大内家の野望 作:一ノ一
周防国山口。
中国地方の大大名である大内の当主が代々居住し、文化事業を行った事で大いなる繁栄を遂げた西の京。
いまや、戦乱で荒廃した山城の京以上に文化が盛んであり、焼け出された公家や僧侶が庇護を求めてやってくるほどである。
その文化事業に熱心に取り組んでいるのが、当代の大内家当主大内義隆であった。
その義隆は今、目を怒らして仁王立ちしている。
見下ろしているのは、正座している大内晴持であった。
「何か言う事は?」
「ありません」
帰国後、晴持は大内家の重臣達から歓声と共に迎え入れられた。
大内家の次代を担う若殿が、安芸国に続いて伊予国まで落としたと。おまけに、大友家の懐刀である戸次道雪と一騎打ちを演じ、策を弄して宇都宮家と河野家の反乱分子を一網打尽にしたというのは武家の誇りと誉めそやされた。
そうして気分よく凱旋帰国を果たした晴持を待っていたのは、義母であり義姉である義隆の詰問であった。
「総大将でありながら我が身を楯にして道雪と打ち合い、帰国間際に河野家と姻戚関係を結ぶ話を受けたわけね」
「はい、そうです。義姉上」
「まったく……」
ふるふると義隆は身体を小刻みに震わせた後、口を大きく開いて叫んだ。
「いったい何をしてるの! あの道雪に一騎打ちだなんて、一歩間違えば死んでたのよ! 肩の傷だって、命に関わったかもしれない。大内家を背負うあなたに万一があったらどうするの! 笑い事じゃあないの!」
「しかし、あの時はああする以外に道はなく……」
「だからって総大将が自分から身体を張ってどうするのよ! それはおかしいでしょ!」
「まあ、確かに余り例がないとは思いますが、しかし先例が皆無というわけでも」
「援軍に行った先で晴持が首になって帰ってきたなんてことになったら、本当にどうしたらいいか。心配したのよ!」
義隆は思いのたけをぶつける間に気持ちが高まったのか、目尻に涙を溜めている。
それほどまでに、我が身を案じてくれていたのかと晴持は感動し、彼もまた涙ぐんだ。
「申し訳ありません。義姉上。ご心配をおかけしました」
深々と頭を下げる。
今はただ、謝る以外の方策が思いつかなかった。
義隆はため息をつき、それから、
「河野通直の事は仕方ないから認めるわ。それも大内家のためだしね」
「ありがとうございます」
通直が正式に晴持の妾になったことで、河野家は大内家の威光の傘下に納まる事となった。そして、義隆は晴持達が伊予国に出兵している間に、山口に滞在している三条公頼を介して伊予介に任官している。政治的な駆け引きは義隆の得意とするところで、伊予国に攻め入る大義名分を得ていたのである。その上で、今度からは幕府に掛け合い伊予守護となる予定でいる。そして、河野家は伊予守護代となり、伊予国を治めていく事になるだろう。
「あなたの活躍のおかげで伊予が手に入り、内海の支配権は大内家のものになったわ」
そう言って、義隆は微笑んだ。
「お帰り晴持。お疲れ様」
「ただいま戻りました。義姉上」
□
「セイッ!」
鋭く呼気を吐き出し、先端が丸くなった、鍛錬用の槍を突く。
隆房の日課となる槍術の鍛錬。山口に戻ってからも、それは続けていた。
膂力も技のキレも、おそらく大内家中で最も秀でている。そう、自負している。陶家は大内家に仕える臣の中でも筆頭の家格を有する重臣だ。古くは多々良姓であり、隆豊の冷泉家と同じく大内家から別たれた支流の一つである。
大内家の屋台骨。その自覚があるからこそ、隆房は槍を握る。戦は好きだが、それが誰のための戦なのかという事は常に意識している。
朱塗りの槍を、振るう。足を払うように。次いで、体重を乗せて突く。鎧を穿ち、心臓を貫くように。脳裏に描き出すのは戸次道雪の戦装束だ。
想像の中の道雪は、隆房の槍をいなし、弾き、一刺たりとも受けてはくれない。
正面から戦って、負けるとは思わない。けれど、勝てるとも思えない。そのせいで、隆房は鍛錬の中で感じた事のない苛立ちを覚えずにはいられなかった。
撓る槍が空気を切り裂き、弾けるような風きり音を出す。
常人がこの槍を受ければ、柄の部分で叩かれただけで骨を砕かれて死に至る。それほどの威力があるはずなのだが、一流の武将を相手にするには、まだまだ足りない。
「遅くなった、隆房」
