大内家の野望   作:一ノ一

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その十九

 大名の外交政策は様々ある。

 例えば、大内晴持と河野通直との間に交わされた姻戚関係は、同盟の中でも特に強固なもので、破り難く、効率的に他勢力を組み入れるのに向いている。

 また、こうした同盟が組めない敵対勢力に対しては、相手よりも上位の官位を取得する事で戦を仕掛ける大義名分を得たり、相手の士気を下げたりする。

 もはや幕府や朝廷の官位など有名無実のものでしかないが、しかしこの戦国時代にあっても旧来の権威を楯にした政策は非常に有効であり、大名家の「格付け」にも影響するものなので、力ある大名は挙って幕府や朝廷に献金してその見返りとして官位を授与されるという構図が生まれていた。

 この流れは、幕府がそれまでの幕府に対する貢献度を基準にした官位授与から金さえ積めば誰にでも官位を与えるという方向に舵を切った事も大きい。

 これによって、工作次第では成り上がりでも武家官位を手に入れる事ができるようになったのである。

 そうなると、官位を持たない成り上がりの小勢力は幕府に官位授与を打診し、そのような下賎の者に官位を与えられては困るという敵対する名門武家は幕府に苦情を申し立てる。それが続けば、必然的に日本中の勢力が官位を巡って幕府と関わりを持つようになり、自然と幕府の権威が引き上げられる。

 官位授与を餌にした幕府の巧妙な外交戦略である。

 そして、朝廷が出す官位も同じ。

 武家にとっては非常にありがたい箔となる。

 しかし、厄介な事に、当代の帝は献金を嫌っている。幕府のように金銭問題と権威失墜を官位で解決しようとはしていない。権威があるのは当たり前であり、資金繰りに関しては節制をよくし、自筆の書を売る事で生計を維持していた。決して豊かとはいえないまでも、帝としての矜持を貫いているのだ。

 そんな帝だから、大内家からの官位授与を依頼するための献金もすげなく断られたりもした。

 ここに来てやっと、義隆の公家趣味が活きた。

 三条公頼をはじめとする数多の公家と仏僧を保護してきた実績と、彼女自身の教養の高さ、そして中央との結びつきを最大限に活用し、伊予介の官位が授与される事となったのである。

 そして、その繋がりを断つまいと、義隆は密かに帝の側近から宸翰(しんかん)――――天皇直筆の書を購入し続けているのであった。

「なるほど、まあ過程はわかりました。それで、義姉上。その手の中にある物を見せるためだけに俺の部屋に来たわけですか?」

 日が没し、ろうそく以外の灯りのない時間帯である。そんな時刻に、晴持の部屋にいきなりやってきた義隆は、なんとも嬉しそうに和綴じの本を晴持に見せてきたのである。

 それが、京から手に入れた書物である事は流れの中で理解している。しかし、どうしてそこまで嬉しそうにしているのか、その理由まではまだ聞いていなかった。

 晴持に問われた義隆は胸を張って答える。

「そうでもある」

「それ以外に何があるのです?」

「一緒に遊んでみようと思って」

「遊ぶ?」

 晴持は頭の上に「?」を浮かべる。

 こんな夜にできる事などたかが知れている。そして、本を使って遊ぶとなればさらに候補が狭まる。

「これ、なぞなぞ集。なんと、陛下御製」

「陛下のなぞなぞ集!?」

 なるほど、それでそんなに喜んでいたのか。

 これまでにも、幾度か帝直筆の書を購入していたが、遂に書物にまで手を出したか。

「で、こんな時間だけど手近にいた隆豊と隆元を呼んだ。もうちょっとで来るはずよ」

「呼んだって、俺の部屋なんですがね」

「弟の部屋は姉の部屋みたいなもんでしょ」

「アッハイ」

 即答。

 どうしようもないこのジャイアニズム。姉より優れた弟などいないとばかりに我が物顔で振る舞う義隆。しかし、それも当然。何せ義隆は大内家の当主なのだから。当主でなくとも逆らえないような気もするが、晴持はそのあたりをきっぱりと思考停止した。

