大内家の野望   作:一ノ一

2 / 95
その二

 築山館は大内氏館の北方に位置し、居館としての大内氏館に対し、迎賓館としての役割を持っていた。

 ここで接待するのは、多くが京から逃れてきた公家や僧侶といった文化人で、当主の大内義隆は彼らを積極的に保護し、交流を持つ事を何よりの大事としていた。

 もっとも、そういう性質は義隆に限った事ではなく、歴代の大内家当主が持ち合わせた気質である。

 本拠となる山口の町並みも、京都を模したものであり、城ではなく館となっているのもこの山口にあわせたがためであり、軍事的な防衛力というものはあまりない。非常に巨大な館で将軍邸を参考にしており、建設されたのは百年ほどもまえであることからも、大内家の京への憧れがどれほどの歴史であるのかわかるだろう。

 義隆はその日も招待した僧侶達と茶を飲み、談笑していた。僧侶との交流がもたらすものは意外にも大きい。その最たるものが情報であり、高度な学識だった。大内家は彼らを積極的に誘致したのも、諸国、特に山陰の尼子家や九州の大友家、少弐家の動きを知るためでもあった。とりわけ、尼子とは領地を接し、長年の禍根がある。彼らの動きは、義隆にとっても無視できないものがあるのだ。

 義隆が戦火を逃れた学問僧を手厚く保護しているのは、決して彼女の個人的な欲求を満たすためだけではなく、あくまでもお家のための重要な政務であるのだ。

「という言いわけはずいぶんと聞きました、義姉さん。確かに、そのご意見そのものは筋が通っていますし、必要な事ではあるでしょう。苦難の道を歩まれる方々に寛大な慈悲を与えられるのもすばらしいお心だと思います。ですが」

 とそこで晴持は言葉を切った。

 手元には、一枚の書状。誓紙である。義隆の花押もしっかりと入っている。

「そう気前よく寺社仏閣に金銭を寄進されるのはさすがにまずいです」

「だってお金がなくて困ってるって言ってたし」

「そも、仏僧とは清貧を旨とするものでしょう。これから尼子や少弐との戦いが激化すると見られているこの時期にこれほどの額を提示されるとはどういうことですか?」

 拗ねたような義隆に、晴持は誓紙を見せて該当部分を指で指し示した。

 一千貫。石高にしておよそ二千石。砦を守る城将の所領がおよそこれくらいである。それを、ポンと約束してしまえることが大内家の経済力を物語っているのだが、それは晴持にはなかなか受け入れ難い事である。

 公家に生まれ、公家かぶれの大金持ちの大名家にやって来たボンボンと見せかけて、その内実は平成人で、しかもしがない学生だった身だ。金銭の感覚は非常にシビアで、かつては仕送りを浮かせようと雑草を食った事もあるくらいだ。

 大内家の中でも質素な暮らしをしていると自負しているし、大金を目の当たりにしてそれをドカンと使ってしまう神経が信じられなかった。

「むー……晴持ってばケチんぼ。じゃあ、この話はダメってこと?」

「いえ、すでに誓紙まで書かれている以上はなんとか工面しますよ。義姉上のお顔に泥をぬるような事はできませんから」

 正直、拒否感は強いのだが、大内家の信用に関わる問題でもあるので仕方ないと諦める事にする。

 それに、義隆の金銭感覚は問題だが、それでも仏僧の受け入れの政治的に意味合いも大きく、民意を味方につけることもできるのだからムダにはならない。人としても困っていたら手を差し伸べたいと思うものだし、うまく折り合いをつけていくしかないというのが今の晴持の意見だった。なによりもあくまで養子の分際で当主にそこまで強く言うことはできない。