そこに現れたのは、晴持だった。
「もう、始めていたのか?」
「ただの準備運動だよ、若」
隆房は槍の石突で地面を突き、額に滲む汗を拭った。
「それよりも、もう始めて大丈夫なの?」
「肩の事なら心配要らない。傷は塞がったし、痛みもなくなったからな。そろそろ本格的に動かしていかないと、固まってしまってダメなんだ」
「そっか。よかった」
隆房はほっとして、それから胸の中の蟠りが解けていくような気がして首を捻る。
「どうかしたか?」
「いや、なんでもない」
隆房は首を振る。知らず、苛立ちも収まっていた。
隆房の前では晴持が袖をまくって隆房と同じ槍を構えている。
「じゃあ、始めよっか。若」
「よし来い、隆房。今日は勝ち越す」
「ふふ、まだまだ若には負けないよ」
そうして笑って、晴持と隆房は槍を打ち合った。
八戦しての戦績は、五勝三敗。またしても、隆房の勝ち越しであった。
槍を打ち合わせながら、晴持の様子を確かめたところでは、肩の怪我を庇う仕草は見られず、槍の扱いも以前に比べて上達しているのが分かった。
伊予国での道雪との一騎打ちが、晴持の武を高めたのは言うまでもない。
百の鍛錬よりも、一の実戦のほうがより多くを得る事ができる。隆房の武も、実戦の中で鍛え上げたものであるのだから、それは否定しない。けれど、それでは道雪が晴持を鍛えたような気がして気分はよくない。晴持の鍛錬の相手は、あくまでも隆房なのだから。
「相変わらず、隆房は強いな」
水を頭から被って汗を流した晴持は身体を拭いてから隆房の隣に腰掛けた。
ぬるめの麦湯で喉を潤す。服まで換えたため、鍛錬の名残は柱に壁に立てかけられた槍だけとなった。
「そんなことないよ」
と、隆房は言う。どことなく機嫌が悪そうなので、晴持は目を瞬かせた。
「どうかしたか?」
「別に。ただ、あたしはまだ弱いから。もっと、強くなんなくちゃいけないって、思った」
「隆房に勝てるヤツは、少なくとも大内の中にはいないんだけどな」
晴持の言う事は、隆房でも理解している。戦でも鍛錬でも、とにかく武を競う場面になれば隆房の右に出る者はいない。もちろん、匹敵する者はいる。例えば、隆豊のように、一定水準に到達した武を持つ武将はいるのだ。しかし、それでも隆房を相手に安定して勝利を収められる者は皆無と言ってよかった。
「大内の中だけじゃだめなんだよ」
隆房は、ポツリと漏らした。
「他の家の武将よりも強くならないと。若が怪我をしたのはあたしのせい。あたしが弱かったせいで、若が道雪と一騎打ちをしなくちゃいけなくなった」
「違うだろ。あれは、単に相手が一枚上手だったってだけだ。気に病むことじゃない」
「でも、若がああしたのは、あたし達の退路を守るためでしょ。本当は、あたしが若を守らなくちゃいけなかったのに」
隆房は晴持の肩に手を伸ばした。服で隠れているが、そこには道雪から受けた怪我の痕が残っている。
「若に何かあったらって思うと、怖くなる。戦で、あんな気持ちになったの、初めてなんだ」
「俺は隆房が敵に突っ込むときはいつもひやひやしているよ」
晴持が隆房の髪を梳くように撫でると、隆房は目を細めて身を委ねた。
幼い時から、こうして晴持に甘えるのが癖になっていた。妹が兄に甘えるようなものだろうか。あるいは、親猫に擦り寄る小猫か。隆房にとっては、晴持は主家筋に当たると同時に兄貴分であり、昨今は異性として意識し始めた相手でもある。その人物が戦に於いて隆房の退路を守るために危険に身を曝したとなれば、手放しでその功を喜ぶわけにはいかない。晴持の奮戦は武士としては喜び、褒め称えるべきであるのだが、彼を案じる者の一人としては、今後は厳に謹んで欲しい。
「若が危ない目にあわないように、あたし、頑張る」
「あまり、心配かけないでくれよ。隆房にいなくなられたら、本当に困るからな」
「うん」
隆房は晴持の腕をとって抱きしめる。戦場での修羅のような戦いぶりが嘘のような仕草だ。彼女の勇名だけを知っている者がこの姿を見れば唖然とするだろう。
しかし、鬼のように戦場を駆ける姫武将も、歳相応の少女であるという事に変わりはない。
陶隆房もまた、戦の外ではこうした表情を見せる事もあるのである。
□
大内家が伊予国を押さえたことで四国での大内家の力は大いに高まった。
