですが、今後ともよろしくお願いします」
通直は、晴持に身体を寄せて、軽く口付けた。
「あの、それと。わたし、経験ないから、優しくしてもらえると助かるんだけど」
「そういう事を言われると、優しくできないのが男の性なんだけどな」
晴持は通直を抱き寄せると、そのまま布団の上に押し倒した。