 そこにやってきたのは、冷泉隆豊と毛利隆元であった。

「夜分遅く失礼します。義隆様、若様」

「失礼します。義隆様、晴持様」

 譜代の家臣である隆豊は、大内家から分かれた一族であるが、その姓は母方の「冷泉」を称している。京の冷泉家が公家の名門ということもあり、大内家内で影響力を与える家名という事で父の代に姓を改めたのである。

 そして、毛利隆元は安芸国の盟主になりあがりつつある毛利元就の子女だ。直に毛利家の跡を継ぐ事になっており、その内安芸国に戻る事が決まっていた。

 晴持は自らが招いた客をもてなすように茶とお茶請けを用意する。

 義姉とその客がいる部屋の主として働かねばならない。残念ながら義理とはいえ弟なのだ。弟の悲しい性とも言うべきものがそこにはあった。

 姉とその女友達が自分の部屋に集まって遊興に耽る。その状況に同席して、心静かにしていられるかと言われれば、否だ。

「す、すみません、若様にそのような……」

「客人をもてなすのも仕事だからな」

 隆豊が申し訳なさそうに頭を下げる。もう、それだけですべて許せる。もともと怒ってはいないが。

「お仕事ですか。あ、これ壁書ですね」

 隆元が晴持の作業途中で放棄された書を見て言う。

 壁書は、大内家に仕える家臣が守るべき規則を必要に応じて殿中に掲げたものを言う。形式としては下知状や書状、あるいは奉公人連署奉書となり、基本的に一時的な法令ではなく永代に渡って守るべきものを書き記す。