その影響力は、晴持を擁するが故に必然的に土佐国にまで及び、土佐一条家は大内家の威勢を楯に反抗する国人達への攻勢を強めているという。
しかし、それは土佐一条家が大内家に従っているという事ではない。大内家は、一条家に非常に都合よく利用されているだけなのだ。
それが、やはり気に入らない者もいる。晴持の活躍を喜ぶ一方で、一条家が大内家に晴持を介して何かしらの干渉を行うのではないかという不安が燻っているのを、皆感じていた。
そういった空気を不快に思うのは、晴持を慕う武将達であり、最右翼は当然ながら義隆であった。
「腹立たしいわ、この空気」
プンスカと頭から煙でも出そうなくらいに苛立つ義隆に、隆豊も珍しく不快感を露にしている。
「そうですね。若様がまるで大内家を裏切るかもしれないと言っているようなものです」
「早々に何とかしないといけないわ。家中の和を乱すものは、即刻手打ちにでもしてやろうかしら」
かなり過激な発言ではあるが、それも一つの解決策ではある。
根拠のない噂を垂れ流すのは、時に一家を亡ぼす要因ともなるからだ。とりわけ、それが主家に関わるものならば、死罪を申しつけられてもおかしくない。
「それは、おやめになったほうがいいでしょう」
異を唱えたのは、相良武任であった。義隆の祐筆であり、文治派を形成する文官である。
「力による圧迫は、それ以上の反発を呼びます。それに、若様にとっても不利益になりかねません」
「分かってるわよ。言ってみただけ」
そもそも、噂話に過剰に反応すれば、他家に付け入られる隙となる。離間の計なるものも世の中にはあるのだ。
実体のない噂を取り除くには、晴持と一条家の繋がりが大内家にとってよいものである、あるいは無害であるという認識を広めるのが穏便なやり方だ。
「じゃあ、どうしようかなぁ」
晴持への不信感を抱く者がいる。それが、義隆にとっては最大の屈辱なわけだが、だからといって粛清とも取れる過激な対応を取れば大内家の屋台骨が揺らぐ。彼を庇う事は簡単だが、それだけでは根本的な解決にはならないのだ。
「若様ご自身が、一条家との関係を明確にされればよろしいかと」
「まあ、そうよね」
晴持が実家の一条家と大内家とを天秤にかけて、大内家を取ると宣言すればいい。そうすれば、悪意のない、大内家の未来を憂える不安は解消される。残るのは、晴持を貶めようとする者の悪意だけなので、そうなったら、それを駆除すればいい。
「それだけでは足りません。若様には、一条家を相手に刃を向ける覚悟をしていただきませんと」
「武任。それは、ダメよ。子が親に刃を向けるのは、どの学問でも否定されているわ」
義隆が納める学問は幅広い。
仏教、神道、四書五経、朱子学、能楽、和歌、漢詩、さらには有職故実まで多岐に渡る。こうした学問は、多くの大名が領国統治と外交のために修めているものではあるが、義隆のそれは戦略的用途を著しく越えた傾倒の仕方であった。
「実際に戦をするか否かはまだ先の話ですが、土佐は今動乱にあります。一条家が大内家の威光を利用して活動を活発化しているのは、問題です」
「一条家が、うちに臣従してくれれば何も問題ないのにね」
晴持の実家だからこそ、どう対応するべきか判断しかねる状況なのだ。いずれにしても、土佐国は大内家が支配下に治めなければならない国だ。
「さすがは若様の兄上様ですね」
ここ数年の一条家の躍進ぶりを再確認して、隆豊は感服したとばかりに呟く。
当主の一条房基は、晴持の異母兄である。
その性格は、非常に好戦的で野心家であると聞いている。
「最近は、さらに版図を広げて、土佐国内では最大勢力となっております」
伊予国を大内家が押さえたことで、国内に集中できるようになり、しかも大内家の後押しがあるように見せかける事で、国人達を戦わずして屈服させるなど、戦以外の外交戦術も巧みだ。
「そのあたりも含めて、後できちんと話し合うわ」
そして、集まったのは重臣の中の重臣達。国内に散る者すべてを集めるわけにはいかないので、大まかな方針は、少人数で合議して決める。
その中で、一条家の対処も話し合わねばならないのだが、義隆は気が重い。
再三に渡る苦言を無視して軍事行動を起こす房基は、明らかに大内家を軽んじている。自分の弟が次期当主という事もあって、多少の無茶も押し通せると考えているのだろう。