 晴持の許可を得た義隆を大いに喜んだ。

「やったー! さすがうちの見込んだ子!! わかってるじゃない!!」

「はあ……まったく、これからも同じ事が続けるのは勘弁してくださいね」

「わかったわかった。じゃあ、うちは仕事があるからこれで行くね」

 義隆は、話は終わったとばかりに立ち上がり、部屋を出て行った。

 部屋を出て行くとき、できるだけ速く工面してね、と声をかけられた。

「俺も甘いなあ……」

 財政には余裕がある。海外との貿易で得られた多大な財貨が大内家には存在するのだ。経済力では他大名を圧倒して余りある。

 だから、一千貫の出資自体には問題がないのだ。 

 問題なのはこれが続いて家中の和を乱すことにある。

 もともと晴持は大内家という家のことをそれほど知っていたわけではない。中国地方の覇者といえば毛利家であったり、歴史の教科書には細川氏と争った寧波の乱が出てくるが、これ以外については細かいところまで知っているわけではなかった。

 文化人としての傾向に拍車がかかって重臣の陶隆房の手にかかって死亡した。その後、陶隆房を厳島にて破った毛利元就が中国地方に一大勢力を築き上げるに至る、という大まかなあらすじ程度しか知っていない。だから、隆房との確執が生じないようにする必要が何よりも大事。

 すでに家中には武断派と文治派が形成されつつあるようだし、これは家を二分する事態につながりかねないものだ。

 かといって何か妙案があるわけでもない。ただ、漠然とした不安があった。

「今俺にできる事を精一杯していくしかないか」

 血のつながりがないとはいえ親子。それもほとんど姉弟のような間柄だ。十年以上も家族として過ごしたからには情も湧くというもの。ぜったいに史実のような悲惨な結末を迎えさせたりはしない。

 だから、晴持は武断派にも文治派にも付くことなく、その間に立って家中を見る立ち位置に終始する事にしたのだ。

 どちらにもつかない、というのは優柔不断ともとられるかも知れないが、こうした場面では両者の間を取り持つ役割を期待できる。

 なにか不満があれば直接ぶつけるのではなくまずこっちに愚痴をこぼしにこいということである。

 直接ぶつかり合えばどうしても喧嘩になったり不和を生じさせたりしてしまい、大内家にとってまったくよいところがない。

 義隆が文治的である以上は、武断派は面白くない。だから武断派筆頭の隆房に負けないように武芸を磨く事で大内家は決して文治に流れているわけではないということを示そうとしていたのだった。

「しかし一千貫か……これをもっと別のことに使えたらな」

 大金を寄進する心栄えはよいのだが、大国の長が軽挙にしてよいものか。河川の管理や生産能力の向上、各所重要拠点の防衛機能の強化とやらねばならないことが目白押しであるのだから。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 冷泉隆豊が初めて晴持とあったのは実のところそう昔の事ではない。

 父親が大内家に出仕しており、隆豊自身は自らの領地から出ることがほとんどなかったから、必然的に義隆の養子である晴持と出会うこともなかったのだ。

 隆豊が晴持と面識を得たのは父が急死して家督を継いだときが最初だ。

 聞けば文武に秀で、人当たりの良い人物で、将来を嘱望されている逸材だという。

 しかも義隆とほぼ同年代。義理の親子ではあるが、あまりに歳が近く家督継承に問題が生じるのではないかという不安もあったが、姉弟仲もとい親子仲は良好で家臣たちは要らぬ心配をしてしまったという話もある。 義隆に家督を継ぐ旨を伝えた帰り、晴持にも挨拶をしなければと向かっていった隆豊は、庭で大工仕事をしている少年を目に留めた。

 近くにはなにやら書簡を眺めている同年代の少女もいて、真剣に話し合いながら大型のよくわからないものを造っていた。

 木製の漏斗や桶などを備えたそれがいったいなんなのか隆豊にはまったく想像もつかなかったが、物事に一生懸命に取り組む姿には好意を覚える。

 まさかそれが晴持だったとはあの時は思ってもいなかったが。

 そのときのことを思い出してついつい笑みがこぼれた。

 大内家の養子に入った人がまさか手製の農具を作っているとは思わなかった。

「何か楽しい事でもあったのか、冷泉殿」

「ひゃう!?」

 隆豊は飛び上がるほどに驚いた。驚きすぎて背筋がピンと伸びたし、奇妙な声が漏れ出た。

「あ、ごめん。驚かせてしまったね」

「い、いえ……わたしが勝手に驚いただけですから!」

 慌てて取り繕う隆豊は、羞恥で頬を紅くしていた。

「しかし、こんな時間にどうしたんだ? 見たところ俺に用があるように見えたけど」

 すでに日が暮れてずいぶんと経つ。眠りに付くには少し早いがそれでも多くは政務を終えて一日の疲れを癒そうという時間帯である。

 そして、隆豊が向かっているのは館の奥で、そこにあるのは晴持の部屋だった。

「その、取り立てて用があるわけではないのですが」

「……とりあえず部屋に入ろうか。桜の季節とはいっても夜は冷える」

 