 今回、晴持が書いているのはその草稿であり、特筆するような新しい要素はない。強いて言えば、河野家の立場などであろうか。

 以前に出されたものと内容を同じくするものもあるが、それは政治の停滞を防ぎ、新たな家臣に大内家の規則を周知する意味合いがある。

「義姉上が来てから仕事が手につかなくてな」

 その作業は、事もあろうに当主の襲来によって妨げられていた。

「別にそんなのすぐに書かなくてもいいヤツじゃないの」

「確かにそうではありますが、それは当主が言っちゃいけません」

 仕事を任されている晴持が書かなければ、最終的に義隆の仕事が遅れるだけで、結果的に損をするのは義隆である。

 そのため、妨害は義隆の首を絞めているようなものなのだが分かっているのだろうか。

「ま、いいじゃないの今夜くらいは」

「結構な頻度な気もしますけど」

 晴持はジト目で義隆を見据えながら湯飲みに口をつける。

 虫歯予防の麦湯であった。

「あの、それで陛下から戴いたという書物は?」

 隆豊が義隆に尋ねると、義隆はにこやかにその書物を見せる。若草色の本は、手書きで多くのなぞなぞが書き記されている。

「なぞなぞ、ですか」

「なぞなぞ、結構好きですよ。わたし」

 隆豊と隆元が興味深そうに項を捲る。その書物を、義隆が横から攫う。

「答え見ちゃ面白くないでしょ。出題はわたしがするわ」

「義姉上は、もう一通り読んだのですか?」

「うん」

 自分はもう読み終えたので、そのなぞなぞを人に出してみたくなったという流れか。

「それで、どのようななぞなぞがあるのですか?」

 尋ねてみると、義隆は項を何枚か捲る。そして、ある項を開いてここと決めたらしく、そこに書かれているなぞなぞと読み上げた。

「じゃあ、第一問『雪は下よりとけて水の上に添()』。はい、これなんでしょう」

 まったく意味が分からない。

 雪が下から溶けて水の上になんちゃら。どういうことだろう、と晴持は内心で首を捻る。無論、表に出すのは癪なので、表情は無愛想のままだ。

「わかった人は挙手」

「はい」

 手を挙げたのは隆豊であった。

「え、分かったの?」

 晴持が驚いて隆豊を見る。

「え、はい。おそらく……ですけど」

「ほう、じゃあ答え」

 義隆に促された隆豊が答えを言う。

「『弓』だと思います」

 隆豊が答えても、晴持はどういうことなのかさっぱり分からなかった。

 義隆は腕を組んで沈黙し、答え合わせを長引かせる。

 この沈黙、前世で見ていた某テレビ番組で漂った緊張感に似ている。あの独特の重苦しいBGMが頭の中で再生される晴持は、生唾を飲んで義隆の返答を待った。

 そして義隆が、ゆっくりと口を開く。

「正解!」

「やった!」

 隆豊が小さな手を握って珍しく感情を露にする。それから、すぐに顔を赤くして小さくなった。

「あの~、どうして弓になるのか分からないんですけど」

 隆元が、隆豊に尋ねた。

 その返答を聞く前に、義隆が晴持ににやにやしながら尋ねる。

「晴持は、分かった?」

「正直言って、分かりませんでした」

「隆豊、解説」

「は、はい。ええと、『雪は下よりとけて~』の部分で、『ゆき』という言葉の『き』を取り去ります。そして、『水の上に添ふ』で、『み』の上に残った『ゆ』を置いて、『弓』になります。拙い説明で、すみません」

 晴持と隆元は、同時に大きく頷いた。

 言葉遊びというべきか。何か物を連想するのだと思っていたら、言葉から攻めるべき問題だったか。

「隆豊は頭が柔らかいなぁ。目から鱗だった」

「そうですね。すぐに理解されたみたいでしたし」

「さすが隆豊ね」

「そんな事ありません。今回の問題は、相性がよかっただけです」

 隆豊は頬を上気させて謙遜の言葉を口にする。

「よし、じゃあ次行くわよ。えぇとね」

 義隆は視線を開いた書物に向ける。

「『いろはなら()』」

「……それだけ、ですか?」

「うん」

 晴持は唖然とした。あまりにも短い。晴持の知っているなぞなぞは、もっと長く、文章として纏っている。

 この短文からいったい何を連想すればいいのか。皆目検討もつかなかった。

「はい、分かりました」

「嘘だろ」

 思わず口を突いて出た。隆豊が手を挙げたのが信じられなかった。

「答えは?」

「『(かんな)掛け』です」

「あっさり解くね。正解よ」

 義隆は満足そうに頷く。なぞなぞは、分かる人と分からない人が混ざっているから面白い。分かる人だけではつまらないし、分からない人だけでは沈黙が続くだけで終わる。

 であれば、隆豊が頭を回転させ、晴持と隆元は唸っていればそれだけで義隆は満足なのであった。

「義姉上。なんで、今のが鉋掛けになるんでしょう?」

 答えを聞いてもアハ体験にならないので、意味から教えてもらう事にする。

 すると、今度は義隆が得意げに解説を始める。

「『いろはならへ』は、つまり仮名の勉強をしなさいって事」

「それは、まあ分かるけど……」

 『いろは』はいろは歌のいろはで、『ならへ』は習えの意。それが鉋に繋がらないから悩んでいる。

「仮名はね。もともと『かんな』って発音していたのよ。『かりな』が撥音便になって『かんな』。それが縮まって『かな』。だから『いろはならへ』は『かんな』を『書け』って事になるの」

「な、なるほど」

 言われて見れば納得する。しかし、難しすぎではないだろうか。少なくとも、子どもが楽しめるなぞなぞではないという事がよく分かった。

「はい、じゃあ次は……」

 おそらく、この戦いは隆豊の一人勝ちで終わるのだろう。

 晴持はこういった頭を捻るような類は大の苦手だし、隣の隆元も目を回している。

 和歌にしてもそうだが、こういったものは、本当にセンスが光る分野だなと思った。

 

 

 結局、朝日が昇る頃までなぞなぞ大会は継続した。

 勝者は言わずもがな冷泉隆豊であったが、真面目になぞなぞをしていたのは途中までだ。丑三つ時を跨いだ辺りからは、完全になぞなぞを忘れて和歌や漢詩のマニアックな話に興じ、さらには『源氏物語』のあの場面がいいこの場面がいいと、教養人らしい会話が繰り広げられることとなった。この頃になって隆元も脳を再起動させて話に混ざっていった。

 女三人集まれば姦しいとはよく言ったもので、大内家を取り巻く情勢が安定しつつある事も手伝って実に楽しそうに会話を続けていたのである。

「申し訳ありませんでした。お仕事どころか、お休みの時間まで台無ししてしまって」

 と、申し訳なさそうに謝ってきたのは隆豊であった。

 気にするな、と晴持は言う。

「義姉上の我侭につき合っただけの隆豊が謝る必要はないよ」

 義姉は事もあろうにこの部屋で寝ると言い出して、布団に潜って眠りに就いた。よほどの事がなければ昼餉の時間までは目を覚まさないだろうし、晴持も寝かせておこうと思った。