尼子家が美作国で梃子摺っている事や、九州の情勢を報告させた後で、重い空気の中、義隆が口を開こうとして、
「では、義姉上。次は土佐をどうするかですね」
と晴持のほうから議題に挙げた。
これに、義隆も集まった諸将も虚を突かれて一瞬固まってしまう。
「晴持様。土佐は御身の生国でございますし、一条家当主の房基様は晴持様の兄君ですぞ」
「如何にも。しかし、この身はすでに大内の者。山口での暮らしのほうが土佐よりも長く、兄の顔も思い出せぬ不埒な弟です。兄上が大内家にとっての障害となるのならば、相応の対応をする覚悟はあります」
鋭く、何か言おうとする者を視線で制して、晴持は一息で言い切った。
それは、彼の偽らざる本心であった。
顔も知らぬ血縁よりも、よくしてくれた大内に尽くすほうがいい。
少なくとも、大内家の皆を晴持は家族と思っている。土佐が邪魔ならば、排除するまで。その意気込みは、諸将に遍く伝わった。
ひりつくような空気を変えたのは、義隆であった。義隆は手を叩いて静寂を打ち破る。
「晴持の気持ちは分かったわ。けど、それはあなたの仕事じゃないわ。なんにしても兄を弟が手にかけるなんて義に悖る行いを晴持にさせるわけないでしょ」
そう言いながら、全体を見回し、
「第一、一条家と一戦を交える方向で話をしても意味がないわ。あの家とは今後もうまく付き合っていくべきでしょ」
義隆がそう言ったので、場の緊張が緩んだ。
「確かに。今の時点で戦を想定するのは、早すぎましたな」
「晴持様の生国ですからな。外交で取り込む手もありましょう」
大内家に従わない一条家に対する苛立ちがあったのは事実だが、それも過剰に意識するような事ではない。伊予国を落とした後で、隣接する土佐国の騒動であったので、皆気が気でなかったのだ。
「土佐の事はなんとでもなるわ。今は本家のほうに探りを入れればいい」
「本家と申しますと?」
「京の一条家に決まっているでしょ。武家化した土佐の一条家と本家の一条家の関係を調べておけば、いざというときに役に立つかもしれないじゃない」
公家は武家よりも格上である。この戦乱の時代、多くの公家は所領を奪われ、落ちぶれているがその血に宿る権威は、多くの大名が欲するところである。力のない公家が、それでも生きていけるのは天皇という至高の存在に近いからであり、そもそも武家とは別であるという意識が公家と武家の双方に働いているからでもある。
そもそも身分が違うのだから、武家化した同族に対していい感情を抱かない可能性も高い。
ならば、それはある意味でねらい目である。
「今度開く連歌会に、京からいらした公家の方々を皆お招きするわ。そこで、一条家の動向を探る事にする。って事で、この話は終りね」
義隆は強引に話を切りあげた。
話は用水管理の争い事に移り変わる。領内の村々の水の争いを調停するのも統治者の使命である。また、家臣達の土地争いもうまく間に立たねばならない。戦に出ない義隆の本領は、こうした政務にあったのである。
□
「伊予が大内家に落ちましたか。思っていたよりも早かったですね」
書状を書いていた少女は、報告を聞いて筆を下ろす。
大友家が支援に乗り出していたのは確認している。それが戸次道雪であるという点も彼女達にとっては重要事であった。
彼女達の最大の敵となり得るのは、現状では九州の雄である大友家である。その大友家の中でも最強と謳われる戸次道雪が戦果を挙げる事ができずにむざむざと伊予国を大内家に明け渡したのは解せない話だ。向こうで何があったのか、探りを入れたいところだが、
「今すぐというわけにはいかないですね」
今は戦の真っ最中。
考え事は後にしなければ。
「歳久様。義久様の隊が向かってきます」
「分かりました。こちらも、動きますよ」
「御意」
島津歳久。
島津家の三女にして、島津の智を司る少女である。
こちらの兵は三〇〇。相手はその一〇倍近い。しかし、事前にいくつもの策を重ねてきた上で合戦に踏み切っているので、敗北はない。
万事、予定通りに事が運んでいる。
「それでは、釣れた魚を捕らえにいきますよ」
この一戦で、日向に島津の足がかりを築き上げる。
そのために、伊東家の力を徹底的にそぎ落とすのである。