 

 

 隆豊が晴持を訪ねた事にはそれほどの意味はなかった。

 強いて言えば軍議で出てきた施政の問題点を詰めていくことだが、それも急ぎの用件ではない。いわば口実だった。

 隆豊の家中での立ち位置は微妙だ。政治的な発言力や家柄ということではなく派閥の問題でだ。

 隆豊は歌を詠ませれば公家衆にも通用し、刀槍を扱わせても一流で軍隊の指揮もできる。なんでもそつなくこなす事ができる秀才なのである。そんな彼女は家中では武断派と文治派という派閥に属することなく両者の間に立つということを長年続けてきた。

 最近はどちらかと言えば武断的になっているようだが、それでも全体のバランスを意識していることには変わりなく、だからこそ同じような立ち位置に意識的に立っている晴持とは気があう。

 だからあまり好ましい事ではないのだけれども、こうして一日が終わると日頃の愚痴、というほどの事でもないが軽い会話を交わしにくることが多かった。 

 また、晴持もそんな隆豊を無碍にすることなく快く受け入れてくれるので、甘えとわかっていても隆豊はこうして晴持を訪ねてしまう。

 なにごとも抱え込んでしまう隆豊にとっては、唯一と言ってもよい理解者であった。

「へえ、また喧嘩か。あの二人も懲りないなあ」

「はい」

 隆豊はその日あったことを取りとめもなく話した。

 告げ口のようなものは決してしないように気をつけて、問題だった事、うまくいかなかったことなど多岐にわたった。

 とはいえ、そこにはどうしても陶隆房と相良武任という水と油の二人の話が出てきてしまうのだが。

「ははっ。まあ、今は好きにさせておくさ。鬱憤が溜まるのもよくないからね」

「しかし、あまり皆の前で喧嘩をされるのも困ります。示しが付きませんし、その…仲が悪いという事に付け入られてしまうのではないかと」

「懸念はもっともだな。何れは手を打つ必要のある事だ。とはいえ、二人は職分を全うしてくれているわけだし、面白い事にあれはあれで互いに認め合っている節があるんだ。まあ、素直じゃないって事だな」

 隆豊にはそのようには見えなかったが、晴持には喧嘩するほどなんとやらと見えたらしい。

「そうかもしれませんが、他の方たちはそう取りはしないでしょう。亀裂が深まってしまえば大変な事になりかねません」

「そうは言うが、どちらも手放せない稀有な才覚の持ち主だ。俺たちでなんとか仲を取り持つしかない」

 仮に、どちらか一方が能力に劣る、ただ相手を糾弾するしか脳のない俗人であれば話は簡単だったのだが、隆房も武任もともに大内家にとっては重要な人材なのだ。簡単に斬り捨てることはできない。

「まったく板ばさみはキツイ。なあ」

「ふふ、そうですね」

 なんとなく楽しそうに語る晴持に隆豊は笑って同意した。

「そうだ、そういえばあれはどうなっているかな」

「あれ、とは?」

「生糸」

「ああ、それでしたら、滞りなく。夏蚕を導入してから、参入する者も多くなりました。やはり、田植えと時期をずらせるというのは強みですね」

 生糸とは蚕の繭から取れる絹の原料である。養蚕業は、農家の副業だったという知識から、数年前から領内で試験的に導入を始めていた。

 それは、半ば必要に駆られてのことだった。

 晴持が表立って行動できるようになってから、真っ先に行ったのが農業に関するてこ入れであった。

 大内家の本拠地である周防国をはじめ、大内家の領国である長門国、筑前国、豊前国などの石高は高いほうではない。豊前国に関しては他よりも収穫できるものの、未だに安定した統治ができているとは言えず、収入が一定しない。四カ国を領有しているといえば聞こえはいいが、勢力を維持するための資金を蓄えるためには、やはり経済に頼らざるを得ないのが、今の大内家の現状なのである。