 隆元は、なぞなぞ大会が終わった直後に晴持の部屋を辞している。今の隆豊と同じく、申し訳なさそうにして去って行ったのが印象的だった。

「隆豊も休むなら今のうちだぞ」

「いいえ。若様はお休みになられないのですよね?」

「まあ、な。義姉上に邪魔された仕事を再開して、それからだな」

「それでしたら、わたしもまた休みません。楽しんだ分は、お仕事に力を注がなければなりませんから」

 徹夜明けながら、隆豊は柔らかく微笑んだ。

 

 

 

 □

 

 

 

 凶報というのは、突然にやってくる。

 あのなぞなぞ大会から七日ほど経過したある日の午後、突然義隆の下に呼び出された晴持は、珍しく神妙な表情を浮かべている義隆と向き合う事となった。

 あの義姉が今にも頭を抱えそうな表情をするのは滅多にない。

 何かよくない事が起こったのだと察するには余りある。

「晴持。これから諸将を集めた軍議の場でみんなには伝えるのだけど、あなたも無関係じゃないから先に言っておくわね」

 そう前置きして、義隆は本題に入った。

「土佐の兄君が亡くなられたわ」

「は?」

 晴持は、一瞬の忘我を己に許した。

 それほどまでに、義隆の言葉は重く、受け容れ難いものだった。

「冗談、ですよね?」

「冗談だったらよかったのだけどね」

 義隆はため息をつく。

 その様子から、義隆は確かな情報として、その報を受け取っているのだと分かった。

「どういうことなのです?」

 土佐一条家の当主である一条房基は晴持の腹違いの兄である。伊予国が大内家の支配下に入った事で後方の憂いが去り、しかも晴持を擁する大内家が背後にいるとなって景気よく軍を進めて一条家の領土を拡大していた。

 土佐一条家始まって以来の優秀さで、一家を纏めて土佐国に覇を示した。

 それが、あっけなく死んだと聞かされても実感が湧かない。

「まあ、わたしも信じられないし、裏取りをさせているのだけど、今のところは狂気に陥って自害したとしか言えないわね」

「自害!? 戦で討たれたわけでもなく?」

「そう。だから信じられないのだけど……でも、確かにあの方に関しては奇行の噂もあったしね……」

「それは、確かに聞き覚えはありますが、それほど気にするものではなかったように思います」

「そうね……」

 房基は少々癇癪を起こしてしまうところがあり、攻撃的な性格が問題視されていた。それは半ば病的にも映り、人を不安に陥れる要素でもあった。

「とにかく、この一件で土佐が荒れるのは間違いないわ。遺されたのはあなたの甥っ子の万千代だけ」

「では、土佐に向かいますか?」

 土佐国が荒れ、一条家の跡取りがまだ元服もしていない幼さであれば、大内家に介入の隙がある。晴持が大内家に来たのはまだ三つの時だ。いくら彼が生まれた時から成人並の思考力を有していたとしても、二〇年近くも前に分かれた兄の顔など覚えておらず、当然ながら死んだと聞かされても、衝撃を受けはしても立ち直れないような傷を負う事はない。

 軍議で諸将に宣言したとおり、晴持の土佐一条家に対する想い入れはそれほど強くはないのである。

 しかし、義隆は首を振った。

「事の真偽が分かるまでは静観するわ。今、すぐにわたし達が動けば、房基殿をわたし達が暗殺したのではないかという噂が立つ。それが真でなくとも、その噂は土佐を治める上で都合が悪いわ」

「なるほど、確かにそうですね」

 晴持を介して土佐国に入るというのも不可能ではない。義隆の言葉からも分かるとおり、彼女は大内家の土佐入りを模索している。本来の予定では土佐一条家を介して土佐国を支配しようとしていたのだが、その一条家が大内家の意に沿わぬ行動を繰り返していて問題となった。その果てに、今回の当主の突然死だ。疑いの目は大内家に向きかねない。

 そのため、大内家としてはしっかりとした情報収集にあたり、一条家の出方を伺う必要性があったのだ。

 伊予国を支配下に組み入れてそう時を経ずして、さらなる動乱の気配が伝わってきたのであった。


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