 だが、経済というのは、簡単に破綻する。

 海上封鎖や関所の設置など、流通を止めてしまえばそれまでだ。大内家の兵力ならば、そういった妨害を排除することもできるが、これから先、どのような事態が起こるか分からないのだから、交易収入に頼ってばかりもいられない。

 晴持は、農業生産を充実させるべく、拙い知識を使って堆肥や農具の歴史を先取りした。

 それが唐箕であり、千歯扱きであったりといったものである。木製の簡素な構造なので、晴持でも簡単に作ることができたのである。

 作業の能率を高めることは大切だが、能率が高まるということはそれ以前に必要とされた人手が必要とされなくなるということである。

 千歯扱きは、その便利さと大内家の後ろ盾によって瞬く間に広まったが、それと同時に、脱穀作業を手伝うことで収入を得ていた者達から収入源を奪ってしまうという結果も生み出した。千歯扱きが、後家倒しなどという不名誉な名前で呼ばれたのは、こうした能率化からくる人手の削減が原因なのだ。

 とにかく、副業を与えることで、削減されるはずの人手をなんとか維持しようという戦略は比較的上手くいっているようで安心した。

「ですので、生糸のほうは、とりあえず軌道に乗ったと判断してよさそうです」

「それは、良かった。後は南蛮が食いついてくれればいいか。あ、カステラ食べるか?」

「え、いえ、そんな……」

「いや、義姉上がどういうわけか大量に持ってきてしまって、俺一人では食べきれないんだ。どうか、消費を手伝ってくれると助かる」

「そうですか。そういうことでしたら」

 くすり、と笑った隆豊に晴持は、カステラを切り分け、麦湯を出した。貴族の飲み物として古くから愛飲されてきたものだが、とりわけ平成を生きた晴持にとっては、この麦湯は茶の湯以上に身近だったこともあり、かつてを偲ばせる大切な飲料となっていた。また、虫歯予防にも力を発揮するとされ、晴持は茶よりも麦湯を好んで飲んでいる。

「夏蚕も上手くいってよかった。これで、生糸の生産量も上がるだろう」

「そうですね。それに、養蚕を副業とすることで、後家の問題も解消できると思いますし」

「生糸を専売とすれば、それだけで収入にもなる。この国は、今、明からの輸入に頼っているだけだから」

 日本に養蚕が伝わったのは、弥生時代。それも紀元前とされる。その後に、徐々に養蚕技術が導入され、租庸調に見られるように税として絹が用いられるようになった。だから、日本にも元々養蚕技術はあるのだ。後は、それを明から招いた学者を登用してなんとか向上させようとしているのだ。品質さえ上がってしまえば、高い輸入品に負けるはずがない。

 できれば、秋蚕もしたいところであるが、それは技術の問題を解決してからになるだろう。

 仕事の話も尽きたので、自然と雑談が多くなった。隆豊は、文武に長じているので、話のネタが多い。生来の聞き上手でもあるのだろう。晴持とは上手い具合にかみ合って、次から次へと話題が出てくる。

「あの、若様……」

 しばらく話していると、隆豊はおずおずと

「今日、その、泊めていただいてもよろしいでしょうか?」

 と言ってきた。頬が桜色に染まっていて、扇情的だ。

「最近、お声をかけていただけていないので……その、添い寝だけでもと」

 俯きつつも晴持の様子を探るように見てくる隆豊は、常とは異なる妖艶な色気を感じさせる。以前、なし崩し的に関係を持ってしまってから、しばしば隆豊は晴持の部屋で夜を過ごすようになったのだが、ここのところは、忙しさのあまりそういったこともなくなっていたのだ。

 ともあれ、誘われて受けないのは男にあらず。まして、相手は飛び切りの美少女だ。こうも慕われて嬉しくないはずがない。

「隆豊さえよければ、こっちからお願いしたいくらいだ」

「は、はい。よ、よろしくお願いします」

 はにかみながら、隆豊は手を突いて頭を下げるのだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。